戦姫絶唱シンフォギアASH   作:がめちょん

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万事万物、全てのものは表裏一体。
少女もまた、その輝きの強さゆえに暗転し、その善性を憎悪に染めた。
誰よりも人を愛した少女は今、誰よりも人を憎んで拳を握る。
その行く末に、光は未だ見えず。


第五話  ブラックアウト

瓦解する絆

 

 

 海沿いの木立の中を流れる潮風へと、僅かに焦げ付いた臭いが混じる。

耳鳴りは、今なお止む事なく続いてる。

そうして、言葉もなく、ただただ呆然と立ち尽くす翼の元へ、クリスたちは慌てて駆けつけた。

 

「先輩、無事か?」

「雪音……」

 

 クリスの問いに、翼は力無く応える。

外観からは大した怪我はないようだったが、どうにも様子がおかしいのが見て取れた。

調は、倒れたままに嗚咽を漏らすマリアのそばに駆け寄って、その安否を気遣っていたが、その手に握られたものに気が付くと、青ざめた表情をして翼へと振り返った。

 

「翼さん、未来さんは……?」

 

 翼は調の問いに答えることなく、ただただ苦い表情を浮かべていた。

その無言が、その表情が、最悪の答えを予想させる。

 

「さっきの爆発は何だったんデスか? 未来さんは……未来さんはどこにいるんデスかッ」

 

 切歌もまた、その『残骸』に気が付き声を荒げる。

頭の中では分かっていた。けれど、分かりたくなかった。信じたくなど無かった。

 

「おい、嘘だろ」

 

 クリスは漸くに『それ』に気が付き、一歩二歩とよろめきながらも翼に歩み寄る。

震える手で、翼の胸ぐらを掴み上げる。

 

「あんたさっき『救け出した』って言ったじゃねぇかよッ! 小日向は……小日向はどこに居んだよッ!」

「雪音……」

 

 涙混じりにクリスは翼を責め立てる。

そうすべき相手は翼ではないと知りながらも、分かっていながらも、それでも、信頼を寄せた翼が、あの少女を救ってやれなかった事が、どうしても許せなかった。

 

「すまない、雪音」

「何でなんだよ……なんでこんな風になっちまうんだよ……」

 

 苦々しげに翼は詫びる。

クリスとて、翼自身が何より己を責めているのは分かっているのだ。が、それでも行き場をなくした憤りを、どうしても翼へと向けてしまう。

 

「なんで……」

 

 響が、言葉をこぼす。

大粒の涙と共に。

 

「わたし、言ったよ……『連れて行かないで』って」

 

 一歩、また一歩と、翼たちの元へと響は歩み寄る。

その声が震えているのは、悲しみに打ちひしがれての事だろうか。

 

「なのに、なんで」

 

 それとも、抑えきれぬ怒りによるものか。

 

「何で未来を連れて行ったんだッ!」

 

 悲痛な表情で響は吼える。

その表情を、姿を、どす黒い激情が塗り潰すが如く、黒に染めていく。

それはまるで、その身に抑えきれぬ怒りが噴出するかのように、ギアから放たれていく。

 

「まさか、そんな……」

 

 モニター越しにそれを見ていたエルフナインは、愕然とした表情で驚きをこぼす。

 

「響ちゃん周辺のエネルギー増大……異常な数値を示しています」

「嘘だろ、まさかこれって……」

「暴走……だとッ!?」

 

 友里と藤尭の報告、そして目の前に映し出された響の姿に弦十郎もまた、驚きを隠せずにいた。

黒く染まったその姿は、たしかにまるで、暴走を思わせる。

 

「そんな……ダインスレイフの焼却によりイグナイトモジュールは喪失われたはず……融合者でもない今の響さんに暴走なんて!」

 

 出来るはずがない――そのはずだった。

かつて響が引き起こした暴走は、ガングニールの破片との融合により引き起こされた現象であり、ギア本来に搭載された機能では無い。

マリアの暴走も、あくまでイグナイトによって呼び覚まされた衝動に呑み込まれた結果に起因するものである。

 そのどちらも失われた今、装者たちに『暴走』という現象は起こり得なかった。そのはずであった。

しかし、その姿は、まごう事なき黒い衝動の化身――暴走のそれに他ならない。

 

「くッ……!」

 

 翼は咄嗟に『影縫い』を放つ。

これまで幾度となく躱されてきたそれは、理性無き響の影を容易に捉えた――が、それでもなお、響はじりじりとその身体を動かしていく。

 最早、膨れ上がるその力は、対人戦技だけで抑えることは敵わないらしい。

 

「月読! 暁! マリアを頼むッ! 雪音、ここは退くぞ!」

 

 翼は調と切歌へと指示を飛ばし、クリスへと向き直る。

クリスもまた、翼を睨め付けるように見据えていた。

 

「話は後だ、今は一旦退く……異論は無いな?」

「ああ。逃げるんじゃねーぞ」

 

 二人はまるで、かつて敵対していた頃のように言葉を、意思をぶつけ合いながらも、響を残して旧風鳴邸を脱出する。

やがてその姿が木立の向こうへと溶け消えた頃、天羽々斬の影響下から外れた短刀は、霞のように消失した。

 一人残された響の姿は、既に少女のそれへと戻っていたが、響はただただ立ち尽くす。

手を繋ぎ、分かり合えたはずの友たちは、響の制止も聞き入れず、大切な――何よりも大切な、かけがえのない存在を奪い去っていった。

 

「未来……未来……うあ、うわあぁぁぁぁッ!」

 

 その怒りと悲しみを、失意を綯い交ぜにするように、彼女たちの去った後へ向けて、響はただ、慟哭するのであった。

 

 

小日向 未来の死

 

 

 二人の両親の身を救出し、装者たちは何とかS.O.N.G.本部へと帰還した。

そこで待ち受けていたのは、緊急のブリーフィングであった。

 米軍施設への襲撃を発端とする一連の騒動は、響の裏切りと、今なお正体不明とされている聖遺物の起動などの謎を残し、そのうえ風鳴 訃堂による謀略の末に小日向 未来が命を落とすという、最悪の結果へと至っている。

更には、駄目押しをするかのような立花 響の暴走が、装者のみならず、S.O.N.G.本部の全員の顔へと、一様に暗い影を落とすのだった。

 

「解析結果が出ました……」

 

 ブリーフィングルームのドアを開き、エルフナインが姿を見せる。

その面持ちも、また暗い。

 

「マリアさんが持ち帰った『手』を解析したところ、遺伝子・骨組成。いずれの観点からも99.9%、未来さんのものであると思われます……」

 

 悲痛な面持ちで、エルフナインはその事実を告げた。

何かの間違い、あるいは外観だけ似せた別人なのでは無いか――という僅かな希望すら踏み躙られて、誰もがその表情をより暗くする。

 

「はッ……わざわざ聞きたくもねー絶望を押しつけにきてくれたってのか!」

 

 その報告に、苛立ち紛れに噛みついたのはクリスであった。

ソファの背もたれへとその両手を掛けて、忌々しげに吐き捨てる。

 

「止さないか雪音。エルフナインとて、そのような結果を望んだわけでは――」

「助けられなかった分際で偉そうにッ!」

 

 その態度に対し窘めようとする翼を、糾弾するかのように、クリスは思わず声を荒げた。

最早感情の昂りは、己を抑えておくことすら出来ぬほど、クリス自身の胸の内を焦がしている。

その言葉を聞き、翼もまた、平静では居られなかった。

 

「わたしとて、小日向を救いたかった! 救おうとしたのだ!」

「どうだかな……防人様の言うことはいっつも当てにならねぇや」

 

 思わず感情を露わにする翼に、一層の皮肉をぶつけるクリス。

一触即発の空気が装者たちの間に充満していた。

 

「そんな風にいがみ合うなんて、未来さんは絶対望んで無いデスよッ! 二人ともいい加減にするデス!」

「切ちゃん……」

 

 涙交じりの後輩に諌められ、二人は思わず口ごもる。

その言葉に、悲しむ未来の姿が頭をよぎり、一同は再び押し黙るのだった。

 

「エルフナイン、マリアの容態は?」

 

 気まずい空気を察するように、調はエルフナインへと訊ねる。

最後の瞬間、その『手』を掴み続けていたのは他ならぬマリアだった。

それだけに、そのショックは誰よりも大きく、計り知れない。

 

「今は鎮静剤で眠っています……けれど、目が覚めたらまた――」

「ご心配ありがとう。だけど、わたしはそんなにヤワじゃないわ」

 

――また取り乱すのではないか。と思っていたエルフナインだったが、その予想は裏切られることになった。

 その表情に憔悴の影は濃い。が、それでも起き上がってきたマリアは、病衣のままにその身を引きずるようにして、ブリーフィングルームへと顔を出したのだった。

 

「マリア!」

「デース!」

 

 調と切歌は、揃ってその表情を輝かせる。

翼もまた、安堵した表情をマリアを迎える。

唯一クリスだけが、特段の反応を見せず、むすっとした表情で黙り込んでいた。

 

「それに、これはわたしが背負うべき十字架だもの。目を背けるわけにはいかないわ」

 

 未来の手の感触――今でも思い出せるそれを確かめるように、マリアは己の手を見据えて、苦々しくも決意を口にする。

あの時、翼と響の制止を聞き入れず、未来を死に追いやったのは他ならぬマリアであった。

だからこそ、向き合わなければならない。

響の思いを受け止めなければならない。

 そう自らに言い聞かせ、マリアその手をぎゅっと握る。痛いほどに。

 

「しかし、小日向無き今、立花を説得するのは……」

「ああ、難しいだろうな……」

 

 響にとって、小日向 未来は唯一にして無二の存在だった。

その未来を、未来の命を奪ったのだ。

和解など出来ようものだろうか。

 翼の懸念に対し、弦十郎もその表情を曇らせる。

然しもの弦十郎とてこの現状に「だが、それでも」と希望的な発想を打ち出すことは出来ず、一同の間には、ただただ重い沈黙だけが、澱のように募っていのだった。

 

 

 

 薄暗い部屋の中、訃堂と八紘は向かい合って座っていた。

先の見えぬ状況。

読めぬ訃堂の腹の内に、翳る面持ちで八紘は口を閉ざす。

それに対し、訃堂の方は存外に平素のそれと変わらぬように見て取れた。

 

「宜しかったのですか?」

 

 先に問うたのは八紘だった。

訃堂は心当たりがない風で「何がだ?」と返す。

 

「あの娘。立花 響への重要な交渉材料だったのでは?」

 

 そもそも、風鳴 訃堂と立花 響。

その関係性は弱味を握っての脅迫だったと言える。

その要たる存在こそが、他ならぬ小日向 未来という少女であったはずだ。

 だと言うのに、まるで無関心を示す訃堂の様は、八紘の目には余りに不可解に映る。

 

「あのようなもの、急拵えの代替品に過ぎぬ」

 

 少女を、命を、物のように。

訃堂は吐き捨てるように言う。

 

「代替品……ですか」

 

 八紘の胸の内にぢりぢりとした感情が燻る。

表向き、冷徹・怜悧を貫く八紘と言えど、内心に憤らずには居られず、その声音に僅かながら、熱が籠る。

 

「八紘よ、真の防人たらんとするならば、いい加減に肚を決めよ。余人に気を取られ、己が守るべきものを見失ったあの、愚かな吾が娘のようになるでない」

「翼は、風鳴翼は私の娘です……あなたの娘などでは無いッ」

 

 訃堂の心無い言葉に、翼への侮辱に、思わず八紘は声を荒げる。

それでも、数十年を従順に従ってきた八紘の、その反抗にも動じることなく、訃堂は「ふん」と鼻を鳴らすと、端末へと向き直る。

 この男にとっては血縁も、己が子も、すべてが瑣末な問題なのだろう。

すべてに優先すべきは国防。それが訃堂という人間なのだ。

 

「もう一人の娘はどうなっている?」

 

 訃堂は端末へと向かい声をかける。

その通信する相手は一体誰なのだろうか。

『もう一人の娘』とは。

 

「実に順調。先程も新たに一つ、起動に成功しましたよ」

 

 マイクの不調か、相手方の興奮混じりな鼻息のためか、その声はザラザラとしたノイズを混じえて随分と聞き取りづらい。が、恐らくは男であるらしい。

 

「これで三つ。ならば残り四つの起動に励め」

「いえいえ! 四つ目。です! いやぁ、思った以上の逸材ですよ彼女は」

 

 訃堂の言葉に、興奮を隠せぬ様子で男は答える。

その声色には狂気すら感じさせるほどの喜びに満ち溢れていた。

その報告を受けた訃堂は、珍しく「ほう」と、感嘆の声を上げる。

 

「しかし『槍』の方はやはり駄目ですね。これは彼女の性質・相性によるものなのか、単純に生み出すフォニックゲインの強さによるものなのかはわかりませんが、いやぁ実に興味が絶えない! ここはやはり――」

「姦しい男だ……」

 

 饒舌すぎる男の言葉に、訃堂は些か苛立ちを憶えて話途中に通信を遮断した。その眉間あたりには深い皺が刻まれている。

どうやら寡黙なこの老人は、この手の科学の信徒というやつが、どうしても苦手なようであった。

 

「八紘よ、よくよく考えておくがいい。貴様が守るべきは何であるかを」

 

 未だ憤りが醒めやらぬ様子で訃堂を睨め付ける八紘。その様を一瞥すると、訃堂はそうとだけ言い残し、部屋を後にするのだった。

一人残された八紘もまた、やり場の無い憤りを胸に、その部屋を後にする。

 

「守るべきものは、人か。国か――か」

 

 誰一人居ない静かな廊下を歩きながら、八紘は誰へともなく言葉をこぼす。

その視線の先を、一人の人影が横切った。

 

「なッ!?」

 

 八紘は思わず声を上げる。

目を疑うような人物が、向こうの廊下を通り過ぎたのだ。

 慌ててその人物の去った方へと追いかける――が、通り過ぎた辺りまで来たものの、姿形も見えなくなっていた。

見間違いか、或いは幻覚でも見たのか。と、八紘は動揺をその顔に浮かべ、元来た方へと戻ろうとする。

 しかし、その視界の端にまたもその人物は通り過ぎた。

 

「馬鹿な、有り得ん」

 

 八紘はその存在を、己の目を、頭を疑うような心持ちでその人影を追い縋る。

その人物は何度も姿を消しては、諦めかけた八紘の視界にまた現れる。

八紘はまるで迷うように、誘われるように。

そうして、その人物が何人もいるかのような錯覚を憶えながら、八紘はとある一室の前に辿り着く。

 散々に振り回された八紘は、既にその息を荒く、肩で呼吸をしていた。

ごくりと生唾を飲み込み、その――旧風鳴邸には不釣り合いな、重々しいドアに手を掛け、ゆっくりとその中を伺う。

 

「これは……これは一体なんなのだ」

 

 その室内の様を見て、八紘は愕然とする。

信じ難い光景、信じ難い人物がそこには居た。

それは宛ら、白昼夢でも見たかのように八紘を混乱させる。

 

「何故貴様がここに居るッ!」

 

 思わず荒げたその声は、眼前に居る人物へと放たれる。

その人物は八紘の言葉を聞き、ただただにやりとその口元を歪めるのだった。

 

 

 

 響は一人歩く。

旧風鳴邸を出て、S.O.N.G.の本部へと、歩を進めていた。

その最中、何度も未来の姿が、声が、その顔が、フラッシュバックする。

 いつだって隣で笑っていた。

悩んだときは、ずっと支えてくれていた。

殴る事しかできない拳を、優しく包んでくれた。

すぐそばにいたその少女を、響は何度も思い出す。

二人で過ごしたその光景を、頭の中で何度も、何度も繰り返す。

 今でも手を伸ばせば届きそうなそれは、しかし二度と触れる事の出来ない虚像でしかなかった。

 

「君、大丈夫か?」

「具合でも悪いのかい?」

 

 そんな響の姿を目にした警官が、その様子を心配して声を掛ける。が、響はそれらを無視してなお歩く。

ただただ、S.O.N.G.へと、大切な陽だまりを奪った、憎いあの少女たちの元へと。

 

「おい、君! 私たちは心配して……」

 

 無視されたことに腹を立てたのか、あるいは響の様子を不審に思ったのか。

警官は響の肩を強引に引き戻そうと手を掛ける。

その直後、言葉にならないうめき声をあげて、その警官は地面へと倒れ込んだ。

 響の拳により、一撃のもとに昏倒する相棒を目の当たりにして、もう一方の警官もまた、奇声を上げながら響へと飛びかかる。

傍目から見ればそれは明らかに、いたいけな少女へと襲い掛かる暴漢のそれであったが、響はものともせずに――そして他人の痛みなど、気にもかけぬように、残る一方を地面へと叩きつける。

 

「邪魔しないで」

 

 悲しみに満ちた目で、二人にそう告げると、響はその場を立ち去ろうと歩き出した。

しかし、先に倒れた警官が、既に緊急信号を発していたらしく、応援に駆け付けた警官たちに響は取り囲まれてしまうのだった。

「ちっ」と短く舌打ちをして、胸元のペンダントへと手を伸ばす。

S.O.N.G.へと辿り着くまで、温存したかったのだが、そうも言ってられない様子である。

 

「悪いのは、邪魔しようとしたそっちだから」

 

 そう吐き捨てると、響は聖詠を口にするのだった。

 

 

 

「何? 立花 響が?」

 

 その報せは当然訃堂にも届いていた。

響は無断で外へ出たうえ、一般人相手に戦闘行為を行っているという。

訃堂はそれを聞き、うんざりした面持ちで嘆息を吐く。

 

「果敢なき者が……だがまあいい。いずれにせよ今はしばしの時を稼がねばならん」

 

 その暴走は決して訃堂の本意ではなかった。しかし、聖遺物の起動が思うように進んでいない今、S.O.N.G.の側から報復にと、攻め込まれるわけには行かなかった。

起動のための歌女として響が役に立たない以上は、そのままS.O.N.G.の足止めをしてくれた方がよほどの役に立つだろう。

 

「彼奴の実験を急がせよ。最早猶予は無いのだ」

 

 訃堂は表情にこそ出さないものの、その言葉に若干の焦りが混じっているようだった。

――完全なる起動を急がねばならん。と、訃堂は歯噛みする。

その焦りの理由は、S.O.N.G.の報復に対するものか、あるいは――

 

 

予期せぬ邂逅

 

 

「やあ、久しぶりですね。その顔、実に見覚えがある」

 

 その男は八紘の顔を見るや否や、狂気じみた笑みを浮かべた。

八紘自身もまた、その人物には見覚えがあった。いや、忘れたりなどするものか。

 

「貴様は、死んだのではなかったのか……ドクター・ウェル」

 

 八紘は、苦々し気にその名を口にする。

その視線の先には、相も変わらぬ白衣姿のジョン・ウェイン・ウェルキンゲトリクス――人呼んでドクター・ウェルの姿があった。

そしてその周囲には、まるで王族が侍らせる侍女のように小日向 未来が寄り添っている。

それも一人ではなく、何人もの小日向 未来が。

そのどれもが虚ろな表情を浮かべ、何一つ言葉を発さない。

まるで人形のような彼女たちこそ、先ほど八紘が幾度となく姿を目にして、見失った人物に他ならなかった。

 

「彼女たちはまさか……クローンか」

 

 それならば、訃堂の言った『急拵えの代替品』という言葉も説明がつく。

しかしどうやら、その予想は外れていたらしく、八紘の言葉にウェルは思わず鼻を鳴らす。

 

「はっ! こんな短期間でそう簡単に成体クローンをぽんぽんと作れるものか。そんなことはこの天才をもってしても不可能だ」

 

 自嘲なのか自慢なのかわからないが、ともかくただのクローンでないことは確からしい。

だが、だとすれば――

 

「ならば、そこに居る小日向 未来は……」

 

――何だというのだ? と八紘は問う。

 その問いに満足したのか、ウェルは悦に入るかのような表情を浮かべて、己の身に起こったことを八紘に説明するのだった。

 

 キャロルの一撃により崩落したチフォージュ・シャトー。

その中で、瓦礫に埋もれる様にして、ウェルは死の淵に瀕していた。

 チップを手渡しマリアを見送ったその後、最低であれ何であれ、英雄として死を迎える己の生を、その末路を、ウェルはただ受け入れようとしていた。

しかし、三人を見送ってしばらくの後、その周囲に急激なフォニックゲインの高まりが生じたのである。

 それは奇しくも、キャロルがその身を碧の獅子機へと取り込ませた際に生じた力の奔流であった。

ウェルは薄れゆく意識の中、半ば無意識に場に満たされたそれを左手――ネフィリムの左腕で吸収し、己がエネルギーへと変換。その命を辛うじて繋ぎとめた。

 その後の爆発も、聖遺物由来のエネルギーで有る限り、ウェルにとって脅威足り得ることは無く、爆発から身を守ると同時に傷ついた肉体を修復することで、生にしがみついたのである。

 

「まぁ、おかげでこんな身体になっちゃいましたけどね」

 

 ウェルはそう言って事も無げに白衣をめくって見せる。

かつて左腕のみにネフィリムを宿していたウェルは、今やその大部分をネフィリムに侵食されているようだった。

それは、損傷した臓器をネフィリムに侵食させる事で機能を肩代わりさせ、生命活動に必要な働きを死に物狂いでものにした証でもあった。が、あまりに凄惨なその外観に、思わず八紘はその顔を顰めずにはいられなかった。

 ウェルは腕のみならず、腹部から下腹部。上は首元にまで至ろうとしているそれを忌々しそうに撫でながら、話を続ける。

 

 キャロルとの戦いが終わった後、命こそ永らえたものの、その身、その重要な臓器へと侵食を成功させたネフィリムの因子は、本来の性質を取り戻しつつあるのか、ウェルそのものを取り込もうと、その侵食・増殖を加速させた。

飲み込まれようとする己を、その自我を、必死の想いで繋ぎ止めんともがくウェル。

それを見つけたのは、風鳴 訃堂の配下だった。

 その後、ネフィリムの左腕やウェルのその知識に興味を持った訃堂により、ウェルは私用の研究室をあてがわれた。

軟禁され、訃堂の目論見に手を貸すことを条件に、ネフィリムの因子を抑えるためのAnti_LiNKERを精製・投与し、己を維持し続けていたのである。

 

「いかに僕が天才といえど、真っ当な設備が無ければ薬一つ満足に作ることは出来ませんからね……」

 

 そうしてため息混じりに説明を終えると、ウェルはその話を証明するかのようにその腕へとAnti_LiNKERを投与する。

よくよく見てみれば、その面持ちは随分とやつれているらしく、目の下のくまもまた、濃いものとなっていた。

 

「そして僕は彼女たちを作った……いや、複製したと言った方が適切かな?」

 

 鼻にかけるような物言いで、ウェルはそう説明する。

――複製ということはやはりクローンなのではないか?と、八紘はその話に疑問を抱くのだが、実際のところはどうやら少し違っていたようである。

 

「あれはホムンクルスの製法に生化学の技術で彼女の遺伝子を掛け合わせた、言うなれば錬金術と科学の間の子――ハーフみたいなものです。ただし、S.O.N.G.の皆さんに連れ出させたのは随分と初期のもので、常に投薬が必要なうえ身体のあちこちが腐りかけた失敗作ですがね」

 

――なるほど、道理で。と八紘は漸くに合点がいく。

 翼の報告に有った注射痕や腐臭というのは、つまりそういうことだろう。

 

「だが、これほどの人数を何故」

 

 それでも、不可解なのはその数であった。

一人二人。のみならず、今ここにいるだけでも優に七人以上は小日向未来の複製体が居る。

それは、人質として使うにはあまりに多過ぎる。

 

「愛、ですよッ!」

「何故そこで愛ッ!?」

 

 唐突なキーワードに然しもの八紘も、動揺せずにはいられなかった。

この狂人は小児性愛の気でもあるのだろうか? 確かに報告によれば、フロンティア事変の折に、暁切歌や月読調に対する執着を見せたと聞くが。

 

「あぁ、勘違いしないで下さい。僕にそう言った趣味はありませんので」

 

 そんな八紘の疑念を言外に察したかのように、ウェルは釘をさす。

――だとすれば、この数は?

 

「彼女たち複製体には魂と呼ぶべきものが無いのですよ。要するに愛を持たない人形です。それでも並列に繋ぐことで、本物の小日向未来の歌の力を共鳴・増幅するブースターユニット程度の役割はしてくれる」

 

 それによって、安定させた強いフォニックゲインを用い、先程訃堂へと報告したように、驚異的なペースで聖遺物を起動しているのだと言う。

 

「その聖遺物とは何だ? あの男は一体何を隠している?」

「そこから先はまだ話せませんねぇ。何せ僕にとっても重要な交渉材料なのですから」

 

 八紘は焦れたように問うが、ウェルは答えようとしなかった。

交渉材料とは何か? そもそも、ウェルは何故、何のために八紘をここへ招いたのか。

分からないことはいくらでもあった。

 

「一つ聞かせてもらいたい」

 

 八紘は、その内の、最も重要であろう疑問を口にする。

 

「なぜ私をここへ連れてきた」

 

――何を企んでいる? と、八紘はウェルを睨め付ける。

 もしもこれまでの話が事実であれば、それは八紘にすら知らせていない以上、訃堂にとっても秘匿したかったものに違いない。

それを訃堂に黙って八紘に打ち明けようものなら、ウェル自身もただでは済まないはずである。

それだけのリスクを背負ってまで、この部屋へ招き入れた理由が八紘には分からない。

 ウェルはその問いを受けると、「待ってました」と言わんばかりの笑みを八紘に向ける。

 

「さぁ、取引と行こうじゃありませんか」

「取引だと……?」

 

 八紘はウェルの提案を訝しみ、その表情を推し量ろうとする。

しかし、狂気に満ちたこの男の表情から読み取れるものなどは無く、ただただその口から語られる言葉を待つしかないようであった。

 

「僕が提示するのは彼女――本物の小日向 未来の所在です。S.O.N.G.の人間にとっては喉から手が出るほど欲しい情報のはずだ」

 

 確かにそれはウェルの考える通りであった。

翼や弦十郎が今の話を知れば、すぐにでも飛びつくだろう。

問題は――

 

「ならば、その情報の代わりに何を求める?」

「なに、簡単なものですよ。あなたたちにとってはね」

 

 警戒する八紘へと、ウェルは下卑た笑みを浮かべる。

この狂人は一体何を要求してくるのか。と、身構える八紘に対し、ウェルはその条件を口にした。

それは意外な提案であった。

 

「僕の身柄をS.O.N.G.で引き受けてくれませんかねぇ」

「何……?」

 

 八紘は思わず耳を疑った。

S.O.N.G.で身柄を引き受けるということは、拘束を甘んじて受けるという意味だろうか。

それとも、かつてのマリアのように、S.O.N.G.への転属という形を希望しているのか。

答えあぐねている八紘を急かすかのように、ウェルは響の近況を口にする。

 

「そういえば、彼女――融合症例だったあの少女、S.O.N.G.本部へと報復に向かったそうですよ。独断でね」

「なッ……」

 

 その言葉に八紘は驚きを隠せずに声を上げる。

今の響に対して、小日向 未来の存在無くして和解などは有り得ない。

ならば、その行く末は装者同士の血みどろの戦いだろう。

 

「さぁ、迷う時間はありませんよ」

 

 ウェルの言う通り、最早逡巡するほどの余裕など、残されては居なかった。

八紘の頭を「いい加減、肚を決めよ」と言った訃堂の言葉が過る。

守るべきは人か、国か。

――ならば私は。と、自問する。

 八紘の答えは既に決まっていた。

 

「分かった。取引に応じよう」

 

 

 

――S.O.N.G.本艦の停泊する港の設備。

 そのあちこちから火の手が上がる。

夥しい数のサイレンを引き連れて現れたのは、他でも無い立花 響。その少女であった。

 

「司令ッ! 響ちゃんが単独で……!」

「本艦に向かって周辺設備を破壊しながら真っ直ぐ向かってきています!」

 

 友里と藤尭が立て続けに状況を報告する。

二人の言葉が示す通り、響は既にすぐそばまで迫ってきていた。

 モニタに映されるその表情は憤怒に燃え、その身に纏うギアは黒に染まっている。

響の周囲に噴出された――かつてマリアが纏っていた時と同じようにしてその周囲に翻されるそれは、しかしマントというよりも漆黒の、黒煙にもにたオーラであった。

 その身を押し留めんとする警官や警備員達を容赦なく叩きのめし、迷いのない足取りで響はS.O.N.G.本艦へと歩を進める。

響本人をして「誰かを傷つけるために使いたくない」と言わしめたその力で、響は迷う事なく人を傷つけ、打倒していく。

 

「俺たちはもう、手を取り合うことは出来ないのか……響くん」

 

 モニタを食い入るように見つめる弦十郎は苦い面持ちで呻くように言葉をこぼした。

装者たちは既にそこへ向かわせている。

彼女たちが響と対峙したとすれば、その先には戦い、ぶつかり合う道しか残されてはいないだろう。

 その勝敗がどちらに傾くにせよ、少女たちは傷つくのだ。

弦十郎は己の無力を呪うように「くそッ!」と声を荒げては、拳をわなわなと震わせた。

 

 響の向かう先――本部からの出口から、真っ先に現れたのは調であった。

その後ろを追いかけるようにして、翼と切歌も姿を現す。

 

「あんな事を続けたら、きっと響さんは後から自分を責める……だから止めなくちゃ」

 

 誰に聞かせるでもなくそう呟き、シュルシャガナのペンダントを手にする。

かつてその在り方を「偽善」と罵り、響を傷つけた。

だからこそ、誰よりも響の気持ちを。この先に抱くであろう自責の念を想い、決意を――覚悟を胸に、聖詠を紡ぐのだった。

 

「Various shul shagana tron……」

 

 輝きを纏い、その機動性で調は一息に響へと迫る。

こと接近戦に関しては、シュルシャガナとガングニールの力の差は歴然。

それは宛ら捨て身の特攻に思われた。

 

「止せッ! 月読!」

 

 翼が制止するも既に遅く、二人の姿は一瞬交錯する。

直後、調の鋸の幾つかが響の拳による一撃に力負け、粉々にはじけ飛んだ。

体勢を崩してよろめく調に向かい、響は容赦なくその拳を打ち込もうと踏み込む。

 

「非力なシュルシャガナでは響さんのガングニールの力には勝てない……だとしてもッ!」

 

 調は咄嗟に疾走して体勢を立て直すと、鋸の横面を響へと叩きつける。

直撃したかと思われたそれは、しかしやはり打ち砕かれ、調は再度その体勢を崩してしまう。

響はその隙を見逃すことなく反撃に転じようとするが、間に割って入った翼の天ノ逆鱗に遮られ、間合いを取った。

 

「無事か、月読」

「一人で突っ込むなんて無茶が過ぎるデスよ!」

 

 翼と、そして切歌が合流する。

その後からはマリアとクリスもまた、三人のもとへと追いすがる。

 

「ごめん、切ちゃん。でもわたし……わたしは響さんを助けたい」

「調……」

 

 胸の想いを、決意を、調は口にする。

自分を偽ることなく真っ直ぐに、響へと向けてその思いを強く、ただ強く。

 

「それはわたしたちも同じ。一緒にあの子を止めるわよ」

 

 合流したマリア・クリスを加えて、五人は響と対峙する。

五対一、数の面で見ればその差は歴然だった。

それでも響はなお、その怒りを燃え上がらせるように、漆黒のオーラを湧き立たせる。

 

「何で……」

 

 響はぽつりと問う。

それは、五人に向けた言葉だろうか。

それとも別の、当てもなく発したものだろうか。

 

「何でわたしだけが奪われなくちゃいけないんだッ!」

 

その怒声と共に響の、漆黒に染まったギアから、質量を伴ったオーラが噴出する。

それはまるで意思を持っているかのように蠢き、五人の周囲を取り巻いていく。

 

「立花……」

 

 翼は呻くように、その名を呼ぶ。

しかし、それは響に、その心に届く事は無い。

仲間を想い、己を偽って、それでも信じた少女の心は、しかし言葉無き対峙にその真意をわかり合う事も出来ず、裏切られ、生まれ持ったその善性を反転させた。

かつて、誰よりも人を愛した少女は、誰よりも人を憎み、恨み、呪い――それらを今、純粋な暴力へと変える。

 

「みんな味わえばいい。わたしと同じ苦しみを……失望をッ!」

 

 響の咆哮を引き鉄に、周囲のオーラは翼たちへと向かい襲い掛かる。

それは他ならぬ、立花 響の憎悪の体現。

傷つけられた事に傷ついて、傷つける事になお傷ついて。

それでも少女は、暗澹たる世界へと牙を突き立てる。

己を、世界を呪いながら。




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