ポケットモンスター 夢のカケラを追いかけて   作:からんBit

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嵐の夜に水滴が落ちる音がする

「ハァ、ハァ、ハァ……ハァ……ハァ……」

「ダネダ!?」

「だ、大丈夫……まだ、走れる」

 

ゴマゾウの先導に従い、ヒトモシの炎に視界を確保してもらいながら森の中を足を止めることなく走り続ける。

先程のような強風は消えたものの相変わらず風は吹き遊び、雨足は衰えることなく容赦なくタクミ達に降り注ぐ。

冷たい水滴が容赦なく体力を奪い、濡れた服が身体を徐々に重くしていく。

足は冷え切り、指先の感覚は途中から無くなっていた。息をするたびに肺と喉が張り裂けそうになる程に痛みを放ったが、それでもタクミは走り続けた。

 

途中から地図を確認する余裕もなくなり、ポケモン達の励ますような声だけがタクミの意識を繋ぎ止めていた。

 

だから、森の向こうに人工の灯りを見つけた時には本当に生き返ったかのような心地だった。

 

「見えた!皆んな!もう少しだ!」

 

ポケモン達の絞り出すような返事を聞きながら、タクミは足を滑らせないようにより注意深く走り続けた。

 

ようやく、森を抜け、アスファルトの舗装された地面を靴裏が踏みしめる。コンクリートの道という存在の有難みを全身で感じながら、タクミは足を緩めることなく町の中を駆け抜ける。夜も既に遅く、町には街灯の明かりのみで人家の光はその大部分が消えていた。こんな時間でも仄かに光を放つ看板は病院かコンビニかポケモンセンターのどれかだ。

 

タクミはずぶ濡れの体を引きずりながら、ポケモンセンターの緊急用の出入り口に飛び込んだ。

 

「ハァ、ハァ、ハァ、す、すみません!!誰か!誰かいませんか!!」

 

静かな廊下で声を張り上げるも、奥からは返事がない。

すると、すぐさまタクミの隣で呼び鈴がなった。

 

「えっ!?」

「ダネ」

 

フシギダネが“ツルのムチ”で呼び鈴を押してくれたのだ。

 

「ありがと、フシギダネ。見えてなかったよ」

「ダネ」

 

フシギダネは“ツルのムチ”をほどき、スルスルとタクミの背中から滑り降りていく。

 

焦りすぎて視野が狭くなっていた。夜も遅く、寝ている人も多い。騒ぐべきではなかったのだ。

 

タクミは大きく深呼吸をした。

胸に抱いたクチートは今も気を失ったままだが、きちんと呼吸はしている。体温の低下も最小限で済んでいる。楽観視できる状況ではないが、少なくとも『間に合った』のだ。

 

その時、ポケモンセンターの奥からプクリンを連れたジョーイさんが現れた。

 

「お待たせしました。どうかしましたか?」

「あ、あの、すいません。野生のクチートなんですけど。助けてください」

「クチート?もしかして、あなたタクミ君?」

「えっ?あ、はい!そうです!!」

「ポケモンレンジャーから連絡があってたのよ。もしかしたらここにクチートを運び込むかもしれないって……ということは、あなた。本当にこの嵐の中、山を下りてきたの!?」

「はい。ポケモン達に手伝ってもらいながらですけど」

 

タクミ達の後ろではキバゴ達が濡れた身体を乾かすためにヒトモシの炎に当たっていた。

タクミに大きな怪我はなかったし、ポケモン達も特に傷を負うこともなかった。

 

だが、それはあくまでも結果論に過ぎない。確かに、ポケモンの力を借りて救助活動を行うことは多い。しかし、タクミはまだ地方旅に出たばかりの少年なのだ。そんな彼がこの嵐の中で夜の山道を駆け下りてくるなんて一歩間違えば大事になっていた。

 

ジョーイさんは眉間に激しく皺を寄せた。

 

「なんて危ないことを……」

「すみません。でも、クチートの状態が悪くなって。診ていただけますか」

 

タクミが胸元のクチートを持ち上げる。何よりもポケモンを優先させようとするタクミの行動にジョーイさんは溜息を吐いた。

 

「わかりました。お説教は後にしましょう。レンジャーの隊員から話は聞いています。急いで治療を開始します」

「はいっ!!お願いします」

 

タクミはプクリンが持ってきていたポケモンの保護ケースの中にクチートを横たえた。

プクリンは気合を入れるかのように身体を膨らまし、駆け足でポケモンセンターの奥へと駆け出していった。

 

「クチ―ト……」

 

奥の治療室の明かりが灯れば、もうタクミにできることはない。

 

後はただ、待つだけだった。

 

「モシ……」

「ん?どうしたヒトモシ?あっ……僕の服か……はっくしょん!!」

 

濡れた服は急速にタクミの体温を奪い、身体を冷やす。

だが、残念なことに着替えは全て山の洞窟に置いてきてしまった。

 

「モッシィィィイイ……」

 

ヒトモシは頭の炎を強めて、タクミを温めようとしてくれている。その気持ちは大変うれしいが、ヒトモシのパワーではさすがに火力が足りない。

 

「ヒトモシ、ありがと。でも大丈夫……ロビーに行こう、シャワーを借りて、そこにタオルぐらい置いてあるだろ」

「モシ……」

 

ヒトモシは役に立てなかったことに肩を落とした。

タクミはそんなヒトモシの頭をポンポンと撫でる。

 

「そういや、お前をプラターヌ博士のところに担ぎ込んだ時もこんなことしたな」

 

ヒトモシと出会った時も、瀕死の野生ポケモンの為に奔走した。

だが、あの時と今では危機感も悲壮感も、そして自分の感情もまるで違った。

タクミはクチートのことを思い、拳を握りしめた。

 

そんなクチートを気にしているのはタクミだけではない。

 

タクミのポケモン達もクチートのことが心配なのか、身体を乾かすのもそこそこにタクミと同じようにポケモンセンターの奥に意識を向けていた。

 

だが、それもタクミが二度目のくしゃみをするまでだった。

 

「ダネダ!ダネダネ!!」

「うん、ごめん、フシギダネ。シャワーを借りてくるよ」

 

ここで風邪をひいてダウンすれば、『地方旅』でかなりの遅れになってしまう。自分の体調管理も立派なトレーナーの仕事である。タクミはポケモンセンターの案内板からシャワー室の場所を見つけて、入っていった。

ロッカーが並ぶ脱衣所で服を脱ぎ、タクミは自分の胸元にフシギダネの“ムチ”で縛られた跡を見つけた。

 

フシギダネが絶対にほどけないようにギチギチに締め付けてくれていたのだろう。

 

タクミはわずかに痒みのある“ムチ”の跡を爪でひっかきながら、シャワールームに入っていった。

 

頭から温水を浴び、タクミは両手を壁につけた。

雨風に晒されて冷えた身体にはシャワーのお湯が心地よかった。

 

タクミは1人で立っていることが億劫になり、両手を壁につけて体重を預ける。

身体がまだ興奮しているせいか呼吸を止めてみても息苦しさがまるで訪れず、不思議な高揚感が身体を満たしていた。

 

身体が次第に温まっていくにつれ思考が鈍っていく。

タクミの頭の中は空になり、落ちていくシャワーの水滴を意味もなく眺め続けていた。

 

排水溝へと続く水の流れを目で追いかけ、意味もなくそこに唾液を落としてみる。

 

身体を動かす体力はもうない。思考を回せる気力もない。

喜怒哀楽の感情を表現することも忘れ、タクミはぼんやりとクチートのことを思い出した。

 

ゴッ、という鈍い音がした。

 

タクミの拳が冷たいタイルを殴りつけていた。

 

それはシャワーの音に阻まれて誰にも届かない。

 

タクミはシャワーを止め、外に出て『ご自由にお使いください』と書かれた籠に入ったタオルを手に取った。

そのタオルで身体を拭き、湿った下着にドライヤーをかけてできるだけ乾かしてもう一度それを着こむ。まだ少し濡れていて冷たかったが、先程と比べれば身体が温まっているぶんまだマシであった。

 

タクミは服の裾をまげて楽な格好にしながら、ポケモンセンターのロビーへと戻ってきた。

 

タクミは自分のポケモン達が寝そべるソファの端に腰かける。

どうやらそこは空調が当たりやすいところのようで、柔らかく温かな風がどこからか吹き込んでいた。

 

タクミは少し前傾の姿勢になりながら、両手を強く握りしめた。

そんなタクミの膝をキバゴがポンポンと叩いた。

 

「キバキバ」

「うん、大丈夫。ちょっと疲れただけだ」

 

キバゴは半目になってタクミを見上げた。

その目からは『疲れてるなら休めよ』という言葉が口よりも雄弁に物語っていた。

だが、それと同時にキバゴの顔には『こいつは言っても聞かないしな』と書かれていた。

 

自分のことをよくわかってくれているキバゴをタクミは膝の上に抱き寄せた。

 

「キバゴ……」

「キバ?」

「また、こんなんだよ。こんなんばっかだよ」

「……キバ……」

 

神はいつだって不公平だ。運命はいつも不幸しか運んでこない。

 

そのことをタクミはアキと長い闘病生活で嫌と言う程味わってきた。

 

世の中は理不尽で、不条理で、不公平で、誰にもどうすることができないことばかりだ。

どれだけ祈ったところで、神様も仏様もサンタクロースも助けてはくれなかった。

どれだけ空に向けて祈っても、どれだけ地面に頭をつけて頼み込んでも、誰もアキの不幸を消してくれることはなかった。

 

タクミはいつからか祈ることをやめてしまった。

 

タクミに出来ることはない。

 

それでも、タクミは願いを口にせずにはいられなかった。

 

「負けるなよクチート。こんなところで、負けちゃだめだ。クチート……頑張れ……頑張ってくれ」

 

カチコチと時計が動く音はほんの微かなもの。外の嵐は次第に弱まり、雨音も風の音も消えていく。

ロビーの中にはフシギダネ達の雑談のような声だけがやけに大きく聞こえていた。

 

時計の短い針が1つ数字を越え、2つ数字を越え、そして3つ目に差し掛かりそうな時だった。

ふと、ポケモンセンターの奥から疲れた顔をしたジョーイさんが現れた。

 

タクミはその姿を見つけて素早く立ち上がった。膝の上にいたキバゴもすぐさまタクミの肩へと駆け上がる。

 

ジョーイさんはタクミ達を見つけて『まだ起きてたの!?』という顔を浮かべたが、すぐさま『もう大丈夫』というように仄かに笑いながら小さく頷いた。

 

「っ!!」

 

タクミはいても立っていられずにすぐさまジョーイさんに駆け寄った。

 

「ジョーイさん。クチートは!?」

「大丈夫よ。一命はとりとめたわ」

「良かった……」

 

肺の中の空気を全て吐き出す勢いで安堵するタクミ。

タクミのポケモン達も一斉に大きく息をついた。

 

だが、タクミはすぐさま何かに気づいて顔をあげた。

 

「それで、目の方は?」

 

その瞬間、ジョーイさんの顔が曇った。

 

なんだか嫌な予感がした。

 

「……タクミ君、君はどうしてクチートがあんな状態になったかわかる?」

 

その問いにタクミは息を呑む。

 

答えはわかっている。

 

わかっているのだが、それを口にするのには覚悟が必要であった。

 

「……あれは、当然何かの拍子に張り付いたとか、偶然あんなことになったとか、そんなことじゃない……」

 

歯の隙間から声を絞り出すようにタクミはそう言った。

 

「あれは……誰かが、人間が……」

 

それ以上の言葉はタクミは続けることができなかった。身体の奥から噴き出る憤怒で声がどこまでも荒れていきそうだったのだ。こんな時間に強い声を上げるわけにはいかず、タクミは歯を食いしばって耐えていた。

 

そんなタクミにジョーイさんは同意するようにため息を吐き出した。

 

「そうね。あれは……人間の仕業……接着剤でポケモンの目を塞ぐなんて……立派な犯罪よ」

「やっぱりあれは接着材だったんですか!?」

「ええ。なんとか顔から布を剥がすことはできたんだけど……接着剤の成分が……目に入っていたらしくてね……」

「え……それって……」

 

タクミが目を見開く。それはタクミが考えていた最悪のシナリオだった。

 

「タクミ君、落ち着いて聞いてね……残念だけど……あのクチートの右目はもう視力が戻らないわ……」

 

タクミの背筋に鳥肌が走り抜けた。

 

「そ、そんな……」

「だけど、左目は無事で済んでいる。それが良かったというべきかどうかは……」

 

ジョーイさんがやるせない想いを吐き出すようにため息を吐いた。

 

「くそがっ!!」

 

タクミは歯を食いしばったまま、我慢できずに地団太を踏み鳴らす。

 

「なんで!?なんでそんなひどいことができるんだ!!」

「わからないわ……ただ……」

「ただ?」

「あのクチート……多分だけど……トレーナーに捨てられた可能性が高いの……それに、廃坑にいたことを考えると……」

 

廃坑にポケモンを捨てる。それは、まだわかる。クチートはもともと砂地や荒地に生息している。

ポケモンのことを思えばそこに捨てるのはまだ慈悲がある方だ。

だが、わざわざ目隠しをした上で道の入り組んだ廃坑に捨てるとなるとその意味は大きく変わる。

 

タクミはその意味に思い当たり、言葉を失いかけた。

 

「まさか……置き去りにする為に?追いかけてこれないように!?確実に捨てる為に目を潰したっての!?」

 

ジョーイさんはタクミから目を逸らしながら僅かに頷いた。

 

「おそらく」

「っ!!!」

 

言葉が出なかった。

 

最早、怒りなど通り越し、信じられないという感情しか沸いてこなかった。

追いすがっている自分のポケモンの目に接着剤をつけて目隠しをして、洞窟の中に置き去りにして捨てたトレーナーがこの世界に生きているという事実が信じられなかった。

布の襤褸具合から見ても、クチートが捨てられたのは昨日今日の話じゃない。その間に改心して、戻ってくることもしなかったということは、本当になんにも感じなかったのだろうか?

罪悪感の一欠片たりとも感じなかったのであろうか?

ポケモンにそんなことをして、のうのうと毎日飯を食って生きているのだろうか?

 

本当にそいつは『人間』なのか?

 

タクミは頭をガシガシとかきむしった。

 

「なんでだ!なんでだよ!?」

 

理解ができなかった。認められなかった。信じられなかった。

 

そして、そんな悪意に晒されたクチートが不憫でならなかった。

クチートはあの闇の中で自分のトレーナーを探して、ボロボロになりながら坑道を歩き続けていた。目を潰され、食事も満足に取れずに、他の野生ポケモンに痛めつけられながら、あの坑道で生きていたのだ。

 

「なんで……そんなことができるんだっ!!」

 

遠くで雷鳴が轟く。一際強い風が窓を打ちつけた。

 

タクミは自分の荒ぶった感情に耐えられなくなったかのようにその場に崩れ落ちた。

両膝をつき、手をついて身体を支える。

手足がガクガクと震えていた。今まで自分が一人で立っていられたことが不思議なくらいに手足に力が入らなかった。

 

俯くタクミ。その目から涙が零れ落ちた。

 

涙が止まらなかった。

 

クチートが受けた痛みも不安も恐怖もタクミにはわからない。

わからないが、クチートのことを想うと、涙が次々と溢れてくる。

 

「……こんなの……ひどすぎる……」

 

クチートは何も悪いことはしていないはずだ。それなのに、なんでそんな仕打ちを受けなければならないんだ。

 

窓の外から聞こえる雨の音が一際強くなったような気がした。

 

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