女魔王「I'm your mother」勇者「Nooooo!!」   作:トマトルテ
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女魔王「I'm your mother」勇者「Nooooo!!」

 

「お母さん…?」

 

 2人の人間が暗い玉座の間で向き合っている。

 1人は勇猛果敢が人の姿を取ったような少年、勇者ゼラニウム。

 もう1人は美人薄命という言葉がピッタリな儚げな美女、魔王ゼニアオイ。

 

「……顔を見せるつもりはなかったのだがな」

 

 勇者に砕かれた仮面を見下ろしながら、魔王は憂いに満ちた表情でそう呟く。

 その姿はまさに無防備。だというのに、勇者は動くことが出来なかった。

 魔王に気圧されたから? 違う。あり得てはならぬ事実を知ってしまったからだ。

 

「なんで…なんで…ッ」

 

 だが、そう簡単に信じられるはずもない。

 勇者は戦うことすら忘れて、首からかけていたロケットペンダントのふたを開ける。

 それは生まれてすぐに、生まれ故郷を魔王に滅ぼされた勇者にとって唯一残された家族の繋がり。

 父親の遺体についたままだった、赤ん坊の自分と両親の写った最初で最後の家族写真。

 

 そこに映る勇者の母親の顔。

 愛おしそうに自分を見つめる女の顔。

 その顔が。

 

「お前が──―俺の母親と同じ顔をしている!?」

 

 魔王と全く同じものである理由。

 

「なんで…か。………答えは単純だよ」

 

 動揺している勇者は信じたくないばかりに、何故と問うが本来は尋ねるまでもない。

 単純に考えればいい。当たり前のことを口にすればいいだけ。

 悩む必要などない実に安易な答え。

 

「私が君の母だからだよ」

「うそだッ!?」

 

 魔王こそが勇者の実の母親なのだ。

 

「嘘じゃないさ。君は確かに私と愛する夫の間に生まれた、愛し子さ」

「だったら…だったら、なんで魔王なんてやっている!? なんで故郷と父を殺した!?」

「私が魔王となり、願いを叶えるためだよ」

「ふざけるなぁッ!!」

 

 何の表情も浮かべずに淡々と語る魔王に、勇者は怒声を上げる。

 憎い。目の前の存在がとにかく憎い。

 殺さなければならないという義務感が、魂の奥底から勇者を駆り立たせる。

 

「俺は…俺は! お前の言葉を信じないッ!」

「そうか…まあ、それもいい。全てを嘘とするのも1つの幸せだろう」

 

 だから、勇者は心の目を閉じ耳を塞ぐ。

 心の奥底から湧き上がる理解のできない感情を抑えるために。

 

「もう何もしゃべるな、魔王! ……俺は勇者でお前は魔王。ならばすることは1つ」

「その通りだ、勇者よ。この首を刈り取り、君の強さを証明してみせておくれ」

「…ッ。言われずともだ! 行くぞ、魔王ッ!!」

 

 先程聞いてしまった話を振り掃うかのように雄叫びを上げ、剣を振りかぶる勇者。

 その様子に何故か悲しそうでいて、どこか嬉しそうな複雑な表情を浮かべてみせる魔王。

 不俱戴天の敵とも言える勇者との戦いだというのに、いささかおかしな感情。

 

 その理由の全ては勇者と魔王の関係、否、この女魔王の数奇な人生にある。

 女はそのことに自覚があるためか、勇者の姿と共に自らの過去を瞳に映すのだった。

 

 

 

 

『さあ、貴様は転生特典に何を求める?』

「絶対的な才と力を、極めれば神すら殺せるような圧倒的な力が欲しい」

 

 魔王は転生者だ。

 前世では才能を持っていなかったただの凡人である。

 故に女はその魂に見合うことも無い不相応な力を求めた。

 次の人生では自分が主人公になりたくて。

 ここまでならば、よくある話で終わっただろう。

 

『良いだろう。だが、大いなる力にはそれだけのリスクがある。貴様はそれを身をもって知ることになるだろう』

 

 しかし、女は神からある警告を受けた。

 自らの力の強さゆえに追うことになるだろう因果を。

 

「リスク……それは一体?」

 

 当然リスクというものが気になった女はそう尋ねてきた。

 だから、神は答えてやる。

 

『貴様は特定の人物から殺される以外に死ぬことはない。その代わり…』

「その代わり…?」

 

 一見すればメリットにしか聞こえない話に女は眉をひそめる。

 しかし、本当に重要なのはその先だ。

 

 

『その者は必ず貴様を殺しに現れる。貴様とその者、生き残れるのは2人に1人だ』

 

 

 女にとっての残酷な運命を。一流の悲劇の花を咲かす種が女の運命へと植えられた。

 そうして、女は呆然としながらも次なる世界へと転生させられるのだった。

 

「……私を殺そうとする者か。フン、殺しに来るのなら逆に殺し返してやるだけだ」

 

 異世界で、ゼニアオイという名の少女に生まれ変わった転生者は心に誓う。

 自分は死にたくないのだから、殺しに来る相手ならば誰であろうと殺してやると。

 待ち受ける運命の残酷さも知らずに、愚かにもそう誓うのだった。

 そうして女は第2の人生を歩み始める。

 

「アオイ、なにをボーっとしているんだい?」

「いや、なんでもないよ、クロッカス。それより早く次の町に行こう」

 

 初めは見えない死神を恐れて目立たない様に生きていた女だが、徐々にそれも薄れていく。

 普通の人間も誰かに殺される可能性は大いにあるのだ。

 通り魔かもしれない。単なる事故かもしれない。魔物に食われるかもしれない。

 そう考えて、不安に思うのが馬鹿らしくなった女はかねてからの望み通りに、主人公のように町から町へと旅をしていった。

 

 そして、その間に凶悪な魔物を討つことで富と名声を得た。

 そんなもの如きで運命が変えられるはずもないのに。

 

「ア、アオイ、ぼ、僕と結婚してくれないかい!?」

「君が望むのなら喜んで」

 

 そのうち女は普通の人間のように恋をし、結婚をした。

 相手は共に旅をしていたクロッカスという幼馴染みの男である。

 優しくて、強く、彼女への理解が深い。まさに理想の相手だった。

 2人は故郷へと帰って挙式を上げ、はそこで穏やかに暮らしていこうと誓いあう。

 

 呑気にもそれこそが、破滅への引き金だとも知らずに。

 

「妊娠というものはこうも大変なのだな……自分の足の爪すら切れなくなるとは」

 

 夫と愛し合った果てに自らの腹に愛の結晶を授かったゼニアオイ。

 幸せの絶頂であった。家族さえいれば他には何も要らないとすら思っていた。

 だが、そんな幸せも全ては悲劇を際立たせるためのスパイスに過ぎない。

 

 時が来たと、夢の中で女は神託を受ける。

 

『耳寄りの情報だ。まもなく貴様を殺す者が生まれる。今回は特別にそれが誰かを教えてやろう』

「まだ、生まれていなかったのか……。しかし、今更とは。この子を守らないといけないのに」

『何、その心配はいらんさ』

 

 突如として告げられた事実に、女は生まれる子供のためにもまだ見ぬ刺客を必ず始末せねばと硬く拳を握り締める。そんな滑稽な姿に、神は堪えられぬと笑いながら教えてやるのだった。女を殺しに来る刺客の名を。

 

 

『貴様を殺す者は──―貴様の腹の中に居る息子だ』

 

 

 さあ、どうする? 貴様は自分の息子を殺すか?

 

 笑いながら告げられる言葉にも、女は何の反応も見せることが出来ず、ただ凍り付いていた。

 自らの子供が自分を殺す運命を背負って生まれてくる。

 信じたくなどなかったのだろう。全ては神の戯言だとして無視したかったのだろう。

 

 だが、腹の中の子が大きくなる度に、運命は扉を叩く音を強めていく。

 

「お腹の蹴り方がおかしい……完全に私に危害を加えようとしている」

 

 通常の胎児とは違う、相手を壊すためにあらん限りの力での蹴り。

 特典持ちの女でなければ、間違いなくダメージを負い、最低でも流産はするだろう。

 故に女は認めるしかなかった。腹の子は間違いなく自分を殺す宿命を持った存在だと。

 

「アオイ……最近何か思い悩んでいるようだけど大丈夫かい?」

「大丈夫だよ、クロッカス。ちょっとこの子が元気過ぎて困ってるだけさ」

「そうかい? ともかく辛いなら言ってよ? 子供も大切だけど一番大切なのは君なんだから」

「……ありがとう」

 

 確信を得てもなお、女はそのことを夫に伝えることが出来なかった。

 話せばきっと力になってくれるだろう。しかし、同時に確信もしていた。

 夫は息子と妻、どちらかを取れと言われれば、妻を選ぶだろうと。

 

「私は幸せ者だ……こんなにも大好きな人に愛してもらえるのだから」

 

 それは女にとっては最大の幸福だろう。

 そもそも、子供などまた作ればいいのだ。

 お腹の子を諦めて、次の子に希望を託せばいい。

 それだけでいい。腹の子は殺さなければ、必ず彼女を殺す存在へと成長するのだから。

 だが、しかし。

 

「だとしても…私は──―この子を殺せない…ッ」

 

 それを分かっていながら、ゼニアオイは息子を殺すという選択を取らなかった。

 理由は簡単。ゼニアオイが女としての幸せよりも、母としての愛を取ったから。

 

「私は母親だ……どんなことがあってもこの子を守ってみせる…!」

 

 自らが腹を痛めて産み落とす我が子を殺す覚悟など、女に出来るはずもなかった。

 だから決めたのだ。例え、悪魔に魂を売ってでも子を守ろうと。

 例え、最愛の夫を殺すことになったとしても。

 息子を守ると決めたのだ。

 

「どうか愛がありますように……どうか希望がありますように……どうか光がありますように……ああ、愛しい我が子よ」

 

 我が子に託すのは希望、未来、幸福。

 ゼニアオイは考える。

 息子が母と殺し合う運命から逃れられないのならば、自分が殺されようと。

 無意味に足掻き続ける。

 

「大丈夫……お母さんは何があっても君の味方だから」

 

 狂気に満ちた慈しみの声を零し、女は自らの腹を愛おし気に撫でる。

 その一か月後にゼニアオイは1人の男児を生んだ。

 名を、ゼラニウムという。

 

「ダメだ…ナイフで心臓を刺しても、毒を飲んでも、水の底に沈んでも……死ねない」

 

 子を産んだ女は狂ったように自らの命を断とうとした。

 しかし、与えられた特典は決して彼女を殺さない。

 息子に殺される以外に死ぬことは許されない。

 それこそが、女に課せられたリスクだったのだ。

 

「あの子に殺される以外に道はない。でも……そんなことをすれば、あの子はただの犯罪者。気の狂った親殺しだ。そんな人間に幸せな未来など訪れるわけがない。どうしたら、私を殺すことを正当化し、なおかつこの子を幸せにできる?」

 

 故に女は苦悩した。自分が死なねば息子へかけられた呪いが解けることはない。

 しかし、ただ殺されるだけでは息子は良くて牢獄の中。悪くて死刑だ。

 そんな暗い未来を母親が認めるはずもない。

 

「姿を消してあの子から逃げ続ける? でも、そうしたらあの子は、行き場のない殺意を抱え続けたまま生きるはめになる。いや、神は必ず現れると言ったんだ。人生をふいにしてでも私を見つけ出すはずだ。ならば、私は姿を晒し逃げることなく待つべきろう」

 

 逃げても息子の人生が壊れることには違いがない。

 そもそも、理由のない殺意を知りもしない人間に抱いているとなど、狂人扱いは免れない。

 殺意を正当化する理由がいる。無駄な時間を使わせぬように明確な憎むべき対象が必要だ。

 分かりやすい標となり、かつ殺意を向けていても誰からも咎められぬ存在。

 

 だから、女は。

 

「……ああ、そうか。私が──―悪になればいいんだ」

 

 修羅の道へと堕ちた。

 

「正義の反対は悪。悪の反対は正義。なんだ、こんな簡単なことに気付かなかったんだろう。私が悪なら、この子は正義だ。そうだな……せっかく力があるんだ。神に仇なす魔王にでもなってみるとしようか。そうすれば、この子は気の狂った親殺しではなく、魔王を滅ぼす──―勇者だ」

 

 残酷な運命のゴール地点は決して変わることはない。

 しかし、その道のりを出来るだけ色鮮やかにすることはできる。

 ゼニアオイが世界を脅かす魔王となれば、殺人も正当化される。

 そして、自分の正体を隠しておけば息子に親殺しの罪悪感も抱かせずに済む。

 

 そうと決まれば何も迷うことはなかった。

 自分のためではなく、愛する我が子のために多くの人間を殺そう。

 悪逆非道の限りを尽くし、世界に魔王の名を轟かせるのだ。

 その果てに、成長した我が子に殺される終着点にたどり着けば、愛し子の未来は守られる。

 

 そう女は決め、手始めに──―自らの住む故郷を滅ぼした。

 

「アオイ……どうして…!」

「私が私であった証拠を消すためだよ、クロッカス」

「何を言って…?」

 

 火の手を上げる村、崩れ落ちる我が家、原型すら留めることなく肉塊となった友人達。

 1人の女がここに居た証拠を消すためだけに、全てが破壊されている。

 その中で当の本人は1人壊れたように笑いながら、夫と向き合っていた。

 

「生まれてすぐに故郷を滅ぼされ、両親や家族を失う。そして唯一生き残った赤ん坊は後に勇者となって敵を討ち仇を取る。どうだい? ありきたりだけど王道で誰もが助けたいと思いたくなるストーリーだろう?」

「それは……ゼラニウムのことを言っているのかい」

 

 言っていることは支離滅裂。目の焦点もどこか虚ろ。

 偽物だと言われた方がまだ納得が出来るだろう。

 しかし、男は夫であるが故に女が本人であることを理解してしまった。

 

「ああ、そうだよ。私はあの子を勇者にする。そのためにはゼニアオイという女は死ななければならない。死体の判別すら出来ない程、残虐に魔王に殺される。そうして、魔王と私の関係性を断ち切っておく必要がある。もちろん、これを話したからには君にも死んでもらうよ」

 

 愛する女が自分を殺すと言いながら近づいてくる。

 訳が分からないだろう。叫びたいだろう。逃げ出したいだろう。

 しかしながら、男は動くことはなかった。

 

「逃げないのかい?」

「……君に殺されるのなら本望だ」

 

 剣を喉元に突きつけられてなお、クロッカスは動かない。

 足元が震えてはいるが、それでも瞳は真っすぐに女へと向けたままだ。

 

「そう……なら、サヨナラ」

 

 男の言葉に思わず手が止まってしまいそうになる女だったが、その苦しみを噛み殺し、自らの夫の心臓を刺し殺す。生暖かい血が顔に降り注ぐが、不思議と嫌な気分もせずに女はただ空虚な目で自らの夫だったものを見る。

 

「何か言いたいことがあるの?」

 

 ふいに、夫の口が動く。

 だから、女は妻としての最後の務めとしてそれを聞く。

 

 きっと恨んでいるだろう。呪っているだろう。

 だとしても、自分は愛する息子のために全てを背負うと決めたのだ。

 だから、如何なる罵倒も受け入れる気でいた。

 

「…………よ」

「え?」

 

 だが。

 

「愛してるよ……」

 

 その言葉だけは到底受け入れることが出来なかった。

 呆然と立ち尽くす女の頬を最後に一度優しく撫で、男の腕は力なく落ちていく。

 

「どうして…そんなことが言えるの…!?」

 

 剣で刺しても、毒を飲んでも何でもなかった胸が張り裂けんばかりに悲鳴を上げる。

 ただ愛してると言われただけなのに、致死の攻撃を受けるよりもなお心臓が痛む。

 

「私だって…! 私だって! 君のことが…ッ」

 

 女の胃の中を感情が暴れまわり、吐き出してしまいそうになる。

 だが、この程度のことで折れるようならば、魔王となりきることなど出来はしない。

 その想いが吐き出されそうになった、女の中の人間を押しとどめる。

 

「ダメだ……私は魔王なんだ。ゼニアオイは死んだ。だから…だから…!」

 

 手を血が出る程に握りしめ、女は感情を抑え込む。

 表情は般若のようでいて無表情。

 だというのに、その顔から滴り落ちる血が涙のように女の顔を彩っていた。

 

「私の全ては愛する坊やのために…ッ。

 悪逆の限りを尽くし、神をも殺す力を手に入れ──―悪の魔王となろう!」

 

 血を吐くような宣言と共に、女は男の死体の処理も忘れフラフラと故郷を後にする。

 故に女は気づくことがなかった。

 自らが殺した夫の首に、家族3人の写真が入ったペンダントがかけられていたことに。

 

 そして、数時間後に火の手を見た隣村の人間により、この惨劇は伝わることになるのだった。

 1人の赤ん坊を除いて村人が皆殺しにされた、魔王の最初の悪逆として。

 

「さあ、可愛い坊や。私の下に来るがいい。

 魔王を殺して栄誉を、富を、幸福を、全てを手に入れろ。

 愛しい坊や。私の幸せそのもの……」

 

 突如として現れた邪智暴虐の王、魔王の出現より15年の歳月が流れた時。

 名をゼラニウムとつけられた少年が、魔王を討つべく勇者として立ち上がるのだった。

 

 魔王を殺さねばならぬという、強迫観念染みた意志に導かれて。

 

 

 

 

 

 そして、そこからさらに1年の時が流れた今日。

 1人の女の願いと祈りが成就されようとしていた。

 

「本当に…強く…大きくなったな…ゼラニウム……」

「ふざ…けるな…ッ」

「私の愛し子……」

 

 剣に心臓を貫かれた状態で、ダラリと力なく勇者にもたれかかる魔王。

 どこからどう見ても勝敗は明らか。

 だというのに、両者の顔は全く逆のものに見える。

 勇者が顔を苦しみで歪ませ、魔王が酷く幸せそうな顔をしているのだから。

 

「魔王……何故、親であると黙って俺と戦わなかった? 俺の手が鈍ることにでも期待したか」

「自分でも馬鹿な女だと思うよ。でも……我が子に母と呼ばれて…しまってはね」

 

 母と呼ばれる日など決して来ないと思っていた。

 しかし、夫の遺品は何の悪戯か成長した我が子に母と呼ばれる幸運をくれた。

 冷静になって考えれば、否定するべきだったのだろう。

 だとしても。

 

「お母さんと呼ばれて……答えぬ母は居ないよ」

 

 嬉しかったのだ。何もかもを忘れてしまう程に。

 頭がバカになる程に浮かれてしまったのだろう。

 我が子のために魔王にまでなった母親は。

 

「ゼラニウム……私の坊や……」

 

 魔王はゆっくりと、血に塗れた手を伸ばし勇者の頭を撫でる。

 血濡れた手は勇者の白い髪を赤く染めていく。

 勿論、力のない手を振り払うことは簡単にできる。だというのに勇者の手は動かなかった。

 それどころか、あれ程憎んでいた気持ちがどこかへと消え去ってしまう。

 

 まるで、役目は済んだとでも言うように。

 

「情があったとでも言うつもりか…?」

 

 だから勇者は震える声で声をつむぐ。

 理解できない感情を何とか理解しようとして。

 

「ふふふ…かもしれない…なぁ……」

「だったら! なんで魔王などに…ッ」

「言っただろう? ……私は願いを叶えたかったと」

 

 女が息子に神のことを伝えることはない。

 仮に息子がそのことを知れば、全ての運命に操られていた事実に絶望するかもしれない。

 ひょっとすると、神へと復讐を企てるかもしれないと考えて。

 

 だが、それは避けねばならないことだ。本来、神は卑小な人間如きが触れられる存在ではないのだ。最初に転生させた時のように気まぐれに人へ恵みを与え、気まぐれに悲劇をもたらす。そうして、出来る人の生き様をまさに演劇として楽しむのだ。人間が神などに関わって良いことなど1つもないのだろう。故に、健気にも息子には秘密にするのだ。

 

「おめでとう、ゼラニウム。悪を討つ正義の使者として、誰からも望まれ、誰よりも気高く、何者にも負けぬ。君はそんな勇者になったんだ」

「俺は…俺は! そんなものなんて望んでない…ッ! ただ、魔王を打倒さねば、殺さねばと、強迫観念にも似た感情に突き動かされて来ただけなんだ!」

 

 血を吐くような息子の独白に、母は少しだけ悲しそうな顔をする。

 全てはゼニアオイが転生をしたことが始まりだ。

 しかし、転生をしなければ息子とは会えなかっただろう。

 ああ、人生とは実にままならないものだなと、彼女は内心で笑う。

 

「安心するといい…私が…魔王が死ねば…何もかも…全部…終わる……」

 

 もう時間はほとんど残されていないのか、ゼニアオイの手が頭から滑り落ち頬で止まる。

 しかしながら、それで問題はないだろう。子が母を殺すことでこの呪いは解き放たれるのだ。

 女の望みは成就する。

 

「……それが最後の言葉か?」

「ああ…もう…何も……いや…1つだけ……」

 

 最後の最後、命の灯火が消える間際。

 女は何の考えもなく、ただ心から溢れ出た言葉を零す。

 奇しくもそれは。

 

 

「──―愛してるよ」

 

 

 彼女を愛した男と全く同じものだった。

 

 その言葉を最後に、ゼニアオイの体から力が完全に消える。

 二度目の死は愛する息子の腕の中で。

 その事実に満足しているとでも言うように、彼女の顔は酷く穏やかなものなのだった。

 

「愛…してる…? 魔王が…? 俺を…?」

 

 母の亡骸を抱き留めながらゼラニウムは呆然と呟く。

 その心からは、魔王を必ず殺さなければならないという憎悪が綺麗さっぱりに消えていた。

 

「何でだ…ッ。分からない…分からないことだらけだ…!」

 

 だとしても、今までの人生全てを魔王を殺すために費やしてきた事実は消えない。

 だから少年は、母からの愛を素直に受け取ることが出来ず。

 

 

「ごめんなさい…お母さん。俺は……あなたの愛を信じられない」

 

 

 静かに涙を流すのだった。




ゼラニウムの花言葉:赤色は「君ありて幸福」白色は「私はあなたの愛を信じない」
ゼニアオイの花言葉:「母の愛」「恩恵」
クロッカスの花言葉:「愛の後悔」「青春の喜び」

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