それから数週間。優介の日常には少し変化ができた。朝も昼も夜もずっと小説の事を考えていた。講義中はずっとノートにアイデアを書き出し、帰ってからはパソコンに打ち込んでは消し、打ち込んでは消すを繰り返す。ようやく構成が出来上がり、執筆に移ったころには6月になっていた。そんなある土曜日。
「あー。しんどい……作家ってこんな大変なことやってるんだな……」
そう言いながらパソコンの横のチラシに目を向ける。ひいらぎ書店に置いてあったチラシで、「まじっく文庫大賞!新時代は君の手に!」と煽り文句が書いてある。まじっく文庫とは結構有名な文庫レーベルで、優介も実家に本をたくさん持っている。優介はその公募企画に応募することにしていた。最初は麻耶に見せるだけにしようとも思ったが悠里に一緒にがんばろうと約束したのだからせっかくだしやってみようと思ったのだ。とはいえ、初めて書くということもあってなかなか進まない。応募要項にはワープロで70枚から140枚と規定されており、優介はやっとの思いで30ページ書きあげたところだった。いくら展開やキャラ設定ができていても実際にそれをストーリーに乗せて書くというのはなかなかに骨が折れるということを肌で感じた。
「でも、麻耶はこれ以上の事やってんだよな……」
以前麻耶から渡された没小説はひとつひとつが今優介が取り組んでいる140ページの2倍近くの量がある。連載している方も既にそれ以上の量になっているだろう。
そう思いながらもキーボードを打ち続けていると、携帯が鳴った。中断するのも気が引けたがあまり詰めても良い結果にはならない。USBを抜いてパソコンを閉じ、携帯を確認する。どうやら麻耶からのメールの様だ。
『今から遊びにいくね!』
「俺の意思はまったく考慮しないんだな……」
この前の部屋デート(仮)以来、麻耶は頻繁に優介の部屋に来るようになっていた。もっともそれ以外のところには相変わらず行かないのだがそれでも一歩前進だと蘭子も言っていたのでしばらくこのままにすることにした。
メールを確認してから数十秒でインターホンが鳴る。それに答える前に優介は公募のチラシを鞄にしまいこんだ。別に麻耶に知られたくないわけでもないのだが、なんとなく恥ずかしさのようなものを感じてしまうので公募の結果が出てから伝えることにしていた。
「はーい、いま開けまーす」
大きく伸びをして立ち上がり、玄関へと向かう。古くなってさびつつあるドアノブをひねり扉をあける。
「よ、麻耶」
「来ちゃった☆」
「いつも来てるだろ……」
最初こそ女子を部屋に上げることに抵抗があったものの今となっては麻耶が来ることに何の違和感も感じない。今日もいつもと変わらずに麻耶を座布団に座らせ麦茶をついで渡す。
「ありがとー」
「どういたしまして」
麻耶はお茶を一気に飲み干すと部屋を見回す。
「なんか、汚いね」
「麻耶にだけは言われたくないね!」
「人のふりみて我がふりなおせって言うじゃん」
「えぐい軌道のブーメランだな!」
とはいっても確かに麻耶の言うとおり以前より室内は散らかっている。小説に没頭しすぎると食事も楽なカップラーメンが主になるし洗濯物も少したまっている。
「そんなにレポート大変なんだね」
「え?あ、ああ」
小説を書くということは悠里にしか伝えていない。麻耶には大きなレポート課題があることにしている。隆盛にも同じことを言って遊びに来る頻度を減らしてもらっている。
「あんまり無理しない方がいいよ?最近いつもクマできてるし」
「珍しいな、心配してくれてるのか」
「優介が倒れるとゲームの相手いなくなっちゃうからね」
「ちょっと嬉しくなった俺の心を返してくれ!」
麻耶は「にひひ」と笑いながら持ってきたパソコンを開き座布団を枕にしながら操作を始める。いつも通り執筆作業に入るのだろう。
「てかそれって俺の部屋である必要なくない?」
パソコンを立ち上げている間、そんな疑問を投げかけてみる。
「うーん。そうかもなんだけど、最近はここでやったほうが集中できるんだよね」
「俺の家はネカフェですか……」
「そうじゃなくて、優介といると落ち着くんだ。もう優介なしの人生は考えられないよ」
「そんなにさらっとプロポーズまがいのことしないでくれるかな!」
あわててツッコミを入れる。相変わらず麻耶の言動はいろんな意味で心臓に悪い。
「ひょっとして優介ってボクのこと好きなの?」
「え?」
唐突な質問に思考がフリーズする。なんとか再起動を試みた時には優介の体温はぐっと上がっていた。
「おっ、お前な!あんまり俺を刺激するな!ここでうっかり理性が飛びでもしたら責任とれるのか!?」
「その場合だと責任取るのは優介だよ?」
「絶妙に上手い返し方すんな!」
「あはは、ごめんごめん。ちょっとからかいたくなっただけだって」
そういって笑う麻耶の顔が赤くなっていることに優介はまったく気付かない。麻耶自身も執筆の方に意識を向けてしまい、しばらくの間沈黙が訪れる。だが、優介はこの日常となりつつある沈黙が嫌いじゃなかった。こうしていると、だれかと同じ時間を共有しているとても気持ちがいい。ここにいるのは優介と麻耶だけで、どちらか片方が欠ければすぐに壊れてしまうような、互いが互いを必要としているようなそんな雰囲気。
その沈黙をずっと感じていたいのだが、優介としては麻耶に小説の事を聞きたかった。
「なあ、少し質問してもいいか?」
「ん?いいよー」
麻耶はパソコンを操作しながら答えてくる。
「麻耶は小説書くとき、どのくらい書いたら一区切りって思う?」
「気分によるかな。でも一応ここまでって決めて書き始めるよ。結構オーバーするけど」
やはり麻耶でも長時間続けて執筆はできないようだ。人間の集中力は5分にも満たないと聞いたこともあるしそういうことなのだろう。
「じゃあもうひとつ聞きたいんだけど、書いてる時にモチベーションを保つにはどうしたらいいかな?」
「ボクは音楽を聞いてるよ」
予想より遥かに簡単な答えだった。試験前の学生がよくやるようなものだが、たしかそのやり方は作業と音楽を聞くこと両方に脳を使うためいうほど効果がないと前に読んだネット記事に書いてあった。気持ちの問題ということだろうか。
「ちなみに、なにかお勧めの曲は?」
「うーん」
麻耶は画面から視線を外し、少し考え込む。
「いろいろあるけど、やっぱりクラシックかな。『エリーゼのために』とか?でもそういうのって多分集中するきっかけみたいなもので実際に書いてる時は曲の存在をわすれてるかも」
それは確かに納得できる。試験勉強もそういう理屈なのかもしれない。
うんうんと納得していると麻耶は首をかしげている。
「でも、どうしたの?優介がそんなこと聞いてくるなんて思わなかったよ」
「え?あ、ああほら!レポートに行き詰ってさ、長い文を書くって点では小説のことがヒントになるかなってさ」
とっさに誤魔化す。我ながら結構厳しい言い訳だと思ったが麻耶は「そう?」とあまり追及もせずに画面に意識を戻したようだ。執筆がいいところなのかもしれない。
「ほんと、凄い奴だよな……」
***
9時くらいにになると麻耶はパソコンを閉じ、眠そうに部屋に戻っていった。この分だと明日は一日中寝ているだろう。そろそろ部屋も片付けてやらないといけないかもしれない。そう思いながら優介はパソコンを立ち上げる。起動までの間携帯でクラシック曲をダウンロードする。とはいってもそこまで詳しくもないので麻耶の言っていた『エリーゼのために』とメジャーなものをいくつか漁るだけにした。パソコンが起動したのでUSBを繋げ、ファイルを開く。その後、携帯にイヤホンを挿しさっきダウンロードした曲を流す。
「さて、やりますか」
今書いているのはジャンルで言うと異能バトルもの。特に深い理由でそのジャンルを選んだわけではなく単純に自分の好む作品の傾向からの判断だ。とはいっても異能バトルなんて探せばごまんと存在するわけで、他の作品と明確に差別化することが重要になってくる。そのために優介が選んだ題材はテニス。つまるところ異能力でテニスを行う作品だ。炎をまとったサーブや雷の様に速いフットワーク、そしてド派手な必殺技。これだけではまだありきたりだと思ったので主人公の設定をかなりの時間練った。その結果誕生したのは引きこもりの少年。昔テニスをやっていたがある試合で相手に大けがを負わせたショックでテニスや学校から遠ざかっていた、という設定だ。なんとなく麻耶と優介を混ぜたようなキャラになっているのは意図的なものだ。今現在書きあがっている部分は主人公が3年ぶりにコートに復活するシーン。たった一年のテニス経験がこんな形で役に立つとは思っていなかった。
「でも、ここ少しインパクト薄いかな……」
あれやこれやと考えながら一時間くらいやっているとインターホンが鳴った。とはいっても音楽を聞いていた優介がそれに気付いたのは4回目の音だった。
「すみませーん。今出まーす」
ドアあけると立っていたのは悠里だった。今日は講義の後バイトだと聞いていたが、もう終わったようだ。
「どうかしたか?」
「き」
「き?」
「きちゃった……」
それは麻耶のおちゃらけた態度とは違い、本当に恥ずかしそうだ。その様子に優介はドキッとする。こんな時間に一体何の用だろうか。思わずうかぶ邪な想像を振り払う。
「えっと……?」
「ち、ちがうから!今のはその……そう!ツッコミ待ちだから!」
必死に言い訳する悠里を見て、それ以上の追及はやめることにした。とはいってもツッコむ気にもならない訳だが。
「とりあえず、あがってくか?」
「部屋に連れ込んで何する気?」
その発言は既に経験済みなので冷静に対処することにした。
「おやすみなさい。また明日」
「ちょ、ちょっと待って!ごめんなさい!お言葉にあまえてお邪魔します!」
そういって悠里は半ば強引に部屋に上がってきた。取りあえず座布団を渡して座ってもらう。
「狭霧さん、来てたんだ」
「な、なんのことだ?」
「誤魔化すのヘタすぎ、ほらそれ」
悠里はテーブルの上のコップを指差す。確かに来客が無ければ2つも出ているのは不自然だろう。そんな悠里にたいして別にやましいことがあるわけではないが、なんだか心がざわついた。なぜか少し後ろめたいと思ってしまった自分がいる。
「でも、ホントになんにもしてないんだね」
「当たり前だろ!別にそのつ、付き合ってるわけでもないんだし!」
「付き合ってても毎日そういうの求めてくるのってドン引きする」
「なんで俺してもいないことで蔑まれてるの!?」
「冗談だって」
そこで悠里は話を切る。よく見るとなぜか少しもじもじしているように見える。視線は持ってきた鞄に向いている。取りあえず麻耶の使ったコップを洗い、お茶を入れて悠里に渡す。悠里はそれを勢いよく飲み干す。そして決心したように鞄を開ける。
「これ、迷惑じゃなかったら」
そういって悠里がテーブルに置いたのはコンビニのパンが2個と、ラップにまかれたおにぎりが2つだった。
「えっと、これは?」
「いつも徹夜してるみたいだから、夜食。パンはバイト先ので賞味期限すぐだから」
「おにぎりは?」
「それは……今作ってきた」
悠里は俯いたまま顔を赤くしている。手作りおにぎりを差し入れするなんてらしくないことをしていると思っているのだろうか。
「ありがとう。すげーうれしい」
「ほ、本当に?」
「本当だよ」
「そっか、よかった……」
少し照れくさいムードになってきたのでそれをごまかすように優介はおにぎりを一つ手に取りラップをはがす。
「これ、中身は?」
「ネギトロ」
「おい!」
「うそうそ、昆布だよ。もう一つはシャケ」
「あのな……」とぼやきつつもおにぎりを口にする。米の一粒一粒に温かさを感じるのは炊き立てだとか炊飯器の性能がいいとかそういう理由ではなく、悠里が優介のことを気遣ってくれているからだ。
「どう?」
「やばい、泣きそう」
「え、うそ!?塩つけすぎた!?」
「そうじゃなくて」
口のなかの米を飲み込んで、続きを話す。
「悠里の気持ちが、うれしくて」
「すごい恥ずかしいこと言ってるけど、酔ってる?」
「おい!人の素直な気持ちをなんだと……」
優介の言葉を遮るように悠里は咳払いする。
「どういたしまして」
「今度、お礼するから。醤油でも味噌でも」
すると悠里はおおきくため息を吐く。
「桜井の中では私って醤油女子なの?」
「だって、俺たちの間だといつも貸し借りはそういうのだろ?」
「なにそれ、ばっかじゃないの」
実際金銭面でも悠里にとって自分の食べないおにぎりは多少とはいえ痛手だろうし。そう思っての言葉だったが、悠里は憤慨している。
「じゃあ何ならいいんだよ?」
「賞」
「え?」
「小説で賞とってくれたら、おにぎりなんて一生作ってあげるから」
またもプロポーズめいた発言だが、優介が気にしたのはその部分ではなかった。
「賞か……」
テーブルの上のチラシを見る。この公募企画で銅賞以上を取れれば、賞金の他に雑誌に掲載されるチャンスが手に入る。とはいってもそれは容易なことではない、この企画に応募する人なんてそれこそごまんといるわけだし、けして広き門ではないのだ。
「私のおにぎりが食べたくないの?」
隆盛だったら「なにそれ、なんかエロい!」とかいうのだろうか。
「……そうだな。これ一回きりだともったいない気がするし。応募する以上もとよりそのつもりだったわけだしな」
「でしょ。だから頑張って……ううん一緒に頑張ろうだね」
「ああ」
「それって結果いつ出るの?」
「締切が今月中旬で、発表は7月の頭。賞がとれれば雑誌に掲載されて、出版社から連絡がくるらしい」
「そっか」
「そっちは?大会って7月のいつ?」
「月末から。勝ち進めば夏休みも半分くらい」
「そっか。結構長いんだな」
「ううん。案外あっという間だよ」
そこまで言うと悠里は立ち上がる。
「そろそろ帰るね。あんまり居座ると桜井も執筆できないだろうし」
「悪いな、気を使わせちゃって」
「いいのいいの。でも……」
「でも?」
「明日、部屋片付けに来てもいい?さすがに汚いと思う」
「それくらい自分で……」
「できてないからこのありさまなんでしょ」
以前、自分も麻耶に同じことを言ったことを思い出した。あの時はこんなに散らかるなんておかしいと思っていたが、いざ自分の身になってみると結構わかるものだ。
「それじゃあ、お願いします」
「素直でよろしい」
玄関まで悠里を見送る。
「それじゃあ、また明日ね」
「ああ、また明日」
悠里はひらひらと手を振って自室へと戻っていった。
「さて、続きやるか」