ポケットモンスター 夢のカケラを追いかけて 作:からんBit
幾重もの巨大な石が規則正しく並ぶ道『メンヒルロード』と呼ばれるこの道はこのカロス地方の中でも有名な観光地の一つだ。
高さ10mぐらいはありそうな巨大な石が巨人が五目並べでもしたかのように並んでいる。その長さ、セキタイタウウンを中心に実に10km。今歩いている道は然程長い道のりではないものの、それでも2、3kmは続いている。
タクミはそんな石の間に作られた整備された道を歩いていた。
巨石に囲まれた旅路はそのあまりの圧迫感に自分が小人になったような錯覚を覚えてしまう。縮尺が狂った世界に踏み込んでしまったような感覚は幼き日に読んだガリバー旅行記を彷彿とさせる。
これは写真の中の世界を眺めるだけでは届かない世界だなぁ。
タクミはそんなことを思いつつ、その不思議な景色に視線を走らせていた。
その頭の上にクチートが乗っており、タクミの首の動きに合わせて左右に揺られている。クチートはタクミのリュックの上に足をつけ、体重をかけてきている。首に負担をかけないタクミのよじ登り方はキバゴ直伝である。そのお陰で身体にかかる負担はかなり楽だ。そもそもキバゴの体重が18kg近くもあるのでクチートぐらいならまだ軽い方であった。
クチートの体重も最近になってようやく11kg台に乗った。クチートの平均体重と比べればまだまだ軽いが、少なくとも誤差の範囲内に入る程度には戻ってきている。クチートの右目の包帯はまだつけたままであるが、もう次の町に着くころには外せるだろうというジョーイさんのお墨付きもある。
身体の傷だけはようやく落ち着きを取り戻してきている。
もちろん、それだけじゃあ意味がないのだが……
「クチー……」
「クチートはここに来るのは始めてか?」
「クチ」
小さく頷いたクチートの左目には周囲の景色が反射して煌めいていた。
その時、タクミはふと疑問に思った。
そういえば、クチートは以前のトレーナーとどこを旅してきたんだろう?
この辺りに来たことがないのなら、自分と同じように『地つなぎの洞穴』を抜けるルートを取ったのだろうか?でも、砂浜の経験はなかったから、海沿いの道は歩いていないのだろう。あっ、でも、当時は別に暗いところが苦手なわけじゃないだろうからモンスターボールの中か。場合によっては砂浜を知らずに道を抜けている可能性はあるか。
そんなことを考えながら石の間を歩いていくタクミ。
そして、一つ丘を越えると、更に不思議なモニュメントが見えてきた。
これまでの『メルヒンロード』に並んでいた石よりも更に大きな巨大な一枚岩。天を貫かんばかりに聳え立つ大きな岩が3つ程、均等な距離感で円形に並んでいた。謎のパワーを放つとか、未知のエネルギーが眠っているとか、そんな数々の逸話がありながら、結局のところ観光名所以上に役に立つことはなく、今も多くの人が何かの御利益っぽいエネルギーを受信しようと集まってきている。
そうやって『石』に肖った町こそが、タクミの今の目的地。
セキタイタウンだった。
「見えた見えた、今日はあそこに一泊だぞクチート」
「クチ!」
「顔の包帯も取ってもらわないとな」
「……クチ……」
少し嫌そうな顔をするクチート。
開かない右目のことになるとクチートの表情は一段と曇る。
奥底に刻まれた
タクミは背中に乗っているクチートの頭を器用に撫で、再び歩き出した。
『静かな石は多いに語る』
そのキャッチフレーズ通り、この町は石による産業で起きた町だ。
元々はこの『メルヒンロード』の研究者が集まってできた集落だったが、付近の山から『進化の石』や希少な鉱石、家具などに使われる上質な石が取れることがわかり、人が更に集まって町になったとされている。
その為か、この町には石材の加工品が多い。
町の入り口には大きな石のアーチがあり、公園のベンチは石製、土産物は石にまつわるものばかり。さらに『進化の石』を扱う専門店すらある。
そんな石の町をタクミはポケモンセンターに向かいながら歩いていく。
『地方旅』のシーズンということで、道行くトレーナーの数は多く、観光向けの表通りにはそれなりに賑わいがあるようだ。その中でも特に盛況なのは『進化の石』の店であった。様々な種類のポケモンを進化させることができる『進化の石』はトレーナーにとって避けることのできない買い物だ。店先には旅の途中と思われる人たちが色々と悩んみながら石を選んでいる様子が伺えた。
通常の進化の石の相場は1個3000円。誰しもが買える額であるが、気軽に手を出すのは少し悩むお値段だ。
タクミにも『闇の石』でシャンデラに進化するヒトモシがいるが、ランプラーにすらなれていない今のタイミングで買う必要もないと思っていた。『進化の石』の値段を考えると、旅で飛んだり跳ねたりしているうちに壊れでもしたら勿体ない。いざとなればミアレシティにも売っている店はあるのでそれで充分だった。
むしろ、タクミが気になっていたのは……
「あ……」
「クチ?」
タクミはふと土産物屋の店先で足を止めた。
そこに並んでいたのは石でできたポケモンの彫刻であった。よくよく見れば通りのあちこちに石の彫刻を取り扱った店が並んでいる。
小さいものはキーホルダーぐらい、大きいものにになるとティッシュ箱ぐらいの大きさになる。作り込みも様々で、デフォルメされた簡素なものもあれば、細部に至るまで掘り込まれて今にも動き出しそうなものまで。商品の種類も飾りの置物を始め、時計が埋め込まれたものや箸置きに鉛筆立てに普段使いできそうなお皿まで色々だ。どれも一つ一つが職人によって作られたものらしく、一番安いので800円程度。少し良いものを買おうとすると値段がすぐさま跳ね上がっていく。
タクミは店の奥に飾られた1/1サイズの石の彫刻に苦笑いを浮かべた。そのお値段なんと80万円と既に土産物の値段ではない。
意匠となっているポケモンは『地方旅』のトレーナーを狙い撃ちにするためか、この地方の初心者用ポケモンである、ハリマロン、フォッコ、ケロマツのものが多い。その他にはどの地方でも人気のピカチュウやこの町の周囲で見かけるポケモンが目立つようだった。
その中でも特にプッシュアップされているのがイーブイだった。
「……流石に『進化の石』を取り扱っている町だもんな」
イーブイは『進化の石』により様々な種類のポケモンに進化する。
この町のマスコットにはうってつけなのだろう。
「………うーん………」
タクミは店先の商品を見比べて目を細める。
真剣な様子で商品を見つめるタクミにクチートは首を傾げた。
「クチ?」
「ん?ちょっと待っててねクチート……」
タクミはイーブイの小さな置物を手に取り、眉間に皺を寄せた。
一番安いデフォルメされたイーブイの彫刻はお行儀よくタクミの手のひらの上でおすわりしている。
「……でもなぁ……あんまり実用的じゃないもの渡してもなぁ……とはいえ、病院生活だと箸置きは使うタイミング少ないし……時計はちょっと手が出ない値段するしなぁ……普通の天然石も扱ってるけど、健康祈願のお土産はもう腐るほど渡してるし……髪飾りは……髪短いしなぁ……」
タクミは口の中だけで独り言を呟きながら彫刻を棚に戻して、店先から中を眺める。大きいリュックを背負ったままでは貴重品の多い店の中に入るのが躊躇われたのだ。ポケモンセンターに荷物を置いてくればいいのだが、タクミは自分に『少しだけ、少し見ていくだけ』と言い訳してその場を動かない。
「クチー………」
クチートはそんなタクミの様子に開いている左目を細めた。
「……うーん……どうしよっかなぁ……」
タクミが悩んでいたのは当然アキへのお土産であった。
タクミのリュックの奥底には既にコウジンタウンの水族館で買ったマンタインの意匠の入った金属製の栞が入っている。
せっかくの『地方旅』。アキにも旅気分を幾らかでも分けてあげれられたらとタクミは新しい町に着くたびに土産物をよく物色していた。とはいえ、あまりに大量に渡すのはアキに気を遣わせてしまう。タクミはこれまでの経験から多くても3個ぐらいが限度だろうと思っていた。ミアレシティに次に帰る時までに通る町を考えるとこのセキタイタウンは土産物の最有力候補であった。
おあつらえ向きにアキの手持ちにイーブイがいることは把握している。
次に会う時には進化している可能性もあるが、最有力候補はやはりイーブイ。
自分で買える範囲となると、やはりデフォルメされた品が一番候補なのだが。
「……あれもなぁ……これもなぁ……」
そうやって土産屋の前で唸り声をあげるタクミ。
そんな彼に声をかける一団がいた。
「あっ、あれ?タクミ君?」
名前を呼ばれて顔をあげるタクミ。
声がしたのは大通りの方。
そちらの方を向いたタクミは小さく「ゲッ……」と声を漏らした。
「……やぁ、ハルキ君……」
大通りを4人組のグループで歩く少年達。その先頭にはキャンプでタクミと浅からぬ因縁ができたハルキがいた。彼は白い歯を見せてタクミに向けて大きく手を振っている。この旅で一際日に焼けたのか、彼の顔の掘りはより色濃くなっており、より精悍な印象が産まれていた。
とはいえ、タクミはあんまり彼の容姿の変化には興味がない。
タクミはただ頭上のクチートのことを思い、少々顔を強張らせた。
「タクミ君!元気だった!?ジムバッジは順調?」
「まぁ、一応ね。とりあえず2個」
「おっ、いいペースじゃん!」
「ハルキ君は?」
「俺?俺は3個!!いやぁ!ゴーストバッジは苦労したよ!」
朗らかに会話するタクミとハルキ。
だが、その内心でタクミは戦々恐々としていた。
いくら握手して水に流したとはいえ、彼がフシギダネに放った心無い言葉の数々のことを忘れることはできない。彼に悪気がないのはわかっているので、タクミとしてもあまり彼を嫌いたくはない。だが、それとこれは別問題だ。今、療養中のクチートを前にして、彼に余計なことを言われると非常に困るのだ。
そんなタクミの気持ちを知ってか知らずかハルキは当然のようにクチートを指さした。
「それで、その子は?タクミ君の新しい手持ち?」
「まぁ……ね……」
「ふぅん……包帯してるね」
「うん……」
その時、ハルキの目がピクリと痙攣したように動いた。
タクミは乾いた唇を湿らせるように口を結ぶ。
わずかな沈黙の後、ハルキは呆れたような口調で言った。
「タクミ君はさ?なんなの?マゾなの?縛りプレイ好きな人?」
ギリギリな台詞だった。
タクミはクチートがハルキの言葉の意味が理解できずにいることを願い、首を小さく横に振った。
「……色々あったんだよ。色々」
「あぁ……まぁ……色々か……」
少し語気を荒げたタクミにハルキはわずかに身を引いた。
彼としても『弱いと決めつけていた相手に真剣勝負で負けた』あのキャンプの出来事は忘れたい類の出来事だ。変にクチートのことに言及して恥をかくのはもう懲り懲りであった。
「色々あるなら、まぁ、しょうがないよね」
ハルキはタクミを生温かい目線で見つめてそう言った。
彼はミアレシティでタクミがアキと一緒にいるところを見ている。
きっと彼はタクミのことを『ハンデを負ったポケモンを放っておけない底抜けのお人好し』だと思っているのだろう。
とはいえ、接近戦しかしないキバゴ然り、足が悪いフシギダネ然り、このクチート然りで、タクミとしても反論の余地はない。
だが、タクミの手持ち全てにアキが関係あるわけではない。
「言っておくけど……このクチートに関しては『彼女』は関係ないからね」
タクミが釘を刺すようにそう言うと、ハルキはバツの悪そう顔をして手をぶんぶんと振った。
「あ、いや、そういうつうもりで言ったわけじゃなくて……その……ま、まぁ、いいじゃんいいじゃん!っていうかタクミ君は今日どうするの?この町は素通り?」
露骨に話を逸らされた。
ただ、あのまま話を続けていれば喧嘩に発展しかねないので、タクミとしてもありがたいところであった。
タクミも無意味に波風を立てたくはない。
『っていうか、こっちの事情を深く知らないのにあんまり人の関係性について口を突っ込まないでよ』
タクミは内心でそうぼやきながら、微笑で建前を取り繕った。
「いや、今日はここのポケモンセンターで一泊の予定だよ」
「それじゃあ時間あるな。なぁなぁ、いつでもいいからさ、ここにいる間にバトルしないか?俺、すっげぇパワーアップしてるんだぞ。今回はリベンジだ」
「……それは……いい提案だ」
タクミとしても彼とのラストバトルがあんな喧嘩紛いのバトルであったことに心残りがあったのだ。
それを上書きするにはもう一度バトルをするのがベストだった。
「OK!何時がいい?俺たちはこれからちょっと周辺回ってポケモン探してくるんだけど」
「だったら夕方かな。5時ぐらいなんてどう?」
「了解!それじゃあ、またあとでね」
ハルキはそう言って、友人を引き連れて町の外へと歩いていく。
町の喧騒の中から彼と友人達の会話が途切れ途切れに聞こえてくる。
「ハルキ、あれって、アイツだよな。キャンプの」
「ああ。今度こそ絶対に負かしてやる」
「ハルキがそんな躍起になるのって珍しいな。でも、このタイミングでバッジ2つなら楽勝だろ?お前の方が成長してるって」
「それはどうかなぁ」
『頼むからそういう会話は十分に距離が離れてからやってくれよ』
タクミは小さくため息をこぼして、リュックを背負いなおした。
「クチッ!」
「あっ、ごめんクチート。大丈夫!?」
「クチクチ……」
リュックに足を乗せていたクチートはバランスを崩してタクミの後頭部に強くしがみ付いてきていた。
「ああ、ごめん。つい……」
今まではタクミの頭上はキバゴの特等席であったので、その感覚で身体を動かしてしまった。
クチートは再度自分の体をリュックの上で安定させて、一息つく。
「クチ」
『気にしないで』と言うような顔のクチート。包帯の無い左目は強張った筋肉でなんとか笑顔を浮かべていた。タクミは自分の側頭部をげんこつで軽く叩く。
「旅の疲れもあるんだから、さっさとポケモンセンターに行くべきだったね。行こうか」
「クチ」
ポケモンセンターに向けて歩き出すタクミ。
タクミは肩口から顔をのぞかせるクチートをチラリと見やった。
「…………?」
なんだか、クチートがお土産屋から離れることに喜んでいるように見えた。
「クチ?」
「あっ、いや、なんでもないよ」
小首を傾げたクチートの表情は普段と変わらず、タクミはすぐさまその考えを打ち消す。
気のせいだろ、と自分に言い聞かせて。
――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――
ポケモンセンターでクチートの治療のために、タクミは奥の部屋へと通されていた。それは別に特別なことではなく、クチートの包帯の処置のために毎回行っていることであった。普通ならポケモンの処置はジョーイさん達に一任するのだが、クチートだけはそうもいかない理由があった。
クチートは今もタクミと離れると状態が少し不安定になるのだ。
それは人間でいうパニック障害に近いものだった。
タクミがいない空間にいると、心拍数が異常をきたしたり、過呼吸になったりすることがある。
トレーナーの姿が見えないことに対する恐怖。『捨てられた』という心の傷が癒えていない証拠であった。
だが、タクミとしてもそれを苦痛に思うことはない。むしろ、クチートの治療にはタクミもできる限り同席したいぐらいだった。
タクミはクチートを膝の上に乗せ、その頭の包帯をプクリンに外してもらう。
一枚一枚丁寧にほどかれていくクチートの包帯。それ程厳重に巻かれているわけではないので、包帯はすぐにほどけた。
タクミは露わになったクチートの右目をのぞき込む。
薬品で変性したクチートの右目。その上下の瞼は焼き溶かされたゴムのような質感になっていた。皮膚には一切の張りがなく、ひび割れのような皺が幾重にも連なっている。筋肉は使われなかったことで萎縮してしまい、瞳全体が落ちくぼんで影になっている。動かない瞼の隙間からわずかに薄目が開いており、白く混濁した瞳がチラリと見えていた。光を感じることはできても、何も見ることができない瞳だ。
「プク~」
プクリンはその瞳にライトを当て、状態を観察する。
クチートの右目は清潔にされていて目ヤニなども溜まってはいない。
最初の頃はどれだけ清潔にしていたも、皮膚は赤く腫れあがり、目ヤニで包帯がドロドロになってしまうぐらいに炎症が起きていた。
それをタクミが毎日目薬を差して包帯を取り換えてあげていたのだ。
献身的な介護に関してはお手の物のタクミ。どうやら効果は出ているようであった。
プクリンは一通り状態を観察した後、すぐさまジョーイさんを呼んできた。
ジョーイさんの最終チェックも終わり、クチートは晴れて包帯という拘束からの解放が言い渡された。
「良かったなクチート」
「クチ……」
包帯が取れたのは確実に前進だった。
だが、クチートの表情はなぜか浮かない。
「クチート?」
「…………」
クチートは右目を自分の手で覆い、左目でタクミをチラリと見上げた。
「クチ……」
「ん?どうかしたのか?目がまだ痛いのか?」
ゆっくりと首を横に振るクチート。
そしてクチートはタクミの視線を避けるように少し俯いてしまった。
「クチート?どうしたんだよ?」
そんなクチートの様子を見て、ジョーイさんがクスリと笑顔を浮かべた。
ジョーイさんはひざを折り、クチートと視線を合わせる。
「そうよね、クチートちゃんも女の子だもんね。眼帯があった方がいいかな?」
「クチ……」
小さく頷くクチート。
「タクミくん。ダメですよ。女の子の傷をのぞき込むようなことしちゃ」
「えっ、いや、だって……そもそも、毎日目薬刺してあげてたんだから今更……ってわけにはいかないか……」
そういえばそうだった。タクミは胸の内で反省する。
タクミにも経験があった。
当然、アキとの看病生活での経験だ。
最近はあまり気にしなくなっていたが、アキと出会って半年ぐらいは彼女も自分の骨と皮だけの足を見られることは酷く嫌がっていた。
自分の弱いところを見られて喜ぶ奴はそういない。
タクミは自分の気遣いが足りなかったことを詫びるようにクチートの頭を撫でる。
「ごめんな。無神経だったよ」
クチートは無言で撫でられるままになっている。その表情は伺いしれないが、あまりいい顔はしていないだろうというのは予想がついた。
「それより……もう一つ謝らないとかなぁ」
「クチ?」
「ああ、いや……まぁ、うん……なんでもないよ……なんでもないよ」
実はタクミはクチートがメスであることに気づいていなかった。
最初にゲットした時に確認し忘れたままズルズルここまで来てしまっていたのだ。
タクミは深く深く反省する。
ちなみにキバゴ、フシギダネ、ゴマゾウはオスで、ヒトモシはメスである。
クチートはジョーイさんに頭の大きさに合わせてもらった眼帯をつけてもらい、ようやく顔をあげた。
そのクチートを抱き上げ、タクミはジョーイさんに頭を下げる。
「ありがとうございました」
「はい。目薬はもう差さなくてよさそうだけど。もし、また目ヤニが多くなってきたら使ってあげてね。有効期限は今年いっぱいは持つから」
「わかりました。お世話になりました」
「お大事にね」
タクミはもう一度頭を下げて診察室を後にする。
その頃には預けていたキバゴ達のモンスターボールも戻ってきており、タクミはポケモンセンターの裏にあるバトルフィールドに移動してポケモン達を全員呼び出した。
「キバキバ!キバキバ!」
クチートの包帯が取れたことを自分のことのように喜ぶキバゴ。
大げさに諸手を上げて祝福するキバゴにつられ、ヒトモシとゴマゾウも声を上げた。
「ダネ……」
「フシギダネも一緒に喜んであげなよ。クチートもその方が嬉しいと思うよ」
「ダネ」
フシギダネはチラリとクチートの視線を確認する。クチートはキバゴ達に迫られてあたふたしており、
こっちを見ている余裕はなさそうだ。それを見て、フシギダネは自分の“ムチ”をシャドーボクシングでもするように動かした。
『バトルできなきゃ、治ったことにはならないだろ』
そんな目でタクミ
「まぁ、そうだね……」
『手持ち』へと加えられたポケモンの行動原理の1つに承認欲求というものがある。
バトルをして、勝利に貢献する。
コンテストやトライポカロンに出て、観客を魅了する。
ポケスロンに出て、上位の成績を残す。
そのどれもが、トレーナーに認めてもらうことに帰結する。
クチートはバトルに出たがっていた。勝利に貢献したがっていた。
トレーナーに自分の価値を認めてもらいたがっていた。
その想いが強いのは、一度トレーナーに捨てられたからこそだろう
自分の価値を否定されたのだから、もう一度自分の価値を証明しなければならない。
単純な話ではあるが、クチートにとっては大事なことなのだ。
その為にも『勝利』というものはクチートに必要なピースであることは間違いないだろう。
そして、タクミのチームの中で同じような経験をしているのが、このフシギダネだった。
足が悪くて、旅に出られなかったフシギダネ。
初バトルに負け、意気消沈して心が折られそうになっていた。
あのキャンプでフシギダネのリベンジマッチを勝利で飾ることができなかったら、フシギダネもまた
そんな経験があるからこそ、フシギダネもクチートのことを放っておけないのだろう。
「フシギダネ、頼めるかい?」
「ダネダ」
フシギダネは自分の左足に“ムチ”を巻き付けて曲げ伸ばしをする。
最近はそれがフシギダネにとって大事なウォーミングアップになっていた。
「クチート」
「クチ?」
クチートはゴマゾウの背中に乗せられ、ヒトモシの色とりどりの“おにび”の花火に祝福されていた。
そのクチートは小首を傾げ、タクミを見上げる。
「クチート、軽快祝いだ。バトルをしないか?」
「クチ……」
クチートの左目が大きく見開かれた。
ゴマゾウの瞳がスンと静かになる。ヒトモシの浮かべていた“おにび”が青白い光に沈み込む。
その中でキバゴだけが、まだ口元に笑顔をたたえていた。
「キバキバキバ!!」
キバゴは突然バトルフィールドに飛び出し、両腕に“ダブルチョップ”を燃え上がらせた。
「キバァァァ!!」
「キバゴ」
「キバ!!」
「燃えてるところ悪いけど。今日はお前の出番ないから」
「キバッ!?」
キバゴは驚愕に顔をのけ反らせ、両腕の“ダブルチョップ”を必死にアピールする。
「ああ、うん。確かにな。お前の“ダブルチョップ”は【フェアリータイプ】のクチートには効果ないから、お前とのバトルは安全だよ」
「キバキバ!」
激しく首を縦に振るキバゴ。確かに相性を考えればキバゴ相手はクチートとしては一見良さそうに見える。
「けど、お前。盛り上がってきたら絶対に“あなをほる”使うだろ」
「…………キバ……」
キバゴの目が泳いだ。タクミはため息を吐く。
クチートにタクミの指揮下で十分に戦わせるとなると、対戦相手のポケモンにタクミは指示を出せない。そこまでタクミは器用にはなれなかった。その為、対戦相手には自己判断でワザを出してバトルをしてもらうわけだが、そういうバトルではキバゴが一番信用がならない。
キバゴもキバゴなりに考えて動いてくれているのはわかっている。色々と気を回して立ち回ってくれていることも理解している。
だが、ことバトルに熱が入ると手加減を忘れるのだ。
タクミにはキバゴが白熱して“あなをほる”を使ってクチートを仕留める未来がありありと見えていた。
ついでに、決めポーズを付けた瞬間に我に返って青い顔をするキバゴの様子もありありと浮かぶ。
というよりも、クチートの最初の対戦相手は最初から決まっている。
「バトルの相手はフシギダネだ。クチート、やってみるか?」
「クチ……」
クチートは入念に左足を曲げ伸ばしするフシギダネをチラリと一瞥する。
そんなクチートをフシギダネは静かな瞳で見返した。
「…………」
フシギダネはその視線を無視するように、ゆっくりとフィールドの中央へと歩いていき、クチートを振り返った。
フシギダネは四肢を大きく広げ、僅かに身体を沈み込ませた。
フシギダネの目線が鋭くなり、戦闘態勢に入ったことが否が応でも伝わってくる。
「クチ……」
クチートが生唾を飲み込んだような音がタクミの耳に届いた。
クチートの左目がフシギダネからタクミの方へと移る。
不安に揺れるクチートの瞳。わずかに滲んだ涙に恐怖が垣間見える。
タクミはクチートを安心させるために精一杯の笑顔を浮かべていたが、同時に奥歯を強く噛みしめてもいた。
『なんだよ。やっぱり普通に怖いんじゃないか』
クチートの
だからといって、バトルに対する
タクミは迷う。
このままバトルをさせていいのだろうか?
もう少しクチートの様子を見るべきではないのか?
今ならまだ間に合う。今ならまだ止めることができる。
タクミはそう思い、口を開きかけた。
「クチ!」
「……っ!」
だが、タクミが何かを言うより前にクチートがバトルフィールドに向けて一歩踏み出した。
タクミは喉の奥にまで迫っていた言葉をなんとか飲み込んだ。
そして、タクミはニヤリと口角をあげ、友人をゲームに誘うような口調でクチートに声をかけた。
「やるか」
「クチ!」
クチートがタクミの前まで速足でやってくる。
「クチ!!」
クチートは自分の顎を一振りして背中に回し、フシギダネへと視線を合わせた。
その身体に震えはないが、足に力が入っているかどうか微妙なところだった。
タクミは眉間に皺を寄せる。
その時、突如キバゴが声をあげた。
「キバァァア!!」
まるで自分がバトルをするかのような強い雄叫び。
既にフィールドの外にいるキバゴであったが、その声量にタクミの体がビクリと震えた。
「……そうだな」
タクミは自分の頬を叩いた。
トレーナーが不安になってもしょうがない。
今、クチートがやると言っているんだ。それに応えることだけを考えるべきだ。
「行くぞ、クチート」
「クチ!」
これがクチートとタクミの初バトルであった。