二人は駐輪場へ向かい、バイクにまたがった。今日は、偶然にも体育があった日で、さらに偶然にもジャージを持って帰ってきていたので、佐蔵のものを借りることはなかった。
バイクの後ろに乗るのはやはり気持ちよかった。先程も叱られてしまったので、今回はあまりしがみつくことがないよう、佐蔵の腰に軽く手を添えてバランスを取ってみようとする。が、なにしろ乗るのは二回目だ。なかなかうまくいくものではない。結局佐蔵の腰にしがみついてしまうことになり、怒られないかと少しビクビクしていたが、彼は何も言わずバイクを走らせていた。
十五分程度走っただろうか。浜辺が見える海岸通りで佐蔵はバイクを止めた。ヘルメットを外したので、ここで何かするつもりなのだろう。ルビィも慌ててバイクから降りる。ふと、海岸線の景色が視界に飛び込んできた。
「綺麗……」
見たことのないサンセットだった。視界いっぱいに広がる水平線には、多少の船はあるものの、それを遮るものは何もない。そこに優しい橙色の夕陽が静かに落ちていく。海は朱に、空は薄紫にかわり、所々に浮かぶ雲は眩く輝く夕陽に紅く照らされていた。こんな幻想的な風景は、内浦では見られないかもしれない。
「間に合ったな。この時間しか見れねーんだ、ここの景色。まだガキだった頃、親父と走り込みして、この夕焼けを見るのが日課だった」
ルビィの邪魔にならないよう、少し後ろで腕組した佐蔵が懐かしむように言った。そして少し海の方に進み、
「走り込み?」
ルビィも佐蔵に倣って擁壁の上へと腰を下ろした。走り込み、ルビィも夏休みに浜辺で走った記憶がある。佐蔵も部活の練習かなにかだろうか。
「……陸上やってたんだよ。昔の話だ」
やや間があって、佐蔵が答える。どことなく辛そうな表情だったが、ルビィはどうしてか聞かずにはいられなかった。
「やめちゃったんですか…?」
「……俺の話はいい。それよりお前、アイドルやってるらしいじゃねーか」
佐蔵は首を横に振って強引に話を切り上げる。代わりに話題はルビィのことに移っていった。
「ええ!? 知ってたんですか!?」
「網元ってやつを調べた時になんか一緒に引っかかった」
「は、恥ずかしいです……」
「結構有名らしいな」
こういう所、佐蔵は結構真面目らしい。でも、網元を検索してAqoursが引っかかるなんて、ルビィ達の力は意外なところまで及んでいるのかもしれないと思い、嬉しく感じた。
「えへへ……頑張りましたから…!」
「……廃校、残念だったな」
先日廃校の話をした時とは明らかに違った、すべてを知ってしまったようなトーンで佐蔵がつぶやく。Aqoursが廃校を救おうと頑張っていたことを、そして、叶わなかったことを。
「…………」
「ま、しょーがねーよ。切り替えてけ切り替えてけ」
私が何も言えずに押し黙っていると、佐蔵さんは手を二、三回叩きながら元気づけてくれた。こんな風に励まされたことははじめてで、体育会系の男の人なんだなと改めて思う。
少し気が楽になったのか、ルビィは思いの丈をつらつらと語り始めた。
「……ルビィ、μ'sの花陽ちゃんにすっごく憧れてて、千歌ちゃんに誘われてスクールアイドルができてすっごく嬉しかった」
「……黒澤?」
「でも、でも……学校は……救えなかった……」
「…………」
「もっとルビィ達に魅力があったら、前回の大会で結果が残せてたら、廃校は阻止できてたのかな……」
波の音が二人の間を通り過ぎていった。佐蔵は思う。自分より二つも年下の女子がこんなでかい目標を掲げていた。それだけで十分立派だ。そんなルビィがとても輝いて見えた。
「そんなのわかんねーよ」
少女の悲痛な叫びは、青年の心を揺り動かすには十分すぎた。
「佐蔵さん……」
「終わっちまったことをくよくよしてても何も始まんねーから。しっかり前向いて、頑張るしかねーんじゃねーの?」
Aqoursの今後を知ってか知らずか、佐蔵の言葉はじんわりとルビィの胸に染み込んでいく。
「そう、ですよね」
そうだ、くよくよなんてしてられない。ルビィたちは、新しい目標に向かって、走り出したばかりだった。
佐蔵が、まあ、どの口が言ってんだって話だけどな、とぼそっとつぶやいたのだが、どうやらルビィの耳には届いていないようだった。
「ありがとうございます……なんだか元気が出てきました! ラブライブに向けて、頑張るビィ!!」
「ぷっ、何だよそれ」
「ル、ルビィの必殺技です!」
吹き出す佐蔵にルビィは慌てて解説を加える。
「何だよ必殺技って。ゲームのキャラかよ」
「ア、アイドルには必殺技の一つや二つ、必要なんです!μ'sのにこちゃんだって――」
佐蔵にはその解説もよくわからなかったようで、ますます笑っていた。
「アイドルってのも大変なんだな、ははは!」
お世辞や謙遜を言うでもなく、飾らない佐蔵との会話は、ルビィにとってはAqoursのメンバーと話すときのように自然体で、それでいて、なんだか新鮮な気持ちだった。
それからはお互い、何も言わず、ただただ落ちていく夕陽を眺めていた。ルビィは、少しずつ夜の帳が降りていく様を、二人でずっと眺めているのはなんだか特別な気がしていた。だって、花丸や善子、姉であるダイヤとだってしたことがない。もしかしたら、こうして夕陽が沈んでいくのを最後まで見届けること自体初めてなんじゃないだろうか。ちらりと隣に座っている佐蔵を見ると、本当にこの景色を見るのは久しぶりなんだろう、懐かしさと、少しの切なさを内包した悲しげとも取れる顔をしていた。ふと、投げ出された左手が目に映る。この左手に、私の右手を重ねたら、一体どうなってしまうんだろう。そんな事を考える自分がいた。ちょっと手を伸ばしてみようとするが、緊張のせいか思ったように動いてくれない。何もしていないのに、心臓がどくどくと早鐘を打った。善子ちゃんの言うとおりだ。私、佐蔵さんのこと――
そんなことを考えてる内に、夕陽は沈みきってしまっていた。
「帰るか」
すくっと立ち上がった佐蔵が、ルビィに手を差し伸べる。ルビィはその手を取って、立ち上がり、お礼を言う。夕陽が沈んでも、空と海と、そしてルビィの両頬はまだ少し朱に染まったままだった。
◆
お姉ちゃんが帰ってくる前に家に戻らないと大変なことになると伝えると、もっと早く言え、と怒られてしまったが、佐蔵は無事ルビィを家まで送り届けた。
とても急いだようで――スピード違反だったのかもしれないけど――、ダイヤはまだ帰ってきていない。もしかしたら生徒会の仕事や、鞠莉と一緒に学校の事について何か作業をしているのかもしれない。
ルビィを降ろした佐蔵は、今日はもうこのまま帰るようで、フルフェイスのヘルメットはかぶったまま、ルビィに貸したヘルメットを後ろの座席にくくりつけ、バイクにまたがる。……これで、いいのかな。せっかく花丸ちゃんと善子ちゃんにも協力してもらったのに、ホントにこれでいいのかな。そう思ったルビィは、ちっちゃなハートのちっちゃな勇気を振り絞った。
「さ、佐蔵さん」
「ん?」
「また、会いに行ってもいいですか?」
「…………」
佐蔵は、バイクにまたがったまま黙ってしまった。ヘルメットはルビィの方を向いているので、聞こえはしているんだろう。私は、これで終わりになんてしたくない。もっと佐蔵さんとお話がしたい。佐蔵さんのことをもっとよく知りたい。と強く思った。そう思ったら、もう一度聞き返すなんて簡単なことだった。
「ダメ、ですか…?」
「……そんな顔されたら、ダメなんて言えねーだろーが」
佐蔵はヘルメットを外し、首を振って髪を整えた後、バイクから降りてルビィの方へと歩み寄った。
「じゃ、じゃあ…!」
「いいぞ、いつでも言え」
佐蔵は、少しわがままで、人懐っこい妹ができたような気分だった。ルビィには姉がいるそうだが――その姉も一緒にスクールアイドルをやってるらしい――、生粋の末っ子気質なのかもしれない。表情や仕草一つ一つに
「やったぁ!」
「ただし、校門の前で待ってるのはなしだ」
こいつはホントに子供のように無邪気だな、と佐蔵は思う。いや、まだ子供か。俺も含めて。そして同時に、ピュアなやつなんだなとも思った。しかし、今日みたいなことが起きてしまうのは佐蔵としても避けたいところだった。前回も今回も、助けてあげられたのは本当に偶然だ。何かあってからでは、ルビィにも、その家族にも申し訳が立たない。そう思った佐蔵は、自分の懐をまさぐりながらルビィに提案をする。
「え、じゃ、じゃあ……」
急に不安そうな顔になる。表情がころころと変わるのは少し面白いし、可愛げがある。しかし、あまりいじめても可哀想だ、と佐蔵はまさぐっていた懐からスマートフォンを取り出し、ルビィの方に差し出した。
「連絡先、よこしな」
「え? え?」
佐蔵の顔と、スマートフォンを行き来しているルビィを見て、ちょっと言葉が足らなかったか? と佐蔵は少し反省をし、付け足した。
「乗りたくなったら連絡よこせ。暇だったら迎えに行ってやるよ」
「あ、あ、あ、ありがとうございます!」
ちょうど家の場所もわかったし、と言う佐蔵に、ルビィは地面に頭をぶつけるんじゃないかという勢いでお辞儀をする。それはお辞儀なのだろうか、なんだか少し違うような気もするが。
「お前そればっかだな、ま、いいけどさ」
佐蔵は苦笑しながら、ルビィの連絡先を登録した。
「それから」
苦笑はそのまま、だが少し含みのある言い方で佐蔵が話を続ける。
「は、はい。何でしょう?」
「佐蔵って呼ぶの、やめてくれ」
「え、っと、じゃあ……」
「晃太でいいよ」
ルビィが呼び方に困っていると、佐蔵はすぐさま、下の名前で呼ぶようにと告げた。
「晃太、さん……」
ルビィはおずおずとその名を口にする。そんな、呼んでいいのだろうか、下の名前で。顔が熱い。きっと真っ赤になっているだろう。これほど今が夜でよかったと思ったことはない。
「ああ、佐蔵って字さ、佐藤と似てるだろ? よく間違えられるからあんま好きじゃねーんだよな。それにサクラってなんか女っぽいし」
「ふふっ」
理由を聞くとなんだか子供みたいで少し笑ってしまった。こういう可愛い――って言うと怒られちゃうんだろうけど――ところもあるんだなと思う。でも、その様子はやっぱりお気に召さなかったようで、その鋭い眼光で睨みつけられた。
「笑ったな?」
「あ、いえ! 笑ってないです!」
ルビィはとっさに否定する。肯定は……どちらにせよできなかっただろうが、怒ってはいないようだった。少し上がった口角がそれを物語っている。
「じゃあ、ルビィのこともルビィって呼んでください!」
代わりにルビィからも一つお願いを。私だけ下の名前で呼ぶなんて、ちょっと不公平だよね。なんて屁理屈を付けて、軽く、押し付けがましくないように、努めて平静を装ってお願いをしてみた。
「しゃーねーな。んじゃルビィ、またな」
「はい! また!」
早速呼んでくれた嬉しさに頬が緩む。今日、勇気を出して一歩を踏み出せて本当に良かった。花丸と善子にも感謝しないと。と、心の底から思う。
ヘルメットをかぶり直した晃太はバイクにまたがり、ルビィに向けて手を上げ、出発することを告げると、先程二人で走ってきた道を戻っていった。ルビィは、その赤いテールランプが見えなくなるまで、走り去る晃太を見つめ続けていた。