良いんだよ、求めて   作:雫。

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最後の殻

 

「このまででいいのかい、杏くん?」

 

「うん、エスコートありがと」

 

三人がバーを出た時、既に日付けの変わりは遠くない時間だった。

 

女の子が歩くには心許ない上に、杏なら見ためのせいで補導されかねない。だからあいと真奈美は、わざわざ定期券外の路線に同乗してまで、杏ときらりのアパートの最寄駅まで彼女を護衛してきた。こういう役目は流石に慣れたものだった。

 

「……では、今後も何かあれば力になるから、遠慮なく頼りたまえ」

 

「君たち二人に祝福があることを祈ってるよ」

 

「……うん」

 

杏は二人に背を向け、待つ人のいる、帰るべきところへ足を進める。最早迷いは断ち切れているのか、一度手を振ったら、頼ると宣言した二人を振り向くこともない。小走りでも気だるげな徐行でもなく、淡々と歩いて行く。

 

その背中が見えなくなるや、あいと真奈美もまた、二人の帰路につくべく杏が消えていった闇に背を向けて足を進めた。

 

二人は特に夜道を歩くことへの恐怖は無い。あいは今まで女性を男以上にエスコートしてきた、つまり二人分以上も闇夜に対し警戒をすることに慣れているし、真奈美は暴漢相手に筋トレの成果を活かした護身術を振るった経験もあった。警戒心こそあれど、二人のそれは合理的なものであり、直情的な恐怖から来るものではなかった。

 

そして、そんな二人が共に歩く時は、互いのそういった強さに対する信頼感がそれをさらに強めていた。

 

「さて……」

 

と、杏の気配が完全に消えたところで、真奈美は立ち止まった。

 

「いつからだった? この私もまた、優しさを欲していたことに気づいたいたのは」

 

数歩先を行くあいもそれに応じて立ち止まる。ゆっくりと、優雅に振り返る。

 

「出会ってわりとすぐ、かな?」

 

余裕のある笑み。他者に優しさと加護を与え続けることに慣れきった笑み。

 

「……ならば、私はあいに甘えてもいいのだと?」

 

ーーそう、真奈美もまた、当たり前の優しさを受けることに不慣れであった。

 

「……昔の私なら、きらりに偉そうなことは言えなかっただろう。私も当たり前の優しさを享受することも求めることも少なかったからな、君に会うまでは」

 

真奈美は、きらりに対して自分に優しさが向けられることがあっても空虚なものに過ぎないと言った。せいぜいがアメリカでの社交儀礼的なものくらいしかなかった。

 

「私は別に、きらりのように優しさを求めることを怖れていたわけではない。だが、私は求められるだけだった。私は強い、周りがそう言うならそうなのだろう。だが、私は強いが故に、求められ続けた。求めるべき優しさが何なのかを学ぶより先に」

 

だから真奈美は人一倍に努力した。労力を使った。人が求める優しさとは何なのか、それに応えるために。ただ強さを誇示すればいいという単純なものではない、それを踏まえて的確に期待された優しさを与え続けることは、与えられる間も無く求められ続けた強者にとって、自分ならどんな優しさを欲するかを考える余裕を奪い得るに足る戦い。

 

そんな戦いが終わりを見たのは、帰国してあいに出会ってから。彼女は、真奈美の強さを認めた上で「優しさ」を与えた。その強さの陰にある本人も気づかぬ隙間を見つけて支える、真奈美が強さを無駄にしないように、しかしその強さで自身が傷つかないようにする。

 

「私が求めていた優しさはこれだったのか。君に出会うまで、考えもしなかったかたんだ。この経験が無ければ、きらりが当たり前を拒絶されてきた故に当たり前でありふれた優しさに無意識に飢えていることにも気づかなかっただろうな……」

 

「そうかな? 私は真奈美さんの強さなら、いつかは自力でその段階に達することができたと思うよ」

 

「……そうだとしても、今はこうして気づかされた方が幸せだ。……今回のきらりの件を私に持ちかけたのは、あの二人を救うためだけではない。この私にも、改めて優しさを双方向から経験させるため、そして、それを通して私が既に君の目論見通りに……」

 

優しさをちゃんと学んだことを自覚させるためだったのだろう? 流石の真奈美でも赤面する。

 

「ふふ、深いところは好きなように解釈してくれたまえ。真奈美さんが望むように、幸せなようにね。さすれば、私もそれに応えるよう努めるつもりだよ」

 

今回の一件で救われたのは杏ときらりだけではなかった。真奈美もまた、彼女らを救う過程の裏で、大切なものを確認することになっていたのだ。

 

全て、あいの筋書き通りに……。真奈美は感謝とともに悔しさも感じる。普段なら、自分に比べてまだ可愛げのあるあいだと思っていたが、やはり人の求める優しさを検分する、その一点においては真奈美を以ってしても右に出ることはなかったのだ。

 

「……感謝するよ、改めて。だが、一つ確認したいことがある。……あい、君に最高の優しさを与えてくれたのは、何者だったのだ? 私がそうであったように、優しさを得る機会が無ければ他者に適切に与える難易度は上がる。……私やきらりが深層心理で自分にもわからないまま求めるものを見抜いて救済してしまう。その強さの源は一体……」

 

そう、あいのあまりも卓越した「優しさ」を与える能力は、彼女一人の存在ではなし得ない。彼女自身が自らの求める優しさを自覚しなければなし得ない。いるはずなのだ、彼女をここまで強く優しくした何者かが。

 

「……ふふ、それは想像に任せよう。そういう推察をするのも一興だろう? 君の洞察力、その強さを見せてもらうのも楽しそうじゃないか」

 

しかし、あいは珍しくも小悪魔めいてはぐらかすのであった。

 

彼女が本気で隠そうとしているのかはわからない。

 

だが、彼女が過去に感じた優しさ、今ある彼女の源流たる優しさ。そこには一切の嘘も偽りもないだろう。真奈美には、それだけは確信できた。


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