「いやー、今日はいろいろあって面白かったですよ」
「藪から棒にいったいどうした?」
時刻は既に夜更け。昼のカフェとしてのラビットハウスの営業が終わり、夜のバーとしてのラビットハウスが始まる時間だった。
バーの方でもバイトをしている俺は現在ギャルソンの制服に着替え、ラビットハウスのマスター兼チノちゃんの父であるタカヒロさんと今日起こったことについて話していた。
「あのココアっていう子。今日だけでチノちゃんや天々座とあんなに仲良くなってスゴいですよ。特にチノちゃんなんかは人見知り激しいのにあの子とはすぐに仲良くなって...なんか涙出そうになりましたもん俺」
「大袈裟だなぁ。チノはとても誰とでも仲良くなれる優しい子だと俺は思うけど」
「いや確かにそうだけど。なんか話ズレてるなこれ」
タカヒロさんとの会話に多少のズレを感じる俺だったが、まぁどうせチノちゃんはとても可愛いという結論で終わるのだからどうでもいいかと諦めた。タカヒロさんと話してるといつもこれだからな。
「それで、ココアちゃん今日からここで泊まるんですよね。部屋は大丈夫なんですか?」
「あぁ、もともと下宿の件は部屋が余ってたから申し受けたことだったからね。あの子の荷物もそのうち届くだろう」
「なるほど」
タカヒロさんの言葉に相槌を打ち俺は、今日の出来事について振り返った。
天々座が更衣室に行ったあの後、保登心愛という女の子は満を持してラビットハウスに現れた。最初は入店した途端にうさぎを探し始めるその行動に、こいつヤベぇ、と度肝を抜かされたが、しかし喋って見ると案外まとも、というか凄まじいコミュニケーション能力を持っていたみたいで、人見知りの気があるあのチノちゃんでさえとても楽しそうに話していた。
その後もコーヒーの銘柄当てクイズをしたり、モフったウサギがいきなりダンディな声を出したことに驚いたり、学校の下宿先がこの家であったことが判明したり、更衣室で天々座とお互いに不審者だと勘違いしたり、その現場に駆けつけた俺が変態扱いされたりと色々な出来事が起こり騒がしい時間が過ぎていった。その空気は、いつものまったりとしたラビットハウスとは全く違う騒がしいものではあったが、しかし悪くない、癖になるような雰囲気を持っていた。
きっと保登心愛という女の子が持つ空気が、周りにそれを広げているのだろう。
「そういえば、昼はシフト終わってからも店に残ってくれていたんだろう。休まなくて大丈夫かい?」
「問題ないですよ。一旦家にも帰りましたし、残ってたって言ったって隅でコーヒー飲んでただけですから」
タカヒロさんの言った通り、俺は手々座と入れ代わりであがりだったのだが店に女の子三人を残していくのも心配だったので、そのあと少し店に残ったのだ。
まぁしかし女三人寄れば姦しいとはよく言ったもので、その後は何があるともなかったが、ココアちゃんを中心に三人の会話が続き楽しそうな雰囲気を作っていた。
そうなるともう俺の存在など邪魔なだけだと悟り、途中で店を抜け出したのだった。
「たしかにあの娘、すぐにここに馴染みよった。全くこれから大変なことになりそうだ」
「いや、ウサギが現在進行形で喋ってることの方が俺は大変なことだと思うな」
「たしかに」
「うるさーい!! お主らにわしの何が分かると言うんじゃー!!」
と、ウサギの叫び声と共にお客がやってきたので俺はウサギを黙らせるため頭を叩く。ウサギは変な声を出したあと、俺の思惑通り静かになった。
「一応俺の親父だからもうちょっと丁寧に扱ってくれ」
「あー、善処します」
若干棒読みな俺の言葉が静かな店内に流れていった。
* * * * *
「今日はピアノ弾かないの?」
夜のラビットハウスの営業が始まり、お客が細々とやって来た頃、一人のお客が俺に向かって尋ねてきた。
バーの営業ではタカヒロさんのサックスなどによる演奏を行いジャズバーとしても機能させており、そこで時折俺もピアノを弾かせてもらっているのだ。
「あー、そうですね。タカヒロさん?」
お客さんのリクエストを受けてタカヒロさんに顔を向けると、タカヒロさんは笑顔で小さく頷いた。
「許可も出たんで、じゃあちょっとだけ」
俺の言葉を受けるとお客さんは嬉しそうに笑顔になりお礼を言ってくれる。
自分の演奏をこんなに期待していてくれる人がいることに俺も嬉しく思いながら、隅で布がかけられているピアノのもとに行き演奏の準備をする。
場所を取らないアップライトピアノであるそれは、バーの営業をするにあたりピアノの演奏ができる俺のためにタカヒロさんが知り合いから譲り受けたものらしい。年季が入っており癖も強いピアノだったが、力強い演奏が出来るため俺にとってはお気に入りのピアノであった。ゆえにこうした機会でこのピアノを演奏できることは俺にとっては嬉しく、タカヒロさんもそれに気づいてくれているようだった。
さて、いざ演奏しようと楽譜を探すとピアノの上に楽譜がないことに気づいた。おかしいな。いつもピアノの上に楽譜を置いているのだが。と、そこで店の奥の扉から二つの小さな影がこちらを覗いているのが見えた。
「あっ、バイトのお兄さんがピアノいじってる!」
「ココアさん静かにしてください。まったくココアさんが不用意にバイトさんのピアノに手を付けるからこうなるんですよ」
「う~ごめんなさい... 私がうっかり楽譜持ってきちゃって。チノちゃんも戻すの手伝ってくれてありがとう!」
「別にいいです。それに楽譜がないとバイトさんが困りますから」
…うーん、そうきたかー。
物陰からこそこそしゃべる二人の声を拾い俺はことの事情を察する。
どうもココアちゃんが昼にピアノに興味もち、そのまま楽譜を持っていってしまったらしい。それで二人とも楽譜をもとに戻そうとしていると。なんともありがちなトラブル。
しかしまぁ、このまま二人を放っておくのはよくないな。このままチノちゃんたちがバーの方に立ち入るのは少し危ないし、タカヒロさんもいい顔をしないだろう。
二人をなんとかフォローするため、俺はタカヒロさんに声をかける。
「すみませんタカヒロさん。楽譜を奥に置いてきちゃったみたいなんでちょっと取ってきます」
俺の言葉にタカヒロさんは目線だけで応えすぐに仕事に戻る。そのしぐさだけでお客のマダムがやられてしまっているのだから流石なものだ。
そして俺が店の奥への扉へと近づくと、奥からドタバタとした音が聞こえた。まぁチノちゃんとココアちゃんが逃げたんだろうなぁと思い、扉を開くと見知らぬ世界へと(そんなのないよ)ありえない...えっなに今の幻聴。怖いんだけど。
(窓です)
知らねぇよ。いや誰だよ。
と、何だが電波的な何かを受信したが、怖いので無視し、俺は後ろ手に扉を閉めた。
「チノちゃん、保登さん。気付いてるから出ておいで」
暗闇のなかに声をかけるとおずおずとチノちゃんと、亜麻色の肩までかかった髪をした女の子、ココアちゃんが申し訳なさそうに出てきた。
その姿は昼の陽気さとはうって変わって縮こまった姿だった。
「ごめんなさい、私まちがえて楽譜持っていっちゃったみたいで...」
ココアちゃんは頭を下げ、謝りながら両手で楽譜をこちらへと差し出す。
「あの、ココアさんを責めないであげてください。悪気があったわけではないので」
ココアちゃんのその姿を見てチノちゃんも弁明を行う。
今日知り合ったばかりの子のために必死になるチノちゃんの姿に、俺は嬉しさとほほえましさを感じ、無意識にチノちゃんの頭を撫でる。
「...どうして頭を撫でるんですか」
「なんとなくだけど?」
微妙に不満そうなチノちゃんだが、後ろめたさからか俺の手を振りほどくことはしなかった。なおココアちゃんは俺の撫でる姿を羨ましそうに眺めていた。
このままずっと撫でていたいほど気持ちのよい撫で心地ではあったが、そろそろチノちゃんが怒りだしそうなので手を離しココアちゃんから楽譜を受け取る。
「大丈夫だよチノちゃん、保登さん。別に怒ってるわけじゃないから。ただバーの方は危ないからあんまり入らないように気を付けてほしいって言いたかっただけだし」
俺の忠告に二人は頷き、もう一度謝罪をした。俺も満足し、バーの方に戻ろうと踵を返すが、ひとついいことを思い立ち、もう一度二人の方へ振り返った。
「そうだ。バーに入っちゃダメだけど、扉から物音を聴くのは別に大丈夫だから」
唐突の俺の発言に戸惑う二人に、俺は持っている楽譜を二人の目線の高さに上げて強調した。
まぁ自惚れかもしれないが、ココアちゃんへの歓迎も込めて聴いていってほしいのだ。
「よかったらピアノ、聴いていって」
その言葉を聞くと、ココアちゃんの方はとても嬉しそうな表情で、やったぁ!、と声をあげ、チノちゃんは小さく笑みを浮かべ、先程よりも元気に頷いた。
二人の嬉しそうな表情に何だか俺も照れ臭くなり、そのまま店の方へと戻る。
ただ先程より、ピアノを弾くことを楽しみにしている自分が、現金なやつだと自覚しながら。
*****
「どうした小僧。戻るのが遅かったな」
「ジジイこれから喋るの禁止な」
「なんでじゃ!!」
演奏は無事に成功した。
主人公が作中、地の文とでココアの呼び方を変えているのは単に名前で呼ぶのが恥ずかしいからです。