ポケットモンスター 夢のカケラを追いかけて   作:からんBit

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旅行は準備している時間もまた楽しい

春休みを目前に控えた3月の時間の進み方の遅さは毎年のように経験するものだが、今年はそれが特に顕著であった。タクミは毎日のようにカレンダーにばつ印をつけ、ポケモンキャンプの出発の日を待ち望んでいた。

 

その間も欠かさずにアキの家には通っているのだが、ここ数日はアキは風邪を拗らせてしまい、会えない日々が続いている。

 

そして、いよいよ出発を明日に控えた夜。

外は雨模様であったが、明日の天気は晴れ。ポケモン界のマサラタウンも晴れの予報。

 

タクミは自宅のリビングでリュックの中身を何度も確かめていた。

下着や着替えは最低限。寒い日の為に羽織る折り畳み式のコートと雨具を詰め込み、虫除けと寝袋も忘れない。あとは何につけても便利なロープやビニール袋。緊急時の鎮痛剤。そして大きめの水筒である。

 

「水筒には常に水を絶やさないこと……リュックには常に余裕を持たせておくこと……」

 

タクミはリュックを開いて、栞の内容を何度も読みなおしていた。

あまりに繰り返し読むので、キャンプ出発前だというのに既にページの端がヨレていた。

タクミは既に内容を諳んじることもできる程にこの栞を読み込んでいた。

 

夢中で準備を続けるタクミ。そんなタクミに後ろから近づく小さな影があった。

ソファの裏から様子を伺い、小さな手足でとことこと歩み寄ってくる。

 

「キバ……キーバ……」

 

小さな手足に、口から飛び出る程に長いキバ。ポケモンのキバゴである。

 

キバゴは足音を立てないように細心の注意を払い、タクミに気づかれないように慎重に手足を前に出す。

 

彼の狙いはタクミのリュック。

キバゴはフローリングの床を滑るように移動していく。一歩ずつ、確実に距離を詰める。そして、タクミのリュックが目前まで迫ったその時。

 

「キバゴ!また潜り込もうとしてるんじゃないでしょうね?」

「キバッ!」

 

息を飲むとはまさにこのこと。

タクミのリュックにこっそりと近づこうとしていたキバゴは驚いて後ろを振り返った。

そこにはタクミとよく似た目鼻立ちをした女性、タクミの母が腕を組んでキバゴを見下ろしていた。

 

「まったく、目を離すとすぐにこれなんだから!」

「えっ?あっ!!キバゴ!またお前は勝手に!」

「キバッ!キバキバキバァ!!」

 

弁明するかのように手と首を左右に振るキバゴ。キバゴが人の言葉を話せれば『濡れ衣だ』とでも言わんばかりだ。

 

だが、彼には前科がある。

 

わずかな隙をついてタクミのランドセルに潜り込んでいたり。

ちょっと家族で外食に行こうと思ったら、いつの間にか車の座席の下に潜り込んでいたり。

家族旅行に連れていけないからとご近所さんに預けたら、なぜかスーツケースの中に身を潜めていたり。

 

「キバゴ、だからお前は連れていかないってずっと言ってるだろ?」

「キバァ……」

 

悲しそうに項垂れるキバゴ。それを見てるとタクミの良心も少し痛みはするが、連れていけない訳があった。

 

実はこのキバゴ、タクミのポケモンではない。かといってタクミの両親のものでもない。

 

このキバゴは『野生』のキバゴなのだ。

 

ポケモン界と地球界が繋がって以降、たくさんのポケモン達がトレーナー達に連れられて地球界へとやってきた。

だが、それらは手放しに迎え入れられたわけではない。

地球の環境の中にポケモンが放し飼いになってしまえば、生態系や道路交通に影響が出るのは予想ができることだった。

 

その為、ポケモンを地球界で逃がすことは法律で固く禁じられている。

だが、多くの外来生物がそうであるように、ポケモンも心無いトレーナーによって野に放たれてしまうことが多々あった。

 

タクミの父である斎藤 佐助はそうやって野に放たれてしまったポケモンを保護し、ポケモン界に送り返すことを仕事にしている。

 

このキバゴはその作業の間に持ち前の潜入スキルでもって、システムの穴を通り抜け、斎藤家に向かう鞄の中に潜り込んでしまったのだ。

 

タクミの父は慌ててポケモン界に送り出そうとしたのだが、ここで強敵が現れた。

それがまだ幼かったタクミである。

タクミにとって初めて身近に訪れたポケモン。それを手放すことにタクミは全力で抵抗した。挙句の果てに「キバゴと一緒にポケモン界に行く!」とまで言って泣き出す始末。

 

両親もあの手この手で引き離そうとした。だが、泣いてキバゴに抱き着く我が子には勝てず、煩雑な書類を書くことを選んだのだった。

 

両親はいつかキバゴがタクミのポケモンになることを想い、『野生』の状態のままモンスターボール内に一時的に捕獲ができる『プロテクトボール』を今も使い続けていた。

 

その為、キバゴは今も『野生』としてタクミの家に『生息』している。

 

「キバァ!キバキバァ!!」

 

無理やりリュックに頭をねじ込もうとするキバゴをタクミはため息を吐いて抱き上げる。

逆ポケモンに抱き上げられたキバゴは目に涙を浮かべてタクミを見つめていた。

 

「……“つぶらなひとみ” を使ってもだめ……」

 

そもそも、キバゴはそんな技覚えない。

 

「何度も言ってるだろ?僕はカントー地方の初心者用ポケモンが欲しいんだ。最初からポケモンを持ってたらそれがもらえないの。だからキバゴを連れていけない」

「キバァ……」

「ポケモンキャンプが終わったら『地方旅』に行く前に必ずキバゴを手持ちに加えるから。だから、しばらくお留守番。いいね?」

「……キバ……」

 

項垂れるキバゴ。

 

タクミはキバゴをソファの上に乗せた。

フローリングに座るタクミとキバゴの視線が同じになる。

 

「キバゴの気持ちは嬉しいよ。僕だってずっとキバゴと一緒だったんだ。『地方旅』には必ず一緒に行く。ほんの一週間の間だけでいいんだ。我慢して」

「…………」

 

キバゴは目を潤ませたまま、小さく頷いた。理解してくれたのだろう。

タクミはキバゴの頭に手を伸ばした。

 

「キバゴ、わかってくれてありがと」

 

ツルツルの鱗に覆われた手触りのよい頭を撫で、タクミはそう言った。

 

ちょうどその時、家の電話が鳴りだした。

タクミの母が電話に出るために廊下に出て、そしてすぐにタクミを呼んだ。

 

「拓海、御言(みこと)さんから電話。アキちゃんが伝えたいことがあるんだって」

「えっ!うん!!わかった!!」

 

顔をほころばせ、廊下に飛び出していくタクミ。

すぐに、タクミの声が廊下から聞こえてくる。

 

「アキ?うん、明日……ありがと。アキこそ大丈夫?風邪、良くなった?……うん……そうだね、僕も寂しかったよ。本当さ……でも、僕が会いに行って悪くなったらやだったから……うん……うん……そうだね……うん……電話するから。絶対に電話するから」

 

タクミの話し声を聞き、両親は少し物憂げな表情をする。

 

「御言さん家……やっぱり難しいのか?」

「ええ……リハビリ程度じゃ足もなかなか……」

「そうか……身体も弱いみたいだし……可哀そうだな」

「ほんと……」

 

同じ年頃の子供を持つ者として、タクミの両親も思うところがある。

 

そして、全員の意識が逸れた瞬間。キバゴの目が怪しく光った。

例えタクミや両親に反対されても、キバゴにはまだ助けてくれる家族がいた。

 

「……キバ!」

「くぅん?」

 

セントバーナードのロン。今日は生憎の雨のため家の中に入れてもらっているロンに向けてキバゴはニヤリと笑ったのだった。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

翌日、予報通りに天気は回復し、空は静かに晴れていた。

タクミは自室の窓を開け、早朝の湿った空気を肺の奥深くに吸い込んだ。

東の空には昨日雨を降らせた雲がまだ仄暗い色で残っていたが、頭上はもう群青色の空が夜明けに応じて明るくなっていた。

 

タクミは大きく伸びをする。目はしっかり冴えていた。

 

旅立ちの為に準備したリュック背負い、机の上に飾ってあるモンスターボール柄のゴムボールを手にする。

それを握りしめるたびにタクミはアキのことを思い出す。

 

彼女と出会ったあの日からこのボールには特別な意味が宿っていた。

 

「拓海、朝ですよ~」

「うん、すぐ行く」

 

母に呼ばれてタクミは部屋を出て下に降りていく。

リビングでは父が既に朝食をとっていた。タクミはリュックを降ろし、食卓につく。

 

「おはよ。いよいよ出発だな」

「うん」

「忘れものはないか?」

「ばっちり、何回も確認したもん」

「そうか。だが、忘れるな。ポケモン界で困ったら、必ず落ち着いて自分にできることを考えること。ポケモン達の力を借りればだいたいの困難は切り抜けられるさ」

「うん。わかってる」

 

タクミは納豆を練りながら自信を持って頷いた。ポケモン界に何度も行っている父からの助言だが、既に何回も聞かされて耳タコなのであった。

 

タクミは朝食をしっかり腹におさめ、いよいよ出発の時間が迫る。

ポケモン界に繋がる空間があるゲートセンターには小学校からバスで向かうことになっている。

集合時間にはまだ早いが、時間に余裕を持つのは団体行動の基本である。

 

というよりも、じっとなんかしていられなかった。

 

タクミは玄関で履き慣れたスニーカーに足を入れた。

 

「それじゃあ行ってきます!」

「体に気を付けてね」

「しっかりな」

「うん!!」

 

タクミは見送りってくる両親に親指を立てる。

 

「わん!」

「キバー……」

 

一緒に玄関で見送ってくれるロンとキバゴのためにタクミは膝を折る。

 

「ロン、キバゴをよろしく頼むよ」

「くぅん……」

 

耳の後ろをこするように撫でてやるとロンは気持ちよさそうに目を細めた。

 

「キバゴもあんまり無理言っちゃだめだからね」

「キバッ!」

 

『失敬な』と言っているようなキバゴの頭を撫でる。すると今度はロンが「もっと撫でろ」と言いたげに顔を摺り寄せてきた。じゃれてくるロンの相手をしながら、タクミは少しばかり家を離れる不安が胸を掠めた。だが、目の前に迫るのは待ちに待った冒険の始まりだ。

 

タクミは好奇心による興奮をバネにして、ロンから手を離した。

 

「じゃあ、行ってきます!!」

 

タクミは勢いよく表へ飛び出していく。

登ってきた朝日が世界を明るく染め上げていた。

 

光の中に飛び出していく我が子を見ながら、タクミの両親は感傷の中にいた。

 

「いよいよ、拓海も旅立ちか……」

「子供の成長って早いものね……ついこの間まで、キバゴを抱いてないと眠れなかったのに……」

「そうだな。だが、僕は旅が終わって帰ってきた拓海がどう成長しているかが楽しみだよ」

「そうね」

 

タクミの両親はそんな会話をしながら、リビングに戻っていく。

玄関にはロンが一匹、「おすわり」の姿勢のままで留まっていた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

元気よく道を走っていくタクミ。

 

集合時間にはかなり余裕があるものの、身体の中に迸る熱量がタクミの身体にエネルギーの消費を求めていた。

全身を駆け巡る興奮がタクミの足を回転させていく。

 

まだ日が昇ったばかりの冬の朝。道行く人は少ない。

 

赤信号で立ち止まったタクミはその場でストレッチを繰り返していた。

身体を伸ばし、腰を回し、膝を曲げる。

 

「…………」

 

そして、屈伸の姿勢でタクミは何かを思いついたかのように動きを止めた。

タクミはしばし思い悩むような顔をする。信号が青に変わる。

流れ出した『とうりゃんせ』を聞きながら、タクミは大きく息を吸い込んだ。

 

「よし……」

 

信号が点滅し、再び赤に戻る。それを合図にタクミは学校へ行く方向とは違う道へと足を向けた。

寄り道になるが、目的地はどうせすぐそこである。タクミは走る速度を緩めることなく住宅街を駆け抜けていく。

 

タクミが足を踏み入れたのは近所の公園だった。

 

夏休みにはここで子供達が集まってラジオ体操を行う。だが、冬の朝6時前ともなれば子供たちは誰もいない。

 

タクミはその公園を突っ切り、とある家の生垣へと近づいた。アキの家である。

 

別に玄関から尋ねても良いのだが、こんな朝早くにインターホンを鳴らすのは迷惑だと思ったのだ。

タクミはリュックを脇に置き、いつの日か潜り抜けた生垣の隙間に顔を突っ込んだ。あの頃より大きくなった身体では生垣を抜けるのは一苦労だった。匍匐前進で生垣を抜け、たどり着いた景色はあの日から代り映えがしない。

 

手入れの行き届いた庭、静かな空気。ただ、一つ違うものがあるとすればそれはタクミの心情であろう。

 

タクミは足音を立てないようにアキの部屋の窓に近づいた。カーテンが閉められた窓の前に立ち、タクミは肩を落とした。

 

「……やっぱり……無理だよね……」

 

こんな朝早い時間に彼女が起きているわけがない。わかってはいたが、いざ目の前にするとやはり落胆は隠せない。出発の前に彼女に一目会っておこうと思っていたタクミの淡い期待は打ち破られた。

 

タクミは窓を叩いてみようかと窓に手を伸ばした。

 

だが、ふと考えてみる。

 

自分が眠っていて、突然部屋の窓が外から叩かれたらどう思うか。

 

怖いに決まっている。

 

他の友人なら怖がらせるのもまた一興かと思っただろう。だが、相手はアキ、しかもここ数日は風邪で寝込んでいる。タクミとしてはそんな彼女に変に負担をかけたくはなかった。

 

「はぁ……」

 

素直に諦めようとタクミが手を引いた時だった。

 

「あ……」

 

突如、目の前でカーテンが開いた。

窓越しにアーモンド形の瞳と目が合う。

部屋の中にいる彼女は目を何度も瞬いていた。

突然の邂逅にしばしお互いが静止する。

 

「や、やぁ……」

 

タクミは気まずそうに片手を上げた。その動きでアキは我に返ったのか、慌てた様子で窓に手をかけた。朝日に照らされた彼女の顔色は思ったより悪くなく、タクミは少しホッとした。

 

「た、タクミ?なにしてるの?ポケモンキャンプは?」

「いや……その……ちょっと……なんていうかな……」

 

タクミは鼻の下をこすりながら、言葉を探すように明後日の方向を向いた。

 

『1年間会えなくなるから顔を見に来た』

 

言葉にしてしまえば短く済むのに、いざアキを目の前にすると照れくさくて言いにくい。

 

「だから……えと……」

 

そんなタクミの態度にアキは何かを察したらしい。

彼女は目を柔らかく細め、窓枠に肘を乗せて庭に身を乗り出してきた。

 

「タクミ、なにしに来てくれたの?」

 

アキの口元にはからかうような笑みが浮かんでいる。そんな彼女を前にタクミは頬を赤らめた。

 

「いや……だから、風邪……良くなったかなって?」

「それで?」

「えと……良くなった?」

 

アキはクスリと笑って頷いた。

 

「うん。今日は悪くないかな」

「本当に?」

「本当だよ。信じてくれないなら聞かないで欲しいな」

 

アキは拗ねたように頬を膨らまし、そっぽを向く。

 

「あっ、ごめん……いや、でも、アキの言葉ってあんまり信用が……」

 

しどろもどろなタクミの態度にアキは思わず吹き出してしまう。

 

「タクミ、なんか緊張してる」

「そうかな」

「うん、変なの」

 

アキはそう言ってくすぐったそうに笑った。タクミは困ったように首の後ろをさすった。

なかなか本題に入らないタクミ。彼に代わりアキの方から声をかけた。

 

「タクミ、会いに来てくれたんだ」

「う、うん……」

 

自分から言い出せず、バツが悪そうなタクミ。

そんな彼を見てアキは随分と嬉しそうに微笑んだ。

 

「ありがと。もう会えないと思ってたから……本当に嬉しい!」

「うん。僕もアキの顔見れて良かった。ポケモン界行ってくるから……アキ、無理しないでね」

「わかってる。今日も朝からキチンと病院に行く予定なんだから」

「……そっか」

 

ということは顔色程体調が戻っているわけではないらしい。タクミは長居はしてはいけないと思った。

 

「アキ、もう行くよ。身体に気をつけてね」

「うん。タクミも頑張ってね」

 

タクミは小さく頷き、アキに向けて掌を向けた。そこにアキはパチンと軽くハイタッチをする。

それはいつの間にか2人の間で行うようになった挨拶の形だった。

タクミはタッチを交わしたその手を左右に振りながら、背を向けた。

生垣の前に手をつくタクミ。彼は穴をくぐる前に最後にもう一度アキを振り返った。

 

「行ってきます」

「うん、いってらっしゃい……」

 

タクミの身体が生垣の奥に消えていく。しばらくして、タクミが生垣の向こうで走り出す足音がした。その足音も次第に聞こえなくなっていく。アキは窓から入ってくる朝の空気を吸い込み、小さく咳をした。

 

外の風をその身に浴びるアキ。空を見上げれば、昨日までの雨が嘘のような青空が広がっている。

 

「ふぅ……」

 

外を眺めるアキ。いつの間にか彼女の顔からは温もりが消えていた。タクミに久々に会えた喜びが薄れ、彼をからかうことができた興奮が消え、彼女の顔に残ったのは痛みを堪えるような辛い表情だった。

 

アキが目線を下にさげれば、骨と皮だけになった自分の情けない両足がそこに横たわっている。

息を大きく吸い込もうとしても、弱り切った身体では満足に肺を広げることもできない。

 

「……一緒に……行きたかったな」

 

アキはそう呟いて自分の胸元を握りしめる。

ポケモンキャンプの栞をタクミが初めて持ってきたあの日から堪え続けてきた涙が今にも決壊しそうだった。

自分の弱い身体をここまで悔やんだのは久しぶりだった。

 

「ポケモン界……」

 

アキは小さく呟く。それは遠い世界のようで、とても近い。だが、アキにとっては果てしなく遠い。

 

その時、ガチャリと音がして、アキの部屋に彼女の母親が入ってきた。

アキは急いで袖で涙をぬぐった。

 

「アキちゃん?どうしたの、窓なんか開けて」

「えと、タクミが来たの」

「えっ!?タクミ君が!?あれ?ポケモンキャンプって明日からだったっけ?」

「ううん。今日出発だから、出発前に私の顔見に来たんだって」

「あらあら~」

 

2人の仲睦まじい様子にアキの母の頬も緩む。

アキの両親としても積極的にアキの身の回りの世話そしてくれるタクミ少年のことは憎からず思っていた。

 

「いい子ねぇ、タクミ君は」

「うん。ほんと、私にはもったいないや」

「そんなことないよ~アキちゃんだっていいお嫁さんになると思うけど?」

「や、やめてよ!そ、そんなんじゃないんだから!!」

 

アキは照れた顔を隠そうと、慌てて窓を閉めた。

 

勢いよく閉めすぎてピシャリと音がなった窓。外がまだ暗いせいか、そこにはアキの顔が反射して映っていた。

 

アキはそんな自分の顔を見つめる。

 

そこにいるのは病気に負けそうになっている1人の女の子。

病気のせいでいろんなことが出来ず、悔しくて泣きそうになっている小さな女の子。

 

アキはそんな自分にため息を吐きだした。

 

窓が曇り、彼女の顔が霞の向こうに消える。

 

アキはパシリと自分の頬を叩き、窓の曇りを袖でゴシゴシと拭った。

 

「……?」

 

アキの突然の行動に首を傾げるアキの母。

そんなことなど構いなく、アキは窓に再び映るようになった自分の顔を見つめた。

 

さっきよりはマシな顔をした自分がそこにいた。

 

「……お母さん……」

「ん?なに?」

 

アキは自分の顔の向こう側にある窓の外をへと目を向ける。彼女の視線の先にあったのはタクミが出ていった生垣の隙間。

 

あの日、彼はそこから来た。そこから来て、窓の外から私に手を伸ばし、そして今も伸ばし続けてくれている。私がいつの日か外の世界に出ていくことができるその日まで、きっと彼は手を伸ばし続けてくれるのだろう。

 

だけど、本当にいつまでも彼は隣にいてくれるのだろうか?

 

アキは布団をギュッと握りしめる。

その掌には冷たい汗が滲んでいた。

 

彼は今日からポケモンキャンプに出て、そして『地方旅』に出発する。彼はどんどん先に行ってしまう。

 

そんな彼の世界に行くにはどうしたらいいのだろうか。

どうすれば、タクミの隣にいることができるのか。

 

そのことをアキはここ数週間の間、ずっと考えていた。

 

実のところ1つだけ方法があるのだ。

タクミと同じようにポケモン界に行き、リーグに挑戦し、肩を並べる方法が1つだけあるのだ。

 

ただ、その方法を実行する決断をアキはどうしてもできずにいた。

それは10歳の女の子が進むにはあまりにも険しく酷な道なのだ。

 

だけど、今日タクミが来てくれて、タクミの顔を見て、タクミを見送って。

 

彼女はようやくその覚悟を決めた。

 

「お母さん……私決めた……」

「…………」

「私、手術受ける」

 

それは一度行ってしまえば取り返しのつかない手術。後戻りは決してできない道。

 

「私……この足……切断するよ」

 

そう言った彼女はもう泣いてなどいなかった。

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