「……きらりが世話になったね。でも、どうしてわかったの?」
きらりが自分の中にある「優しさ」への変質した想いと向き合うのを手助けした日の夜、杏はバーカウンターに腰掛けていた。きらりには、敢えて一人でもう一度向き合う時間を与えている。
「……まあ、君たち二人の付き合い方、かな」
杏の隣に座っているのは、東郷あいと木場真奈美。杏が電話したら、二人ともすぐに応じてこのバーで合流してくれた。こうなることも予測済みだったからだろう。
「きらりくんの周りへの接し方は明らかに異質だった。自分の欲求を偽装しているかのようだった。でも、杏くんと一緒にいる時だけ、ほんとうの自分を曝け出しているように見えてね。これは真奈美さんも同意見だったようで、少し二人で話し合ってみたんだ。もし彼女が、自ら優しさを求めることを不条理な理由で封じているなら教えてあげよう、優しくされてもいいのだと」
あいは、そこまで言ってカシスオレンジを一口飲んだ。酒に弱い彼女がチョイスしたのは何とも初々しいカクテルだが、彼女はそれを打ち消すほどの優雅さで喉に流し込む。
「余計なお世話の可能性もあったがね。それでも私たちとて知っているんだ、自らの在り方にすら関わる欲求を偽ることがどれだけの負担をもたらすか。だから私たちは、彼女にせめて自覚させる機会を与えてみようということで一致した。本来きらりが持つべき、優しさを求める権利を……」
そう、あいよりも力強く続ける真奈美が口にしているのはテキーラだ。
「……そう。でも、きらりの殻はあいさんたちの想定以上に硬かったみたいだよ。私がさっき最後の一押しをして、これでも完全に破れるかはわからない。でも、ここから先はきらりが自分の中で向き合う問題だから……」
「だから、その時まで私が側で守らなきゃ、かな?」
あいは杏の続けようとしていた言葉を先に当てた。
「……やっぱりわかっちゃうか」
「だからこそ、君たちの関係の中に見出すもこを見出せたわけだからね」
杏は照れ臭さを隠すつもりか、ヴァージン・ピニャ・コラーダを平らげてしまい、追加でコンクラーベを注文した。
「……まあ、私はいるよ、あの子の側に。私との接し方があいさんたちにヒントを与えたってんなら、もう片棒担いでるしね」
「そうか。ならば、背中を押してしまった私たちも安心だ」
「まあ、その分私一人でキツくなったら遠慮なくこき使うからね?」
「ふふ、望むところだよ」
三人は改めて、手にしたリキュールで喉を潤す。
「……ありがとう。二人とも」
実を言うと杏には、この期に及んで、ある罪悪感があった。故にあいと真奈美の介入に感謝しているところがあった。
「……私が本来なら自分で踏み出すべき一歩を、代わりに見せてくれて」
杏はきらりの過去に何があったかを知っている。彼女の優しさに対する異常性の根元も理解している。
しかし、一番事情をよく知り、一番側にいる当事者であるにもかかわらず、否、そうであるからこそ、穿つべき穴を定めかねていたのだ。
自分がきらりを解放せんとして何か行動を起こす。それが、自分ときらりの間にある均衡を破壊する可能性が怖かった。だから何もできなかった。
「……私は卑怯者だよ。きらりに殻があってこその依存関係、この心地良さを捨てたくて、きらりを救うことすら先送りにしてたんだ」
杏はきらりとの依存関係、これが無くなったところに改めて同等の友情を成立させることを確証できるほど、愛を知るわけではないのだ。
「それは違うぞ、杏」
しかし、杏の自嘲を真奈美は否定した。
「その心地良さは、杏だけのものなのか? 違うだろう、きらりだって失いたくないもののはずだ。君がそれを守ったのも、きらりの守り方の一つだ。ほんとうに自分の居場所が欲しいだけなら、私たちの介入だって跳ね除ける選択肢があったろうに、杏はそれをしなかったろう? ちゃんときらりの救済を考えられているし、君ときらりがここまで感じてきた心地良さだって、決して偽物ではない、無駄にはならんはずだ」
真奈美の力強い言葉は、それ自体が杏に向けられた「優しさ」だった。無論、論理的にも間違いが無いことは明白だし、それは杏にも理解できる。でも同時に真奈美も知っているのであろう、真実を飲み込みやすく噛み砕いて再構築するだけの優しさもあるのだとあたうことを。
「……ありがとう、真奈美さん」
「良かったら、誤解を生まないためにも詳しく聞かせてくれないか? 君たちのことを」
「……そだね」
杏とて、自身がどの程度きらりの殻を透かせているのかもわからない。ならばここで吐き出してみるのも手かもしれないと思った。