7月半ば、定期試験も終わり深奥大学の学生には2か月ほどの夏休みが訪れていた。だが、優介は夏休みに浮かれるわけでもなくむしろ沈んでいた。この前の一件以来、麻耶との接触は一切なくなっていた。鍵があるのだから無理やり会おうと思えば会えないこともないが、そんなことをしても状況は悪化するだけだ。そんな状況で挑んだ定期試験はボロボロだった。一応出席点や平常点もあるので単位を落とすことはないだろうが、それでも評価は低いだろう。そんな風に落ち込んでいる暇もなく、優介の前には次の問題が立ちはだかっていた。
そう、隆盛と望の事だ。
『明日、キャプテンは大丈夫だって』
悠里からのラインは昨日送られてきたもので、それから会う場所などをセッティングした。とはいっても、あくまで望と隆盛の二人を会わせるだけで、優介と悠里は近くでこっそり見守ることになっている。優介は最初渋ったのだが望がどうしてもと言うのでやむなしという具合だ。
約束は午後一時。近所の喫茶店だ。さびれた店で、客もあまりいないので気兼ねなく話せるだろうという悠里の提案だ。客があまりいないというのはスニーキングには大問題な気もするが、幸い店自体は広いので近づかなければ見つかることはないだろう。
そんなわけで、いいポジションをとるために優介は早めに喫茶店へと足を運んだ。
「いらっしゃいませ。一名様ですか?」
「ええと、待ち合わせしてるんですけど……」
店員の言葉に答えるのと同時に周囲を見渡す。先に来ているはずの悠里を探しているのだが、どこにも見当たらない。店内にいるのは新聞を読んでいる男性と制服を着た女子高生だけだ。どうしたものかと困っていると、一人、こちらに手を振る人物がいた。
「おいおいまじか……」
半ばあきれながらもその人物へと近づく。
「スニーキングミッションじゃなくてコスプレ大会だとは思わなかった」
制服の女子高生、もとい制服を着た天草悠里は顔を真っ赤にしている。
「だ、だって!見つかったらまずいから変装しようと思って、友達に相談したらこれなら絶対ばれないって……」
「まあ、たしかにわからなかったけどさ」
だからといってそこまでするのは流石に大げさではないだろうか。
「桜井こそ、何よその格好!少しは忍びなさいよ!」
「ドーモ、アマクサ=サン」
「は?なにそれ?」
「なんでもないです……」
とりあえず悠里の向かい側に座りコーヒーを注文する。コーヒーを待っている間、特にすることもなく店内を見回していたがそれも長くは続かないので目の前の悠里に視線を向ける。着ているのはどこにでもありそうな普通の制服の夏服。友達のサイズが小さかったようで、胸のあたりが窮屈そうにみえる。
「あんまり見ないでよ」
「目の前に座っておいてそれは理不尽だろ」
「最初に座ってたのは私だよ」
「わかったよ。あんまり見ないようにする」
仕方なく、壁に貼られているメニューを眺める。
「桜井、なんかあった?」
この質問ももう何回目だろうか。
「別に、何もないよ」
「何もないのに狭霧さんはどうして塞ぎ込んでるのかな?」
「っ!」
思わず表情が強張ってしまう。そういえば悠里は定期的に麻耶の部屋を掃除しているのだから、麻耶に何かあればすぐに分かるだろう。
「インターホン押しても返事ないし、メールも返ってこないし。となると桜井と何かあったんじゃないかなって」
「……」
「なんか言ってよ」
言えと言われてもなんといえばいいのだろうか。とてもじゃないが短時間で話せる内容でもないし、麻耶に拒絶されたということを他人に言うのは気が引けた。
「言いたくないならいいけど」
「すまん」
「でも、私は桜井の味方だってことは覚えといてね」
「なあ」
「なに?」
「なんで、悠里はそこまで俺を気遣ってくれるんだ?」
何の気なしに聞いたのだが、悠里は再び顔を真っ赤にする。
「そ、それは……べ、別に特別な意味とかはなくて……そ、そう!醤油の恩があるから!」「醤油のお返しなら毎回貰ってるから、別にいいのに」
「と、とにかく!私がしたくてやってるから別にいいの!」
「理由になってないだろ」と言おうとした矢先、店の扉が開く。とっさに会話を止め、様子を伺うとやってきたのは望だった。いつもの元気な様子からは考えられないような神妙な顔で少し離れた席に座った。
「やっぱり、元気ないんだな」
二人の再会以降、望の状況は悠里を介して聞いただけで実際にあってはいなかった。やはり、隆盛にはっきりと拒絶されたことがショックだったようだ。その隆盛とこれから会うのだから元気でなんていられるはずもない。
「キャプテン……」
悠里も心配そうに望の方を見る。それを見てなにか気の利いた言葉をかけようと考えていたが、その直後に隆盛が店に入ってきた。なるべく目立たないようにこっそりとそちらを見てみると、隆盛の表情もいつもより神妙だった。隆盛は店内を見渡し、望を見つけるとそちらへ近づいて行った。望それに気づいたらしく顔を上げる。
「よう、待ったか?」
隆盛はいつも優介たちと話すような自然な口調で話しかける。運がよかったのか優介たちの席からも二人の会話は聞こえるようだ。
「ううん、私も今来たから」
望もいつも通りの表情を見せるが、二人がそれを装っているだけなのははたから見ても分かり切っている。
「とりあえずなんか頼むか」
「そうだね」
隆盛は店員を呼び適当に注文する。店員が去っていくと早速沈黙が訪れる。望は前髪をいじりながら隆盛の様子を伺っているが当の隆盛は窓の外を眺めているだけだ。
「手島のやつなにやってんのよ……」
落ち着かないのか悠里はスプーンでコーヒーをかき回している。
「あ、あのさ」
「変わらないな」
望がやっと話しかけた矢先隆盛がそれにかぶせてきた。
「え?」
「緊張すると前髪いじる癖、昔もそうだったろ」
見ていないようで見ていたようだ。しかし隆盛が自分から昔の話題を持ち出したのは意外だった。てっきり昔の事は地雷だと思っていたがそうでもないようだ。
「隆盛も都合が悪いと相手の方見ないのは変わってないね」
「そりゃ今この状況は最高に都合が悪いからな」
隆盛は自嘲的な笑みを浮かべる。
「とりあえず、久しぶり。元気だったか?」
「久しぶりって、私は何度か話しかけたんだけどな」
「そうだな。でも毎回俺が返事しようとしたら逃げたのはお前だろ」
望から聞いていた話しと幾分か違うが望否定しないということは事実なのだろうか。
「それは……急用を思い出して」
「毎日急用とはかなり充実した大学生活を送っているようだな」
「も、もう!それはいいもういいじゃん!」
レスバトルは隆盛の勝利の様だ。ちょうどそのタイミングで店員がコーヒーを運んできた。それを一口飲むと、再び沈黙が訪れる。
「それで?いまさら俺と会って何を話したかったんだ?」
隆盛が本題に入る。そういえば優介も望が何を話したいのかは聞いていなかった。
「私、今度バスケの大会があるんだ」
「らしいな」
「だから、その、隆盛に見に来てほしい」
「……」
「隆盛、今部活やってないんでしょ?でも、それってやっぱりもったいないよ。だから、私の試合を見てもう一度バスケの面白さを思い出してほしい。隆盛だったら今からもう一度始めても絶対できるよ」
それが望の言いたかったことだったのだ。当時天才と言われていた隆盛を見ていたからこそ、彼がその才能を腐らせているのが我慢できなかった。
「……悪いけど」
だが、隆盛からしたらそんなものは望の勘違いでしかない。本当に才能があるのは望の方で、自分には限界がある、凡庸な「そこそこできる」だけのただの凡人なのだと知っているから。そんな二人の会話に優介はどこか今の自分と麻耶を重ねていた。圧倒的な才能には何人たりとも勝つことはできない。それどころか同じ風景を見ることすら叶わない。
「なんで?昔はあんなに楽しくバスケやってたじゃん」
「昔の事だろ」
「どうしてバスケ嫌いになっちゃったの?」
「っ!」
隆盛の表情が変わる。苦しそうで、それでいてどこか苛立っているような表情。それはこないだの自分を見ているようで優介は胸が締め付けられるような気がした。
「望、俺はバスケが嫌いになったからやめた訳じゃない」
「え……?」
「俺は、お前が嫌いだからバスケをやめたんだ」
まさか隆盛がそんなことを言うとは思っていなかったので優介はコーヒーでむせてしまう。だが、それさえも二人には聞こえていないようだ。
「隆盛、何言ってるの……?」
「言葉通りだ。俺はお前が嫌いだからバスケをやめた。だから、もう俺の事は忘れろ。俺たちの関係はもう終わってるんだ」
隆盛の口調は落ち着きはらっている。それでも、声にはどこか熱がこもっているように感じた。
「だって……じゃああの時好きって言ったのは?」
中学の時、望は隆盛に告白して、付き合うことになった。だから少なくとも嫌いだなんて言われるとは想定していなかったのだろう。
「あれはただの嘘だ。俺はお前を好きだと思った事はない」
それは明らかな嘘だった。隆盛はわざと望を突き放している。それは望が隆盛との過去に縛られているから。だから自分への想いを断ち切らせようと思っているのだ。
「そんな……そんなのウソだ……」
望の声は震えている。目には涙を浮かべている。
「そういうことだから」
そういいのこして隆盛は席を立つ。ポケットから財布を取り出し、千円札を置いて店を出ていく。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」
悠里が席を立ちあがり隆盛を追って店を出る。
「お、おい悠里!」
優介も急いで支払いを済ませ後を追う。店を出た瞬間、先に出た悠里の背中にぶつかりそうになる。
「お前ら、なにしてんだよ」
隆盛が冷ややかな視線で尋ねてくる。
「い、いやこれはその……」
「ぐ、偶然だね手島」
悠里がかなり無理のある言い訳をする。
「偶然JKのコスプレした知り合いに偶然近所の喫茶店で会ったことあるか?」
「こ、コスプレゆうな!」
「大学生にもなって探偵ごっこか?悪趣味だな」
「あんたこそ、キャプテンにあんな顔させて何とも思わないの!?」
「これは俺たちの問題だ。お前たちには関係ないだろ。それに……」
隆盛は空を仰いでから、聞こえるか聞こえないかくらいの声を吐きだした。
「あいつがいつまでも俺なんかを気にしてていいはずなんてないんだ」
そうして隆盛は優介たちに背を向け去っていく。悠里はまだなにか言っていたが、優介には何も言うことができなかった。何かを言ったとしても、それは隆盛には届かない気がしたから。
***
「ほんと、どうしたもんかね……」
夏休みというのは誰しも楽しく過ごせる夢の期間だと小学生のころから思い込んでいたが、今年の夏休みはまったく楽しめそうにない。麻耶のことも、隆盛達のことも何も解決していない。そんな憂鬱を抱えながら、優介はベッドから天井を眺める。
『ボクの世界から出て行ってよ!』
ぼーっとしているとあの時の麻耶の声や表情がフラッシュバックする。今まではっきりと誰かに拒絶されることなんてなかった。そもそも誰かと喧嘩することがほとんどなかった。友達の頼みや遊びの誘いはほとんど受け入れていたし、家族とも大きくもめたことは無い。それが普通だと思っていたから。だからこそ、麻耶からの拒絶は優介にとって大きなダメージになっていた。
「ああもう!」
頭の中に浮かぶ感情を振り払い起き上がる。すると今度は隆盛の事を考えてしまう。
『あいつがいつまでも俺なんかを気にしてていいはずなんてないんだ』
あれが本心じゃないことなんて分かり切っていることだ。だからこそ隆盛をしっかり説得すれば何とかなったかもしれない。それをしなかったのは自分が偉そうに何かを言えるような立場じゃないと思ったからだ。隆盛に言おうとした言葉は全て自分に跳ね返ってくるような気がしたから。
「なんか……静かだな」
春先は来客でにぎわっていた自室も、今は優介一人。隆盛も悠里も望も、そして麻耶もいない。そもそも彼ら彼女らを積極的に招いたわけではない。流れやノリやちょっとした事情で結果的に優介の部屋に来ていただけ。だから、何もなければ誰かが来るわけでもない。それが普通だ。普通だが、優介にはそれを普通だと認識することができなくなっていた。
今、春先に戻れるとしたらもっと上手くやれていただろうか。麻耶も望も傷つかず、隆盛や悠里が笑顔でいられる日常を手に入れられただろうか。
「そもそも、俺のせいなんだよな……」
隆盛が望と再会したのも、麻耶と出会い彼女の過去を知ったのも結局は優介の存在があったからだ。だからこそ、自分にはみんなの関係をなんとかしなければならないという責任感に苛まれている。
『桜井がどうしたいかじゃないの?』
ふと、以前悠里と話したことを思い出した。小説を書くか迷っていた時言われたその言葉を脳内でリピートする。
「俺は、どうしたいんだろ」
関係の修復、みんなの為に、そんな上っ面の事が欲しいわけじゃない。優介の望みはただ一つ。取り戻したい。誰かの為じゃない、自分の為に。またみんなで遊んだり話したり、そんな普通の時間をもう一度過ごしたい。小説もバスケも才能も関係ない、ごくごく普通な日常。それが桜井優介がずっと大事にしていたものなのだから。
「よし」
それならば行動あるのみ。何から手をつけるかはもう決まっていた。