隆盛が帰ってしまった後、102号室の玄関先には重い空気が漂っている、様に感じた。望は俯いたまま何も言わない。優介も状況がさっぱり分からない。ただ一つ何となくわかったことは隆盛と望になにか繋がりがあるということ。
「と、とりあえず立ち話もなんなので上がってください」
「うん……」
望の声にはいつもの元気が微塵も感じられない。隆盛と会ったことがそれほどまでにショックだったということだろうか。
望みを部屋にあげると、座布団を差し出し座ってもらう。流しにあるコップを洗いお茶をついで望の前ににだす。
「えっと……」
目の前で友人と先輩があんなことになっていた以上そのまま帰すのはなんだか悪い気がした。とはいえ本人が話したくないことならそれ以上は追及できない。それゆえにどうやって話をきりだせばいいか分からずにいた。
「へんなとこみせちゃってごめんね」
望がゆっくりと頭をさげる。
「いや、たまたまですしそんなに気にしなくても……」
そこで会話は止まってしまう。まるで初対面で相席しているかのようだ。なにか喋らなくてはと必死に模索するが、口からでたのは結局さっきのことについてだった。
「隆盛と知り合いだったんですね」
あまり良い会話の選択でないことぐらいはわかっているが、この状況でまったく関係ない話をしたところで好転する訳でもない。
「知り合いっていうか……」
意外にも望は素直に話してくれるようだ。だが、その後に続く言葉は衝撃的なものだった。
「モトカレ……なんだ」
モトカレ。元彼。すなわちそれは以前恋仲だったということだ。そこまでたどり着くのには数秒を労した。
「え、ええええええええ!?」
「そんなに驚く?」
「い、いや、だって隆盛ですよ!?あの隆盛が元彼だなんて……」
「ありえないでしょ」と続ける前に十分「ありえる」話だと思った。隆盛と望がどこか似ていると感じたことはかなりあったし、隆盛は浪人生だったのだから年齢は望とタメだ。それになにより望はバスケをやっていて中学の時は全国の常連だったと聞いたし、隆盛が以前言っていた友人の像と重なるところがある。
「昔から家が近くて、幼稚園も小学校も中学も同じだったの」
望は優介の反応は特に気にせずに話を続ける。
「小学校の時は一緒にバスケのクラブに入ってて、毎日一緒に練習してた」
やはり隆盛の言っていた友人とは望で間違いないようだ。それにしたってこんなミラクルがおこりえるのだろうか。いろいろ疑問はあるが取り合えず続きを聞くことにした。
「あいつはバスケだけじゃなくて他のスポーツも、学校の勉強もそつなくこなしてて、周りからは天才だって言われてて、そんなあいつと唯一私が渡り合えたのがバスケだったの」
渡り合えた、と望は言っているが隆盛にとっては望はそれ以上の相手で、ついていけなくなったと言っていた。周りが言う天才というのも隆盛自身はどう思っていたのだろうか。
「なのにあいつ、途中でバスケやめちゃったの。中学からはサッカーやってた。私、なんでかわからなくて何度も聞いたんだけどまともに答えてくれなくて……」
それは隆盛が望の才能に押しつぶされた結果選んだ道。それが原因でサッカーもやめてしまった。
「でも、私はあいつと一緒にバスケがしたくて、その思いがいつの間にか好きって気持ちになってた」
望は相変わらず俯いたままだ。
「それで、中一の時に告白したら向こうも好きだって言ってくれて、付き合い始めたの」
あの隆盛が人に『好き』だなんて言うところをどうやっても想像できない。だが事実だ。
「でも、中学卒業して、高校で進路別々になってから、あいつは一人ぐらし始めて、だんだん会うことも連絡取ることもなくなって、気付いたら別れてた」
一人暮らしを始めたのはおそらく望と距離を置くため。中学でもバスケをする望を恋人として見ていたのならきっと思うところがあったのだろう。だから、進路選択でそれをリセットしようとした。
「でも、同じ大学に通ってるのに今日まで話しもしないってありえますか?」
それが最大の疑問だ。いくら敷地が広かろうと廊下ですれ違うことくらいあるだろうし、学科交流会では同じ空間にいたのだから互いを認知くらいはしていたはずだ。
「私は何度か話そうとしたよ。でもあいつはいつも見えないふり、聞こえないふりで、一年経つころには私も話しかけられなくなっちゃって、見てるだけだったの」
そういえば望と会った時、彼女が優介を知っていた理由を聞いたときなにか言いかけていた。あれはきっと隆盛と一緒にいたから知っていたと言いたかったのだろう。
「ごめん。こんな話聞いても困るだけだよね」
「……」
優介には何も言えなかった。
「私、帰るね。これ、返さなくていいから」
望は『月末のバルコニー』をテーブルに置いて立ちあがった。
「先輩……」
部屋を出ていく望を見送ることしかできなかった。
正直に言えばなんとかしてやりたいという気持ちはある。知ってしまった以上見て見ぬふりもしっくりこない。だからといって何が出来るというのだろうか。これは隆盛と望の問題であって優介が何をしたって余計なお世話でしかない。
「だからって、どうしたもんかね」
考えたところでどうしようもない。だが、考えずにはいられなかった。
***
翌日。天気は晴れ。隆盛と望の一件があったことなんてなかったかのように日付は変わってしまった。ただ一人、優介をのぞいては。
「どうしたもんかね……」
そんなセリフを昨日の夜からずっと言っているような気がする。せっかく小説を書きあげたというのに結局昨日も満足に寝ることは出来なかった。とはいっても流石に眠さがピークに達しているので優介は講義をサボり、外の広場のベンチに横になっていた。しかし、いくら眠ろうとしても昨日の望の話がちらついてまったく眠れない。予期せずに知ってしまった隆盛の過去。その隆盛と付き合っていた望。隆盛本人から聞いていた話しの数倍は重い真実がそこにはあった。
「はあ……」
深いため息を吐く。
「幸せ、逃げるよ」
「っ!?」
突然投げかけられた言葉にびっくりして起き上がる。が、その瞬間頭部に強いショックを受けた。なにか堅いものにぶつかったようだ。
「痛っ!?」
思わず声に出して痛がる。
「それ、こっちのセリフだから!」
頭をさすりながら声のほうを見ると、同じく頭さする悠里がいた。どうやら急に起き上がった優介を回避できず頭同士がぶつかってしまったようだ。
「ご、ごめん!大丈夫か?」
「痛みを感じてるってことは大丈夫かな」
「流石に即死級の頭突きなんて出来ないからな!」
勢いよくツッコミをいれる。
「隣、座ってもいい?」
「え?ああ、どうぞ」
いまだ消えない頭痛をこらえながらベンチを半分開ける。
「てか講義は?この時間入れてなかった?」
その言葉に悠里は呆れたような表情をする。
「それ、ブーメランになってるよ」
「うぐっ」
「私は休講だっただけ」
「そ、そうか」
すると悠里はこちらの顔をのぞきこんでくる。
「な、なんだよ?」
「また何か悩んでるでしょ」
「そ、そんなことは」
「あるでしょ。言ったじゃん、桜井のことはわかるって」
「俺の感情ってそんなに露骨なの?」
「まあ、手島に比べたらかなり」
隆盛の名前を聞いて思わず動揺してしまい、少し目が泳いでしまう。当然悠里がそれに気付かないはずもない。
「手島のことなんだ」
「いや、それは……」
「すぐに違うって言わない時点で肯定も同じだよ?」
その言葉に相変わらず悠里には敵わないと思い苦笑する。だが、いくら悠里だとしても勝手に望たちの話をするわけにもいかない。それに知ってしまえば悠里だって気にしてしまうだろう。来月に大会の控えている悠里の集中力をそいでしまうことになりかねない。
「別に大したことじゃないって」
「それならあんなため息つかないでしょ」
どうやっても逃れることができない。
「じゃあいいよ、手島本人に聞くから」
「ちょ、ちょっと待て!それは……」
流石にそれを隆盛に聞かれるとよろしくない。あの場にいたのは優介と望と隆盛だけなのだからどうやっても優介から話が漏れたことがバレてしまう。
「じゃあ教えてよ」
「大会前に邪魔できないって」
「このままの方が気になって集中できない」
「お前……卑怯だぞ」
だがそう言われては教えざるをえない。あまり気は進まなかったが優介は昨日の事を悠里に話した。
「……というわけだ」
全てを話し終えてから悠里の反応を見る。てっきり優介同様騒ぎ立てるとばかり思っていたが、悠里の表情は冷静そのものだった。
「なるほどね……」
唐突に悠里が呟く。
「なるほどって?」
「一年の頃初めて手島と話した時、真っ先にバスケ部だよねって聞いてきたの」
「そんなことがあったのか」
つまり、隆盛はバスケ部を、望を気にかけていたということだろう。大会の時期を知っていたのもそれが理由だったのだ。
「ねえ桜井、私、ふたりがこのままなのは嫌だな……」
「そりゃ俺だって嫌だけど……」
嫌なのは確かだが、何をどうすれば解決するのだろうか。
「でも、どうにかしてあげたいんでしょ?」
「……本当にお見通しなんだな」
「これでも1年以上友達やってるからね」
「なんだよそれ」
思わず二人とも笑ってしまう。たったそれだけの事だが、優介の背中を押すのには十分だった。
「なにができるかわかんないけど、俺らに出来ることをしてみよう。悠里、協力してくれないか?」
「最初からそのつもりだって」
「やってみなきゃわからない」そう自分に言ってくれた友人の為に精一杯のおせっかいをしてやろう。