戦姫絶唱シンフォギアASH   作:がめちょん

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それは、終局へと到る流転。
原初への回帰。
希望は既に灰燼と帰した。
それでも少女は歌を歌う。
キセキを重ねた祈りの歌を――


第十二話  ASH

 遥か東の海上を――その宵闇を焼く、禍々しい晩照は、旧風鳴邸へ向かい航行していた本部のモニタでも映し出されていた。 

誰もがその光景を、圧倒的な破壊の様を、固唾を呑んで見守り、そして戦慄する。

ある者は、言葉も無く愕然として。

またある者は、頭を抱える様にして、ただ祈るように。

 為す術もなく、ただただ打ち拉がれる職員たちの中、それでも藤尭は、現状把握に努め、先んじて動いていた。

 

「衝撃波の到達予想時間……出ましたッ! およそ二十分ですッ!」

「急ぎ、針路を爆心点へ向けて取れ! 隔壁は全て封鎖! 総員メインブロックへと退避せよ!」

 

 藤尭の報告を受け、八紘は即座に指示を飛ばすと、モニタに映し出される映像や情報へと視線を走らせる。

既に別地点からの映像には、まるで海の色を白く塗り替えるかのような衝撃波の痕跡が、瞬く間にこの国へ向けて広がっている様が捉えられていた。

今この艦へと――この国へと迫り来る危難は余りに大きく、然しもの八紘とて、冷静でいる事は困難であった。

 艦内に居る全職員は騒然としながらも、的確にその指示へと従い、迫り来るその猛威を乗り切るべく、艦の向かう先を爆心点へと向け回頭する。

あれほどの恐ろしい破壊をもたらした力である。その威力によって引き起こされる激しい衝撃波は――そして、それにより生み出される高波は、果たして如何程のものになろうか。

もしもそれらが横腹へ直撃すれば、最新鋭の技術を誇るこの艦とて、無事ではいられまい。

そしてそれは、もう間もなく訪れるのだ。

 本部全体に緊急のアラートが鳴り響く中、艦は海岸線から徐々に遠ざかって行く。

 

「皆さん……」

 

 エルフナインは、無意識にその両の手を――指を組み、装者たちの無事を祈っていた。

いや――誰もが皆、ただ祈り、その無事を願う事しか出来はしないのだ。

 やがてその艦の周囲一帯を、打ち付けるような衝撃波と、天を衝かんばかりの波濤が、飲み込んで行く。

S.O.N.G.の本艦そのものを。

そこに居る人々を。

そしてその、祈りの何もかもを――

 

 

祈りの歌

 

 

 大きな事変の起こる前、その前兆とも言うべき静寂を『嵐の前の静けさ』と呼ぶのなら、事が終わった後の、絶望によってもたらされる沈黙は――その静寂は、なんと呼ぶのが相応しいのだろうか。

為す術も無く、茫然と立ち尽くす装者たちは、何一つ――ただの何一つ、言葉を発する事も出来ずに、破壊されゆく世界の様を見つめていた。

 遥かな海岸線の、その向こうへと、白と黒を入り混ぜたような煙が上がる。

あちこちに朱やオレンジの火が灯り、大きな火の手が上るのを示している。

破壊の限りを尽くされ、押詰められた瓦礫が重ねられ、浮かび、そしてまた、そのいくつかが崩れ落ちて行く。

 今そこではまさに、大勢の人々が苦しみ、嘆き、恐怖と絶望に泣き叫んで居るのだろう。

捥がく様に――縋る様に伸ばしたであろう、救いを求める手と共に、希望を信じた心までも、そして明日を夢見た想いまでも、それら全てを手折られて、その全ての命は息絶え行くのだろう。

海沿いの市街を飲み込んだその波は、そこに面した数々のシェルターをも水没させ、そこに閉ざされた命の何一つをも残さずに、全て摘み取っていくのだろう。

 

「呆気ないものだな、人の命と言うものは」

 

 その声に、響を除いた全員が、はっとして顔を上げる。

一同の視界――その遥か上空には、依然としてヴィマーナが、そしてその船首から、半ば生えるかのように姿を現した訃堂が、一同を見下ろしていた。

今やその顔には憐憫にも似た色が浮かんでいる。

 響だけが、未だそれを見上げる事も出来ずに、膝をつき、茫然自失としていた。

既に、訃堂の左手に握られた槍からは、輝きが失われて久しい――が、その周囲に残留する高密度の熱量は、朱く灼けたその穂先を朧げに揺らしている。

 

「翼……見るがいい。これが貴様の――貴様らの守ろうとした『人』の儚さよ」

 

 訃堂は小さなため息を一つ吐くと、蔑んだような眼差しで、翼へとそう吐き捨てた。

その声色には、憐れみさえ宿って聞こえる――が、それは尚更翼の胸の内を焼き焦がし、憤怒を煮えたぎらせるのであった。

 

「これが……こんなものが『国を守る力』だとでも言うのかッ!」

 

 翼は思わず目を見開き、胸の内も湧き上がる憤怒を抑えきれぬように訃堂へと吼える。

――この破壊をもたらしたのは貴様ではないか。と、その瞳を怒りに燃やしながら。

そして、握りしめた天羽々斬の――その震える切っ先が訃堂の眉間へと向けられる。

しかし、そうしてぶつけられた翼の言葉に、かえって訃堂は深くため息を吐き、あからさまな落胆を見せる。

 

「はかなきかな……絶対的な――神すらも凌駕し、恐させ、それ故に禁忌とされたこの力を以てすれば、いかなる夷狄をも打ち払う事が出来るとまだ分からんか」

「打ち払う……?その力、守るために使うって……だからわたしは、それを信じて……」

 

 冷ややかに言い放つ訃堂の言葉を聞いた響はようやくに顔を上げ、辿々しくも、言葉を探る様に問うた。

その顔色は血の気を失い、瞳は絶望に揺れる。

動揺に声が――全身が震える。

 訃堂は響の様子を一瞥すると、残虐さを滲ませるかのように歪んだ笑みを浮かべ、「そうとも」とだけ答えた。

その視線をふと月へ――今まさに、満ちて行かんとするその月へと向け、睨め付けるように訃堂は言葉を続ける。

 

「彼奴等から……アヌンナキからこの国を守護せしめる事こそ、真の防人たる吾の役目よ……」

 

 そう告げた訃堂の目が、すっと細くなる。

そこには既に、先ほどまでの笑みなどは無く、ただただ憎悪だけが浮かんでいた。

 

「だが、その前に――」

 

 左腕が――握られた槍の穂先が、先ほどよりも高く、遠く、再び遥かな東の海上へ――その更に向こうへと向けられる。

ヴィマーナもまた、訃堂の言葉に呼応するかのように、さらなる高みへと上昇を始めていた。

 

「かつてこの国が受けた汚辱は、今ここで――全力の一撃を以て濯がせてもらおうではないか」

「まさか……その力で先の大戦の報復を行うと言うのかッ!」

 

 訃堂の言葉に翼は戦慄する。

先の敗戦の屈辱を払うために、そのあまりに強大な力を今、米国へと向けようというのだろうか。

既にその穂先には、僅かながらではあるものの、禍々しい光が宿り始めている。

先ほど放たれたあの威力が、まだ全力では無かったとするならば、これから訃堂が放たんとしている一撃は、どれほどの破壊と殺戮を、その槍で以て世界へともたらすというのか。

 

「わたしの、せいだ……」

 

 ゆらり、と響は立ち上がる。

その瞳を絶望に揺らしながら。

その拳を、力なく握るようにして。

ゆっくりとその一歩を踏み出していく。

 

「わたしが……わたしがあんなものを目覚めさせたから……」

 

 引きずるような足取りで、響はヴィマーナの方へと歩んでいく。

宛ら亡者のような姿を見せるその背中へ、未来は静止するように手を伸ばす――が、僅かに触れたその指先は、しかし駆け出した響を止めることは叶わず、空気を掴んだ未来の手だけを置き去りにして、響は一息に、空へと飛び出していた。

 

「響……待って!」

 

 未来のあげた声にも振り返らず、響は数百メートルの高さを一人、駆け上がっていく。

先ほどまでの消耗すら忘れたかのように、ヴィマーナの重力場に巻き上げられて浮遊したままの岩盤や、いくつもの瓦礫を足掛かりにして、そのパワージャッキによる加速を以て、響はヴィマーナへと迫っていく。

 

「響ーッ!」

 

 悲痛な叫びを上げながら、未来はその飛行能力を以て響を追う。

クリスと翼の二人が、そしてマリアと調、切歌の三人もまた、その後を追うようにして、浮遊した岩盤を駆け上がっていく。

唯一未来だけはその飛行機能を持って、急速に響の元へと距離を縮めていくが、それでも先んじて飛び出した響の背中はあまりに遠い。

残る五人に至っては、響との差は広がる一方であった。

 

「ふん、再装填にはやはり時間を要するか……」

 

 訃堂は苛立ちを隠しきれず、呻くようにして歯噛みする。

いかに世界を焼き滅ぼすほどの火力とはいえ、その力を、禍々しい破壊の光を集束させるのは容易ではない。

放つ力が大きければ大きいほど、その力を溜めるには、必然、より長い時間を必要となるようだ。

 苛立つ訃堂の視界にふと、響の姿が映る。

そうして、同様に足元から駆け上がった来た装者たちの姿に気が付くと、訃堂は小さく舌打ちをした。

掲げた槍はそのままに、右手のヴァジュラを響たちへと向けて、小さな稲妻を纏わせていく。

 

「人の身でこの――神の座に手を掛けようと言うのか……果敢なき者共がッ!」

 

 訃堂の発した怒号に応じるが如く、ヴィマーナの周囲へと帯電した空気が広がる。

ヴァジュラを中心に放たれたそれは、自身をぐるりと取り巻くように、周囲へと青白い舌を這わせながら、急速にその密度を増していった。

それは宛ら雷の龍の如く、夜空を駆けまわる。

 

「神の雷に灼かれるが良いッ!」

「いけないッ! みんな離れてッ!」

 

 マリアが促すが早いか、その拳から――そこに握られたヴァジュラから、激しい極大の雷が放たれた。

耳を劈く轟音のような咆哮を上げ、巨木の如く枝分かれたそれらは、もつれあうように、そしてまた弾かれ合うように、装者たちへと襲い掛かっていく。

 マリアを始めとした五人は、そして未来を含めた六人は、咄嗟に飛び退ってその直撃を躱す――が、訃堂のすぐ足元まで至っていた響だけは、躱すことも防ぐことも叶わず、雷撃の直撃を受けてしまう。

 

「ぐあッ……!」

 

 雷撃による痺れか、あるいはそのダメージの大きさゆえか、受け身を取る事すら出来ぬまま、響は幾つかの岩盤を転がり落ちるようにして地面へと落ちていく。

 

「響ッ!」

 

 未来は咄嗟に追い縋り、手を伸ばす――が、それでも僅かに間に合わず、響は地表面へと激しく叩きつけられてしまう。

他の装者たちも皆、響の無事を確かめるべく、続け様に足場から駆け下りて、その傍らへと集っていく。

 訃堂はその様を一瞥すると、ふん。と鼻を鳴らし、再び槍へと意識を集中させた。

最早その凶行を止める術は無いのだろうか――

 

 

 

 その頃、ようやくに通信状況を回復させたS.O.N.G.本艦は、その針路を再び旧風鳴邸へと向けて航行していた。

幸いにして対応の早さが功を奏したのか、各ブロックの資材や積み荷等が幾らか崩れた事を除けば、損害は軽微であった。

それでも、本部のモニタにも映し出された光景を目の当たりにして、誰もが皆一様に不安を浮かべている。

 今や抗う者も無く、響でさえ立ち上がる事すらままらなぬ状況の中、訃堂の持つ槍には、第二射のエネルギーが集束しているのだ。

それは無理からぬ事であろう。

 

「響くん……」

 

 ふと、背後から――呻くように吐き出されたその声に、誰もが驚いた様子で振り返る。

そこには、息を切らしながらも、モニタを食い入るように見つめる弦十郎の姿があった。

その傍らに、弦十郎を支えるようにして寄り添う緒川の姿もある。

 装者たちを送り届けたのち、一足先に本部へと向かった緒川は、訃堂による第一射が放たれる直前に辛うじて合流を遂げていたのであった。

あと少し、僅かにでも遅れていれば、恐らく緒川も港湾にいた人々同様――あるいは、湾岸沿いのシェルターに避難した人々同様、無事では済まなかったかもしれない。

 

「司令!」

「弦十郎さん!」

 

 藤尭と友里が、そしてエルフナインが――その場にいる誰もがその名を呼ぶ。

喜びに満ちたその声に苦笑いを浮かべながらも、弦十郎は片手を挙げるようにして応えると、一同に表情に安堵の色が浮かんだ。

 

「弦……傷はもう良いのか」

 

 八紘は気にかける様に声をかける。

弦十郎の顔色は未だ悪い――それも当然だろう。

報告によれば、内臓の幾つかを損傷していたはずである。

例え弦十郎の肉体がいかに頑丈であろうとも、本来ならば未だ立つ事すら難しいほどの重傷のはずだ。

 

「こんな状況で、俺だけが呑気に寝ていられるものかよ」

 

 それでも、脂汗を額に浮かべながらもそう言うと、弦十郎は八紘へ気丈にも笑みを作ってみせる。

対する八紘は、それ以上の追求するのも躊躇われたのか、半ば呆れた様子で「そうだな」とだけ言って頷くのであった。

二人の――そしてつられるように一同の視線が、再びモニタへと注がれる。

 そこには未だ、希望など何一つ映し出されては居なかった。

ただただ装者たちが傷つき、苦鳴を上げながら––そしてそれらを意にも介さず力を集束させていく訃堂の姿だけが、そこにあった。

 

 

 

「響、しっかりして!」

「くッ……」

 

 支えるように抱き起こした未来の腕の中で、損傷を見せるギアの各部に、小さな稲妻が走る。

立ち上がる事すらままならない程のダメージを負いながら、それでも響はその手を、縋るように訃堂へと伸ばす――こぼれそうになる苦鳴を噛み殺すようにして。

 

「止め……なきゃ」

 

 訃堂の持つ槍は、依然その禍々しい光を集束させ続け、増大されていくそれは、間も無く米国へと放たれようとしている。

そうなれば米国は、そこに住まう大勢の人々は――いや、それだけではない。

その全力による一撃は、この星全体を揺さぶるほどの破壊を全世界へと及ぼすのだろう。

――全部わたしのせいだ。わたしが何とかしなきゃ。と、響は歯を食いしばり、何とか立ち上がろうと懸命に踏ん張りをきかせようとしていた。

 しかし、身体を支えていた未来の手が唐突に離れ、響は思わずよろめくようにして再び膝をつく。

 

「み……く……?」

 

 驚きを、そして言い知れぬ不安をその顔に浮かべ、響は未来の顔を見上げた。

立ち上がった未来の瞳は、真っ直ぐに訃堂を捉えていた。

その横顔に、強い意思を宿しながら。

 

「大丈夫、なんとかする」

 

 未来はそうとだけ言って優しく微笑みかけると、再び訃堂へと――その禍々しい光へと真っ直ぐな眼差しを向ける。

その口許が、小さく動き、何かを呟いていた。

それは、どうにもならないことを、何とかしてくれる魔法の言葉。

いつだって、何度だって、響が繰り返してきたいつもの口癖であった。

未来は自らに言い聞かせるように「へいき、へっちゃら」と、繰り返す。

 やがて、翼たちが響の元へと辿り着くと、未来は「響をお願いします」とだけ告げて、訃堂へ向かい飛翔した。

 

「止せ、何をするつもりだ小日向!」

「未来……ッ!?」

 

 翼の制止をものともせず。

響の悲痛な呼び声に、振り向く事もせず。

未来はただ真っ直ぐに、訃堂の元へと空を駆けていく。

 

「まさか……一人で止めるつもり!?」

「そんなの無茶デスよッ!」

 

 マリアと切歌の言葉も聞き入れず、未来は瞬く間に訃堂へ向けて飛翔していく。

岩場を一つ一つ駆け上がっていく他の装者たちでは追いつく事すら出来ず、それでもその無茶を何とか押し留めようと――あるいは、その支えになろうと、皆同じように駆けあがっていく。

立ち上がりつつある響の姿に、少しだけ安堵を見せた未来は、訃堂の前でそのアームドギアを――その鏡を円環状に展開していく。

 

「何考えてやがる……あいつのバカが感染ったのか!」

「未来さんッ!」

 

 クリスたちもまた、駆け上がっていく――が、飛行機能を持たない以上は、いくら急いで駆け上がったとしても、発射には到底間に合わないほどの距離が、そこにはあった。

――だからと言って! と、クリスは歯噛みする。

ただ一人、未来だけであの力に対抗することなど出来はしないだろう。

 カ・ディンギルの一撃を、身を以て受けたクリスだからこそ、その圧倒的な力の前に一人だけで立ち向かうことが、如何に無謀な事かを知っていた。

 

「神獣鏡の輝きが――その閃光が聖遺物の力を抑えられるのなら、わたしが止めてみせるッ!」

 

 それでも未来は、臆することなく、怯むこと無く、その身を以て訃堂を抑えん。と、鏡へ力を――光を集束させていく。

無垢にして清廉な神獣鏡の輝きと、旧世界を焼き尽くした『アグネーヤ』の輝きは、共に対照的な力を、今まさに撃ち放たんとしていた。

 

「これ以上響に、過ちを――後悔を背負わせたりさせないッ!」

「ふん……塵一つ残らず焼き尽くされるがいい」

 

 二人の視線が――意志が交錯する。

破壊の光が––そして希望の光が、既に夜のそれへと変わった空の暗がりを、煌々と照らし出す。

――刹那、空を切り裂かんとする二条の閃光が放たれた。

 ほぼ同時に放たれたそれらは、互いにぶつかり合い、目が眩む程に瞬きながら、打ち消しあって拮抗する。

その輝きは、真昼のそれを思わせるほどに辺り一面を照らし出し、激しいエネルギーのぶつかり合いによって、地表面では宛ら嵐のように風が吹き荒れていた。

浮遊した岩盤の幾つかは、その衝撃を受けて、力の及ばぬ圏外へと弾き飛ばされ、地上へと落下していく。

 ぶつかり合う力の奔流。

それは、拮抗しているかのように思われた。

しかし――

 

「このまま押し切って……くぅッ!」

 

――束の間の拮抗を見せたかのように思われたそれは、徐々に未来を追い詰めていく。

 額に幾つもの汗を浮かべ、苦しげに耐える未来とは対照的に、訃堂の顔はどこまでも涼やかに、残虐な笑みすら湛えていた。

それは、絶対的な力の――あるいは勝利への確信によるものか、自らに逆らおうとする者を踏み躙る事への、歪んだ嗜虐心によるものか。

 次第に未来の放つ閃光は、その力強さを失い始める。

同様にして、その背に浮かぶ鏡は、いくつものヒビを生じさせていく。

覚悟と意志とを以て立ち向かった未来を、破壊が――悪意が今まさに、飲み込まんとしていた。

 

「未来―ッ!」

 

 ぶつかり合う二人の遥かな眼下で、響は咆哮を上げた。

翼の支えを振りほどき、気力を振り絞るように立ち上がると、強く――有らん限りの力で大地を蹴り込み、大きく跳躍して、未来の元へと駆け上がっていく。

 

「立花ッ!?」

 

 突如として飛び出して言った響を止める事すら出来ず、翼は慌ててその背中を追いかけるべく、同様にして岩場へと跳躍する――が、何度も空気を蹴り込み、精一杯の力でバーニアを噴かせる響の背中は、一息にその距離を広げていく。

しかし、それでもまだ未来までの距離は、どうしようもなく遠い。

全力を以てしたその跳躍も、その噴き上がるバーニアも、次第に勢いを無くし、失速していくのであった。

 それでも――誰もがその姿に諦めを抱く中、響だけは真っ直ぐに未来を見据え、迷いのない瞳で胸元の、シンフォギアのコアを、半ば無意識に握りしめていた。

イグナイトは既に失われて久しい。

エクスドライブなどは、この状況に於いて使えるはずもない。

それほどまでに大きなフォニックゲインなど、ここには無いのだ。

 ならば、残された力の可能性はただ一つ――

 

「Gatrandis babel ziggurat edenal――」

 

 響の口から、旋律が紡がれる。

それは、かつて天羽 奏が自らを救うために歌った歌。

それは、かつて風鳴 翼が自らを守るために歌った歌。

それは、かつて雪音 クリスが、フィーネの野望より世界を守らんとして歌った歌。

そして、響自身が幾度と無く、皆と重ね続けてきた――祈りの歌。

 

「Emustolronzen fine el baral zizzl――」

「まさか……立花ッ!?」

 

 翼の表情に、戦慄が浮かぶ。

それを歌う事が何を意味するのか。

誰よりも翼自身が知っていた。

痛みも、苦しみも、その身を以て味わったのは翼と――そしてクリスであった。

 

「あのバカ、絶唱をッ!」

「イグナイトも無しで一人で歌うなんて……ッ!」

 

 クリスも、マリアも、響の紡ぐ歌に――それがもたらすであろう光景を想い、悲痛な声を上げる。

 

「「響さんッ!」」

 

 そして、調と切歌もまた、目を見張って響の方へと振り返るのであった。

その歌の意味を、未来とて知らぬでは無かった。

今や、イグナイトも、マリアの支えも無しに放たれるそれは、かつて天羽 奏の命を燃やし尽くし、翼やクリスでさえも命に関わるダメージを負ったものと同様の――その身を焼く恐ろしき諸刃の剣であった。

 

「Gatrandis babel ziggurat edenal――」

「駄目ッ……響ぃーッ!」

 

 痛ましいまでの悲しみをその顔に浮かべ、未来は叫んでいた。

――それでも響は歌う。

大切な親友を、かけがえのない陽だまりを救いたいと――ただそれだけのために、その命の全てを燃やすようにして。

 

「――Emustolronzen fine el zizzl……」

 

 全ての旋律を口にした響を――その全身を強烈なバックファイアが襲う。

その奔流は、血液の全てを逆流させるかのように熱く迸り、内側から灼き尽くすような熱を――骨をも軋ませるような痛みを、その身へと駆け巡らせる。

穴という穴が血を噴き、溢れさせ、そして視界すらも赤に染めていく中、それでも響は立ち止まる事なく、その力の全てを、その想いを吼えた。

 

「お願い……ガングニール! わたしの全部を力に変えても良い――だから、未来を助けるための力をぉぉぉッ!」

 

 その咆哮に――響の想いに応えるように、全てのエネルギーを力へと変換し、ガングニールは輝きを放つ。

それら全てをバーニアより噴出し、未来の元へと響を運んでゆく。

 夜空を切り裂くように、最速で、最短で、まっすぐに――一直線で駆け抜けるそれは、宛ら投擲された一振りの槍のように、未来の元へと放たれていく。

 

「未来ーッ!」

 

 その鏡が粉々に砕け散る間際、差し伸べられた響の手は、未来の手を摑んでいた。

反動を付けるようにして、響はその持てる全ての力を以て、未来の身体を投げ飛ばした。

――と同時に、神獣鏡の力が、その抵抗が失われ、禍々しい輝きがその身を飲み込んでいく。

 弾かれるように投げ飛ばされ、反転し、回転する視界の中。

未来は、必死に響の姿を探していた。

永遠に静止したかのように切り取られた一瞬を、それでも鮮明に、意識は捉えていく。

未来の目が、その輝きに眩む直前。

最後にその視界へと映されたのは、少しだけ悲しそうに――それでいて、安堵に満ちたような、響の笑顔であった。

 

「響ぃーッ!」

 

 慟哭と轟音が響き渡る中、夜の闇を切り裂いた閃光は、その射線を僅かに虚空へと逸らされて、遥かな星空へと長く――輝く一条の軌跡を描いていく。

それはしばらくの間、夜を明るく照らしながら、やがて溶け行くように消えていくのであった。

――間も無くして静寂が訪れる。

 それは、満ち満ちた絶望の静謐。

誰もが皆、何一つ言葉をこぼすこと無く、ただただそれを見上げていた。

 

「嘘……だろ……」

 

 ぽつり。と、そう呟いて、クリスは、膝から崩れ落ちた。

焦点の定まらぬ目を見開き、静まり返った虚空を見つめる。

動揺か、悲しみによるものか。

その瞳が僅かに揺らいでいる。

 

「馬鹿な、立花が……そんな事あるはずが……」

 

 翼もまた、折れそうになる膝を必死に堪える。

地面へと突き立てた天羽々斬にもたれかかるように、目の前の事実を否定するように、固く目を閉じて首を横へと振る。

 

「本部ッ! 彼女の……立花 響の反応はッ!」

 

 マリアは、急ぎS.O.N.G.本部へと通信を飛ばした。

――ただ弾き飛ばされただけなら、きっと彼女は無事なはず。と、僅かばかりの希望を託すように、答えを待つ。

しかし、帰ってきたのは、どこまでも残酷な現実であった。

 

「ガングニールの反応途絶……数㎞圏内にそれらしきアウフヴァッヘン波形は確認できず……」

 

 苦々しげに、呻くように、それでも絞り出すようにして、藤尭はそれを告げる。

響の反応は、もうどこにもありはしない。

ギアより放たれるエネルギーも、発せられるバイタルのシグナルも、定点からの観測による映像からも、響の生存は確認など出来はしない。

 全てはあの、禍々しい輝きへと飲まれ、向こう永遠に失われてしまったのだから。

 

「そんな、響さんが……」

 

 エルフナインもまた、それらを確認しながらも信じられないでいた。

いや――あの響が、こんなところで居なくなってしまうなど、誰も皆、信じたくは無いのだ。

 

「嘘デスよ、あの響さんが、そんな」

 

 大きな音を立てて、その手から離されたイガリマが地面を叩いた。

よろめくようにしてへたり込んだ切歌の頰を、涙が筋となって伝う。

それ以上何も言葉にすることも出来ず、ただただ口を、唇を震わせる。

 

「ねぇ、間違いだよね、エルフナイン。そんなはず……ちゃんと探してッ、藤尭さん!」

 

 取り乱したように声を荒げ、調は本部へと問う――が、しかし、応えられる者など誰一人として居なかった。

沈黙を以て応える本部の様子に、調は呟くように「うそだ、うそだ」とこぼしながら、顔を覆うようにしてその場に座り込む。

 

「ふん、果敢なき者が……ただ一度を防いだところで何にもならんと分からぬか」

 

 そう吐き捨てると、訃堂は更なる一撃を放たんと、三度力を集束させていく。

絶望の光が、その槍の穂先へと灯っていく。

 

「そんな……まだあれを撃てるというの?」

 

 掠れそうな、消えそうな声で、呻くように絶望を口にすると、マリアはその瞳に絶望を宿し、茫然自失とする。

 

「嘘デスよ……こんなのもうおしまいじゃ無いデスか……」

「嫌だよ……こんなの悪い夢だと言って……」

 

 調と切歌もまた、恐怖と絶望に押し潰されそうな呻きを――涙をこぼして震えていた。

 

「立花の死は無駄だったというのか……」

「ちくしょう……もう、どうしようも無ぇのかよ」

 

 悔しそうに歯噛みする翼とクリスとて、立ち上がる気力などは疾うに失っている。

弦十郎も同様に「響くん……」とだけ呻くように呟いて、後はただただ閉口するのみであった。

 

「わたしは……諦めない」

 

 誰もがその状況に、絶望し、失望して、諦めを抱く中――それでも未来は立ち上がり、そしてもう一度訃堂のもとへとの元へと飛翔していく。

 

「響が守ろうとしたものを……わたしは絶対に諦めたりなんてしないッ!」

 

 誰よりも、響を失ったことに苦しみながら、それでも――だからこそ、未来はもう一度歌を紡いでいく。

――響が歌ったその歌を。

 

「Gatrandis babel ziggurat edenal……Emustolronzen fine el baral zizzl――」

 

 

 その顔に、苦痛が浮かんでいく。

ただの一節でさえ、身を灼くほどのバックファイアを呼び起こす。

それでも響は、その苦痛を耐え、抗い、そしてその意思を貫いたのだ。

――ここで膝を折るわけには――諦めるわけにはいかない。と、そう自分に言い聞かすように、未来は歌を紡いでいく。

 

「そう……だな、わたしたちが、立花の残したものを諦めるわけにはいかない」

 

 未来の言葉に突き動かされたように、そのギアを折れることない翼へと変えて、翼は絶唱を歌いながら駆け上がっていく。

 

「あぁ……あいつの言う通りだ」

 

 クリスもまた、その後を追う。

 

「アタシたちだけ、勝手に投げ出すなんて、顔向けできないデスよ」

 

 その手に、拾い上げたイガリマの大鎌を握りしめ、切歌も二人と共に駆け上がっていく。

 

「そうね……たとえ一万と一つ目の可能性が失われても、わたしたちが諦めることなんて出来ないわね」

 

 いつだって、諦めなかった響の姿を思い浮かべ、マリアも同じように――

 

「何度だって、響さんがそうして来たように立ち上がるんだ」

 

――そして、響の想いを継ぐようにして、調もまた、皆と共に訃堂の元を目指し、駆けていく。

 

「お前たちッ!」

 

 傷が開くことも厭わずに、弦十郎は身を乗り出すようにモニタへと向かう。

ただその無事を祈る事しか出来ない己の無力を恥じ入るように、その拳を固く、血が滲むほどに握りしめていた。

 

「みんな絶唱を……そんな」

「このままじゃ翼さんたちまで……」

 

 友里も、藤尭も、苦々しい面持ちで、それをただただ見守ることしか出来ずに居た。

 

「ッ……翼ッ……!」

 

 八紘もまた、モニタへと映し出された愛する娘の無事を、そして、その勝利をただただ祈る。

 

「皆さん……」

 

 心配そうな面持ちで、エルフナインは装者たちを見守る。

それでも、出来る事など今は何も無く、ただただ少女たちを信じ、祈る事しかできないのであった。

 

「Gatrandis babel ziggurat edenal――」

 

 未来の元へ集い、六人は共に残る戦慄を――絶唱を紡いで行く。

全てを――己が命を燃やし尽くしてでも、訃堂へと抗うために。

彼女が――立花 響が守ろうとした世界のために。

そしてまた、自らが守りたいと思うもののために。

 やがて、六人を中心に眩いほどの輝きが放たれていく。

それは、訃堂の宿す輝きとは異なる――虹色の輝きであった。

 

 

ASH

 

 

――浮遊感が身体を包む。

上とも下ともつかないところを、流されては揺さぶられて、どこへともなく揺蕩う。

そんな感覚に、響はふと目を覚ました。

未だはっきりしない意識のままに、辺りを見回すと、己の置かれた立場について少しだけ思案する。

 

「わたし……あぁ、そうか。死んじゃった、のかな?」

 

 何だか不思議な感覚で、どうにも実感が得られなかった。

俗に言うあの世というのは、もっとこう、三途の川を越えたり、綺麗な草原があったりすると聞くし、響自身も少なからずそういったものを期待しないでもなかった。

―――ああけれど、自分が行くなら地獄だろうか。と、響は思わず自嘲気味に笑う。

 何せ、自分と来たら、全世界を巻き込んで、とんでもない危機へと陥らせたのである。

しかし、それにしたってそれらしくないにも程があるのではないだろうか。

いまや響の目に映る世界は、どこまでも続く薄暗い――あるいは薄明るいとも言える、水底のような無限の空間であった。

天国にしても、地獄にしても、これではあんまり味気が無さすぎる。

実に中途半端な場所である。

 

「なんだよ、おまえもこっちに来ちまったのか」

 

 ふと、その永遠にも思われた静寂の中で、どこかで聞いたことのある声が聞こえ、響は思わず周囲を見回した。

しかし、前を向いても後ろを向いても、左や右に、ましてや上にも下にも、人影などはありはしない。

ここはどこまでもひとりぼっちの世界なのだ。

――空耳かな? と、首を傾げた響の目の前に、ふと柔らかな光が灯る。

それは徐々に膨れ上がり、人の形を――色を宿していく。

 

「よう、久しぶりだな」

 

 腰まであろうかという朱い髪を靡かせるようにして、その人物は気さくそうな笑顔を響へと向ける。

響はその――思わぬ人物に、言葉を上手く結ぶことも出来ず、それでもしどろもどろになりながら、その人の名を口にした。

 

「えっ……えぇっ!? か、奏……さん?」

 

 驚かないで居られるはずもない。

その顔を――その人を忘れられるはずもない。

あの、運命のライブの日。

現れたノイズから響を守るために、命を燃やし尽くして歌ったその人を、忘れる事などできるはずはない。

 奏は、名前を呼んだ響へと「おう」と言って軽く手を挙げて答える。

その姿に、響は思わず涙を堪えるようにして、泣き笑いの顔を作る。

 

「こっち……奏さんが居て『こっち』ってことは……あは、あはは……やっぱりわたし、死んじゃったんですねー……」

 

 奏の言葉に、上ずった声でおどけたように響は笑う。

それは、誰の目にも分かるほどの強がりであった。

 そんな響の様子に、奏は少しだけ、悲しそうな表情を浮かべる。

響の見せた傷ましいまでの強がりがそうさせたのだ。と、当の本人は気付くこともなく、嬉しさと、悔しさと、申し訳なさを綯い交ぜにした涙を、ぽろぽろとこぼして行く。

 

「ごめん……なさい。わたし、奏さんに、もらった力で、歌で……救ってもらった命であんなことを」

 

 途切れ途切れに、嗚咽交じりに、奏へと響は謝った。

命懸けで奏が救った自らの命を――その胸に受け継いだはずの歌と、そしてその力。

それらを全てを無駄にしてしまった。と、そして何より、大勢の命を奪うために使ってしまった。と、何度も言葉に詰まりながら、響はそうしてただひたすらに詫びるのであった。

 

「そんなことないさ」

 

 そんな響の頭を、ぽん。と軽く叩きながら、奏は笑う。

 

「あんたは、あたしには出来なかったことをやって来たんだ」

 

 そう言って笑う奏に、心当たりが見つけられず、響は不思議そうな顔をする。

奏に出来なくて、自分にしか出来なかった事などあるのだろうか? と、首を傾げてみせた。

心当たりがあるとすれば、結果的に招いた大量虐殺の片棒くらいである。

 

「ただ戦って――目の前のもんを守るだけで精一杯だったあたしと違って、あんたは敵にだってその手を差し伸べて来た」

 

 そう言って響の手を取ると、奏は優しくその手を包むように、そっと撫でていく。

響が、これまで手を取り合ってきた姿を思い出しながら、何度も――何度も撫でていく。

 

「そうして手を取り合って、あんたは何度だって世界を、大勢を救って来たじゃないか」

「でもそれは、助けてくれるみんなが居たから……」

 

 なおも自嘲気味に消沈する響に、奏は少しだけため息をついた。

今の響は、奏が何を言おうと――それこそ、責める言葉でもなければ、聞き入れそうにない様子である。

 

「ったく……おまえも何か言ってやってくれよ」

 

 

 そう言って奏は、視線を響の向こうへと向ける。

つられるように振り向いてみると、気付けばそこには、奏とは別の少女が立っていた。

初めて会う――けれど、どことなく見覚えのある少女に、響はその心当たりを付けようと、内心に記憶をなぞってみるものの、どうにも思い出せそうになかった。

あどけなさを残すその少女は、奏と同じようにして、響のもう一方の手をそっと取る。

 

「そう……あなたが居たから、過ちに気付いて――前を向いてやり直せた人がいる。そうして誰かを救えた人がいる」

「わたしが……いたから……」

 

 響の言葉に「そうよ」と頷き、微笑みを浮かべると、少女はなおも言葉を続ける。

その声色に、少しだけ懐かしむような様子があった。

 

「姉さんも、あの二人も。あなたが居たから救われた」

「もしかして、セレナ……さん?」

 

『姉さん』という言葉に、響はようやくにしてその人物を思い出す。

それはいつしか、マリアから見せられた写真に写っていた少女――彼女の妹であるセレナ・カデンツァヴナ・イヴ――その人であった。

 

「あなたがその手で救った誰かが、別の誰かを救っていく……それはきっと『誰かと手を繋ぎ合う』事の出来る、あなただから出来たこと」

「そうさ。だから、自分のして来た事に胸を張りな、立花 響」

 

 奏が、セレナが、そう笑いかける。

過ちを犯してしまったはずの自分を、それでも二人は――いや、二人だけではない。

翼やクリス、マリアに調、そして切歌に未来。その誰もが皆、許し、受け入れようとしてくれていた。

その手をもう一度――今度は皆んなの方から繋ごうとしてくれたのだ。

 それはとても嬉しくて――だからこそ悲しくて。今更それに気付いたところで、もう何も伝えることはできないのだ。と響は思わず声を上げて泣き出してしまうのであった。

奏とセレナは、ただただその肩を優しく抱いていた。

 

「Gatrandis babel ziggurat edenal――」

 

 ふと、その世界へと、歌が聞こえてくる。

その声に響は「はっ」として顔を上げる。

 

「Emustlronzen fine el baral zizzl――」

 

 尚も紡がれていくその歌声を、聴き間違えるはずがない。

それは間違いなく、いつだってすぐそばで――寄り添うように隣で聞いてきた未来の声であった。

――いや、それだけではない。

それはやがて、翼たちの歌声も織り交ぜて、一つの歌へと紡がれていく。

 

「未来……それにみんなッ!」

 

 姿は見えない――けれど、どこか遠く、それでいてすぐそばから聞こえるような感覚があった。

見えない空間を隔てたすぐ向こうから、聞こえてくるような感覚があった。

やがて、遠くとも近くとも言えない場所に、未来たちの姿が浮かび上がる。

それは宛ら見えないスクリーンのように一同の『今』を、映し出すのであった。

 

「翼……ッ」

「姉さん……」

 

 奏とセレナは、その歌声へと苦々しげな表情を浮かべる。

助けることのできない己の無力さを噛みしめるように、二人は強く拳を握っていた。

それは、この意識だけが揺蕩う世界の中で、ずっと繰り返されてきたのだろうか。

そして響もまた、これからずっとこうして、大切な人たちが傷付いていく様を、ただただ黙って見守ることしか出来ないのだろうか。

 響は、今更ながらに自らがギアを纏っておらず、そのペンダントも失ってしまっていることを自覚して、歯噛みする。

いつだって、響の想いに応えてくれたガングニールは、あの閃光の只中で完全に失われてしまったのであった。

 

「わたし、みんなを助けたい……もう一度手を取り合いたい。だけど、もう……」

 

――この手はもう、何も繋ぐことは出来ないんだ。と、内心に諦めを抱きながらも、それでも諦めきれない想いが、胸の内へと湧き上がる。

胸の奥がぢりぢりと焦げ付くように熱くなり、疼くように痛くなる。

 

「本当にもう、放って置けない子なんだから」

 

 ふと掛けられたその懐かしい声に、響は思わず顔を上げると、自らの目を――耳を疑った。

見間違うはずがない。

聞き間違うはずもない。

いつか、手を取り合えぬまま、居なくなってしまったその人を、忘れることなど出来るはずもない。

ずっと、もう一度わかり合いたい。と、手を取り合いたい。と思っていた人物がそこにいた。

長い髪をゆらゆらと漂わせ、印象的な赤い眼鏡をかけたその人物は、他ならぬ、櫻井 了子であった。

 

「了子さん!」

 

思わず飛びつこうとする響を、了子は片手で制しながらも、呆れた顔でため息をつく。

 

「はいはい、再会を懐かしむのは後。今はそれどころじゃないでしょ? 早く戻らないと未来ちゃんや翼ちゃんたち、みんな大変なことになっちゃうわよ」

 

 その言葉に響は思わず「うっ」と押し黙ってしまう。

そうとも、今はみんなを助けることが何より大切なのだ――とはいえ、未だにそのための方法などは皆目見当もつかないのだが。

 

「あたしと再会した時よりも嬉しそうじゃないか」

 

 奏が、二人を冷やかすように皮肉を投げかけると、セレナは思わずくすくすと笑ってしまう。

そんなセレナへと、奏は少しだけムッとして「なんだよ」と口をとがらせるのであった。

 

「ねぇ響ちゃん。あなたは覚えてないかもしれないけど、その左手は一度ネフィリムに食べられちゃってるのよ」

「……そう言えばそんな話を聞かされたような聞かされてないような……」

 

 うーん。と考え込む響に、了子は「呆れた、自分の事なのに何にも知らないのね」と思わず噴き出してしまう。

奏とセレナも同じように、呆れた様子でそれを笑うのであった。

 

「でもあなたは無意識の内に、ギアのエネルギーを腕の形に固定化させた……そのうえそれを本当の左腕として再生しちゃったの……信じられる?」

「自分のことながら、信じられません!」

 

 そうまで堂々と、自らの事を「理解不能」と言い切られてしまうと、いっそ清々しいものである。

――いや、事実としてそれは、常軌を逸した出来事であり、信じられないのも無理からぬ事だろう。

 事実、奏にしてもセレナにしても、口々に「だよなぁ」だとか、「ですよね」と言っては、うんうんと頷いているのだ。

 

「それが聖遺物由来のエネルギーである限り、本来なら未来ちゃんの――神獣鏡の輝きに飲まれた時、失われてもおかしくなかったはず……だけど、あなたの腕は消えなかった」

「この腕が……」

 

 了子の言葉に、響は自らの左腕を、確かめるように眺める。

もちろん、生身としての響の身体は既に失われてしまっているのだから、それを『この腕』と呼ぶのが相応しいかどうかは怪しいものであるが。

 

「あなたの歌はね、奇跡を起こすのよ」

 

 少しだけ遠い目をしたように、了子は微笑む。

ネフィリムの事だけではない。

キャロルとの戦いの中でも、アダムとの戦いの中でも――いつだって響は、絶体絶命の窮地に於いて、およそ奇跡としか言いようのない事を、その歌によって起こしてきたのであった。

 

「わたしの歌が……」

「そうよ。だから……胸の歌を、信じなさい」

 

 ルナタックの起こされたあの日、月の欠片へと向かおうとした響へそうしたように、了子は響の胸の辺りを「とん」と突く。

あの日と同じように、優しい微笑みを浮かべながら。

響はそっと目を細める。

――今ならば、手を取り合えるだろうか?

あの日からずっと、繋げないままだったその手を、今度こそ繋ぐことが出来るだろうか。

 響が差し出そうとしたその手は、しかし――

 

「そうさ、なんたってそいつはあたしがくれてやった歌なんだからな」

 

――と、誇らしげに語る奏によって、遮られてしまうのだった。

奏にしてみれば、それはもちろん冗談のつもりだったが、それでも響は力強く頷くと「はい! 信じます!」などと言うものだから、奏はかえって気恥ずかしくなってしまうのだった。

 

「奏さん」

 

 そうとだけ言って差し出された響の手を、奏は黙って繋ぎ返す。

そして響は、セレナにも同様に手を差し伸べた。

 

「セレナさんも」

「えぇ」

 

 優しい微笑みで、セレナもまたその手を取る。

互いに確かめるように、二人と頷きあった響は、振り返って「了子さん」と声を掛ける――が、そこには既に了子の姿は無くなっていた。

 

「了子さん……」

 

 ようやくまた会えたというのに、相も変わらぬマイペースな了子は、響を焚きつけるだけ焚き付けて、その姿を消してしまったのである。

 

「やれやれ、了子さんらしいっていうか、本当マイペースな人だよな」

「響さん……」

 

 奏は呆れたように笑いながら、そしてセレナは心配した様子で、響の背中へと声を掛ける。

響はこくりと頷くと、少しだけ震えた声で「へいき、へっちゃらです」と二人に答えた。

 

「きっと、いつかまた会えるって、わたしは信じてるから」

 

 強く――真っ直ぐな眼差しで、涙を振り切るように振り返ると、響は二人へともう一度手を伸ばす。

二人もまた頷くと、言葉も無く三人は手を繋ぎ合った。

そして響は――響たちは、共に歌を紡いでいく。

 

「「Gatrandis babel ziggurat edenal……Emustolronzen fine baral zizzl――」」

 

 そこから少し離れたところで、了子は三人の姿を遠く見届けていた。

その姿は、朧げに揺れ、霞みがかったように半ば透けつつある。

 

「私に出来るのはここまでよ。あとは、あなたたちで何とかしなさい」

 

 響たちの背中へ、そうとだけ呟くと、少しだけ残念そうに――けれど、微笑みを浮かべて、了子はそっと目を閉じる。

その身体はまるでその魂の残像を――想い出の全てを燃やし尽くしたかのように燐光を放ち、やがてその輪郭すらも薄らいでいく。

 

「あなたは『らしくない』って笑うかしら……でも、私にしては上出来でしょ?」

 

 それは、誰へと向けた言葉だったのか――

少しだけ自嘲気味にそう笑うと、程なくして了子は、その姿を揺蕩う世界へと溶かしていった。

 

 

 

 未来を中心とした六人が、その旋律を全て歌い終える頃。

六人とは別の、新たな歌声が、どこからとも無く鳴り響き渡った。

 

「この声は……まさか立花?」

 

 その、聞き覚えのある声に、翼は驚きを隠すこともできずにいた。

それは、失われたはずの響の声に他ならなかった。

 

「嘘でしょ? 有り得ないわ」

 

 マリアもまた、愕然として周囲を――声の主を、探る。

声は聞こえるが、未だその姿はどこにも見つからない。

 

「デタラメにも程があるデスよ!」

 

 まるで荒唐無稽な悪夢でも見ているかのように思えて、切歌は思わず声を荒げる。

それでもその顔には、少なからず喜びが浮かんでいた。

 

「でも、とっても響さんらしい」

 

 調はそう言って素直に喜びを浮かべ、響の姿を探すように、辺りを見回す。

 

「ったくあのバカ……心配かけさせやがって」

 

 涙交じりにクリスは悪態を吐く。

しかしその顔は、隠しきれない安堵に――あるいは喜びに、思わず綻んでいた。

 

「響……ッ」

 

 未来もまた、涙ながらに響の姿を探す。

 

「「――Gatrandis babel ziggurat edenal……Emustolronzen fine el zizzl」

 

 その旋律の全てが紡がれる頃、装者たちの胸元から、そのシンフォギアのコアから、鮮烈な輝きが放たれていく。

辺り一面を照らし出すそれは、訃堂の放つ禍々しき輝きとは別の、虹色の輝きであった。

それらはやがて一点へと集束すると、徐々に人の形を結んでいく。

 

「翼さんたちの周辺に、高出力のエネルギー反応を検知ッ!」

「これはアウフヴァッヘン波形……でもこの波形パターンは……ッ!」

 

 その現象は、本部でも同様に確認されていた。

藤尭と友里は、入り乱れた波形パターンに揃って驚きの声を上げる。

それは、新たなる聖遺物の波形か、あるいは――

 

「これは……もしかして」

「あぁ、彼女のしでかした事だろうよ」

 

 モニター上に表示された波形パターンは、未だその答えを明示してはいない。

しかし、その場にいる誰もが、誰に言われずとも一人の人物に行き着いているのだろう。

エルフナインの言葉に、弦十郎は笑いながら答える。

そのような事をやって除ける人物など、他に居るはずもない。

 

「照合完了……モニターに出ますッ!」

「なん……だとッ!?」

 

 その照合結果がモニタへと出力されると、そこに居る誰もが、思わず自らの目を疑った。

そして、弦十郎もまた、予想外の答えに驚きの声を上げるのであった。

 

 装者たちと同じく、そしてS.O.N.G.本部の職員たちと同じく。

信じられない光景を目の当たりにして、訃堂は愕然と――いや、狼狽えていた。

 

「馬鹿な……有り得ぬ! その身は一片の灰燼すら残さずに失われたはず……神ですら恐れた業火に身を焼かれ、不可逆な肉体の喪失を受けておきながら、何故蘇る! それは貴様の歌が起こした事なのか、貴様らの歌とは、その力とは一体何だ……何だと言うのだッ!」

 

 目の前の光景に狼狽え、己が目を疑い、訃堂は誰へとも無く矢継ぎ早に問うた。

――その問い応えるように、咆哮が響き渡る。

 

「「シンフォギアァァァァァァァッ!」」

 

――そうとも。

今、再びその身にシンフォギアを纏い、訃堂と対峙する少女たち。

ギアの放つ輝きに身を包み、並び立つその少女たち。

それは、紛れもなく。

天羽 奏。

セレナ・カデンツァヴナ・イヴ。

そして、ガングニールの装者。

立花 響――その少女だった。

 




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