雲一つない晴天。波の音だけが静かに流れている。私は家の裏の海岸で一人
◆
ベッドの上に寝ころんだままの私は、枕元に置いてあるスマートフォンを手に取った。春分を感じさせる祝日の朝の六時。
「あーあ、会いたいなぁ」
夢で逢うだけでは物足りなくて、そんな言葉が口からこぼれる。けれど、そこからは先はやめておいた。だって、名前を呼んだら、もっと会いたくなっちゃうから。
「次はいつかなぁ」
『お互い忙しくて最近会えていない』なんてことは決してない。むしろしょっちゅう会ってるといってもいいはずなのに、それでも夢に出てきてしまうくらい会いたいらしい。でもそれは仕方ないと思う。それくらい大好きなんだもん。
半年ガマンした反動なのか、あれからの私は全くガマンできなくなっていた。いや、元からガマンはできない性格だったから――お姉ちゃんのプリン食べちゃったり――、きっとあの頃のほうがおかしかったんだろう。
カレンダーアプリを開いて予定を確認すると、今週は私の練習と彼のアルバイトが交互にスケジューリングされていた。しばらくデートはお預けか……毎日でもいいのにな。そんなことを思いつつも、いつだったかに読んだ雑誌の記事が頭をよぎった。
男の人は一人の時間も大切らしい。最初は半信半疑だったけど、記事を読み進めていくうちに、そうかも、と思うようになっていった。じっくりと心を落ち着かせられる場所を欲していて、
「でも、会いたいなぁ」
また振り出しに戻ってしまう。会いたいと思ったときにいつでも会えるような、そんな超能力みたいな力があったらいいのに、なんて考えたところで、虚しくなってゴロリと寝返りを打った。じわじわと迫ってくる睡魔に身を委ね、もう一眠りしてもいいと目をつむる。でも、いつもならすぐに
「はぁ……」
ため息が漏れる。できることなら、昼までうとうとしつつ半日潰せたらよかったのに。何も予定がない今日だからこそ、余計にそう思わずにはいられなかった。それに、あんな夢を見たあとじゃ、きっと何も手に付かないに違いない。
「どうしようかなぁ」
再びスマートフォンを手に取り、何気なく画像フォルダを開いてみる。そこには思い出の写真がたくさん詰まっていた。花丸ちゃんの家で焼き芋を作ったときは重いサツマイモの入った箱を運んでくれた。
「……そうだっ」
私は勢いよく布団をはねのけ、ベッドから飛び起きる。じっとしてられないのなら、思い切って外に出よう。一人で行ける範囲で思い出の場所を回ってみよう。そのほうがうじうじしてるより何倍もいい。何かいいことがあるかもしれない。犬も歩けばなんとやらだ。こうしちゃいられない。
私はまだかすかに残っている眠気を吹き飛ばそうと洗面所へ急いだ。
◆
一人で出かけるにしては気合の入った装いで、私は沼津駅に降り立った。
トップスは淡いピンクベージュのニットを選んだ。ゆったりとしたシルエットが特徴的なドルマンスリーブ、程よい抜け感を演出してくれるポートネック。うららかな春にマッチした一着でとても気に入っている。
合わせるのはライトグレーのサーキュラースカート。フレアスカートよりたっぷりと布を使ったサーキュラースカートは、ウエスト部分はすっきりしていながら裾回りがゆったりとしている。上品さと可愛さを兼ね備えたアイテムで、久しぶりに履くスカートにふさわしいと思う。
全体の淡い色合いを引き締めたくて黒の小物を考えていると、バイクに乗るときいつも履いているショートブーツが目に入る。今回は乗せてもらう予定はないけど、コーディネートとしても申し分ないだろう。
時刻は八時三十分。お休みの日のこんな早い時間にここに来たことなんてあったかな。私は、まずは朝ごはんを求めて『cafe lollipop』を目指した。
◆
自慢じゃないけど、常連客といっても差し支えないほど私達はこの店に通っていた。とはいっても、朝の時間帯に利用したことはあまりない。モーニングセットについても、あることは知っていたけど注文をしたことはなかったから、ワクワクしながら入店した。
「いらっしゃいませ。本日のフレーバーティーはサクラ、カシス、ラムレーズンがございますが、いかがなさいますか」
相変わらず空いている。隠れた名店ということに違いない。いつものテラス席に座り、ホールスタッフからメニューを預かった。モーニングセットはフレンチトースト、ホットサンド、パンケーキの三種類があるようだ。紅茶についても、いつも四種類程度ピックアップされているけど、今日のフレーバーティーはどれも春らしさがあるものだった。
「ホットサンドのセットにサクラの紅茶でお願いします」
紅茶はサクラにするとして、食事は少し悩んだ末にホットサンドを選んだ。フレンチトーストもパンケーキも捨てがたかったけど、どちらもその気になればいつでも作れそうだと思ったからだ。その気になるにはまだ時間がかかりそうだけど。
「かしこまりました。お連れ様は後からお見えですか?」
「あ、今日は一人です」
「大変失礼しました。ただいまお作りいたしますので少々お待ちください」
ホールスタッフは深々と頭を下げ、店内へと戻っていった。お連れ様、か。顔を覚えてもらっている常連特有の特別感と気恥ずかしさを覚えつつ、『今日は一人』という現実を突き付けられた気がした。
いけないいけない。今日はそういう日じゃない。寂しさを吹き飛ばすように
初めてこの店に来たのは、彼に学生証を返しに行ったときだった。学校の前で周囲がざわつくまで動かなかったのは我ながら笑ってしまう。そのおかげでこの店を知ることができたんだから、結果オーライということにしておこう。
あのときの彼は想像していたよりずっと気さくに話してくれたけど、今思えば、ずいぶん年下にみられていたみたいだし、小さい子をあやすような感覚で接していたに違いない。今だったら、どうだろう。まだ子供っぽくみられてるのかな。もしそうなら、ちょっぴり悔しい。
次に来たのはそれから半年以上経ったあとだった。彼がケガをしてしまったのは私がおとなしくここで待っていなかったのが原因だ、と負い目を感じて、無意識のうちに避けてしまってたのかもしれない。それを乗り越えられたのはとても喜ばしいことだけど、あまり思い出したいものではなかった。
彼が九州から帰ってくるまではよく待ち合わせに使っていた。花丸ちゃんも善子ちゃんも気に入ってくれて、三人で来たこともある。ばったり出会ったことこそなかったけど、話しぶりからすると個人的にも何度か来てるみたいだった。
それからは毎週のようにお世話になっている。私の顔を覚えてもらったのもこの頃からだ。彼は以前から席に座るとアールグレイが届いていたけど、最近は私の分と合わせて注文を聞かれるようになった。季節のハーブティーも美味しいことをようやく認めてくれて、私の気分も上々だ。
そんな昔話に想いを馳せていると、ホールスタッフがトレイを持って現れた。
食事、ポットとカップ、それから砂時計を机に置く。きっかり三分の砂時計。この砂が落ち切ったときが飲み頃だ。私はさらさらと落ちる砂をじっと見つめる。この待ち時間も意外と好きだったりする。
砂が落ち切ったところで紅茶をカップに注ぎ、早速一口いただいた。桜餅のような少し苦みのある独特な香りが漂っている。初めてサクラの紅茶を口にしたけど、いかにも春らしく、桜並木を想起させるような素晴らしい風味だった。
食事はというと、真っ先に目を引いたのがサラダだ。ロールキャベツのような、生春巻きのような、見たことのないものが乗っていた。確かメニューにはキャベツロールサラダと書いてあった気がする。気になった私はサラダから手を付けることにした。口に入れた瞬間、甘酸っぱい風味が鼻を抜けていく。マリネのようなさっぱりとした爽やかな味わいだ。シャキシャキとした小気味良い歯ごたえは茹でたモヤシだろうか。清涼感のある手の込んだ一品だ。
ホットサンドはどうだろう。レタス、チーズ、トマト、ベーコン。食パンの切り口から色とりどりの食材が顔を覗かせている。ここのホットサンドは具を挟んでから焼くタイプのようだ。口に運ぶとカリッと香ばしく、とろりととろけたチーズが、トマトやベーコンとうまく絡み合って一体感を出している。レタスのみずみずしさもいいアクセントだ。あまりの美味しさにすぐに食べきってしまった。
デザートの小鉢は練乳のかかったイチゴ。練乳の甘さとイチゴの酸っぱさがお互いの良さを引き立てている。表面もつややかで新鮮なイチゴなんだろう。そもそもモーニングセットの果物にイチゴが出てくること自体珍しいように思う。こんな豪華なセットが五百円。どうしてこんなにも空いているのかますますわからなくなった。
朝ごはんにしては少しボリューミーだったけど、ゆっくりと二杯目の紅茶を堪能して店を後にする。想像以上の満足感が得られた。今度は彼も連れて朝ごはんからお出かけするのもありかもしれないと思った。
◆
電車に揺られること二十分、私はおおよそ一年半ぶりに熱海駅へ到着した。目的はもちろん『家康の湯』だ。動物園へ行くにはタクシーを使う必要があるから今回は見送ることにした。またの機会に二人で来よう。
足湯は相変わらず観光客で賑わっていたけど、並ぶほどではなさそうだった。今回はここに来ること前提だったので鞄に少し厚手のハンドタオルを忍ばせている。私は早速ブーツと靴下を脱ぎ、座席に浅く腰掛けて湯の中へと足を入れた。チャプンと水音が立ち、水面がキラキラと揺らめく。
あのとき、と私は思い出す。
あのとき私は、彼に「カップルではない」ときっぱりいわれてしまって、悲しいやら切ないやらで大変だった。そんな中連れてきてくれたのがここだ。他の人からしたらおかしなチョイスなのかもしれないけど、私の気分を晴らすのには絶好のスポットだったと思う。温泉が好きなんて話をした覚えはなかったけど、偶然か、それとも何かのタイミングで気づいてくれたのかな。
隣の人が席を立った。勢いがついてしまったのかバシャッと音を立て、小さな波が起きる。スカートの裾を濡らしてしまわないよう、慌てて姿勢を整え、座り直した。
あの日はショートパンツを履いていたから、足湯に入ったときは太ももから下がむき出しだった。彼は何を思ったのか、その足をじっくり見つめてきて、私はその視線に気づいていながらも、恥ずかしくてしばらく気づかないふりをしていた覚えがある。きっと珍獣を見つけたような好奇の目で見られていたんだと思うけど、やっぱり男の人ってそういうのが気になるのかな。耐えきれずに抗議の声を上げてしまったけど、その後もしばらく考え込んじゃって、結局湯疲れのような状態になっちゃったっけ。
温泉といえば。私は伊豆にクリスマスイルミネーションを見に行ったときのことを思い出す。イルミネーションと温泉を両立したくて
気づけばまた足が赤らんできていた。油断するとすぐこうだ。温泉好きがこの体質なのは残念でならない。普段なら、露天風呂へ行ったりぬるい湯を浴びたりと体の火照りを冷ます方法があるけど、それができない足湯とはどうやら相性が良くないらしい。ゆっくりお昼ごはんを食べて気持ちを落ち着けよう。
◆
足湯からあがった私は次の目的地である『Box cafe』へと向かった。このあたりにおしゃれなお店はないかと、電車の中で調べて目星をつけておいたのだ。口コミでは景色の良さや居心地の良さが取り上げられていた。のんびりと過ごすにはもってこいだろう。入店するとウェイトレスが席へと案内してくれた。窓際ではないけど、眺めのいい席だ。
「ご注文がお決まりの頃にお伺いします」
そう言い残してウェイトレスは厨房へと戻っていった。
一方、私はメニューとにらめっこすることになる。わかっていたけど、いざ直面すると大きな問題だ。このお店は少々値が張る。ルッコラのサラダ、七百円。サラダだけでお腹いっぱいにするのは難しい。ランチらしいメニューというと、季節のスープとベーグルが半分、それとブレンドコーヒーか紅茶がついたスープセットが千円。朝ごはんが多めだったとはいえ、これでは少し心もとない。それより上を見ると日替わりセットと日替わりプレートがある。こちらはグラタン・キッシュ・煮込みが日替わりで決まっていて、そこにサラダとスープ、セットにはコーヒーか紅茶が、プレートには半分のベーグルがついてくる。お値段は千五百円。財布の中身と相談が必要だ。よくよく周りを見てみると、客層もなんだか自分より年上ばかりに見えてくる。女子大生か、OLさんだろうか。私にはまだ早かったのかもしれない。
恐縮してしまった私は千円のスープセットを注文した。
料理が届くのを待っている間も、自分なんかが場違いなんじゃないかと考え込んでしまい、なんだか落ち着かなかった。評判の通り、お店の内装はおしゃれで、レトロな雑貨や雰囲気のある照明で飾られている。景色も窓際だったらもっとよく見えていたと思う。ただ、高校生が一人でくるようなお店かといわれると、どうなんだろう。あ、でも善子ちゃんなら似合ってるかもしれない。そう思った途端、自分の貧相な体が恨めしく思えてきてしまった。
程なくして注文の品が揃った。季節のスープは春野菜のポタージュとのことで、少し赤みがかかったポタージュスープだった。人参でも入っているんだろうか。どろっとした食感で、クリーミーなテイストに仕上がっている。私は温かいスープを飲んで幾分か落ち着きを取り戻した。
ほんのり温かいベーグルには定番のクリームチーズが挟んである。ポタージュの、とろみがありつつもあっさりとした味とよくあっていた。
朝ごはんに紅茶を頂いたので、飲み物はコーヒーを選んだけど、これは正解だったようだ。ハンドドリップで淹れた深煎りのコーヒーは独特の苦味がありながらも、雑味が少なくコクがある。お店のこだわりを感じられる一杯だった。
食べ終えたところでお会計を済ませて店を出る。不満なところは何一つなかった。雰囲気はいいし景色も素晴らしい。食事もコーヒーも申し分ない。でも、いい勉強になったという気持ちだ。余り背伸びしすぎるとまた彼にからかわれてしまう気がする。こういうお店はもう少し大人になってからだな。私はひっそりとそう決心した。
◆
雰囲気でお腹いっぱいになってしまった私は、熱海からその足で
去年は駐車場までバイクで行ったから気が付かなかったのか、バス停を降りた目の前に『十割そば』と書かれたのぼりが高々と掲げられていた。こんなロケーションで食べるお
遊歩道の道中もいい眺めだった。山の上を目指して歩いているので、だんだんと視界が開けていく。開放感が清々しい。目の前の景色も素晴らしいけど、足元に咲いている水仙もかわいらしくて好きだ。道の途中では地元の野菜を販売している露店もあった。私は、のどかな光景を楽しみつつ、日のあたる緩やかな坂道をゆっくりと登って行った。
十分くらい歩いた頃に、目的の修善寺梅林に到着した。ここにも蕎麦ののぼりが出ている。どうやらこのあたりの名物らしい。
広大な丘陵地に、若木から老木まで数多くの紅白黄梅が植えられている修善寺梅林は、去年来たときよりもずっと広く感じられた。残念ながら、三月上旬ではもう見ごろは過ぎてしまっているので花はほとんど残っていなかったけど、本来持つその迫力や美しさはしっかりと記憶に残っている。
少し歩くと、アユの塩焼きを売っている屋台を見つけた。これくらいなら、と思い、購入して早速頂く。塩加減がちょうどよくてとてもおいしいけど、去年とは何かが違う気がした。
またしばらく歩くと、去年私たちも写真を撮った『富士山ビュースポット』を見つけた。思ったより富士山が小さく写っていて、二人で首を傾げあったのを覚えている。
「すみません」
通り過ぎようとしたとき、誰かに声をかけられて、私は振り返った。
「あの、写真お願いできませんか?」
そこには一組の男女がいた。声をかけてきたのは男性のほうで、カメラを持って私の前に立っている。多分カップルだ。
「大丈夫ですよ」
私は快くカメラを受け取った。
「はい、チーズ」
富士山が中心に来るように、二人が並んで満面の笑みを浮かべた。準備ができたことを察して、私はシャッターを切る。きっと誰もがそうなるんだろう。私たちと全く同じ構図だった。
「ありがとうございました!」
彼氏さんが駆け寄ってきてお礼をいう。私は、いえいえ、とそれとなく返事をしてカメラをお返しした。彼氏さんが写真を確認して、彼女さんに見せると、彼女さんもにっこりとほほ笑む。それを確認した私は、当たり障りのない挨拶をしてその場を離れた。
二人の様子を見ていて、私たちもあんなことしたな、と懐かしさを感じていた。私たちは自撮りだったので、あーでもないこーでもないと言いながら何回も撮り直したけど、いい思い出だ。
時計を見ると針は午後三時半をさしていた。うん、今日はもう帰ろう。今から帰ると、どうだろう、二時間くらいかかるかな。温泉街までは歩いて十五分くらいなので足を延ばしてもよかったけど、それはまた今度にしようと思う。お散歩して、景色を眺めて、お蕎麦を食べて、ゆっくり温泉に浸かって……最高のプランだ。日帰りでいいから二人で来たいな。
◆
最後は夢でも行った場所。家の裏の海岸だ。オレンジ色に灼けた砂浜と見渡す限りの水平線が出迎えてくれた。静かに打ちつける
今日一日、ずっと一人で出歩いて、残念ながらより一層彼に会いたくなってしまった。それでも家で一人思い悩んでいるよりずっとマシだっただろう。夕日が綺麗に見えるのは、きっとそのおかげだ。
懐かしさと、嬉しさと、気恥ずかしさを抱えて、朱く染まりつつあるスカイラインを見つめる。ここは彼に思いを打ち明けた場所。誕生日に最後の時間を過ごした場所。そして、初めて口づけを交わした場所。少しだけ体温が上がるのを感じた。
一人
「晃太さん…?」
まさかと思って振り返ると、そこには会いたくて仕方なかった
「こんなとこにいたのか」
晃太さんも驚いたような素振りを見せた。どうやら偶然だったようだ。
「今日はアルバイトだったのに、どうしたんですか?」
「ああ、おばちゃんから甘いものもらってさ。お前と一緒に食おうかと思って」
晃太さんはスーパーマーケットでレジ打ちのアルバイトしている。本当はコンビニとか手頃な場所でアルバイトをしたかったけど、知り合いに会うのを嫌ってスーパーにしたそうだ。スーパーに若い男の子がアルバイトに入るのは珍しいようで、パートのおばさま方から気に入られているらしかった。よく休憩中お菓子や旅行のお土産をもらったりしている。レジ打ちで募集してたのに品出しもやらされる、と愚痴をいうこともあるけど、なんだかんだ楽しそうに働いていた。
「でも、家に行ったらお前出かけてるっていわれたし、どうすっかなーって」
アルバイトの日でも私のことを考えてくれていて嬉しくも照れくさい。ただ、一つの疑問が浮かんできた。今日は行き先について誰にも伝えていないはずだ。
「でも、どうしてここにいるって分かったんですか?」
「なんとなくだ、なんとなく」
晃太さんは少しはにかんで答えた。なんとなくでここにきて、偶然出会う。そんな運命的な奇跡にうっとりしてしまう。そうして晃太さんは座席の下から小さな箱を取り出した。洋菓子屋さんでケーキを買ったときに包んでくれるような白くて小さな箱だ。
「せっかくだし、ここで食うか」
晃太さんが封を開ける。パンケーキのような生地の洋菓子が二つ入っていた。どちらも二口あれば食べきれるくらいの大きさだ。ピンク色のクリームがサンドされている。
「苺のワッフルみたいなもんか?」
「おいしそう!」
「お前苺好きだよな。あ、でも一番は芋か」
好物のスイートポテトについてからかってくる晃太さんに、私はむぅ、とほっぺたを膨らませて応戦した。晃太さんはその膨らんだほっぺたを片手で優しく押さえつけて破裂させる。どうやらこの勝負は私の負けのようだ。
「晃太さん晃太さん」
ならばと私は口を開けて待ち構えた。第二ラウンド開始だ。
「はあ? や、やめろよ」
晃太さんは拒絶の意を示すけど、私は構わず待ち続けた。しばらくの間、晃太さんは視線を私の顔とワッフルで行き来させていたけど、降参したのか、ため息を一つ
「んむっ」
私の口にはやっぱり大きくて、ワッフルでギュウギュウ詰めになる。程よい甘さと酸っぱさが見事なハーモニーを奏でていた。生地も柔らかくふわふわで、ぱさぱさしてなくて食べやすい。ちょっとお高い洋菓子屋さんだろうか。喉を詰まらせないように気をつけながら、ゆっくりと
「喉に詰まっちゃうよぉ」
「はは、
口では謝っている晃太さんだったけど、全然悪びれる様子はなかった。晃太さんのイタズラには困ったものだ。
「じゃあ晃太さんも、あーん」
お返しに、と私は箱から残った一つを取り、晃太さんに差し出す。私がガンコなのはご存じなので、苦い顔をしつつも渋々口を開けてくれた。
「おいしい?」
「ん、まあまあだな」
晃太さんは照れているのが隠し切れていない顔をしていた。私と違い、喉につっかえてしまいそうな素振りはなく、もぐもぐと答える。大きな口だなぁ、それとも私の口が小さいのかな、と考えていると、ふと、晃太さんの左の口角が薄ピンクに染まっているのに気付いた。
「晃太さん、口元にクリームついてますよ」
「え、どのへんだ?」
「ここです」
私はとっさに指でクリームをぬぐいとる。やってしまってから、この指の処遇をどうするのか考えていなかったことに気付いた。鞄からハンカチを出すのも面倒だ。指についたクリームが恨めしそうにこっちを見ている。かわいそうに思った私はそのまま指を口へと運んだ。
「おいバカ」
クリームは相変わらず甘く、ちょっぴり酸っぱい。なんだか不思議と笑みがこぼれてしまった。それを見た晃太さんが私のおでこをコツンと小突く。
「ふふふ、照れなくてもいいのに」
「照れてねーよ」
「ほっぺた、赤くなってますよ?」
冬に比べると随分日が長くなり、晃太さんの頬に朱がさしているのがよくわかる。意外と照れ屋さんなのだ。
「このっ――」
私は晃太さんの大きな手で髪の毛をクシャクシャにされた。晃太さんはきまりが悪くなると必ず私の髪の毛をクシャクシャにする。この髪型、意外とセットするの大変なのに、とも思うが、それでもなんだか温かい気持ちになる。
そのとき、ワッフルの包装が、まるで春風に誘われたかのように海に向かって走り出した。浸かってしまったら大変だ。私達は慌てて小さな箱を追いかける。ころころと転がる箱は途中、砂浜にできたくぼみに引っ掛かり、私たちは無事箱に追いつくことができた。
「全く、ひやひやさせやがって」
箱を拾い上げた晃太さんが口をとがらせる。私はその逆で嬉しかった。晃太さんが走っている姿を見ることができて。私は晃太さんの隣に寄り添い、軽くもたれかかった。
「どうした?」
「……ルビィね、夢を見たの。晃太さんとこうやって海を眺める夢」
「……そっか」
それだけ言って晃太さんは今度は優しく頭を撫でてくれた。髪を
「来週、どっか行こうか」
しばらくしてから晃太さんが口を開いた。
「今週は俺達予定会わないけど、来週の予定くらい立ててもバチはあたんねーだろ?」
「ホント!?」
私は嬉しくなってギュッと晃太さんに抱き着いた。それに応えるように晃太さんも私の肩を抱き寄せる。
「そしたら、今日行ったとこの話、聞いてくれる?」
「ん。どこ行ったんだ?」
「えへへ、今日はね――」
笑って、泣いて、怒って、喜んで、悲しんで、悩んで、嘆いて。でも、幸せで。この幸せな時間は永遠に続くんだな、と、なんとなくそう思う。
今朝、『会いたいと思ったときにいつでも会えるような、そんな超能力みたいな力があったらいいのに』と思ったけど、それは間違いだった。いつでも、どこにいても、お互いの心は繋がっているんだから。