ポケットモンスター 夢のカケラを追いかけて   作:からんBit

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女子の部屋に行くのは気恥ずかしい

「それでは、皆さん。ポケモンキャンプの栞を配りますね」

 

教室の中に大きな歓声が響き渡った。

 

「はい、静かにしてください!」

 

先生は立場上そう言ったものの、そんな忠告は無意味であることを知っているかのように苦笑いをした。

教室の中を静まらせるのは無理だと判断した先生は生徒達に栞の束を配っていく。

 

教室内の興奮は栞が配られていくごとに勢いを増し、教室全体にいきわたる頃にはもはや収集不能な程の騒がしさになっていた。

 

「あっ!私、カノコタウイン!!イッシュ地方だよ!」

「僕はカントー地方・・・ハナダシティみたい」

「私ホウエン地方!!ミシロタウン!」

「やったー!カロス地方だ!」

 

栞の中に書かれたポケモンキャンプの行き先を口々に言い合う。

 

ポケモン界から地球界にもたらされた変化は数多くあるが、最も変わったのは小学校の教育プログラムであろう。小学5年生の子供達が1年かけてポケモン界を旅する『地方旅』のカリキュラムもその一つであった。

 

だが、10歳の子供をなんの準備もなしに旅なんかさせられないと言い張る人の多い日本。

そのために導入されたのが、小学4年生から5年生へと至る間の春休みに行われるポケモンキャンプである。『地方旅』に挑むために野宿の方法や危険に陥った時の対処方などをポケモン界であらかじめ学んでおこうという取り組みだ。

 

それは子供達がポケモン界へ踏み出す第一歩であり、そして『地方旅』へ挑むための最初のワンステップなのだ。子供達はそのポケモンキャンプで最初のポケモンをもらい、そしてそのまま各々が希望する地方へと旅立っていく。

 

教室の後ろの方の席でその栞を読み漁る少年、斎藤 拓海。

彼は自分のポケモンキャンプの行き先に目を輝かせていた。

 

「カントー地方・・・マサラタウン」

 

ポケモン博士の権威。オーキド博士の研究所で行うポケモンキャンプ。タクミには既にカントー地方の初心者用ポケモンである3匹の顔が浮かんでいた。

 

ヒトカゲ、ゼニガメ、フシギダネ

 

興奮で掌に滲んだ汗をズボンでぬぐい、タクミは友達とさっそく自分の行き先を教え合う。

 

しばらくざわめきに満ちていた教室であったが、先生は数分程間を置いてようやく静かにさせた。

 

「皆さんも知っての通り。このポケモンキャンプはポケモン界で旅をする『地方旅』のための大事な勉強の場です。毎年、このポケモンキャンプを適当に過ごしたばかりに『地方旅』の途中で倒れて、地球界に強制送還されてしまうトレーナーも多いです。初めてのポケモン界という人もたくさんいるでしょうが、皆さん真面目に取り組むように」

 

先生は口ではそう言うものの、自分の言葉が生徒達の耳に届いていないことがわかっているようだった。

 

「それでは、明日、体育館でポケモンキャンプについての詳しいお話をします。必ず栞を持ってくるように。できれば、今日は机の中に入れて帰るようにしてください。それでは、これで終わりにします。みなさん、さようなら」

 

教室内から「さようなら」の大合唱があがった。

 

だが、放課後になっても子供達の熱気は冷めることはない。むしろ、自由になったことで余計に爆発しているようだった。

 

「あぁ、どうしよ!シンオウ地方だよ。ヒコザル、ポッチャマ、ナエトルか~・・・やっぱりポッチャマかな」

「ねぇねぇ、私、カロス地方なんだけど。最初のポケモンどれがいいと思う!?」

「お前どこ!?イッシュ地方か!ってそうか、お前はもう初心者用ポケモン持ってるんだっけ?誕生日早い奴は羨ましいよな」

 

拓海はしばらく栞を熱心に読んでいたが、ふと何かを思い出したかのように時計を見上げた。

 

「あっ、やばっ……」

 

タクミは慌てて栞をランドセル代わりにしているリュックに詰め込んだ。

人気スポーツメーカーが頑丈さを追求して作った商品で、ポケットが多くて便利ということで購入してもらったリュック。『地方旅』に持っていくつもりで買ったものなのだが、身体に馴染ませる為に日頃から背負うことにしている。

 

「タクミ、もう帰るのか?」

「うん、今日はちょっと急がないと」

「そっか、じゃあ俺も帰ろうっと」

 

タクミの帰宅に合わせるように友人達もそれぞれ荷物を鞄に詰めていく。

彼らの栞は当たり前のようにそれぞれの鞄に収まっていった。

 

昇降口を降り、靴を履き替えて外に出ると穏やかな日差しに出迎えられた。

 

まだ日も高い帰り道。

 

3月に入り、春の足音が聞こえてくるかのように暖かい日が時折訪れる。今日も澄み渡った青空には燦然と太陽が輝いている。日向にいれば仄かな陽気が身を包み、そのまま心地よい眠気に誘ってくれる。だが、三寒四温という言葉がある通り、まだまだ冬の気配は残っている。一際強い北風が吹けば、襟元から冷たい風が服の中に忍び込んでくる。だが、遊び盛りの小学生にとってはそんな風すらテンションを高める起爆剤でしかない。

 

タクミは隣を歩く友人に声をかけた。

 

「ポケモンキャンプはミネジュンと一緒だね」

「だな!向こうでもよろしくなっ!いやーよかったよかった。ポケモンキャンプに1人でも友達がいてほんとうによかった!!なぁ、なぁ、最初のポケモンもう決めたか!」

 

彼の名前は峰 潤。フルネームの語感が良いのでみんなからは渾名のように『ミネジュン』と呼ばれている。彼はまくし立てるように話し続けた。

 

「タクミはまだポケモン持ってなかったよな?あれ?でも、お前の家って確かキバゴがいたよな?違ったっけ?そうだよな。じゃあ初心者用のポケモンはもらわなくてもいいのか?どうすんだ?」

 

早口で喋るのは彼の癖のようなものだった。せわしなく話し続けるミネジュンだが、彼とタクミは小学校に入学した時からの長い友人である。下校方向も一緒であるタクミにとっては彼の話し方はもう聞き慣れたものだった。

 

「キバゴは父さんが保護して一時預かってるだけだよ。だから僕は初心者用ポケモンを貰うつもり」

「へぇへぇへぇ!でっ、何にするんだ?もう決めたんだろ?」

「そうだね。やっぱりヒトカゲかな。最終進化のリザードンがカッコいいしね。ミネジュンはもうポケモン持ってるんだっけ?」

「おうおう!そうだぞ。8月に誕生日でもらったんだ。ケロマツだよ、ケロマツ!。いやー本当に学校に持ってこれないのが残念だ!って、タクミはもう会ったことあったか」

「そうだね」

「いやーこいつと遊ぶの楽しいのなんのって。早くバトルしてみてぇ!!俺さ、もう今から戦い方とか考えてさ……」

 

止まらないミネジュンの話にタクミは相槌を打って右から左に大半を聞き流す。

一度喋りだすとそう止まらない友人にタクミも辟易することは時々あるが、決して嫌いではない。長い付き合いというのもあり、タクミにとって気の置けない大事な友人である。

 

そんな話をしているうちにタクミ達は分かれ道へと差し掛かった。

ミネジュン達とは帰る方向が違うのでここでお別れである。

 

「ってなわけでさ……」

「うん、でもここまでだね。じゃあね」

「おう!また明日な!……それでさ!!」

 

ミネジュンは別れた後も他の友人達に話を続けていた。遠目に見ると友人達の横顔は彼の一方的な話に飽きているようだった。

 

まぁ、最初のうちはみんなそうなるよね。

 

タクミも彼との会話に慣れるのに2年はかかった。

タクミは去っていく友人の後ろ姿を視線で追う。

 

「………よし」

 

彼らが自分を振り返る様子がないのを確認すると、タクミは急に駆け出した。全力疾走で帰り道を走っていくタクミ。まだ春先であったが、すぐにタクミ身体中から汗が噴き出した。目に垂れ込む汗の粒を袖でぬぐい、膝に走る成長痛に顔をしかめながら、タクミはひたすらに走る。

道行く小学生が何事かと思ってタクミを見るが、そんなことは気にしない。顔見知りに見られなければそれでいいのである。

 

自宅を目前にブレーキをかけるタクミ。ドアを思い切り引っ張り、鍵がかかっているのに気づく。

 

「あと、えーと……」

 

急いで首元から下げた鍵を取り出して、慌てた様子でドアに差し込んだ。

その様子は側から見ればトイレにでも行きたいのかと思いそうなものだが、違う。

タクミは玄関に飛び込み、急いで運動靴を脱ぎ捨てる。2階の自分の部屋にリュックを放り投げ、そして再び家から飛び出そうと階段を駆け下りた。

だが、その途中で忘れ物を思い出し、急ブレーキをかけて失敗。盛大に階段を踏み外して踵のあたりを擦りむいた。

 

「いったぁ!!」

 

あまりの痛みに涙が出そうになるが、すんでのところでそれをこらえる。

 

「旅に出たら、こんなことで泣いてられないもんね」

 

滲んだ涙を袖で拭い、タクミは擦った場所を強くさすって痛みを和らげようとする。

タクミは改めて階段を登って、リュックの中からポケモンキャンプの栞を抜き取った。

タクミは栞を小脇に抱えて再び階段を駆け下りていく。靴を丁寧に履くのも億劫で踵を踏み潰しながら外へ飛び出す。

 

「おっと!!」

 

そして、鍵をかけ忘れてすぐに戻ってくる。

そんなタクミのことに気がついて、庭から2匹の生き物が寄ってきた。

 

「ウゥゥ……ワッン!」

「キバァ!」

「ちょっと出かけてくるね、ロン、キバゴ!」

 

見送りにきてくれたセントバーナードとポケモンのキバゴに手を振る。

 

「ワン、ワン!」

「キバ、キバキバァ!」

 

タクミを追いかけようとするキバゴをロンが頑張って押し留める姿を見ながら、タクミは大事な家族に手を振った。

 

道を走るタクミ。息が切れることなどものともせず、少年の持つ底なしの体力で道を走っていく。

タクミが向かったのは、近所の公園に隣接して立っている生垣のある家であった。

 

タクミはその玄関の前に立ち、息を整え、汗をぬぐった。

 

「はぁ、はぁ……」

 

インターホンを押そうとして、タクミはふと周囲を見渡す。

学校帰りの小学生の中に見知った顔はいない。タクミは一息ついてインターホンを押し込んだ。

 

「はーい。あら拓海くん?もう来たの?鍵は開いてますよ〜」

 

少し間延びした話方をする女の人の声にタクミは笑顔となって、玄関のドアノブに手を伸ばした。

 

「お邪魔しまーす」

 

扉を開けた途端、空調の効いた家の空気がタクミを包む。

 

「ごめんなさい〜ちょっと手が離せなくて。上がっちゃていいよ〜」

 

家の奥から響く声に従い、タクミは靴を脱いであがる。脱ぎ散らかしたりはせず、きちんと靴を揃えて脇に並べた。タクミは勝手知ったる様子で洗面所で手を洗って、自分の目的地へと向かった。そこは玄関から続く廊下の片隅だ。目の前にドアがあり、そこにはハート型の木のプレートが下げられていた。『アキちゃんのおへや』という可愛らしい丸文字を前にタクミは身だしなみを整えた。髪を急いで撫で付け、噴き出る汗をできるだけぬぐって、待ちきれない様子でドアをノックした。

 

「入っていいよ」

 

中から聴こえてくる女子の声。少しか細いながらも、機嫌の良さそうなことがわかり、タクミの顔の喜色が濃くなる。

 

「おじゃまします」

 

タクミは逸る気持ちを抑えてドアを開けた。

 

そこはピンクの小物に満ちた女の子の部屋であった。

 

6畳程度の大きさの部屋には庭に面した大きな窓があり、そこから太陽に照らされて輝く芝生や花壇が見えていた。ベッドの隣にある小さな勉強机は綺麗に整頓され、その隣にある本棚には青空文庫や少女漫画の背表紙が並んでいる。ただ、その棚の上に並んでいるぬいぐるみは全てポケモンをデフォルメしたもので、本棚の下の段にはポケモンの図鑑や情報誌が並んでいる。それでも入りきらない情報誌が部屋のあちこちで山をなしており、女がいかにポケモンが好きなのかがよくわかる。

 

ただ、そこには部屋には女子の子供部屋という雰囲気からかけ離れているものが2つほど存在していた。

 

1つは部屋の真ん中に置かれた大きな車椅子。

 

そしてもう1つは部屋の窓際に置かれた重厚なベットだ。それは電動のリクライニングベッドで、ボタン一つで上体を起こしたり、膝を持ち上げて楽な姿勢にすることのできるベッドであった。まるで、病院のベットのような機能を持つその寝床の上に赤毛の女の子が上体を起こして座っていた。

 

「うぃっす、アキ」

「いらっしゃい、タクミ」

 

笑顔で来訪者を迎える女の子。彼女の名前は御言(みこと) アキ。

タクミはいつもの挨拶である軽いハイタッチを交わし、彼女のベットの端に座った。

 

「アキ、起きてて大丈夫なの?」

「うん、今日は調子がいいの」

 

アキはそう言って微笑む。だが、その顔色は血の気がほとんど無い。明るい日差しに照らされた彼女の素肌は蝋のように白かった。

 

「本当に?」

「大丈夫だって。タクミは心配しすぎ」

「……そう?」

「うん!」

 

声だけは元気な返事。

 

だが、タクミの顔から心配そうな表情は消えない。

実はタクミは昨日もここを訪れていた。だが、その時の彼女は体調不良で身体を起こすこともできなかった。

今日、彼女が元気なことは喜ばしいが、昨日の今日で体調が180度変わることなど有り得ない。アキと出会ってから2年。その間にタクミは色々と彼女の事情を知っていた。

 

「それで、タクミ。持ってきてくれた?」

「う、うん。はいこれ。ポケモンキャンプの栞」

 

タクミはそう言って小脇に抱えた栞を手渡す。その瞬間、アキの顔が向日葵のように輝いた。

 

「ありがとう!!これ、早く読みたかったんだ!」

 

だが、それも束の間。興奮した様子で栞を開いたアキは唐突に口元を抑えて咳き込み始めた。

 

「コホッ、ゴホッ」

「アキ!」

 

タクミはすぐ立ち上がって背中をさする

彼女の口からこぼれ落ちる咳。アキはその苦しさに身体を「くの字」に折り曲げて咳を繰り返した。

 

「……やっぱり、大丈夫じゃないじゃん」

「ゴホッ!ゴホゴホッ!」

 

何か言いたそうに目を向けてくるアキだが、咳がひどくて言葉にならない。

咳は次第に酷くなっていき、タクミは念のために近くにある洗面器を引き寄せた。

 

「ゴホッ……タクミ……それ……いらない……」

「そう?」

「ゴホゴホゴホッ!……今見せられたら……吐きそう……」

 

彼女は洗面器を見たら条件反射的に吐いてしまうこともある。

もちろん、常にそういうわけではないのだが、今日はそれだけ喉元までせりあがっているのだろう。

 

タクミは言われた通り洗面器を彼女の視界から外す。だが、万が一に備えてすぐに手元に持ってこれるような位置に置いておいた。

 

タクミは彼女の小さな背中をさすり続ける。そうしているうちに、彼女の咳は次第に収まっていった。

 

「ふぅ……ふぅ……」

 

まだ少し息苦しそうにしているアキ。

 

タクミは「もう平気?」と聞こうとして、その言葉を口の中だけで留める。

その質問の答えがどんな時でも「うん、大丈夫」であることを知っているのだ。

そして、彼女の言う『大丈夫』は決して信用ならないこともタクミは十二分に知っていた。

 

「タクミ、もう大丈夫だから……」

「うん……」

 

タクミは彼女の言葉を信じずに自分の目と耳で彼女のことを診る。

 

本当に咳が止まってるか?変な音で息をしてないか?顔色はどうなっているか?

 

タクミはアキの体調変化を見逃さないために見るべき場所を理解していた。

とりあえず、今は本当に大丈夫そうだった。

タクミは彼女の背中から手を離す。小学4年生の小さな掌でもわかるほどに彼女の背中はあまりに小さい。

 

「……アキ……」

「もう、本当に……こんな時にかぜひいちゃうなんてね……」

 

アキは誤魔化すように笑う。

 

タクミはその笑顔を前に言いかけた言葉を飲み込む。

 

確かにアキのここ何日かの体調不良は風邪が原因だ。

だが、彼女にとっての『風邪』は健康な人がかかる『ただの風邪』とは意味合いがまるで違う。

 

「アキ……横になりなよ……」

「ううん。平気……平気だから……」

 

アキは小さく首を横に振る。

 

「横になると……逆に息苦しくて、こうやって身体起こしてる方が楽なんだよ。本当だよ……ゴホッ!ゴホゴホッ!」

 

咳き込むアキにタクミは反射的に手を伸ばした。その手をアキはやんわりと押し返す。

 

「大丈夫……だから」

 

そしてアキはまた笑う。『大丈夫』と言って笑顔を作る。

その笑顔を前にするとタクミは何も言えなくなってしまう。

 

苦しんでいるのは彼女の方だというのに、辛い顔をしているのはタクミの方だった。

 

代われるものなら、代わってやりたい。少しでも彼女の抱える不幸を肩代わりしてやりたい。

だが、そんなことを口にしたところで彼女が喜ばないことをタクミは知っていた。

結局、タクミはかける言葉を見つけられず、唇を噛み締める。

 

「わかった……でも、辛くなったらすぐに横になるんだよ」

「うん、ありがと」

 

アキは自分の手元に落ちたポケモンキャンプの栞に視線を落とした。

 

「ねぇ、タクミ……私、ポケモンキャンプ、どこに行くことになってた?」

「え……あ……うん……アキはマサラタウン……カントー地方のマサラタウンだったよ」

「え?本当?」

 

アキはすぐポケモン栞を開いた。夢中になって自分の名前を探す。

元気を取り戻したアキに対して、タクミはまた咳が出やしないかと冷や汗ものだ。

 

「あ、あった!ほんとだ。カントー地方、マサラタウン」

 

アキとタクミは同じ小学校に在籍している。同じ学年であり、同じクラスだ。当然ポケモンキャンプの栞にもアキの名前は乗っている。もっとも、タクミは彼女と学校の教室で会ったことはなかったが。

 

「それでさ。僕もマサラタウンなんだ」

「えっ、嘘!本当だ!すっごい偶然」

 

アキは目を輝かせてタクミを見上げた。タクミもなんとか笑顔を作ってそれに答える。上手に笑えた自信はタクミにはなかった。

 

「やっぱり、行きたかったな~そしたらさ。タクミと一緒にキャンプしたり、ポケモン探したり……バトルしたりできたのにね」

「うん……」

「一緒に……行きたかったな……」

「うん……」

 

アキがポケモンキャンプに出られないのは風邪をひいているからではない。

当然、それも理由の一つには違いないのだが、メインの理由はそれではない。

 

タクミはベッドの上の彼女の足に視線を滑らせた。

桃色の寝間着から突き出ている彼女の足首はあまりに細かった。骨と皮だけと言っても過言ではない。

人一人の体重すら支えきることすらできない程に弱々しい足。それは旅どころか、日常生活すら満足に送れない。

 

タクミはベッドの隣に置いてある大きな車椅子に目を向けた。それこそが彼女の唯一の移動手段だった。

 

彼女は歩くことができない。立つこともできない。松葉杖を使うこともできない。

 

それはアキの右足の骨に巣食っている病巣のせいだった。

その病気は骨をむしばみ、神経を食い殺し、右足の膝から下をほとんど使いものにならなくしてしまった。

彼女の筋肉は本人の言うことをきかず、無理に体重をかければ骨がへし折れる。

 

そして、何よりの問題はその病は足から全身に広がる病だったことだった。

 

今は強力な薬で抑え込めてはいるが、一時期はその病はアキの腰にまで及んでしまっていた。

もし、今使っている薬が効かなくなればアキの身体はあっという間に病気に飲み込まれる。

 

今はひとまず改善に向かってはいて、病気を右足のみにとどめることができている。

だが、それで弱った身体がいきなり全快になるはずもなく、アキはこうして時々体調を崩していた。

 

ポケモンキャンプはもちろん、『地方旅』に行くことなど夢のまた夢だった。

 

そんな彼女とタクミが出会ったのは小学2年生を目前に控えた春のことだ。野球で飛び込んだボールを探して出会った。二人はポケモンの話ですぐに意気投合した。

 

それから、タクミは毎日のようにこの家を訪れるようになった。

タクミは外に出ることのできないアキのためにいろんな話をした。

 

学校での友人のこと、公園で遊んだこと、近くにあるポケモンバトルフィールドに行ったこと、高校生のポケモンリーグの決勝を見に行ったこと。

 

アキにとってはそのどれもが自分では直接目にすることができないものばかりだった。

目を輝かせて話を聞くアキにタクミは毎日声が枯れるまで喋り続けた。

笑顔になる彼女を見るのが嬉しくて、彼女の反応を見るのが楽しくて、タクミは学校で面白い出来事を探すようになっていた。

 

タクミは何度も思った。

 

彼女は悪いことなど何もしていない。

だから、きっといつか病気が良くなるに決まっている。

そしたら一緒にポケモンキャンプに行って、一緒に旅をして、一緒にポケモンリーグに出るんだ。

 

タクミはそんな未来を思い描いていた。

 

だが、2年という長い月日の中でタクミは彼女の闘病生活の苦しさを目の当たりにしてきた。

そして、タクミは『奇跡は起きないから奇跡』なのだということを幼いながらに理解してしまっていた。

 

ベッドの上で栞の注意事項などを読み進めていたアキ。

そして、彼女はポケモンキャンプの最終日の日程表のページを開いた。

そこには、キャンプ終了後の行動が個人毎に記載されていた。

 

ポケモンキャンプの次、それは『地方旅』本番である。

 

その旅程を指でなぞり、アキは静かに切り出した。

 

「タクミは……ポケモンキャンプに行ったら、もう地球界には帰ってこないんだよね……そのまま『地方旅』に行くんでしょ?」

「うん……ポケモンキャンプ最終日に飛行機で移動して、そこから『地方旅』が始まることになってる」

 

タクミは最終日にマサラタウンから最寄りの空港へ移動し、そこから『地方旅』へと向かうことになっていた。

 

「じゃあ……帰ってくるのは1年後……だよね……」

「うん……」

 

ポケモンの一つの地方を1年かけて巡る旅。それは新たな出会いが数多くある旅ではあるが、今までの友人や家族と会えなくなる時間でもある。もちろん、地球界に帰ってくることは本人の自由であり、人によっては即刻地球界に戻ってきて学校で授業を受ける生活に戻る人もいる。

 

だが、タクミがその選択肢を取らないことをアキは十分に知っていた。

 

10歳という年齢の彼等にとって1年という歳月はほとんど永遠のような長さにも感じられた。

 

「そっか……1年か……」

 

そう言って、ポケモンキャンプの栞に目を落とすアキ。彼女の前髪が目元にハラりと落ちてきた。赤毛の隙間からのぞく長いまつ毛と、憂いを帯びた瞳。今にも泣きだしそうに細められたその目を見て、タクミは胸の奥がギュッと締め付けられるような痛みを感じた。

 

「で、でも、帰ることもできるよ!」

 

タクミは彼女のベッドに手をつき、身を乗り出すようにして彼女の顔を覗き込む。

 

「ほら、別にバッチ8つ揃えるのに10か月もかからないし、上手くジムを巡れればちょっとこっちに帰ってくることぐらいの余裕はできるよ」

 

必死に彼女と元気づけようとするタクミ。だが、その顔はもらい泣きしてしまう寸前であった。

 

そんなタクミの顔を見て、アキは自分がどんな表情をしていたのかに気が付いた。

 

アキは慌てて顔をあげて首を横に振った。

 

「あ、ごめん。そうじゃないの」

「え?」

「違うの。タクミは今、一週間に4回はうちに来てくれるでしょ?」

「4回は来てないと思うよ……せいぜい、3回?」

「それってあまり変わらないよ」

 

アキはそう言ってクスリと笑った。

 

「それでね。それがなくなるのがちょっと物足りなくなるなぁと思っただけなの……だから……気にしないで」

「……気にしないでって……でも!」

「タクミ」

 

不意にアキは真剣な顔になった。タクミの目を真っすぐに見つめる彼女の瞳から不可視の圧力が放たれていた。それは10歳前の少女から放たれたとは思えない程のプレッシャーであった。タクミもその雰囲気から何かを察したのか、身を乗り出していた身体を引き、姿勢を正した。

膝を揃え、背筋を伸ばしたタクミ。両親からのお説教を受ける時ですらここまで真面目な態度にはならないだろう。

 

そんなタクミに向け、彼女はある種残酷ともいえることを言った。

 

「タクミ、私のことは忘れていいからね」

「え?」

「タクミは、タクミの『旅』をしてきて。私のことはいいから」

「それは……」

 

何か言いつのろうとしたタクミであったが、アキはそれを手を上げて制した。

 

「この病気は私のもの。タクミのじゃない。だから、タクミまで自分の足を止めなくていいんだよ」

「……」

「タクミは歩けるんだから……旅ができるんだから……だから、もっと前に……もっと遠くまで行っていいんだよ。私なんか、気にしないで」

 

彼女はそう言って笑ってみせた。

柔らかく頬をあげ、目元を細め、えくぼを作って笑ってみせた。

どこからどう見ても、完璧な微笑だった。

 

そして、それが彼女が嘘を取り繕う時の笑顔であることをタクミは知っていた。

 

目を細めるのは瞳の色を見せないため。頬をあげるのは固くなってしまっている表情を誤魔化すため。

 

わかってはいる。

 

だが、タクミにそれを指摘することはできなかった。

 

彼女が嘘をついている理由が自分のことを案じているからだということがわかっているから。だから、その嘘を暴くことができない。

 

彼女の言いたいことはわかる。

 

アキは自分に遠慮して旅を中途半端にしたりして欲しくないのだ。

 

その気持ちはわかる。タクミだって逆の立場だったら同じようなことを言っただろう。

だけど、それを受け入れられるかどうか別の問題だった。

 

「……わかった……僕は……僕の旅をしてくる」

「うん。私のことなんて気にしないで。だけど、お土産忘れないでね。あと、お土産話をたくさん」

「うん。でもさ、一年分まとめたら土産話聞く方も大変でしょ?」

「え、あ、うん……でも、いいよ、帰ってきた時にいっぱい喋れれば……」

「ダメだよ。アキは身体が弱いんだから、そんな長い時間無理させられない……だからさ……」

 

そして、タクミはもう一度アキに向けて身を乗り出し、自分が出来うる全力の笑顔を見せた。

 

「だから、電話する」

「あ……」

 

タクミがそう言うと、アキの身体が意表を突かれたかのように固まった。

 

「いっぱい電話する。新しい町についたり、新しくポケモンをゲットしたりしたら、電話する。絶対に電話する」

「そ、そんな、悪いよ。だって、そんな、大変でしょ?」

「平気さ。だいたい、母さんが毎回電話しろって言うんだよ。だから、その時に一緒にアキにも電話する。それとも、迷惑かな?」

「そ、そんなことないけど……でも、そっか……」

 

一度硬直したアキの顔が次第にメタモンのように弛緩していく。

 

「……そっか……そっか、電話か……それぐらいなら、いっか」

 

アキはどうしてもニヤケてしまう顔を隠すため、口元をすぼめて栞に目を落とした。ペラペラと栞をめくったり戻したりしていたが、その内容はまるで見えていなかった。

ただ、自分の胸に仄かに広がる、泣きたいぐらい温かな気持ちを噛み締めるのに精一杯だった。

 

そんなアキのことが手に取るようにわかるタクミはあえて別の話題を切り出した。

 

「ねぇ、アキは最初のポケモン。何がいい?」

「え?でも、私はポケモンキャンプは……」

「もしもだよ。もしも。それに、来年になったらポケモンは絶対にもらえるんだしさ!」

 

タクミは栞のページをめくり、最初の三匹について詳細が書いてあるページを開いた。

そこには、各々の地方の初心者用ポケモンのことがイラストと一緒に簡単に書かれていた。

 

「僕は断然リザードンがいいんだ!だから、僕はヒトカゲにするつもり。アキは?」

 

タクミはリザードンのように手を構えてポケモンごっこをする。

そのコミカルな仕草にアキはくすぐったそうにクスクスと笑った。

 

「じゃあ、私はフシギダネにしようかな」

「えっ?なんで?僕たちライバルなんだから、リザードンに強いカメックスにしないの?」

「だってさ、フシギダネでヒトカゲに勝てたら私の方がすっごい強いってことになるじゃない?」

「えーー!それズルくない?負けたら『相性が悪いから負けた』とか言うんでしょ」

「そんなこと言わないよ」

 

元よりポケモンが大好きな2人。2人は何度も読み返した図鑑を引っ張り出し、いつまでも語り続けていた。

 

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