7月29日。季節は夏真っただ中で時折外からランニングする運動部らしき声が聞こえてくる。それが聞こえるくらい窓を大きく開けているが、ハイツ諏訪部101号室はうだるような暑さだ。そんな中、優介は額の汗をぬぐい、ベッドの上の麻耶に話しかける。
「ほら、麻耶。早く挟んでくれよ」
その呼びかけに麻耶がゆっくりと体を起こし、こちらを向く。
「いやだよ……これ挟んだら次は飲まなきゃけないんでしょ?」
「あのなぁ……俺だって意地悪で飲ませようとしてるわけじゃないんだぞ?お前の為なんだからな?」
しかし麻耶は首を横に振る。その頬はほんのり赤くなっている。
「だって……苦いでしょそれ」
「良薬は口に苦しって言うだろ?」
「そんなに飲んでほしいの?」
拉致が空かないと思い優介は立ち上がる。
「いつまでも駄々をこねるな!早く体温計挟んで薬を飲め!このやりとりだけで一日終わっちゃうだろ!」
悠里と望の大会の後、雨の中麻耶を探していたあの日、優介が車にはねられ検査入院した後に、ハイツ諏訪部に戻ってみると麻耶は風邪で寝込んでいた。雨の中傘もささずに歩いていたのだからある意味当然の結果ともいえるが。
そして問題はその後。麻耶は人ごみが嫌だと言う理由で病院を拒み、自宅療養することになってしまった。だが、悠里と望は全国大会の遠征で留守、隆盛は夏休みの集中講義で毎日学校、蘭子もなにかしら忙しそうにしており手が空いているのは優介しかいなかった。なのでこうして毎日麻耶の看病をしているのだ。
「何でこんなことに……」
優介が嘆いているとちょうど体温計が鳴った。
「はい優介。何度?」
「渡す前に自分で確認してくれるかな!」
ツッコミつつ体温計を受け取る。
「38度2分か……まだ結構あるな」
体温計をケースにしまい、机の上のコップを麻耶に渡す。
「ほら、薬のめって」
「嫌だ!それ苦いんだもん!」
「病院で処方された薬なら苦くないのにお前が市販の薬を選んだんだろうが!」
「うう……わかったよ、飲むよ」
麻耶はしぶしぶ薬を飲む。その間に優介はタオルを水道で濡らし、ギュッと絞る。
「飲んだよ」
「はいはい、よくできました」
「優介、バカにしてるの?」
「バカは風邪引かないだろ」
「それもそうだね」
「ほら、これで体ふけよ」
麻耶にタオルをわたし、部屋を出ようとする。
「優介、どこ行くの?」
「お前が体拭き終わるまで外にいるから、声かけてくれ」
「え、優介が拭いてくれるんじゃないの?」
「俺が拭いたらいろいろアウトだろうが!」
麻耶のトンデモ発言に慌ててツッコミを入れる。
「だって優介が看病するって言ったんじゃん。。中途半端はだめだよ」
「正気か!よく考えてみろ、俺がお前の服を脱がせて拭くんだぞ?ほら、いろんなところが丸見えになってもうアウトだろ!」
「優介のエッチ」
「お前が言うか!この痴女!」
「でも、嫌って言わないってことは、見たいんでしょ?ボクの恥ずかしい姿を」
思わずパジャマを脱いだ麻耶の姿を想像してしまう。
「あ、今想像したでしょ」
「し、してないぞ。そんな邪な感情は一切ない」
「そっか……」
なぜか麻耶がしょんぼりする。これは少し言いすぎただろうか。
「い、いや、別に麻耶に魅力が無いとかじゃなくて!俺はただ清く健全な心でだな!」
「あはは、冗談だよ。何そんなに慌ててるのさ」
「勘弁してくれ……」
その後、今度こそ部屋を出ると携帯が鳴った。画面を見ると、悠里からの電話だった。
「もしもし?」
『あ、桜井。今大丈夫だった?』
「ああ、大丈夫。そっちこそ、今日の試合はどうだったんだ?」
『ばっちり勝ったよ。もうキャプテンが大活躍でさ~』
どうやら望ももう大丈夫なようだ。隆盛とちゃんと仲直りできたことが想像以上に力になっているのだろう。
『ところで、狭霧さんの調子はどう?』
悠里が心配そうに聞いてくる。
「まだ熱が引かなくてさ。やっぱり素人の看病と市販の薬じゃ効果薄いみたいだよ」
ありのままの現状を伝える。とはいっても、遠くへ遠征している悠里に何か期待しているわけでもないが。
『狭霧さんは今何してるの?』
「ん?ああ、体拭いてるけど」
『は、はあ!』
またありのままの現状を話したのだが、悠里は何やら声を荒げている。
「どうしたんだよ?急に大声出して」
『どうしたじゃないわよ!え、桜井今(狭霧さんの)前にいるんだよね!?』
「え、ああまあ、(ドアの)前にいるけど」
『なに平然としてるのよ!このクズ!バカ!桜井優介!』
何故かものすごい勢いで罵倒されてしまう。
「なんだよそれ……」
『そ、それで(裸を)見てるの?』
「うん?(壁を)見てるけど?」
『この最低男!』
「なんだよ、壁見てるだけだぞ?」
『か、壁って……確かにそんなに大きくは無いけど……そういうこというんだ、へえ!』
「お前、なにをそんなに怒って……」
そこで優介は自分たちがエグイ具合のアンジャッシュをしていることに気付いた。
「お、おいまて悠里!お前何か勘違いを……」
『この変態!見損なったわ、桜井のバカ!』
そこで電話は切れてしまった。
「これは……あとでちゃんと説明しないと俺が社会的に死ぬな……」
想像し得る最悪の結末に身ぶるいしながら携帯をポケットにしまう。
「優介―!終わったよー」
部屋から麻耶の声がしたので部屋へ戻る。
「少しはすっきりしたか?」
「うん。ちょっと眠くなってきたよ」
「そっか。じゃあゆっくり寝るといいよ。俺、自分の部屋にいるから起きたらメールでもしてくれ」
そう告げて立ち上がろうとしたところ麻耶が手をひっぱってきた。
「どうした?」
「その……あの……えっと」
麻耶の顔が赤いように感じるのは熱によるものだけでは無い気がする。
「なんだよ?」
「ボクが寝るまで、近くにいてほしいな」
全く、もっと大胆な事をサラリと言うくせにこういうところで照れるのはどういう基準なのだろうか。
「わかったよ。ここに座ってればいいか?」
「うん。ありがとう。後……」
「ん?」
「手を……握っててほしいな」
「!?」
いきなりの発言に声も出ない程に驚いてしまったが、麻耶のうるんだ瞳が優介に断るという選択肢を奪い去っていた。
「わ、わかったよ。その代わり手汗きもいとか言うなよ?」
「あはは、優介って変なところ気にするよね」
「う、うるさい」
緊張しながら麻耶の左手を右手で触る。すべすべしてとてもあたたかい感触だった。
「ねえ、寝るまで何か話してよ」
「いいから早く寝なさい」
「面白い話題が無いんだ」
「うぐっ」
「じゃあ、優介の書きたいと思ってる小説について話してよ」
「ま、まあ、それくらいならネタはあるけど。ちゃんと寝る努力をしろよ?」
「はーい」
それから20分ほど、今度書こうと思っている小説について話していたが、麻耶がスヤスヤと寝息を立て始めたところで優介は自室に戻った。
***
優介がゲームをしたり小説を呼んでいる間に時間は流れてゆき、空が紅くなってきた。
「そろそろ麻耶の様子見てくるか」
そう思い立ち上がるのと同時にインターホンが鳴った。
ドアを開けると立っていたのは隆盛だった。
「よっ」
「おう。お疲れ様。集中講義はどんな感じ?」
「テキストが分厚くて良い枕になったな」
「おい!」
「冗談だって。かなり勉強になってるよ。実際に自分が体験したことと似たような事例とかあってさ」
「そっか。単位はとれそうか?」
「余裕だな」
その自信はどこから来るのか。はなはだ疑問だが、隆盛はできないことを「できる」とは言わないのは知っているので特にツッコムむことはしなかった。
「狭霧ちゃん、調子どうだ?」
「まだ高熱だ」
「あらら、これは長くなりそうだな」
「そうだな……」
「でも優介にとっては看病にかこつけていろいろ出来るからバッチこいか?」
「なにもしとらんわ!」
「体拭いて、とか言われなかったのか?」
実際に言われたので反応につまる。
「お、まじか」
「まじじゃない!未遂だから!」
「ま、それはさておき」
「さておくの!?」
優介の言葉をスル―し、隆盛は鞄からなにか取り出し優介に渡す。どうやらチョコレートのようだ。
「優介一人に任せちまってるからな、お詫びの印だ」
こういう意外なところでしっかりしているのが手島隆盛という人物なのだ。
「お、おう。ありがとう」
「狭霧ちゃんのお見舞いに同じの大家さんに渡しといたから」
「そっか、あいつチョコ結構好きだし喜ぶと思うよ」
「じゃあ、俺はそろそろ帰るわ」
ひらひらと手を振り隆盛は去って行った。
「それにしても、このチョコ結構高い奴じゃなかったか?」
それを二人分とは、さすがバイトしている学生は太っ腹だ。
「……ん?」
何気なしに箱を見てみるとそこには『アルコール2%』と表示されていた。
「……これは、まずいんじゃなかろうか」
あわてて麻耶の部屋のドアを開け中に入る。
「お、おい麻耶!そのチョコ食べるのちょっと待て――――」
「えへへ……なんだか頭がポワポワするよぉ」
時すでに時間切れ。麻耶の手元にはチョコの包み紙が握られていた。完全にアウトだ。
「んふふ、優介ぇ、なんか暑いねえ」
そう言って麻耶はパジャマのボタンをはずしていく。
「お、おい何してんだ!」
慌てて制止しようと麻耶の方へ足をむけたが、その時、運命のいたずらか不思議な事が起こった。優介がしっかり掃除したはずの床にバナナの皮が落ちていたのだ。
「え、ちょ!」
突然のイレギュラーな存在に足をとられ優介は麻耶の方へ突っ込んで行く。ドシン、と大きな音が部屋中に響く。
「ま、麻耶ちゃん!どうしたんですか!?」
ドアの向こうから蘭子の声がする。
「お、大家さんちょっと待って!1時間ぐらいまって!」
しかし、無情にもドアは開いてしまう。
「麻耶ちゃん、だいじょう――」
駆け付けた蘭子の目に移ったのは床に押し倒されている麻耶と押し倒している優介。そして麻耶のパジャマははだけていた。
「大家さん、これはちがくて!」
「ま、麻耶ちゃんが大人の階段を~~!!」
「だからちがうんだって~~~~~~!!」
優介の声は窓を通して夏の空へとこだましたのだった。