そんな感じの亜種聖杯戦争の物語です。
※戦闘・吸血場面にあたり極力直接的な残虐描写は避けていますが、全年齢対象程度の多少のほのめかし要素は含まれます。ご留意ください。
月の無い夜であった。城を見上げる位置にある中学校の校庭には、真夜中の事ゆえ街灯すら射さず、僅かに星の光と校舎内の非常灯だけが照っている。そこに、一人、また一人と、娘たちがふらふらと入ってくる。
(それにしても、
考えてみれば、中学生なら12歳から居る。
(慎二だって小学生だ。そんなに変わるもんじゃない)
子のことを思えば、進んで手を下したくはないのだ。
「なあ、暗殺者。殺すなよ」
「はぁ?」
何を言っているのだ、と言わんばかりの反応である。
「どういう意味よ? 私のための贄なんだから、当然死ぬまで命を吸わせるものでしょう? ここまで待ったのよ! 吸わせなさい!」
仮面の上からでも不満の表情が伝わるほどの怒声であった。
「だからな、『元気のないのが家に帰ってくる』より『死骸が出てくる』『死骸が出ないが行方が知れなくなる』の方が世間の騒ぎがデカくなるんだよ。そうなったら
「それが? そこを何とかするのが
「だから、召喚主として考える最善手は『殺さずに少しずつ吸うこと』だって言ってるんだよ。お前だって生前に世間に騒がれた経験くらいあるだろう。分かれよ!」
「分からないわ!」
暗殺者は言い切った。
「だいたい、人でなしと言うなら魔術師だって変わりはしないでしょう! プラハの魔術師もウィーンの魔術師も贄の二人三人平気で殺す連中だったわ。あなただってそうでしょう!」
「黙れ――」
確かに人でなしだとは思う。蟲と共生し、生贄の生物をそれらに喰わせる間桐の魔術師は。しかし、この戦争に勝てばその連鎖から手を引くのだ。
「――令呪を以て命ずる! 『敵マスターではない女は殺すな』!」
「この……下郎の分際でッ!! ああいいわ、吸ってやる! 手始めにこの娘が命尽きるまで――」
暗殺者は手近な中学生を引き寄せ、口を吸った。【吸血】。エルジェーベトが若い村娘たちの生き血を文字通りの意味で啜ってきたことを反映した
「命尽きるまで――!」
相手の精気・魔力を奪取する。それが【吸血】の効果であり、血を飲むか否かは二の次なのである。
突然、暗殺者の動作が止まった。
「――出来ない! これ以上吸えない! 殺せない! この、この程度で!」
令呪はサーヴァントにとっては絶対の命令に等しい。余程強力な【耐魔力】の
「無駄だ。そもそも令呪は間桐の秘術だ。余所の
仮にも間桐の当主が蟲魔術を併用して下した令呪が、そう容易く解けるはずもないのだ。
「しかし殺さない程度には【吸血】できてるだろう? ほら、次の娘も吸ったらどうだい」
「外道の分際でヒトの道理を押しつける……本ッ当に……つまらない男!」
暗殺者は言い捨てた。そうは言っても、この召喚主からの魔力だけでは足りないのであるから、吸血を止める訳にもいかないのだ。
(令呪はやり過ぎたかも知れないな……)
次の娘からの【吸血】に移った暗殺者の姿とその苛立ちを見て、鶴野は浅慮を少し恥じた。いずれ、その苛立ちが、サーヴァントからの反逆の刃に化けないとも限らないのだから。
(まあ、今ので俺程度の令呪でも逆らえないことは分かった。別に何が何でも自害させなければならない訳でもなし、最後の一角さえ使い道を誤らなければどうにかなるだろう)
その時、違和感があった。「人払いの結界」を構成する結界蟲が、恐らくは力尽くで破壊された。そのフィードバックが鶴野を襲ったのである。
「何事?」
「恐らく敵だ。お前は急いで吸えるだけ吸え」
「変な命令がなければそうしてるわよ!」
※ ※ ※
「人払いの結界が『糸』を切ってくる、っちこういう事なんや……」
闇夜の普通の感覚ではただの羽虫に見えなくもないが、細部はねじ曲がり、頭にあるべき触覚は胸から出る、天然の蟲ではあり得ない姿。何より、魔力の流れがその蟲に繋がっているのだ。
「そりゃあな、結界の起点が『生きて』りゃあ、多少の自衛はするわな」
魔術師が只人の接近を避けるために設置する結界を『人払いの結界』と総称するが、その内実には幾つかの種類がある。人が近づいたら何らかの魔術的警報を鳴らすだけのもの、人を物理的に攻撃するもの、暗示・精神操作によって近寄りがたく感じさせるもの。
「暗示結界と対人攻撃を兼ねた蟲、っち辺りやろな……来るかもとは爺ちゃんから聞いちょったけど、本当に『間桐』かぁ……」
――冬木の聖杯戦争を始めた三つの家がある。聖杯を用意した錬金術の大家・アインツベルン、土地と霊脈を用意した宝石魔術の家・
紅葉が養父から聞かされた話はその程度の内容であったが、眼前の蟲の姿は伝え聞く間桐の魔術を想起させるには充分だった。
「しかしどげえしたもんかな……倒すのは簡単やけど、倒したら結界に綻びが出るんやろうし……無視して進んでも襲って来るんやろうし……」
紅葉が頭を悩ませる間にも、狂戦士は前に出ていた。
「おう召喚主、こんなのに関わってねえでさっさと敵を追うんだろ?」
歩みを進めながら、さっ、と狂戦士が手を振ると、ただそれだけで呆気なく蟲は弾け飛んだ。
「ちょっと! 人の話聞いちょった? 結界破けたら街ん衆が起きてくるかも知れんので!?」
「あー……悪ィ、聞いて無かった。そこは召喚主が何とかしてくれよ」
「無茶言わんでよ!」
蟲魔術と紅葉の使う精霊魔術とでは、全く系統が異なる。蟲を倒すことは出来ても、蟲の挙動――欠けた結界を補うことは出来ないのだ。
「しゃあねえなあ……取り敢えず『この辺だけを覆う人払い』を張っちょくわ……」
紅葉は一つ溜め息をつくと、続いて深呼吸をした。
〔精霊よ、此処に座れ。宿れ。閉ざせ〕
一瞬だけ人型の何かが現れた――ように、魔術感覚がある者には見えただろう。それが力の渦になり、幕になり、その場を覆った。
「言うちょくけど、蟲の張っちょる結界とは異質やけんな。長持ちはそんよ」
「分かってるよ嬢ちゃん。手早く倒して手早く撤退だな?」
「……分かってるんなら何で無闇に結界に手を出したんよ……」
狂戦士からの答えはない。ばつが悪いのだろう。
「兎に角、さっきの女の子を探すで」
「おう、そうだな。……最悪『喰われ』るかも知れねえしな……」
※ ※ ※
斯くして、両陣営は暗い夜空の下で出会った。
痩せぎすの男の横に、銀髪仮面の女が居る。女は、片手に少女を抱えて、尚もその首筋に口を当てている。
その光景を、グランドの反対側に辿り着いた金髪の大男と、幾らか小柄な女が見ていた。
見渡せば、もう数人、別の少女が転がっている。
「……何なん、これ」
小柄な女――椚紅葉が口を開いた。
「見れば判るだろう。『魂喰い』だよ。ああ安心しろ、殺してはいない」
痩せぎすの男――間桐鶴野が応えた。
「殺すと裁定者が煩そうだしな……いや、お前達も
か?」
紅葉は口の端を歪めている。拳を握っている。そして、その怒りは大男――狂戦士にとっても同様であった。
「手前……何してやがる」
「だから『魂喰い』だよ」
「お前じゃねェ!」
狂戦士は大音声を挙げた。その声に鶴野も、紅葉さえも一瞬身を仰け反らせた。
「そこのサーヴァントに聞いてるんだよ! 答えろ!」
徐に、銀髪の女――暗殺者の目線が、仮面の下で動いた。首筋から口が離れた。
「民草の生命くらい、私が好きに使って何が悪いの?」
「
暗殺者の言う通り、確かに殺しては居ないのだろう。横たわる娘達の胸は呼吸で僅かに動いている。
「よくも――」
だが、狂戦士の怒りを引き起こすにはそれでも充分であった。
「――俺の眼前で■■■■■■!!」
吼えた。
狂戦士の眼はサングラスで隠されていたが、横に立つ紅葉にはそれが見えた。蒼から赤へ。怒りに任せて唸る姿に合わせて、瞳の色が変わった。
次の瞬間には、狂戦士は真っ直ぐに暗殺者に飛びかかっていた。
「狂戦士! 待ちよ!」
呼び止めたが、狂戦士の耳には最早届かない。
「おっと、魔術師の相手は魔術師だ」
鶴野は、狂戦士と紅葉の間に割り込ませるように、蟲を放った。結界を張っていた蟲とは似て異なる、羽を刃に変えたような異形の蟲だ。
身の裏に秘めた蟲を放つ分には、特別な詠唱を必要としない。間桐の魔術の強みである。
「――邪魔ッ!」
しかし、詠唱を省略する手段は紅葉にもある。手印を二動作ほど行うと、手に炎の精霊を纏わせた。予め用意した火箱から誘導すること・拳に纏う貌に限定することで、手印だけで火の精霊を喚起したのだ。
紅葉は炎を拳ごと振るう。一撃目、蟲の動きが早く空を切る。だが、その避けた先に紅葉の二撃目が襲う。
〔――拡がれ〕
炎が舞い上がり、忽ち蟲の身体を燃やした。
「蟲なら火との相性は悪いわなあ?」
そして左構えの体勢に戻る。幾らでも掛かってこい、と言わんばかりの挑発であった。
「火の精霊魔術か。成程、翅刃蟲では燃えるな――」
その戦闘の間に、鶴野自身が紅葉に近い位置に移動している。サーヴァント達はその更に先で争っている。
「ならば、地這蟲ならどうだ?」
鶴野が、ダン、と強く地面を踏み鳴らした……ように見えた。否、踏んだのではない。足の裏から蟲を呼び出したのである。
それは羽の無い、蚯蚓の類を模した蟲である。ただ、大きさと皮膚が尋常のものではない。体長は鶴野の身の丈ほど、体周も胴回りほどもある。加えて皮膚は硬質化しており、甲虫のように黒光りしていた。
その大きさ故に、呼び出しただけで地面が揺れたのだ。
紅葉は、火を纏った拳で蟲に殴りかかった。だが、何も起こらない。衝撃も火力も、蟲の甲殻で阻まれている。
「こりゃあ……手強そうやな……」
「手詰まりなら、此方から行くぞ!」
鶴野の命に応じて、蟲は大きく口を開けた。
※ ※ ※
一方、暗殺者に襲い掛かった狂戦士は、苦戦しているように見える。
「■■■――――」
狂戦士は、幾度と無く拳を暗殺者に振り下ろしている。
正気を喪い衝動のまま突撃した狂戦士は、確かにその分膂力が上がっている。【狂化】の効果である。しかし、正気を喪うということは、平素の判断力もまた喪っているということである。
「逞しい拳ね! だけど、見え見えなのよ!」
振るわれる拳は、悉く暗殺者の鞭に迎撃され、振り払われていた。
【殺戮技巧】。数多の拷問具を無数の少女に振るってきた暗殺者の人生は、その扱う拷問具にすら風評を齎した。『バートリ・エルジェーベトの持つ拷問具なら、きっとどんな相手でも
鞭の風切り音が鳴る度に、狂戦士の拳にも僅かながら傷が付く。
「■■■■――――!!」
それでも狂戦士はなお拳を撃ち付け続ける。鞭で打ち払われ、拳が振り下ろされ、鞭で叩き落とされ、拳を振り上げ、鞭で絡め取られ。
そして、狂戦士の拳が遂に、鞭そのものを吹き飛ばした。
「この……何て馬鹿力なの!」
右手の鞭を飛ばされた勢いで体制を崩した暗殺者は、そのまま後ろに跳び、距離を取った。
その間に、狂戦士は鉞を持った。恐らくそれは宝具であろうが、言葉を発することの出来ない今の狂戦士には、その真名を呼ぶことはできない。
それでも、それは狂戦士の最も恃む得物なのだ。
※ ※ ※
地這蟲は大きく口を開き、その顎を紅葉に打ち付けようとした。
「そげなん、喰らわんわ!」
左に跳びそれを避ける。校庭に穴があき、土煙が舞った。
しかしその蟲は、そもそも地中の虫を模したもの。そのまま地面に潜り、姿を隠し、そして紅葉の足下に穴を穿った。
「くっ――!」
上空に吹き飛ばされた紅葉は、しかし諦めてはいない。数言の呪文を紡ぐ。
〔燃え立て、彼の口を穿て――!〕
紅葉の拳から炎の姿が燃え立ち、地這蟲の口に放たれた。外装が駄目なら口の中から、と考えるのは当然であろう。
「無駄だ!」
しかし地這蟲は口を咄嗟に閉ざし、炎を防いだ。とは言え、顎を閉ざして守りに入ったからには体勢が変わるのであり、紅葉にその牙は届かない。
その間に、紅葉は着地した。
「そげえやって守るって事は……口ん中は燃えるんやな?」
敢えて口に出して告げた。
「フン、喰らわなければどうということもあるまい。それに――」
地這蟲の背後から鶴野は軽口のように言い、そして付け加えた。
「――一匹だけしか使えないとでも思ったか?」
その言と同時に、紅葉の背後からもう一匹の地這蟲が、地面を割って現れた。先程の一合のうちに、密かに呼び出していたのである。
紅葉は、前後の地這蟲に囲まれた格好になる。
「まあ、そりゃそうやろな。結界の蟲もあれ一匹じゃ無えやろうし」
殊更に余裕を装って答えた。
「ただ――あたしも、精霊一つしか使えん訳でも無えんで?」
先程一匹目が突き破った地面の盛り上がりに手を付くと、それは人型に変じた。地の精霊である。
〔大地よ、割れ震え、礫となって飛べ〕
紅葉は左手を地の精霊に当てたまま唱えた。人型を取った精霊は瞬く間に土塊の礫に変じ、砕け飛んだ。
「無駄だ! 火も通らない地這蟲に、土塊が利くものか!」
鶴野は嘲笑う。余裕の姿だ。事実、その正面に立つ一匹目の地這蟲に当たった土塊は、装甲に掠り傷も与えずに弾け散る。だが。
〔――曲がり、敵首魁を撃て!〕
弾けたかに見えた土塊が、突然、不自然に軌道を変えた。速度を上げて鶴野を襲った。
「チッ!」
地這蟲を呼ぶとしても身を庇うには間に合わないだろう。鶴野は咄嗟に、身を庇うために翅刃蟲を呼び出した。
「打ち落とせ! 俺の身を守れ!」
翅刃蟲が土を幾つか弾く。しかし弾いた土は再び宙で纏まり、蟲を無視して鶴野を襲う。
土塊が、ついに鶴野の身を襲った。
「――ッ!!」
視界が塞がれた。鶴野の頭を土塊が埋め尽くしたのである。
「今だ!」
紅葉は炎を纏ったままの右手を振りかざし、更に詠唱を追加した。
〔炎よ、敵首魁の脚を焼け!〕
土塊の後を追うようにカーブして炎が飛んだ。
しかし蟲たちにもそれはそれで感覚があり、翅刃蟲も主の危機を黙って見てはいない。炎の弾は翅刃蟲に防がれ、引き替えに蟲は焼け弾けた。
「なら、このまま!」
紅葉が地這蟲を無視して鶴野に向かっていく体制に入ったまさにその時、地這蟲は――いや、地這蟲の発音器官を制御している鶴野は、はっきりと告げた。
『今だ! 暗殺者、殺れ!!』
その時、紅葉は自分の誤りに初めて気付いたことだろう。間桐の召喚主だけ追いつめようとして、全体の戦況を見失っていたこと。間桐の召喚主の思うがまま戦場を分断されていたことに。
※ ※ ※
「■■■――――」
狂戦士の口から、怒気が煙のように漏れている。鉞を右手に持ち、暗殺者の方に歩み寄る、その一足一足が土煙と共に地響きを立てる。
「■■■■――――!」
やがてその歩みを早めると共に、地響きの間隔は狭まった。
「あら激しいのね。でも、これならどうかしら」
その姿を認めた暗殺者は、手を軽く振った。またしても【殺戮技巧】である。しかし今度は手元に拷問鞭を喚んだのではない。
狂戦士の足下から、突如として数本の鉄杭が生え、その足を貫こうとした。暗殺者は、拷問具であればある程度任意の場所に喚び出すことが出来るのだ。
「■■■!!」
しかしそれらは、狂戦士の鉞の一振りで打ち払われた。
続けざまに暗殺者が手を振ると、今度は真っ赤に燃えた焼き印が数本、中空に浮かび上がった。
「■■!?」
それらもまた、何も灼くこともなく、狂戦士の鉞の錆となる。
「――足下がお留守じゃなくて?」
その間に、狂戦士の足下に突如として虎挟みが生えた。
それらは過たず狂戦士の足を捕らえた。勿論、技業で強化されているとはいえ、宝具でもないただの道具で、いつまでも狂戦士を抑えておけるものではない。
「■■■!」
ほんの一瞬の後、虎挟みは全て引きちぎられた。だが、暗殺者にとってはその一瞬で充分だったのだ。
「来なさい我が虚名――《
真名を解放すると同時に、暗殺者の頭上に
そう、『処女の血を搾り取る』宝具である。鉄乙女は狂戦士から目を逸らすように回転した。
今や暗殺者の目標は狂戦士ではない。間桐鶴野を追い詰めたつもりになって、こちらの戦況に目を施すことの疎かになっている、狂戦士の女主人こそが、その狙いであった。
「愚かな娘よ! その若き血を私に捧げなさい!」
魔術師二名とサーヴァント二騎の戦闘空間は、それらが争ううちに校庭の端と端、数百メートルほどに離れていた。
今、《幻想の鉄乙女》が宙に浮かび、紅葉の背を指してその胴を開く。そして、次第に紅葉の側に加速し始める。
その様を認めた狂戦士は、吼えた。
『■■■■■――――!!』
絶叫とともに加速を始めた。その軌跡は電光の如く、足音は雷鳴の如く。今や狂戦士の姿は一つの光電であった。
※ ※ ※
鋼鉄で象られた乙女が、中空で此方を
真名を解放された宝具が、自分を、サーヴァントではなく人間を標的にしている。そのことを悟った紅葉は、死を覚悟した。
(しまった――深追いし過ぎた)
敵の召喚主を道連れにする暇は勿論、後悔を口にする暇すらもなく、それは一直線に此方に向かい、まさに紅葉の身体を――
――貫かなかった。
鈍い音がして、
その鉄の腹が閉じるのを、紅葉のサーヴァント――狂戦士が、その両腕で押し留めていたのだ。
「……よう嬢ちゃん、無事か?」
手や腕から血――いや、血のように見える魔力を漏らしながら、狂戦士は微笑んだ。その眼は、元の青色に戻っている。狂化が何らかの要因で解けたのだ。
「無事やねえわ!」
紅葉は思わず、今度こそ声を上げた。
「あんたがそんなボロボロになっちゃあ……」
※ ※ ※
「何なの! 何なのあの男は!」
すんでの所で宝具を邪魔された暗殺者としては、たまったものではない。
「構うな! そのまま狂戦士ごと殺してしまえ!」
敵召喚主の猛攻から解放された鶴野が絶叫するが。
「それが出来れば苦労しないわよ!」
《幻想の鉄乙女》は、女性の、特に処女に対する『処刑』に特化した宝具だ。逆に言えば、男性サーヴァントに対する威力はさほどのものではない。
とはいえ、ここで宝具の手を緩めることもまた悪手だ。宝具がまさに敵召喚主の目前に居ればこそ、狂戦士の手を塞げているのだから。
「召喚主こそ、早く手を貸しなさい」
今、狂戦士と敵召喚主は一つところに集まっており、その結果として暗殺者と鶴野はそれを挟み撃ちできる位置にいる。
「……お、おう」
鶴野はそのことに気づき、地這蟲を再び動かし始めた。何も宝具に拘らずとも、敵召喚主を殺すことが出来れば彼らの勝利なのだ。
暗殺者もまた、灼けた鉄棒を宙に構えた。宝具と同時にでも、牽制用の一本程度は展開できるのだ。
※ ※ ※
今、はっきりと紅葉の眼に見えた。
狂戦士の手は暗殺者の宝具で塞がれている。そこに、両側から地這蟲と拷問具が迫っている。
(両方とも一人で迎撃する――のは、無理だ)
少なくとも、地這蟲の外甲を破るのは、一筋縄では行かない。先程からの苦戦で思い知っていた。
(それとも――)
もう一つの戦法に思い至ったのと同時に。
「なあ嬢ちゃん――命令をくれよ」
狂戦士が言った。
「全部ブッ潰してやるからよ」
それしかない、と素直に思えた。
「ええよ! 令呪を以て命じる! 『敵ん攻撃、全部ブッ潰しよ!』」
紅葉の手の甲の赤い筋が一筆消えるのと同時に、見かけの負傷はそのままでありながら、狂戦士の魔力が膨れ上がった。
「おうヨ!」
狂戦士が両の腕に力を込めると、暗殺者の宝具が緩んだ。間髪入れずに、狂戦士は手に鉞を持った。
「おうおう音にも聞け足柄山の雷霆――《
【狂化】の発動していない今、はっきりとその真名を唱えた。鉞は雷光を帯び、その大きささえも膨れ上がったように見えた。横薙ぎの一振りで、暗殺者の宝具を打ち砕いた。
「そらよ!」
狂戦士はそのままの勢いで鉄杭を払い落とした。そして、今度は振り向き様に宙高く踊り上がり、地這蟲の脳天に鉞を叩きつけた。
真名を解放した一連の挙動だけで、敵の動きを御破算にしたのである。
「――ざっとこんなモンか」
崩れ落ちていく地這蟲を見ながら、狂戦士は見栄を切るように鉞を構えなおした。
「ここからが本番やけどな」
そう。間桐の召喚主はまだもう一匹の地這蟲を残しているし、宝具を一旦破壊されたとはいえ暗殺者も健在だ。血を吸われた少女たちの安全を確保出来た訳でもない。
この場で決着を付けるにせよそうしないにせよ、まだやるべきことは多いのだ。
「で? どこから行くよ」
「取り敢えず――召喚主から、かな。どうせ邪魔は入るやろうけど」
「いいぜ! 第二ラウンドと行こうか」
【この項第五節に続く】
登場人物便概
間桐鶴野
息子のことが脳裏をよぎり、つい『殺すな』などという枷を暗殺者に課してしまう。根が魔術師になれきれない点もまた三流ではあるのだろう。
蟲の同時使用もかなり負荷をかけているはずではある。
暗殺者・バートリ・エルジェーベト
彼女にしてみれば理不尽な令呪を課され、血を吸うにも殺すまで吸うことも叶わず、しかも敵サーヴァントは男で、苛つくこと続きである。
しかし敵マスターが女なら、その拷問能力は十全の効果を発揮するのだ。当てさえすれば。
椚紅葉
精霊魔術を駆使して鶴野を追いつめるが……。彼女の足を急かすのは義憤なのか、私憤なのか。まあ何だ、魔術師になれきれない奴同士の戦いではあるのだ。
あ、呪文は本来ローマ語かスペイン語で唱えてるイメージなんですが、語学学習が間に合いませんでした(おい
狂戦士・坂田金時
暗殺者のもたらした状況にブチ切れ、【狂化】する。しかしそれがマスターの危機をもたらしたことを知るや、正気に立ち返る。
なお、【狂化】は勿論のこと、眼の色の変化も捏造設定である。念のため。
暗殺者の宝具《幻想の鉄乙女》
FGOでお馴染みのアレ。エルジェーベトが拷問具としてこの『棘が内側に生えた鉄の乙女』を用いていたというのは後世の捏造ではあるのだが、余りに人口に膾炙したため、【無辜の怪物】めいてこの拷問具の存在はエルジェーベトと強く結びつけられている。
勿論、女性特効であり、処女であれば更に威力を増す。また、【吸血】の効果が付随しており、ダメージに比例して対象の魔力・生命力を奪い取ることも出来る。
狂戦士の宝具《黄金喰い》
坂田金時の鉞。振り仮名は気にするな。
元々(企画版Apoでは)宝具自体はこういう名称。雷神の魔力を帯びた鉞であり、その最大解放たる雷光を帯びた一撃が《黄金衝撃》である、みたいな感じ。
※ ※ ※
今回『前編』としていますが、四節はこれと平行して起きる別の戦いに関する話の予定です。早めに見たい方はpawooで『国東聖杯戦争』タグで随時載せておりますので、そちらもご覧ください。