rikkaのメモ帳(短編・走り書き集)   作:rikka

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タツミーをヒロインにしてみるテスト外伝1-④

「……ここ、か?」

 

 廃旅館の中に僅かに残った痕跡を辿り、恐らく宴会場として使われていたのだろう畳張りの広い和室だった。

 正直な話、唯一の手掛かりとして追ってきた雪の跡はやはり途中でかなり薄くなり、埃の上に残った分かりづらい、僅かな足跡だけを頼りに辿りついたのだ。確信をもってここに何かあるとは、葵には言えなかった。

 

「先輩、何か気にかかる事はないかい?」

「むしろ、そういう事を探すのはお前の方が適任だと思うんだけど……」

 

 龍宮も警戒しながら辺りを探っているが、何も見つからないのか葵に話を振って来た。

 葵は葵で警戒をしているが、一番気になるのは相手――まったく人の気配を感じないことから半ば幽霊とか怨霊などと言った心霊的な物じゃないだろうな? と思っていたが、とにかく相手が何の動きも見せないという事の方が気になっていた。

 

(わざわざ丁寧にカギを抜いて行ったんだから俺達……あるいは俺か龍宮のどっちかに用事があるのは確実……だよな?)

 

 今までにも、龍宮と共に背筋が冷える綱渡りのような行動を何度かした事はあったが、今回は冷える所では済まない。文字通り、身体が芯から凍るような思いだった。

 正直な話、半分ほどここに戻った事を後悔し始めていたが、それでも自分がここにいた方がいいという直感はまだ続いていた。

 ともあれ、葵は自分の考えをまとめるためにも龍宮にいくつか質問をする事にした。

 

「龍宮、二人をさらっていった相手の狙いについて、なにか思い当ることはないか? 例えばの話でいい」

「そうだね……。普通に考えれば、この旅館への侵入者の排除、あるいは口封じと言った頃か。殺害という手段を取らなくても、そういう手段はある」

「俺達に未だに一切手が加えられていないのは?」

「いや、既に手を出していたさ。もっとも、どうやら寸前で不発に終わったようだけどね」

 

 そう言って葵の方にニヤリと笑みを向ける龍宮に、葵はあの時の自分の『独り言』の事かと察し、なんとなく懐中電灯を持っていない方の手で後ろ頭を掻く。

 それを照れ隠しと思ったのか――実際そうなのだが――龍宮はクスクスと笑い、再び目の前の狭い暗闇へと目を向ける。

 

(つまり……相手は離れた所からこっちの意識をある程度操れるのか。で、それがどういう訳か俺には不発だったと。あの独り言ですぐに龍宮が気付いたって事も考えると、そこまで強い効果はないのか? そもそもどうやってそんな事を?)

 

 頭の中で色々と考えを進めていくが、余りに不毛な方向へと思考を進めている事に気が付き、顔をしかめた。

 

(そもそも意味の分からんトンデモ技術が飛び交ってる現状、こっちの常識で考えるのは無理か。どっかの本で読んだが、進んだ科学は魔法と変わらないってね。となると、考えるべきはどれだけぶっ飛んだ状況でも変わらない物)

 

 つまりは相手の思考だと、葵は考える。

 そういった訳のわからない分野で対抗できる龍宮がいるものの、彼女も相手の動きを把握できていない。

 餅は餅屋にという言葉もあるが、何か些細なヒントで状況が動く事もあるという事をつい先ほどの独り言で気付いた。

 龍宮が自分を連れてきたのは、守るために手の届く所に置こうとしたのもあるだろうが、同時に相手の思考に乗せられないためにという意味もあったはずだ。

 いわば、葵は相手の望む方向に流れを作らないための防波堤のような物である。

 姿の見えない相手からしたらもっとも邪魔な存在であり、それが意味するのはつまり――

 

「……最優先で狙われるのは俺か」

 

 そういう結論に達した葵は、思わず言葉に出してしまう。

 それを聞いた龍宮は、小さく頷く。

 

「あぁ、先輩が狙われる可能性は高いだろうね」

「やっぱりか。あんまり考えたくない方向だったんだけど……気が重いな」

「おや、私が守るというだけでは頼りないかな?」

「んなわけあるか。護衛役としてはこれ以上ない役だと思うよ」

 

 ただ――。と内心で密かに葵は付け加える。

 

(大きく分けて相手が狙うのは三つ。一つは、対象を護衛役に切り変えて最優先で排除する事。一つは護衛と対象を同時にどうにかする手段を用意する事。もう一つは……)

 

 ふと、葵はその場で足を止める。

 

「先輩?」

 

 龍宮も足を止めてこちらを振り返るのが気配で感じられたが、葵はそれを無視してなんでもないように辺りを見回す。

 

「なぁ、龍宮。さっきのお前の違和感だけど、今も感じているか?」

「? あぁ……まだ感じるが、先ほどよりは弱まっているよ」

 

 そういう龍宮の顔には、先ほどまでよりも自信に満ち溢れた、葵の思ういつも通りの龍宮真名がそこにいた。

 それが逆に、葵には不自然に映った。

 

「いきなりそんな事を聞いてどうしたんだい?」

「いや、万が一に備えてね」

 

(最後の一つは、護衛と対象の分断。これが一番可能性の高い手段か)

 

 葵は自分で口にした通り、護衛役として龍宮真名という存在は破格の存在であると思っている。

 だがそれでも万全と言えないのは、先ほどの様に彼女の認識が操作される可能性があると言う事。それを止められる可能性のある自分に自衛能力がほぼ皆無という事。

 なにより、ここが相手の腹の中に等しいという事がネックになっている。

 

(土地勘に加えて龍宮でも良く分からん技術だかなにか。加えてこっちは探さなきゃいけない人間がいる事から一秒でも早く動かなきゃならないという焦りもある。状況は圧倒的に相手が有利)

 

 葵は懐中電灯の光で畳を一枚一枚調べながら、自分達が如何に不利かを確認していく。

 龍宮は、ふすまや柱などに怪しい所が無いかを実際に触って順番に確かめていっている。

 互いに成果は未だない。

 

(と、なれば……こちらが取れる確実な手段は大きく分けてこのまま捜索を徹底していくか、一時撤退及び救助要請の二つ。だけどこれは当然相手に予測されていると考えてよし。逆に相手が予測できないものはなんだ?)

 

「先輩、見つけたよ」

 

 思考の海に沈んでいた葵を現実へと引き戻したのは、頼りになる護衛兼相方のよく通る声だった。

 彼女の目の前には、普通のふすまがあった位置なのだが、ふすまと思わしきモノは押し入れの向こう側へと倒れて道の様になっていた。

 

「なんというか……また豪快な隠し扉だな。おい」

「まぁ、意外性としては十分じゃないかな。実際、押し入れの向こう側に何かあるとは思っていてもふすまそのものが隠し扉とは思わないだろう?」

「いやその前に絶対触っちまうだろ。隠し扉だろうがそうでなかろうが」

「まぁ確かにそうだが……今は進む以外に道はないだろう?」

「…………確かにそうなんだが納得いかねぇ」

 

 なんとなく頭のどこかが痒くなるのを感じて、頭を掻き毟る葵。

 その時にふと、葵の頭のどこかで、何かがまた違和感を訴えている事に気が付いた。

 一瞬それが何なのか分からなかったが、一拍置いてようやく違和感の原因に行きついた。

 

(コイツ、こんなに軽く動くような女だったか?)

 

 それは龍宮真名の行動そのもの。

 葵の知る龍宮真名という女は、どれほど軽薄に見えても固めるべき所は固めてから行動する女だ。

 今回はさらわれている人間がいるために焦っているのだろうかとも考えたが、どうも違う。

 というよりは、さらわれている事を本当に気にしているのかも少々怪しい感じがした。

 この少し奇妙な違和感に、葵は先ほど自分が独り言として告げた違和感と再び酷似した状況になっている事を理解した。

 

(な……る……ほど)

 

 それと同時に葵は、改めてこの訳のわからない事象が、警戒に値する代物だと認識を新たにする。

 

(なるほどなるほど。仕組みはともかくとして、文字通り人の認識を変えるものなのか。暗示の様なものと思っていたけど……これは性質が悪いな。さっきまでは意識していなかったというか……半信半疑な部分もあったけど)

 

 先ほど引きずられていた時に龍宮が叫んだ『強制認識』と言う言葉を思い出しながら、なんの疑問も持たずに中に進もうとする龍宮の背中を追う。

 同時に、どこかで自分を凝視している視線を息使いと共に感じた。

 葵は、震えて動けなくなりそうな背筋を伸ばし、再びいつも通りの姿を装ってから、狭苦しく息苦しさを感じる通路へと足を進める。

 

(向こうが先に仕掛けてきた。恐らく今の龍宮は敵の手中、でもこっちを襲うような事はしていない……。俺が相手の意向に沿った動きをしているのか、あるいはどうにでもできるからか。まぁ、油断してくれていると言う事にしておこう)

 

 この時点で、葵は敵にとっての邪魔者は自分でも、手に入れたいのは龍宮真名という存在である事に薄々感づいた。

 

 懐中電灯で前を照らすと、龍宮はこちらの事を忘れているかのように、少し速足でグイグイと前進している。

 ここで龍宮の肩を叩いて声をかけ、正気に戻すのは簡単だろうが……。

 葵はため息をこっそりと吐くと同時に、懐中電灯を再び握り締める。

 

(今ここで龍宮を起こしても、この訳の分からん仕掛けを繰り返させるだけか。同じ程度の強制力しか発揮できないなら問題ないけど、この露骨な龍宮の変わりようからして強弱を調整できる可能性あり。となると何度も起こすのは危険……)

 

 ふと、龍宮のズボンのポケットから、携帯のストラップが外に出てゆらゆらと揺れているのが目に入った。

 葵は速足で龍宮の後ろにくっついてストラップを引っ張り、携帯を抜き取る。

 なんとなく、その行動がドラマや漫画に出てくる痴漢っぽくて、葵のプライドか何かが、罪悪感以外の何物でもない後ろめたさを訴えている。が、この際無視。

 

 何度かアプリなどで遊ばせてもらった事があるために、使い方で手間取ることはない。

 

 設定画面を手早く開いて、着信音量を最大にしてバイブレーションも設定し、逆にメール着信は音量を消したバイブレーションのみに設定し、龍宮のウェアのフードの中にそっと放り込む。

 万が一、葵が龍宮と離れてしまった時に叩き起すための苦しい策である。

 どこか感じる視線を意識して、気付かれないように動いてみたつもりだが、バレた所でどうせこれ以上何かすぐに出来る事がある訳でもなかった。

 

(こんなんで起きてくれればいいんだが……)

 

 こんな小細工しかできない現状と、これだけ接近しても自分に声一つ掛けない龍宮の状況に頭を抱えたくなりながら、葵は余り龍宮を刺激しないように足音を殺して通路の中へと侵入する。

 ふと侵入する時に、足元を見て先ほど通路となったふすまらしきものを見るが、ふすまではなく、無機質な白いただの床となっている。

 なんとなくそれにも疑問を持ちながら、葵は更に足を進める。

 

(そもそも、この通路本当に隠されていたのか? ふすま押しただけで出てくる隠し通路なんて田舎が苦し紛れの観光要素で作った忍者屋敷並みのしょぼさだろうが)

 

 龍宮を操っている何らかの技術に加えて、旅館に足を踏み入れた時からずっと付きまとっている違和感が、少しずつ葵の中で一つの疑問となって形になってくる。

 だが、それが何なのかを具体的にできない葵はそこで思考を捨てて、目の前の事象に集中することにする。

 龍宮が進む通路は灯りがまったく灯っておらず、完全に闇に包まれていた。

 懐中電灯の僅かな灯りで龍宮の背中を探りながら、葵は速足で通路の中を進んでいった。

 歩きながら葵が考えるのは、先ほど自分で考えた質問の答え。

 

(相手に決して予測できないもの。言い方を変えれば、相手の思い通りにいかないもの)

 

 

 

 

(鍵は俺……か……)

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

「やはり効かない」

 

 男は、目の前のベッドに横たわっている女の体を調べながらそう呟く。

 

「女と別れて上の階を探すように意識を操ったはずなのに……」

 

 不愉快そうにつぶやくものの、男にとって一番の目標となっている褐色の肌を持つ女の方はもうどうでもよかった。

 なにせ、彼女は完全ではないとはいえこちらの術式にもう一度取り込んだのだから。

 後はどうにでもなる。と、そう考えていたのだ。男の方が女に再び声をかける様子もない。

少なくとも彼女に関しては、これで問題無くなった。しかし――

 

「上手くいかないものだ。あの忌々しい男も……この女も」

 

 今、男の興味を引いているのは事前にさらった二人の片方の事だった。

 

「この女の身体。これを完全に解析できれば更に……」

 

 ふと、女の鳩尾の辺りを指で強く推してみる。

 特に変化はない普通の女の身体だ。

 だが男は車の中から二人をさらった時に気が付いていた。

 この女は、あの忌々しい男と同等のイレギュラーだと。

 

(まぁいい。時間はもう気にしなくていいんだ。既にあの二人は入り込んだんだから……。だが、念のために男の方を封じ込めておかなければ……)

 

 男は、これからやっかいな作業をしなければならない事に気だるさを感じながら、女の身体に薄いシーツを一枚無造作にかけるとそこから足早に離れて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 だから気が付かなかった。

 ベッドの上で静かに眠り続けていた女――古波涼奈が、男が離れていくのを確認すると同時に目を開いた事に。

 そしてその彼女の顔には、何度か葵の前で浮かべて見せたあの悪戯っぽい笑みが浮かんでいる事に。

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

「まだ現地の魔法使いとは連絡が取れないのですか?」

 

 タカミチ・T・高畑は、不在の学園長に変わって隣の県で起こった不可思議な現象に対しての陣頭指揮を取っていた。

 今現在、瀬流彦の葛葉刀子という二人の魔法教師に関連性のありそうな儀式魔法のピックアップを任せ、明日の朝にはその情報を渡して信頼できる生徒の一人を送り込む事が出来るだろう。

 だが、今の高畑が懸念しているのは、現地の魔法使いと連絡が途絶えている事であった。

 対応していた魔法教師にその事を問い合わせて見ても、音信不通という状況に何も変化は起こらなかった。

 

「すみません、高畑先生」

「いや、通じないのならば仕方ない。とにかく呼びかけだけでも続けてください」

「分かりました」

 

 まだ若い、だが信頼できる教師は一礼すると執務室から退出していった。

 扉が閉められ、相手が離れるのを確認してからため息を一つ零し、執務室の備品であるコーヒーメーカーへと足を運ぶ。

 隣に積まれているカップの一つを手にとって、セットしながら高畑は事態が思った以上に大きく動いている事に頭を悩ませていた。

 

「まさか、行方不明になった魔法使いが本国の関係者だったなんて……」

 

 コーヒーが注がれたカップを手に席に戻り、湯気でメガネが曇るのも気にせずに二口、三口煽る高畑。

 ふぅっと一息ついてから、湯気で曇ったメガネを外して机の上に静かに乗せる。

 そのすぐ横には、本国から緊急で送られたとある人物の捜索要請書が乗せられていた。

 その要請書には、髪の長い綺麗な女性の写真が貼り付けられており、そのすぐ下には名前を始めとした簡単な情報や特徴が書かれている。

 そこに書かれていた名前は、『Suzuna Konami』という日本人女性と思われる物だった。

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

 かれこれ10分程は歩いただろうか、一行に終着点が見えない一本道を龍宮達はひたすらに進んでいた。

 ときおり龍宮は立ち止って、何かを探すように辺りを見回しているが、結局そのまま足を進めていた。

 

(歩く速度も速くなったり遅くなったりか。この洗脳モドキみたいなのはやっぱり完全には作動していないのか?)

 

 龍宮の行動から『強制認識』とやらについておおよその推測を立てながら、同時に葵は今までの違和感に付いて考えていた。

 

(そもそも、元が旅館だってんなら隠し通路なんか必要ないハズなんだよ)

 

 なんとなく天井に何かないかと上の方をチラっと照らしてみるが、ただ真っ白な天井が広がっているだけだった。

 

(仮に必要だったとしても、あんな誰でも開ける事ができるような隠し扉を設置する筈がない。となると多分この旅館が潰れてから設置されたと思うんだけど)

 

 そうなると今度はこの無駄に長い通路の意味が思いつかない。

 どうしてここまで長い通路を作る必要性があったのか、その理由が葵にはさっぱり理解できなかった。ついでに灯りが一切ない理由もだ。

 そもそもこんな通路やら隠し扉を後付けで作る余裕があったら、別にこの旅館を潰す必要なんてなかったのではないだろうか。

 やはり違和感。この通路も、さっきの隠し扉もまるで『たった今』造られたような感じがするのだ。

 いや、そもそも自分は隠し扉が開く所を見ていない。本当にソレはふすまが倒れたものだったのか?

 

(なにより、俺達は本当に前に進んでいるんだろうな?)

 

 ずっと代り映えのしない通路を歩いているため、さすがに不安になった葵は、一度だけ龍宮を叩き起そうかとポケットの中で手刀を作る。

 いざ脇腹を素早く突こうとしたちょうどその時に、それまでは一切見当たらなかった灯りが前から差し込んできた。

 いきなりの事で思わず目を軽く瞑って足を止めるが、龍宮は気にした様子を一切見せずにそのままスイスイと進んでしまう。

 

 少しの間を置いてから慌てて葵が後を追い、その中に入る。

 そこは少し広めの部屋だった。というよりまるで――

 

「客室?」

 

 葵達が泊っている旅館の様な客室だった。畳張りの寝所。その横には板張りのスペースがあって、テーブルやら冷蔵庫やらが置かれている。

 寝所の隅には布団が畳まれて放置されており、その上には――

 

「!? 佐々木!!」

 

 佐々木副部長がその上に捨てられているかのように倒れていた。

 即座にかけより、抱き起こす。

 

「おい、大丈夫か!?」

「う……うぅ……ちが……う……」

「佐々木!?」

 

 

 何が違うんだ? 意識を失っている今では聞こえるはずがないのだが、思わずそう問いかけようとした葵に、佐々木は、

 

「違う、俺は……食べられない人類…………むぅ」

「よし、コイツ放置」

 

 佐々木を再び畳まれている敷布団の上にぽーい! と放り捨てて、葵は辺りを見回す。

 そして、そこでようやく気が付いた。

 

 

――相方の姿が見えない――

 

 

「……ぉう……?」

 

 思わず口から変な声が漏れる。

 もう一度周囲を見回すが、龍宮の背中どころか出口らしきものすら見えない。

 ひょっとしたら押し入れから向こうに出たのかと思ったのだが、開けてみても普通の狭い空間が広がっているだけだった。

 出入り口は一つしかない。だが、少なくとも龍宮はそこからは出ていないはずだった。なにせ葵はそこにいたのだから。

 

「……本格的に分断してきたか」

 

 どういうトリック、あるいは技術を用いたのかは分からないが、相手が自分をよっぽど邪魔に思っていたようだと悟る葵。

 

(アイツの携帯を鳴らす事さえできれば一度くらいは起こせると思うけど……龍宮の姿が見えないってのは厄介だな)

 

 ふと、後ろを振り返って何かないかと探してみるが、なにやらうなされている佐々木しか目に入らない。

 焦りそうになる頭を押さえて、葵は辺りを見回す。

 

(……そうだよ。常識の外の事象って事を忘れてた……っ!)

 

 携帯を取り出すと、一応電波は三本立っていた。とりあえず佐々木の携帯に掛けてみると、マナーモードにしてたのだろう『ジーッ。ジーッ』という音が彼のポケットから鳴り響いた。ちなみにそれでも彼は起きない。

 離れた所にいる彼女につながるかは少し自信がなかったが、もうここで携帯を鳴らして龍宮を呼ぶかと電話帳を開き、タ行へと携帯を操作し――。

 

 

 

――今かけた所で駄目だ。相手がどこにいるかも、何を見ているかも分からないし見えない以上逆効果ダロ?

 

 

 

 葵の頭のどこかで、そんな意見が出る。

 

(だったらどうする。そもそも脱出の手立てもないんだぞ? 時間だってあるのかどうかも分からない――ん?)

 

 ふと、葵は自分自身と妙な一人芝居をしている事に気が付き、それに妙にイラ立って近くのイスを蹴飛ばした。

 

(どうする。とにかく、今考えたように下手に龍宮を起こしても、合流する当てがなければどうしようもない)

 

 物は試しに、自分が入った客室のドアを開けてみるが来た道は消えており、ただの壁になっていた。

 他になんとかなりそうな場所はないかと、周囲をもう一度見回し、

 

「窓ガラスの外は真っ暗……いっその事ぶち破るか?」

 

 灰皿が乗っている小さめの丸テーブルを乗り越えて、窓の外を覗き見るが真っ暗で何も見えない。

 てっきり夜が深いだけかと思っていたが、そういうレベルではなく本当に何も見えないのだ。

 正直怖かったが、少しでも状況を動かさないと何も始まらない。

 覚悟を決めた葵は、息を一つ吐くと同時に近くの椅子を持ち上げて、それを勢いよく窓ガラスに叩きつけ――

 

「ダメだよっ!!」

 

 叩きつけようとした瞬間、後ろから突然聞こえてきた叫び声に咄嗟に手を止める。

 聞き覚えのある声に後ろを振り向くと、想像した通りの子がそこにいた。

 

「ユウキ……か?」

「……とうとう人を呼ぶ様になっちゃったんだね。父さん」

 

 ユウキは、失望とも絶望ともつかない――ただ、悲しんでいる事だけはわかる声でそう呟く。

 

「ユウキ、お前どうやってここに――」

「あのっ!」

 

 どうやってここに入って来たのか。それを尋ねようとした葵の言葉にかぶせるようにユウキは叫んだ。

 

「あの、お兄さん。お願いがあるんです」

 

 一度俯いたユウキは、顔を上げてしっかりと葵の目を見て、きっぱりと言い切った。

 

「父さんを……あの人を止めて……弟を助けて欲しいんです」

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

 もうやめてください

 

 お願いだからもうやめてください

 

 貴方のそれは愛ではない

 

 貴方のそれは、もはや愛ではないのです

 

 お願いだから気付いてください

 

 お願いだから

 

 誰か――

 

 誰でもいい――

 

 

 

 

 ――あの人を……止めて……

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

「ここの状況を見た時は半信半疑だったけど……本当にここに住んでたんだな」

「うん、本当ならお兄さんにも会う事はなかったんですけど……。はい、どうぞ」

 

 葵の一つのお願い事をしたユウキは、ここから出す方法があると言ってから部屋に置いてあったポッド――なぜか中身が入っていたソレを使ってお茶を淹れて、葵に差し出していた。

 大丈夫かと少し考えながら、とりあえず「ありがとう」と言って受け取り、軽く口に含んで味を確かめてみる。すると、意外と美味しい、葵好みのお茶だったので、更に一口飲んでみる。

 緑茶の渋みが口の中で仄かな甘さへと変わる瞬間を楽しんでから、葵は質問をすることにした。

 

「で、ここから出る方法があるって事だけど……」

「うん、それはもう大丈夫です。今のお兄さんが普通にドアを開ければもう外に出られます」

「今の?」

「…………」

 

 どういう意味か問い質すが、ユウキは口を閉ざしてそれ以上答えるつもりはないようだった。

 

「わかった。いや、わかってないけどひとまずこの質問は置いておこう。ユウキ、この建物の案内はできるか?」

 

 とにかく答えられない事は後にして、今は聞ける情報だけ聞いて少しでも状況を把握することにした葵は、質問を変えた。

 ユウキは葵の質問にコクリと頷き、そのままじっと葵を見上げている。

 

「あのお姉さんを助けるんですよね?」

「あぁ、どうにも操られてるっぽくてね……。ユウキ、ずばり聞くけど何が起こってるんだ? この旅館もお前も、何もかもが違和感だらけなんだが」

 

 ユウキは、そのまま葵の顔を見て「やっぱり……」と呟く。

 少し視線を不安げに揺らした後、ユウキは不安げに口を開く。

 

「お兄さんがどうして大丈夫なのかは分からないけど……この家は『生きて』いるんです」

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

 魔力の塊の様な女を、完全に取り込むための仕掛けは、今ちょうど終えた。

 

 このまま歩き続ければ、いずれ疲弊する。ここはそういう風に出来ているのだから。

 

 その時、女をここに取り込もう。彼女の中に取り込もう

 

 ふと、私と彼女の身体に等しいこの屋敷の中に、妙な異物を感じた。

 

 あの男かと思い保管庫を覗くが、あの男はただ部屋の畳の上に座っているだけだ。

 

 ならば誰だ? この家の中を歩き回っているのは?

 

 ふと、あのもう一人のイレギュラーが脳裏をよぎるが、彼女はつい先ほど見た時にはまだ目をつぶって静かに眠っていた。

 

 くそ……なんだ、この不愉快な感触は

 

 心がささくれ立つのを感じた私は、妻の前へと足を進める。

 

 近くにあのガキがいるのは気に食わないが、アイツには何もできない。

 

 ボーっと妻を見上げているガキを手で押しのけ、彼女の真正面に立つ。

 

 彼女をみるだけで力が沸いてくる。あの女の解析に手こずっているが、大丈夫だ。

 

 彼女ともう一度会うためならば、あの程度の苦労などなんてことない。

 

 

 

 待っていろよ。もうすぐお腹一杯になるからな?

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

「家が……生きてる?」

「はい。そして、近づいた生き物を誘いこんで分解、吸収する。そういう風に作り変えたってお父さんが言っているのを聞いてました」

 

 話のスケールが予想の斜め上に跳んでいる事に葵は眩暈を覚えながらも、それを態度に出さずに、話を一度噛み砕く。

 ふと、この旅館の近くに雑草が一本も生えておらず、動物や虫も一切いなかった事を思い出す。

 

「植木なんかがそのまま伸びていたのは、あれも家だと見なされているからか?」

「はい」

 

 ユウキは、一度向かい側で眠りこけている佐々木に目をやる。

 相変わらず何かに追われている様にうなされているだけだった。

 

「本当なら虫や動物、植物なんか、あと……他の物も使って十分な量の……その、力というか電気の様なものなんですけど、それを吸収出来ていたらしいんです。でも……」

「足りなくなったと?」

 

 葵は、ユウキのいう力の様なものを、漫画に出てくる気のようなものかと勝手に推測して、適当に納得してから話の続きを促した。

 

「それからは家の範囲を広げたりしていたんですけど、それじゃ足りないってこの間から家を『書き変えて』……」

 

 言いづらそうに口をモゴモゴさせてから、ユウキはそれを口にした。

 

「昨日、とうとう他の人も食べれるように書き変えが終わったって……」

 

 想定していたそれをはるかに超える事態に、葵は思わず天井を仰いだ。

 何の変哲もない普通の天井だが、今すぐあれが紅い肉の壁やら牙に変化して、自分達に迫ってくるのではないかと想像してしまう。

 そして同時に、こんな突拍子もない話をあっさりと信じている自分自身に違和感を感じた。

 

(なんだ? 俺は今どうしてあっさりと納得した?)

 

 家が化け物になるという現象が、まるで普通に在り得る事のように認識した自分に、今も歩き続けているであろう龍宮の背中を思い出した。

 それと同時に、もう一つ気になる事が浮かんだ。

 

「人を操るのもそういう事か?」

「お兄さんにはもう効いていないようですけど」

「『もう』って言葉がちょっと気になったが……まぁ、許容範囲内か。ほんのすこしだけ安心したけど……俺達の他に犠牲者は? 古波さん……もう一人の女の人はまだ無事か?」

 

 ユウキが零した『他の人』という言葉が気になった。

 普通に考えれば、他の人というのは文字通り『他人』ということだろう。

 ひょっとして……と、葵は顔を僅かに蒼褪めさせる。

 だが、それをこの少年に問い詰めるのは酷だと考え、口にしかけた疑問は飲み込んだ。

 もっとも、最悪の状況を聞きたくないだけの逃げだったのかもしれない。と、葵は少し自分に対して嫌悪感を抱く。

 一方ユウキは、何かを思い出すように目をつぶって、少したってから首を横に振った。

 

「大丈夫、ここに呼ばれた人はまだお兄さん達だけです。そして、もう一人のお姉さんなら大丈夫ですよ。あのお姉さんは部屋の中にいますから」

 

 ユウキの話によると、部屋の中はいわば保管庫のような役割らしい。

 元々の客室等を動かして、一度に吸収しきれないほどの獲物が入った時に一旦ここに置いておくのだとか。

 

「そして、お兄さん達が歩いてきた道は人で言う消化器官なんです。上の旅館だった所以上に、力を分解、吸収しやすい様に書きなおした場所ですから、普通ならかなり疲れているハズなんですけど……」

「? 俺は全然疲れていないぞ?」

「それは……お姉さんが対処しているみたいだから……」

「龍宮が?」

 

 葵は、そんな事をされた覚えがまったくなかった。

 もし龍宮がそういう事をしていたのなら、というよりそういう事が出来る程あの強制認識とやらに対抗出来ていたのなら、間違いなく葵にその危険性を言っていたはずである。

 不審に思って思わず聞いてみるが、ユウキは困ったように葵をじっと見つめるだけだった。

 よくよく見ると、小刻みに視線が彷徨っている。

 

(お姉さん……龍宮じゃない? 心当たりがあるとしたら古波さんだけど……まだ彼女とは合流してないし)

 

 何はともあれ、自分はどうやらその消化器官とやらでもまったく効果はないらしい。

 それが理解できれば葵には十分だった。残る問題は一つ。

 

「今から龍宮に追いつくことはできるか?」

 

 質問を変えると、ユウキはそれまでの迷ったような視線とは打って変わって、力強く視線で肯定した。

 

「やろうと思えばできます。あの人はすごい力を持っている人ですから、分解がほとんどできないんです。かろうじて意識の誘導が出来るだけで……。恐らく、もうしばらくはあの通路を歩きまわされると思います。どれだけの時間かは分かりませんが……」

「その言い方だと、通路を歩きまわった後があるってことか?」

 

 尋ねながらも葵は、ユウキの先ほどの消化器官という言葉を思い返していた。

 仮にこの家そのものが生き物で、消化器官がそのまま再現されているとするならば、先ほどの長い通路は口と食道の働きを組み合わせた様なものだろう。となると、思いつくのは――

 

「あぁ……消化に悪い物は、分解できるレベルまで『噛み砕いて』から胃袋に叩きこもうっていうことか」

 

 葵は立ち上がり、一刻も早く龍宮と合流しようと出入り口へと足を進める。

 だが、ふと思い立って立ち止り、彼女と合流した所でどうなるのかと自問する。

 そもそも、今自分に取れる行動は何があるのだろうか?

 龍宮を追って引っ張って戻る? 古波を先に探して回収する? 佐々木を外に返す?

 様々な選択肢が頭に浮かび、葵はその中から一つを選び出す。

 

 

「ユウキ、その人を操るカラクリって……俺に壊せるか?」

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

 前に進まなければならない。

 龍宮真名は猛然とする意識の中で、ただそれだけを考えていた。

 前に進まなければならない。

 副部長と古波さんがそこにいるかもしれないのだから。

 前に進み続けなければならない。

 

――本当に?

 

 ふと、違和感が脳裏をよぎる。

 

――本当に前に進んでいいのか?

 

 自問めいた思考を押さえて、龍宮は前へと足を続ける。

 

 当然だ。少なくとも出来る事があるなら、それを行うだけだ。

 あの人だってきっとそうする。きっと。きっと。

 何度も頭でそう唱える。

 

――あの人って誰?

 

 あの人はあの人だ。

 龍宮は奇妙な頭痛に僅かに顔をしかめながら、足を止めない。

 

 大丈夫。

 大丈夫だ。

 必ず皆助かるさ。

 

――本当に? 自分がおかしいとは思わないのか? 皆がそれで助かると?

 

「思うさ」

 

 ふと、龍宮は誰もいない、懐中電灯の灯りしかない位通路の中で呟く。

 それは先ほどから冷静に自分を見つめる分割された思考、もう一人の自分への疑問への答えだった。

 

「あぁ、何かがおかしいとは思うさ」

 

 自分がおかしいと言っている割には、その口調は確信めいた何かを思わせる位強いものだった。

 

「だけれど……何に期待しているのかは分からないけれど、それでも私は確信している」

 

 しかめっ面だった龍宮だが、一言口にするたびにその表情は徐々に和らいでいく。

 一言ずつ、口にする度に朦朧としていた意識が徐々にハッキリとしていく。

 

「今私がおかしいと感じているならば、そして『あの人』がまだ行動を起こさないなら」

 

 口にしながら、あの人とは誰のことだったか思い出せない事に少し戸惑い、それでも足取りは少しずつしっかりしてきていた。

 背中のやや上辺りに感じる微かな異物感もまた、奇妙な程に温かく感じる。

 やはり、それがなぜかは分からないが――

 

「大丈夫さ。私はそう信じている。信じられるんだ」

 

 不思議とね……と、付け加えるように小さく呟いた龍宮は、それまでより少し歩幅を小さくし、そして、やはり少しだが周囲の警戒を再開しながらまた足を進めていった。

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

「概要だけ聞くともはやとんでも技術だが! ようするにこの地下に一度設置された部屋は廊下も含めて自由に配置できる訳かちくしょう!! この旅館が変形してロボットになるんですって言われてももう俺は驚かんぞちくしょう!!」

 

 葵はユウキを抱え、息を切らしながら全力で通路をひた走っていた。

 道案内が出来る人間がいるならば、龍宮を携帯で叩き起こし、合流してから破壊に向かおうかとも思ったが、ユウキからの情報で操作する電波の様なものには強弱がある事が確定し、それを強くされればどうしようもないと判断した。

 

「はい、でも場所はお父さんが自分でその場所まで行って自分で変えなきゃいけないし、多分今はもう一人のお姉さんを調べるのに忙しくて、お兄さんには注意を払っていないと思います。変わっても僕には大体分かりますから。あ、そこの壁にぶつかってください」

「なにそのとんでも設計!?」

 

 通路自体は先ほどまでの『食道』となんら変わりはないただの通路なのだが、よく調べても到底葵には見つけられそうにない隠し通路がいくつもあった。

 ユウキの指示に従って、今も一見普通の突き当たりに体当たりをした所だが、そのまま何の感触もなく違う通路を走っていた。

 暗くて狭い道を、ユウキに持たせた懐中電灯の灯りだけでバランスを崩さずに全力疾走している葵は、今の集中力なら龍宮からまた逃げ切れるんじゃないかとどうでもいい事を考えていた。

 時に壁を突き抜け、違う部屋を通り抜け、ただひたすらに葵は走り続けていた。

 その時、ふと葵はある事に気が付いた。

 

「最短ルートって言うのは分かるが! やけに真っ直ぐすぎないか!? ほんの少し方向転換をする以外基本的に真っ直ぐだぞ!?」

「大丈夫です。今のお兄さんは、この家の中で行けない所はないですから」

「ってことは! 本当に言葉通り一直線に突っ切ってるのか!!」

 

 走りながら喋るのは体力の消耗を促すだけであまり良い事はないというのは分かっていたが、少しでも多くの事を聞いておかなければという強迫観念に近い物もあった。

 

(そういや、こうして単独でトラブルに当るのは初めてだな)

 

 今まで麻帆良学園で様々なトラブルに巻き込まれ、解決してきた葵だが、常に隣には誰かがいた。

 それは部活の鬼軍曹だったり、麻帆良のパパラッチだったりだ。なにより――

 

(いつも大体、龍宮が隣にいた)

 

 龍宮と背中合わせで事に当って来たこれまでと比べて、いつも感じていた安心感というものが少々薄れていた。寧ろ、自分が動かなければ龍宮が危ないという状況が、葵に緊張感と妙な高揚感をもたらしていた。

 

(喜んでいいのかと聞かれたら答えられないけど、騒がれるだけじゃない本当の『相方』同士らしくなってきたんじゃないか? なぁ、龍宮――)

 

 龍宮にこんなことを考えていると知られたら笑われそうな気がしたが、その様子を思い浮かべても不快感はしなかった。

 

「お兄さん、もうすぐ着きます」

 

 緩みかかっていた葵の顔が、ユウキの発した一言で引き締まる。

 今までの白い壁の通路が、急に上の階の様な旅館の通路のものとなった。

 走り続けていた足を止め、葵が少し息を整えている間にユウキは葵の腕からすり抜けて床に立った。

 

「この先です。そこでこの地下の構成や、認識操作等を行う様になっています」

「なるほど。脳みたいなもんか」

 

 この建物そのものが生物のそれと似通っていることから、葵は自分なりにこの建物を解釈する。

 

(さて、それじゃ行きますか)

 

 一息つき、唾を飲み込んで覚悟を決める。

 相変わらず灯りは懐中電灯しかなかったが、どういう訳か先ほどまでよりも明るく見える。というよりは、先ほどまでが異様に暗かったのだろう。

 ユウキは先にトコトコと先に進んでおり、とあるドアの前で立ち止まっている。

 恐らくここなのだろうとユウキに目で問いかけると、彼はコクリと頷いた。

 正直、言われなければ気付かないような小さいドアだった。目立たない様にか、木製の壁に似せた色で塗装されている。

 ノブに手を静かに乗せて、静かに息を吐いてからノブを捻り、勢いよく扉を開けた。

 

「…………水族館?」

 

 扉を開いて中を覗いた葵の感想はそれだった。

 恐らく倉庫だったのだろう大きな部屋には、ぱっと見ただけで大小合わせて30前後の水槽が所狭しと並べられていた。

 その全てが、上下左右のどこかに合わせて二つの穴が開いており、それが丸や三角、等様々な形のパイプで全てが繋がっており、蒼やら緑の色水がその中を流れていた。

 不思議な事に水槽の中でそれらは交じり合わず、ひょっとしたら水ではなくゲル状の物体ではないのか思う位綺麗に水槽とパイプの中を流れていた。

 こういう状況でなければカメラで一枚くらい撮りたい光景なのだが、今の葵にはそんな余裕はなかった。

 

「さて……と」

 

 葵は、自分の隣に立っているユウキを見ると、葵の服の裾を掴んだまま水槽の部屋をじぃっと見つめていた。

 

「ユウキ、大丈夫か?」

「……はい…………大丈夫です」

 

 そういうユウキだが、その顔は蒼褪めている。

 葵は、そっとユウキの頭に手を乗せる。

 理由を聞こうかとも思った。

 だが、ユウキはそれを察したようにぎゅっと更に強く服を掴んで、「いいんです」と呟いた。

 葵は、その言葉に何か返そうかと口を開くが、上手い言葉が出てこず、「そうか……」としか言えなかった。

 葵はユウキの頭から手を放し、服を掴んだまま一緒についてくるユウキの歩幅に合わせてゆっくりと水槽へと近づく。軽く水槽を指でトントンと弾くと、どうやらプラスチックではなくガラス製だったようで、指で弾くたびに小気味よい音がした。

 破片が飛び散っても大丈夫なように、ユウキを自分の後ろへと下がらせ、

 

 

 

――葵は静かに、だが素早く足を振り上げた。

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

「まさかこうなるとは……ね」

 

 古波涼奈は、遠視魔法で覗こうとしていた場所で発生した予想外のイレギュラーに頭を抱えていた。

 強力な強制認識によって、この廃旅館に誘い込まれる所までは『計画通り』だった。

 強制認識の術式の解析、レジスト、そしてダミーを作成してあの男の元を抜け出す所までは上手くいっていたのだ。

 後はそのまま、必要な情報を抜き出してから『龍宮真名』に間接的に協力して貸しを作っておくだけ……だったのだが。

 

「篠崎葵」

 

 ポツリと、彼女はそのイレギュラーの名前を呟く。

 

「やれやれ。そんな存在が現れるはずはないんだけどね」

 

 古波は、まるで確認するかのように独り言を続けている。

 その表情には、困惑と疑念、そして好奇心が強く浮かび上がっている。

 

「計画を動かす前に、龍宮真名の傍に面白い男がいると言うから確認だけするつもりだったんだが……」

 

 古波のその口調は、普段演じている丁寧な口調とは違う、少し砕けた喋り方だった。

 

「まぁいい。本当に捕らわれたのは予想外だったから、今頃は連合から私の――あぁ、古波涼奈という人間の捜索願いが出ているかもれないね。まったく、計画前に少し面白い物を見つけたからと言って欲を出したのはまずかったね。連合の連中にあまり借りを作りたくないんだが……」

 

 古波が手に入れたかったのは、この廃旅館に施された、芸術的とも言っていい強制認識の術式だった。

 それがあれば、彼女の計画はより完全になるはずだった。

 最も、実際に解析した時点で気付いたが、この術式は彼女の望むものとは少々方向性が違っていた。

 それでも使い道はあるかと思い術式の根源を拝見しようとした所、それもイレギュラーによって破壊されてしまった。

 

「まぁ、その欲のおかげで面白いものが見れたからよしとするか」

 

 そう言うやいなや、その少女は遠視魔法の映像から顔を背け、古波涼奈の『顔』を剥がして自分の素顔をさらけ出す。

 彼女はそこまで変装が得意ではないために、たまにそれを外さないと少々キツいのだ。数時間もそのままでいるのは拷問に等しかった。

 余裕が出来た時に、変装用のセットを作成しようと決意するのと同時に、自分の声を偽っていたボイスチェンジャーも外し、数時間ぶりに彼女は自分の肉声を聞くことになった。

 

「まったくもって予想外だったヨ。篠崎葵サン」

 

 クックック。と、その少女は静かに笑う。

 それが、自分の知る歴史の中では名前すら出てこなかった存在に対する好奇心からくるものだと、少女は理解していた。

 なぜなら、彼女は科学者だからだ。科学者であるがゆえに、自分を動かす二番目の感情である好奇心については熟知していた。

 少女はスキーウェアを脱いで、その裏地に仕込んであった装備を取り出す、その際に下に着ていたプロテクトアーマーが露出する。

 そのプロテクトアーマーの胴体には、なぜか漢字で『超包子』と書かれていた。

 

 

「本来の歴史とは違う道を通っているアナタ。二つの意味で本来の歴史には存在しないハズのワタシ」

 

 

「さて、本当のイレギュラーはどちらなんだろうネ?」

 

 

 自問するかの様な彼女の問いに答える者はいなかった。

 少女も答えに興味はなく、スキーウェアから魔法薬が入った試験管数本を納めたケースを取り出して、これからの行動の予定を立てていた。

 

 この時、彼女がもう一度遠視魔法の映像を覗いていたら、恐らく彼女は驚愕しただろう。

 映像の中で、携帯電話を取り出してどこかへと連絡を取っている男、篠崎葵。

 その男の隣に、それまで映っていなかった女が現れている事に。

 

 その女は何かに驚いている様で、何かを確かめるようにしきりに自分の手足を動かし――

 

 

 そのまま篠崎葵の中へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 

「馬鹿な!!!」

 

 思わず男は叫び声を上げる。

 決してあり得ない事態が起こったから。あってはならない事が起こったから。

 

「どうして……どうしてあの男がそこにいる!!?」

 

 あり得ないはずだった。この地下は男が完全にコントロールしていたのだ。当然誰が動いているかも分かるし、その行き先を決めることだってできる。

 確かに、思い通りにならない人間ではあったが、男は彼を完全に閉じ込めた――はずだった。

 だが、その結果は……

 

「あ、あぁ……あぁぁ…………っ!!」

 

 男は急いで、妻の眠る中心点から立体迷路の様な水槽を抜けて壁際へと向かう。そこには、ここの水槽と脳の働きを任せていた部屋の水槽をつなぐパイプがあるからだ。

 急いでつなぎ直さなければならないそれは、例え地震の震源地になろうともここに何の影響もなく、襲撃する様な者もいない事が前提で作られたそれは容易に修理できるものではなく、また壊れやすいものだった。

 徐々に、だが確実に立体迷路のような水槽の中身――魔法陣に魔力を循環させていた魔法薬が減っていくのが分かる。

 同時に、脳の役割を果たしていた術式の元が破壊された事で、複雑に配置していた通路が全て最初の状態に――ただの一本道へと戻ってしまい、女に仕掛けた強制認識が解除されるのも時間の問題となった。

 

(い、急がなくては……!)

 

 まだ勝算はあった。あの奇妙な男がいる場所から、女がいる地点まではかなり離れている。

 問題があるとすれば女がかなり近くにいる事だがそれはまだ何とかなる。脳の働きを取り戻せばまだ挽回できる。

 男が急いで脳の部屋に向かおうとした、その瞬間

 

――ピリリリリ……ピリリリリ……!

 

 と、大きな電子音が響き渡った。

 それが何を意味するかを理解し、男は足を反射的に止めてその場に立ちすくんでしまう。

 

「どうして……くそっ、なんなんだ……」

 

 男にとって、この術式は絶対の自信がある魔法だった。

 決して誰にも解くことはできない強制認識。初めは部外者を近づけないためだけの装置だったが、その効果の強さと万能さから獲物を捕らえるための手段に変更した。

 それが今、たった一人の奇妙な男に破壊された。

 

「なんなんだ……なんなんだ……」

 

 完全だったはずの術式と、自分の妻のための生命線が一人の男に破壊され、今まさに妻の身体そのものに危機が訪れていた。

 少し開いたままのドアからは、なにやら話声が聞こえる。恐らくあの女の声だと、男は確信する。

 妙に嬉しそうなその声は、足音と共に徐々に近づいてくる。

 

「なんなんだ……なんなんだお前達は!!!」

 

 男が恐怖を紛らわすために絶叫する。

 それと同時に、火薬の破裂する音が二回響くのと同時に扉の蝶番が吹き飛び、直後に扉自体も吹き飛んだ。

 そして、それまではよく聞こえなかった女の声が徐々にハッキリと聞こえてくる。

 

『あぁ、ここから先は――』

 

 片手に拳銃を、片手に未だ携帯電話を手にして耳に当てている褐色肌の女が、隙のない身のこなしで中へゆっくりと入ってくる。

 男にとって、その女は先ほどまで妻を救うための救世主の様なものであり、同時に餌にすぎない存在だった。

 それが今、男の目にその女はまるで死神の様に映っている。

 女は、携帯電話の向こう側にいる相手に、微笑みながらこう告げた。

 

 

「ここから先は……私の仕事だ。任せてくれ」

 

 

 

 

 

 

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