ころころころ、ころころころ
「…………」
室内に音が鳴り響く。誰もが黙々と手元の教科書とノートに目を落とす中で、市ヶ谷さんは1人わなわなと震えていた。
ころころころころ、ころころころころ
「………………」
……あれ?香澄の頭が少しゆらゆらしてるように見えるんだけど……もしかして寝てるのか?
ころころころころころ、ころころころころころ
「……………………」
ころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころころ
「うっるせえぇえええええええ!!」
「うわぁ!?寝てませんっ!寝てないです!」
耐えきれなくなった市ヶ谷さんが叫んだ。市ヶ谷さんの叫びに、りみがビクッと体を震わせ、香澄は寝惚けて言い訳をしていた。
「お前ら!飴を舐めるなとか言わねぇけどな、そのころころさせるのを止めろ!!4人でやられたら喧しくて集中できねぇだろうが!!」
「有咲、そうカッカしないで。ほら、塩飴で糖分取って落ち着こ?」
「おたえが一番うるさかったんだけど!?しかも塩飴で糖分って、どういう事だよ!」
「でも甘いよ?」
炎天下の中を泊まり用の荷物持って来た香澄達。花園家のリビングで勉強を始めた俺達のテーブルの真ん中には、塩飴がどっさり積まれている。さっきからころころいってた正体はこの飴だ。
市ヶ谷さんと寝ていた香澄以外の全員で飴玉をころころやってたら、それはもう凄い喧しい事になっていただろう。やってる側だったから分からないけど。
「というかだな、沙綾と優人も何でノッてるんだよ!止める側だろ!?」
「いやー、なんか動かしてないと口寂しくて……」
「ころころしないとか、お前飴玉ナメてんな?」
「ナメてねぇよ!二つの意味でな!」
ツッコミを入れた後にコップに麦茶を注いで勢い良く飲み干す市ヶ谷さんの姿は、酔っ払ったオッサンっぽく見えた。
「有咲、飴玉は舐める物であって、噛み砕くものじゃないよ」
「おたえ……」
…………そんな事を言っておきながらバリバリボリボリと噛み砕いているのは、ひょっとしてワザとやっているのか?
「……ナメてねぇってそういう事じゃねーし、しかも言ってる事とやってる事が矛盾しまくりだ!今噛んでる物の名前を言ってみろ!!」
「塩」
「違うだろー!?…………はぁ」
ツッコミを入れ終わった市ヶ谷さんは無言でペンを置いて、ぐでーっとだらけだした。完全にやる気が削がれたみたいで「……もういいや」とか呟いてる。
「市ヶ谷さんがぐでーってなってるの初めて見たかも」
「たれ有咲だね」
市ヶ谷さんが勉強を止めたのを皮切りに俺達も手を止め、自然と駄弁る方向に場の空気が変わっていく。
「マスコットみたいな可愛い名前だね、たれ有咲ちゃん」
「その褒められ方はなんか嬉しくない」
「でも可愛いよ?たれ有咲」
「沙綾も乗るな!」
「たれ有咲ー!」
「ぶっ飛ばすぞ香澄!」
顔を真っ赤にしながら、フシャーと猫のように威嚇する市ヶ谷さん。それを見て更に笑う沙綾。
……市ヶ谷さんはいい加減に、その反応がからかわれるだと気付くべきだと思う。いや、でも本人も楽しそうだから良いのか?むしろ構って欲しいからワザとの可能性もありそうな……
「……市ヶ谷さんってMの素質あるよな」
「待て待て待て待て?!お前までおたえみたいに脈絡なく話飛ばすな!ただでさえツッコミ不足気味なのに……これ以上ボケは増えなくて良いんだよ!おたえみたいなのは1人で十分だっての!!」
「私は1人だけだけど……はっ!もしかして、有咲には私が2人に見えてるとか!?」
「んな!わけ!あるかぁ!!」
市ヶ谷さんのヒートアップが止まらない。あのままだと、いつか喉やられるんじゃないのか?
「あれ?でも増えなくて良いって」
「優人に言ったんだよ!というか、増えていいって言われたら増えるのか!?」
「えっ!優人って増えるの!?」
「んがああああああぁああぁぁぁああああぁぁ!!」
市ヶ谷さんって、ツッコミを入れる事に魂を燃やしてるよな。
この渾身のツッコミを見てると、そう思わずにはいられない。それが生き甲斐なんじゃないかと思ってしまうほどだ。
「増えない増えない」
「……じゃあ有咲の勘違い?」
「勘違いしてんのは、おたえの方だろうが!」
ぜー、ぜー、とツッコミだけで息切れを起こしている市ヶ谷さん。全力でツッコミ続けると、こんな風に疲れるのかと感動さえ覚える。
「私、勉強しに来た筈だよな……?なんでツッコミで疲れ果ててるんだよ……」
「やっぱりさ、おたえちゃんと優人君って似た者夫婦……だよね」
「だね」
「冗談はよせ。俺はたえほどぶっ飛んでないぞ」
「鏡見て」
解せぬ。俺が常識人である事は、たえがウサギ好きである事と同じくらい当たり前の事実だというのに、今更なぜ沙綾はそれを否定するのか。
「なんでダメなのか分かってないね、この様子だと」
「ねぇ沙綾ー。有咲が全く動かなくなっちゃった」
「起こしたらダメだよ香澄。有咲、今は凄い疲れてる筈だから……少し、寝かせてあげないと」
香澄が揺らしても何の反応も示さないのが、市ヶ谷さんの状態の深刻さを表している。どうやらオーバーヒートしたっぽい。
テーブルに頭を突っ伏して動かなくなった市ヶ谷さんから、ぷしゅーという効果音さえ聞こえてきそうだ。頭から湯気が出ていても違和感が全くない気がする。
「有咲、寝不足?ダメだよしっかり寝ないと、疲れが取れなくなっちゃうから」
「おたえちゃん……流石に冗談だよね?」
「疲れさせてる側の奴が何を言うか」
「優人、それブーメランだから」
なんかさっきから沙綾の当たりがキツい気がするんだけど。俺なにか悪い事したか?……心当たりはまるでない。
「まあいいや。ところで、これから麦茶飲むけど他に誰か飲むか?」
そんな事よりも、さっきから塩飴しか舐めてなかったから無性に喉が渇いて仕方ない。そしてそれは、飴を舐めてた沙綾やりみも同じだろう。
「飲む飲む!」
「飲むー」
「私は氷マシマシで」
「じゃあ優人。氷マシマシ2つと氷抜き4つお願いね」
手が1つ、2つ、3つ、4つ……
「ちょっと待て、たえはもてなす側だろ。なんでさも当然のように客人ヅラして注文してやがる」
「ばれたか」
特に悪びれる様子も無い、たえを引き連れてキッチンへ。2つのコップに氷だけ入れて……麦茶の容器持って行ってセルフサービスで良いか。
大量に飲みたい人もいるだろうし、おかわりの度に一々キッチンまで歩くの面倒くさいからな。
「はい。割ると怪我するから、落とすなよ」
そんな理由でお盆に6つのコップを乗せてたえに渡すと、たえは不思議そうにコップを横から見たり、上から覗き込んだりしだす。
何やってるんだろうと暫く無言で見ていると、やがて真面目な顔で頷いた。
「…………なるほど、そういう事だね」
「ん?」
「言わなくても分かるよ。優人の考える事はお見通しだから」
「は?」
「じゃあ持っていくね」
どういう事だ。と質問する間もなく戻っていった、たえの後を麦茶の入った容器を持って追いかける。
俺が戻った時、たえは全員の前にコップを置いたところだった。
「はい」
「…………おたえ。これは……?」
「見ての通り、心の優しい人にしか見えない麦茶だよ」
「見えないのに見ての通りって……」
「ちなみに私も見えない」
多分そうだろうなとは思ってたけど、やっぱり変な勘違いしてやがる。
「そんな訳あるか。ただ先にコップだけ持って行ってもらって、後はセルフで入れてもらおうと思ってただけだ」
「えっ……?優人には麦茶が見えてたんじゃなかったの?」
「俺がいつ、そんなこと言った?」
どんどん容器から麦茶が減っていくのを見ながら、隣で驚くたえにツッコミを入れる。
……無くなる前に麦茶入れとくか。
「有咲ちゃん、麦茶飲む?」
「……………………ああ」
のっそりと市ヶ谷さんが上半身を起こした。ずっと突っ伏していたから、おでこが赤くなっている。
「あ"ー……喉、痛い」
「大丈夫?」
「大丈夫じゃない」
その目は暗く澱んでいた。
◇◇
その後は滞りなく勉強が進み、やがて夜がやって来る。香澄達は泊まりだから花園家で食べるが、俺は自分の家で食べるつもりだった。
家は隣同士だから帰るのに時間は掛からないし、何より迷惑だろうなと思ったからだ。
……だけど家に帰るなり玄関で鉢合わせた母さんからの「あんたの分まで
それはそれとして母さん。いくら料理作るの面倒だからってウッキウキで「ファミレス行ってくる」って息子に言い放つのはどうかと思う。
「おかえり優人。お風呂にする?ご飯にする?それとも……う・さ・ぎ?」
そんな経緯で花園家にとんぼ返りして夕飯を食べた後に、一旦俺の部屋に戻って着替えと風呂を済ませてから戻ると、たえが玄関で待ち構えていた。
そしてこの言葉、ご丁寧にもエプロン姿での発言である。
「寝る」
「……今日ノリ悪くない?お風呂も一緒に入らなかったし」
「ノリは悪くないし、お前はいい加減に羞恥心という物を覚えてくれないか?…………前にも同じこと言った気がするけどさ」
子供の頃とは訳が違うっていうのに、こいつの感覚は一部分が未だに小さい頃のまま変わっていない。いつまでも無邪気な子供のままだ。
疑いを持つ必要がないくらい信頼されてるって事なんだろうけど、注意しておくか。
「たえ、俺達はもういい年なんだぞ。親しき仲にも礼儀ありって言うように、いくら身内でも多少は警戒をだな……」
「優人の何を疑うの?」
汚れなき純粋な目。全幅の信頼を俺に置いているのが、その目からは読み取れた。
「それは……ほら、例えば俺が嘘をつくとか。隠れて何かしてるとかをさ」
「優人がつく嘘って、私に内緒でスイーツを1人で食べてるのを「食べてない」って誤魔化すくらいだし、私に隠れて何かしてるのって、えっちな本の隠し場所を変えてる事くらいじゃない?」
「馬鹿な。なぜ両方バレてやがる」
……やっぱ現物を保持するのは失敗だったかぁ。素直にネットで電子書籍版を買うべきだったな。うん、次からそうしよう。
しかしスイーツの方は何故バレたし。ちゃんとゴミも捨てて口元に食べかすが付いてないのを確認してから家に帰ってるというのに。
自分のミスが無いかを振り返ってると、たえは自分の人差し指を唇に当てながら言った。
「キスしたら分かるよ。優人がスイーツ食べた日は、いつもより甘いから」
「あっ」
スイーツを食べ終わった後、自分の口の中が無性に甘ったるくなるのは誰しも一度は体験する事だろう。
俺は食べ終わった後は麦茶とかでリセットをしていたのだが、それでは完全に甘さは消えない。
だけど、それも僅かな筈だ。なのにバレるものなのか。
「女子は少しの変化も敏感に反応するんだよ」
「マジかー……バレてたのかぁ」
言いようもない敗北感を抱きながら2階に上がると、寝室から香澄や沙綾の声が聞こえてくる。まだ誰も寝てないらしい。
「ただいま。やってみたけどダメだった」
「……まあ、そりゃそうだよ。おたえらしいとは思うけど」
たえはエプロンを外しながら敷かれた布団の上に座る。場所は右から2番目だ。ちなみに右端は俺。
並び方としては、右から俺、たえ、りみ、沙綾、香澄、市ヶ谷さんの順になる。
「それで、なに話してたの?」
「特には何も。明日も早いから、2人が戻って来たら寝ようって話してたくらいかな」
「えー!枕投げはー!?」
「また今度ね」
ぶーたれる香澄を宥める沙綾の姿は香澄の姉みたいで、下に妹と弟を持つ余裕と包容力を感じた。
「これじゃ香澄が沙綾の妹だな」
「年は同じだし、しかも香澄もお姉ちゃんの筈なんだけどね」
「まあ、香澄に沙綾みたいな包容力を求めるのは無理があるんじゃねーか?」
「有咲酷い!私だって家では立派にお姉ちゃんとして……お姉ちゃん、として……」
段々と声の勢いが落ちていき、最後には考え込むような姿勢で固まった香澄。
俺達が暫く無言で見ていると、何かに気付いたように顔をバッと上げて言った。
「お姉ちゃんとして、おやつとか少し譲ってあげてるし!」
「電気消すぞー」
『はーい』
「ちょっとーっ!!」
照明用のリモコンで明かりを完全に消して布団に潜…………たえは何故こっちに転がり込んでんだ。
「お前の布団は一つ左だろぉー?」
「1人より2人で寝たほうが暖かいよ」
「冬ならまだしも今は夏だ」
冷房で涼しい部屋とはいえ、2人が当たり前のように鼻息が掛かる距離まで密着してたら流石に少し暑いってのに。
「…………」
チラッと横を見たら、ニッコニコなたえと目が合った。もう普通に寝るだけなのに、なんでそんなニッコニコなんだ。
「ぎゅーっ」
「……2人だけ別室でも私達は構わないぞ?大丈夫、耳は塞ぐから」
「気にしなくていいから。いいから」
「そんなこと言われても……」
だよな。隣でこんな事されてたら落ち着かないよな。でも、りみには悪いが、これでも抑えてる方なんだ。
隣の布団に戻るどころか、俺の上に乗っかって寝る気満々だけど。抑えてるんだ。
「おやすみ、みんな」
「こいつ本当にマイペースだよなぁ……」
今更ながら、その事を再認識した夏の夜だった。
途中で一度出した野々絵という名前は、おたえのお母さんの名前(アニメ版)です。さり気に良い名前だと思います。
完全に余談ですが、これを友人に見られた時「何をキメたら書けるんだ」とか言われました。失礼な奴だ。
この作品のどの部分を見に来てるんですか?
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会話(いわゆる花園節・おたえ節)
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デレてるおたえ(申し訳程度の恋愛要素)
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うさぎ(説明不要)
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その他