ポケットモンスター 夢のカケラを追いかけて 作:からんBit
クチート達と二度寝の快楽をむさぼったタクミは昼過ぎにボチボチと目を覚ましだした。
最初は寝ぼけていて、時計を何度も確認した。短針と長針を見間違えてないかとか、時計が傾いていないかとか、様々な勘違いの可能性を潰して、タクミはようやく自分が12時を回るまで眠り続けた事実を受け入れた。ここまで寝過ごしたのは『地方旅』が始まって初めてのことだった。
普段ならポケモン達が昼ご飯をせがんでくる時間だが、キバゴ達も熟睡したままである。
やはり彼等も随分と疲れていたのだろう。
タクミは胸元にしがみついているクチートに視線を落とす。
クチートはその小さい手でタクミのシャツを掴み、静かに寝息を立てていた。
痛々しい包帯に触れようかとも思ったが、起こしてしまうことが憚られ、タクミはそのままの姿勢で少し身じろぎをした。
そのタクミの動きに真っ先に気づいたのはフシギダネであった。
「ダネ?」
「フシギダネ、おはよ」
タクミとフシギダネは他のポケモン達を起こさないように小声でやりとりする。
「眠たかったらもう少し寝てていいよ?」
「……ダネ……」
フシギダネはその場で軽く伸びをして、再びゴロリと横になった。
ただ、眠っている雰囲気はない。それどころかその瞳は常にタクミを見据えている。
いや、フシギダネが気にかけているのはタクミというよりも、その胸元にしがみついているクチートの方であった。
「…………ダネ……」
フシギダネは何かを警戒しているかのように自分の“ツルのムチ”を伸ばす。
「フシギダネ……お前、またクチートが暴れ出すと思ってるのか?」
「……ダネ……」
『そりゃそうだろ』とでも言いたげに目を細めるフシギダネ。
タクミはそのフシギダネの頭を撫でる。
「ありがとな、フシギダネ。その時は憎まれ役を頼むよ」
「……ダネ……」
ふと、タクミの肩にポケモン1匹分の体重が乗ってきた。
「うおっ……ゴマゾウか……お腹すいたのか?」
「パオン……」
気の抜けた声を出すゴマゾウはタクミの肩に鼻と顎を乗せて体重をかけてくる。
お腹がすいて力が出ないのが、誰の目から見ても明らかであった。
「ごめんな。もうちょっと待ってくれるか?クチートを起こしたくなくてさ」
「パオン……」
ゴマゾウの鼻がパタパタと揺れる。『わかってるよ』という台詞が聞こえてきそうだった。
不憫には思うが、今のタクミにはどうしようもない。携帯食料が入っている鞄は坑道に置いてきたし、ポケモンセンターでポケモンフーズをもらうにはタクミのポケモン図鑑による身分証明がいる。
それはゴマゾウにもわかってはいる。わかっているが、行動せずにはいられない程にお腹がすいているのだろう。
タクミは慰めるようにゴマゾウの顎の下を撫でる。
キバゴは鼻提灯を膨らませて眠ったまま、ヒトモシも頭の炎を消してピスーと寝息を鳴らしている。
タクミは3度寝でもしようかと大きく欠伸をして、意識を再び睡魔の内へと沈めていく。
そして、タクミがまた夢の中へと溶け込んでいったところであった。
フシギダネとゴマゾウが軽く目配せした。
『わかっているか?』
フシギダネが目線だけでそう問いかける。それに対してゴマゾウは『わかってるわかってる。だからそう睨むな』とパタパタと鼻先を振った。
フシギダネは“ツルのムチ”をクチートの傍へと持っていく。
ゴマゾウもまた身を乗り出して、クチートへと鼻先を向けた。
「ダネダ(起きてるんだろ?)」
「パオン(ちょっとお話しようぜ)」
フシギダネとゴマゾウはできるだけ威嚇にならないように注意しながらクチートにそう声をかけた。
すると、クチートはゆっくりとその左目を開けた。憂いを帯びた瞳でクチートはゴマゾウとフシギダネをチラリと確認した。
彼らの声の掛け方は決して友好的なものではなかったが、それでも彼らの顔色はこちらを心配しているようなものであった。
クチートはキュッと身体を丸め、小さく呟いた。
「クチ(……ごめんなさい)」
「ダネダ?(開口一番なんだ?)」
「クチ、クチクチ……(私、あなた達の主人に酷いことをしました)」
「パオパオ、パオン(気にすんな。うちのご主人が勝手にやったことだ)」
「ダネダ、ダネフッシ。ダネダネ(そうだ。こいつはこういうお人好しなんだ。お前が気に病むことはない)」
フシギダネとゴマゾウにこんなことを言われているとは露知らずタクミは小さく寝言を呟いた。
「うぇあぁ……」
意味など欠片もない寝言にフシギダネがため息をつき、ゴマゾウが呆れたように笑った。
「クチ………(あなた方が、助けてくれたんですよね)」
「ダネダ(俺達っていうより、こいつがな)」
フシギダネがそう言って“ムチ”でタクミの肩に布団を引き上げた。
「クチ……(はい、覚えてます)」
「パオパオ?(意識あったのか?)」
「クチ……(なんとなくですが……)」
とはいえ、クチートが覚えていることはほとんどなかった。
先の見えない暗闇の中。イワークの縄張りに入ったらしく、痛めつけられて気を失ってしまった。
そして、その後のことは朧気にしか覚えていない。
人間の声、腕、心音、熱。
誰かが自分を抱えて荒い息で走っていることはわかっていたし、冷え切った身体にはその熱がとても心地よかったのはよく覚えていた。
クチートは久しぶりに視力を取り戻した左目で自分の目の前にいるトレーナーを見上げる。
「クチ……クチ……(どうして……助けてくれたんでしょうか)」
「ダネダ、ダネダネダ(さっきも言ったろ。そういうお人好しなんだよ)」
「パオパオ(そうそう、迷子のヒトモシを引き取ったりな)」
話題にあがったヒトモシは相変わらず寝息をたてて眠ったままだった。
起きている間は気遣いのできるいい奴だが、少々第6感が鈍く、ねぼすけなので、寝ている間に物音で起きてくることはない。
クチートはそんなヒトモシへと視線を向けたが、すぐさま俯いてタクミのシャツに顔をうずめる。
昨夜のことは曖昧な記憶しか残っていない。だが、流石にこの体温と匂いには覚えがある。これは自分を強く抱きしめてくれた身体だ。
自分を守り、助けてくれた人の温かさだ。
それなのに、そのシャツから顔をあげたクチートの目は暗く沈んでいた。
「クチ……(やっぱり、私のマスターじゃないんですね……)」
「…………」
「…………」
フシギダネとゴマゾウは曖昧な表情で顔を見合わせた。
フシギダネは研究所で色々なトレーナーとポケモンの出会いと別れを見てきた。
ゴマゾウは小さな村ではあったが人とポケモンが共に生きていく場所を間近で見てきた。
その中で『捨てられたポケモン』に出会うことも時々経験していた。
だからこそ、フシギダネとゴマゾウはクチートに自分達から声をかけたのだ。
どうせお人好しのタクミのことだ。ここまで深入りしてしまったクチートのことを放っておくわけがない。そして、今後一緒に過ごすというのなら自分達がフォローをしなければならないこともある。それにはあらかじめクチートのことを知っておく必要があった。
そして、その役目は多かれ少なかれ『人間の悪意』に触れたことがあるポケモンの方がいい。
フシギダネとゴマゾウは自分達でそれを担うべきだと結論づけたのだ。
ゴマゾウとフシギダネはお互いにどちらが話を切り出すかを目線で問いかける。
ゴマゾウが鼻でチョイチョイと自分を指すが、フシギダネも首を振って自分に“ムチ”の先端を向ける。
そして、無言の対話の後、最終的にフシギダネが『憎まれ役』になることにした。
なにせ、その役割はタクミ直々に頼まれているのだ。譲るわけにはいかなかった。
フシギダネは“ツルのムチ”でクチートの肩をたたいた。
「ダネダ、ダネダ(聞いていいか?お前の過去に何があったんだ?)」
クチートは答えない。ただ、一層その身体を固くしただけだ。
それでもフシギダネは根気よく話しかける。
「ダネフッシ、ダネダネダ(言いたくないなら別にいいけどまた突然暴れたりされたら困る。お前を信用しないわけじゃないけどせめて……」
「クチ(話します)」
固く、短い声にフシギダネは目を細める。
「クチクチ……クチ(あなた達は命の恩人です、お話します。ですがつまらない話ですよ)」
「パオン(それなら慣れてる)」
「ダネダ(ああ、うちのキバゴの話のつまらなさは格別だ)」
思わず愚痴がこぼれるフシギダネとゴマゾウ。
キバゴはよく今まで見てきた映画の内容を話すのだが、その話し方があまりに下手くそなのだ。
自分の印象に残っているシーンを飛び飛びで話すために時系列があっちこっちに飛ぶ。しかも擬音ばっかりで感覚的に話すもんだから内容が非常に理解しにくい。
そんなことを言われているとは露知らず、キバゴは小さく寝言を呟いた。
「きぃあぁ……」
タクミと瓜二つな寝言にフシギダネとゴマゾウがこらえきれずに笑った。
クチートも状況を忘れそうになって小さく笑い声を漏らす。
そして、クチートは気を取り直したように目を閉じた。
瞼の裏に蘇ってくるのはマスターとの旅の記憶。
決して楽しい旅ではなかったが、それでも大切な日々であったことは変わらない。
他のポケモンに襲われているところを助けてもらった。一緒に旅を始め強くなれと言われた。期待をかけられた。その気持ちに応えて褒めてもらえたこともあった。だが、マスターの気持ちに応えられないことが増えた。叱咤を受けて辛い日々を過ごした。そのうち失望された。
「クチ……(私が悪いんです……)」
モンスターボールの中で過ごす時間が延び、バトルに出されることもなくなった。
それでも一度マスターと決めた相手だ。どこまでも付いて行くつもりだった。
研究所に仲間が転送されて手持ちのメンバーが入れ替わる中、自分は随分と長く一緒にいた。
まだ見捨てられていないのだと思っていた。期待がかけられているのだと思った。
だが、実際のところそんな大それた理由ではなかった。
ただ、マスターが手に入れた唯一の『石』がクチートにしか使えないというだけだった。
「クチクチ……(私はメガシンカが出来なかったんです……)」
「ダネ……」
「パオン?」
瞼がピクリと痙攣するフシギダネ。よくわからないような顔をするゴマゾウ。
クチートは彼等の表情が見えない。
ただクチートの耳朶にかつて言われた心無い言葉が幻聴になって響き渡っていた。
『くそっ!せっかく石はあるってのに!使えない奴だな!』
『ほら!どうしたんだよ!!どうしてメガシンカしないんだよ!!』
『お前はもういらない!ついてくるな!!』
『よしっ、じゃあこれは特訓だ!!目隠しをしたまま俺を見つけろ!お前が本当に俺に相応しいポケモンならどんな状況でも俺を見つけられるはずだ!ここにいて100数えてから俺を探しに来い!俺のところまで戻ってこれたらまた一緒に旅をしてやる!じゃあ頑張れよ!!』
そして、クチートは接着剤を顔に塗りたくられ、置いていかれたのだった。
ただでさえ暗い坑道の中だ。視界を閉ざされては昼か夜かもわからない。孤独と冷気に心と体を蝕まれ、空腹と渇きに苛まれながら足が動く限り洞窟を進み続けた。岩の表面に浮かぶ塩分をなめとり、泥水を啜って、冷え切った地面の上で浅い眠りにつく。
限界を感じたのも1度や2度ではなかった。
このまま諦めて地面に倒れこんでしまえば楽になるのではないかと何度も思った。
マスターのところに戻ることを諦めてしまえばこれ以上無駄に歩き回る必要もない。飲水が手に入る場所でゆっくりと目隠しが剥がれるのを待てば良かった。
だが、それは出来なかった。
自分が捨てられたことを認めてしまえば、自分が無価値な存在なのだという事実を認めることになる。
それは空腹や喉の渇きなどとは比較にならない程の苦痛を伴う。
野生として生きていた頃は何も感じなかったであろうことだ。だが、一度でもトレーナーの下につけば、一度でも誰かから認められる喜びを知ってしまえば、その孤独には耐えられなくなる。
満腹を知らない頃なら空腹に耐えられるのと同じだ。
一度あの充足感を味わってしまったら、もう戻れない。
だから、自分のトレーナーを探し続けた。もう一度自分の確固たる存在意義を与えてくれるあの場所に戻りたかった。
だが、例え自分のトレーナーを見つけることができたとしても彼が再び暖かく迎えてくれることなどない。そんなことはわかっていた。わかっていても、縋ってしまったのだ。縋っていたかったのだ。
そして、その結果がこれだった。
あの時、このトレーナーが助けてくれなかったら本当に命を落としていただろう。
クチートの全身に力がこもった。
命を助けられ、ポケモンセンターで治療を受け、目隠しも外れた。
だが、ずっと望んでいた外の光の中には見知った顔は一つも無かった。
もう、受け入れるしか無かった。
自分は捨てられたのだ。
クチートの瞳から涙が溢れた。
坑道で彷徨っている間には一度も流さなかった涙が次から次へとこぼれ落ちていく。
その口から小さく嗚咽が漏れだし、クチートはタクミの懐に顔を埋めて声を押し殺した。
フシギダネとゴマゾウはそんなクチートを困ったように見つめるしか出来なかった。
別に泣くことはいい。泣きたいときは泣けばいい。辛いのだと、苦しいのだと、我慢せずに吐き出せばいいのだ。それを誰も笑わないし、迷惑にも思わない。
クチートもそれは分かっているはずなのだ。
分かっていながら声を押し殺して涙を隠す。
我慢してきて、我慢しすぎて、我慢することが当たり前になると誰しもがこうなってしまう。
それは人もポケモンも変わらない。
フシギダネはため息を喉奥で止める。
フシギダネからすれば『随分と歪んじまってるなぁ』思わざるおえない。
フシギダネ自身も足のせいでいろんなことを我慢してきたから、気持ちはわかる。
そして、自分も声をあげて泣くことができないタイプなんだとも思っている。
だからこそ、わかることがあった。
このクチートが抱える痛みを真に癒せるのは
フシギダネはいつの間にか目を開けていたタクミを見上げ、“つるのムチ”をユラユラと揺らした。
『自分の役目は果たした』と言わんばかりのフシギダネに向け、タクミは小さく頷いた。
ポケモン達が話していた会話の内容なんてタクミにはわからない。
だけど、自分の胸で声を殺して泣いているポケモンにしてあげることなど一つしかない。
タクミはクチートの体を包み込むようにそっと抱きしめた。
「クチ……」
涙を流して熱を持ったクチートの身体。洞窟で抱えた時よりは体力が戻ってきている証拠だろう。
ただ、クチートの身体には癒えない傷が残った。そして、心にもまた癒えない傷が残っている。
どうしてこう、世の中ってのはままならないのだろうか。
タクミはやり場のない怒りや残酷な世界への失意を抑え込み、力が入りすぎないように気を付けながらクチートを胸元にしっかりと引き寄せる。
「…………」
タクミはクチートの背中をポンポンとリズム良く叩く。
言葉は出てこない。
『泣いていい』とは言えない。涙を見せないようにしてきた奴にそんなことは言えない。『声をあげていい』なんて言えない。必死に耐えて頑張ってきたのを無に帰すような慰めはタクミにはできない。
誰にも見られたくない泣き顔はある。誰にも見せたくない心の傷はある。
タクミはかつてアキが病床にいた時のことを思い出しながら、クチートの頭を抱え、より深く胸元に抱き込み、布団をかけてクチートの表情を覆い隠した。
そして、タクミはポツリと呟いた。
「……ごめんね……」
「……クチ?」
「ごめんね……もっと……もっと早く君を見つけてあげられたら……よかったのに」
「…………」
声に涙を滲ませるタクミ。
その震える声音が何よりもクチートの心の琴線に触れた。
どこまでも優しすぎる謝罪にクチートの涙腺が決壊する。
クチートはタクミのシャツを強く顔に押し当てた。
「………っ……っ…っ!」
涙で濡れていくシャツ。その涙の冷たさがいつか無くなるのを待つように、タクミはずっとクチートを抱きしめ続けた。