赤く、朱く、眩いそれは、万象に灯されし晩照の輝き。
絶望を希望へ――そしてまた、絶望へと塗り替えながら、少女たちの運命は流転する。
黄昏色に染まり始めた空。
傾き始めた陽の光に、眩く煌めく海岸線。
車一台通らない静かな街道沿いの道。
そして――それらを一望する小高い丘の上。
旧風鳴邸の前庭にて、装者七人は互いの想いを胸に、向かい合う。
ただただ風の音だけが、その静寂を彩っていた。
「あの禍々しいオーラは見られないが……皆、油断するな」
天羽々斬の、その切っ先を真っ直ぐに響へと向け、翼は僅かに体勢を低く落としながらそう呼びかける。
響の背後には、今あの『牙』の姿は無い。それでも、その強い覚悟の前に何度も敗れてきたのだ。
油断など出来ようはずもない。
握り直した柄が――刀身が、僅かに音を立てる。
「そうね……そう何度も敗れるわけにはいかないわ」
マリアもまた、銀色に鈍く煌めく短剣を構え、響の出方を見る。
十メートル以上はあろうこの距離であっても、パワージャッキによる瞬発力は、瞬きの間にこの距離すら詰めて見せるだろう。
僅かな隙さえ見せるわけにはいかない。
「先輩の威厳ってものを見せてやらなくっちゃな」
イチイバルのアームドギアを弓の形へと形成し、クリスは引き鉄へと指をかける。
自分の意思で戦っていると分かった以上、ならばこちらも自らの意思で、それを打倒する覚悟を持って臨まなければならない。いや、そうしなければ対等に渡り合えない事は、先の戦いで身を以て学んでいる。
迷う事などは、もう有りはしない。
「わたしたちにだって後輩の意地がある」
戦いを望む気持ちは無い。けれど、それでも打倒しなければ言葉すら聞き入れてもらえないのなら、負けるわけにはいかない。
――響さんに打ち勝って、そしてちゃんと言葉を交わすんだ。と、その眼差しに強い意思を宿し、シュルシャガナのヨーヨーを手に、調は響へと向かい合う。
「いつまでも舐められっぱなしではいられないデスよ」
切歌もまた、調の意思を――想いを言外に察したように、続く言葉を繋ぐと、調と背中を合わせるイガリマをその手に構えを取った。
響が真っ直ぐに駆けて来るのであれば、ブースターで加速したその鎌にて横薙ぎに迎え撃つことが出来るように。
「一緒に帰ろう……響」
戦うよりも、戦わずに言葉を交わしたいと、分かり合いたいと、そう願い、未来はその手を差し伸べる。
ようやく再会できたその喜びを、分かち合うことを望みながら。
しかしそれでも、響はその首を横へと振り、拒絶を示す。
「駄目だよ、帰れない……わたしはもう、この方法しか選べないんだ」
拭いきれぬ涙で頬を濡らし、それでも笑顔を作りながら、震える唇で噛みしめるようにそう答えると、再び拳を構え直す。
――汚れてしまったわたしの手で、大切な陽だまりを汚すわけにはいかない。と、本当は手を取りたい気持ちを押し殺すように。
そして、握りしめ、押し隠すように。
「だから、わたし――戦うよ」
翳した拳には震えは無い。
ただ、貫くべき意思と、守るべきもの。
そして手にするべき力のために、響はその拳を握る。
「だったらわたしは……わたしたちはそれを止めてみせる」
――あの日、道を誤ったわたしを響が止めてくれたように、今度はわたしが響を止めるんだ。と、強い決意を胸に未来もまた、応えるようにしてアームドギアを眼前に構え、そして響と向かい合う。
長く伸びた影と、冷たい風。
傾いた夕日に照らされて向かい合う二人は、正にあの夢の再現のようであった。
胎動
束の間の沈黙。
言葉無き対峙と、交錯する意思。
ごう。と吹き抜ける風の音に、永遠に続くかと思われたその一瞬は終わりを告げる。
――刹那、響は地を蹴り、その間合いを一息に駆け抜けた。
それを合図に、互いの口から――いや、全員の口から、歌が紡がれて行く。
悲愴な響の歌が――重ね合う六人の歌が、互いに打ち消しあうように。
あるいは、それらを交わし合うように。
強く、鮮烈な歌が、七つの声で紡がれていく。
戦場に満たされたフォニックゲインはその勢いを増し、それぞれのギアもまた、出力の飛躍的な増大を示すように、少女たちの力へと変わる。
「未来ーッ!」
「響ーッ!」
響の咆哮に応えるようにして、未来もまた吼え、響へと間合いを詰める。
夢の中での対決と同じように――しかし、躊躇無く放たれた拳を、未来は咄嗟に扇の側面で受けると、すれ違いざまの空いた背中へと、鞭のようにしならせた腕部のユニットで強かに打ち付ける。
それは、決して痛烈な打撃では無かったが、それでも体勢を崩した響は、一瞬未来を見失っていた。
「くあッ……!」
「クリスッ!」
それと同時に飛び退さり、距離を取ると、未来はクリスへと叫ぶ。
クリスは待ち構えていたかのように、既にその矢の向かう先を響へと向けていた。
「言われなくたって!」
未来へと振り返ろうとした響へ向けて、クリスは決意と覚悟を胸に引き鉄を引く――直後、鮮烈な朱い軌跡を描くように無数の矢が放たれ、逃げ場がないほどの物量にて、響へと迫っていく。
――逃げ場のない『面』での制圧、こいつを喰らって大人しくしやがれッ! と、尚も続け様に、響の逃げ道を塞ぐようにクリスは矢を放つ。
しかし咄嗟に跳躍した響は、その脚部のパワージャッキにより空気を蹴り込むようにして、僅かな隙間を縫うように、降り注ぐ矢の雨を躱すのであった。
「んのッ……ちょこまかとッ!」
水平方向だけでは捉えきれないその機動に対応すべく、乱れ打つように射線を重ねていく――が、分散したそれらはかえってその隙を大きくさせ、響はジグザグな軌道で徐々にクリスとの距離を詰めていく。
未来もまた、背後からそれを牽制するように閃光を放つものの、その姿を捉えるまでには至らず、既に響はクリスの目前まで迫っていた。
「くそッ……寄るんじゃねぇッ!」
クリスは咄嗟にイチイバルを銃の形へと変え、その連射力を以て牽制に掛かる。
しかし、無数に放たれた弾丸は、響の鼻先を幾つも掠めていくが、単調になったその射線は、かえって回避を容易にさせ、響は一息にその間合いを詰めていく。
――眼前一メートル。
それは最早、銃撃による牽制も、弓へと切り替えての制圧も望めない、クリスにとって絶望的な接近であった。
「はぁッ!」
「クリス先輩ッ!」
拳の射程圏内にクリスを捉えた響が、その拳を今まさに放たんとしたその刹那――高く跳躍した調が、無数の小さな鋸を放ち、響の行く手を阻むように牽制していた。
鼻先を掠める様に放たれたそれらを、咄嗟に前方へと空気を蹴り込むようにして反動をつけると、響は辛うじて後ろへ跳んで回避する。
しかし、そこには既にイガリマを携えた切歌が、すぐそばまで迫っていた。
「響さんッ!」
「くッ……」
追い討ちをかけるように、イガリマの一閃が響目掛けて横薙ぎに放たれる。
咄嗟に上体を反らす様にその刃を躱すと、半ば打ち上げるような恰好で、響は切歌の横腹へと拳を叩きこんだ。
切歌もまた、反射的に腕でそれを防いではいたものの、数メートルを弾き飛ばされて、苦痛に喘ぐ。
その隙にクリスは跳躍し、響から大きく距離を取っていた。
「悪ぃ、助かった!」
然しものクリスとて、さすがに肝が冷えたのか、その顔に焦りを浮かべていた。
冷や汗が額を――頬を伝い、引き鉄にかかる指が僅かに震えている。
クリスは再び遠距離からの射撃にて響を狙い撃つ。
その斜線と交差するように、未来も閃光を――そして調もまた、無数の鋸を放っては、響を追い詰めんとする。
「数が……くッ! このままじゃ……ッ!」
飛び交う弾丸、そして鋸と閃光。
それら全てを躱し、いなし、そして防ぐには、あまりに手数が多すぎる。
――まずは、一人ずつ。と、判断した響は周囲の状況を把握しようと視線を走らせた。
しかし、それはかえって隙を作る事になり、躱しきれなかった弾丸が脚部のプロテクターを直撃してしまう。
「しまったッ!」
「その隙は見逃さないッ!」
足元へ直撃したその弾丸の一発は、響の体勢を崩すには充分であった。
ダメージこそ軽微なものの、半ば無防備になった響の背中へと、回り込んでいたマリアのアガートラームが、鞭のような様相で襲いかかる。
「マリアさんッ!?」
「はぁッ!」
――金属音に似た音を立てて、鮮烈な火花が散る。
響は、既のところでそれらを、手甲部分のパーツを滑らせるようにいなし、動きを止めるべく、掴みにかかる――が、それもまた、撃ち込まれた弾丸と閃光、そして鋸により妨げられ、止むを得ず距離を取ってやり過ごすのだった。
激しい攻撃により、やがて周囲には激しい砂煙が舞う。
立ち上った砂煙は響の視界を奪い、それは僅かな隙を生じさせる。
「立花ァッ!」
――刹那、その砂煙を切り裂くようにして翼が姿を現した。
天羽々斬による一閃は、不意を突かれた響へと襲いかかり、辛うじてそれをガングニールの手甲部分で滑らせるようにいなすと、再び鮮烈な火花が散った。
反撃に響は翼の腹部へと掌底を放つ。
「ぐぅッ……まだだッ!」
確かな手応え――しかし、咄嗟に放たれたれたそれは、踏み込みの甘さからか、翼を打倒するだけのダメージには至らず、翼は呻きながらも飛び退き様に千ノ落涙を放つ。
無数の短刀が響へと降りかかり、その影を貫かんとする。
「影縫いッ!? だけどやられるわけにはッ!」
『牙』無き今、それらを全て弾き落とす事は容易ではなかった。
まして、無数の短刀が相手では、それら全てを回し蹴りにて薙ぎ払う事は不可能だろう。
止むを得ず、後方へと大きく飛んだ響へと放たれた閃光が、夕闇の色に染まる暗い空を、咆哮とともに切り裂いていく。
「響―ッ!」
「逃すかよッ!」
――いや、それだけではない。
クリスの弾丸もまた、同時に響へと放たれていた。
交錯する閃光と弾丸。
そして迫る翼や切歌。そしてマリアの刃。
尽きる事の無い猛攻を、防ぎ、躱し、いなし。そして距離を取る。
そうして漸くに戦況が停滞する頃、響の呼吸はひどく荒くなり、その動きも鋭さを失っていた。
パワージャッキによるインパクトハイクの多段使用は、攻撃の直撃こそ回避させたものの、しかし響の体力を著しく消耗させていたのであった。
「いい加減大人しくしてもらうデスよッ!」
疲弊した響へと、切歌は肩のアンカーを射出する――と同時に、ブースターの加速にて一息に迫る。
既に消耗しきった響は、それらを迎え撃つ姿勢を取った。
「そんなもの……全部打ち落として――」
既に、回避するだけの余力は無い。
真っ直ぐに迫り来るそれらを全て打ち落とす他に術はない。と判断し、響は拳を――その背後に、挟み込む形でマリアが迫ってきている事にも気付かずに、ただただ切歌へと向かい、拳を構える。
「取った!」
「ッ――!」
勝利を確信し、思わずマリアは声をあげる――が、響はその声に反応したのか、反射的に身を屈め切歌のアンカーを躱すと同時に、マリアへと鋭い足払いを浴びせ掛ける。
その結果マリアは、思わぬ反撃に体勢を崩し、ブースターの出力も前回に迫りくる切歌と衝突してしまうのであった。
「ッ……身体がッ!?」
すかさず他の装者たちへと警戒を巡らせようとした響は、その身体の硬直に気が付き戦慄する。
指先一つ動かすことすら出来ず、響は視線だけでその技の主を探る。
その人物は、視線の届かぬ範囲――響の背後より声を掛けた。
「捉えたぞ、立花」
夕日に長く伸びた影、その中にぎらりと光る短刀が目に入る
切歌とマリアに挟み撃ちにされたその刹那。
警戒する響の意識の外より、ただ一本のみ放たれたそれは、見事に悟られること無くその影を射抜いていたのである。
一瞬の隙をついて放たれた『影縫い』は、今度こそ響の身体の自由を奪い、無力化に成功したのだった。
「くッ……」
身じろぎ一つ出来ぬ完全なる拘束。
『牙』が失われた今、単身で抗う術を持っていない以上、戦闘の継続は不可能であった。
当初の目的が未だ達せられていないことに、ただただ響きは呻きをあげる。
それでもまだ、可能性の全てが尽きているわけではない。
このまま日没を迎えることが出来れば、然しもの『影縫い』とて、縫い付けるべき影を見失い、その効果は失われるだろう。
――それまで何とか時間を稼がないと。と、響は考えを巡らせる。
物理的な拘束により連れ戻される事だけは、絶対に避けねばならないのだ。
「勝負あったわね」
ようやくに切歌のアンカーから自由になり、腕をさするようにマリアはそう言った。
その声色に、僅かながら憤りが感じられるのは、みっともない敗北を喫してしまったことによるものだろうか。
ふと、その周囲に視線を走らせると、気付けば六人全員が、既に響のそばまで集まってきていた。
「これ以上の戦いは無意味」
「そうデスよ」
切歌と調も息を切らしながら、互いに支えあうようにして響へと声を掛ける。
切歌の片側の頬が少し赤くなっているのは、マリアと衝突した際のものだろうか。
いや、二人だけではない。
誰もが、その顔に濃い疲労の色を浮かべている。
響の胸中に罪悪感が湧き上がる。
そうさせたのは、他でも無い。響自身なのだ。
「さーて、洗いざらい全部話してもらおうじゃねぇか」
「何ゆえ訃堂と行動を共にする。答えてもらうぞ立花」
クリスと翼に詰め寄られ、それでも響は無言を貫く。
今は少しでも、打ち明けるのを先延ばしにしなければならない。
いざ、連れ戻してから聞き出そうとされた時にこそ、気を引くように話せば、それだけこの場を離されるまでの時間も稼げるだろう。
そのためにも、今はまだ無言を貫かなければならない。そう、自分に言い聞かせるように、響は口を噤む。
「もう止めよう? 響」
悲しそうなその声に――その言葉に、響は驚いた表情で声の主へと視線を向ける。
そこには他でも無い。今にも泣きだしそうな顔で響を見つめる未来が居た。
こんな――凡そ争いといったものの似つかわしくない、大切なたった一人の陽だまりは、けれどその顔を涙と砂とで汚しながら、それでもただ響を心配するように、じっと――覗き込むようにして、響の顔を見つめる。
「この手は、そんな風に使うためのものじゃないはずだよ」
「未来……」
温かな感触が、響の手を包む。
未来は優しく、その手を両手で包み、そっと微笑みかけるのであった。
装者たちが戦いを始めてどれだけ経っただろうか。
訃堂はヴィマーナの間にて、 その動静を見守っていた。
依然、沈黙を続けるヴィマーナ内部――しかしふと、その全体が震え、淡い光が辺りを照らし始めていく。
撫で上げたシャフトのその内に、僅かな胎動を感じ、訃堂は満足げに口角を吊り上げる。それは歓喜か、あるいは狂喜と言うべきか。
未だ起動には至らぬまでも、高まりつつあるフォニックゲインは、ヴィマーナの根幹たるエネルギー炉心としての『それ』を、今まさに目覚めささんとしているのであった。
「覚醒の時は間も無く……ならば吾も、相応の準備をせねばならぬか」
訃堂はその上半身を衣服からはだけさせると、歳の割に引き締まった右腕へと、LiNKERを押し当てる。
訃堂は固く目を閉じ、大きく息を吸い込む。
その眉間に浮かぶ皺は、嫌悪か――あるいは畏れか。
やがてそれらの全てを吐き出すと、訃堂は目をかっと開き、一息に引き金を引いた。
その濁った薬剤は、僅かながらの粘性を見せながらも、訃堂の腕の中へと注入されていく。
「ぐッ……ぐうぅ……」
全身を悶えさせながら、訃堂はその全量を射ち込んで行く。額に汗が浮かび、身体の至る所で筋肉が痙攣を起こしたように引きつっている。
自らの内から、その在り方が書き換えられていくような不快感を、自らを蝕む異質なるモノを拒もうとする自らの本心を、押し殺すようにして、同様に左腕へと射ち込んでいく。
――荒い呼吸。
滴る汗。
全身を覆う苦痛と脱力感。
老いよりも深く、苦痛による皺が刻まれたその顔に、それでも僅かばかりの安堵を覗かせて、ようやくに訃堂は己の両腕へと視線を落とした。
その全てが体内に注入された今、両腕はすっかりどす黒く染まっていた。
ゆっくりとそれらが掲げられると、それは訃堂の意思に応えるようにして蠢き、その様相を変質させていく。
牙とも爪とも言えぬものを生やし、グロテスクに膨張するそれは、まごうことなきネフィリムの腕であった。
「不測の事態への備え……作らせておいて正解だったか」
全身を汗で濡らしながらも、訃堂はぜぇぜぇと喘ぐように、忌々しげにそう吐き捨てる。
射ち込まれたそれは、ウェルに作らせた『ネフィリムの因子』を内包するLiNKERであった。
全てが目論見通り――とは、とても言い難い状況ではあるが、それでもヴィマーナを、そしてその聖遺物を使うための力を手にし、訃堂は笑みを浮かべる。
――と、時を同じくして、ヴィマーナの内部、そのシャフトへと取り込まれていた聖遺物は、高まったフォニックゲインにより起動可能な状況へと至り、眩いばかりの輝きを、虹色の明滅を起こし始めていた。
「ようやく目覚めるか……ならばその力を示せ」
その腕を以てコンソールへと触れると、いくつかの鏡へと順に光が点る。
同時に、シャフト内部の聖遺物は一層輝きを増し、その船体全てへとエネルギーを伝播させてゆく。
「貴様にも役に立ってもらうぞ、木偶め」
訃堂は、傍に立て掛けられたティキの残骸へと吐き捨てる。
それは、疾うに人格を喪失した形骸。
上半身のみ――それも以前よりもさらに損壊の進んだそれを訃堂は片腕で持ち上げると、残ったもう一方の腕をヴィマーナのコンソールへと伸ばす。
ネフィリムの腕は、宛ら蠕動するかのようにティキの残骸を飲み込み、やがてそれは訃堂の体内を通すかのように、ヴィマーナへと取り込まれて行った。
その様を満足げに見届けると、訃堂は鏡へと視線を走らせる。
そこには未だ、旧風鳴邸の前庭にて戦闘を続ける響たちの姿が映っていた。
「さあ、始めようではないか」
その言葉に呼応するように、ヴィマーナはその全体を震わせるようにして、ゆっくりと浮上と変形を始める。
幾つかの鏡に文字らしきものが浮かび、アラートのような音がヴィマーナ内部に響き渡る。
やがて大きな衝撃と共に、それらは上方の建物を、そして周囲の岩盤を巻き上げるようにして、自らを覆う天蓋を突き破っていくのであった。
万象へと灯る晩照
「離して未来……わたしなんかの手を取っちゃ駄目だ」
優しく包まれた手を拒絶するように、響はそれを振りほどこうとする――が、未だ夕陽に色濃く模られた影には、深く短刀が突き刺さり、その『影縫い』による拘束は、それを許してはくれなかった。
悲しそうな表情を浮かべる未来の目を直視することも出来ず、響は思わず目を逸らしていた。
その逸らした視線の先に、クリスの姿があった。
「ったく、世話の焼ける」
未来の手の上から、そっと――片手だけを添えるようにして、クリスは同じように響の手を取る。
「クリスちゃん……」
少しだけ気恥ずかしそうに、それでも真っ直ぐに見据えるクリスの眼差しに、響はまたも、目を逸らす。
「全くだ」
「本当、随分振り回されたわね」
翼も、マリアも、呆れたように笑いながら、同じようにその上に手を重ねた。
「世話の焼ける先輩デスよ」
「わたしたちが付いててあげなきゃ」
そして切歌も、調も――皆が優しく響の手を包んでいく。
「なんで……なんでみんな……」
――汚れてしまった。と、繋ぎ合う資格などもう無い。と、そう諦めていたはずだった。
なのに、手を包む暖かさが、心の奥に沁みていく。
閉ざそうとした心を、無理矢理にこじ開けていく。
――もう一度、みんなと手を繋ぎたい。と、胸の想いが、涙が溢れていく。
「例えおまえがこの手を振り払ったって、あたしらは何度だって繋ぎ直してやる」
普段見せない、優しい笑顔の、クリスがそこに居いた。
その優しさに、胸が詰まる。
――その優しさを、わたしは裏切ったんだ。と、胸の内で自らを責めるように、言葉を絞り出していく。
「でも、わたしはみんなを傷付けた……沢山の人をこの手で……」
自らの過ちを責めるように、その想いを吐露する響に、未来は首を横に振った。
その手に、少しだけ力が篭る。
「だったら、わたしも同じだよ。神獣鏡を初めて纏った時、わたしは沢山の人を巻き込んだ。わたしのほうが――」
未来は、今も時折その時のことを思い出す。
神獣鏡のギア放たれた閃光によって、何隻もの軍艦が沈められた、あの時のことを、思い出す。
彼らはただ、ウェルの――F.I.S.の凶行を止めるために任務に当たっていただけであった。
そこには確かに大勢の人々が乗っていたはずだ。
生きていたはずだ。
そして彼らにも、守るべきもがあっただろう。
帰りを待つ家族がいただろう。
それを――その命を、全てを一瞬の閃光により摘み取ったのは、他ならぬ未来なのだ。
「それはッ……未来はあの時操られてたんだ、未来のせいじゃないッ!」
それはダイレクトフィードバックにより、ウェルに操られての行動。
それは、未来自身の意思では無かったはずだ。
――だから、それは未来の責任なんかじゃない。と、響は未来の言葉を否定する。
けれど、その言葉にも、未来は首を横に振って応える。
「だけど、わたしが自分の意思で、ギアを纏いたいと思ったの……ううん、そうでなかったとしても、それはわたしが背負うべき事なんだ」
響の否定を、未来は否定する。
――見て見ぬ振りをしてはいけない、自分の犯した過ちなのだ。と、今にして思う。
「違う……違うよ、未来は――」
「じゃあよ……自分の意思でやったことが許されないってんなら、ソロモンの杖を起動しちまったあたしを、おまえは許せないって言うんだな」
涙ながらに未来の言葉を否定しようとする響へと、追い討ちをかけるように言うのはクリスであった。
思い出したくも無い忌々しい記憶を、それでもクリスはなぞる様に思い出していく。
戦いを、争いを――その火種を無くすために。そう信じてクリスは、自らの意思で『力を持つ者』を止めようと、世界から無くそうと、ソロモンの杖を起動したはずだった。
しかし、結果としてそれは、争いを無くすどころか関係のない人々を巻き込み、大勢の命を奪う結果となった。
その後ウェルに奪われたそれは、より多くの人々の命を奪うことになったのだ。
自らの意思で行ったことを問題だとするのなら、自分こそが、響にとって責められて然るべきだろう。と、内心にクリスは己を自嘲する。
「違うよクリスちゃん。わたし、そんな事……だって、クリスちゃんは争いを無くそうと、と思ってやったんでしょ? だから――」
――そんなつもりじゃなかった、そこに悪意はなかったんだから、クリスちゃんは悪くない。と、涙ながらに訴える響へと、マリアもまた声を掛ける。
「だとしたら、自分の意思でフロンティアを浮上させ、自分の意思で――大勢を苦しめると知りながら、それでも世界中を巻き込もうとした私こそ、許されるはずもないわね」
その顔には、僅かばかりではあるものの、少しだけ悪戯っぽい笑みを浮かんでいた。
「マリアさん……」
大げさに肩を肩を竦めて「あーあ」と言って見せるマリアに、切歌と調もおどけたように同調しては――
「わたしたちもマリアと同じ」
「沢山の人を犠牲にしたデスよ」
――そう言って笑いかける。
誰も、誰一人、響のことを責めてなどいない。と、誰もがそう訴える。
それでもなお、響はそれを聞き入れようとはせず、ただただ首を横に振る。
否定する理由などはもう無かった。
ただ、自分で自分を許せないだけに過ぎないとは、自分でも分かっていた。
それでも、自分だけは許されてはいけない。と、心の内で自らに言い聞かせる自分が居た。
「誰しも、過ちを犯すもの……大切なのは、その先にどう生きていくか。ではないか」
『影縫い』を解き、微笑みかけるようにして翼は響へと声を掛ける。
その優しい声に、いつか――まだ響が未熟であった頃、学校の屋上で語らった時の事を思い出す。
「翼さん……でもわたしは……」
「いい加減にしやがれッ!」
それでもなお、自らを否定しようとする響の胸ぐらを掴んで声を荒げたのはクリスであった。
響へと向ける真剣な眼差しに――震える瞳に涙が浮かんでいる。
その表情は、何処と無く悔しげですらあった。
いや、事実クリスは、響が自分たちに頼る事もせず一人傷ついたことが悔しくて、悲しくて、だからこそ憤っているのだろう。
「同じなんだよッ! おまえも、あたしらも。一人で特別になって、勝手に傷付いたりしてんじゃねぇッ……あたしらはそんなにも頼り無いのかよッ!」
「クリス……ちゃ……」
強く――けれど、優しいその叱責するような言葉に、思わず口ごもってしまう。
――頼りないなんて思っていない。そう伝えたいのに、言葉にしたいのに、ただただ口をぱくぱくさせる。
もどかしくて、苦しくて、切なさくて、咽ぶように響は喘ぐ。
ふと、クリスの手が解かれ、そっぽを向いたその頬は、今更ながらに照れくさくなったのか、目に見えて分かるほどに赤くなっていた。
「わたしたちに、前を向いてやり直すきっかけをくれたのは、あなたよ」
「マリアさん……」
再びマリアがその手を取る。
その表情は、どこまでも優しかった。
「おまえがあたしらの手を取ったから、あたしらは今こうして居られるんだ。それを忘れんじゃねぇ」
「クリスちゃん……」
そっぽを向いたままにクリスはそう吐き捨てる。
その背中を響は抱きしめていた。
「わッ……バカ、何やってんだよ、おまえはッ!」
言葉にならない嗚咽を漏らしながらも縋り付くように抱きつく響に、クリスは思わず驚きの声を上げる。
それでも普段のように振り解くことはせず、クリスはれるがままに身を任せる。
「わたし、良いのかな……ここに居て、みんなと一緒に居て良いのかな」
途切れ途切れの言葉を必死に――繋げていくように、響はそっと、こぼしていく。
呼吸さえ苦しいほどに、咽ぶ響の頰を――涙を、撫でるようにして拭いたのは、他ならぬ未来であった。
「わたしは、響が居てくれなきゃ嫌だよ」
「未来……」
触れられた頰が熱くなる。
未来の――陽だまりの温かさに、胸の奥が熱くなっていく。
「わたしも、立花に居なくなってもらっては困る」
いつもと変わらぬ様子で、それが当たり前だと言わんばかりに、翼は胸を張って響に笑いかける。
「居なくなったら寂しいデスよ」
切歌もまた、翼の言葉にうんうんと頷きながらも、少しむくれたように、そう言っては頰を膨らませる。
「わたしも、響さんにまた料理を美味しいって食べてもらいたい」
穏やかな笑みを浮かべて、いつかのバースデーパーティーのことを思い出しながら調もまた二人に賛同する。
「そうね、この子たちが寂しがるから、わたしも困るわ」
マリアは、少しだけ澄ましたように、二人のためと言って笑う。
その様子が何だか強がっているようで、一同は思わず噴き出すと、それを見透かされたのが余程恥ずかしかったのか、マリアは顔を赤くして「なによ?」と声を荒げるのであった。
「あたしは……その、今更居なくなられても調子狂うんだよ」
クリスもまた、背中を向けたまま、響へと声を掛けると、気恥ずかしそうに頭を掻いて見せる。
「みんな……ありがとう」
胸のうちに溢れる温かさに、みんなの優しさに、言葉に詰まりそうになる。
それでも、どうしても伝えたくて、絞り出すように、吐き出すように、響は胸の想いを言葉にしていく。
「わたしも――」
――そう、口にした刹那。
轟音が、大きな振動が、一同を襲う。
雷鳴にも似た地鳴りの音が辺りに響き、地震どころではない激しい揺れの中、地面が激しく脈動し、せり上がっていく。
「一体何が起こったと言うの!?」
一同が距離を取り、安全圏へと逃れて間も無く、マリアが上げた驚嘆の声に応えるかのように、敷地内の地面が割れるように噴き上がっていく。
大勢の悲鳴と共に、やがて『それ』は姿を現した。
「見るデスよ!」
「地面の中から何か……」
切歌と調が揃って上げた声に、皆『それ』へと視線を注ぐ。
『それ』は、巨大な翼を取り付けた、優に五十メートルは越えるような――宛ら鉄の鳥のような姿をした、巨大な舟であった。。
旧風鳴邸を半ば突き破るようにして、地中より現れた『それ』は、旧風鳴邸を破壊し尽くしてなお、上昇を続けていく。
そうしてやがて百メートル以上の高みへ至ると、ようやくに静止した。
その周囲には、重力場の異常により共に巻き上げられた岩盤がいくつも浮遊し、事の異常さを窺わせるには充分であった。
「なん……なんだよ、ありゃあ……」
クリスは、愕然として、呻くように呟いた。
その脳裏に、かつて海上へと浮上したフロンティアの記憶が過ぎる。
あの時、もしも海上に残っていたとすれば、同じような光景を目にしていたのだろうか。
「まさか、ヴィマーナ……?」
「あれが? しかし我々が目にしたデータとは姿が全くの別物……どういう事だ」
翼の問いに、少しだけ逡巡を見せる響だったが、やがて己の中で答えを見つけたように、その考えを言葉にしていく。
「わたしの知っているヴィマーナは、起動していない休眠状態でした。もしかしたらあの姿こそが起動を成功させた――」
「――ヴィマーナ本来の姿。というわけか」
響の憶測に、翼は苦々しげに呻くと、響もまた頷いて応える。
姿形こそ違えど、つい昨日までそれを起動するために歌い続けたのだ。
そして、フォニックゲインの不足こそが起動に至らない原因だと考え、響は――訃堂は、翼たちの訪れを待っていたのである。
今、このタイミングで、事態を大きく変え得るとすれば、それはあのヴィマーナ以外に無いだろう。
「迫り来るアヌンナキの脅威に抗うために……人々を――世界を守るために必要な力だと……だからわたしは……」
「アヌンナキですって?」
その言葉にマリアは思わず耳を疑った。
同じようにして調と切歌もまた、驚いたように声を上げる。
「アヌンナキ……?」
「確かアダムが言っていたデスよ!」
――そう、あの戦いの最中、アダムは確かに言っていた。
カストディアンの降臨は間も無くだと。
そして、それを超えるだけの力を手に入れるために、神の力を求めたのだと。
「だったとして、何故わたしたちに協力を求めなかったの?」
「ましてや人質を取るような真似を……どういうつもりだ風鳴 訃堂」
一同の胸中には疑念ばかりが浮かんでいく。
装者たちを協力させるでもなく、争い合わせた理由とは何だったのか。
人類守護のための力だとするのなら、何故手を取り合おうとしなかったのか。
ましてや、人質を取るような真似をしてまで、響を己が手駒としたのは、何故なのか。
その問いに、疑念に応えるかの如く、辺り一面にこだまするかの様な声が――訃堂の声が響いた。
「協力? 果敢なき者どもが……己が為すべきことも見失い、守るべきものを履き違えた者どもと手を組めと? 笑止! この力、正しく行使する者があるとすれば、吾を於いて他に無いわ!」
「この声は……訃堂!? 一体何処から!」
突如空より響いた訃堂の声に、一同は周囲を見回す――が、その声の主を見つけることを見つける事は叶わなかった。
だとすれば――と、上空へと視線を走らせたマリアは、その光景に思わず声をあげる。
「あれは……ッ!」
その声に、一同は揃って視線を空へと向ける。
見上げる装者たちの視界の先――遥か上空のヴィマーナに、船首像のようなものが聳えていた。
「あれはまさか……ディバインウェポン!?」
「ぶっ壊れたはずじゃ無かったのかよ!」
マリアと、そしてクリスの言葉が示す通り、それはまごうことなきディバインウェポンであった。
アダムとの戦いの最中、ティキを中心に神の力を纏いしその姿――しかしそれは、装者たちの目の前で、徐々にその姿を変貌させる。
蠢くように、宛ら一つの生き物のように蠕動し、無機的な外観だったそれらは、やがて人の肉に似た質感を持ち、そして装者たちにとっては見覚えのある人物を模っていく。
「まさか……」
未来の表情が凍りつく。
その顔には、つい先日まで見覚えがあった。
いや――未来だけではない。
その場に居る誰もが、その異様な光景に言葉を失い、唖然としていた。
「まさか……訃堂かッ!」
翼の言葉に応えるように、それはにやりと唇の部分を歪めて、足元の装者たちを一瞥する。
それは当然生身ではなかった。
ネフィリムの因子をその両腕へと取り込み、ティキと――そしてヴィマーナそのものをも取り込んで同化した訃堂の、仮初めの肉体であった。
その右手には雷撃を放つヴァジュラが。
そして左手には、金色に輝く一振りの杖――いや、槍が握られていた。
「まずはその力、確かめさせてもらおうではないか」
訃堂はおもむろに、海の向こう――既に陽が沈み、宵闇の訪れを示す薄暗がりの遥か先へと、その槍の穂先を向けるようにして掲げた。
その先端へと徐々に光が宿されていく。
「一体……何を……」
響の顔に絶望が浮かぶ。
守るための力だと知らされたはずのそれは、今、どこへ向けられているというのか。
その力を以て、訃堂は今、何をしようとしているのか。
響の問いに応えるかのように、訃堂はその口角を吊り上げる。
――それは明確なる悪意。
破壊の意思。
今、訃堂はその力を装者たちへと、そして世界へと示さんと、収束させていた。
やがて、その穂先へと目も眩むほどの禍々しい輝きが宿っていく。
「刮目せよ! これが――これこそが、旧世界を焼き尽くした炎だ!」
その言葉を引き金に、その輝きは一筋の光となって太平洋の彼方へと放たれた。
――刹那、東の海上に、水平線に、明るい陽が灯る。
夕暮れよりも赤く、朱く、眩い陽が灯る。
いや、それは太陽ではない。
宵闇を焦がし、空を焼く、狂気の炎であった。
全ての命を焼き尽くし、塵の一片すら残さず滅ぼすほどの、圧倒的な力を持つ破壊の炎であった。
間も無くして海岸線へと――装者たちの立つその場所へと、肌を焦がすような熱波が。そして、激しい衝撃が訪れる。
噴き上げられた海水は、多量の、湯のような雨で以て地表を叩き、この国そのものを飲み込まんとするかのような高い波が一体へと打ち寄せる。
それらは、遥かな市街をも、この国そのものをも――いや、今や太平洋に面する国や街の全てをも、死と恐怖によって飲み込まんとしているのだろう。
「あ……あぁ……」
その、絶望を焼き付けたような光景に、響は膝から崩れ落ちると、小さな呻きを上げる。
守るための力だと信じていた。
救うために使われると信じていた。
そのための正義を、この手には握りしめていたはずだった。
大切な人たちを傷付けてでも、その力のために拳を握ったはずだった。
しかし今、その力は、圧倒的な破壊力を以て、世界に絶望をもたらさんと振るわれていく。
信じた正義が、人々を、殺していく。
絶望だけが、響の胸の内に広がっていた。
「くっくく……そうだ。この力こそ、神すらも恐れるこの力こそ、吾の求めた防人の――巫女の力よ!」
ヴィマーナの中、訃堂は一人高笑いをしていた。
その力こそ、先の大戦時に訃堂が求め、ついぞ手の届かなかったものであった。
それは今、半世紀以上を経てこの手に握られている。
かつて、古き聖典に記されたそれは、今再び世界に――この手の中に顕現したのだ。
神すらも恐れ、禁忌とした絶対的な力。
あらゆるもの焼き付くす力――それは遥かな太古に『アグネーヤ』と呼ばれた力であった。
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