戦姫絶唱シンフォギアASH   作:がめちょん

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信じたが故に裏切られ、愛したが故に憎しみを抱き、少女は復讐の『牙』を突き立てる。
そんな中、大人たちもまた、己の為すべき事を胸に抱き、立ち上がっていく。
最早後戻りのできないほどに罪を抱え、自ら穿った絶望の深淵で慟哭する少女に、光は届くのだろうか。


第六話  復讐の牙

クリスの葛藤

 

 

 艦内に響き渡る警報音は止む事を知らず、職員たちはあちこちで声を上げて走り回っている。

調と切歌、そして翼の三人は、弦十郎の指示により、襲撃に来た響を押し留めるため、既に外へと向かっていた。

そんな中、動かずにただただ立ち止まっていたのは、クリスだった。

 

「クリス! わたしたちも行くわよ!」

 

 まだ快復しきらぬ身体を、気持ちだけで支えるようにマリアは外へ向かおうとする。

しかし、それでもクリスは動こうとしない。

 

「何をしてるの?」

 

 俯いて黙ったまま動かないクリスに、マリアは焦れたように問う。

三人を早く追いかけなければ。

 

「わかんねぇんだよ……あいつにどんな顔で会えばいいのか」

 

 今でも響の、絶望した顔が目に浮かぶ。

悲痛な慟哭が、耳を塞いでも聴こえてくる。

――そうさせたのはあたしらなんだぞッ! と、クリスは内心に己を、マリアを、仲間たちを責める。

 偉そうなことを言っておきながら、結局彼女の言葉を聞き入れなかったのは自分たちではないか。と責め立てる。

 

「クリス……」

 

 同じ気持ちが、マリアにもあった。

いや、マリアこそが、誰よりも強くその気持ちを抱いていた。

小日向未来の、その手に残った感触が、嫌でもマリアにその罪を思い出させる。

 しかし、だからこそ――

 

「そうして俯いていれば彼女は救われるの?」

 

 マリアは、強い口調で詰るようにクリスに問う。

そうとも、こうして己を責め立てたところで、何も変わらない。響の心が救われるわけではない。

未来が、救われるわけではないのだ。

 

「だからってあいつとやり合えってのかよ!」

 

 クリスは涙混じりに応える。

傷付けて、大切なものを奪って、その上また傷付けようというのか?と、その眼差しが言外にマリアへと問うていた。

 その強い眼差しに、マリアは一瞬言葉に詰まってしまう。

それでも、それでもマリアは絞り出すような声で答える。

 

「そう、戦ってでも、それでも彼女を止めるのよ」

 

――今、誰よりも優しかったあの少女は、分かり合うことを望んだあの少女は、激情に駆られ人に牙を向けている。

 傷つける事に傷つきながらも、それでも激情に身を任せ、暴走しているのだ。

いつしか目の前の人々を打倒して、その果てに彼女に残されるものがあるとすれば――

 

「このまま戦いを続ければ、きっとあの子は後悔に苛まれる。あなたはそれで良いの?」

 

 その言葉にクリスは「はっ」と顔を上げた。

今の今まで、自分は己の事ばかり考えていたことを思い知らされる。

響に対する負い目から、ただただ己を責めるばかりで居たのだと。響の苦しみなど、本当の意味では理解していなかったのだと気付かされる。

 

「わたしはあの子を止めてあげたい。例えそれがわたしのエゴでしかないとしても。ね……あなたはどうなの?」

「あたしだって――」

 

 かつて響が、自分にそうしてくれたように、クリスもまた響をその闇から救い出してやりたいと願う。

今、こうして居場所を手に入れられたのは他でも無い、響がその手を繋いでくれたからこそだった。

 

「あたしだってあいつを、あのバカを救ってやりたい」

 

 先ほどまで俯いていた弱気なクリスは何処へいったのか。

しっかりした足取りでマリアを置いて先を行く。

その瞳に迷いなどはもう、無かった。

 

「行くぞマリア。あのバカを連れ戻しに」

「ええ、行きましょう」

 

 互いに視線を、言葉を、意思を交わし、出口へと向かう。

二人は通路から出ると、共に聖詠を口にした。

 

「Killter Ichaival tron……」

「Seilien coffin airget-larm tron……」

 

 鮮烈な紅と白銀のギアを纏い、二人は出口から躍り出た。

そうして、二人を加え揃い立つ五人へと、響は身に纏うオーラを『牙』へと変えて突き立てる。

――復讐の『牙』を。

 

 

 

 

 海岸に面した施設の上で、少女たちは死闘を繰り広げる。

無数に枝分かれし、まるで命を持ったように蠢くその『牙』は、装者たちを狙っては、足元を抉り、大きな穴をいくつも穿っていく。

 その穴には黒煙のような憎悪の残滓が、ぢりぢりと焦げ付いたように湧き立っていた。

 

「皆、気を付けろ。まともに受ければただでは済まないだろう」

 

 その刀身を手に、何とかそれらを薙ぎ払いながら、翼は警戒を促す。

続くマリアも、クリスや切歌たちも、その猛攻を辛うじて躱しながら、響との間合いを計っていた。

 

「拳による攻撃ではなく、あくまでこっちが本命ってわけね」

 

 マリアの言葉が示す通り、響はここへ来てからというもの、直接的に向かって来る事をしなかった。

ただただ、間合いを取りながら、その背に浮かべる憎悪の『牙』を、執拗に突き立てている。

 多人数相手に拳では分が悪いと判断してのことか、あるいはその拳よりも『牙』による何らかの攻撃を狙っての事か。

――ならば足元まで踏み込めば。と、少しだけ前のめったマリアを牽制するかのように、その足元へと『牙』が襲い掛かる。

 

「「マリアッ!」」

「くッ!」

 

『牙』は切歌と調による咄嗟の判断により、イガリマとシュルシャガナの一撃を受け、僅かながらに軌道を逸らされた。が、その直後に迫るもう一本がマリアへと迫る。

既のところで躱そうとしたマリアは、それでも肩口を掠めるようにして撫でていった『牙』の衝撃に片膝を着く。

 いや、それは今のダメージだけではない。

先のショックから抜け出しきれていないマリアは、LiNKERをもってしても充分な適合係数を得られないまま、それでも無理を押してギアを纏っていたのだ。

その無茶が、今に響いてきたのである。

 

「おいッ! 大丈夫かよ!」

 

 クリスは駆け寄り、よろめいたその肩を支えるようにして抱く。

その呼吸は随分と荒い。

低い適合率でのギア運用は、間違いなくマリアの身体を蝕んでいる。

 これ以上の戦闘継続は、命にも響きかねないものだった。

 

「平気よ、これくらい」

 

 その強がる言葉に反し、痺れる腕から短剣をこぼしたマリアは膝を着いてしまう。

ほんのひと撫で。しかしそれは、マリアの身に憎悪を、怨念を擦り込むには充分であった。

 

「わたしのことよりも、あなたたちは彼女を」

 

 内心に膨れ上がる感覚を、苦痛を押し殺しながら、クリスたちへと注意を促す。

すでに呼吸は乱れ、額にはいくつもの脂汗が浮かんでいた。

響は既に次の一撃を放つべく、その『牙』をふりかざしている。

 

「調……」

「うん、わかってる。切ちゃん」

 

 切歌と調は小さく頷き合うと、左右に分かれ、息を合わせて響へと立ち向かう。

イガリマの大鎌が、シュルシャガナの鋸が、響の左右から挟み込むように放たれる。

 

「左右からの同時攻撃デスッ!」

「防げるものならッ――」

 

 立ち上がれないマリアへ追い打ちをかけさせるわけには行かない。

だからこそ、二人は危険を顧みず、無理を承知で強襲したのだった。

 しかし、響は目線だけを二人へと走らせると、その『牙』を二人へと放つ。

今や意志を持ったかのようなそれは、一度獲物を認識してしまえば、あとは半ば自動的に相手を追従するかのように、二人へと執拗に突き立てられていく。

 

「そんなッ!?」

「左右同時デスよ!?」

 

 そのイガリマの大鎌も、シュルシャガナの鋸も弾かれて、二人は愕然とする。

そんな、機を逃した二人へと、響の『牙』は容赦なく追い立てるように放たれる。

咄嗟に身を翻し、鋸の疾走で一撃、二撃と躱すものの、休むこと無い猛攻は徐々に二人を追い詰めていく。

 

「あいつら……無茶しやがって! 先輩、あたしらも!」

「あぁ、行くぞ雪音!」

 

 弾幕を張るかのような弾丸の雨が、翼の放つ天ノ逆鱗が、響の『牙』の猛攻を遮る――が、立て続けに放たれる追撃は、じわじわと調と切歌の二人へと迫っていく。

一つ二つを落としたところで、響の『牙』は新たにその背から生みだされていくのであった。

 

「雪音ッ! 二人を頼む!」

 

 このままでは二人が逃げ切れないと判断し、二人の事を雪音に託すと、翼は響の元へと一息に飛び込んでいく。

霞の構えを取り、脚部のスラスターにより地を駆けて行くその姿は、宛ら捨て身の一撃を狙うかのように見えた。

 

「先輩! 無茶だッ!」

 

 クリスはその身を案じるように声を上げる。

響もまた、それを察して迎え撃つように翼に狙いを定めて『牙』を放とうと構えていた。

 しかしその直前、その身へと『千ノ落涙』による無数の短刀が降り注ぎ、響は咄嗟に後ろへと飛び退る。

 

「さすがに躱すか……」

 

 翼は苦々し気に吐き捨てる。

黒に染まったギアを纏っていても、今の響は暴走というよりも『イグナイト』のそれに近いらしい。

激情に駆られて猪突するのではなく、影縫いに対する警戒から冷静に、『牙』で防ぐようなこともせず、短刀そのものを避けたのであった。

 

「少し手荒になるが……恨んでくれるな!」

 

 その着地点へ、『蒼ノ一閃』を――エネルギーの刃を幾重にも放ちながら、翼は間合いを詰めていく。

それでも響は、立て続けの刃をいくつかの『牙』で薙ぎ払い、残る『牙』を翼へと放つ。

同時に放たれた複数本の『牙』は翼へと集束する。

 クリスは咄嗟に弾丸を放つが、既に間に合うタイミングではなかった。

 

「翼ッ!」

「先輩ッ!」

 

 マリアとクリスは同時に声を上げた。

しかし、翼の身体を貫いたかに思えた『牙』は、その目前で炎を纏った刀身に両断され、霧散する。

 

「ちッ……」

 

 響は、剣の間合いへと迫る翼に対し、距離を取ろうとするが、左右からの無数の鋸と弾丸が、背後に迫る切歌の鎌がそれを許さない。

 

「立花ァ!」

 

――五人の姿が交錯する。

 確かに響を捉えたかに思えたそれは、しかしながら全身を包むように纏われた『牙』により、その身へと届く事は無かった。

 

「何でもアリかよこいつはッ」

 

 身を包む『牙』が突如として展開し、周囲に居た四人の身体に巻き付いた。

それらは、驚愕に足を竦めた四人の身体を絡めとり、ギリギリと締め付ける様にその身を持ち上げる。

 

「くッ……これは一体何なのだ、立花ッ」

 

 翼の顔が苦痛に歪む。

切歌も、調も、クリスもまた、同じように捕らえられ、その顔に苦痛を浮かべている。

 響は何も答えず、その四人を締め上げた『牙』へと、再び黒煙のようなオーラを纏わせる。

その『牙』に触れた辺りがぢりぢりと焦げ付いたように痛み、骨身へと侵食するように広がっていく。

それはまるで毒のように、装者たちの身体を侵していく。

 

 

 

「司令ッ! このままでは……」

 

 藤尭が声を上げるまでもなく、その危機は本部のモニタで窺い知ることが出来た。

未だ立ち上がることすら出来ないマリアと、捕らわれた四人が映る。

締め上げられて動く事すらままならない装者たちの苦痛に満ちた表情もまた、絶望的な状況が見て取れる。

そしてそのバイタルもまた――

 

「装者たちの適合係数、急速に低下……響ちゃんに捕らわれた部分から急速に広がっています!」

 

 その状況をモニタに表示させながら、友里は状況を報告した。

見る間に危険域へと至る急速な適合係数の低下は、響の『牙』にもたらされたものに間違いはないだろう。

 

「五人がかりでも押さえきれんか……」

 

 呻くように弦十郎はこぼす。

翼たちとて、ある程度の覚悟を持ってこの戦いに臨んだはずであった。

傷つけ、傷つけられ、傷つけ合ってでも、響の凶行を止めるために覚悟をしていたはずだった。

 それでも、それ以上に響は、彼女たちを打倒するための強い意志を持っていたのだろうか。

それともあるいは、これこそが響本来のポテンシャルなのかもしれない。

いずれにせよ、装者たちが倒れた今、動けるものがあるとすればそれは――

 

「司令、何処へ?」

 

 立ち上がり、発令所を後にしようとする弦十郎へ友里は声を掛ける

その声に、藤尭もエルフナインも、そして緒川もまた弦十郎へと視線を向ける。

 

「俺が出る。あとの指揮は任せるぞ」

「しかし司令! アルカ・ノイズが出て来たら……」

 

 確かに、もはや響を止められるとすれば、弦十郎をおいて他には居ないだろう。

それでも、もしも響がアルカ・ノイズを出してくれば、例え弦十郎とて無事では済まないはずだ。

 

「いえ、恐らくそれはないでしょう」

 

 その懸念を払拭するかのように言ったのは、他でも無いエルフナインであった。

その声に迷いは無く、その面持ちにもまた、明確な自信が見て取れる。

 

「これまでの襲撃は全て周到に用意されたものでした。そのため我々は後手に回った対応をせざるを得ませんでしたが、今回響さんは単独で、単身で乗り込んできています」

 

 ヘリから現れた最初の一度目。

そして最初から待ち構えていた二度目の邂逅。

そのどちらも、訃堂により周到に準備された上での襲撃であった。

 旧風鳴邸ではこちらからの襲撃であったが、それゆえにアルカ・ノイズの洗礼を受けたのだった。

しかし、今回の襲撃ではたしかに響だけがここへ来ているようだった。

 

「今回の襲撃、恐らく響さんの独断によるものだと推察されます。そのためアルカ・ノイズや乗り物などの助力を得られず、単身でこうして現れたのではないでしょうか」

 

 エルフナインの言う通り、今回に限りは一度もアルカ・ノイズの姿を見ていない。

響の出現にしても、事前に警官との乱闘があったからこそ、事前に察知することすら可能だったのだ。

そこには以前の襲撃のような周到さは微塵も感じられない。

 

「つまり、アルカ・ノイズは出てこないってことか」

 

 藤尭は、エルフナインの推察に納得したように声を上げる。

確かに、その推察が正しければ、人間離れした弦十郎の身体能力をもってして、響を押さえることは可能かもしれない。

 

「よし。アルカ・ノイズさえ出てこなければ俺一人で十分だ」

「司令!」

 

 そうとだけ吐き捨てるように、制止する声を無視して弦十郎は発令所を後にした。

緒川もまた、それに続いていく。

 

「司令……今の響さんは普段の彼女とは違います。大丈夫ですか」

 

 外へと向かうその道行き、緒川は懸念の言葉にする。

今の響は、人を傷つけることを厭わないように見受けられる。

それゆえに、訓練では対等に以上に渡り合えていた翼たちでさえ、その覚悟、その意思の元に打倒されているのだ。

 然しもの弦十郎とて、今の響が相手では勝てないのではないか。と緒川の胸の内に一抹の不安がよぎる。

 

「元はと言えば彼女を……彼女たちを巻き込んだのは俺だ」

 

 そんな緒川の問いに、苦々しい面持ちで、声色で弦十郎は答える。

かつて偶然にもガングニールのギアを纏った響に対し、特異災害対策機動部二課の司令として助力を求めたのは、他ならぬ弦十郎であった。

戦う力を、術を求めて、己の元を訪れた響に、戦い方を教えたのもまた、他ならぬ弦十郎であった。

 そして今それは、彼女たちを戦いの運命へと巻き込み、その親友までも奪う結果を招いたのだ。

それは、目を背けてはならない。逃げてはならない弦十郎の背負う十字架であった。

 

「司令……」

「それに……バカ弟子のしでかしたことは、師匠であるこの俺が受け止めてやらねばならんだろうよ」

 

 震える拳に血が滲む。

己への怒りに胸の内を焦がしながら、弦十郎は響の待つ外へと向かう。

 それ以上何も言う事が出来ず、緒川はその背中を追った。

 ふと、そのポケットの辺りから端末の呼び出し音が鳴る。

 

「暗号回線からの通信? 一体どこの誰が――」

 

 画面に表示された内容を訝しみながら、弦十郎は渋々にそれに応じる。

通信の相手は意外な人物であった。

 

「弦、私だ」

 

 それは、まごうこと無き八紘の声であった。

 

「どうした兄貴、暗号回線など使って――」

「――時間が無い。手短に伝えるぞ」

 

 弦十郎の言葉を半ば遮るようにして、八紘は用件を伝える。

暗号回線の使用だけでない。その様子は、明らかに普段の八紘とは違うものであった。

その声色に、何処となく緊張が感じられる。

 

「本物の小日向 未来はまだ生きている」

「何だとッ!? 本当か兄貴!」

 

 弦十郎はその、八紘の告白に驚きの声を上げる。

この兄が嘘など吐くものかと分かっていても、耳を疑ってしまうような話であった。

 

「旧風鳴邸の地下だ。協力者と共にいる。その場所までは彼女の複製体が案内してくれる手筈となっている」

「協力者? 複製体? 兄貴、それは一体――」

 

 不可解なキーワードの連続に、弦十郎は聞き返すが、しばし音声が途切れてしまう。

その間は僅か数秒ではあったが、再び端末越しに喋る八紘の声は、少し息を切らしているようであった。

 

「行けば分かる。合流ポイントはすぐに送ろう……それから慎次、頼みたいことがある」

 

 弦十郎はその言葉に振り返り、緒川を見据える。

それは当然緒川にも聞こえていた。

端末を受け取ると、緒川はいくつか相槌を打ちながら八紘と言葉を交わす。

 

「当然です。響さんは僕にとっても恩人ですからね」

 

 緒川は力強く頷き、応えた。

かつて、一人頑なに、己を一振りの剣として生きていた翼を、その孤独から救い出したのは、他ならぬ響である。

緒川の言った「翼さんを嫌いにならないでください」という約束を、響は守ってくれたのだ。

 もちろん響自身にはそんなつもりは無く、彼女の本心からの行動だったのだろう。

それでも、だとしても、その出会いこそが翼を救ってくれたのだ。

 その恩義に報いるのであれば、ここを於いて他にないだろう。

 

「頼むぞ、緒川」

「必ず未来さんを連れ戻します」

 

 緒川はそう言うと、一足先に通路を駆けて行った。

弦十郎もまた、出口へと向かう。

――未来くんが生きているのならば、なおさら止めてやらねばならん。と、その拳に、その胸に決意を新たに抱きながら。

 

 

師弟対決

 

 

 『牙』により、マリアを除く四人は地に伏せていた。

その身にはぢりぢりと、響の纏うものと同じようなオーラが、漂うかのように纏わりついている。

 

「翼ッ! クリスッ! 調ッ! 切歌ッ!」

 

 マリアは悲痛な声で四人の名前を呼ぶ。が、誰一人答えるものは居なかった。

誰もが呻き声をあげ、悶えるように苦しむ――まるで熱病にうなされるかのように。

 

「響……あなた、みんなに何をしたの」

 

 マリア自身もまた、先に受けたひと撫でにより、その影響下にあるらしく、胸の内には抜剣時に受けるものと似たような、黒い感情が煮える様に湧き上がってくるのを感じる。

 それでもマリアは、それを押し殺すように響を睨め付けた。

対する響は怯むことなくその目を見据え返して答えるのだった。

 

「わたしの痛みを、苦しみを伝えただけ」

 

 どこまでも昏い、光を失った瞳がマリアへと向けられる。

いつだって「分かり合いたい」と言っていた少女の姿は、もうそこにはない。

 そこに居るのは、どこまでも悲しい『復讐者』でしかない。

 

「もうやめなさい響。そんな事をすれば傷つくのはあなたの方じゃない」

 

 人を傷つける事を恐れ、拒み、それでも戦った。

誰かに負わせたその傷に、その痛みに、自らの心を痛め続けていた。

そんな響がこんなことをして、後で後悔しないはずがない。

 しかしその言葉に、マリアの制止に響の表情が曇る。一層に歪む。

 

「わたしも、止めてって言った……未来を連れてかないでって言った」

「響……」

 

 その声が、言葉が、肩が震えている。

裏切られた憤りに、喪った悲しみに、ただ震えている。

――刹那、背後の『牙』がマリアを捕らえ、締め上げる。

 

「言ったんだッ!」

「うぐッ……」

 

 悲痛な咆哮に、マリアは答えることも出来ずに呻き、悶え苦しむ。

その身を黒い衝動が、絶望が、失望が焦がしていく。

それはマリアの心の、どこまでも深いところへと侵食して広がっていき、やがてその意識を飲み込んでいった。

 その身体が抵抗の意思を失う頃、遠くの車両用出口付近から、一台の車が飛び出した。

その運転席に緒川の姿が見て取れる。

 突進されることを警戒し、マリアの身体をどさりと投げ捨てる――が、その予想に反して、緒川はそのままどこかへ走り去っていってしまった。

――あんなに急いで何処へ? という疑問は、しかしすぐさま忘れ去れることになる。

 

「それくらいにしておいたらどうだ、響くん」

 

 通り過ぎた車の向こう辺りから歩み寄る弦十郎の姿があった。

真っ直ぐに、響の元へ向かってくると、辺りに倒れる五人の姿を見て、大きなため息を吐く。

 

「あーあ、随分と派手に暴れやがって。何やってんだ、バカ弟子が」

 

 響は、その言葉に答えることなく、弦十郎へ向けて拳を構える。

背の『牙』ではなく、己の拳を。

ギアを纏っていないとはいえ、弦十郎の力量は底知れない。いや、天井知らずである。

一瞬たりとも油断するわけには行かない。

 弦十郎もまた、首を、拳を鳴らしながら、少し離れたところで構えを取る。

しかし、拳を交えるよりも先に、伝えておかなければならないことがあった。

 

「響くん。兄貴から連絡があった。未来くんはまだ生きている」

「そんな嘘を」

 

 弦十郎の言葉に、しかし響は忌々しげに吐き捨てる。

目の前でその死を目の当たりにしたのだ。そんな嘘に容易く従うことなど出来るはずもない。

――わたしだってそんなに単純じゃない! と、拳に力がこもる。

 

「嘘じゃないさ。今、緒川を救出に向かわせた」

 

 それもまた事実であった。

既にヘリの手配も済んでいる。緒川ならば未来を連れ帰るのも時間の問題だろう。

 しかし、それでも響は信じようとしなかった。

いや、信じられないのも無理はない。

己の目で見たもの以上に確かなものなどあるものか。と、響は弦十郎の言葉を頑なに否定する。

 

「響くん……君は、今のそんな姿を未来くんに見せられるのか?」

「ッ!」

 

 その言葉に、響は「かっ」と目を見開き、咆哮と共に大地を蹴って飛び出した。

未来を奪っていったその本人たちが、その名を、軽々しく出しに使うなど、許せるはずもなかった。

 弦十郎は、響の放つその――怒りに任せた拳を片手でいなし、その横腹へと掌底を叩きこむ。

しかし響とてそれをただ受ける事なく、身を翻してそれを躱すと、弦十郎の頭上から勢いに乗せて一息に蹴り込んだ――が、それもまた防がれ、一旦響は距離を取る。

 

「やれやれ……説教するのは良い汗をかいてからのようだな」

 

 やり場のない憤りをぶつけていく響。

弦十郎もまた、それに応えるかのように響へと向かうのであった。

 

 

 

「ここですか……」

 

 緒川が到着したのは旧風鳴邸から一㎞ほど離れた林の中であった。

今回の救出には協力者による助力が不可欠である。

あくまで隠密性が求められる今回の救出に、緒川 慎次という男はうってつけだったと言える。

 指定されたポイントで緒川は周囲を警戒していると、ふと木立の中から気配が現れた。

緒川は、その人物の姿を見て思わずぎょっとしてしまう。

 

「未来さん……ではなく、あなたが案内の複製体の方ですね」

 

 未来の複製体は言葉も無く、緒川の姿をじっと見ていたが、しばらくすると背を向けてひたひたと歩き出す。

 

「ついて来い。と、言うわけですか」

 

 言外にそれを察し、思わず苦笑いを浮かべてその背中を追う。

複製体は木立の中を旧風鳴邸の裏手側まで進むと、地下に続く非常口を開き、中へと入っていく。

 その中は巨大な迷宮であった。

先日、翼とマリアが侵入したのは、その極浅い層の部分に過ぎず、地の底までも及びそうな深い地下空間を、二人はひた進む。

薄暗い通路をぐるぐると回り、その地下施設の深部へと、ただただ進んでいくようだった。

 ふと、先を行く複製体の動きが止まる。

その視線の先を覗き込むと、そこには周囲の和風な造りとは明らかに異なる、先端技術の扉があった。

 

「あれが……未来さんの居る場所、ですか?」

 

 複製体は相も変わらず何も答えない。

しかし、ここで止まるということは恐らくそうなのであろう。

問題は、どうやって中へと踏み込むか。

 明らかに厳重なロックが掛かっているとみられるその扉は、一筋縄に開けられそうにない。

ましてや内部に未来と協力者が居るのであれば、爆発物などの危険な方法を取ることは出来ない。

 

「隠れてください」

 

 緒川は、ふと生じた後方の気配に、複製体を伴って咄嗟に身を隠した。

薄暗い通路の向うから、闇を纏うようにやってきたのは風鳴 訃堂であった。

 その表情に苛立ちが見て取れる。

それは響の独走によるものだろうか? それともあるいは、別の理由でもあるのだろうか。

 訃堂がセキュリティユニットに入ると間もなく、その扉が開け放たれた。

そこは、他でも無い。

先日訃堂が八紘を伴った、ヴィマーナの置かれた部屋であった。

 

「いやぁ、お待ちしていました。実はちょっとしたトラブルがありましてねぇ」

 

 訃堂を出迎えたのは、他ならぬウェルである。

八紘から話を聞いていたとはいえ、緒川は思わず驚愕してしまう。

まさか生きていようとは、この目に見てもまだ信じられない。

 

「御託は良い、状況を話せ」

「えぇ、実は五つ目まで起動は成功したのですが、残る分で判断に迷う点がありまして……」

 

 苛立ち混じりに問う訃堂、その向うのウェルが、緒川に気付いているかのように視線を向ける。

――なるほど、そういう事ですか。と、その意図を察した緒川はすかさず物陰から躍り出る。

その気配に訃堂が気付くよりも早く、その影へと銃弾を撃ち込んだ。

 

「何ッ!?」

 

 突如として身体の自由を失い、訃堂は思わず驚きの声を上げる。

己に何が起こったのかもわからず、周囲へとその目線を走らせるが、室内に怪しい者など誰一人、何一つ見つからない。

だとすれば――外。

 

「忌々しい技ですが、今ばかりはその『影縫い』とやらに感謝しなければなりませんね」

 

 ウェルは、かつて自らも受けたその技を思い出しながら、腕をさするようにして緒川へと声を掛ける。

訃堂もまた『影縫い』という言葉に、背後へと迫る人物の予想を付けた。

 

「慎次、貴様血迷ったか」

 

 振り向くことも出来ず、訃堂は歯噛みする。

緒川の襲撃は、然しもの訃堂とて予想外の事態であった。

ましてやこの場所へ辿り着くなど――と、考えを巡らせた訃堂は、目の前の男に対して「はっ」とする。

 

「ええ、そうですとも。僕の手引きによるものですよ」

 

 目の前の白衣の男は、ウェルは自信を漲らせた風で訃堂が抱いたであろう疑問に答える。

 この部屋の扉は強固にして堅牢。

いかなる物理的な手段でも容易に破壊することは叶わず、下手をすれば外を破るよりも先に、内部の人間の生死に関わってしまう。

かと言ってセキュリティユニットもまた、生きた訃堂の自らの意思を持ってせねば扉を開くことは叶わない。

だからこそ、こうして訃堂を招き入れたのだ。

だからこそ、緒川を導いてきたのだ。

 

「血迷ってなんか居ません。僕が仕える防人は、昔も今も翼さんただ一人ですから」

 

 先ほどの訃堂の問いに、緒川は答える。

そうとも、一度たりともこの男に仕えた覚えなどは無い。

 

「緒川さんッ!」

「未来さん、無事でしたか」

 

 ヴィマーナの傍らに立ち、声を上げたその少女は紛れもない小日向 未来であった。

その顔色には若干の憔悴が見られるものの、存外に元気そうな姿に、緒川は内心に安堵する。

 

「さて、グズグズしてる暇はありませんよ。早く案内してもらいましょうか」

「ウェル博士……話は後から聞かせていただきます」

 

 緒川自身、聞きたいことはいくらでもある――が、今は二人を連れての脱出を何よりも優先しなければならない。

手元の端末で、その部屋に残されたヴィマーナを、それと知らないまでも手早く撮影する。

 

「貴様も吾を裏切るというのか」

「はッ! 裏切るも何も、端から僕はAnti_LiNKER精製のために従っていたに過ぎない。その必要が無くなった今、英雄たるこの僕が貴様の悪事の片棒など担ぐものか!」

 

 怒りにわなわなと震える訃堂の問いに、ウェルは早口でまくし立てる。

訃堂はその表情を、忌々しげに歪めて呻く。

 

「果敢なき者どもが……自分たちが何をしているかわかっておるのか! あの娘が何のために吾に与したか……!」

 

 その言葉に未来がハッとする。

未来もまた響と同じように、何も状況を知らされることなく「立花 響を助けたければ」と、聖遺物の起動のために歌うことを強いられていたのだった。

今、響がどうしているかなど知りようが無かったのである。

 

「緒川さん、響は……響は無事なんですか?」

 

 その瞳が不安気に揺れる。

今にも泣きだしそうな面持ちを向ける少女に、緒川は柔らかな笑みを作って見せた。

 

「今は無事です。ただ……」

「ただ?」

 

――話しても良いものだろうか?

 響は今、未来が死んだものと思いこみ、その怒りを他の装者たちへ向けてぶつけている。

己の感情のままに拳を振るい、周りの人々を傷つける響の状況を、未来に話すべきかどうかと逡巡する。

いや、きちんと話すべきだろう。しかし今は――

 

「詳しい話はここを出てからにしましょう。ウェル博士、脱出の経路は?」

「もちろん下準備はバッチリですよ」

 

 複製体が道の先を行く。

出口まで出てしまえば、後は一息にS.O.N.G.本部へと逃走するのみである。

訃堂が身体の自由を取り戻す前に、何とか安全圏まで脱出しなければならない。

 

「おのれ……果敢なき者どもがッ!」

 

 忌々しげな訃堂の声が、辺りに響く。

部下たちがその声を聞きつけてたどり着くには、些かその迷宮は入り組み過ぎており、奇しくも訃堂は、己の張った安全策によりその発見を遅れさせるのであった。

 

「緒川です。無事に未来さんと……協力者を救出しました。至急回収をお願いします」

 

 外へと出るなり緒川は手短に用件を伝え、回収のヘリを要請する。

合流ポイントを指定しようとした時、本部から伝えられた事実により、その顔に驚愕の色が浮かぶ。

 

「えっ、司令が……!?」

 

 思わずその端末を落としそうなほどに、緒川はただただ、愕然としていた。

 

 

 

 打ち合い、離れ、また打ち合う。

藤尭が、友里が、エルフナインが、モニタに映る二人の攻防を、ただただ固唾を飲んで見守っていた。

 弦十郎との戦いで、響は『牙』を使わず、己の拳だけを頼りに戦っていた。

弦十郎もまた、その体術を以って、ギアを纏った響の攻めを躱し、隙を見て打ち込む。

弛まぬ鍛練により身に着けた体術を駆使する弦十郎に対し、幾つもの死地を、死線を越えてきた響の、感覚的な格闘センスもまた、互角以上に渡り合っていた。

 しかし、これまでの戦いによる継続的な疲労が、積み重ねてきた無茶が、じわじわと響の動きを蝕み、そのキレを失わせていく。

弦十郎もまた、衝撃やダメージを発勁でかき消してはいたが、人の身である限りその限界は近く、既に身体のあちこちが軋み始めていた。

 訓練とは違う、本気の打ち合いは、手加減なしのガングニールの出力を弦十郎へと浴びせかけているのだ、無理もない。

 

「随分と息が上がっているようだが、大丈夫か響くん」

「別に……これくらい」

 

 互いに肩で息をする。

言外に、その限界を感じ取り、次が最後の一撃だ。と互いを見据える。

 どこまでも真っ直ぐな瞳をしていた少女の目は、しかし今は昏く淀み、翳り、憎悪を込めて弦十郎を睨め付ける。

 そうさせたのは俺なのだと、自らを責める。

――だが、だからこそ。と弦十郎は己を奮い立たせる。

 その責任から目を背けることは出来ない。

彼女の、響の痛みを、苦しみを、悲しみを、受け止めてやらねばならない。と、強い意志を、決意を抱く。

 

「はぁッ!」

「ふんッ!」

 

 互いに声を発し、その身を跳躍させるがごとく、一息に間合いを詰める。

二人の姿が交錯し、衝撃が一面に砂埃を巻き上げる。

 響の拳は弦十郎の胸元を捉えていた。が、その手首を弦十郎はしっかりと掴んでいた。

 

「くッ……」

 

――衝撃は発勁で打ち消されたはず。

 ならば、早く振りほどかなければ反撃を受けるだろう。と判断し、響は後退ろうとする。が、しっかりと保持された手首は振りほどくことも叶わず、弦十郎はその手を大きく振りかざした。

 響は打たれる衝撃を覚悟し、固く目を閉じる。固く、固く。

しかし、予想に反して放たれたそれは、どこまでも優しく、まるで触れるような平手であった。

 

「えっ?」

「ったく……このバカ弟子が」

 

 弦十郎は、優しく、ただただ優しく微笑みかける。

ぺちりと打たれた頰が、じわりと温かくなるのを感じる。

いつの間にか、手首に掛けられた力は和らぎ、弦十郎は響の拳をそっと包むようにして、握った。

 

「この手は、そんな風に使うためのものじゃないだろうが」

「し……しょ……」

 

 その表情の、声色の優しさに、響は思わず名前を呼ぼうとする。

胸の内に押し殺してきた感情が、噴き出しそうな程、胸の内に湧き立つ。

握りしめてきた拳の力がふっと抜け、頬に触れる手を、そっと掴もうとした。その刹那――

 

「がはッ!」

 

――視界が紅に染まる。

 響の胸元へ、優しく包まれた拳へ、弦十郎は鮮血を噴き出した。

 

「え……?」

 

 その手に、その胸に、熱いものを感じて、視線を向ける。

鉄臭い血の臭いが、むせ返るほどの臭いが鼻をつく。

重い身体が、力無くのしかかり、響は思わず尻餅をつく。

 

「師匠……?」

 

 答えは無い。

ただただその身体から力が――熱が、じわじわと失われていく。

 

「嘘、ですよね? 師匠……ねぇ、師匠?」

 

 その肩を抱こうとする手が震える。

弦十郎なら衝撃を打ち消せたはずだ。

それなのに、そうでなければ――ギアを纏った響の拳をまともに受け止めたりなどすれば、ただでは済まない。

だというのに――

 

「救護班を至急回してッ!」

 

 友里は声を荒げて指示を飛ばすと、慌てて発令所から駆け出ていく。

直撃を喰らったのであれば、然しもの弦十郎とて無事では済まないはずだ。

 

「そんな、司令が……嘘だろ?」

 

 藤尭はただただ愕然として、その様を眺めていた。

こと、対人戦において弦十郎が負けるだなどと、考えたことも無かった。

それが今、打倒されたというのだ。

 

「ギアを纏って放たれた一撃を生身で受け止めるなんて……急いでください! 早く処置をしなければ!」

 

 エルフナインもまた、動揺している。

モニタ越しの響は、ただその目を見開き、己が討ち果たしたその相手を、何とか目を覚まさせようと揺さぶっていた。

 

「だれか、師匠を助けて……誰か! 誰かッ!」

 

 動かない弦十郎を抱きかかえ、助けを求める。

悲痛な叫びを――しかし、誰も答える者は居ない。

辺りを見回したところで、自分以外にそこに居る者などはいなかった。

 

「師匠、しっかりしてください! 師匠……! 師匠ッ!」

 

 大粒の涙が零れ、弦十郎の頰を濡らす。

震える声が何度も弦十郎を呼ぶ。震える手が、その肩を揺さぶり、抱きしめる。

その命が零れ落ちてしまわぬよう、必死に、懸命に。

 

「師匠ぉぉぉぉッ!」

 

 立ち上がる者の居ない戦場に、慟哭だけが響く。

自ら穿った絶望の深淵で、少女は新たな罪を刻む。

その身、その拳へ。

――そして、ようやく取り戻した己の感情へと。

 

 

ささやかなる反抗

 

 

「やれやれ、慣れないことをするものではないな……」

 

 通信を終えた八紘は、壁にもたれかかるようにして、薄暗い通路を歩き出す。

その足元は随分とおぼつかず、今にも倒れてしまいそうなほどにふらついていた。

ところどころに点々と、赤黒い染みを作りながら、それでも八紘は進む。

 訃堂の追っ手により受けた銃創は、急所こそ外れていたものの、かすり傷というには深すぎる。

何とか外へ出ればあるいは――と、淡い期待をしたのもつかの間。

突如、通路全体を照らすような眩さが、その姿を照らし出す。

 

「貴様には失望したぞ、八紘よ」

 

 眩しさを遮るように手をかざす――が、その光量はそれすらも許さず、声の主をはっきりと目にすることは叶わなかった。

だが、しかし、姿が見えずとも分かる。

その声は、風鳴 訃堂。その人物のものに相違ない。

 

「果敢なき者が……安い情にほだされて己の為すべきことを見誤るとは」

 

 その声は明らかに怒りに震えていた。

八紘の、ウェルの裏切りにより、目論みのすべてはご破算となったのであろう。

八紘はこの、非道なる父の凋落に「ざまあみるがいい」と内心毒づいた。

 物心ついた頃から防人として育てられ、人の心を持つことも許されず、自らの妻をも奪われながら、これまでずっと己を殺して生きてきた。

 そんな自分のたった一つの、この半生を掛けた最後の反抗は、どうやらこの男の泣き所をうまい具合についたらしい。

 それが、八紘にはどこまでも心地よかった。

 

「最早貴様には何も期待などはせん」

 

 訃堂の手が、その影がすっと上げられる。

それを合図に、訃堂の背後の気配の一つが八紘の元へと歩み寄る。

眩さにくらむ視界の中、八紘はその人物の手に、鋭い銀光が宿るのを見た。

 薄れゆく意識の中、八紘は翼の事を想っていた。

ただただ「すまない」とだけ内心に、ぽつりとこぼして。




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