戦姫絶唱シンフォギアASH   作:がめちょん

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この世界には歌がある。
命が失われ、想い出と変わっても、決して消えることの無い歌がある。
これは――命を賭して歌い続けた、九人の少女たちの軌跡。
――その終着の物語。


最終話  命燃え尽きて倒れても、終わることのない歌が

Rebirth-day

 

 

 漆黒の夜空を二つの光が分かつ。

空を灼く禍々しき紅蓮の輝きと――そして、シンフォギアより放たれた虹色の力の奔流。

それらは互いにその鮮烈さを増し、眩いばかりに煌々と輝いてゆく。

 宛らストロボを思わせるその明滅は、監視衛星越しに見守る人々の脳裏にその映像を――起こされた奇跡の光景を焼きつけるかのように、世界へと発信されていた。

そしてS.O.N.G.のモニタ上にも同様に、それらは映し出されていたのであった。

 

「アウフヴァッヘン波形が三つ……それに、彼女たちは……」

 

 エルフナインは、表示された三つのパターンに。そして、少女たちの姿に、愕然として声を上げる。

しかし、それも無理からぬことだろう。

存在するはずのないものたちが、そこには映し出されているのだから。

 

「彼女はマリアくんの……それに、奏……なのか?」

 

 弦十郎もまた、驚きを隠せずに声をあげる。

友里も、藤尭も、そして八紘・緒川らも。誰もが同じように、目を見張るようにして、食い入るようにして、モニタを見つめていた。

そこに映し出された二つの輝き。その中心に浮かび上がった――像を結んだ姿は三つ。

それはかつて、命の限りに歌い、砕けていった少女。

それはかつて、目覚めし脅威を眠らせるために、命を賭して歌った少女。

それはつい今しがた、絶望の火に灼かれ、失われたはずの少女。

戦いの最中でその命を――その身を失ったはずの少女たちの姿がそこには在った。

 

「響ッ!」

「うわっとと……」

 

 名前を呼ばれた――と同時に、その背中へと伸し掛かる重みを受けて、思わず響は前のめりになってよろめいてしまった。

背後から思い切り抱きしめられ、振り返ることすら出来ない。しかし、それが誰によるものかなど、確認せずとも分かる。

抱きしめる腕の感触も、名を呼んだその声も、背中から聞こえてくるすすり泣くようなその様子も、間違う事など有るはずもない。

 

「ごめんね未来、心配かけて」

 

 自らを抱きしめるその腕を、そっと撫でるようにして声を掛けると、ただただ未来は、言葉も無く首を左右へと振だけであった。

その様子に、安堵の表情を浮かべる響のそばへ、気付けばクリスもまた、やってきていた。

 

「っとに心配かけやがって、このバカ」

 

 呆れたように、しかし震えた声で悪態を吐いたクリスだった――が、響は予想に反して顔をパッと輝かせると、すかさずクリスの手を取り、満面の笑みを浮かべる。

 

「心配? 心配してくれたの? クリスちゃんが? ありがとう!」

 

 まるで、人懐っこい子犬を思わせるようなその喜び様に、唐突に手を取られたクリスは、今更ながらに照れ臭くなった様子で「お、おう」とだけ答えて、赤くなった顔を向こうへと向けるのであった。

 

「でも、本当に良かった」

「どうなるやらと思ったデス」

 

 調と切歌もまた、安心した様子で響のもとへとやってくると、クリスと入れ替わるようにして響の手を取った。

響もまた、その手を握り返すようにして「ありがとう」と笑いかけるのであった。

 

「奏……奏なの?」

 

 信じられないその姿に――その背中に、翼は震える声で問う。

あの日、あのライブ会場の惨劇の中、その少女の最期を確かに看取ったはずであった。

その光景は今でも瞼を閉じれば浮かぶほどに、鮮明に焼き付いている。

何度も繰り返し、悪夢の中で失い続けてきたその片翼は、しかし今、あの日と寸分違わぬままの姿で翼の目の前に立っていた。

 

「なんだい翼。相棒の顔を忘れちまうなんて、随分と薄情じゃないか」

 

 相も変わらぬ軽口で奏は笑う。

その笑顔も、声も、何年振りか。

もう一度会いたいと、抱きしめたいと、何度思ってきただろう。

言葉を交わしたいと、共に歌いたいと、何度願ってきただろう。

半ば飛びつくようにして、翼はその身体を思わず抱き竦めていた。

その腕に、手のひらに、頰に触れる髪と、鼻腔に感じる懐かしい匂いに、確かな存在を感じ、翼は思わず噎ぶようにして涙をこぼす。

 

「忘れるわけが無い……忘れられるわけ無いじゃない……」

「全く……相変わらず翼は泣き虫だ」

 

 突然の抱擁に驚きは見せたものの、縋るようにして泣く翼の姿に奏は優しく微笑むと、そっと髪を撫でる。

大げさに「おーよしよし」とあやすようにその背中を叩きながら、奏自身もまた、その懐かしさにふっと目を細めるのであった。

そしてもう一人――

 

「セレナ……あなたなの?」

 

 唇が震え、上手く言葉を結んではくれない。それでも何とか振り絞るようにその名を呼ぶと、セレナは黙って頷いた。

振り返るようにして、その手をと差し出され、マリアは、恐る恐るその手に触れ、そっと握りしめる。

 確かな生命の温かさと柔らかさがそこにはあった。

変わらぬ幼いその姿を、マリアは強く、強く抱きしめて、ただ「会いたかった」と呻く。

窒息しそうなほどに抱かれて、セレナはぷは。と息を吐きながらも、嬉しそうに笑った。

 

「みんなの歌が――響さんの繋ぎ束ねる力が、わたしたちにもう一度だけ立ち上がる力を、仮初めの身体を与えてくれた」

 

 仮初め――その言葉にマリアはセレナの姿を確かめるように見つめ、その身体が幽かに透き通るように光を放っているの事に気が付く。

――それでも。と、セレナをは抱き竦めると、声を上げて泣いた。

セレナもまた「わたしも会いたかった」と抱きしめ返すのだった。

幼い日に死に別れ、もう決して会う事など出来ないはずの相手は、しかし今、確かにそこに存在していた。

 その再開の喜びも束の間――

 

「下らぬ茶番をッ!」

 

 訃堂の怒声が辺りにこだまする。

それは、予期せぬ響たちの復活に対する言葉だろうか。

それとも、ひとり状況から取り残されたことへの憤りによるものだろうか。

訃堂はその顔に怒りを露わにしては、わなわなと肩を震わせていた。

 

「歌……歌めッ! どこまでも忌々しい歌めがッ! あくまでそうして吾の前に立ちふさがると言うのなら――」

 

 訃堂はその言葉通り忌々し気にそう吐き捨てると、その槍の穂先を一同へと――響へと差し向ける。

神すら恐れ、禁じたその力を、三度撃ち放つべく輝きの集束を加速させていく。

それは可視化された破壊の力、紅蓮の輝き。

少女たちへと絶望を突きつけた、狂気の瞬き。

極限まで高まりつつあるそのエネルギーは既に、先程あの閃光が放たれた時と同等のレベルへと迫りつつあった。

 

「高出力のエネルギー反応、集束していきます!」

「これまでのデータから推測される、発射までの残り時間、およそ六十秒ほど……このままでは――」

 

 コンソールを弾きながら、友里と藤尭は揃って声を上げる。

それが今一度撃ち放たれてしまえば、最早止める術などは無い。

阻止するにはただ一つ――

 

「それまでに何とか発射を止めないと……皆さんッ!」

 

――そう、訃堂本体を叩くしかあるまい。

 エルフナインの言葉に、一同はその槍の穂先を見据える。

しかし、その想いも虚しく、今まさに三度神の火を放たんと、訃堂はその穂先を輝かせていた。

 

「止められるものか……いま一度、歌もろともに灼かれ死ぬが良いッ!」

「歌は死なない――死ぬもんかッ!」

 

 訃堂の言葉に拳を構え、響は吼える。

その瞳に、その声に諦めなど宿してはいない。

折れることのない確かな意志を以て、少女は今、目の前の男へと向かい合う。

 

「そうとも。例え命が尽きたって、この胸の歌は死んだりしない……そいつは誰かの胸に受け継がれて、鳴り響いていくんだ」

 

 奏はもう一振りのガングニールを携えるように、響の隣へと立つ。

かつて自らの歌が、そうして響へと受け継がれていった事を、奏こそがよく知っていた。

 

「祈りや願いが刻まれた、想い出の軌跡。それが歌だというのなら、わたしたちは――人はずっとそれを紡いできた。そう簡単に死なせはしませんッ!」

 

 セレナもまた、アガートラームの剣を手に二人と共に並び立つ。

自らが歌い、纏ったそのシンフォギアは、いま愛する姉が同様に歌い、纏っている。

その祈りも、想いも、マリアへと託され、受け継がれている事を知っている。

 

「大それたことをッ! 果敢なき者共がッ!」

 

 訃堂の咆哮と共に閃光が放たれた。

それは三度夜空を灼き、宵闇を分かち、少女たちを飲み込まんと疾走する。

視界すらも歪むほどの熱量を以て、その周囲の景色を歪めていく。

 

「皆さんッ!」

「お前たちッ!」

 

 白んで行くモニタへ向けて、弦十郎とエルフナインは同時に叫び声をあげる。

絶望が、絶対なる死の輝きが、九人へと迫っていくのを最後に映像は掻き消えてしまった。

ただ、音が――声だけが、それでも確かに聞こえていた。

 

「セット! ハーモニクス!」

 

 響の声に呼応するように、脚部の、背面の、頭部のユニットが変形・展開し、輝きを発していく――と同時に右腕へと束ねられた両腕のユニットは、四枚の羽根を形成するように再構成され、高速で回転を開始した。

虹色の力の奔流が集束し、束ねられ、一つの輝きを発する。

響はその拳へと、虹色の力の奔流を握りしめ、咆哮と共に天へと衝き立てた。

 

「束ねた軌跡を奇跡に変えてぇぇぇッ!」

 

――刹那、放たれた閃光と、虹色の力の奔流がぶつかり合い、眩い輝きが世界を照らす。

 激しくぶつかり合う二つの力は、宛ら太陽のような光を発しながら、天を衝く巨大な竜巻の如く屹立し、空の高みへと放たれていく。

やがて、それらが徐々に闇夜へ溶けて搔き消える頃。そこには真白く輝く九つの姿が浮かんでいた。

 

暁切歌のイガリマが。

月読調のシュルシャガナが。

雪音クリスのイチイバルが。

風鳴翼の天羽々斬が。

小日向未来の神獣鏡が。

マリア・カデンツァヴナ・イヴと、セレナ・カデンツァヴナ・イヴのアガートラームが。

そして、立花響と天羽奏のガングニールが。

白の――エクスドライブを成したギアを纏い、並び立っていた。

 

「馬鹿なッ……!」

「エクスドライブだとォッ!」

 

 愕然とする訃堂と同じく、ようやくに映像を回復させたモニタの前で、弦十郎もまた驚愕し、思わず声を上げていた。

その、白く輝く姿。

変形したギアも、そのギアからはためく翼も、見紛う事なきエスクドライブの輝きであった。

 

「そんな……だけどそんなフォニックゲインをどこから……」

「六人の絶唱だけでは、それだけのエネルギーを集めることなんて……」

 

 友里と藤尭は、そのデータに目を通すが、その高まりを示す根拠など、どこにも見つけられはしなかった。

 

「おのれ……おのれ、おのれ、おのれッ! 歌如きが! どこまでも立ち塞がりおってッ!」

 

 地団駄を踏んでいるであろう事が見て取れるほどに、訃堂は狼狽し、苛立ち、吐き捨てる。

ヴィマーナより屹立したその仮初めの肉体に――その顔にすら青筋を浮かべながら、忌々しげに歯噛みする。

その様を、奏は鼻で笑う。

 

「歌如きだって? よくも言ってくれるじゃないか爺さん」

 

――歌の力、見せてやる。と言わんばかりに、手にした槍を訃堂へと向ける。

 その強い眼差し、強い意志に寄り添うようにして、翼もまた隣へと並び立った。

――この邂逅は泡沫……だとしても、わたしは奏ともう一度ッ! そう、胸の想いを強く、より強く抱き、懐かしいその少女の名を呼ぶ。

 

「奏ッ!」

「あぁ、一緒に飛ぶぞ! 翼ッ!」

 

 翼の想いを言外に察し、奏は笑い掛けると、一気に飛び出した。

一同に先行して翼と奏は、互いの旋律を重ね合うように、歌い、飛翔する。

 

「耳澄ましてよぉく聴けよな爺さん」

 

 悪態をつき、目線を翼へと向けると、二人はにやりと笑い合い、言葉もなく頷き合う。

剣と槍を携えて、両翼を夜空へと棚引かせるように、今――二人は空を駆けていく。

 

「ツヴァイウィング――」

「今宵限りの――」

「「――再演だッ!」」

 

 懐かしいその歌声に乗せて、絡ませ合うように紡ぐ。

二人のギアは、その歌に呼応するように展開していく。

分裂した槍が――無数の短刀が、流星となって訃堂を、ヴィマーナを襲う。

 

「ぐうッ……」

 

 その腕を以て薙払おうにも、そのいくつかは訃堂の防御を掻い潜り、ヴィマーナの外殻へと命中していく。

しかし、そうは言っても、それが起動した聖遺物である以上、簡単に破壊できるはずもなく、船体へのダメージは軽微と言えるものであった。

 

「まだまだァ!」

 

 奏はガングニールの穂先を回転させて一息に飛び込むと、その外殻へ深々と抉り込むように一撃を見舞う。

その背後には既に、翼が巨大な刃と化した天羽々斬を高々と掲げていた。

 

「この一太刀は、貴様への――風鳴の家への決別の意思と知れッ!」

 

――一閃。

 それは宛ら巨大な断頭台の刃の如く、訃堂へと放たれる。

バルベルデにて、敵艦を両断したその一撃を以て、ヴィマーナの船体へと決別の刃を突き立てる。

 激しい衝突音と破片をまき散らしながら、船体が揺らぎ、訃堂の呻くような声が響く。

回避も防御もままならぬほどの一撃は、確かにヴィマーナを捉えていた。

 

「やったか!?」

「いや……直撃の間際に、僅かながらに躱されてしまったッ……」

 

 歓喜を浮かべた奏の言葉に、しかし翼は苦々しげに答える。

その言葉通り、振り下ろされた刃は既のところで躱され、船体側面を削ぎ落としたに過ぎず、致命傷を加えるまでには至らなかったのである。

 

「図に乗るなッ!はかなきもの共がッ!」

 

 再び攻撃を加えようと体勢を立て直す二人へと、訃堂は怒りを露わにして、その右腕をヴァジュラを掲げると、雷撃を浴びせかける。

青白い稲光は幾重にも重なり、虚空を跳ねるようにして二人へと襲い掛かかった。

それは、回避すらする間もないほどの速度で二人へと迫る。

 

「姉さんッ!」

「えぇ、分かってるわッ!」

 

 一同がその窮地に声を上げるよりも早く、マリアとセレナの二人は、奏と翼の前に飛び込んでいた。

互いにバリアを展開し、辛うじてその雷撃を受け止めると、ぶつかり合った雷撃は、四方八方へと散り散りに、青白い稲光を散らした。

 

「悪ぃな、助かった」

「すまない、二人とも」

 

 奏たちは短く礼を言うと、訃堂を睨め付ける。

眼前のその男は、未だ色濃い忿怒の様相を呈しており、ふぅふぅと荒い息をついているのが見て取れる。

――まるで獣だな。と、翼は内心にそれを憐れむ。どうしてこのような男に、皆怯えるように従っていたのか。と、今では不思議な程に、今の訃堂には威厳も恐怖も感じられずにいた。

 

「近付けば雷撃……かといって離れていればいずれはあの強力な兵器。このままでは……」

「そうね……次がチャージされるまでにカタをつけなければ」

 

 翼とマリアの言葉に四人は意思を確かめ合うように頷いた。

事実、既に訃堂の持つ槍には、既に僅かばかりではあるが光が宿り始めている。

それを退けられるほどの奇跡など、そうそう何度も起こせはしないだろう。

 

「おまえら、あたしらだって負けてらんねぇぞ!」

「はいデス!」

「わたしたちだって!」

 

 クリスたちもまた、四人に負けじと訃堂へと攻撃を集中させていく。

無数に放たれたミサイルは、しかし雷撃の一薙ぎによってその大半が破壊されていく。

それでもその内のいくつかが着弾し、爆煙をあげると、切歌と調はその隙を突いて一気に間合いを詰めて行く。

 

「いただきデースッ!」

「その腕さえ落としてしまえばッ!」

 

――まずは左の槍、そして次に右腕を! と、二人はほぼ同時に、訃堂の腕へと斬りかかる。

 それは確かに訃堂の左腕を深々と斬り裂き、切り離すのに成功した――かのように思われた。

しかし、右腕へと向かおうとする二人は、思わずその目を疑った。

 神の舟より得た力により、神の力として再び顕現したそれは、ティキがそうであったようにその不死性すらも、獲得していたのだろうか。

確かに斬り落としたはずの左腕は、並行世界に跨るようにして再生――あるいは復元を果たしていた。

 

「駄目デスッ!」

「やはりここは響さんでないと……ッ」

 

 振り返った調の視界に、響の姿が映る。

その言葉よりも早く、響はその拳を構えて飛び込んできていたのであった。

 

「はぁぁぁッ!」

「させるものかッ!」

 

 空を切り裂き真っ直ぐに迫る響の拳は、しかし訃堂へと――ヴィマーナへと届くことは無かった。

突如、ヴィマーナの周囲に、黒煙にも似た闇が立ち上がり、それらは船体を覆い隠して余りある量をもって、響の視界を遮ったのだった。

 

「くッ……外したッ!?」

 

 渾身の拳が空を切り、響は反対側から闇を突き抜けて飛び出すと、再び訃堂の元へと向かおうと振り返る。

しかし、相も変わらずその空域に満たされた闇は、訃堂の姿も、船体そのものも覆い隠していた。

 

「見えなくたって、数をばら撒きゃ――」

 

 闇の中心点へ向けて、クリスのイチイバルより無数の弾丸が、そしてミサイルが放たれて行く。

しかしそれは、先程までと同じく、雷撃によりその悉くが無力化されてしまうのであった。

 

「貴様一人を葬るだけであれば、これだけで充分よ」

 

 その闇の中、僅かに灯る光が響へと差し向けられる。

三度放たれたそれらに比べて、ごく小さなその輝きは、しかし確かな破壊のそれであった。

世界を焼き払うとまでは行かずとも、神の力に対抗し得る響さえ葬り去ることが出来れば、最早誰にも訃堂を止められはしまい。

他の誰よりも訃堂自身がそう、理解していた。

 それ故に、ただ一人分の殺意を宿し、今やそれを放とうとしているのだ。

 

「響―ッ!」

 

 槍の穂先を差し向けた先――響のすぐ背後に未来の姿が舞う。

未来の声を聞いた響は、言外に意図を察し、入れ替わるようにして未来の背後へと後退る――と同時に、エクスドライブで引き上げられた出力によって大きく展開された鏡より、高輝度の閃光が幾条にも放たれた。

それは、船体を覆う闇を容易く打ち払い、光の中へと呑み込むようにしてヴィマーナを直撃する。

 

「ぐおぉぉぉッ! 目がッ! 目がぁぁぁッ!」

 

 響の姿を目で追っていた訃堂は、不覚にもその閃光に目を焼かれ、視界を失い身悶えする。

確かに響を捉えていたはずの訃堂の槍は今、その穂先を定めることすらままならず、虚空へと向けられていた。

 

「おおおぉぉぉぉッ!」

 

 その隙を、勝機を逃す事なく、響は再び訃堂へと突貫して行く。

真っ直ぐに、最短で、一直線に――苦し紛れに放たれようとした、その槍を携える左腕へと向けて。

――刹那。

 僅かな閃光が瞬き、装者たちの目を眩ませる。

発射の間際に捉えた響の拳は、確かに訃堂の左腕を捉え、粉砕させた。

行き場を失ったエネルギーは、それと同時に周囲へと爆散し、響もまたその衝撃に打たれて弾かれるように飛び出したのであった。

その背中を、すかさず未来は受け止める。

 

「大丈夫? 響」

「ありがと、未来のおかげだよ」

 

 二人は笑い合うと、視線を戻して訃堂の姿を見据える。

失われた左腕を再度復元しようと踠く訃堂だったが、しかし響とガングニールによる『神殺し』の特性は、神の力による不死性をも、確かに打ち砕いたのであった。

 

「やったデス!」

「さすがッ!」

 

 切歌と調もまた歓喜の声を上げる。

忌々しいあの左腕――その槍の力さえ無くしてしまえば、先程までの力は放てまい。と、安堵する。

 事実、今の訃堂は復元すらままならぬ様子で、身悶えするのみであった。

 

「おのれ……神殺しがッ!」

 

 訃堂は激しい雷撃をもって船体を包んで行く。

砕けた左腕の近辺へ新たな腕を構築すべく歪に変形を見せてはいるが、それには恐らく時間を有するのであろう。

復元よりも先に訃堂は敵を――響たちを排除する事に専念しようと考えたようであった。

 迸る雷撃とともにその船体の各所から、大小様々なアルカ・ノイズが放たれて行く。

それらは、力の占有を図るべく、草の根を分けるように探し出し、狩り尽くしたパヴァリアの残党より得たものであった。

 

「ここでアルカ・ノイズのばら撒きたぁ今更が過ぎんだろ、爺さん!」

 

 ヴィマーナの近辺から溢れ出たアルカ・ノイズへと向けて、装者屈指の火力によりクリスは一気に殲滅を試みる。

その数は数千――いや、数万ほどにも及ぶだろうか?

だったとしても、エクスドライブを果たした今、彼女たちにとって大した数では無いだろう。

 

「数は多い……けど、敵じゃない」

「往生際が悪いデスッ!」

 

 調と切歌もまた、互いの力を合わせるように、アルカ・ノイズの殲滅へと移る。

鋸と鎌による斬撃は、宛ら草でも刈り取るかのように、大群を見る見るうちに排除して行く。

 

「わたしたちも行きましょう、セレナ」

「うん、行こう姉さん!」

 

 二人分のアガートラームが、アルカ・ノイズの群れの中へ白銀に閃く――と同時に、それらは一息に切り裂かれ、あるいは閃光に焼かれ、紅い塵へと還っていく。

マリアとセレナの間にある、長きに渡る死別の時。

しかし今、二人はその空白の時間など存在しなかったかのように、互いに息を合わせて戦っていく。

 

「立花ッ!」

「こいつら雑魚はあたしらに任せて、おまえはあいつをやってくれッ!」

 

 翼が――奏が、そして他のみんなが、響へと託す。

未来を、そして可能性を。

ただ一人、それを成し遂げられる響を信じ、任せて戦っている。

裏切りや、ぶつかり合った事など、まるで無かったかのように。

 

「響、行こう」

「うん、行こう。未来」

 

 二人もまた、並び立つ。

今、同じ場所で、同じ敵を見据え、同じ想いを胸に、二人は並び立つ。

その唇から二人――共に同じ旋律を口ずさみながら、そして飛び立っていく。

 

「目など見えずともッ!」

 

 二人へ目掛けて雷撃が迸る。

視力を失った訃堂は、それでもなおヴィマーナの機関により感覚を統制し、響たちの位置をおおよそには把握出来ているようであった。

夜空を青白く、跳ね回るように伝播するその雷撃は、宛ら意思を持った生き物のようにうねり、襲いかかる。

 

「雷はわたしがッ!」

 

 響の背後から展開された鏡から、幾条もの閃光が放たれては、聖遺物の力を減衰し消し去るその力を以て、迫り来る雷撃を――その悉くを飲み込んでいく。

 響の眼前。

開かれた雷撃の先に訃堂の姿が、ヴァジュラを手にした右腕が、目に映る。

雷撃を再び放つまでの僅かな間隙を、逃すことなく捉えていく。

 

「貫けぇぇぇぇッ!」

 

 渾身の拳が放たれる。

それは、ヴァジュラの中心を射抜き、そのままに訃堂の右腕を一息に貫いていく。

肩口までを粉砕された訃堂は、大きくよろめきながら、断末魔の叫びを上げた。

 

「やりましたッ! 皆さんッ!」

 

 その一部始終を見据えていたエルフナインは、思わず歓喜の声をあげる。

――いや、エルフナインだけではなかった。

弦十郎も、八紘も、緒川も友里も藤尭も、誰もが安堵していた。

S.O.N.G.本部の誰もが――そして、装者たちもまた誰もが、戦いの終わりを確信していた。

その両の腕が失われた今、訃堂は完全に無力化されたのだと。

そう――そのはずだった。

 

「ぐあッ……!」

 

 その安堵も束の間――横薙ぎの衝撃を受けて、響はその全身を弾き飛ばされていた。

受け身を取ることも叶わず、直撃したその衝撃に思わず呼吸もままならず、喘ぐように転落していく。

 

「響ッ!」

「立花ッ!」

「響さんッ!」

 

 各々が悲痛な声を上げる。

それは、復元途中で放棄された左腕による一撃であった。

雷も、神の火も宿してはいないただの殴打ではあったものの、その直撃による衝撃とダメージは、とても軽微なものとは言い難く、ガングニールの破片が幾つも飛び散っていく。

 その身体が地面に衝突する間際、なんとか追いついた未来は、響の身体を受け止めた。

一同が胸をなで下ろしたのも束の間。

装者たちの眼前で、再び船体は雷撃を纏っていく。

 

「嘘だろッ!?」

 

 クリスは思わず己の目を疑い、声を上げていた。

両腕を破壊してもなお、雷撃を纏うその姿を、信じられないと言った面持ちで見据える。

 

「そんな、腕も聖遺物も破壊したはず……」

「なのに何でまだ戦えるんデスかッ!?」

 

 左腕は幾らか復元が進んでいるものの、右腕の方は未だに打ち砕かれたままであった。

しかし、それはあくまでティキの残骸から造り出した仮初めの肉体に過ぎなかった。

謂わば、聖遺物本体ではなく、ただの砲塔に過ぎないのである。

 

「果敢なきもの共が……本当の聖遺物が無事な限りこの力もまた健在……仮初めの肉体を破壊した程度で、吾を押し留められる等と思うてくれるなッ!」

 

 その言葉を証明するかのように、再度その船体より青白き雷撃が迸る。

それは宛ら意思を持ったかのように響を――そして、抱きかかえるように飛翔して逃れる未来を執拗に追い、雷撃の舌を、触手を伸ばして行く。

 

「立花ッ! 小日向ッ!」

 

 翼は千ノ落涙を以てして、無数の短剣により押し留めようとするが、雷撃相手では妨げる事すら出来ず、ただただ乱反射をさせるのみであった。

己の不甲斐なさに思わず歯噛みする。

 

「くっ……遠距離からじゃ効きゃしねぇ!」

「かと言ってここからでは直接的な援護も……どうすれば良いのッ!」

 

 それはクリスのミサイルでも、マリアたちの短剣でも同様であった。

攻めあぐね、援護すら難しい状況に、クリスもマリアも思わず弱音をこぼす。

まして、接近戦を主体とする調と切歌では言わずもがなであった。

 

「未来ッ!」

「響!?」

 

 追い縋る雷撃がすぐ背後まで来ている事に気が付き、響は半ば突き飛ばすように未来の支えから逃れると、一人その身に雷撃の直撃を受ける。

帯電するその身体を、未来は咄嗟に再び受け止めると、その異変に気が付いてはっとした。

 

「響……?」

 

 いつからだろうか?

その身体は随分と薄ぼんやりと透けたように見え、抱きしめる感触もまた、頼りないほどに弱々しい。

まるで今にも目の前から消えてしまいそうなその姿に――その有り様に、未来は心配そうにを抱くが、響は気丈に笑ってみせる。

 

「へいき、へっちゃら……だって、わたしは一人じゃない……みんなが居てくれる。だからまだ、頑張れるッ」

 

 よろめく身体を押して、響は立ち上がると、再び訃堂の眼前へと向けて飛翔する。

未来もまた、その身体を支えるように寄り添って、共に飛び立っていく。

気付けばアルカ・ノイズを片付けた一同も皆、響の元へ集まって来ていた。

 その耳元へ、ふと本部からの無線が届く。

それは懐かしく、優しく、そして力強い声であった。

 

「そうとも、君は一人なんかじゃない。一人になんぞさせるものかよ」

「師匠ッ……!?」

 

 発令所のカウンターにもたれかかるようにして、弦十郎は無線を発していた。

傍では緒川が、心配そうにその身体を支えているものの、それらを悟られまいと、弦十郎は声を張る。

響はその言葉に、声に、半ば泣き笑いのような顔をして、安堵した。

 あの日、自らの手で傷付けてしまったはずの弦十郎が、それでも自分の事を受け入れてくれるのが嬉しくて。

 

「響さんッ! こちらから観測する限り、ヴィマーナのエネルギー炉心は、船体中心――その底部に近い位置にあると思われますッ!」

 

 エルフナインは、友里・藤尭とともに観測・分析したデータから、そのエネルギー源を推測し、響へと手短に伝える。

恐らくは、そこにこそ訃堂の本体は居るのだろう。

そして二振りの聖遺物もまた、そこにあるのだろう。

――ならば狙うはその一点である。

 

「腕など無くともッ!」

 

 両腕を無くした訃堂は、それでもその口腔内へと力を――光を集束させていく。

禍々しい紅蓮の輝きは、既に随分と煌々と宿つつある。

最早一刻の猶予も有りはしなかった。

 

「やれるか、響くん」

「わかりました、やってみます!」

 

 響は目の前に、真っ直ぐ訃堂の姿を捉えると、拳を構える。

その背中を後押しするように、一同もまた並び立ち、響へと力を集めていく。

それらは巨大なフォニックゲインの塊となり、やがて実体化したそのエネルギーは、巨大な拳を形成していく。

 

「何をするつもりかは知らぬが、そこへ集っていると言うのならちょうど良い。まとめて灼き尽くしてくれるッ!」

 

 その口腔内の輝きが増していく。

今や、眩いばかりに輝くそれは、その姿を目視にて捉える事すらもままならない程であった。

残された勝機は一度にして一瞬。

しかし、迷いも、諦めも、誰一人抱いてなどはいなかった。

ただ響を信じ、響に全てを託していく。

 

「フォニックゲインで出来たこの身体は、今日にだって消えてしまうかもしれない……だけど、それでも、守った明日は――未来は消えたりしないッ!」

 

 拳を握り、狙いを定め、響は一息に飛び出した。

それは夜空を切り裂くように、最速で、最短で、まっすぐに――一直線に訃堂の、その船体のエネルギー炉心へと、宛ら一振りの槍のように放たれていく。

 

「させるものかッ!」

 

 ヴィマーナのセンサーとも言える機関の働きによりその接近を悟った訃堂は、突貫する響を迎え撃つべく、天を衝くその豪雷を一点へと集束させていく。

それは間も無くして、巨大な稲妻の塊となって、響へと襲い掛かった。

 

「おおおぉぉぉぉッ!」

 

 握った拳を開き、豪雷を受け止めるようにして響は尚も突き進む。

帯電した空気が肌を焼き、その身に纏うシンフォギアをショートさせるように火花を散らしながらも、響は決して折れることなく突き進んでいく。

その雷撃を切り裂くように、打ち砕くように。

 誰もが響の名を呼び――叫ぶ。

力よ届け――と。

歌よ届け――と。

強く祈りながら、その背中へと祈るように、押すように拳を突き出して。

 

「稲妻を喰らい――」

「――雷を……握り潰すようにぃぃぃッ!」

 

 弦十郎と響は、共に声を合わせるように吼える。

かつて教わった、その拳の使い方を。

大切なものを守ろうと手に入れた力を。

そしてその意思を握りしめて、ただ真っ直ぐに――真っ直ぐに貫いて行く。

 

――刹那の静寂。

 月を背に、二つの影が交差する。

巨大な船影を貫くようにして一筋の影が通り過ぎると、間も無くして中天に、眩い輝きが瞬いた。

それと同時に、辺り一面に爆風が吹き付けて、海は再び猛々しく荒れ狂っていく。

それは宛ら小型の太陽が落ちたかのように、夜の闇を照らし上げ、やがてゆっくりとその輝度を失って行くと、静寂のみが後には残されていた。

 

 

未来へ向かって、咲き立つ花

 

 

「はかなきものが……この力失くして、どうアヌンナキに対抗する。この国を――星を蹂躙せしめんとする夷狄を、どう討ち滅ぼす事が出来ると言うのだ」

 

 粉々になったヴィマーナの残骸の中に、挟まれるようにして訃堂は横たわりながら、呻くように響を詰る。

息も絶え絶えに、振り絞るように吐き捨てるその姿からは、その目前に死が迫っている事を窺い知れるようだった。

その、僅かな時間に怨嗟を吐き散らす訃堂の手を、そっと握るようにして、響は問い掛ける。

 

「戦わないで分り合うことは、出来ないんでしょうか……」

 

 優しく包むようなその手を振り払うと、訃堂は苦々しげに天上の月を仰ぎ見た。

既に光を失ったその瞳には、何が映っているのだろうか。

その胸中に、どのような想いを抱いているのだろうか。

 

「世迷言を……語り合う言葉すら取り上げた者共と、わかり合う事など出来るものか」

 

――馬鹿げた事を。と吐き捨てると、訃堂はゆっくりと息を吐き、翼を見据える。

 その瞳は何処と無く澄み渡り、優しささえも窺わせているようであった。

――いや、あるいは諦観によるものだろうか。

訃堂は、しばらくそうして翼の姿を眺めた後、弱々しくその手を――指先を、頭上の月へと指し示す。

 

「彼奴等は間も無く月へと現れる。示して見せるが良い、貴様等の……信念を……」

 

 そうとだけ言い終えると、伸ばした手をゆっくりと下ろし、訃堂は事切れた。

誰一人、言葉を発するものは居なかった。

ただ、風の音だけが、耳元で鳴っていた。

束の間の静けさだけが、辺りに充ちていた。

 しかしそれは、唐突な本部の警報音に破られる事となる。

 

「どうした藤尭ッ!」

「これは……月遺跡近辺に、異常な高エネルギー反応……それも、一つや二つじゃありません!」

 

 その言葉に、弦十郎も慌ててモニタへと視線を移す。

藤尭の言葉が示す通り、そこには夥しい数の反応が捉えられていた。

 

「十や二十どころじゃありません……百、いや、それ以上に増え続けています……!」

「まさか、これが全てアヌンナキだって言うの?」

 

 無数の巨大な反応を前に、藤尭も友里も、弦十郎すらも言葉を失っていた。

見上げた月のその表面に、無数の光点が明滅する。

それは、徐々に数を増し、そしてこちらへ近づいてくるかのように大きくなっていく。

 

「こちらでも確認しました……月の上に、肉眼で捉えられるほどの多数の光点を」

 

 報告する翼の声からは、感情が失われているようだった。

唖然とした面持ちでそれらを眺めて居たのは、翼だけではない。

そこにいる誰もが同様に、ただただその光景を見上げて居た。

 

「その一つ一つ……どれもが絶唱級……いえ、それ以上です。こんなの、どうすれば……」

 

 エルフナインの声も、絶望に満ちていた。

抗いようの無い絶対的な力が、いま目の前に、この星を覆い尽くさんばかりの量で現れたのだから、それも無理からぬ事だろう。

キャロルをも――あるいは訃堂のヴィマーナすらも凌駕するそのエネルギーは、未だその数を増し続けているのだ。

 

「みんな、もう一度だけ力を貸してくれないかな」

 

 響は、そう言って笑いながら振り返る。

唐突な響の言葉に戸惑う一同は、しかし抗う間も無く、半ば強制的にギアの力を取り上げられて、インナーギア姿のみが残された。

 

「おまッ……どういうつもりだ!」

 

 食ってかかろうとするクリスだったが、何も言わずに笑顔を――少しだけ寂しそうな笑顔を向けられて、思わずそれ以上何も言えなくなってしまう。

その笑顔の裏に込められた響の想いを言外に察してしまい、何も――何一つ言葉など発する事は出来なくなってしまう。

 

「翼さん。半人前だったわたしを、ずっと引っ張ってくれてありがとうございました。勇気をくれた翼さんの歌、これからもずっと楽しみにしてますから!」

「立花……?」

 

 まるで、遺言のようなその言葉に、翼は困惑する。

――馬鹿なことを言うな。と、口に出したいのに、どうにも言葉に詰まってしまう。

言葉も無く、ただただ口をぱくぱくとさせる翼へと、響は改めて笑いかけた。

 

「マリアさんも……いつかわたしが力の使い方に迷った時に、叱ってくれましたよね。おかげでわたし、立ち直ることができました」

「そんな……わたしの方こそあなたが居たから踏み留まる事が出来た。感謝するのはわたしの方よ」

 

 マリアに礼を言われ、響は少し照れ臭そうに笑う。

響の想いを、意図を言外に察し、引き留めようとするものの、マリアもまた言葉に詰まり、口ごもってしまう。

 

「切歌ちゃん。わたし、切歌ちゃんって何だか他人の気がしなくて、妹がいたらこんな感じかなって思ってたんだ。もっと……もっと姉妹みたいに話してみたかったな」

「だったら、今度一緒に出掛けるデスよ! お揃いの服を着て姉妹みたいに……」

 

 哀願するような切歌の約束に、けれど響は言葉もなく、申し訳なさそうな顔で笑って応える。

その無言の答えが、響の想いを窺わせる。

 

「調ちゃんの作ってくれた料理、本当に美味しかった。来年の誕生日もまた食べたかったな」

「わたし、また作ります……誕生日じゃなくたって何度も、だから――」

 

 今にも泣き出しそうな調へと、響は「ありがとう」とだけ返し、微笑んだ。

 

「クリスちゃん……あの時、わたしの名前呼んでくれたでしょ? 本当はね、あの時すっごく嬉しかったんだ。もっともっと、沢山呼ばれてみたかったな……」

「これから何度だって呼んでやる……たがら、そんな、これで終わりみたいな言い方するんじゃねぇよッ」

 

 肩を震わせ、泣きながら答えるクリスに、響も涙を堪えながら、小さく「ごめんね、ありがとう」と微笑みかけると、未来の方へと向かい合う。

 

「未来……」

「響……」

 

 響は、何度も何かを言おうとして、口を開くものの、言葉が上手く出てこない。

伝えたい事は幾らでもあるはずなのに――だからこそ、本当に伝えたい言葉が、上手く出て来てくれそうにないのかも知れない。

 その手をそっと繋がれて、響はハッとして未来の顔を見る。

未来もまた、目に涙を浮かべて、それでも懸命に、笑顔を作っていた。

響の想いを察するかのように。

 それが嬉しくて、胸が詰まりそうで、響は小さく「へへ」と笑う。

 

「春になったらね、また流星群が見られるらしいんだ。わたしはそれを未来に……みんなに見せてあげたい」

「うん……わたしも響と一緒に、また流星群を見たい」

 

 未来は精一杯の笑顔を作って応える。

その頰を幾つもの涙が溢れ、地面を濡らしていく。

 

「うん……そうだね、約束だ」

 

 響は嬉しそうに笑い、そして――手を離す。

柔らかな感触が、温かいその温もりが、離れてしまう。

 

「必ず、帰ってくるから」

 

 真っ直ぐな眼差しでそうとだけ言うと、響は振り返り、駆け出していく。

その手を――背中を、追い縋るように未来は手を伸ばした。

けれど、しかし、駆け出したその背中は遠く――

 

「――響ッ!」

 

 堪え切れなくなりその名を呼ぶが、響は振り返らない。

月へと向かい一気に飛翔していく。

未だその数を増やし続ける頭上の反応へと向かい、真っ直ぐに。

 遠ざかるその背中から、旋律が、歌が、紡がれる。

それは何処までも悲しく、勇ましい。

『悲壮』という言葉が相応しい歌だった。

 

「さて、と……そんじゃ、あたしも行ってやらないとな」

「奏……?」

 

 ただただ黙って見送るしか出来ずに居た一同の中、奏は一歩踏み出す。

その横顔に浮かぶ笑顔は、何処と無く寂しさを窺わせていた。

 

「この身体は、あいつからの借りモンだ。返してやらなくちゃいけないだろ?」

 

 翼の方へと向き直り、奏は「にっ」と笑う。

いつかのように――いつものように。

変わることの出来ないあの頃の、少女のままの笑顔で。

 

「翼……歌うの止めんなよな。あんたが歌ってる限り、あたしは此処に居るからさ」

 

 そう言って奏は翼の胸のあたりを、拳でトンと叩く。

触れられたあたりから、ぢわりと全身に熱が伝わるような感覚が広がったように思えたのは、気のせいだろうか。

思わず、触れられた辺りを確かめながら、翼は奏へと聞く。

 

「わたしは、歌ってもいいの……? だって奏はわたしが一人歌う事を――」

「ったりまえだろ? あの時だって言ったじゃないか……『許すさ』って」

 

 奏が呆れたように口にしたその言葉に、翼の瞳から大粒の涙が溢れる。

ずっと、自分の記憶の中の姿でしかないと思っていた。

胸に焼きついたままの想い出だと思っていた。

けれどそれは、歌の力が繋いでくれた、本当の奏の言葉だったのだ。と、今更ながらに知らされて、ずっとそばに居たのだと気付かされて、翼は思わず嗚咽を漏らす。

 そんな翼を、奏はそっと抱きしめるのだった。

 

「相変わらず、翼は泣き虫だ」

「そういう奏は意地悪だ……でも、そんな奏がわたしは大好きだよ……これからも、ずっと」

 

 そんな翼に、奏は少しだけ照れ臭そうに「ばーか」と笑いながら、そっと身体を離す。

その身体は既に随分と透明がかり、消えてしまいそうな儚ささえ漂わせていた。

「じゃあな」と、響の元へと空を駆けて行くその背中へ伸ばされた手は、けれど触れることなく空を掴む。

 その指先に、虹色の残滓を残して――

 

「行くのね、セレナ」

 

 涙交じりのマリアの言葉に、セレナはこくりと頷く。

セレナもまた、奏と同じく響の元へ向かおうとしているのだとは、すぐに分かった。

心配そうに見上げる眼差しが――そして、マリアへと向けられた優しい眼差しが、言葉も無くその想いを物語っていた。

 

「わたしも、マリア姉さんの生きているこの世界を――明日を守りたい……だから、行かなくちゃ」

「そう……そうね。あなたはいつだって優しすぎるから……」

 

 いつの間にか、身長も、身体の大きさも差がついてしまった。

大人になってしまったマリアとは違い、セレナはあの頃のまま、時を止めていたのだと思うと、胸が詰まる。

そんな一回り大きなマリアを、抱き寄せるようにして、セレナは抱きしめた。

その感触は、既に随分と薄ぼんやりとして、もう既にセレナの実体が失われつつある事が、マリアにもよく分かる。

 そんな残された僅かな感触を探るように、マリアもまたセレナを抱きしめた。

柔らかな感触に指先が、手のひらが、その腕さえも沈み込んでいく。

 

「そんな優しいセレナを、わたしはいつまでも誇りに思うわ」

「ありがとう……ずっと大好きよ、姉さん」

 

――するり。と、その感触が腕の中から抜け落ちて、セレナは少しだけ、哀しそうに笑って見せた。

 そうして、セレナもまた、響の元へと飛び立って行く。

その背中へ、マリアはあらん限りの声で「わたしもずっと大好きよ、セレナ」と叫ぶ。

その声は、セレナへと届いただろうか――

 

「お前たち! 本艦を近場につけた! 急ぎこちらに退避するんだッ!」

 

 弦十郎からの無線とほぼ時を同じくして、沖の方にS.O.N.G.の本艦が浮上する。

月の表面に浮かぶ光点は、今や明確な形を示すほどに近付き、増え続けている。

それは宛ら、伝承に登場する天の御使のように、神々しいまでの、白銀の羽を広げた姿を模っていた。

地上でも分かるほどに、肌をビリビリと打つその存在感が、エネルギーの余波が、今や世界を絶望へと叩き落としていく。

 

「小日向、何をしているッ!」

 

 一同が退避しようとする中、未来だけはただ一人、頭上を仰ぎ見ていた。

翼の声にも動じる様子はない。

放心しているのだろうか? 否――自らの意思でそこにいるのだ。

 

「わたしは、見届けます……響はきっと、必ず何とかしてくれる……だから、それを最後まで見届けたいんです!」

 

 頑なに未来は動こうとしなかった。

その言葉に、他の装者たちもまた、立ち止まる。

 

「そうだな……まだあいつに貸したもんを返してもらってないしな」

 

 クリスは、インナーギア姿の己の手足を眺めながら言う。

――こんな薄ら寒い格好させやがって、あのバカ。と、悪態をつきながら、同じように頭上を仰ぎ見る。

 

「そう……響さんならきっと……ううん、必ず」

「帰ってくるって、約束デス」

 

 調も切歌も、響の言葉を信じて帰りを待つ事に決めたらしく、二人手を取り合って空を見上げる。

繋ぎ合った手を、恐怖を押し殺すように強く握りしめながら。

 

「そうだな……」

「そうね、あの子のことだから……」

 

 翼とマリアもまた、思い直したようにそこへと留まり、互いに笑い合う。

これまでも、さっきだって、およそ誰にも不可能と思われることをやってのけてきた響の事である。

これが、彼女の可能性を――その希望を信じずにいられようか。

 

「この馬鹿者共が……」

 

 そうは言いつつも、弦十郎の声は何処と無く嬉しそうであった。

弦十郎だけだはない。

本部にいる誰もが未来の言葉に同意を示し、呆れたように笑い合っていた。

 

「だったら、響くんの帰りを待ってから、お前たちも帰投しろ。それまで俺たちもここにいるさ」

 

 そうとだけ言い、弦十郎もまた甲板へと上がり、空を見上げた。

そこにはすでに、空を埋めつくさんばかりの輝きが迫ってきている。

夜明け前のまだ暗いはずの空は、しかし今、真昼のそれに等しい明るさを持って照らされている。

およそ人に、人間にどうこうしようなど、出来る相手ではない。と、その光景が現実を――絶望を突きつけようと示している。

 それでもあの少女は――立花響は、決して諦める事なく、たった一人で立ち向かっているのだ。

 

「響くん……」

 

 拳を固く握りしめ、一人小さくその名をこぼす。

疑いなどはしない。

響を信じざるを得ないこの状況である。

 ただ、響一人に背負わせてしまう自らの不甲斐なさを、内心に自責しているのだ。

そんな弦十郎へと、マリアは提案する

 

「司令、お願いがあるのだけれど――」

「お願い、だと?」

 

 

 

――上下左右。

 言い換えるのであれば見渡す限り――だろうか。

それらは既に地球を取り巻こうとしていた。

みんなの手前、そして未来の手前、あんなことは言ったものの、本当に分かり合えるだろうか? 手を取り合えるだろうか? と、今更な不安が胸をよぎる。

 たかだか一人のエクスドライブ――それも、随分と消耗して、既にこの身体も消え行かんとしている。

だというのに――

 

「だとしても……ッ!」

 

 自らを奮い立たせるように、両手で頰を打つ。

今ここで自分が諦めてしまえば、守りたい人たちが、大切な人たちが、そして何よりも、大切な陽だまりが危機に晒されるのだ。

 響は心を、勇気を振り絞ると、地球を背に手を広げ、宛ら庇うような――受け止めるような姿勢をとる。

それに呼応するようにガングニールの背面から生えた羽が広がっていく。

それでも、迫り来る全ての脅威を受け止める事は叶わないかもしれない。

――力が欲しい。と、願う。

 戦う為ではなく、守る為の力を少女は切望する。

ただ一人になったとしても、守りたいものたちのために。

 

「おいッ、大丈夫か!」

「響さんッ!」

 

 背後から聞こえた声に振り返ると、そこには奏とセレナの姿があった。

その姿に、響は思わず「二人とも……なんで?」と声を上げていた。

響に遅れて飛び立つこと――ようやくに追いついた二人は、けれど響と同じく、随分とその輪郭も、存在そのものも薄ぼんやりとさせている。

 

「あたしらの分も使ってくれッ!」

「守りたいものがあるのは、わたしたちも同じですッ! だから――」

 

 響の手を取り、二人は声を上げる。

既に空を埋め尽くした脅威は、地上へと向け下降を始め、目前にまで迫っている。

迷っている余裕など無いことは、響にも分かっている。それでも――

 

「だけど、そんなことしたら二人とも……」

 

――もうみんなと会えなくなってしまう。と、躊躇う響の手を、二人は痛いほどに強く握り締める。

二人の向けるその眼差しには、確かな――強い意志が浮かんでいた。

 

「ほんの少しの間でも、翼とまた歌えたんだ。あたしはそれで充分さ」

「わたしも、マリア姉さんに、ちゃんと『大好き』って伝えられたから、充分です」

「二人とも……」

 

 三人は顔を見合わせて頷くと、再び手を強く握り合う。

想いを一つに束ねて、再び絶唱を紡いでいく。

守りたいもののために。

守りたい明日のために。

奏とセレナの身体は次第に輝き、その輪郭を失い始めた。

それらはやがて虹色の輝きを放ち、響の身体を包み込んでいく。

 

「そうだ、わたしは……わたしたちは生きるのを諦めるんじゃない……大切な人たちの明日を――未来を諦めないためにッ!」

 

――刹那、空の彼方、月を背にして金色の輝きが生じる。

 それは、太陽の輝きに似た温かさを以て、地上を――そして月をも照らして行く。

響の元へと集束し、その身に纏うギアを、再び金色へと染め上げていく。

その背中の両翼もまた金色に輝き、迫り来るアヌンナキたちを、その全てを受け止めんとばかりに急速に――そして大きく広がっていく。

 

 同じ頃、地上ではS.O.N.G.によって緊急的にジャックされた全ての通信回線、全ての映像回線に、マリアの姿が映し出されていた。

それは、かつてフロンティアに於いて行われた演説を彷彿とさせる姿であった。

 

「みんな、聞いてほしい」

 

 いつかの演説での事を思い出しながら、それでもマリアは世界に告げる。

この脅威を、そしてそれに抗う少女が居ることを。

 

「いま世界は、アヌンナキという未曾有の脅威に晒されている……けれど、その脅威にたった一人立ち向かっている少女が居る」

 

――どうか、どうか届いて欲しい。と、切に願いながら。

そして祈り、訴えるように。

 

「だから、どうか諦めないで欲しい。そして、彼女を信じて欲しい。歌って欲しい。それこそが、何よりも彼女の力になるのだから」

 

 そして、それだけ伝えると、残る装者たちと共に、歌を紡いでいく。

優しくも力強い旋律を――

 

 

 

――響は、ありったけの力を以てその翼を広げていた。

 既にそれら全ての脅威を受け止めるだけには広がっただろうか。

しかしその負荷は、容赦無く響の全身を灼いていく。

全身を引き裂かんばかりの痛みが、まるで握りつぶされるような苦しみが、その小さな身体を蝕んでいる。

 それでも響は、途切れそうになる意識を、歯を食いしばりながらも必死に繋ぐ。

諦めるものか。

投げ出すものか。

手放すものかと、己に言い聞かせながら。

たった一人で――

 

「これは……」

 

――いや、一人では無かった。

ふと、その苦痛が和らぐ。

辺りを見渡すと、優しい光が一面に溢れていた。

それは確かな温かさとなり、響の体を包み込んで行く。

 

「もしかして、みんなの……?」

 

 目を見開き、その確かな想いを握り締め、束ねるように両の翼に込めていく。

それらは星を守る笠のように、あるいは衆生を救う観音の、無数の御手の如く、いくつも大きく展開していく。

 

「そうだ……わたしたち人間は繋がれる、分かり合える。だったらきっと、神様とだって――」

 

 広がり続けるその翼は、空一面を金色の光で覆い尽くしていく。

アヌンナキたちの姿さえも見えぬ程に広がったそれは、宛ら金色の華のように、空へと眩く咲き乱れていく。

 やがて、それらに触れたアヌンナキたちは、まるで光へと分解されるように、その姿をひとつ、また一つと夜空に解かしては消え始めた。

それらの残滓はいくつもの星のように空を流れていく。

流星群のように輝きの流れる空を、未来たちは、ただただ真っ直ぐな瞳で見上げる。

ただ、そこへ立ち尽くすようにして。

 

「わたし、諦めないよ。響が守ったこの世界で……生きていくから」

 

そう、誰へともなくこぼしながら――

 

 

 

 ――八千八声

 啼いて血を吐く

 ホトトギス

 

 その小さな鳥は、血を吐きながら、歌を歌い続けるという。

 わたしの大切な親友も、歌を歌い続けた。

 血を流しながら、歌い続けた。

 

 わたしの大切な親友は、戦場で、歌を歌い続けた――

 

 (戦姫絶唱シンフォギア 一話より引用) 

 

 

 

 合唱部によるリディアンの校歌が聞こえてくる。

春風が優しくカーテンを揺らし、暖かな陽射しが教室内を照らしている。

放課後の、どこまでも平和な――日常の風景がそこにはあった。

 その歌声に耳を傾けながらもそそくさと荷物を仕舞うと、未来は一人教室を後にする。

正面玄関へと向かうその廊下で偶然に会ったのは、いつもの仲良し三人組であった。

 

「ヒナ、これから帰り? 良かったらこれから一緒にふらわーにでも行かない?」

「ごめん、今日はちょっと……」

 

 創世の誘いに、しかし未来は迷う事なく断りを入れる。

少しだけ申し訳なさそうに、けれど、明確な意思を表する。

 その様子に、創世は「おや?」という表情を浮かべた。

 

「何かご予定でも?」

「うん、流星群をみんなで見に行くの」

 

 創世と同じく不思議そうに訊ねる詩織に、未来は二人へと説明する。

今日は以前から約束していた、みんなとの星を見る予定であった。

その約束を反故にするわけにはいかないだろう。

 

「そっか……じゃあ、また今度行こうよ」

「うん、ありがとう」

 

 予定があるなら仕方ない。と、がっかりした様子の弓美たちと、その後も一言二言交わすと、未来は真っ直ぐに帰路へ着いた。

その背中も、そのやり取りも、何処と無く元気が無いことは、弓美ですら目に見えて分かるほどである。

 

「ビッキーのこと、やっぱり気にしてるのかな」

「そうですね……小日向さんのことですから」

「っとにあの子ったら……アニメみたいな生き様をしちゃってさ」

 

 その表情は一様に暗かった。

誰もがその理由を知っている。

今こうして、未来の隣に響が居ない、その理由を――

 

 自室へと戻り、ドアに鍵を掛けた頃。ポケットの中の端末が小さな音で着信を告げた。

それは、他ならぬ切歌からのメッセージであった。

「今日の何時に迎えに来るか?」という簡単な内容ではあるものの、様々な絵文字や顔文字を駆使されたうえに、分かりづらい言葉で語られるそれは、内容の数倍以上に長い文面となっていた。

 未来は苦笑いを浮かべながら手短に返信すると、時計へと視線を移す。

シャワーを浴びる余裕くらいはありそうだ。と、確認すると、荷物の片付けもそのままに、未来は洗面所へと向かうのであった。

 

 シャワーを済ませて身支度を整え終わる頃には、窓の外も既に夕暮れのそれへと染まりつつあった。

予定の時間までまだ少しある――けれど、やる事も無くぼんやりとする未来の視界に、ふと、立てかけられた写真が目に入った。

 それは、いつか響と撮った、泥だらけの二人の写真であった。

未来はそっと目を細めると、これまでの出来事に想いを馳せる。

 たった二年の間に、言葉にしきれないほどの出来事があった。

喧嘩をしたり、仲直りしたり、シンフォギアの事や特異災害にまつわる様々な事件……大変なことも沢山あったものの、それでもそれは未来と響だけの、大切な思い出であった。

瞼を閉じれば、今もまだ鮮明に、昨日の事のように思い出され、懐かしむように未来は記憶を辿る。

 

 ふと、窓の外でクラクションの音が鳴り、未来は我に返った。

時計へと視線を走らせると、どうやらいつのまにか迎えの時間となっていたらしい。

未来は慌てて荷物を抱えて玄関へと向かっていく。

端末には幾つものメッセージが届いており、窓の外からは、切歌と思わしき声も聞こえている。

 未来は、写真の中の響へと向かい「行ってきます」と告げ、目を細める。

けれど、その言葉に応えてくれる人は、ここには居ないのだ。

再びクラクションの音が聞こえ、慌てて未来が飛び出して行くと、部屋の中には暗闇と静寂だけが残されていた。

 

 マリアの運転する車には、調と切歌が一緒であった。

二人は久々にマリアと会えた喜びからか、随分嬉しそうな様子が見て取れる。

マリアもまた、心なしか少しはしゃいでいるようであった。

 窓の外――通り過ぎる景色を眺めては、誰かが「ずいぶん復興した」と声を上げる度に、他のみんなも口々に、街の復興具合を語り合う。

――あれから数ヶ月。

 世界中が未だ混乱と復興の最中にある中で、それでも世界に報じられるニュースは、少しずつ明るいものを増やし始めている。

その度に、随分時間が経ったように錯覚してしまうが、こうして街並みを見ると、やはりまだまだ復興は始まったばかりなのだと分かる。

 四人は、時折そうして思い思いにこの数か月の事を思い返しながらも、日常話に花を咲かせて笑い合った。

道中に聞かされた話では、翼とクリス、そして弦十郎たちは、仕事を終えてから合流するのだそうだ。

 クリスと言えば――リディアンを卒業した後は、他に行くあても無いからと、そのままS.O.N.G.へと入り、正式にマリアと翼と同じくS.O.N.G.の正式なメンバーとなっていた。

新年度が始まったばかりではあるものの、どうやらクリスは、しきりに調と切歌の事を気に掛けているらしい。

当の二人もまた、学校で随分と退屈そうに、寂しそうにしている事を未来も知っていた。

 

「さてと、ここで良いのかしら?」

「はい、ここから少し歩くんですけど……」

 

 そうして、互いの近況や他愛もない話をしている内に、車は目的地へと辿り着いた。

それは、いつか響と二人で行った、流星群を見た場所であった。

二人で何度もやってきたこの場所へ――けれど、今日はいつもとは違う。

 響は、そこには居ないのだ。

 

「響とも、ここで一緒に星を見たんです」

「……そう」

 

――そう、懐かしむように空を見上げると、景色は既に夕闇のそれへと変わっている。

 日中の温かさはすっかり身を潜め、風が吹く度に寒ささえ感じる。

夜の気配が、すぐそこまでやってきていた。

 

「それじゃ早速、ご飯の準備をするデスよ!」

 

 寂しげな未来の雰囲気を振り払うように、切歌は元気良くそう宣言すると、車のバックドアを開けては積み込まれていた荷物を順番に取り出していく。

組み立て式の簡易なテーブルや、折り畳み式の椅子。

飲み物の入ったクーラーボックスなどを取り出して、四人は早速食事の準備に取り掛かる。

 そうして、弦十郎たちがやって来るよりも前に、食事の支度はすっかり済んでしまうのであった。

 

「昨日のうちに作っておいたものばかりだけど……」

 

 弁当の包みを開けながら、調はおずおずと説明する。

作り置きとは言え、随分と彩りの鮮やかなそれらは、宛ら総菜店のオードブルのように、十二分に豪勢な食事と言えるものであった。

 

「おっ、集まってるじゃないか」

 

 相変わらず様子でそこへやって来たのは、弦十郎率いる残りのメンバーであった。

翼とクリスの他にも緒川・藤尭・友里とエルフナインも一緒に来たらしく、すっかりいつも通りの顔触れとなっていた。

 

「うぅ……アタシもうお腹がぺこぺこデスよ……」

「あなた、車の中で散々お菓子を食べてたじゃない」

 

 切歌の消え入りそうな声に、マリアは思わず呆れたように声を上げると、「それとこれとは別腹デスよ」と切歌はむくれるのであった。

かくして一同は、何よりもまず食事にしよう。と、早速に調の持参した弁当の他、大人組の持ち込んだ食べ物を楽しむのであった。

 

「やっぱり調の作るお弁当は最高デース!」

「ああ、さすがは月読だな」

 

 ほくほく顔の切歌と共に、翼は弁当をつつく。

弦十郎や友里もまた、その出来に随分と感心した様子である。

そんな一同とは打って変わって、藤尭だけは興味深そうに味付けや調理方法について訊ねては、調を戸惑わせていた。

 

「でも、本当は響さんにも食べてもらいたかった……」

 

 そんな中、調はふと、内心の思いを口にする。

それは、本人にとっても半ば無意識に言葉にしていたものではあったものの、一同の間に重い沈黙が流れる。

 

「そう……デスね。きっと響さんなら飛び上がるほど喜んだデスよ」

 

 調に同調する切歌を見かね、マリアは「ちょっと二人とも」と、咎めると、三人は未来へと詫びる。

響の不在を誰よりも気に掛けているのは、他ならぬ未来のはずなのだ。

 

「良いんです。悪いのは約束を守らなかった響だから」

 

 そう言って微笑みを作る未来の姿は痛ましくすらあった。

本当は、誰よりも今日、共に星を見たかったであろう未来は、それでも周囲へと気を遣い、気丈に振る舞っているのだ。

 

「けど、あいつのことだ。きっと『おーい、みんなー』って現れるんじゃねーか」

「そうだな、立花の事だ。ひょっこり顔を出すかもしれないな」

 

 クリスと翼は、そんな響の姿を思い浮かべ、笑い合う。

本当に、今にもそして現れそうで、一同もつられて笑い声を上げる――同じように未来もまた。

 

「何せ、食い意地が張ってるからな」

「本当、いつもびっくりするくらいにごはんをおかわりするんですよ」

 

 弦十郎の言葉に、普段の響を思い浮かべながら、未来は笑って頷いた。

それは作り笑いではなく、本心からの笑顔だろう。

 

「本当、今にも声が聞こえて来そうね」

 

 懐かしむようにマリアも微笑んでいた。

遠くから、本当に響の声が聞こえる。そんな気がする。

耳を澄ませば、そこで呼んでいるような気さえする。

 

「ボクもです」

「そうね、わたしも」

「俺も……ってあれ?」

 

 エルフナインも、友里と藤尭も、響の声が聞こえたように思えて、思わず振り返る。

――いや、それは、まごう事なき響の声であった。

 

「おーい! みんなーッ!」

「響ッ! あなたどうしてここに……?」

 

 その場にいた誰もが驚きを隠せなかった。

まさか本当に現れるとは。

誰一人として考えてもいなかった。

響が、今日、この場所に来られるはずは無いというのに。

 

「酷いよ未来、わたしを置いて行くなんて」

 

 泣き出しそうな声で響は未来を責める。

しかし、未来の方はと言えば、むくれた顔で響を睨め付けていた。

 

「響が悪いんでしょ。ちゃんと終わらせるって約束してた春休みの課題、サボったのは響なんだから」

 

 そんな「つん」とした態度に、響は思わず涙目になって「そんなぁ〜」と声を上げる。

全くこんな少女が世界を――今日に繋がる明日を守ったなどと、誰が思えるだろうか。

今、一同の目の前にいる少女は、どこにでもいる――人一倍出来の悪い、けれどどこまでもお人好しな、ただの一人の少女であった。

 

「しばらく先生のところで泊まり込みの補修だったんじゃなかったんデスか?」

 

 呆れた様子で切歌は訊ねる。

未来からも間違いなくそう聞いていたはずである。

調と隣で「うんうん」と興味深そうに話に混じって来ていた。

 

「あぁー、それね……なんとか『今日だけは』って拝み倒して許してもらったんだよ……ってすごいお弁当! これ調ちゃんのだよね、食べていい?」

 

 響はあっけらかんとして笑うと、調のお弁当を見て目を輝かせる――が、早速に唐揚げを一つ摘もうとするものの、未来に耳たぶを掴まれて「まずは手を洗ってからでしょ」と連れて行かれていくのであった。

 しかし、そんな未来の顔もまた、嬉しそうに綻んでいるのは誰の目にも見て取れる。

一番喜んでいるのは、何だかんだ言っても彼女なのだろう。

 

「ったく、相変わらずバカなやつ……」

「あぁ……だが、立花らしい」

「えぇ、そうね」

 

 クリスと翼、そしてマリアは肩を並べて笑い合う。

手を洗い終えた響は、すでに調のお弁当をつまみ、あれやこれを褒めちぎっている。

それを遠目に眺めるエルフナインもまた、そんな響の自由っぷりに呆れながらも、一緒に星見を楽しめるのが嬉しそうな様子だった。

 呆れたようにため息をつきながらも、やはり嬉しそうな顔でその様子を眺める未来へと、ふと弦十郎は声をかける。

 

「その、なんだ……響くんの身体の方は大丈夫なのか?」

 

 一度は失われた身体をどうして響だけが取り戻すことが出来たのか。それは、未だに解き明かされてはいない。

エルフナインもまた、未だに「奇跡としか言いようが無いです」と頭を抱えている次第だ。

だからこそあの一件以来、弦十郎は事あるごとに響のことを気遣っては、未来へと内密に連絡を入れているのであった。

 

「大丈夫です。何かあれば連絡を入れますから」

 

 くすりと笑いながら未来は答える。

あれ以来、どこをどう検査しても、響の身体には異常など発見されていない。

特にどこか身体をを痛がったり、苦しむ様子も見られない。

何の変哲も無い、ただの立花響――ただの普通の女の子がそこに居るだけである。

 強いて言えば、あの戦いの後でガングニール のペンダントだけは復元されなかったくらいだろうか。

今や響は、文字通り『ただの女の子』なのだ。

勿論その辺りのデータ自体は、弦十郎も知っているはずなので、聞きたいのはやはり日常生活の中での異変だったのだろう。

 未来の答えを聞いて、弦十郎は安心したようにため息を吐く。

 

「そう……か。しかし、アヌンナキとは一体何だったんだろうな」

 

 あの時、現れては消えて行ったアヌンナキの行動もまた不可解であった。

月遺跡近辺に転移して来た彼らは、その強大なエネルギーを行使することなく、響の広げた翼へと触れると同時に、流星となって散っていったように、誰からもそう見えていた。

 彼らが月を使い、人々から統一言語を取り上げたというのなら、何が目的だったのだろうか。

そして、フィーネやアダムの想いとは――

 何一つ分からないことだらけの現状で、ただ一つ確かなことは、今こうして人々が無事で居る以上は、人類の存続は許されたのであろう。ということだけである。

それもまた、束の間に与えられたものなのか、あるいはこの先永続的なものなのかさえ分からないのだ。

 

「あれはですね、わたしもよくは分からないんですけど――」

 

 皿いっぱいに盛り付けた弁当をつまみながら、いつの間にやらやってきていた響は二人の間に割って入るように腰掛けた。

二人は思わず「聞かれていなかったか?」と慌てるものの、響はそんな二人の心配も全く気付いていない様子で話を続けていく。

 

「触れた瞬間にこう、頭の中にパーっとイメージが流れてきたんですよ」

「イメージ?」

 

 未来の問いに、響は「うーん」と頭を悩ませると、一つ一つの情景を思い起こすように、ぎこちなくそれを語り出していく。

 

「戦争だとか、災害で大勢の人が苦しんだり、死んじゃったり。そんな光景が見えて……」

 

 なぞるように、紡ぐように語る響に、未来は訝しげな顔で「なあに、それ?」と訊ねる。

それに対して弦十郎は、「ふむ」とだけこぼし、後はただ黙って響の言葉に耳を傾けていた。

 

「上手くは言えないんだけど、子供を心配するお母さん……って感じがしたんだ。子供たちがまた争ってるんじゃないかって、様子を見に来るような……」

「母親――か」

 

 その言葉に、弦十郎は思わず呆れたような声を上げた。

世界を襲った未曾有の脅威の元凶が――その理由がが母の愛だったなどと、三文芝居にしたって酷い顛末ではないか。と、笑う。

 だとしたらあの時、世界中の想いを束ねた響が、その手を伸ばして伝えた『分かり合いたい』という想いを見届けた事で、彼らは安心してこの星を去ったとでも言うのだろうか?

 あまりに馬鹿げた与太話で――しかしそれを否定することも肯定することも出来ず、弦十郎はただただ苦笑いを浮かべることしか出来ずにいた。

 

「おーいッ! 流星群、始まってるデスよーッ!」

 

 ふと、三人へと向けられた切歌の呼び声に夜空を見上げると、その視界の先――星々の間にひとつ、またひとつ、星が流れていくのが見える。

いつの間にか始まっていた流星群に、響は慌てて弁当の残りを掻き込むと、飛び上がるように立ち上がった。

 

「ほら! 行こう未来!」

「うん!」

 

 嬉しそうに声を上げながら、二人はどちらともなく手を繋ぎ、みんなの元へと駆けていく。

並び合い、空を見上げては、こぼれる星の数を数え合う少女たち。

その姿は、どこまでも年相応の幼ささえ感じさせて、弦十郎は思わず目を細める。

その隣に、いつの間にか緒川が立っていた。

 

「司令、ウェル博士の行方ですが――」

「――見つかったのか?」

 

 緒川の言葉に、厳しい顔つきに戻って訊ねるものの、緒川は黙って首を横に振る。

あの日、混乱の最中において、ウェルはS.O.N.G.から姿を消していた。

いくつかの研究データと短いメッセージのみを残して――

 

「『平和な世界に英雄は不要、新たな動乱が僕を呼んでいる』か……」

「次に会う時、彼はまた敵に回るのでしょうか」

 

 ウェルの残したメッセージを思い返すように呟く。

緒川が言うように敵となって現れるか、あるいは味方となって現れるかは分からない。

どちらかといえば、弦十郎としては――

 

「むしろ、二度と顔を見たくないものだがな」

 

 そう言ってため息を吐くと、緒川もまた「そうですね」と苦笑いを浮かべた。

パヴァリアの残党はまだまだ潜伏を続け、それとは別に、今日も世界のどこかでは争いや衝突が起こっている。

明日になれば、また新たな脅威が訪れるのかもしれない。

 それでもせめて、今だけは、この束の間の幸福が――平和な時が、少しでも長く続くように。そして、英雄など必要とされない世界が、いつか訪れるように。と、誰かが――誰もがそう、祈り、願う。

数え切れないほどの流れ星たちに祈り、願えば、一つくらいは叶うだろうか。

 

 誰かがふと、歌を口ずさむ。

つられるように、一人、また一人と、歌声を重ねて行く。

それはやがて美しい旋律となり、夜空へと鳴り響く。

 

――そうとも。

 この世界には歌がある。

命が失われ、想い出と変わっても、決して消えることの無い歌がある。

今日も、明日も、そのずっと先の未来でも。

少女たちは歌い、手を取り合って行くのだろう。

今こうして、そう在るように。

それは、どこまでも優しい旋律。

平和への――祈りの歌のようであった。




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