コナン-①
「また一年が終わって始まるのか……」
本日は12月の1日。今年の終わりはもう近く――のハズなんだが……。
「なんにも終わらないし、なんにも新しくなってないし……」
大学に入って二年目。そう、二年目。
だというのに、これを迎えるのは……二、三、四回目……五回目? まぁ、それくらいだ。
無論、留年したわけではない。
それどころか入学者も卒業者もいないというこの有様。
「はぁ~~~~~~~~~~~」
思わず不快ため息が出てしまう。
ちくしょうめが。一体なんなんだ、この訳のわからん現象は。
それとなーく周囲にそれとなく不自然な点とかを伝えてみたが全然だめ。ぜんっぜんだめ。
「だから言ったでしょう、浅見透。おとなしく私――この、小泉紅子の下僕になれば楽になれると」
ちょっと前まで実質職場であり、家であったお屋敷。小泉邸。
その主でもあるお嬢様が、リビングのソファで制服のまま足を組んでニヤついている。
「突然お嬢様に声をかけていただいてから、とりあえずのお試し期間と言われたこの二……いや、三年ですか。その間に学生生活のかたわら下僕家業をやってみたものの、特に何も変化はなかったのですが……」
「様々な技能が身に付いたでしょう?」
「……料理や清掃、洗濯、様々な乗り物の運転とか一部の医学……まぁ、それに格闘技とか食事の作法くらいまではまだ分からなくもないですけど……手品とか爆発物とか毒物とかに関する知識って役に立つんですか?」
「慣れておかないと死ぬ程苦しむわよ」
誰が?
俺が?
……え、俺なの? マジで?
おい、紅子。その本気で可哀想なモノを見る珍しい目をやめろ。
「……訓練の事故で私、右目が失明しているんですが」
今のこれ義眼だし。
まぁ、一時期完全に見えなかった時期あったしこの程度ならむしろちょうどいい塩梅だけど。
「運命よ。どう足掻いてもいつか失っていたわ」
「どういう運命!?」
そんな物騒な運命があってたまるか!
俺、今世界が変な事に気が付いているだけで基本普通の大学生だぞ!
「左腕を失くすか、どちらかの足を悪くする可能性も十分あるわね。覚悟しておきなさい」
ちょ。
「大丈夫よ。私の友人が、生きるために必要な技術を叩きこんでくれたでしょう?」
「変装とか声帯模写が役に立つ時っていつなんだよ、紅子」
先生や師匠から教わった技術の方がまだ分かるわ。
いや、あの二人に比べたら教え方すっごく丁寧で覚えやすかったけど……。
瀬戸瑞紀さん、本当にありがとうございました。
「あら、紅子様でしょう?」
「……まだ下僕契約は保留じゃありませんでしたか?」
「世界中の全ての男は、この小泉紅子に
「契約の意味は!?」
小泉紅子。
延々と進まない世界に悶々として少々荒れ気味だった俺を拾ってくれた高校生。――自称、魔女である。
いや、こうして訳の分からない事になっているという俺の言葉を信じてくれる時点で正直ちょっと信じかかっているが……。
こうやって話していると、ただの高飛車女な気がしてくる。
「私の前に
「……下僕として?」
「下僕として」
そっかぁ下僕としてかぁ。
そっかぁ。
「で、どうするの?」
何年か前に、このお嬢様から押し付けられた白猫――源之助が足元にまとわりついて、ひょひょいと膝に飛び乗り、さらに腕を伝って肩に乗っかる。
お前、もうホントにそこ定位置だよなぁ源之助。
……いや、「なぁ~ぉ」じゃなくて。
「……仮に、君の下に付くって選択したらどうなるんだ?」
「私には分からないけど、貴方が今も感じている違和感を、それに関係する記憶ごと消せるわ」
つまり、他の連中と同じようになるわけか。
延々と繰り返される同じ内容の授業を延々と受け続けてその全てが新鮮で、毎年毎年誕生日が来てるのに祝われたりあるいは無かった事になったり、その上変な所だけ時間が進むこの世界に――俺がぴったり当てはまる様になるのか。
「で、ここの俺がNOと言えば?」
「抗い続ける事になるわ」
「……この世界に?」
「この世界に」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
○12月7日
紅子曰く、屋敷を出てからは自分の行動を書き留めておくのが吉という事なので日記を始める事にした。
とりあえず小泉邸を出る事になったので、今日は適当なアパートを契約してきた。
米花町にちょうどいい部屋があったので、そこが俺の拠点になる。
もうしばらくは小泉邸のやっかいになるけど。
出来る事なら昔の家も取り戻したいんだけど、今の自分じゃあ手が出せないからなぁ。
紅子の所で働いていた分の給料のいくらかは貯金してあるから数カ月くらいは何もせずに暮らせなくもないが……やはり仕事して稼がなきゃ。
本格的にこの現象に関して調べるって決めて大学も辞めたし、時間が進まない事を利用して上手く金と時間をやりくりしなきゃ。
小泉邸での修行では、特に料理や洗濯、掃除なんかの家事関連に関する所を徹底的に叩きこまれたから、そういう所で働くか。
もっとも、働く場所にも気をつけなくてはいけない。
ただでさえ地図もなしに頂上も見えないような高く険しい山に登るような真似をしようと言うんだ。まずはコンパスを手に入れる必要がある。
小泉邸に世話になっている間にそこら辺を掴むために情報収集に専念していたけど、やっぱり誘拐やら強盗、殺人がえらく多い気がする。
紅子お嬢様曰く、『理から外れてしまった人間』であるらしい自分が違和感を覚える部分というのは決して無視できない要素のハズだ。
となれば、あからさまに多すぎると感じるそういった類の事件に関わる確率の高い所の近くに情報収集のアンテナを張るのは間違っていないはずだ。
例えば警察の近くとか、関わる事の多い探偵のお膝元とか。
○12月10日
とりあえずの引っ越しは完了。ネットの接続がまだなのが辛いけど……まぁ、とりあえずここが俺の拠点になる。
和室、リビング&キッチンにトイレとバスルーム。
家賃四万弱でこれならまぁ良い方だろう。ペット可だし。
書いてて思いだしたが、源之助の予防接種もそろそろじゃねーかちくしょう。
とりあえず買ってきたテレビをつけて適当に流しているが、偽札作りのグループが逮捕されたというニュースが耳に入ってきた。
やっぱ犯罪多いよな? 自信ないけど。
○12月12日
料理の腕を磨いておいてよかった。一番働きたかった所で無事に働ける事になった。
といっても来月頭からだけど……。
テレビに出る事が多い探偵、毛利小五郎の事務所の一階。
そこにある結構大きな喫茶店、ポアロである。
ここならば肝心の毛利探偵やその家族、依頼人が食事や休憩に使う事もあるだろうし、尋ねてくる人間の観察も出来るだろう。
それに上手くいけば、警察関係者ともつながりが出来るかもしれない。
おぉ、理想郷じゃないか。
まずはポアロを拠点に、少しずつ情報を集めていく事にしよう。
来月の5日からだっけか。それまでは、とりあえず日課のトレーニングなんかをこなしながらポアロでの仕事に備えておこう。
面接の時に仕入れ先の事とか聞いているし、メニューや物を確認しておかないと。
○12月17日
今日は瑞紀さんを自宅に招いて、つい先ほど呼んだタクシーに乗った瑞紀さんを見送ってきたところだ。
手品の練習というのもあったが、これからしばらく会えなくなるので最後に魚嫌いに魚を食わせるチャンス。
かなり頑張って、初めて心から美味いと言わせる事に成功。
達成感が半端ない。
その後はひたすら手品の基礎訓練。
手の筋肉の付き方調べられたり、しゃべる速度を計ったり、カードを手裏剣代わりにする投擲術をどこまで磨いたかとか……なんというか、小泉邸の頃を思い出すなぁ。
これで横からお嬢様……つーか紅子が紅茶片手に口を出してくるのなら完璧に小泉邸での生活なんだがなぁ。
料理もお茶もお菓子も完璧に出来たおかげか、その後の瑞紀さんとの雑談もすごく楽しかった。
やっぱりこの人、師匠や先生と同じく尊敬できる教師役だなぁ。
ひょっとしたら、割と真面目に恋しているかもしんない。
○12月19日
前々から話は聞いていたのだが、ネット上のチャットグループ『奇術愛好家連盟』の面子でのオフ会に参加する事が決定した。
瑞紀さんからこういうサイトがあると教えてもらってから参加していたチャットで、意外と楽しくてちょくちょく参加していたのだが、自分にもお誘いがかかるとは……。
日頃の学校やら仕事やら修行で忙しくて、ぶっちゃけ週に二回も参加すればいい方だったのだが……。
レッド=ヘリングというハンドルネームを使ってる人がやけに優しくて、正直この人との会話を目当てに参加していた気がする。
一応泊まりの準備は出来ているし、出発する時に車の燃料を満タンにしておけば後は問題ないだろう。
それ以外の今日の大きなニュースとしては、いつもトレーニングで一緒になる人に短距離走のタイムで初めて勝てたということだ。
安室さんという金髪に褐色肌のイケメンなんだが、この人のメニューがすっごいハード。
堤無津川の河川や橋の手すりとかを利用しての懸垂やら腹筋やら片腕立て伏せとか、いつも圧倒されるメニューだったので真似をし始めたら、いつの間にかトレーニングの競争相手になり、競い合うようになったわけだ。
初めて勝ったのが嬉しかったけど、その後の懸垂500回のタイム競争ではボロ負けしてしまってドヤ顔で返されたけど。
大抵互いに一通り他のトレーニングでタイムを競った後に、一緒に適当な所で飯を食って別れるってのが日課。
今日は安室さんが見つけたという魚の美味い定食屋だった。
最初のころは付いて行くだけでいっぱいいっぱいだったけど、今ではどうにか勝負になるレベルにまでなってきた。
まぁ、勝てるかどうかってなるとまだまだ全然なんだけど。
紅子の不吉な予言もあるし、できるだけ体力は付けとかないとなぁ。
安室さんとのトレーニング以外でも、ジムとかで計画的な負荷をかけるべきか。
来月……いや、給料でる再来月くらいからちょっと考えておこう。
さて、もう少し先だけどオフ会の準備をしておかないと。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
(うあ~、さっぶいなぁ……)
泊まりの荷物を用意して、現在の俺の数少ない財産と言っていい車を走らせて雪道を走る。
目的地は奥多摩のとあるロッジ。
奇術愛好家連盟のオフ会。どうやらレッド=ヘリングさんも来ているみたいなので、直接お会いして交友を結んでおきたいと思ってこうして車を飛ばしているが……やっぱり痛い出費だったなぁ。
(まぁ、なかなかに頭の切れる頼れそうな人との繋がりは確保しておきたいからしゃーないか)
先ほど一番近いコンビニに着いた時に、ロッジのオーナーかつ『無口な腹話術師』というハンドルネームでチャットに参加していた荒さんには公衆電話でもうすぐ着くという連絡をしている。
まぁ、飯までには間に合うだろうが……念のために色々と用意しておいたのは正解だったか? ついでに源之助のエサも追加しておいた。
少なくとも、酒を買い足しておいたのは正解だろう。
どうせちょっとしたら忙しくなるのだ、最後くらい思いっきり好きな事をしたい。
……まぁ、飲酒に関しては止められないが。
こればっかしは勘弁してほしい、俺の最大の娯楽なのだ。
(あぁ、ちくしょう。筋肉痛が酷くて運転がだるい……。前日だから軽く流そうと思ってたら安室さんとエンカウントするんだもんなぁ)
昨日なんて安室さんのシャドーボクシングを見学しながら格闘技の話になったら、自分も一応心得があるということで急遽異種格闘技戦を始める始末。
格闘技っていうか、自分の場合は主に体幹を鍛えるのが強いから実戦的かどうかと言われたら微妙なんだけど……。
そもそも、俺の場合は当てないように動くのが基本だし。
――な~~ぉ。
ふと、次の再戦に備えて色々と考え事に没頭し始めた俺の意識を、膝元から聞こえる猫の鳴き声が現実に引き戻す。
いつもは肩に乗っている源之助だが、俺が運転中の時は大抵膝か、あるいは別の席で寝っ転がっている。
「悪いな、源之助」
ハンドルを右手で操作しながら撫でようと片手を伸ばすと、源之助はそんな事は不要だと言わんばかりにスルリと俺の手を逃れ、助手席へと飛び移って寝転がっている。
「ったく……相変わらず、可愛げがあるんだかないんだか」
目の前に見えてきた一本のつり橋。
ロッジへと通じる橋だ。
先に着いていたのだろう人の黒い車が、橋の付近に止まっている。
(「わ」ナンバー……レンタカーか)
雪の足跡からして子供一人に他三人。
……子供はともかく、三つの内二つは女物っぽいな。片方はブーツ、もう片方も男物の靴跡ではないと思う。歩幅や足跡の傾向からして、多分そうだ。
「ま、行けばわかるか」
出来ることなら、このオフの間でも出来るだけ有力な人脈を掴みたい。
頭が切れるか、身体能力、もしくは人心掌握に長けた人物。
理想を言えばそれら全てを兼ね備えた、物語の主人公の様な奴なんだが……さすがにそれは欲張り過ぎか。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「うそ……レッドヘリングさんが……土井塔さんが……私のイメージが……」
奇術愛好家連盟のオフ会の会場となった奥多摩のロッジ。
その玄関口で、俺の本来の同級生の女が、目の前の肥えた男を見て茫然としていた。
鈴木財閥の令嬢、鈴木園子。
チャットでは『魔法使いの弟子』というハンドルネームを使い、三十代程の男性を演じて参加していた少女が夢見ていた素敵な出会いが、ボロボロと崩れ落ちていく音が周囲に聞こえるようだった。
「もう、園子ったら……」
(ったく、一度も会った事ない相手になーんで夢を見れるんだか。だいたい、自分も男の振りして驚かそうとしていた癖に)
ったく、いい気味だぜ。
(勝手に蘭まで誘いやがって……)
あからさまに落ち込んでいる園子を見て、勝手な幻想を押し付けられていた『レッドヘリング』こと土井塔克樹や、ロッジのオーナーである荒という男は揃って渇いた笑いを浮かべている。
どちらも人が良さそうだ。
「ま、まぁ、これで『魔法使いの弟子』さんも来た事ですし、あと残っているのは……」
とりあえず空気を入れ替えようと土井塔さんが、荒さんに話題を振る。
「そうですね。さきほど、クロウさんから一番近いコンビニに到着したから、もうじき着くという連絡がありましたから……そろそろ来るでしょう」
「おぉっ! クロウさんも来てくれるんですね!?」
「ねぇ、園子。クロウさんって?」
「あぁ、たま~に参加するどこかのお屋敷の使用人って話だけど……私はあんまり話した事ないし」
こそこそっと園子は蘭の耳元に口を寄せ、
「レッドヘリング……土井塔さんとは仲がいいって話だから、ルックスには期待できないけどね」
「もう、園子……っ」
(そもそも、オメーだってチャットでは仲良くしてたんだろうが……)
「――ックシ!」
ちくしょう、冷えてきた。さっさと中に入るか――
そう思って中に入ろうとロッジの中に入ろうとした途端、突然猫のように摘まみ上げられてしまう。
「くぉら、ボウズ!」
「あ、あーー!」
「なにしてんだオメーは!」
「ぼ、僕も泊まるーっ!」
「風邪引いてる奴が何言ってんだ! こんのガキは!」
あぁ、ちくしょう! やっぱこんな身体じゃどうにもなんねーか!
「それじゃすみません、娘達をよろしくお願いいたします」
おっちゃんは、俺を摘まんだまま振り返って帰ろうとして――
その先にいる、一人の男が目に付いた。
蘭や園子の荷物に比べてやや大きめのスポーツバッグを抱え、そしてなぜか肩に白猫を乗せている男の姿が。
「あっと、やっぱり自分が最後だったか?」
振り向いた園子が、一拍間を置いてからガッツポーズを取って「ぃよっしゃー!!」と喜んでいる。
だろうなと思った。
癖っ毛のある黒髪に、サングラスで隠れているがそれでも分かる鋭い目つき。整った顔立ち。
やや細身ではあるが、それでも鍛えられていると分かる身体付き。
そして、それなりに鍛えている身体を細身に見せるダークスーツ。つまり――
(黒尽くめ……っ)
全身を黒で固めた、妙に鋭い気配を出す男が一礼する。
「遅くなりました。ハンドルネーム『クロウ』こと――浅見透です」