ポケットモンスター 夢のカケラを追いかけて 作:からんBit
ハルキとのバトルを終えたタクミは彼に誘われるまま彼の友人達と夕食を共にしていた。
「そこでハルキのリザードが相手のルチャブルをぶっ飛ばしてさ」
「ルチャブルが“フライングプレス”を使うタイミングが下手くそなんだよ」
「そもそも、手持ちポケモンがルチャブルだけだから、そこピンポイントで抑えればいいんだよね。よくあれで13連勝とか言いふらしたたもんだよ」
「あははは……」
タクミは愛想笑いで疲れた頬を休めるように冷水を口の中に流し込んだ。
タクミはいい加減、自分がどうして彼等が苦手なのかわかってきた。
この人たち、陰口というか、相手を貶す言葉が多いんだ。
タクミはアキという色々と特殊な友人がいるせいか、言葉遣いにはかなり気を使うことが習慣になっている。そのタクミからすれば彼等の言動は少々乱暴なのだ。
とはいえ、タクミは苦手な人を相手に愛想笑いで乗り切るのやり方も心得ている。身に着けた理由はやはり『アキという友人』の影響が大きい。
タクミはひたすら聞き役に回り彼等の旅の話に適度に相槌を打って聞き流す。
できれば何か席を外す言い訳が欲しいところであるが、タクミのポケモン達は少し離れた場所で適当に遊んでいる為期待できない。
昼間見せたフシギダネのジャグリングが皆の興味を引いたのか、クチートとキバゴを中心にフシギダネの“タネ“でジャグリングの練習していた。クチートが夢中になって遊んでいるのは微笑ましいのだが、それはそれとして助け出して欲しいのがタクミの本音であった。
夜も更け、彼等の話題が次第に身内ネタになり始めた時、気を使ったかのようにハルキがタクミの方にも話題を振った。
「タクミ君はこの後は『映し身の洞窟』を抜けるんだよね?」
「え……うん」
今、このタイミングで話を振るか……
身内ネタで盛大に彼等が盛り上がっている時に関係の薄い自分の話など、場を白けさせるだけだ。
実際、彼等は会話のリズムが狂ったかのように唐突に静まり返っていた
タクミは自分の話題をなるべく避けることにして、会話がハルキ達だけで成り立つように話題を選んだ。
「まぁ、そうなんだけど。ハルキ君達は『映し身の洞窟』は通らなかったの?」
「うーん、通ったといえば通ったけど……連絡船で洞窟の中の水路を抜けただけだからなぁ。そういやミキタカはなんか船内の解説を熱心に聞いてたよな」
「えっ?あぁ、うん。まぁ、聞いたけど。あんまり面白いとこじゃなさそうだったな。もうちょっとなんかあってもいいと思ってたんだけどよ。もうほとんど覚えてねぇや」
具体的な話が何も出てこない。タクミは自分の眉が動きそうになるのを食い止めるのに随分と精神力を使った。
「あっ、でも、そこの職員さんに面白い話聞いたぜ」
ミキタカと呼ばれた少年は唐突に声を落としてそう言った。
「あの洞窟、結構怪談が多いんだってさ」
「え……」
ハルキ達が全員呆れたような顔をした。
それとは対照的にタクミの背筋が凍る。
「え?マジ?」
「あぁ……お前……『合わせ鏡』って知ってるか?」
「え?『合わせ鏡』ってあれでしょ、鏡を向かい合わせる……」
「ああ、『地球界』でも『合わせ鏡』は危ないんだ。夜中の2時に『合わせ鏡』に写った7番目の顔は自分の死に顔になるって言われてる。実際、俺の兄貴の友人が試したことがあるんだ……そしたら……」
「……ごくり……」
ミキタカの怪談話はやけに迫力があり、タクミは途中から完全に逃げられなくなってしまっていた。
ただでさえホラーは苦手なのに、なんでこんなことに。
「……その顔だけ、シワクチャの爺さんの顔だったんだ……顔は真っ白で、目が片方濁ってて……そしたら、自分の死に顔が……ニヤリって笑って……その死に顔がゆっくり鏡を越えて近づいてくるんだ。後6つ、5つ、4つ。死に顔の自分とすれ違うたびに他の像の自分も死に顔になっていって……そして、そいつは2つ前で止まるんだ。鏡に写ってるのは反射した自分の顔と、その後ろにいる死に顔……そして、そいつが手を伸ばして……」
ポンとタクミの肩に誰かの手が乗った。
「っ!!っ!!!!っ!!!!!」
タクミは『合わせ鏡』のオチに盛大にビビり散らし、ハルキ達にこっぴどく笑われることになったのだった。
「ほんと!もう!僕、ホラーダメなんだって!!」
「ビビりだなぁ。だったら先に言えよ」
「言うタイミングなかったじゃないか!」
タクミは気恥ずかしくなり、喉奥から意味のないうめき声を放つ。
「それで話を戻すけど『映し身の洞窟』には変な逸話が多いんだってさ」
「また、ホラーじゃないよね」
「違う違う……なんていうかな、ホラーっていうより都市伝説?あの『映し身の洞窟』って鏡みたいに光る鉱石が多くって、そこら中が鏡だらけみたいな洞窟らしいんだけど。その中に、別の世界を映す鏡があるとか」
「別の世界?」
「パラレルワールドっていうの?まったく自分と同じ姿だけどまるでキャラの違う自分が鏡の中にいたとか」
「え?」
「他にも『合わせ鏡』ばっかりの部屋があって、姿が反射するごとに自分の過去や未来の姿が見えるとか」
「へぇ」
「あとは『鏡の世界に入った』って話もある。誰もいない全てが反転した世界に入り込んだとか」
「ふぅん……」
「まぁ、やっぱり都市伝説だよな」
「確かにそうだね。そんな出来事がしょっちゅう起きてたら、話題にならないわけがない。やっぱり眉唾ものの話なんでしょう」
タクミがそう言うと、ハルキ達がなんだか楽しそうな顔でタクミをのぞき込んだ。
「な、なに?」
「……ビビってる?」
「違う!!!」
タクミは顔を真っ赤にして珍しく声を荒げたのだった。
翌日。
タクミはポケモンセンターのホールの片隅にあるお土産屋でモンスターボールをベルトに固定するための留め金を買っていた。イーブイを
これはハルキに勧められたものであった。
アキに渡すお土産に悩んでいるという話を聞いた彼に教えてもらったのだ。
モンスターボールの留め金はトレーナーの必需品なので、大通りの土産屋よりもポケモンセンターでの取り扱いが多い。土産を買う時はいつも外の店ばかり巡っていたタクミには完全に盲点であった。
タクミがホールの中央に向かうと、既に旅支度を終えたハルキ達が待っていた。
「それじゃあ、俺たちはもう行くよ」
「うん。また会ったらバトルだからね。次は追いつく」
「ああ、タクミ君はその時までにもうちょっと強くなってくれよ」
なんでお前が上から目線なんだよ、と言い返したいのグッとこらえる。
タクミは笑顔で応じながらもカチンときていた感情を抑え込む。
実際にバトルで負けているのだから言い訳の余地はないのだ。
タクミは最後まで愛想笑いを貼り付け、彼等が出発していくのを見送っていった。
彼等がポケモンセンターの自動ドアをくぐって姿が見えなくなるのを見届け、タクミはようやく大きく息を吐きだした。
「……はぁ……」
タクミはドッと疲れたような気がして近くのソファに座り込む。
すると、それに気づいたクチートがタクミに寄ってきた。
「クチ?」
「ん……大丈夫……よしっ!!」
タクミは勢いよく立ち上がり、クチートを抱き上げた。
「行くか。クチート」
「クチ!!」
健気にガッツポーズをするクチート。
タクミがこれから向かうのは『映し身の洞窟』。
『洞窟』というのはクチートのトラウマだ。
できれば、避けるのが賢明なのかもしれないが、クチートはやる気だった。
「……クチ……クチ……」
クチートはタクミの腕の中でガッツポーズを繰り返していた。
タクミにはその腕の動かし方には覚えがあった。
「それ、キバゴに吹き込まれたのか?」
「……ク、クチ……」
照れたように頷くクチート。
タクミはその頭をガシガシと撫でまわす。
「クチ……」
「へへへ、さぁ、行こうか」
「クチ!!」
それは、タクミが今まで聞いてきた中で一番元気な返事だった。
顔の包帯も取れ、最初のバトルもこなし、仲間達とも少しずつ交流が増えている。
それはきっとクチートに良い影響を与えてくれている。
そう思えるだけの良い声だった。
タクミは少しだけ晴れやかな気持ちでポケモンセンターを後にしたのだった。
――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――
『映し身の洞窟』はあちこちに鏡面のある不思議な洞窟であった。その鏡面も折れ曲がったり歪んだりしているせいで空間がねじ曲がったように見える。そのせいか、空間の広がり方を錯覚しやすい。
何気なく壁に手をつこうとして、何もない空間を素通りしてしまう。
バランスを崩して伸ばした手が思いもよらないところで鏡面に阻まれる。
今だって自分がどれほどの大きさの空間にいるのかをタクミは正確に把握できないでいる。
細い廊下で鏡に囲まれているのか。それとも本当はもっと広い空間に立っているのか。
自分と物理世界の境界線が狂ってしまったかのようだった。
『別の世界に入り込んだ』という噂話が聞こえてくるのも頷ける話だ。
ただ、洞窟の中だというのに閉塞感がまるでないのは今のタクミにとって救いだった。
光源が1つあればそれを幾度も反射して洞窟を照らすため、ランプ1つで随分と先まで照らすことができる。そのこともあって、洞窟の中は妙に明るい。
クチートは閉塞感に怯えることもなく、むしろ興味深そうに周囲を見渡していた。
タクミは詳細な洞窟内のマップをホロキャスターに表示する。
地球界からもたらされた土木技術により、この洞窟には安全なルートが確立されている。
要するにシャラシティまで真っすぐ続く直線通路があるのだ。
タクミは当初はこの道をできるだけ素早く通過するつもりだった。
理由はもちろんクチートの為だ。
「クチート、この洞窟は平気なのか?」
「クチ」
クチートは小さく頷いた。
「クチクチ」
「ん?下りたいのか?」
「クチ」
タクミは乞われるがままにクチートを地面に下ろす。
クチートは髪を振り払うように自分の顎を後ろに流し、テクテクと壁際まで歩いていった。
「……クチ……」
手近にある鏡面に手をつき、眼帯をした自分の顔を眺めるクチート。
「クチート?」
「…………」
クチートは眼帯を持ち上げて、自分の顔を確認していた。
鏡に映っていたのは酷く歪んだ皮膚と落ちくぼんで光を失った瞳。
「……クチ……」
クチートは眼帯を下ろし、うつむいてしまう。クチートは鏡を見るたびにそうやって自分の傷を確認している。
きっと、時間が経てば少しでも傷が治ってくれるんじゃないかと期待しているのだろう。
ほとんど不可能に近いとわかっていても、願わずにはいられない。
タクミはそんなクチートを抱き上げた。
「気にするな……と言っても無駄かもしれないけど……気にするな」
「クチ……」
やっぱり、自分の顔に酷い傷が残っているのにはそれなりにショックのようだった。
「とはいえ、お前本当に平気そうだね」
「クチ?」
今のところクチートに変わった様子はない。むしろ鏡で自分の顔を見ようとするぐらいの余裕がある。
「なぁ、クチート。少し奥に行ってみるか?」
「クチ?」
「もしかしたら新しいポケモンと出会いがあるかもしれないしさ、ちょっと遠回りしてみようよ」
「……クチ」
タクミが指差したのは本来この『映し身の洞窟』にあった道だ。細い横道も多く、野生のポケモンも生息しているルート。やや複雑な道のりではあるが、マップ通りに進めば抜けるのに一日かからない。
洞窟の奥に野生のポケモンの気配を感じ取ったクチート。
クチートはほんの一瞬だけ身を引くように体を強張らせたが、それをすぐに飲み込んだ。
クチートは自分を抱いているタクミの腕に触れ、タクミがベルトに固定しているキバゴやフシギダネやゴマゾウやヒトモシのモンスターボールに目を滑らせた。
いざとなれば仲間がいる。
クチートはガッツポーズを取って頷いた。
「……クチ!」
「よし、行くか」
そして、タクミはリュックを背負いなおして、『映し身の洞窟』の奥へと入っていったのだった。
『映し身の洞窟』はそれほど狭くはない洞窟であった。天井は高く、道幅も広い。そもそも、以前はこのルートしかなかったのだから、道はある程度整備されていて当然なのであった。直通通路ができた後も、旅をしているポケモントレーナーは野生のポケモンがいるこちらのルートを通ることも多いと聞く。
だが、連絡船という別方向の移動手段ができたこともあり、この洞窟を通るトレーナーはめっきり減っているようだった。その証拠に、タクミは誰一人としてトレーナーとすれ違うことはなかった。
それが良いのか悪いのかは置いておき、十分な時間をポケモンの探索に充てられそうなのは有り難かった。マップにはポケモンが生息している細かい横道なども描かれており、タクミは本来のルートを外れながらそういった道を覗いていく。
「意外といないもんだな……」
タクミは細道の奥の方をランプで照らしてため息を吐いた。
大分積極的になってきたクチートもタクミの足元を一緒に歩きながら岩を持ち上げていた。
「クチ……」
「って!クチート!それ!」
「クチ?」
クチートが持ち上げていた岩が「ゴロリ」と音をたてた。
否、それは鳴き声であった。
クチートが持ち上げていた岩には小さな足がついていた。
「それはダンゴロだ!!」
ダンゴロは昼寝を邪魔されたのを怒るかのように、ゴロゴロと威嚇音を鳴らしていた。
「……クチ……クチ……」
ダンゴロの威圧感にふつふつと冷や汗をかくクチート。
「クチート!ダンゴロを投げろ!!」
「ク、クチ!」
大慌てでダンゴロを投げ捨てるクチート。クチートはタクミの背後に逃げ込もうと駆け出した。
だが、それよりもダンゴロの体内に赤いエネルギーが溜まるのが早かった。
「ゴロゴロ!!」
ダンゴロの身体の中央にある窪みから拳骨大の石が放たれる。
“うちおとす”だ。
タクミは素早く自分のモンスターボールに手をかけた。
「キバゴ!!」
「キバァ!!」
間一髪であった。キバゴがクチートとダンゴロの間に割り込み、出現と同時に“うちおとす”を弾き飛ばした。
キバゴはクチートがタクミの後ろに逃げ込んだのを目の端で確認する。
「キバァ!?(だいじょうぶか!?)」
「……クチ(はい)」
弾かれた“うちおとす”は近くの鏡面に当たって跳ね返り、キバゴの足元へと落ちてきた。
「キバァ………」
ダンゴロを睨みながら、息を細く、長く吐きだすキバゴ。その吐息の端々にキバゴの殺気が漏れていた。
『俺の妹分に何してくれとんじゃぁ……』
キバゴは全身に強烈なまでの怒りのオーラを纏わせて両腕を構えた。
あまりの迫力に、ダンゴロの動きがピタリと止まる。
ダンゴロが威嚇音を止めた。それだけでなく、既に及び腰だ。
そんなダンゴロに向け、キバゴが堂々と足を踏み出し、足元に転がってきていた“うちおとす”の石を踏み潰した。
石とガラスを同時に割ったような音が響いた。
キバゴが足をあげると、“うちおとす”の石はぐしゃぐしゃに砕かれた破片となってしまっていた。
「キバ」
キバゴが爪でその砕かれた石を指さす。
『次はお前だ……』
任侠物の映画も見ているせいか、表情の作り方が完璧だった。
「ゴロォ……」
ダンゴロはそのキバゴの雰囲気に押されて、洞窟の奥へと逃げ去っていった。
「キバァ!!」
「キバゴ!深追いしちゃだめ」
「キバァ!!」
抗議の声をあげるキバゴにタクミは首を横に振る。
「そもそも、昼寝を邪魔したのはこっちだ。追いかける必要はない」
「キバ」
キバゴは不満そうにパチンと指を鳴らす。
だが、すぐに気持ちを切り替えたのか表情を緩めた。
眉間から皺を消し、キバゴはクチートに声をかける。
転んでないか?怪我はないか?いつでも俺を頼れよ?
大げさな身振りでクチートを気遣うキバゴは本当に兄貴分として頑張るつもりのようであった。
まぁ、キバゴがどう頑張ってもチーム内の精神的柱はフシギダネになりつつある。
フシギダネが長兄、キバゴが末弟という図式は変わることはないだえろう。
「クチクチ」
「キバァ~」
頭を下げて礼を言っているクチートを前にキバゴはだらしない顔で鼻を膨らませていた。
「キバゴ……ボール戻る?」
「キバ!!」
キバゴは両腕を組み、仁王立ちしてタクミを見上げていた。
「お前がクチートを守るのか?」
「キバキバ」
キバゴは胸を張り、ポンと自分の胸を叩いた。
「はいはい、それじゃあ任せたよ」
「キバキバ!!」
「そのやる気が空回りしないといいね」
「キバ!!」
『当たり前だ!』とガッツポーズを決めるキバゴであるが、タクミとしてはこういう浮足立っている時のキバゴが一番危ないと思っていた。
タクミは鼻歌を歌って歩き出したキバゴの背後でクチートに耳打ちをする。
「クチート、キバゴのこと、ちょっと注意しといてくれる。頑丈は頑丈だから守る必要はないけど、不用意に飛び出しそうだったら捕まえといて」
「クチ」
クチートは小さく笑って頷いた。いい笑顔だった。
タクミは気を取り直すようにリュックを背負いなおして、キバゴの後を歩いていく。
クチートは先ほどのこともあり、タクミのズボンを握りながらタクミの後ろを歩いていく。
「……ん?」
タクミはふと足を止めて天井を見上げた。
「クチ?」
「キバ?」
「あっ……いや……」
タクミはもう一度天井を見上げる。
そこには歪な形をした結晶が様々な色となって煌めていた。
「なんか視線を感じた気がして……気のせいかな……」
鏡の光を錯覚しただけだろう。
タクミはそう結論付け、再び歩き出していった。
洞窟の奥へと進んでいくタクミ。
静かな洞窟の中に彼等の足音とキバゴの鼻歌が響いていく。
「キ~バ~キ~バ~キッババ~」
「クチ?」
「有名なロックバンドの曲だよ。映画のタイトルにもなった」
鼻歌に合わせてシャドーボクシングのように腕を振るキバゴ。
そんな時だった。
「……クチ……」
真っすぐな通路の真ん中でクチートが唐突に立ち止まった。
クチートに意識を配っていたタクミも一緒に立ち止まる。
キバゴだけが2人に気づかずに鼻歌を鳴らしながら進んでいく。
「どうした?クチート?」
「……クチ……」
クチートが不安そうな顔でタクミの顔を見上げてきていた。
「クチート?どうしたんだ?気分でも悪いのか?」
クチートは首をブンブンと横に振る。
タクミにはそのクチートの素振りがどこか焦っているように見えていた。
クチートはタクミの服の裾を握り込み、左目を閉じた。
「……クチート?」
クチートは顎を地面につけて、意識を集中している。
「…………キバゴ」
「キバ?」
前を進んでいたキバゴがようやく振り返り、キョトンとした顔を浮かべた。
「キバゴ、そこ動くな」
「キバ?」
「ついでに喋るな」
「……」
両手で自分の口を押えたキバゴ。
タクミはクチートのことを待つ。
『洞窟』の中で『両目を閉じたクチート』
それは、かつてあの坑道でクチートが彷徨っていた時と同じ状況。
つまり、周囲の危険を音と振動で感知していた頃と同じ状況だ。
クチートがなんでそんなことをしているのかはわからないが、タクミの中で警鐘が鳴っていた。
「…………」
「…………」
5秒、10秒、15秒
静かな時間だけが過ぎる。
そして、唐突にクチートが何かに気づいたかのように目を見開いた。
「クチッ!クチッ!!」
クチートが慌てたように今まで歩いてきた道を指さしながらタクミの服を引っ張る。
「どうした?戻るのか?」
「クチクチ!!」
クチートが顔をこわばらせながら何度も頷く。
タクミはすぐさま決断した。
「キバゴ!走れ!!」
「キッ、キバッ!?」
タクミはクチートを抱えあげ、元来た道を駆け戻る。
その後ろからキバゴもダッシュでタクミを追いかける。
「クチート、これでいいんだな!?」
「クチッ!クチッ!」
肯定するようにタクミの身体にしがみつくクチート。
その直後、キバゴが雑巾を絞ったかのような悲鳴をあげた。
「キバァァァ!?」
キバゴの声に驚いてタクミも背後を振り返る。
そして、タクミも悲鳴を上げそうになった。
悲鳴はなんとか飲み込んだが、喉の奥からひっくり返ったような声が出た。
「なんだあれ!?走れキバゴ!!」
「キバァァァァァァア!!」
キバゴは目をまん丸に見開き、全身から汗を拭きだしながらタクミに追いついてくる。
「クチート!しっかり掴まってて!!」
「クチクチィ!!」
「キバァァア!!」
タクミ達の背後。『映し身の洞窟』に岩の津波が起きていた。
「メレシーの大群って……なんだこれぇぇぇえ!?」
『ほうせきポケモン メレシー』
メレシーは『映し身の洞窟』に生息しているポケモンだ。普段は地中に埋まっていることが多く、全体的に臆病で、気性も穏やかなポケモンのはずだった。
それが、なぜか知らないが、大量の集団で通路を押し寄せてきていた。
耳を慌ただしくばたつかせ、目を白黒させて我武者羅に地面を飛び跳ねて突っ込んでくるメレシー。まるで、何かから逃げるかのように続々とやってくる。
10体や20体ならまだなんとか『可愛らしい』の括りに入れることもできるかもしれないが、それが地面を覆いつくさんばかりの大群となれば話が違う。
メレシーが跳ねる音は重なって轟音のように洞窟に響く。足の踏み場の無い程の大群は“いわなだれ”すら小川のささらぎにしか見えない。土石流という単語が頭に浮かぶ程の『メレシー雪崩』。
巻き込まれたらただで済まないのは火を見るより明らかだった。
「ぬぉぉおおおおお!!」
「キバァァァァァァ!!」
ピッチをひたすら上げて走り続けるタクミ。他のモンスターボールを取り出す余裕もない。というか、誰を出してもこのメレシーの大群を退けることはできない。
だが、いつまでも逃げ続けるわけにはいかないのも事実。
「キバゴ!どこでもいい!!横道に飛び込むぞ!」
「キバァァアア!!」
タクミがそう言った直後、通路の先に鏡の岩に囲まれたような細い横道が見えた。
「キバゴ!あそこだ!!」
「キバァァァ!」
タクミが指差した先をキバゴも把握する。
キバゴがスピードを落とし、タクミの背後についた。
「キバゴ!気をつけろよ!」
「キバァ!」
キバゴの最優先事項はタクミ。最悪、自分が盾になるつもりなのだ。
少なくとも、タクミよりもキバゴの方が頑丈なのだから合理的な判断には違いない。タクミにもそれはわかっていた。だが、実際にキバゴを危険にさらすのは断腸の思いだった。
「くそっ!!」
キバゴを無事に避難させたいのなら、トレーナーである自分が先に安全を確保しなければならない。
タクミは歯を食いしばり、横道へと駆け込んだ。
足からスライディングするように横道に逃げ込むタクミ。
タクミはすぐさま自分の背後に手を伸ばした。
「キバゴ!!」
「キバァァァア!!」
メレシーの群れはキバゴのすぐ後ろまで迫っていた。
だが、これなら間に合う。
タクミがそう思った直後だった
キバゴの尻尾に1匹のメレシーがぶつかった。
「キバッ!?」
キバゴがバランスを大きく崩し、宙に投げ出される。
「キバゴ!!!」
タクミが手を伸ばす。だが、届かない。
キバゴがメレシーの津波の中に消えていく。
タクミは身を乗り出そうとするが、滑り込んだ勢いのせいで身体が流れる。
手が届かない。
「キバゴォォオオオオ!!」
その時、タクミ腕の中からクチートが飛び出した。
「クチィィィ!!」
クチートはタクミの腕から飛び出し、顎を伸ばし、キバゴの伸ばした手に嚙みついた。
タクミは力を込めてクチートの腕をガッシリと掴んだ。
この感覚には覚えがある。
タクミの脳裏にクチートを助けたゴマゾウの背中がよみがえる。
「うぉおおおおおお!!」
キバゴとクチートを一気に引き寄せ、横道の奥へと引っ張り込む。
「クチィィ!!」
「キバァァ!!」
「のわぁぁ!!」
だが、引っ張った勢いがあまりに強すぎた。
タクミ達はその勢いを止めきれず、ゴロゴロと横道の奥へと転がっていく。
周囲を鏡に囲まれた道。
タクミ達の姿が幾重にも反射して重なる道。
合わせ鏡の道の奥へとタクミ達は転がっていく。
タクミの腕に光っていたマップのアイコンに不気味なノイズが入り込んだ。