十一月も終わりに差し掛かり、季節は冬本番。あまり雪がふらない程度には暖かな気候の静岡でも、流石に寒さが
ちょっと地味すぎるかもしれないけど、派手すぎるほうが良くないというのはダイヤだ。先日はヘルメットを被った時に結った髪があたって痛かったから、今日は思い切って髪をおろした。世の中には『ギャップ萌え』という言葉があるらしく、コンタクトだった人のメガネ姿や、いつも髪を結ってる人のおろしてる姿なんかが好印象を与えることがあるらしい。ルビィもそれに倣ってみようと少しだけ期待していた。
「緊張してきちゃった……」
ルビィは、手に持ったチケットをきゅっと握りしめる。熱海に新しくできたふれあい型の動物園の招待券。父親がもらってきたものだ。お姉ちゃんと行ってきなさい、と言ってくれたものだったが、ダイヤは、ここが正念場だから遊びに行くのはもう少し先にします、とウィンクしながらルビィに譲ってくれた。
ルビィはすぐに晃太へ連絡した。お父さんが動物園の招待券をもらったんですけど、よかったら一緒に行きませんか? 嘘はついていない。そっちの友だちと行ってこいよ、と言われるんじゃないかと少し不安だったが、二つ返事で快諾してくれた。
「大丈夫、大丈夫だから……」
それからというものルビィは家でも学校でも大騒ぎだった。すぐに美容室を予約して髪を整えてもらい、ダイヤとは当日着ていく洋服の相談をし、花丸と善子とは行った先で何をするのか、何時に出発して何時に家に帰ってこれるのかを休み時間中ずっと考えていた。
バイクについても自分なりに調べてみた。どうやら二人乗りのことは『タンデム』と呼ぶらしい。格好にも向き不向きがあるみたいで、スカートはひっくり返って中が見えてしまうからやめた方が良いんだとか。それもあって、最初はミニスカートを考えていたが、急遽ショートパンツに変更した。思い出してみると、晃太に乗せてもらった時は必ず制服の下にジャージを履かされていたような気がする。あれは晃太なりの気遣いだったんだ、と思うと胸が暖かくなった。
カーブでの体重移動も、自分でバランスを取ろうとするとすごく運転しにくいから、運転者の腰か服にしがみついて、バイクの動きに身を任せるのが一番なんだそうだ。後ろから運転者を抱え込む体勢のことを『カップルホールドオン』と呼ぶ。と書いてあったのを見た時はしばらくの間ベッドの上で悶てしまった。今思い出しただけでも顔が熱くなる。
と、その時、目の前に見覚えのあるバイクが停車した。
「悪ぃ悪ぃ、ちょっと道混んでた、わ……」
晃太だった。黒のレザージャケットに青いジーンズ。ジャケットからは灰色のフードが覗いている。なんだか歯切れが悪い。
「あ、全然大丈夫です」
そう言ってルビィは晃太の元へ駆け寄った。
「髪……」
「えっ」
晃太はルビィをじっと見つめてつぶやいた。
「今日は、おろしてるんだな」
「え、あ、は、はい! その、えっと……」
突然髪型のことを聞かれ、ルビィはあたふたしてしまった。
「い、一瞬誰かと思ったわ! まあ縛ってるとヘルメットかぶりにくいし、どうせ今日もおろしてもらうか、下の方で結んでもらおうかと思ってからちょうどよかった」
晃太はそう言って後ろの席にネット固定してあるヘルメットをルビィに差し出す。ルビィは、この間貸してもらったのと形が違う事に気づいた。この間のは自転車のヘルメットみたいな形だったのに対し、今晃太が手に持っているのは晃太と同じフルフェイスのヘルメットだ。
「それ、家に余ってるのがあったからお前にやるよ。半ヘルじゃ顔しんどいだろ」
ルビィが受け取ったピンクのフルフェイスは表面の光沢が損なわれておらず、また、バイザーも経年劣化を感じさせない、まるで
「いいんですか!?」
「あまりもんでよければな」
「あ、ありがとうございます!!」
ルビィは大事そうにそれを抱え、まるで我が子のように撫でる。晃太もその様子を見てなにやら満足げな様子だった。しかしそれも一瞬で、すぐに意地悪な表情に変わる。
「で? お前、まさかその格好で
「え、え? そ、そのつもり、だったんですけど……」
晃太は、はぁ、とわざとらしくため息を吐いて、サイドポーチから黒いジャケットとスカーフを取り出した。スカーフはどこにでもあるような至ってシンプルなもので、ジャケットはまさに晃太が今着ているような革製のものだ。
「これ着ろ」
「えっと、これは…?」
「ライダースジャケット。俺のだからだいぶぶかぶかだろうけど、その辺は我慢しろ」
ルビィが抱えるヘルメットの上にジャケットを置く。それでもぽかんとしているルビィを見て呆れ顔で続けた。
「お前さぁ、これまで二回乗ってきて、寒かったとかなかったの?」
「え? あ、ちょっとは思いましたけど、そんなには……」
まじかよ、と晃太がつぶやき頭をかく。そして半分諦めたような顔で説明をした。
「沼津からお前んちはそこまで距離があったわけじゃないからあんま感じなかったかもしれねーけど、熱海は結構あるぞ。その間ずっと風にさらされるわけだからな。上着の中にそれ着ればちったあ風しのげるだろ」
自分なりに調べてきたのに、全然気が回らなかった。調べてきたんです! なんて言わなくてよかった……そう思ったルビィは、そんな恥ずかしさと、そして晃太の優しさに体が熱くなった。今ならこれ着なくても大丈夫なんじゃないかな、なんて思ったりもした。
言われた通り、ルビィはポンチョの下にジャケットを着て、ヘルメットをかぶる。フルフェイスのヘルメットはちょっと視界が狭くて、でもレーサーになったような気分になって少し新鮮だ。後ろの座席に座り、しっかりと晃太の腰にしがみついた。一瞬、『カップルホールドオン』の言葉が頭をよぎって、また少し体温が上がった気がする。
沼津から熱海までは意外と近くて、高速道路を使わなくても一時間ぐらいで着いてしまう。一時間、長いようで短い。普段走ったことのない道の景色は目新しくて見入ってしまった。待ち合わせ場所から東に向かい狩野川を渡る。
◆
「お前さ」
動物園に到着して、ルビィ達は招待客専用の入口から園内に入場した。できたばかりということもあってかとても賑わっていて、小さな子供連れが多いように思う。
晃太は、中にはいってしばらく歩いてから、ぼそっとつぶやくようにルビィに声をかけた。
「もしかして、バイクの乗り方調べてきた?」
どきっとして、体が跳ねる。そんなルビィの様子を見て、晃太は何かを悟ったような顔でルビィの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「わ、わ、わ…!」
「可愛いとこあるじゃねーか!」
ルビィはしばらく撫で回されて乱れてしまった髪を手ぐしで
「そりゃあな、すげー運転しやすかったし。お前、こないだまで自分でバランス取ろうとしてただろ」
図星だ。
「後ろ専門のやつは運転手にまかせとけばいいんだよ。今日はよかったぞ」
晃太は満足げに笑うと、一度ぐっと伸びをして一人奥へと進んでいった。ルビィはその表情に少し心ときめかせ、零れてしまいそうになった笑みを必死でこらえる。そして慌てて先に行ってしまった晃太を追いかけるのだった。
園内は、思っていたほど広くはなく、ところかしこに背の低い柵で囲われたエリアが設けてあった。餌やり体験がメインの催しのようだ。
「あ! 晃太さん、あの建物うさぎさんがいるみたいです!」
園内入り口で手にとったパンフレットを眺めながら丸いドーム状の建物を指差す。
「うさぎさんて……行きたいのか?」
「はい!」
ルビィはウサギには少しだけ思い入れがあった。以前、動物園の手伝いで、ふれあい広場の担当になった時にお世話をしたことがある。
「うさぎさんって、とっても可愛くて、とっても暖かいんですよ。晃太さんも抱っこしてみたりしましょうよ!」
「えぇ……俺はいいよ」
「そんなこと言わずに! 行きましょう!」
「お、おいちょっと!」
ルビィは億劫そうにする晃太の手を引っ張って室内へと入っていった。
「わぁ…!」
ドームの中は意外と広かった。そこにはウサギだけではなくヒヨコやモルモットのふれあいコーナーも設けてあり、それぞれ触ることができるようになっていた。
「ひよこさんもモルモットさんも可愛い……」
「お前、こういうの好きそうだもんな」
「はい!」
晃太は何となく、そう思う。それに対してルビィは屈託のない笑みで応じ、晃太の顔もほころんだ。
「うさぎさんのところ、行ってもいいですか…?」
「好きにしろよ」
晃太は、ここまで手を引っ張ってでも連れてきた勢いはどうしたんだ、と口から漏れそうになったがそれをこらえた。そしてすぐに、ダメ、と言う選択肢が最初からなかったことに気がついた。やっぱりこいつはずるい。そんな顔されて断れるやつなんているんだろうか。いたとしたら相当神経の太いやつだろう。そんな事を考えながら、不安げな顔から一転、意気揚々とウサギの元へ向かうルビィの後ろをついていった。
「うさぎさん、可愛いなぁ」
柵の中に入ったルビィは、興味津々といった様子で近づいてきた一匹の白ウサギをしゃがんで抱きかかえる。白ウサギは目を細め、ルビィの腕の中で気持ちよさそうにくつろいだ。
「お名前は何て言うの?」
そう優しく語りかけた。返事が返ってくるわけないなんてことはルビィにもわかっているんだろうが、思わず口にしてしまったんだろう。そんなルビィを見て、晃太は穏やかな気持ちになる。
「晃太さんも抱っこしてみましょうよ!」
「いやだから……」
まだ柵の外で突っ立っていた晃太にルビィが手招きした。
俺はいいって言っただろ、と言いかけて、それをやめる。せっかくここまできたんだ、と思い直す。
「……どうやったらいいんだ?」
その言葉にルビィは目を輝かせる。晃太はルビィのそばで膝立ちになり、教えを請うた。
「うさぎさんは、抱っこされるのが苦手な動物さんなので、優しく触ってあげてくださいね」
「へえ、そうなのか。ペットにしてるっていうのもよく見かけるし、もっと人懐っこい動物かと思ってた」
ルビィは抱えていた白ウサギを一度地面におろし、優しいタッチで背中を撫でながら晃太に説明を始めた。
「えへへ……ルビィ、一回だけAqoursで動物園のお手伝いさせてもらったことがあるんです。その時に飼育員さんに教えてもらって」
「なるほどね。んで、抱っこするにはまずどうするんだ?」
晃太は、アイドルと言っても、歌って踊るだけじゃないんだな、まるでプロのようだ、と感心する。こういった地道な活動の積み重ねの上に今のAqoursがあるんだろう。そう思うと、なんだか途端にルビィがすごいやつのように思えてきた。
「まず、晃太さんもうさぎさんの体を撫でてあげて下さい。耳から背中にかけて優しく撫でてあげるとうさぎさんもリラックスします」
「こうか…?」
「ふふ、晃太さんもっと落ち着いて。緊張してると、うさぎさんも警戒しちゃいますよ」
「わ、わかった……」
晃太は一度深呼吸をして心を落ち着けた。そしてウサギの背後へ回り、言われたとおりに耳から背中にかけて、ゆっくりそうっと撫でる。そうして優しく撫でている内に心なしかウサギも目を細めてうっとりしてきたような気がした。気持ちよさそうにじっとその場に丸くなる。
「おお、なんかこいつリラックスしてるなって俺でもわかるぞ」
「いい感じですよ♪ じゃあ次はお腹に手を入れて持ち上げてみましょう」
「も、もう持ち上げるのか?」
晃太は少し動揺したようだった。
「大丈夫ですよ。うさぎさん、もうすっかり晃太さんに慣れてますから。きっと他のお客さんにも触られたりして、人に慣れてるんだと思います」
「なら良いんだけど……」
そう言って、撫でていた手を止め、お腹の辺りに恐る恐る手を入れる。
「そうですそうです。うさぎさん、体がやらかくてフニャってしてますけど、しっかり持ってあげて下さい。びっくりしないようゆっくりと持ち上げるのがポイントです」
晃太は言われた通り、おっかなびっくりと言った感じでそーっと持ち上げる。
「お、おいルビィ! 次はどうしたらいい!?」
「片方の手を離してお尻を支えてあげて下さい。そしたらそのまま抱きかかえるように自分の方へ……」
「こうか!?」
半分パニックになりながら、それでも晃太はがっしりとウサギを抱え込んでいた。少しぎこちないが、腕の中のウサギもまんざらではなさそうだ。
「上手です!」
「ほ……」
ルビィのその言葉に、晃太はほっと一息つく。きっとそのせいで抑える力が緩んでしまったんだろう。ウサギはぴょんと晃太の腕から飛び出し、そのままウサギたちの輪の中に戻っていってしまった。
「あっ……」
「行っちまった……」
その行く先を見て晃太は少し残念そう。そんな晃太を見て、ルビィはにっこりと笑ってみせた。
「でも、上手に抱っこできてましたよ!」
「そ、そうか…?」
「はい!」
戸惑ったような声を上げる晃太だったが、その表情はどこか満足気にも見えた。