ポケットモンスター 夢のカケラを追いかけて 作:からんBit
小学校の校庭に停まるバスに乗り込み、向かった先はポケモン界への扉が開くゲートセンターだ。
それは都心からかなり外れたところにある。なんでそんな不便なところにあるのかというと、ゲートが開いた場所がそこだったからだ。
伝説のポケモンが作り出したゲートを地球界にいる人間がどうこうできるはずもなく、異世界への扉は今もその場所に設置されている。
「それでは間もなく、ゲートセンターに到着します。降りる準備をしてくださーい」
先生がバスの中で声を張り上げる。タクミは高速道路の代り映えのしない窓の外の景色から視線を戻した。
タクミはバスのリズム良い振動に眠気を覚えていたところだった。朝からテンションを跳ね上げ続けていたせいで、今頃になって疲れたらしい。
その隣には友人のミネジュンが座っている。彼は昨日よりもさらに口数が増え、止める隙すらない程に喋り続けていた。
「うわー!いよいよだな!いよいよポケモン界だ!タクミ、マサラタウンついたら最初に何ゲットしたい?マサラタウンの周辺ってそんな珍しいポケモンいないっぽいけど、カントー地方に生息しているポケモンなら探せばあちこちでみつかるらしいぞ!!やっぱりワクワクするよな!!俺はね、俺はね、まずはビートル!スピアーに進化させたいんだ!あとはディグダと、ゴースとズバットと……でな、でな。捕まえたら早速バトルしたいじゃん!だからさ、タクミもはやく捕まえるんだぞ。で、お前は何が捕まえたいんだ!!」
タクミは欠伸を噛み殺しながら、いつもの通りに適当な相槌を返す。
「さぁ、どうだろう。とりあえず、会ったポケモン次第かな」
タクミは高速道路の料金所を横目にそう言った。
「まぁ、そうだよな!でもさ、欲しいポケモンとかいるだろ?それともあれか?カントー地方のポケモンより他の地方のポケモンがいいのか?まぁ、俺もそう思うときはあるけどな。俺もテッカニンとかペンドラーとかバシャーモとか手持ちに加えたいなっていつも思って……って、うおおおお!!」
不意にミネジュンが歓声をあげた。
「え?なに?って、おおおおおおおお!!」
タクミも声をあげて窓の外に視線が釘付けにされていた。
彼らだけではない。クラス全員が歓声をあげバスの右側の窓へと目を向けている。中には立ち上がって覗き込もうとする生徒もいるぐらいだ。
「すげぇ!ポケモンバトルやってる!!」
高速道路を降りた先。ゲートセンターの周囲はまさにポケモンの聖地であった。
いたるところにポケモンバトルができるフリースペースが用意され、激しいバトルが繰り広げられている。道行く人達は皆ポケモンを連れ歩き、既にポケモン界さながらの空気だった。
「うわぁ!あれ見ろよ!ホエルオーだ!でっけえぇえぇ!!」
「ワタッコがバトルしてる!かわいい!!」
「ピカチュウだ!あっ!!あああああ!!でたぁあああああ!ボルテッカーだぁ!!」
バスが赤信号で止まったのをいいことにバトルの観戦者になる生徒達。
炎が揺れ、風が舞い、鳴き声が轟く。
身近で見るポケモンバトルはまさに大迫力だ。
タクミはポケモンのワザの応酬を見ながら、視線をそのトレーナー達に移す。
バトルフィールドの端にある四角いスペースに立つトレーナー。彼らは戦局を見渡し、ポケモンに的確な指示を出し続ける。ポケモンと共に戦い、共に成長するパートナー。
「僕も……いつか……」
タクミは自分がその場に立つ光景を想像し、掌を強く握りしめた。
『いくぞ!オノノクス!!』
巨大なライトに照らされたバトルフィールド。観客席を満たす大勢の人。巨大なバックスクリーンに映し出された自分。想像上の自分は最高のバトルフィールドでオノノクスの背中を見ていた。
そして、いざ対戦相手に目を向ける。
『……タクミ、勝負!!』
「なぁなぁ!タクミ!すげぇよな!ああいうバトル俺も早くしてみてぇ!って、どうしたタクミ?顔が赤いぞ?熱か?風邪か?こっち寄るな!感染ったりしたらポケモンキャンプが中止になっちまうだろ!!」
「風邪じゃないから安心しろ!!」
「何大声出してんだよ?どうした、なんか変なことでも考えて……」
「うるさい!!」
なぜか想像上の対戦相手がアキだったことに軽く戸惑いを覚えるタクミ。自然と彼女が浮かんできた自分に照れくささを感じてタクミは顔を赤くしてしまっていた。
ミネジュンはそんなタクミの態度に何かを察したらしく、しつこく追及しだした。
「あっ、もしかして女子のこと考えてた?タクミってば、エロ~い」
「違うって!」
「で、誰のこと考えてたんだよ?うちのクラスの奴か?アイバか?コトウラか?ナガミヤか?」
「だぁ!もう!違うって言ってるだろ!」
彼の大きな声を周囲の人が聞きつけ、タクミに襲い掛かる人数は更に増えていく。
「えっ?なに?サイトウくんって好きな子いるの?」
「タクミに好きな子?誰?誰?」
こういうものは否定すればするほどに追及が激しくなっていくもの。
タクミは根が素直なのもあり、一つ一つ丁寧に否定していくものだから猶更エスカレートしていく。
しかも、『気になっている女子』のことを考えていたのは事実なのでタクミとしては非常に分が悪かった。
ていうか、なんでキャンプ前に恋バナなんてしなきゃならないんだ!
そういうのはキャンプの夜にでもやるものじゃないのか!
タクミはそう思いながら、話題が自分から逸れるまで必死に耐えたのだった。
結局、バスを降りるまでタクミをからかう声は無くならなかった。だが、そんな話題はゲートセンターに足を一歩入った瞬間に一気に霧散した。
「おおおおおおおお!」
ゲートセンターに入った途端、生徒達の中から再び歓声があがった。
ポケモン界は身近になったとは言え、縁の無い人がそう簡単に出かけようと思える場所じゃない。ポケモン界へ行ったことのない生徒も多く、ゲートセンターに足を踏み入れるのは初めてだという人も多い。
タクミも父からゲートセンターの話を何度か聞いてはいたものの、実際に足を踏み入れたのは初めてだった。
「すげぇ……」
そこは巨大な空港のような場所だった。足を踏み入れた場所は3階まで吹き抜けのロビーだ。1階には様々な旅行業者のカウンターが並び、2階にはゲートへと続く出発ロビーがある。近くの案内板を見ると3階より上はレストランや土産屋、高級ブランド店のチェーンまで様々な店が入っているのがわかる。
だが、普通の空港と明らかに違うものが一つ。それは辺りを歩くポケモンの種類だった。
ポケモン法により、バトルフィールド以外の公共の場でモンスターボールの外に出れるポケモンには身長と体重の制限がかかっている。
だが、このゲートセンターではそれらの規制がかなり緩い。普段なかなかお目にかかれない大型のポケモンに子供達は半ば気圧されているようだった。
「バンギラスだ。初めて生で見たよ……カッケェ」
「上見て!上!カイリューが飛んでる……すごいなぁ……」
「あれって、ガルーラ?思ったより大きいんだ」
生徒達はロビーの隅に集められ、列になって座らせられた。
先生達はトイレ休憩を取りつつ、逸れた生徒がいないかを確認していく。
「ほへぇ……」
珍しく押し黙っているミネジュンの隣でタクミも言葉を失っていた。
左右どちらを見てもポケモンばかり。憧れ続けたポケモンがあまりに身近にいることにこれから踏み入れる世界の一端を垣間見ていた。
しばらくして、先生がメガホンを手にして生徒達に向けて声をあげた。
「えぇ、それではポケモンキャンプに向けて校長先生からお話があります。皆さんちゃんと聞くように」
生徒達の間に忍び笑いとため息が半々程の割合で漏れた。
校長先生の話が長いのは古今東西どこに行っても変わらない法則である。
今日も今日とてこの『ポケモンキャンプ』がいかに大切で、これを踏まえた『地方旅』がいかに今後の人生の糧になるかということをご自身のありがたーい経験談と共に長々と語ってくれた。生徒達のやる気のない目が校長先生へと注がれる。タクミも話を半分以上を聞き流し、この話が終わる時をひたすらに待った。
そして、誰しもが待ち望んだ瞬間が訪れる。
校長先生の手からメガホンが離れ、先生の元へと戻る。
「えぇ、これより、ポケモンキャンプへの移動のためにゲートの方に向かいます。各地方毎に出発しますので、順番に先生についていくようにしてください!」
生徒達の目に一斉に生気が戻ってきた。
「まずはイッシュ地方カノコタウンに行く人たち!立ってください!はい、それではフジシロ先生についていくように」
右端に座っていた数人の生徒達が立ち上がり、男の先生に従って2階へと続く階段に向かっていく。
地球界が『キャンプ地』に制定した地域は数多く、同じ地域に行く生徒は多くても7、8人だ。
タクミと一緒にマサラタウンに行くのはミネジュン以外では別のクラスの男子1人と女子2人。本来ならここにアキも加わるはずだった。
「…………」
隣に笑顔のアキがいることを想像し、タクミはまた顔が赤くなるのを自覚した。
運の良いことにミネジュンはすぐ隣を通ったジュカインに目が釘付けだった為、再度からかわれることはなかった。
そして、遂にマサラタウン組が呼ばれる。
タクミの周囲にいる生徒達が一斉に立ち上がる。
「マサラタウン組はマサ先生と一緒に移動してください」
「マサラ組はこっちだ。ついてきてください」
いよいよだ。
タクミは期待に胸を膨らませ、マサ先生の大きな背中に付き従って歩き出した。
そして、階段を上ったゲートセンターの2階。そこもまた空港と同じような場所だった。まずは手荷物検査場で危険物や動植物の持ち込みが無いかをチェックして、そこからポケモン界へと向かうゲートに向かう。
僕らはマサ先生に連れられて、団体用の検査場へと向かう。そこではタクミ達と同じようにポケモンキャンプに向かう小学生が列をなしていた。
タクミは列に並びながら、胸が高鳴るのを感じていた。興奮で手足に震えが走るというのは産まれて初めてだった。これが武者震いという奴だろうかと思いながら、緊張で汗が滲む掌を何度もズボンで拭う。
タクミの前にいるミネジュンも先程から黙りこくってしまっている。どんな時でも止まらないトーク力を見せていた友人の珍しい沈黙。その静けさがタクミの緊張を余計に高めていた。
「ミネジュン、どうしたの?急に静かになったけど?」
「え?そ、そうか?俺はいつも通りだけど!?」
上ずった声のミネジュン。
緊張しているのは自分だけではない。
タクミはそれが少し嬉しくて、勢いよくミネジュンの肩を叩いた。
「いよいよだね!いよいよポケモン界だね!」
「そ、そうだな!ヤッベェ、まじヤッベェ!緊張してきたぁ!そうだ、ケロマツ忘れてきてないよな!?良かったいるいる」
「ははは、ここまで来てパートナー忘れたなんてことになったら、ポケモンに滅茶苦茶嫌われそうだよね」
「そうかもな。ただでさえ俺のケロマツってせっかちで前に出たがりだしな。旅に連れて行かないとか言ったらすぐに拗ねちまうよ。まったく、面倒くさいったらありゃしないんだから」
ぶつくさと文句を垂れつつも、ミネジュンは随分と楽しそうな顔をしていた。
「そういえば、キバゴは?忘れてないか?」
「だから、キバゴは連れてきてないんだって。まぁ、キバゴ自身は何としてもついてくるつもりだったみたいだけど」
そんな話をしているうちに列は進み、手荷物検査の順番がやってくる。
「はい、ここに荷物を置いてください。貴重品や金属製品はこちらに、モンスターボールはこのケースに入れてください」
笑顔で迎えてくれる係の人に促され、荷物をベルトコンベアの上のカゴに乗せる。ズボンにチェーンで繋いだ財布を外して、鞄と一緒にカゴに置く。僕の前では一足先に金属探知器を通ったミネジュンが盛大にブザーを鳴らしていた。
「えっ?あれ?」
「引っかかっちゃいましたね。何か金属製品を持ってませんか」
「あ、これだ!ケロマツのモンスターボール。握ったまま通っちゃったんだ。すみませーん。もう一回通りまーす」
ミネジュンが慌てて戻ってくる。せっかちな彼らしい。
戻ってくるミネジュンを横目にタクミは金属探知器のゲートを前にする。
飛行機に乗る時もそうだが、このゲートを通る時はなんだか妙な緊張感がある。そのゲートを前にすると何かを試されているような気がするのだ。
タクミは意を決したように足を踏み出した。進みながらゲートを見上げる。金属探知器のゲートは何の音も立てずにタクミを通してくれた。
「ふぅ……」
わずかな達成感と共にため息を吐き出すタクミ。
だが、安心したのも束の間だった。
「すみません、この鞄はどちら様のものですか?」
ふと、そちらを見ると係員の女性が手にとっていたのはタクミの鞄だった。
「あっ、はい。僕のです」
「申し訳ありません。モンスターボールを鞄に入れてませんか?」
「へ?」
タクミの目が点になる。
「入れてないと……思いますけど」
「中身を確認してもよろしいでしょうか?」
「はい……」
係員の人に言われるがまま、鞄が開かれていく。係員さんは真っ先に鞄の横に付いているポケットの中を調べた。そして、そのポケットからコロリと小さくなったモンスターボールが転がり出てくる。
「あっ」
それはタクミにも見覚えのあるボールだ。薄い青と白で色分けされたモンスターボール。ポケモンを『野生』のまま捕獲する『プロテクトボール』だ。
「中身を確認していいですか?」
「は、はい……」
プロテクトボールが機械にセットされ、中にいるポケモンの情報が映し出される。
「キバゴ……一体……どうやって」
そこに表示された名前は紛れもなくキバゴであった。
「このキバゴは野生のキバゴのようですね。今、確認したところ保護者は『斎藤 佐助』さんということになってるようです」
「あ、は、はい……」
「お父さんですか?」
「はい」
「そうですか。すみません。ポケモン界へのポケモンの持ち込みはあらかじめ登録が必要なんです。このキバゴは預からせていただいてもよろしいですか?」
「え……あ……」
「大丈夫ですよ。御自宅の方へ責任もってお送りさせていただきます」
係員の人の笑顔を受け、タクミの表情は固まった。
タクミもその規則は知っている。
なにせ、このポケモンキャンプではキバゴは連れていかないと決めたのはタクミ本人だ。
審査に必要な書類も、正式な手段も、大事な手続きも全て知っている。
知っていた上でタクミはキバゴを置いて行くことを選んだのだ。
だが、家の玄関先で別れるのと、いざこの場でキバゴのボールを前にするのとでは胸の締め付けがまるで違った。
プロテクトボールの中からキバゴの元気な声が聞こえてきた気がした。
『一緒に冒険に行こう』と満面の笑みで、『俺がいなきゃ始まらないだろ』と無駄に自信満々にガッツポーズをするキバゴの姿が容易に思い浮かぶ。
気が付いた時にはタクミの口からは我儘が零れ落ちていた。
「あ、あの……」
「はい、なんでしょう」
「そのキバゴ……連れていっちゃ……ダメですか?」
タクミは震える声でそう尋ねた。
先程言われたことを理解できない程にタクミは子供ではない。
だが、それでも感情を全て飲み込める程には大人に近づけていなかった。
そんなタクミに対し、係員の女性は申し訳なさそうな顔を浮かべた。
「申し訳ありません……ポケモン界へポケモンを連れ込むにはあらかじめ登録が必要で……」
「ですよ……ね」
タクミは項垂れるようにして、唇を噛み締める。
そんなタクミの後ろに騒ぎに気づいたマサ先生が立った。
「斎藤?どうかしましたか?」
「実は……」
係員の人が現状を簡潔明瞭に説明すると、マサ先生は納得し、タクミの肩にポンと手を置いた。
「斎藤、辛い気持ちはわかるが、今回は仕方がない。後でお父さんにでも手続きして送ってもらおう」
マサ先生はそう言って毛深い顔で優しい笑顔を向けた。
ここで『最初から登録しとけばよかったんだ』などと正論を叩きつけたりしないのが、マサ先生という人であった。タクミには既に反省の色が見えているので、わざわざ追い打ちをかける必要はないと判断したのだ。
「……わかってます」
「そうか……」
「わかってます、だいたい、最初からそのつもりだったんですから」
タクミは項垂れるようにして、唇を噛み締める。
だが、キバゴのことを思うと目頭が熱を帯びてしまうのは仕方のないことだった。
タクミが諦めたことを察したのか、マサ先生は係員の人に頭を下げた。
「申し訳ありませんが、よろしくお願いします」
「はい、責任をもってお預かりします。それでは送り先の住所などの手続きがありますので、こちらの書類に……」
タクミは差し出される書類に自分の名前や住所を書き込んでいく。
それが、キバゴとの別れの書類だと思うと、やはりこみ上げてくるものがあった。だが、ミネジュンや同級生が周りにいる手前、なんとかこらえ切った。
書類を書き終え、キバゴの入った『プロテクトボール』が運ばれていく。
タクミはそれが係員室の奥に消えるまでずっと見続けていた。
キバゴの鳴き声が耳奥に幻聴のように聞こえてくる。タクミは脳裏に浮かぶキバゴの瞳に何度も謝っていた。
『せめて……一声かければ良かったかな……』
そんな考えも頭をよぎったが、そんなことをすれば本当に涙が出ていただろうと思う。
「タクミ、行こう」
「……うん」
待っててくれたミネジュンに促されるようにタクミは他の生徒達の列に戻る。
マサ先生は少しホッとした表情で、他の皆は待たされたことに少し苛立つような顔をしてタクミを出迎える。
「よし、えーと……ポケモン界へのゲート通過が始まるまで少し時間があるからトイレに行きたい人は今のうちにな」
マサ先生の言葉にタクミとミネジュン以外の生徒達が荷物を置いてトイレの方に向かっていく。
待機になり、手持ち無沙汰となった時間。その間にタクミが思うのはやはりキバゴのことだった。
やっぱり最初から連れて行くべきじゃなかったのだろうか?
初心者用ポケモンに本当に拘る必要なんてなかったんじゃなかろうか?
考えれば考えるほどに後悔ばかりが浮かんでくる。
そうして俯くタクミの肩をまたミネジュンが叩いた。
「まあ、元気だせよ。最初から連れていかないって話だったじゃん」
ミネジュンが元気づけるかのようにそう言った。
だが、タクミは金属探知器を通る前までの陽気な笑顔を返すことはできなかった。
「そうなんだけど……そうなんだけどさ……」
タクミはキバゴのボールが運ばれた係員室を振り返る。
今にもその扉を開けてキバゴの期待に満ちた顔がのぞくんじゃないかと、そんなことを思ったのだ。
無理矢理ついていこうとすることに限って言えば、あのキバゴの執念は並ではない。それはタクミが一番よく知っていた。
それこそ今日だって、タクミが出かけようとするその瞬間まで隣にいたのだ。それが一体どうやってタクミの鞄に紛れ込むことができたのか。
タクミは飼い犬のロンが手を貸したと思っていた。
ロンは今朝やけにタクミの顔を舐めたがった。そうやってロンに気を取られた隙にキバゴは素早くプロテクトボールを鞄の中に忍び込ませつつ、ボールの中に入り込んだのだろう。寸分の隙も許されない綱渡りだが、キバゴならやってのけてもおかしくはない。
「はぁ……」
「キバァ…」
そこまでしてついてきたかったキバゴのことを思うと、やはりやるせない気持ちが込み上がってくる。
「まったく、キバゴには本当に手を焼くよ」
「本当に大変そうだな」
「キバキバ!!」
「そうだよ!!だいたいキバゴ、お前がいつもそうやって無理やりついてこようとするからいけないんだぞ!」
「キバァ!?」
キバゴの口が『僕が悪いの!?』とでも言いたげに大きく開いた。
「キバゴは大人しく家で……あれ?」
「キバ?」
タクミは目の前にいる存在のことを丸3秒程みつめた。
そして、ゆっくりと周囲を見渡す。どこかに自分のポケモンを見失ってしまった人がいないかを探していた。
きっとこのキバゴは迷子だ。そうに違いない。
だが、代わりに目に入ったのはマサ先生に『プロテクトボール』を渡す係員の人だった。
「え……」
「キバ?」
タクミはキバゴと目を合わせ、同時に瞬きをした。
そして、ゆっくりと二人で首を傾げる。
キバゴとタクミは鏡合わせの存在であるかのように同じ動きをしていた。
「斎藤、君のお父さんがキバゴがいないのに気が付いて、緊急で申し込みを通してくれたそうだ。キバゴは野生返還ぷろじぇくと?の一環か何かで一緒に連れていっていいんだと。ただし、オーキド博士に渡さなきゃいけないお手紙がいくつかあってだな……」
マサ先生がそう話しているが、そんなことタクミの耳にはもう届いていなかった。
タクミの耳に残ったのはたった一つの事実だった。
「え……キバゴと……一緒に行っていいんですか!『野生』のままで!?」
「お父さんが方々に頭を下げまくってくれたそうだぞ。『裏技』を使ったって言ってたけど」
「『裏技』……」
そんな単語を父が食事の際にチラリとこぼしていた。
だが、本当にそんなものがあるなんて思ってもみなかった。
マサ先生も係員の女性の人も呆れたように頷いた。
タクミの目が大きく見開かれた。
「キバゴ……」
「キバァ……」
タクミが両腕を勢いよく広げ、キバゴがその胸の中に飛び込んだ。
「キバゴ!一緒に行ける!行けるんだってさ!!」
「キバキバ!キバァ!!キバァ」
両手をばたつかせて喜びを表現するキバゴを全力で抱きしめるタクミ。
「良かったな、斎藤。お父さんに感謝しとけよ」
「はいっ!」
「キバァ!」
さっきまでの陰鬱な気分など綺麗に吹き飛んだタクミは満面の笑みで頷いた。
「良かったなタクミ。やっぱりキバゴと一緒に行きたかったんじゃねぇか」
「別に一緒に行きたくなかったわけじゃないんだよ!でも、やっぱ嬉しい!!」
「そうだよな。ポケモン持ってるのにパートナーを連れていかないなんて馬鹿な話はないもんな」
「そうとは言い切れないと思うけど。まぁ、やっぱりそうだよね」
「そりゃそうさ……だってさ……」
「ん?」
そして、ミネジュンはタクミの肩を叩き、親指で『一緒に行こう』と促した。
彼が指さす方向に目を向ける。
「あ……」
「どうせ、時間はあるみたいだしさ。さっそくさ!やろうぜ!このゲートセンターなら俺達でもできるんだろ!!そうだよな先生!!」
マサ先生は曖昧な顔で頷く。
引率の先生としてはあまり喜ばしくない話の流れになっていた。
だが、ミネジュンの気持ちはもう止まらない。
「ほら、立てよタクミ。実は俺やるのは初めてなんだ。タクミはどう?やったことある?」
「僕もない……初めて」
「だったらちょうどいいじゃん!ちょうどあそこ空いてるみたいだし!!」
そして、ミネジュンは待ちきれないように駆け出していった。
タクミはもう一度マサ先生の顔色を伺う。
「しょうがない……他の先生には黙っててくれよ」
そう言ってマサ先生はキバゴの『プロテクトボール』を差し出した。
「はいっ!」
タクミはそのボールをひっつかみ、駆け出す。
「キバゴ!行くよ!!」
「キバ!!」
そしてタクミは黄土色のマットの敷かれた長方形の空間へと駆け込んだ。
その反対側にネジュンが立ち、真新しいモンスターボールを構えていた。
「準備はいいか、タクミ!」
「いつでもいいよ!!」
ミネジュンがモンスターボールを放り投げる。
「行くぞ!ケロマツ!」
「ケロケロッ!」
青いカエルのような容姿をしたケロマツがフィールドに降り立つ。
「キバゴ!行くよ!!」
「キバァ!!」
キバゴもまたガッツポーズをしてフィールドへ入っていく。
キバゴとケロマツがフィールドで睨み合う。
今まさに、二人の少年の産まれて初めてのポケモンバトルが始まろうとしていた。