ルビィが晃太と連絡を取るのをやめてから一ヶ月が経った。連絡を取る資格なんて無い、そう思うルビィだったが、晃太もルビィの気持ちを察したのか、晃太から連絡をすることもなかった。
ルビィはこれまでのことを忘れるように練習に打ち込んでいた。その成果はメキメキと現れていてメンバー全員が目をみはるほどだ。善子と花丸は、ルビィとこんなやり取りをしたことがある。
「ルビィちゃん、最近すごい上達したね」
「えへへ……そうかな?」
とある練習の帰り。この日は決勝の曲の振り入れをした日だった。いつものように三人で歩いて帰る。
「もしかしたら一番上手になっちゃったんじゃないかな?」
「そんなことないよ!」
「善子ちゃんもそう思うよね?」
「……ま、そうね」
「ほら」
「ルビィなんて、まだまだだよ……」
ルビィは慌てて否定したが、その上達ぶりは誰の目から見ても明らかだった。一番、というのはいささか大げさかもしれないが、果南を唸らせる程度にはその仕上がりは美しい。
花丸は善子に同意を求める。善子もまた、それを肯定する。というよりも肯定するしかなかった。完全に置いていかれた、善子は心のうちでそう思っていた。が、それ以上に、ルビィが練習に打ち込んでいること以上に気になっていることが、善子には、いや、花丸にもあった。
「ルビィ、アンタ、最近どうしちゃったのよ」
「よ、善子ちゃん」
もう我慢ならない。善子はそう言わんばかりにルビィに詰め寄る。花丸はそれを制す。二人共、予想はついていた。が、それぞれの優しさがそれを邪魔して、これまで何もしてあげられずにいた。善子は察しているのに何もしてあげられない歯がゆさに、花丸は時間が解決する他に考えが及ばない情けなさに。ルビィからはその慈愛に満ちた優しいほほ笑みは消え去ってしまっていた。
「え、別に、普通だよ」
素知らぬ顔でそう答える。無感情な顔。最近良く見る表情だ、と二人は思った。
「普通ってアンタ、それのどこが――」
「普通なんだよ。これがルビィの普通。そうだよね、花丸ちゃん」
「え、っと……」
ルビィは善子の言葉を遮って花丸に尋ねる。花丸は困惑した様子で言葉を濁した。
二人はわかっていた。あのあとルビィと晃太の間になにかがあったに違いない、と。しかし、ルビィは頑なにそれを語ろうとしなかった。それどころか、晃太の話題になりそうになると、まるで自分に言い聞かせるようにそれを拒んだ。こっそりダイヤに尋ねてみたこともある。が、彼女も何も聞かされてないようで、ただただ悲しい顔をするだけだった。
あれだけ協力してやったのに! という気持ちがないと言えば嘘になる。が、それ以上にルビィのことが心配だった。二人にも、姉であるダイヤにも、ということは誰にも何も言っていないのだろう。ルビィがこんな風になってしまうくらいの
結局その日は、その後何もしゃべることなく別れた。
そんな頃、一通の招待状がAqoursの元へ届く。北海道地区大会のゲストに呼ばれたのだ。北海道地区大会といえば、あの姉妹ユニット『
「それが、こんなことになるなんてね」
善子が花丸に尋ねる。
「おらは、ルビィちゃんがしたいことのお手伝いをしたい。それだけずら」
善子と花丸はSaint Snowのメンバーである
Saint Snowは理亞のミスが原因で北海道予選を敗退していた。自責の念に駆られふさぎ込んでいた理亞に対し、ルビィはもう一度ライブをしようと声をかけた。同じ妹として思うところがあったのだろう。自分はもうひとりでもやっていけるところを見せて姉を安心させてあげたい。そんな二人の気持ちが通じ合った結果、ルビィは理亞と聖良が住む実家に居候する形で北海道に残り、現在ライブの準備を進めている。善子と花丸はそれに付き添う形でルビィと理亞の助けになれればと、一緒に北海道に残ったのであった。
「……それは罪滅ぼしのつもり?」
「その言い方は、ちょっと傷つくけど……でも間違ってはいない」
花丸はうつむいてそう答える。二人が残ったのもライブの手助けだけが理由ではなかった。
「ルビィって意外と頑固だから、何も言わないかもよ?」
「それでもいいんだ。こうすることで、ルビィちゃんの気が少しでも紛れるなら、そうしてあげたい」
「そ」
善子は腕を頭の上に組んで壁にもたれかかった。眉を上げて、いかにも興味なさそうな軽口だが、それは優しさの裏返しだ。花丸にもそれはわかっている。
二人はいつしか心に決めていた。できる限りルビィの助けになろう。それがどんなことであっても。一番力になりたい部分で無力な代わりに。と。
「それに……」
「……そうね。あの目は本気だった。理亞の力になりたい。ダイヤさんに安心してほしい。全部本気よ。欲張りさんよね」
「気づいてたんだ」
当たり前よ! と言いかけて善子はそれをやめる。何が当たり前なものか。親友が一番苦しんでいる時に力になれていない自分に、そんなことを胸張って言う資格はない。
「忘れたいのかな……」
「なわけ無いでしょ。顔見りゃわかるわよ」
そうだよね……と呟く花丸の声は主のいない小さな部屋に消えていった。善子は机の上に置かれた
「まだ全然じゃない。ほんとに間に合うのかしら」
「……でも、これ見て」
その断片の一節を、花丸が指でなぞり、善子が読み上げる。
「失敗を成功に、未来を変えたい」
「何を選ぶのか、それは私達次第」
続けて花丸が別の一節を読んだ。
「きっとうまくいくよ、理亞ちゃんのことも、ダイヤさんのことも、そして、佐蔵さんのことも」
二人は、ルビィが自分の気持ちに早く気づいてくれることを、ただただ祈るばかりだった。
◆
「いよいよ、明日だね」
「何? 緊張してるの?」
函館の星空は、内浦とはまた違った美しさがあった。空気が冷たいからだろうか、なんとなく、星明りが鮮明に見える気がする。練習を終え、その満天の星空を眺めながらルビィと理亞は明日のライブについて思い馳せていた。
「そりゃあ、ちょっとは緊張するよ」
「まだまだね」
ルビィは、理亞のその精神力に感心した。最終予選では、きっと気持ちが空回りしてしまっただけなんだろう。もし決勝まで勝ち上がってきてたら、と思うとゾッとする。勝てる自信は、あまりない。
「……理亞ちゃんは、どうしてそんなに強いの?」
「あんた、予選で失敗した私にそれ言うの?」
「あっ、そういう意味じゃなくて……」
ジトッとした目で睨まれて、慌てて訂正する。
「ふん、ルビィ、あんたもうちょっと考えてから物喋りなさいよ。頭緩い子だって思われるわよ」
「ル、ルビィ頭緩くなんて無いもん!」
「ふふっ」
そしてお互い笑いあった。この娘と友達になれて、本当に良かったと思う。ちょっと不器用だけど、心優しい。最初は怖い印象だったけど、とってもいい娘だ。そう思った時、ちくりと胸が痛くなった。
「ま、姉様のことを想ったら緊張なんて吹き飛んじゃうわよ」
「……そっか」
「それに、緊張なんてしてたら後悔、しそうだし」
「理亞ちゃん……」
理亞が苦い顔をしている。つい先日のことを思い出しているんだろう。こういうとき、ルビィはなんて声をかけたらいいかわからなかった。いつもそうだ。自分は、ホントは冷たい人間なんだろうか、ふとそんなことを思う。理亞はそんな私を他所に話を続けた。
「さっきも言ったけど、私、最終予選で失敗したじゃない。あの時は、姉様とケンカしてたし、すごく後悔した。もう、あんな気持ち、絶対味わいたくない。できることは全部やったって胸を張って言えるくらいまでやるんだって。もし、それで失敗しても、後悔はしないんじゃないかって思う」
「すごいな。ルビィは、そういうの無理かもしれない」
「はぁ? 何言ってんの? 私がこう思うようになったのはあんたがお姉さんと――」
そこまで言って理亞は、はっと何かに気づいたように星空を見上げた。
「理亞ちゃん?」
「あー、もう。あんたを見てたらね、私もちゃんと思ったことを言おう、やろうって、そう思ったのよ!」
自覚ないのかしら、と頬を赤く染めた理亞がひとりごちた。ルビィは理亞がそう思ってくれていることを意外に思った。自分なんて、後悔だらけだ、と。
「だから明日は、ルビィも後悔のないように、全力でやりなさいよね」
星空よりも満天の笑顔に心臓が脈打つのがわかる。後悔の、ないように。その言葉が、何も知らない無垢な理亞の言葉が、ルビィの胸に重くのしかかった。
ずっと、避けて通ってきた。あの日以来、ルビィは努めて忘れようとした。でも、そうすればするほど、自分の思いは強くなっていって、胸が張り裂けそうになった。理亞が考えた歌詞に『恐れていたら何も始まらない。未来を作るのは自分』という詞があった。前後のつながりや曲の流れを考慮して添削を加えた結果、言葉としては全く形を変えてしまったが、ルビィはこれを聞いた時、正直ドキッとした。自分の心を見透かされているような気がした。そして、そんなことでどうするんだ、と怒られているような気がした。今もまだ、このもやもやは消えてくれない。そして、このまま何もしなければ、一生消えることはないんじゃないかと思う。
「……やっぱ外は寒いわね。ルビィ、風邪引いたらばかみたいだから戻りましょ」
理亞が一度ぶるりと体を震わせ、背を向ける。
「理亞ちゃん、先戻ってて」
「え、まだ何かするの?」
理亞は半身で振り返り、ルビィに尋ねた。そこに深い意味はないだろう。
「ちょっと、電話したいところがあって」
ルビィは決意を固めたような顔つきでポケットに入れた携帯電話を握りしめる。
「……ふーん、終わったらすぐ戻ってくるのよ」
「うん」
理亞が屋内に戻ったことを確認すると、ルビィはスマートフォンを操作した。この画面を見るのは、本当に一ヶ月ぶりだ。ためらいはなかった。三コールで出なかったら、切ろう。そう決心して通話開始のボタンをタップし、耳に当てる。
一コール、ニコール、三コール、あぁダメだ、切れそうにない。じゃあ五コールで……と考えたりもしたが、無駄だとわかりきっていたので、ここまで来たら出てもらうか、留守電になるまで待つことにした。そして七コール目が終わるかどうか、と言う時、電話の持ち主が通話に応じる。
「……ルビィ?」
「あの……晃太さん、お久しぶりです。黒澤ルビィです」
白い息とともに言葉を紡ぐ。思ったよりも普通に話せた。覚悟を決めたからなのかも知れない。晃太は突然の電話に困惑しているようだった。無理もない。一ヶ月も、それも急に連絡するのをやめたんだ。
「……久しぶりだな。元気でやってるか?」
「おかげさまで……」
ただ、晃太さんは――とは聞けなかった。元気じゃないことは、よく知っている。
「で、今日はどうしたんだ? まさかこれからバイク乗っけてくれって?」
「違います」
「……だったらなんなんだよ」
晃太は、ルビィが冗談にノッてくれなかったことに少し苛ついた様子で、電話の目的を尋ねた。
「今、北海道にいて、明日、ライブがあるんです」
「北海道でライブ、ねぇ」
「晃太さんに、見てほしくって」
晃太はライブと聞いて怪訝そうな返事をする。それでもルビィは負けじと食い下がった。
「……俺に?」
「はい。ルビィ、一生懸命歌うから、見てほしい、です」
後悔したくない。今のルビィの原動力はそれだけだ。
「……考えとく」
「ありがとうございます……」
熱意は伝わっただろうか。晃太は少し考えたような間を置いてから答え、ルビィはそれにお礼を言う。
「…………用事はそれだけか?」
「あ、えっと……その……はい……」
少しの間沈黙が続いたが、やがて晃太が話を切り上げる。ルビィは、できることならもっと話していたい、そう思ったが、用事はあるか、と聞かれれば、ない、と答えるしかなかった。
「ん。じゃあ切るぞ」
「はい。夜遅くにすみませんでした……」
終話の音だけが耳に残る。ルビィはその音を聞きながら夜空を眺めた。おやすみの挨拶もないそっけない切り方だったが、晃太ならきっと見てくれる。