12月。学祭の熱気などまるで無かったかのように時間は流れて行く。桜井優介の生活はいつもと変わらない。朝起きて、勝手にやってくる隆盛と雑談しながら支度をして学校へ行き、昼まで講義を受ける。昼休みには学食でネギなしの月見うどんを食べ、また講義を受ける。講義が終われば図書館で課題をやったりひいらぎ書店で本を漁る。そして帰ってくると小説を書く。
手島隆盛は相変わらず講義中はほとんど寝ている。それでもスポーツカウンセラーに関する講義は真面目に受けているらしく、先日掲示板に張られたテスト結果では上位に名を残していた。望とはほどほどに進展しているらしく、今年のクリスマスは一緒に過ごすらしい。
その高坂望はといえば春の大会に向けてバスケの練習に勤しんでいる。たまに隆盛と図書館で勉強しているのを見るが、勉強というよりは単にイチャついているようにしか見えない。
天草悠里は、バスケ部の次期キャプテン候補としてバスケに打ち込んでいる。1年生からの信頼も厚く、とても頼りにされているそうだ。今年のクリスマスはバスケ部のメンバーとパーティーをするらしい。
そんな当たり前の様な、普通の生活を各々が送っている。
ただ一つ、彼女がいないことを除いては……。
「うん。大分良くなりましたね。このプロット通りに進めて行きましょう」
道路にも雪が積もり、すっかり冬らしくなったある土曜日。優介は近所の喫茶店で津田と打ち合わせをしていた。内容は以前津田から紹介された公募企画に出す小説について。ある程度評価はされていたものの、実際に津田に見てもらうとかなり駄目出しをされた。それを2カ月近く繰り返し、今日に至る。
「ありがとうございます!」
「いえいえ。こちらこそ今までかなり辛辣に評価してしまってすみません」
「そんな、凄く勉強になりましたから……」
「それはよかったです」
津田は微笑む。ふと、視線を外に向けるとパラパラと雪が降り出していた。
「もうすぐクリスマスですね。桜井さんはなにかご予定は?」
「……津田さん、それ、かなりえぐいです」
「あっはっは。すみません。そうですよね、ここのところずっと私との打ち合わせで予定なんて立てる暇ありませんでしたよね」
そもそも暇があっても予定が立った保証はどこにもないが、優介は苦笑いで返した。
「そういえば桜井さん、これ知ってますか?」
津田がテーブルに一枚のチラシを置く。そこには『森ヒキ子先生が送る 引きこもりファンタジー! 引きこもりの異世界放浪記1月25日発売予定!』と大きく書かれていた。
「これって……」
「桜井さんもご存じみたいですね。そう、とある小説投稿サイトで掲載されていた小説です。今まで頑なに書籍化を断ってきた作者さんがやっとその気になったそうです」
それを見て優介は頬が緩むのを感じた。理由は、分かり切っている。
「それじゃあ、今日の打ち合わせはここまでにしましょうか。原稿が完成したらメールしてください」
「はい!ありがとうございました。今後もよろしくお願いします!」
津田と別れ、ハイツ諏訪部に戻ると、出かけようとしている蘭子に出会った。
「あ、大家さん。こんにちは」
「こんにちは桜井君」
「どこかお出かけですか?」
「あ、はい。ちょっと買物に……」
「そうですか、お気をつけて」
そこで優介は蘭子に用事があるのを思い出した。ポケットからあるものを取り出す。
「大家さん、これ返します」
優介が差し出したのは古ぼけた鍵。それはハイツ諏訪部101号室のマスターキーだった。
「桜井君……」
「あいつがいないのに俺がこれを持ってる意味もないですし」
「そうですね、それじゃあ……」
鍵を受け取ろうとした蘭子が手を引っ込める。
「大家さん?」
「実は、101号室の窓の建てつけが悪いんです。ちょっと見てもらってもいいですか?」
「え?いや、俺よりも業者を呼んだ方が……」
「それじゃあ、お願いしますね桜井君」
「え、ちょ、ちょっと!」
優介の返事も聞かずに蘭子はさっさと行ってしまった。後に残された優介の手には、まだマスターキーが残ったままだ。
「大家さんって基本優しいけど人使い荒いよな……」
ぼやきつつも101号室の鍵を開け、ドアノブをひねる。最初にこの部屋に入ったのは4月。あの時は自分がこんなに小説に打ち込むとは思ってもいなかった。最後に入ったのは10月。あの時は彼女がいなくなるという現実を受け入れることができなかった。
「すっかり別の部屋だな……」
そして今は。何度瞬きしてもその光景は変わらない。まるで彼女が、彼女と過ごした時間が無かったことのように部屋には何もない。
「この棚にたくさん本が入ってたんだよな」
玄関横の棚を開く。あの時、ここを開いていなければ優介の今はまったく違っていたかもしれない。
「そんで、ここで鍋したんだよな」
備え付けのテーブルを撫でると、手にほこりがついた。
「あいつの作るオムライス、美味かったな」
キッチンのコンロには何か焦げた跡がある。
「って、それより窓だっけ」
部屋の奥に位置している窓へ近づき、開こうとするが、予想以上に建てつけが悪い。これは優介にはどうしようもない。業者を呼ぶべきだろう。
「まあ、そうだよな」
しかし、謎の意地でもう一度開けようと試みる。すると、何のミラクルか突然窓が大きく開いた。外から冬の風が入り込んでくる。
「うおっ、さぶっ!」
慌てて窓を閉める。すると、何かが足に当たっていることに気付いた。
「なにこれ、写真?」
足元からその写真を拾い上げる。
その写真に写っているのはたいやきを片手に持った麻耶とトラの着ぐるみを着て慌てた表情をしている優介だった。
「ああ、あの時の……」
写真の日付は10月27日。学祭の日だ。
「それにしても俺、なんて顔してんだよ……」
自然と笑みがこぼれることに、優介は気付いていなかった。
次回で最終回となります。