ケッコン届を見た瑞鶴が誤解の果てに幸せになる話 作:サリチル酸
――執務室から逃走してから十数分後。瑞鶴、翔鶴の共同部屋にて。
瑞鶴は頭を抱えていた。
(…………本当にどうしよう、コレ)
原因はもちろん執務室から逃げる時にうっかり持ってきてしまった一通の茶封筒であり、その中にはすべての元凶である『ケッコン届』が収められている。
そう、瑞鶴はこのたった一枚の紙をどうするかで進退窮まっていた。
(ああもう!なんで持ってきちゃうかな私は!)
自己嫌悪で頭を抱えるが、それだけではどうにもならない。
素直に持って行ってしまえば提督に『ケッコン届』を見てしまったことがばれてしまうだろうし、だからといってこのまま持っていてもいずれは提督が気付いてしまうだろう。
しかもあの几帳面な提督のことだ。色々と重要なこの書類が無くなったと分かれば鎮守府全体で捜索を開始する可能性もある。
そんな捜索で瑞鶴の部屋からケッコン届が出てきたとなれば大惨事。それだけは何としても阻止すべきであり、よって瑞鶴は素直に提督に返しに行くしか手段は無いのだが……
(いったいどんな顔して返しに行けって言うのよ!)
瑞鶴にとって提督は意中の相手。そんな相手に素面で結婚届を返せるほど彼女の心臓は強くなかった。
(……と、とりあえず落ち着いて。そう、こんな時こそ精神統一よ……!)
しかし彼女とて歴戦の空母。どんな絶体絶命な状況の中でも最大限の奮戦をしてきた不屈の戦士である。危機的状況の中だからこそ冷静さを保つことの重要さは身をもって知っている。
(しっかり深呼吸してから状況の整理……そして最適な選択を……!)
単純な自己暗示。だがこれによって彼女は何度も窮地を脱してきたのだ。
そして戦士の顔をしたまま数分経過、決戦モード並の決意の表情で彼女の下した決断は――!
「……よし!提督さんが執務室にいない間に返しておこう!」
小学生並みに杜撰なものであった。
「……」
そろーりそろーり。
そんな擬音が聞こえてきそうなほど慎重に足を進める瑞鶴。
……そんなことをすれば明らかに怪しいのだが、いろいろと冷静でない瑞鶴はそれに気づかない。
そして数分後。途中で駆逐艦の娘たちに珍獣でも見るかのような目で見られるというハプニングこそあったものの、無事に執務室の扉の前にまで来ていた。
だがミスとは油断した時に起こるもの。そのことを承知している瑞鶴はゴール前まで来ても警戒を怠らない。
左舷確認。よし。
右舷確認。よし。
制空権確保。よし。
(よし、あとは執務室の中を確認して――)
『――はい、やはりそう――はい』
「!」
執務室の中からは提督の声。どうやら電話で会話中らしい。
『わかりました。はい。それで――』
壁越しで何を話しているのか詳しくは聞こえないが、提督はまだ中にいるらしい。ならばここは一時撤退したほうがいいだろう。
そう考えた瑞鶴はゆっくりと踵を返し――
『――ケッコン届けのことなのですが――』
すぐさま盗み聞きの体制に入った。
傍から見ればどう考えても不審者だが、彼女はそれどころではなかった。
(て、提督さん!?いまケッコン届けって……!)
『はい、そうです――ああ、そういうわけでは――』
瑞鶴の心臓の高まりなど知るはずもなく談笑を続ける提督。なんとか会話を聞こうと瑞鶴は扉に耳を密着させる。
『……やっぱり――はい、そうでしたか』
(何が!?何がやっぱりなの!?)
『――ええ、明日渡しにいきます』
(明日!?渡しにいく!?)
婚姻届、明日、渡しに行く。
この三つの単語から導き出される答えは、今の瑞鶴には一つしかなかった。
(あ、明日!提督さんが……!)
ただでさえ冷静ではなかった瑞鶴の脳細胞がさらにスパークリング。
本当に告白されるのかとか誰が選ばれるのかとかもし他の娘が選ばれたとしてそれを自分は祝福できるのかとかその他もろもろの思考がぐるぐると回転、妄想が爆発、他のことなど何も見えてはいなかった。
だから気づかなかった。
「あっ、瑞鶴先輩!」
さて、もしこれが何もない普通の日だったなら瑞鶴も特に慌てることなく、よい先輩として葛城と雑談の一つでもしていたかもしれない。
だが、いまの彼女は普通ではなかった。
具体的に言うと、
「か、葛城!?」
妄想の世界から一気に引き戻され、
「こ、これは違くて――」
とっさに葛城から距離を取ろうとして。
「――ひゃ!?」
「瑞鶴先輩!?」
後ろが執務室のドアであることも忘れて後ろに下がり、
「い、痛ったい……!」
背中から思いっきり転んで、
「――瑞鶴さん?」
「………………………あ」
提督を巻き込んで下敷きにしてしまうぐらいには普通ではなかった。
「ててて提督さん!ご、ごめん!」
「あ、いえ。別に大丈夫ですが……」
慌てて提督の上から飛びのく瑞鶴と、それを困惑しながら見つめる提督。
なんとも言えない空気が二人の間に漂うが――提督は一つ気付いた。
「……あれ?瑞鶴さん、その封筒は……」
「‼」
すべての元凶である婚姻届、その存在を瑞鶴はその手に抱えてしまっていた。
ご丁寧にも『提督以外開ケルベカラズ!』が提督に見えるように。
(どどどどうしよう!?提督さんに気付かれた!)
この時点で瑞鶴にさっきまで微かに残っていた冷静な判断力は無い。
あるのは『さっさとこの封筒を手放したい』という願いだけ。
「て、提督さん!これっ!受け取って‼」
だからこんな行き当たりばったりな行動になる。
「は、はぁ。別に構いませんが、何が入って……?」
強引に渡された封筒に困惑する提督。当然、中身について質問が飛ぶ。
この時、瑞鶴は多少強引でも話を打ち切って撤退するべきだった。
どれだけ無理が有ろうと適当にはぐらかして自室へ戻るべきだった。
しかし、長年における提督との生活で瑞鶴は『提督に嘘をつく』ことが極端に苦手になっていた。
――簡単に言えば、律儀に答えてしまった。
「な、中身!?け、
――空気が停止した。
今の状況を見てみよう。
提督と一番長い時間を過ごしている瑞鶴が、
明らかに緊張した様子で、
提督にケッコン届を、
『受け取って』と渡す。
その光景はどう見ても告白だった。
「…………え?」
今まで見たことのない提督の唖然とした顔。
それを見て、瑞鶴は急激に頭が冷えるのを感じた。
(…………………………アレ?もしかして今、告白しちゃった?)
ついでに肝が冷えるのも感じた。
(ず、瑞鶴先輩と提督が!?)
ついでに葛城は顔が赤くなるのを感じた。
唐突な瑞鶴の告白モドキに正常な思考がフリーズした提督。
勝手に口から出ていた言葉の意味を理解して顔をこれでもかと赤くさせる瑞鶴。
憧れの先輩と提督の重大場面に出くわしたことでさっきからテンション上がりっぱなしの葛城。
静かな雰囲気を醸し出すことに定評のある執務室も、この時ばかりは謎の空気が張り詰めるカオスな空間と化していた。
恐らく十数秒にも満たない時間。しかし当事者たちにとってはその何十倍にも感じたであろう沈黙の後、ようやく思考が回復した提督が口を開く。
「瑞鶴さん。それはもしかしてその――」
「………」
提督の言葉にも顔を真っ赤にさせたまま反応しない瑞鶴。
実際にはパニクッて何と言えばいいか分からないだけなのだが、その様子を見た提督は意を決し優しく彼女の手を握る。
「……瑞鶴さん」
「っ!?」
そのまま瑞鶴を引き寄せる提督。その表情はかつてないほど真剣なものだった。
「――これは、告白ということでいいのでしょうか?」
(ち、近い!近いってば!)
そして放たれる提督の言葉。
後ろから葛城の嬉しそうな声が聞こえるが瑞鶴にとってはそれどころではない。
「ち、違うくて!その、ケッコン届はたまたま提督さんの机から持ってきちゃって!さっきのもたまたまそう聞こえちゃっただけで!その……」
必死に弁解する瑞鶴。彼女を突き動かしているのは好きなのに素直に伝えられない乙女心であった。
「……そうですか」
どこか寂しそうな提督の声。
その声を聞いてほんの少しの後悔が瑞鶴を襲うが、今更どうすることもできない。
こうして提督の誤解は解け、瑞鶴と提督の関係は多少の変化をしつつも変わらないまま、瑞鶴のほんの少しの出来心から始まった騒動は落着する――
「――でも、それは別にいいんです」
「……え?」
――わけではなかった。
どこか決意をした提督は、困惑する瑞鶴の手を引いて自身の机に向かう。
「だいぶ前から――いえ、初めて会った時からきっと心の奥では気付いていたんです。でもそれを表に出すのが怖かった」
「あの、提督さん、何を――」
「でも、さっきの瑞鶴さんのおかげでようやく決心できました。この気持ちに嘘はつけません」
待って待った待って。
この流れはもしかして。
希望と不安が心の中でごちゃごちゃに混ざり合う。しかしそれを知ってか知らずか、手を握る強さを弱めることなく提督は机の奥から丁寧に一つの小箱を取り出す。
「っ!?」
瑞鶴の鼓動が高まる。息が止まる。これから起こることが簡単に予想出来て、全身が震える。
だってそれは、それは。その形の箱の中にはきっと――
「これが、私の気持ちです」
提督が箱を開ける。
その中から現れる銀色の指輪。
「――結婚してください、瑞鶴。初めて会った時から、あなたのことが好きでした」
「――――ぁ」
なんの飾りも無い純粋な文。
それは瑞鶴のしたものとは全く違う、一片の疑いの余地も無い告白だった。
指輪を受け取った手が震え、心臓はこれ以上ないほどに高鳴る。それでも何とか声を出す。
「ほんとに……?」
「はい」
「ほんとに、私でいいの?」
「はい、瑞鶴だからです」
視界が涙でかすむ。
その言葉はこの人と出会ってから、何度も望んだ言葉だったのだから。
「返事を、もらってもいいでしょうか?」
少し困ったように頬を掻く提督。
そういえばまだ自分の気持ちを伝えていなかったことに瑞鶴は気付く。
(……そんなの、きまってるじゃん)
頬を涙が伝うのを感じながら瑞鶴は言った。
ずっとずっと素直に伝えられなかったその思いを。
「ありがとう、提督さん。大好きだよ――」
――翌日。とある演習所にて。
波打ち際には二人の提督が立っていた。
「ああ、そういえば昨日言っていた例のモノを持ってきましたよ」
「おっ、わざわざすまねえな!お前さんのところに間違って配送されたんだったっけ?」
「はい。それにしてもコレを手配するということは、意中の人とはもう関係を?」
「い、いや~それがまだでな。これから告白するとこでよ……」
「ふふ、随分と緊張しているようで」
「あたりまえだろ!?断られたらどうしようかと考えたら夜も眠れねぇ!」
「まあ話を聞く限り大丈夫でしょう」
「ホ、ホントだろうな?もし失敗したら泣くぞ俺」
「ええ、きっと成功しますよ。それに――」
――そのケッコン届には幸運が付いてますから。
そう言う提督の薬指には、銀色の指輪が収められていた。
お読みいただきありがとうございます。
やっぱり二次創作は難しいねぇ……
あ、タシュケントは着任してくれました。