戦姫絶唱シンフォギアASH   作:がめちょん

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打ち砕かれた可能性。
絶望に覆われた、暗澹とした世界。
それでも少女は前を向き、駆けていく。
深淵の底に射す、一筋の光を手にするために。


第七話  深淵の底に眠るモノ

最強の男

 

 

 等間隔に鳴る電子音が、辛うじて命の繋がりを示している。

明かりの消された薄暗い部屋の中、生命維持装置の淡い光だけが周囲を照らしていた。

その傍に置かれた椅子へと腰掛けて、友里はそこへ眠る人物をただただ見つめている。

――風鳴弦十郎は、幸いにしてその命を取り留めた。

 いくつかの臓器を損傷しながらも、それでも生に食らいついたのだ。

その生存が、言外に語っている。

――こんなところで死んでたまるものかよ。と、その強い意志を示して見せている。

 

「司令、響ちゃん……泣いてましたよ」

 

 そう一人呟きながら、眠る弦十郎へと微笑みかける。

それは、どこまでも悲しい微笑みだった。

そんな友里の眼前に、飲み物の入ったカップが差し出される。

 

「あったかいもの、どうぞ」

 

 いつの間に来ていたのだろうか。

そこにはカップを手に現れた藤尭の姿があった。

 

「あったかいもの、どうも」

 

 友里は、手渡されたそれを、そっと口に運ぶ。

座りっぱなしで凍えた、その身体の芯まで沁みるように、温まっていく。

思えばもう何時間も、こうして弦十郎を眺めていたかもしれない。

 

「司令、まだ起きないんだ?」

 

 そう言って覗き込む藤尭の眼差しもまた、悲哀に満ちている。

もうかれこれ三日は眠り続けているだろうか。

弦十郎が倒れた事による混乱は、今のところ一先ず治ってはいる――しかし、弦十郎を欠いた今、S.O.N.G.全体が暗く沈んでしまっているのも確かだ。

 それも無理はない。

これまでずっと、無理も無茶も通せてきたのは、その頼もしい背中に誰もが引っ張られてきたからこそと言える。

弦十郎が倒れ、八紘との連絡が途絶え、その上装者たち全員が、弦十郎と同じく目を覚まさない状況。

目の前にはただ、暗澹たる絶望が広がっているのみである。

 

「幸い、あっちからの襲撃も今のところは起きてないけど、今度響ちゃんが来たらもう……」

 

 藤尭は思わず弱音を吐く。

事実、戦える者を欠いた今、その襲撃に対抗する術はない。

幸いにして訃堂の側からの襲撃が無いからといって、いつまでもそれが訪れないとは限らないのだ。

 

「そんな弱音ばっかり吐いてると、あとで司令に叱られるわよ」

 

 暗い面持ちの藤尭を励ますように、友里は笑って見せる。

藤尭も、そんな友里につられて「そうだね」と笑う。

 きっと、今は眠ってるこの弦十郎も、その地獄耳で二人の会話に聞き耳を立てているに違いない。

こんな弱気な様子を見せていては、目を覚ました時に雷の一つや二つでは済まないだろう。

 

「さて、少し休んだら? ずっと付きっきりだったんだろ?」

「うん、だけど……」

 

 藤尭の提案に、しかし友里は不安そうに弦十郎を見る。

今は安定しているとはいえ、心配せずにはいられないのだった。

 

「司令のことは、俺がちゃんと見ておくからさ」

 

 藤尭はそう言って笑う。

先ほどの弱気な姿は、そこにはもうなかった。

 確かに、もうずっとまともに眠っていないせいか、少し意識がぼんやりする。

ここで無理をして倒れてしまっては、それこそ他の人々に迷惑をかけてしまうだろう。

ただでさえこんな状況だというのに。

 

「そうね……じゃあお言葉に甘えて、少し休ませてもらうわ」

 

 そう言って、友里は上着を片手に立ち上がる。

おぼつかない足取りで病室を後にすると、藤尭だけが、静寂の中に取り残される。

 

「司令、早く帰ってきて下さいよ。でないと俺たち、どうしたら良いのか……」

 

 弦十郎の眠る装置に、縋り付くようにこぼす藤尭の声は、震えているようだった。

誰一人として答えるものは無く、ただただ等間隔に鳴る電子音だけが、その部屋に響いていた。

 

 

憎悪の残滓

 

 

「外傷はゼロでは無い。が、致命的なものなどは何一つない。脳への損傷も見られず、肉体的に見れば至って健康そのもの――だというのに、彼女たちは目覚めない。さて、君はどう考えているんだい?」

 

 モニタ上に映し出された装者たちのデータに目を通しながら、ウェルはエルフナインに訊ねた。

エルフナインは、少しだけ思案すると「あくまで仮説ですが」と念を押すように、前置いたうえで、己の推論を語り始める。

 

「この黒い靄のようなものが鍵だと思われます。様々な方法で測定してみましたが、これらは物質的な側面を一切含んでいません。にも関わらず皆さんの身体に纏わりつき、蝕んでいます」

 

 エルフナインが示すように、確かに装者たちの身体を取り巻くように、響の放った黒い靄のようなオーラが纏わりついている。

それらは払っても払っても、まったく触れる事が出来ないのだった。

揺らぎ、漂い、それでいて何にも反応を示さないそれらは一体何なのだろうか。

 

「これは恐らく、響さんの強い意思によりギアから放たれた一種の哲学兵装のようなものなのかもしれません。いわゆる呪い・怨念・生霊と言った、負の感情が可視化されたものではないでしょうか」

 

 ウェルはその説明を聞くと「ふむ」と押し黙ってしまった。

チフォージュ・シャトーから錬金術の秘奥――その一部を垣間見たとは言え、ウェルにとってそれらの知識や技術は本来分野違いである。

 生化学者であるウェルにとって、その手の幽霊だとか亡霊だとかと言ったものは、全く縁が無い与太話のようなものであった。

 

「だったとして、それに対抗する術は――」

「ラピス・フィロソフィカス――賢者の石ならあるいは、そのあらゆる不浄をも焼き払う特性により、効果が期待出来るかもしれません。しかし、それらはパヴァリアの錬金術師たちと一緒に……」

 

 そう、既に失われて久しい。

かと言ってそれらを作り出すことなどは、出来ようはずもない。

 

「つまりは八方ふさがりと言うわけだ……いや、待ちたまえ。呪い、不浄と君は言ったか?」

 

 あからさまな落胆を見せたウェルだったが、何か思い当たる節があったらしく、エルフナインへと詰め寄る。

エルフナインは、ウェルの持つその勢いに思わず怯えた表情を浮かべる。

 

「は、はい。あの黒い靄が装者の皆さんを蝕んでいるとすれば、その特性は呪いや怨念と言った性質を持っているとボクは考えま――」

「つまりはそれさえ取り除くことが出来れば、彼女たちは目覚めるというわけだ」

 

 エルフナインの推論を遮るように、ウェルはその口元を歪めて笑う。

その邪悪さはかつて英雄としての在り方に固執し、世界を窮地に陥れた頃のウェルを彷彿とさせた。

そんなウェルにたじろぎながらも、エルフナインは「何か心当たりでも?」と訊ねる。

 

「勿論あるとも。この上なくそいつに適した極上の逸品が」

「それは一体……」

 

 この男は一体何を思いついたのか。

自信に満ちたウェルの表情に、期待と不安を綯い交ぜにしたような心持ちで、エルフナインと緒川はその口から語られるであろう答えを、生唾を飲み込んで待つ。

 ウェルはそんな二人の様子に満足したのか、「ふっ」と鼻を鳴らすと、眼鏡の鉉を持ち上げながらその答えを口にする。

 

「『神獣鏡』……ですよッ!」

 

 その答えに二人は思わず絶句してしまう。

その絶句の意味に気付かない様子で――いや、むしろ二人が自らの考えを理解していないのだろうと憐れむかのように説明を続けた。

 

「神獣鏡の持つ光は、聖遺物をかき消す力を持つことぐらい知っているでしょう? それらは古来より伝え聞く、鏡に付随した呪いなどを退ける凶祓いの特性によるもの。ならば呪いや怨念と言ったものにはうってつけではないか」

「しかし、ウェル博士……」

 

 己の考えに絶対的な自信をもって言い放つウェルに、エルフナインは反論を示そうとする。が、「あァん?」と声を上げられ思わず閉口してしまう。

代わりに答えたのは緒川であった。

 

「神獣鏡のシンフォギアはあの時、響さんのガングニールと共に消滅してしまったのでは?」

 

――そう。

 かつて響と未来が戦いを繰り広げた末に、それらは共に光に飲まれ、たしかに消失したはずである。

縦しんば欠片程度の残骸が残されていたところで、聖遺物の欠片から作り出されたシンフォギア。その更に欠片となってしまっては、かつての響のケースのように、融合でもしない限りはその機能を取り戻すことは出来ないだろう。

 

「その通り。たしかに我々――F.I.S.が保有していた神獣鏡のシンフォギアはあの時に失われてしまいました。それは当然、僕も確認している」

「だったら――」

 

 存在しないものを使う事など不可能である。

ウェルの発案がそれに端を発したものである限り、どうしてもそれは実現不可能なはずであった。

しかし、訝しむ二人へと、ウェルはなおも言葉を続ける。

 

「お忘れですか? かつて天羽 奏が纏い、立花 響が受け継いだそのガングニールは、そのたった一振りというわけではなかった事を」

 

 その指摘に二人は思わず「はっ」とする。

櫻井 了子ことフィーネにより二課から持ち出された聖遺物。

その中には奏と響が身に纏ったそれとは別の、もう一振りのガングニールが存在していた。

かつてフィーネを演じたマリアがその身に纏った黒のガングニール。

今でこそ響に受け継がれたそれは、元々がもう一振りの撃槍であった。

その事実が指し示す可能性は――

 

「まさか……」

「神獣鏡も一つではないと?」

 

 二人の言葉に、ウェルは満足げに頷く。

そこには確信とも言えるほどの自信が窺えた。

しかし、二課の頃から現在のS.O.N.G.に至るまで、神獣鏡が他にも存在するなどという話は聞いたこともない。

もしもウェルの言う通り、それらが存在するとすれば、それは一体どこにあるというのか。

 

「発掘された神獣鏡。それを盗み出した彼女が最初に行ったのは、そのシンフォギアを精製することでした。しかし、万が一それらが起動でもしようものならアウフヴァッヘン波形を検知され、その裏切りが白日の下に晒されるのは当然。だからこそ彼女は――」

 

 手元の端末のキーを弾き、ウェルは前方モニタへと映像を出力する。

それは、かつてF.I.S.が所有していたエアキャリア――その操縦席の映像であった。

その一部に、機械的に増幅されたエネルギーにより運用された神獣鏡が映し出されている。。

 

「我々F.I.S.と共同研究する事で、まずは神獣鏡の持つ『不可視』の特性を獲得したのです」

「不可視の……」

 

 その言葉に反応を示したのは緒川である。

緒川には、エアキャリアと『不可視』の関連性に心当たりがあった。

かつて翼・クリス・響の三人は、F.I.S.のアジトという情報を得て浜崎病院へと乗り込んだところで、ウェルとネフィリムに遭遇したのであった。

 その際、ウェルの身柄は確保したものの、ネフィリムのケージは逃亡を図られることとなった。

それでも、翼の猛追によりあと一歩で確保出来るかと思われたそれらは、しかし突如として現れたマリア・切歌・調によって既のところで阻止され、エアキャリアによって逃亡されてしまったのである。

 あの時、管制情報によれば、出現の瞬間まで一切の予兆は示されなかったとされている。

恐らくはそれが、今ウェルの語っている『不可視』の特性なのだろう。

 

「不思議だと思いませんでしたか? ソロモンの杖も、ネフシュタンの鎧も、イチイバルも……何一つ痕跡なく現れ、そしてまた痕跡を一切残さずに追跡から逃れ、姿を眩ますなんて」

「つまり、全ては不可視の特性……『ウィザードリィステルス』によるものだった。という事ですか」

 

 エルフナインは、記憶を手繰るようにしながら、以前目を通した神獣鏡の情報から、その特性を思い出す。

可視光線のみならず、振動も信号も、一切のシグナルを低減し遮断するその特性。

たしかにウェルの推論が正しければ、盗み出された聖遺物やその欠片を、長年隠しおおせたというのも頷ける話である。

 

「それが事実だったとして、神獣鏡は一体何処に?」

 

 エルフナインのその問いに、待ってましたと言わんばかりにウェルは答えを提示する。

この男はきっと、早く答え合わせをしたくて堪らなかったのだろう。

眼鏡の奥の瞳が、爛々と輝いていた。

 

「その場所とは――」

 

 

 

 草一つ生えていない不毛なる大地。

そのなだらかな丘の上には、派手な色彩をした人工物の残骸が、未だ撤去されることなく聳えている。

中心地には、巨大でどこまでも深い――地の底までも続いていそうな大穴が開き、緒川ともう一人の人物――小日向 未来はその縁に立つと、時折噴き上げる強い風に髪を、服の裾を揺らしていた。

 

「東京番外地・特別指定封鎖区域――通称『カ・ディンギル址地』ですか……」

 

 普段よりも幾段か暗い声色で、緒川はぽつりと呟いた。

私立リディアン音楽院の痕跡も、地下にあった特異災害対策機動部二課の本部の痕跡も今はどこにも残らない。

それでも、櫻井 了子――フィーネによって決戦の場と変えられたそこは、緒川たちにとっても因縁深い場所である。

 

「あの日……二課の装者たちとの果し合いをこの場所に指定させたのは、フィーネの研究資料を探るためでもありました。しかし、装者たちがやってくるまでの間、何とか探ろうとしてみたのですが……何分フィーネがデータを残しているであろう深部へと到達するには、電力が供給されていない以上エレベーターが使えず終いでしてね……結局断念せざるを得ませんでしたよ」

 

 懐かしむように、それでいてやや不満そうにウェルはこぼした。

残留したエネルギーの残滓による危険性から一般人の立ち入りを禁じられて以降、必然電力や水道などの最低限のライフラインすら供給を断たれている。

生身のウェルが単身あの奈落の底へと降りようにも、それはあまりに深く、エアキャリアに搭載された装備では、その底までは辿り着けなかったのである。

 

「この場所に――本当に神獣鏡があるんですか?」

「むしろここを於いて他に無いでしょう」

 

 未来の不安を払拭するかのように、ウェルは断言する。

そもそもフィーネの拠点は他にも幾つかあったはずである。

弦十郎たちが乗り込んだ後に崩落した屋敷もまた、フィーネの重要な拠点ではなかったのか。

 しかし、ウェルの方はそのような疑問など、とっくにお見通しという様子で答える。

 

「彼女のセーフハウスが米国からの襲撃を受けたことからも、神獣鏡はあちら側ではなくこちら側にあったのは間違いないでしょう。もしもあちらにあったのなら、そもそも襲撃など受けようはずがありませんからね。ただ、その正確な位置は――」

「潜ってみなければわからない――ということですか」

 

 やれやれといった表情で答えると、緒川は再びその深淵を覗き込む。

途中までは恐らく避難に使った経路で潜れるであろう。が、最深部ともなれば、非常に危険な道行きとなる。

ましてや今回は一人では無く未来も一緒である。

 

「他に、方法は無いんですか?」

「他に、方法などありませんよ」

 

 駄目で元々――ほかに使える手立ては無いのかと、緒川はウェルに問うが一蹴されてしまう。

緒川一人でも危険の伴う探索である。

そこへ未来まで連れて歩くというのは、弦十郎が健在であれば絶対に反対したか、あるいは弦十郎自身が出張ってきていたに違いない。

 

「元々、F.I.S.の神獣鏡とて機械的に起動させてようやく運用していたものです。今や完全に電力も何も途絶えているのだから、反応など探りようが無いでしょう。第一起動していたらしていたで、ウィザードリィステルスにより余計に捜索は困難な状況となっていたのだから、停止していただけラッキーですよ」

 

「どうしてこんなことも分からないのか」と小馬鹿にしたようなウェルの言い様に、緒川は思わず苦笑を浮かべる。

 機械的な探索が出来ない以上、残された可能性というのが未来の存在だとウェルは言う。

かつてLiNKERにより神獣鏡と適合した未来であれば、あるいはその強い想いにより神獣鏡のペンダントが呼応してくれるのではないか。という案なのだが、やはり危険性が伴う以上、緒川も素直には従い難いものである。

 

「緒川さん。わたしなら平気です」

「しかし……」

 

 不安そうな緒川とは対照的に、未来の方は迷いのない様子であった。

身の危険すらあるというのに、随分と気丈な様子である。

旧風鳴邸より救出した際、緒川は無線で弦十郎が響に倒されたとの報せを受けた。

響がそうして他人や、大切な人々を己の意思で傷つけようとしたなどと聞けば、平気ではいられないのでは。と心配したものの、どうやら杞憂だったらしい。

 

「わたしが居ない間、響が何をしていたのか――何をしたのかは聞きました」

 

 恐らくは自分と同じく訃堂に脅されていたのだろうと未来は考える。

いや、複製体の話を考えれば、自分よりもよほど重圧があったに違いない。

誰かに打ち明けることも出来ないまま友人と拳を交え、そして未来だと信じきっていた複製体の死を目の当たりにし、そのうえ友人たちを傷つけ、弦十郎へと致命傷を負わせたのである。

だれよりも、響自身が傷ついているに違いない。

己の行いに、自分自身を責めているに違いない。

ずっと一緒に居たのだ。そのぐらいは未来にはよく分かっていた。

 だからこそ、響が己を見失っているのなら、自分が皆と共に響を救い出しに行かなければならない。

出口の無い自責の迷宮から救い出さなければならない。

 そう強い意思をもって未来はここへ来たのだ。

 

「わたし、響を救いたいんです。みんなを助けて、響に会いに行きたいんです。だから――」

「未来さん……」

 

 こうなるとテコでも動きそうに無いのは、性格こそ違えど響と良く似ている。

最早何を言ってもっても無駄だろうと、緒川も覚悟を決め、進むべきその深淵の入り口を見据えていた。

ウェル博士の提案も最もである。

いかに緒川といえど、広大な深淵の底で小さな小さなシンフォギアのペンダントを探すのはやはり簡単なことでは無い。

可能性があるのなら、それに縋るしかないのだ。

 

「わかりました。必ず守りますから、絶対に離れないで下さいね」

「ありがとうございます、緒川さん」

 

 決意を確かめ合い、頷き合うようにして二人は、深淵の底へと向かう。

目指すは最下層のデュランダル――あるいは、その近くにあったはずの櫻井 了子――フィーネの研究室である。

 

「今回僕は一緒には行けません。何せ彼の容態を見なければなりませんからね」

「不本意ですが……司令を頼みます」

 

 生化学者であるウェルの存在は、今の弦十郎にとっては不可欠だろう。

容態に異常があった場合、すぐ対応できるよう残ってもらうほかに無い。

事実、死の淵に瀕していた弦十郎を救ったのは、他でも無い帰還したばかりのウェルの治療によるところが大きいのだ。

 弦十郎をウェルへと託し地下へと向かう入り口を進んでいく二人。

その背後に忍び寄る影があることを、二人はまだ知らなかった。

 

 

 

 駆け付ける人々の足音。

揺さぶられる身体の感触。

引っ手繰るように手から剥がされ、失われる重みと、その熱。

誰かの口から、けたたましい音が幾つも、幾つも、断続的に発せられる。

それが『言葉』だと理解するのに、どれほど掛かっただろうか。

 

「響ちゃん……! 響ちゃん!」

 

 響は、その声の主を見る。

その顔を、その声を思い出そうと、ぐちゃぐちゃになった頭の中から、何とか記憶を探る。

――ああ、そうだ。それは、この人は友里さんだ。と気付く頃には既に、弦十郎の身体は救護班の担架に乗せられていた。

 

「し、しょぉ……」

 

 辿々しくも何とか、その言葉を口にする。

まるで、自分の身体が、言葉が、心が、自分のものでは無いようにふわふわと、現実味を失わせている。

――これは夢? それとも。と、友里の方へと向き直る。

 

「響ちゃん、分かる? これから司令をメディカルルームへ搬送するの。響ちゃんも一緒に――」

「――ッ!」

 

 一緒に戻ろう。と、友里の伸ばした手が触れるか触れないかの刹那――響は反射的に手を引いてしまう。

血に塗れた手が、腕が、目に映るその光景全てが、この身体の感触全てが、錯乱した意識を覚醒させる。

目の前で起こっている全ては事実なのだと、どうしようもなく現実なのだと響へと突き付ける。

 

「あ……あぁ、うわあぁぁぁぁッ!」

「響ちゃん!」

 

 震える拳を握りしめ、響は振り返ると、そのままその場から走り去ってしまう。

己のした事を今更ながらに理解し、受け止めることも出来ず、ただただ響はそこから逃げ出したのであった。

 

「響ちゃん……」

「友里さん! 今は回収を優先して下さい!」

 

無線越しのエルフナインの声に一瞬躊躇するも、友里は弦十郎をメディカルルームへと搬送するのだった。

 

 その後、旧風鳴邸の自室へ戻った響は膝をつき、その血に塗れた手を震えさせていた。

その手に残された、打ち込んだ拳の、貫いた弦十郎の胸の感触を思い出す。

光を失った瞳を、熱を失っていく身体を思い出す。

重くのしかかる身体の感触も、揺さぶっても答えることの無い、その人の全てを思い出す。

 

「わたし……わたしは……わたしはッ……!」

 

 黒い靄が、その牙が、硬質化した殻を描くようにして響の全身を覆っていく。

受け入れがたい己の罪と、何もかもを失った現実とを拒絶するように、その残滓を黒く漂わせながら、外界と己とを隔絶していく。

やがてその身が全て覆い尽くされる頃、慌ただしい足音と共にやって来る人物があった。

 

「何だこれは、どうなっておる」

 

 訃堂は、そこに鎮座する、巨大な黒い繭のようなものを一瞥すると、連れ添って現れた配下へと状況を問う――が、答えられるものなどあるはずもない。

 

「何をしておる立花 響。答えよ!」

 

 苛立ちか焦燥か、訃堂はその殻へと手を伸ばす。

その残滓が鞭のように襲いかかり、訃堂は思わず身をたじろがせた。

 

「危険です! お下がりください……ぐあッ!」

 

 側に仕えた配下の男は咄嗟に、訃堂を突き飛ばすようにしてそのひと撫でを背に受けると、声もなく白目を剥いて昏倒した。

地に伏した男は、呼吸自体は辛うじて繋いでいるものの、意識のみが寸断されたかのように、男は言葉も無くぐったりとしている。

 

「果敢無き者がッ! 彼奴らはすでに戦端を開いておるのだ! 最早猶予など残されておらぬというのに……!」

 

 訃堂は年甲斐もなく地団駄を踏むようにして声を荒げる。

そこには、弦十郎や八紘を前にした時のような威厳は一切感じられず、ただただ目先の事態に慌てふためくだけの、老いた男が居た。

彼奴等とは、猶予とは何なのか。

誰もその言葉の真意を知ることもなく、ただただ訃堂は荒れ狂う。

 

「……ええい、何処までも忌々しい歌ッ! 歌めがッ!」

 

 その言葉通り、訃堂は忌々しげに吐き捨てる。

固く握った拳を壁へと打ち付けて、荒く息をする。

そうしてふうふうと獣じみた呼吸を繰り返していたが、しばらくの後それらが治まると、配下の者に対して訃堂は問うた。

 

「人形の方はどうなっておる……」

 

 冷静であろうと努めては居たが、その声は憤りに震えていた。

配下の一人が、取り乱した訃堂の姿に狼狽えながらも端末を確認し、その状況を伝える。

そこにはアダムの所持していた自動人形であるティキの残骸と、細かなレポートが記されていた。

 

「やはり修復は難しいようです。特に人格を形成する部分は不可逆的な破損をしているようで……」

「形だけでも構わん。即時計画を進めよ」

 

 苛立った様子で訃堂は指示を飛ばし、歯噛みする。

そのすべてを起動しきらぬ聖遺物に、ウェルの裏切りと響の閉じこもった殻。

訃堂の計画も目論見も、それら全てが狂ってしまっている。

 

「これ以上、これ以上遅延させるわけにはいかぬのだ」

 

 頭上を仰ぐように天井を――いや、そのさらに先を睨め付ける。

忌々し気に、憎々し気に。

 

「不完全だとしても、起動だけでもせねばならぬのだ……」

 

 その視線の先に映るのは果たして――

 

 

 

 薄暗い通路を、手元の明かりだけを頼りに緒川と未来は走る。

もう随分と降って来てはいるが、それでもまだ底には程遠いようで、いくつかのルートを経由し、時折縦穴の縁を通るものの、未だその底は見えてこなかった。

 

「大丈夫ですか? 未来さん」

 

 普段こういった荒事には無縁の未来である。

疲れたのなら、失礼を承知で抱えていこうと考え、未来を気遣って声を掛けたのだが、どうやらそれは要らぬ心配だったらしい。

 

「大丈夫、です。わたしだって、元陸上部、ですから」

 

 返答は途切れ途切れながらも、その呼吸はまだしっかりとしていた。

陸上部時代に培ってきた走り方によるものか、あるいはその強い意思によって己を支えているのか。

 

「それに――」

「それに?」

 

 装者たちは今、メディカルルームにて生命維持装置に繋がれている。

もちろん差し当たって命に関わるような状態というわけではないが、それでも見る間に衰弱していくのが確認されている。

弦十郎もまた、峠を越したとは言え未だ予断を許さない状況である。

 何より――たった一人、飛び出していった響の事が心配でならない。

皆と共に、少しでも早く響の所へ無事を報せに行かなければならない。

その一心で未来は走る。

 

「みんなが、苦しんでいるのに、わたしだけ、弱音を吐くわけには、行きませんから」

 

 未来は、腰元のポーチを、その中身を確かめるように弄った。

本部を出る前に、エルフナインから手渡された大切なものがそこには入っている。

 

「未来さん。これを――薬害の事もあります。出来れば使う事無く見つかってくれればいいのですが……」

 

 そういってエルフナインが手渡してきたのは他でも無いLiNKERであった。

かつてフロンティア事変に際して、そして旧風鳴邸でもまた、それらは未来に投与されたのであった。

 幸いにして、エルフナインの言う薬害による影響は、これまでのところ起ってはいない。

少なくとも未来自身にその実感はなかった。

それでも、神獣鏡を探すために必要となれば、躊躇なく未来はそれを使う覚悟があった。

効果時間を考えればそれは、地下へと乗り込む前に投与しても良かったのかもしれない。

いや、使っておくべきだったのだろう・

 深部へと向かって走る二人の無線機に、ふとウェルからの通信が入る。

 

「ああ、そうだ。言い忘れてましたが……その辺りにはコソ泥対策にノイズをばら撒いてありましたから、気を付けて下さいね二人とも」

「なッ……」

 

 ウェルに告げられたそれらの情報は、奇しくも現実の脅威として二人の前に姿を現していた。

通路の向こう――薄闇の奥に多くのノイズたちがひしめき合っている。

 

「そういう事は、事前に教えていただきたいものですね……」

 

 息を潜めて迂回路を探るように緒川は視線を走らせる。

気付かれさえしなければやり過ごせるはずである――が、しかしその希望は、儚くも砕かれることとなる。

 そのうちの一つが、こちらを見つけて身を躍らせる。

それに続くように一体、また一体と、宛ら極彩色の棘のように緒川と未来へ向かい襲い掛かった。

 

「未来さん!」

「きゃっ!」

 

 緒川は咄嗟に未来を抱えて横道へと飛び退った。

紙一重で二人のそばを通り過ぎたノイズは、向こう側の壁へ墨のように弾けていく。

ほっと息を吐いたのも束の間――先ほどの通路の方から、何体ものノイズが二人を追って現れた。

 緒川の額に汗が浮かぶ。

その技前は弦十郎と同じく常人の域を遥かに逸しているとはいえ、あくまで対人戦技である。

シンフォギア抜きにしてノイズと渡り合うことなど、自殺行為に他ならない。

 

「緒川さん……」

「残念ながら、退路は塞がれました……今はとにかく最深部を目指します」

 

 不安そうな未来を抱え、緒川は通路を駆けていく。

執拗に追い縋るノイズの猛攻を、幾つもの角へ、幾つもの縦穴へ飛び込んでは何とかやり過ごしているが、それもいつまで続けられるものだろうか。

 然しもの緒川とて、未来を抱えたままの逃走で次第に息が上がっている。

 

「未来さん! 神獣鏡は……」

 

――まだ反応を感じられませんか? と緒川は問う。が、未来は首を横に振る。

 例え適合者であっても、基底状態で何らエネルギーも信号も捉えられないシンフォギアのペンダントを感じ取ることは難しい。いや、不可能といっても良いのではないだろうか。

本作戦での未来の役割もまた、あくまでLiNKERによる補助で適合係数を高め、その胸に聖詠が浮かぶことを期待してのものである。

直接的なレーダーとしての役割ではないのだ。

 

「緒川さん! 後ろにノイズがッ!」

「しまった!」

 

 一瞬の隙を突かれ、二人の背後にノイズが迫る。

緒川は咄嗟に壁を蹴るようにしてその攻撃を躱す――が、それは未来のそばを掠めるようにして通り過ぎ、腰元のポーチごとLiNKERを分解してしまう。

 

「LiNKERがッ!」

 

 どうして予め投与しておかなかったのかと悔やむ――が、今更失われたものはどうにもならなかった。

己の無力を、迂闊さを噛みしめるように、未来は歯噛みする。

身体を掴む手に思わず力が入っているのを緒川も感じていた。

 

「未来さん、そのまましっかり掴まってて下さい!」

「えっ……きゃああッ!」

 

 緒川は咄嗟に身を躍らせる。

それは、カ・ディンギルの中心部。

地の底へと続くかのような巨大な空洞であった。

その深い闇の中へと、未来の悲鳴が溶けていく。

 

「未来さんッ! 緒川さんッ!」

 

 エルフナインの声が無線から発せられる。

しかし、深淵へと降下する二人を取り巻くような、重く淀んだ高エネルギーの残滓はやがて、それらすべての通信を遮るようにして雑音だけをただただ返すのだった。

 

 

神獣鏡

 

 

「――さ、しっかりしろ! 翼!」

「はッ――」

 

 翼が意識を取り戻したそこは、夕暮れに染まるステージの上だった。

眼下に広がるフロアでは、今まさに人々が、ノイズに襲われ炭素へと分解されていくのが見える。

――これは、夢?

 唐突な出来事に正確な判断もできず、翼は周囲を伺う。

その景色、忘れたりなど出来るものではない。

それはまごう事無きツヴァイウィングのラストライブ。

天羽 奏が命を燃やし尽くしたあの日の光景だった。

 

「翼ッ!」

「かな……で?」

 

 その、聞き覚えのある声に――未だ忘れ得ぬその声に、翼は振り返る。

そこには確かに奏が立っていた。

少し怒気を孕んだ表情で、翼を見ている。惚けていた事を怒っているのだろうか。

 

「飛ぶぞ翼ッ! この場に槍と剣をを携えてるのはあたしたちだけだッ!」

「待って! 奏――」

 

 翼が制止するよりも早く奏はステージから飛び出していた――ガングニールのペンダントをその手に握りながら。

 

「Croitzal ronzell gungnir zizzl……」

 

 聖詠を口にして、ガングニールのシンフォギアを纏うその姿。

今まで幾度となく夢の中で繰り返してきたその姿。

勇壮なる戦士としてのその姿。

 忘れ事のできない因縁の日は、しかし、いつになく現実感を帯びてそこにあった。

だとすればその先に、あの絶望もまた約束されているのだろう。

――例え夢だとしても、迷ってなどいられるものか。と、翼もまた、天羽々斬のペンダントを手にしてステージから飛び出す。

 

「Imyuteus amenohabakiri tron……」

 

 ギアを纏い、奏と並び立つ。

二人は互いに目線を交わし小さく頷くと、その手に槍と剣を構えてノイズの群れへと駆け出していく。

会場を埋め尽くすようなノイズを見る間に塵へと変えて二人は戦う。

しかしそれでも尽きることの無いノイズの群れに、二人は次第に追い詰められていくのだった。

 

「……ッ! 時限式はここまでかよッ」

 

 LiNKERの効果時間の超過により、奏のガングニールはその出力を著しく低下させる。

半ばその役割を失ったそれは、ただただ重い枷のように奏の身体へ負荷となって伸し掛かった。

肩で息をしながらも、それでも奏はノイズの猛攻を凌ぐ――が、それも長くは持ちそうにない。

 

「奏ッ!」

 

 奏の異変に気付き、翼は駆け付けようとする。

しかし、その行く手を阻むように、遮るように、ノイズの群れが翼を取り囲んで行く。

『ネフシュタンの鎧』――その起動実験のため、しばらく前から奏はLiNKERの投与を中断していた事を翼も当然知ってる。

奏の身に起きている異変が、その効果時間切れによるものだとは容易に想像がつく。

だからこそ、今すぐにでも、奏の元へ向かわなければならないというのに。

 

「邪魔をするなァッ!」

 

 目の前のノイズを撫で斬りにしながら、奏へと向かって歩を進めて行く。

しかしそれでもノイズの数は余りに多く、いつまで経っても距離は縮まらない。

 折しもその頃、奏は逃げ遅れた少女――幼い立花 響を守るため、ノイズの猛攻にその身を晒していた。

 

「ぐうぅぅぅッ!」

「奏ッ!」

 

 身に纏うガングニールが徐々に砕かれていく。

もう一体、更にもう一体と増して行くノイズの猛攻。

それでも奏は、抗い続けている。

――だと言うのに、何故わたしはこうも無力なのだ。と、翼は己の不甲斐なさを内心に責める。

 何度も繰り返してきたその夢は、それでも、分かっていながらも奏を救わせてはくれないのか。

砕かれた破片を受けて、少女が外壁に叩き付けられる――夥しいほどの血を撒き散らしながら。

奏は「生きるのを諦めるな」と、悲痛な声で呼び掛けている。

このままではまた、奏が絶唱を歌ってしまうに違いない。

 そうはさせまいと、必死にノイズを蹴散らし、斬り捨てて、翼は進む。

それでも、どうしても、その距離は縮まってはくれない。

どこまでも届かない遥か先で、ついに奏は、決意を胸に絶唱を歌い始めてしまう。

 

「歌っては駄目! 奏ッ――!」

 

――ああ、また、そうして奏は死んでゆくのだ。何度も、何度も、わたしの夢の中で。そう翼は胸を痛め、涙を流す。

あの時もっと力があれば。と何度も己の不甲斐なさを、覚悟の甘さを責め立ててきた。

そして今日もまた、同じ末路へと辿り着く。

 

「わたしは……また奏を救えなかった……」

 

 遣る瀬無さと、失意が胸を打つ。

夢の中、誰一人居なくなったライブ会場の瓦礫の上で、翼は膝をつく――その腕に、今まさに息絶えんとしている奏を抱きながら。

 

「わたしはどこまで無力なのだ……少女一人救うことも出来ずに何が剣だッ! 何が防人だッ!」

 

 奏の死、小日向未来の死も、全ては己の不甲斐なさによるものだ。と己を責める。

 

「そうとも、あんたはいつだってそうやってあたしを見捨ててきた」

 

 それは、奏の言葉だった。

翼は思わず目を見開いて、腕に抱えた奏の姿を見る。

 

「その気になればあたしを救えただろうに。あんたはそうしなかった」

「違う、わたしはしなかったんじゃ無い。救おうとしたんた……奏を守ろうとしたんだ……」

 

 奏の責め苦に思わず翼は弁明する。

救いたかった。

守りたかった。

そのためになら、何だって投げ打つ覚悟があった。

あったはずなのだ。

 

「じゃあ、なんであの時あんたが絶唱を歌わなかったんだ」

 

 奏の言葉に、思わず翼は絶句する。

確かにあの時、歌ったのが翼であれば、――LiNKERの効果も切れ、適合係数が著しく低下していた奏ではなく、生まれ持ったその適正により高い適合係数を誇っていた翼が絶唱を歌っていれば、二人とも助かったのかもしれない。

少なくとも、奏の身は守られたはずだった。

 

「わたし……わたしはあの時、奏の元へ行くことばかり考えていたから……頭がいっぱいで……」

「嘘だ、あんたは自分の身が可愛くてあたしを見捨てた。その証拠に見ろよ翼、あたしの身体はこんなんになっちまった」

 

 奏はまるでホラー映画の亡者のように、ボロボロに、今にも腐り落ちそうな腕を伸ばす。

赤黒い血を滴らせながら、裂けた肉の奥に白い骨すら覗かせたその腕を翼へと伸ばしていく。

 

「ひッ……違ッ……!」

 

 その手で翼の頬を撫で、首元に触れる。

その冷たさに、悍ましい感触に、全身が総毛立つ。

 

「あんたがあたしを殺したんだ」

「ぐッ……かな……でッ!」

 

 奏は一段と低くなった声でそう言うと、翼の首を締め上げた。

普段の夢とは違う。

まるで実感を伴ったような悪夢は、いつもよりも辛辣に翼を責め立てる。苦しめる。

 喘ぐように息をしながら、何とかその手を振り解こうとする――しかし、まるで岩のように固く締め上げられたその手は、容易には外れそうになかった。

 

「なァ翼――あんた、あたしを殺しておきながら、なんでのうのうと歌ってんだ?」

 

 どこまでも冷たい声が、骨の芯まで響く。

悪意が、憎悪が――自らが失ったものを未だに抱き、輝かせ続ける事への嫉妬が、翼を責め立てていく。

 

「奏も……言って、くれた……『許すさ』って……だから、わたしはッ……」

 

 復帰ライブの時のことを翼は思い出す。

あの時、確かに奏の声を聞いた気がした。

『歌う事』を、その夢を『許してくれる』と言った。

だからこそ翼は歌い続けたのだ。

 

「それは、本当にあたしが言ったのかい?」

「えっ……」

 

 ギロリと、奏の目が翼を睨め付ける。

低く、怒気を孕んだような声で、なおも奏は続けて言う。

 

「そいつはあんたが、都合良く己に言い聞かせただけの言葉じゃないのか?」

「そんな……事は……」

 

 締め上げる手に一層力を込めて奏は詰問する。

憎しみに満ちた目で、声で。

 

「あんたはあたしの死を都合良く利用しただけだろ? 悲劇のヒロイン気取ってお涙頂戴って訳だ」

 

 奏は忌々しげに吐き捨てる。

その顔に、引きつった笑いを浮かべながら。

 

「違う……奏は、あの時」

「勘違いしてるならその考え、改めさせてやる。あたしはあんたの歌が、あんたが一人で気持ちよく歌い続ける事が心底堪らないんだ」

 

 冷徹に言い捨てる奏の言葉に、翼は堪えきれず大粒の涙をこぼす。

全ては自分の思い込みだったのだと、都合の良いまぼろしだったのだと思い知らされる。

薄れゆく意識の中、翼はただただ奏へと「ごめんなさい」と繰り返すのであった。

 

 

 

 燃え盛る火炎の中。

崩落していく建物の中。

その少女はゆっくりと振り返る。

その口元から、目元。いや、その穴という穴から血を流しながら、それでも少女は――セレナは笑顔で振り返る。

「姉さんが無事で良かった」と、炎に、瓦礫に呑まれていく。

 幾度となく繰り返されてきた悪夢。

大切な妹を、ただただ見ていることしかできなかったあの日。

己の無力と弱さをどうしようもなく思い知らされた。

 だからこそ、マリアは強くなろうと、強く在ろうと己を奮い立たせたはずだった。

それなのに、どうしてこんなことになってしまったのだろうか?

 

「ごめんなさい……全てはわたしの弱さのせいであなたたちを巻き込んでしまった」

 

 マリアの眼前には今、ウェルによってノイズをけしかけられ、炭素へと分解された野球少年たちがの姿があった。

米国のエージェントたちによる銃撃に巻き込まれ、命を落としていった民間人たちの姿があった。

そのどれもが、誰もが、恨めしそうな目でマリアを睨め付けている。

許されざる罪を、過去の過ちを「忘れるな」と責め立てる。

 

「ぼくは、将来プロ野球の選手になりたかった」

「ぼくも」

「ぼくもだ」

 

 少年たちは声を合わせてそう訴える。

その幼い夢は、しかしもう決して叶う事はない。

忌々しいあの日、ノイズによって炭素へと分解された彼らは、もう二度と夢を見ることも、大好きな野球をすることも出来やしないのだ。

 

「僕は、来月恋人と結婚する予定だった」

「わたしは、老いた母の介護のために実家へ帰るつもりだった。母一人では生きていけないから。なのに――」

 

 当人たちと言葉を交わしたわけではない。

しかし、その言葉はきっと事実なのだ。

己の罪と向き合い、それらをきちんと受け止めるべく、スカイタワーの犠牲者たちの素性を、マリアは以前に調べていたことがある。

 彼らは皆、夢半ばにしてその命を散らしていった。

彼らは皆、それまで送っていたはずの平穏な日常を、あの日理不尽にも奪われたのだ。

それは他ならぬマリアの過ちによるものであった。

 

「ごめんなさい……」

 

 他に言葉など見つかるはずもなく、ただただマリアは謝罪の言葉を口にする。

謝って許されることなどではない。

この言葉が、真に彼らに届き、誰かを救う訳もない。

それはただの自己満足だと知りながらも、それでもマリアはただ謝る。

 

「姉さんが歌えば良かったのに」

 

 そう呟いたのは、他ならぬセレナであった。

血にまみれたその姿を、有らぬ方向へ体を折り曲げながらマリアへと言葉を掛ける。

 

「どうしてあの時姉さんは歌ってくれなかったの? 助けてくれなかったの?」

 

 不自然に折り曲げられた手を伸ばしながら、セレナは尚も問う。

マリアは思わず後退りながら、首を左右に振った。

 

「違う! わたしだってセレナを、みんなを助けたかった! 歌えるものなら、代われるものならそうしていた! だけど出来なかったのよッ!」

 

 事実――セレナの死後、マリアはセレナの代わりになるべく、マムと共に歌い続けた。

それでも、充分な適合係数を得る事は叶わず、フィーネの魂を宿す事もまた出来なかった。

そうしなかったのではなく、出来なかったのだ。と、マリアは弁明する。

 

「うそよ、姉さんは本当は出来たはずだわ。でも、自分が手を汚したくなかったから、傷付きたくなかったから、ずっと弱い自分を演じ続けてるのよ」

 

 セレナの顔が歪む。

無理矢理に作られた笑顔は、どこまでも悪意を潜ませて、暗い影を落とす。

 

「どこまでも悪賢い偽善者……違うというならあの人たちにそう言えばいいじゃない。謝るんじゃなくて『仕方なかったんだ』って」

 

 そう言ってセレナは、スカイタワーの犠牲者へと指差した。

彼らはいつの間にかマリアの目前まで迫っては、虚ろな目を、どこまでも昏い眼差しをマリアへと向けている。

 

「どうして……どうしてそんな事を言うの、セレナ」

 

 マリアは思わず膝から崩れ落ちる。

その様を見てケタケタと笑いながら、セレナはなおもマリアを責め立てる。

 

「憎いからに決まってるじゃない。悪賢く生き延びて、のうのうと過ごしてる姉さんが、わたしは憎いの……大嫌いよ」

 

 まるで少女のようにマリアは慟哭する。

己の過ちによる被害者たちに囲まれながら、無残な姿でケタケタと笑い、責め立てる妹に苛まれながら。

マリアはその場に蹲り、ただただ憎悪の炎に身を灼かれていた。

 

 装者たちのバイタルを監視していたエルフナインは、マリアと翼の異変に気付いてはいたものの、何もできない己の無力さにただただ未来たちの無事を祈る事しか出来なかった。

響の悪意――その残滓によりうなされる装者たちを救えるとすれば、それは他ならぬ神獣鏡の力のみである。

 

「未来さん……緒川さん……」

 

 しかし無線からの通信は、未だに途切れたままであった。

 

 

 

「大丈夫ですか? 未来さん」

「は、はい……なんとか」

 

 幸いにしてそこは、デュランダルの安置された、まさにそのフロアであった。

勿論、緒川とて考え無しに飛んだのではなく、そうと知ってとんでいたのだが、うまく足場へと着地出来るかどうかは半ば賭けであった。

 

「良かった……くッ」

「緒川さん!?」

 

 立ち上がろうとした緒川は思わずよろめいた。

よくよく見ると、脇腹のあたりがじっとりと濡れたように光を反射している。

スーツの一部が裂け、その奥に赤く染まったシャツが見える。

 

「まさかノイズに――」

「いえ、咄嗟に避けるため、瓦礫に引っ掛けただけですよ」

 

 緒川は笑顔を作って見せるものの、その額には大粒の汗が浮かんでいる。

足元にその血が伝ってきているところを見ると、かなりの深手に違いないだろう。

 

「どうしよう……早く戻って手当てしないと……」

「無線は……駄目ですね、辺りに残留したエネルギーの影響か、通信が届いていないようです」

 

 呼びかけてみるも反応はない。

どうやら完全に孤立してしまったようである。

ならば、ノイズが迫っている以上、もはや残された手段は神獣鏡のペンダントを見つける以外には無さそうだ。が、しかし、LiNKERを失った今、それすらも容易ではない。

 

「未来さん、少し肩を貸してもらえますか」

「はい……でも、大丈夫なんですか?」

 

 緒川の呼吸はかなり荒い。

顔色ももはや青ざめており、相当量の出血がある事を窺わせる。

 

「お姫様を守るのは騎士の役目、ですからね」

「それはわたしじゃなくて翼さんに言ってあげてください」

 

 心配をかけまいとしたのだろう。

無理に笑顔を作った緒川の軽口に、未来はそれと察して軽口で返す。

今はとにかく神獣鏡を探さねばならない。

 

「緒川さん、あれは……!」

 

 未来の指差す先――かつてデュランダルを安置していた、その管理端末のところに、見慣れた紅い鉱石のようなものが取り付けられているのが見えた。

フィーネにとって、何よりも重要な最後のピースであるデュランダルである。

そこに、守りの要として神獣鏡が組み込まれているのは、必然と言えるのかもしれない。

 

「わたし、取ってきますね!」

 

 探し求めていたそれを見つけた歓喜に、未来は一人駆け出した。

これで皆を救えるのだ。と、響の元へ希望を届けられるのだ。と、胸を躍らせる。

その頭上から、ノイズが忍び寄っているとも気付かずに。

 

「危ない! 未来さんッ!」

 

 それに気付いた緒川は、咄嗟に声を上げて駆け出した。

振り返った未来の視界に、自らへ向けて飛来するノイズの姿が映る。

 

「くッ」

 

 緒川は傷の痛みを耐えながらも、既のところで未来を抱えてその直撃を躱したのだった。

しかし、ノイズは足場へと直撃し、支えを失った足場は、二人とも共に深淵の底へと崩落していく。

神獣鏡のペンダントもまた、底へと向かって落ちていく。

 

「このままでは地面に……なんとか未来さんだけでもッ」

 

 緒川は未来だけでも助けようと、どこか安全に掴まれそうな場所を探す――が、落下速度を考えれば壁にしがみつくことなど生身では難しいだろう。

ましてや未来は、ただの少女なのだ。

緒川のようには行かないだろう。

どうすれば――と考えあぐねていた緒川に、未来は声を掛けた。

 

「緒川さんッ! わたしを神獣鏡のところへ投げられますか!?」

「ええ、なんとかそれくらいなら……でもLiNKERの無い今、それを起動することは――」

 

――不可能では? と、未来の身を案じる。

 しかし、未来の瞳は諦めなど宿してはいなかった。

いつだって諦めることのなかった立花響と同じく、真っ直ぐなその眼差しに、緒川も全てを託そうと決意する。

 

「分かりました。行きますよ!」

「お願いします!」

 

 緒川はなんとか反動をつける格好で、未来の体を神獣鏡のペンダントの方へと放る。

しかし、体勢の悪さによるものか、先ほどの傷の痛みによるものか。僅かながらに不足した力は、もう少しというところでペンダントの元へは届かせてくれなかった。

 

「もう……少しッ!」

 

 未来は懸命に手を伸ばす。

地底面へと向かう落下――もはや、何秒も猶予はない。

迫る地底面に、緒川は半ば覚悟を決める。

しかし未来は――

 

「わたしは――諦めないッ!」

 

 未来は手を目一杯に伸ばし、ペンダントを手にしようとする。距離にして僅か数十センチ。

もう少しで届きそうなそれは、しかし縮まる事はない。

それでも未来は、生きる事を――皆を、響を救う事を諦めたりはしなかった。

強く、強く、ただ強く。守りたいもの、救いたいものを想い、手を伸ばす。

その為の力を手にするために、手を伸ばし続ける。

 

「わたしは……わたしが響を助けるんだッ! だから応えて、神獣鏡ッ!」

 

 その胸に聖詠が浮かぶ。

手の内に、胸の内に確かなものを感じ、握りしめるように聖詠を紡いで行く。

 

「Rei shen shou jing rei zizzl……」

 

――刹那、深淵の底に眩い輝きが灯った。

 噴き上がるシンフォギア装着時のエネルギーは、周囲に残留したノイズを一掃して行く。

それらは、迸る光の奔流となり、カ・ディンギルの内部より、空へと向けて屹立していった。

 

「未来さんッ!」

 

 緒川は思わず目を見開いた。

LiNKERの投与もなく。そればかりか、ペンダントへと手は届いてなかったはずだった。

――にも関わらず、それは未来の呼びかけに呼応したのである。

 

「待ってて響……わたしが必ず助けに行くから!」

 

 少女は今、再びその力を手にした。

大切なものを守るため。

大切な人を救うため。

身に纏う白と紫に彩られたその輝き。

それは、紛れもなく神獣鏡のシンフォギアであった。




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