チャイムが鳴り四限が終わった・一気に弛緩した空気が流れ始める。ある者はダッシュで昼を調達しに向かい、ある者は机をがたがたと動かして弁当を広げ、またある者は別の教室に向かう。
昼休み、まだ日常を成型しきれていない一年J組の教室はどこか不恰好な喧騒に包まれる。
今日のように雨が降っていると僕には行くところがない。普段なら師匠が見つけた昼食にピッタリなベストプレイスがあるが、さすがに二年生の教室に僕が行くと師匠のご迷惑になってしまうのだ。
仕方なく教室で一人、彼女が作ってくれた弁当を広げもぐもぐと食べていた。
こんな雨の日こそ、彼女とメールをして過ごしたいものなのだが、彼女はコミュニケーション能力も高いために友達に近しい関係の人が多く、学校でのメールは授業間の短い休みでしかできないのだ。
まあ、授業間の休み時間にメールしてもらえるだけありがたい。その幸せを噛み締めながらお弁当を頬張る。
J組は女子が九割をしめる。故に、男子は基本的に一箇所――教室の前のほうに集まっている。
その中に、僕は混じろうと思えば混じれてしまう。僕は中途半端だ。師匠のような真のぼっちは他人に思考のリソースを一切割かないためにその思索はより深いものになる。しかし僕は違う。どうしても周囲に目を向け、リソースを割いてしまう。
膨大な情報を会話という限られた表現手段によって伝えるのは難しい。パソコンと同じだ。膨大なデータをサーバーにあげたりメールで送ったりするのには時間がかかる。それを理解するが故に僕は、無意識に情報を減らしてしまう癖がある。
僕はそれを悪癖だと自覚している。メールをするだけがPCのすべてではないというのに、メールをするためだけにPCを使っているような気分になってもったいない。
人とは、考える葦なのだ。それなのに考えることを打ち切ってしまうのは、もはや人であることを放棄したのと同じ。
俺は人であることをやめたんだ……などというとかっこいいところがあるが、実際問題考えないというのは愚か極まりない。それこそ、彼らのような。
彼ら、というのは今、教室の前で青春を謳歌しまくっている彼らである。確か伊勢原とか高津とかいったか。
「は!? お前、彼女いるの? このリア充」
「いや、別にそんな可愛い奴じゃねぇって」
実に愚かである。そも、自分の彼女を貶す時点で男として最悪。別に知らない奴だが殺意が湧くレベル。
まあ、僕も彼女の自慢をしたい部分はあるし僅かに混じりたいと思わなくもない。だが彼女自慢なんてしたってリア充に話せば鬱陶しいことになること請け合い。あと、普通にああいう鬱陶しい爽やかリア充みたいのは苦手だ。
そんな爽やかな男子とは異なり、割とどろどろとした会話を繰り広げている集団もいる。それが女子だ。
教室の後ろにいる十人に満たないグループがそうだ。
ぶっちゃけ彼女らのことは一切知らない。興味もないし。
どいつも派手な格好をしており、その中には由比ヶ浜先輩以上に校則を無視している奴もいる。
だが彼女らが無視しているのは校則だけじゃない。道徳観もまた、無視しているのだ。
「あの子、サッカー部入ったんだってぇ」
「マジ? うっわ、あざと。絶対、部員食うつもりでしょ」
「それ思った! ほんとビッチだよね」
「それそれ、ほんとそれ。サッカー部って葉山先輩いるんでしょ? 最悪じゃん」
そんな風にある一人の女子を彼女らは罵倒する。その中心にいるのは一際派手な少女。金髪の髪が肩に触れるか触れないかのところまで伸び、かなりこてこての厚塗りメイクをしている。見せパンでも穿いてるのかよってくらいに短いスカートと、襲われたのかとってくらい乱れた制服。名前は……ああ、思い出した。小田原だ。
小田原の顔立ちは綺麗で整っているのだが、その分、無茶苦茶性格が悪い。だが、そのカリスマ性からなのか周りにはいつも彼女の味方がいる。なので、男子も、女子も彼女を恐怖の対象としてみている。
だが、僕にとっての小田原は恐怖の対象ではない。むしろ簡単に嫌ってくれるいいカモ、という認識だ。嫌われないとなんか微妙に、グループの一員みたいにされてしまうので、後々嫌われる場面が必要なのである。
まあ、今の僕とは何の接点もないから話しかけることなんてない。
ただ、一つ。今日も今日とて行われる特定の人物への悪口に腹が立つ。
「それそれ。葉山先輩のいる部活に、入るとか節操ないよね。マジうざい」
小田原が畳み掛けるように言う。周囲の取り巻きもうんうんと頷く。それは、一種の宗教のようでもある。
「今度、あの子こらしめよーよ!」
一人の取り巻きが口にすると、その場にいた全員が、同調する。
それを、ほかの女子のグループは黙ってみているしかない。女社会とはそういうものなのだろう。男社会よりも権力による圧力が顕著。女のスクールカーストはもはや、政界の次元だ。
「ぶはっ・・・・・・」
思わず笑いがこみあげてくる。もうね、なんか愚かすぎて見てられない。マジでほんと、ダメ。ダメ、絶対。
その愚かしい空気がいつしかクラスの日常になるのだろう。少ない男子は小田原を恐れるゆえになにもできず、女子はダメージを恐れて一人の女子を生け贄にする。
そうして、成り立つ平和は、なんて愚かで醜いんだろう。きっと、師匠なら欺瞞だ、と罵るだろう。
自分を犠牲にして犬を、助けてしまうくらいに師匠はお優しいお方だから、自分以外が犠牲になることなんて、きっと、許さない。
だが、だからといって、今ここで僕が動いたって迷惑になるだけだ。当事者がいない中でやっても意味がない。
そう、思っていたとき。ふいに教室が凍りついた。男子は黙りこみ、小田原の周り以外の女子も沈黙する。
そしてどういうわけか、その場の全員の視線は教室の前のドアに、集中した。
「あははは・・・・・・」
気まずそうに作り笑う少女が、そこにはいた。
「ねえねで、なんかあの子、また男子に色目使いに、きてるよ」
「うわっ。葉山先輩だけじゃなくてうちのクラスの男子まで狙ってるとかありえないんだけど」
「ほんと、それ。あの子マジでビッチじゃん」
「あの・・・・・・」
「あれじゃん? もう、色んな男子とヤってるんでしょ」
小田原の取り巻き3号が言うと、追随するようにどっと笑いが起きた。まるでアメリカのコメディ番組のような胡散臭い笑い声だ。或いは嗤い声かもしれない。
聞きたくもないのに、ついそちらに意識が向いてしまうのが僕の中途半端さだ。まあ、基本集団で人を攻撃するときの声はでかいから、聞こえるのかもしれないが。
「・・・・・・あの」
「あ、でもやりすぎるとなんか、面倒なことになるかも。あの子腹黒いし」
「あー、それもある。うっわ、マジ厄介なんだけど」
「あ、あの高津くん。いいですか・・・・・・」
「え・・・・・・。別にいいけど」
少女に、呼ばれた高津とかいう男は心底迷惑そうな顔をする。
少女はサッカー部の話で、声をかけているだけなのにそんな顔しなくたっていいだろ。この場で一番気まずいのは彼女なんだから。
一色いろは。一年C組。サッカー部マネージャー。亜麻色の髪の髪がショートカットよりは、少し長く伸びている彼女と僕は多少なりとも、親しい。
同じ中学だった。彼女の友達だった。その程度の繋がりでしかないから親しいと、言うほどじゃないのかもしれない。でも、少なくとも一色いろはという人間を知っていると胸を張って言える関係性だ。
「えっと、それ今じゃなきゃダメ?」
「そ、その方がいいですけど・・・・・・」
いつもはきゃぴきゃぴした一色があんなにもおとなしくなっていることが意外だった。彼女なら、小田原に、食って掛かりそうなものだが。
きっと、リア充というのは僕が知る以上に大変なのだろう。あの一色でさえ敵わないほどに。
なら、やっぱりぼっちこそ最強だな。気を使うのとか、面倒臭そうだし。
と、一色とたまたま目があった。その悔しそうな顔に胸を痛めると、何かを決意したようにすぅーっと深呼吸をした。
「あの・・・・・・あたしのこと悪く言うのやめてくれませんか?」
「え、なに? 別に一色サンのことなんて、話してないんだけど。ってかそもそも悪くいってないし。やましいことでもあった?」
「そ、そんなのないですけど。でも、明らかに私のことですよね?」
小田原の嘲る顔を見て、刹那一色の顔が硬直する。
普段のあざとさはどこにいったのか、今の一色は今すぐにでも舌打ちをしそうな表情をしている。これまでもこんな場面には何度か遭遇したがここまで険悪な彼女の顔は初めて見た。まあ友達であるうちの彼女は、見たことがあるだろうから、僕がこれまで目を背けて来ただけなのだと思う。
だって、どこにいっても人は変わらない。高校にきたから、一色に対するいじめが激しくなっただなんてことありえないのだ。
「は? え、ちょ、なになに? 思い当たるところがあるわけでもないのに決め付けてるの? うっわひど」
「へ? いやあの・・・・・・」
歯切れ悪く答える一色。もう、そう答えるしかない。これはもう、彼女の失態ではない。
その彼女の様子は小田原たちを調子に乗らせたらしく暴走というレベルにまで達していた。
クラスの中心にいる小田原の暴走にクラス中が静まり返る。男子の視線が余計に一色と小田原に集まる。
男子の前では可愛くいようとする一色のことだ。普通に小田原と口論するよりも、堪えるものがあるのだろう。
「ねぇ、なに? それじゃわかんないんだけど。根拠もないのに、こっちを悪者みたいに、扱ったんだからさ、謝ってくんない?」
一色は震えながら俯いてしまう。
小田原の言っていることはもはや私刑の宣告だった。この場で謝ること。それは、自分の非を認めるだけでなく、男子という第三者の前で二度と逆らわないことを誓わされるようなものだ。
ほんと、どこにいってもこういうことはなくならない。嫌なものだ。
目の前で彼女の友達が悔しそうに震えていて、理不尽に負けそうになっている。そんな状況でも彼女の弁当はおいしいにはおいしいが、やっぱり楽しさが半減される。
『孤独のグルメ』的に考えて、食事ってのは幸せなもんだろ。
あと、彼氏ってのは彼女の友達も助けてやるもんじゃないのか? 別に一色のために助けてやろうとは思わないけど、うちの彼女のために助けてやるしかないじゃんか。
それに、そうやって嫌われるのは僕の予約席だ。他の誰かに譲ってなんかやらねぇよ。
あー、あとあれだ。
・・・・・・気に入らねぇんだよこの野郎。
僕は机をがたっと鳴らして颯爽と立ち上がった。
「あ、やっべー! 間違えて昼休み始まった時からずっと録音してたぁ。まあ、一年生の様子、葉山先輩知りたいって言ってたしちょうどよかったかぁ」
「ちょ、あんたなに言って」
「あ? いや独り言だから気にすんなよ。昼休み始まった時からおたくらの会話全部録音してただけだし。別に悪く言ってないならいいっしょ?」
白々しく言ってからスマホを掲げ、僕は鼻歌を歌いながら教室の扉に向かう。
「ちょ、待っ」
「えぇ? 待ってほしいんすか? でも悪く言ってないんすよね? ならよくないっすか?」
小田原と、その周りの女子の顔が見る見る青ざめる。葉山先輩と言う人が師匠と同じクラスで、トップカーストのリア王であることは、知っていたがまさか、ここまでとは。利用できてよかった。
「よ、よくないから。悪く言ってから。だから、その・・・・・・やめて」
「へ? マジですかぁ! 小田原さんは一色さんを悪く言ってんすかぁ! へぇ! それで? 一色さんに謝るわけでもないのにぃ、こっちに頼むわけですかぁ?」
わざと大声で廊下にいる人にも聞こえるように言う。これは師匠のやり方とは絶対違う。中途半端で確実性のない愚かなやり方だ。
でも少しは効果があったらしい。
「あの、一色サン。ごめん」
「わ、わたしも」
小田原に続くように色んな人が少し頭を下げて謝る。強制されたがゆえに気持ちなんてこもってないし、このまま終われば一色への攻撃が陰湿になるだけなのはわかってる。
だからこそ、僕には解決しきれない。
あとは、一色の舞台だ。
「いえ、あの、べ、別にぐすん、構いませんぐすん」
一色は見事に、腰を抜かした演技を決める。
それまで虚勢を、張っていた、と思わせるような演技。そして、今、気が抜けたかのような演技。
そして、涙をこらえるように、けれどこらえきれずに泣いてしまう演技。
あざとい彼女に男子はころっと騙される。
「一色さん。何もできなくてごめん。これからは、俺たちが守るから」
さっきまで黙ってたくせに、手のひら返しをして一色に寄り添う。
あそこまでいったんだ。しかも、空気は明らかに小田原が不利。パワーバランス的にも男子は強くなる。これで今後も安心。一色いじめも、解消されることだろう。
「んじゃ、これは、消すか」
そう聞こえるように言ってから外に出る。
実際は録音すらしてないので、一応消すような素振りだけはする。
そのとき、スマホが震えた。
『今回はありがと。ここにも言っといてあげる♪』
一色からのメール。
それにしても、あいつ、いつの間に打ったんだか。
まあ、別にいい。興味ない。
結論。可愛いは正義。あざといは悪魔。一色いろはは恐ろしい。
この間に由比ヶ浜さんのいざこざが起こっています。
最終的に変わらないつもりでしたが、ほんと、終着点が変わらないだけで途中は変わります