ポケットモンスター 夢のカケラを追いかけて   作:からんBit

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過去へと続く合わせ鏡

台座の前でディアンシーはタクミ達を振り返った。

 

タクミの目の前にあるのは台座に乗ったダイヤモンドと巨大な鏡だ。

 

「…………」

 

タクミは吸い寄せられるようにその台座の上を見つめていた。

 

不思議な光だった。この場所の光源はタクミのランタン型ランプのみのはず。だが、そのダイヤモンドは自らが強い光を放つかのように白銀の光を反射している。

その光は無機物の単一なようでありながらも、有機物特有の不規則性や柔軟性を内包していた。言うなれば隣にいるディアンシーの身体を構築しているピンクダイヤモンドと一緒だ。刃物のような鋭利な光でありながら生きているかのような鼓動を放つ不思議な金剛石。

 

まさに『生きた鉱石』だ。

 

ダイヤモンドのプレッシャーに固まるタクミ。

そんなタクミをよそにキバゴはディアンシーに声をかけた。

 

「……キバキバ?」

 

そこには普段の能天気な様子は欠片もない。キバゴの声音はむしろ威嚇のような響きがあった。キバゴの両腕はいつでも戦闘態勢に移行できるような位置にあり、瞬時に動くために踵は常に半分程浮いていた。

 

伝説のポケモン相手にしても引くことをしないキバゴ。

相対するディアンシーは仄かにほほ笑んだままだ。

 

「…………」

 

タクミはキバゴがディアンシーの相手をしてくれている間に自分の呼吸を落ち着けていった。

 

キバゴがタクミに向けて片手を軽くあげる。

 

正確な言葉など、タクミとキバゴの間にいらない。

キバゴとの顔色と声音だけでタクミは彼が心配してくれているのがわかる。

 

タクミはキバゴの背中に自分の足を軽くぶつけて返事とした。

なんとなく、キバゴが笑ったような気配が伝わってきた。

 

タクミはこの時ほどキバゴのことを頼もしく思ったことはなかった。

 

タクミは腕の中のクチートを守るように抱えなおし、ディアンシーへと視線を合わせた。

 

ディアンシーはそんなタクミとキバゴに向けて満足そうに頷いた。

そして、ゆっくりと腕を動かし、鏡の前を示した。

 

「そこに……立てばいいんですか?」

 

ディアンシーの表情は揺るがない。

悠然とした態度のまま、タクミを導いている。

 

「…………」

 

タクミはわずかにキバゴの背中を小突いた。

 

キバゴはタクミの意図を察したかのように、動きだす。

タクミが鏡に向かって歩き、キバゴはタクミとディアンシーの間に立つような位置を保ち続ける。

 

ディアンシーの目的はわからない。

 

なんで自分達の前に現れたのか?なんでここに連れてきたのか?このダイヤモンドと鏡には何の意味があるのか?

 

だが、タクミには1つの確信があった。

 

タクミはダイヤモンドの台座の横を通り過ぎる。

 

ディアンシーと同じような『生命の力を感じるダイヤモンド』

それに、ここまでに見てきた『時間を戻る合わせ鏡』。

 

この2つがあれば、ダイヤモンドの正体を予想するのは容易い。

 

「……ディアルガのダイヤモンド……だよね……多分……」

 

時を司ると言われている伝説のポケモン。

この不思議な『合わせ鏡の道』もディアルガの力だと言われれば納得がいく。

 

だったら、そのダイヤモンドの輝きを直接反射している鏡は何を見せるのだろうか?

 

タクミは台座の奥にある鏡の前に立った。

 

「…………」

 

だが、タクミは視線をディアンシーから外さなかった。キバゴもだ。

モンスターボールを粉砕するような力を持ったポケモンを相手に警戒するなという方が無理がある。

 

そんなタクミ達に向けディアンシーは数メートル下がり、両腕を広げた。

『何もしませんよ』というアピールなのだろう。

そしてディアンシーはもう一度鏡の方を指さした。

 

「キバ」

 

キバゴが小さく呟く。『俺が見張っている』と言っているのはすぐにわかった。

タクミはその言葉を信じ、その大きな鏡へと目を向けた。

 

それは姿鏡というにはあまりにも大きな鏡だった。試着室に備え付けられているような鏡よりももっと大きい。タクミの全身どころかこのホール全てが視界に収まる程の大きさだ。

その鏡の中にはクチートを抱えたタクミ本人が映っていた。

 

何の変哲もない鏡。

 

そう思った矢先だった。

 

突然、タクミの視界を白い光が覆った。

 

「えっ!?」

 

その光はタクミの背後から放たれた。

ダイヤモンドが放つ強い光。それが鏡に反射してタクミの目に飛び込んできたのだ。世界が真っ白に塗りつぶされる。あまりの強い光に網膜が焼かれたように熱を持つほどだった。

 

「っ!!」

「クチッ!!」

 

タクミは咄嗟に自分とクチートの目を覆う

 

だが、その光はものの数秒で収まった。

 

タクミは恐る恐る目を開ける。

 

「………今のは………一体………」

 

タクミは後ろを振り返る。台座の上にあるダイアモンドは今までと変わらずに鋭い輝きを放っていた。

 

その時だった。

 

タクミの視界に動くものが映り込んだ。

 

タクミは自分の動体視力に従い、反射的にその動くものを目で追った。

 

タクミの視線の行く先は目の前の鏡の中。

 

 

「……なんだ……これ……」

 

 

タクミは愕然とする。

 

目の前にあったはずの鏡。

 

最早、そこには自分の姿は映っていなかった。

自分だけではない、その鏡にはキバゴも、ディアンシーも、台座の上のダイヤモンドも、そして『映し身の洞窟』すらも映っていなかった。

 

そこに映っていたのはどこか別の洞窟だった。

 

『映し身の洞窟』とは似ても似つかない岩肌に囲まれた洞窟。

そこで誰かがポケモンバトルをしていた。

 

タクミではない。背丈はタクミよりも低く、頭に被っている帽子には見覚えがない。背負っているリュックもタクミのものとは違う。

 

何もかもが見覚えのない景色だ。

 

タクミは目を凝らして、その鏡に映った景色をよく見ようと一歩踏み出した。

 

すると、そこでバトルをしている誰かの姿が一歩近づく。

 

「っ!これって……」

 

タクミが一歩近づけば、相手もまた一歩鏡に近づく。

次第にその場面がはっきりとわかるようになってきた。

 

だが、タクミは見ず知らずのトレーナーを見てはいなかった。

タクミが見ていたのはそのトレーナーよりも手前。

 

そこに、この景色の中で唯一見覚えのある存在がいた。

 

タクミは息を飲み、自分の腕の中を見下ろした。

 

「クチ…………」

 

タクミに抱えられたクチートの身体が石造のように固くなったのを感じた。

 

「これって…………」

 

鏡の中でクチートがバトルをしていた。

 

右目の包帯もない。眼帯もない。傷もない。

その代わり、クチートの頭部にある顎の付け根に七色に輝く宝石が結い付けられていた。

 

「……クチート……君なの?」

「…………」

 

クチートからの返事はない。だが、クチートの大きく見開かれた左目の瞳孔が激しく揺れている。

 

間違いない。

 

「これは……クチートの……過去の姿」

 

タクミのクチートを抱く腕に力がこもる。

タクミは鏡に更に一歩近づいた。

クチートの姿がより近づき、その後ろで指示を出しているトレーナーの顔もはっきりとわかる距離になる。

 

「じゃあ……こいつが……」

 

タクミの胸の奥がざわめき、鳥肌が立ちあがる。

 

タクミは鏡の前で立ち止まった。

既にトレーナーの一挙手一投足がわかる距離にまでその姿は近づいていた。

 

鏡の中から声は届かない。

だが、その口の動きと行動から何をしているのかはなんとなくわかる。

 

『クチート!“アイアンヘッド”だ!』

『……クチッ!』

 

クチートは誰かとバトルしていた。

その相手の姿は鏡には映ってこない。

 

ただ、クチートが攻撃の為に前に出ればトレーナーの姿は遠のき、クチートが後退すればトレーナーの姿も再び近づいてくる。

 

この鏡はクチートの姿を追いかけている。

 

「……そうか……これはあくまでも『鏡』……クチートの姿を映しているのか」

 

タクミは自分の声が震えていることに気づいた。

だが、なにが自分を動揺させているのかはわからない。

 

不可思議な現象に怯えているつもりはない。

クチートの過去を覗き見ている罪悪感はあまり感じない。

ポケモンの未知の力に興奮できる状況ではない。

 

ただ、タクミは自分の全身が意図せぬ熱に覆われていくのを感じていた。

 

腕の中のクチートはピクリとも動かない。

瞼すらピクリともせず、瞳孔は開いたまま固定さている。

 

そんなクチートの様子を気に掛ける余裕はタクミにはなかった、

 

タクミは鏡の中のバトルの様子を見守る。とはいえ、心のどこかではこの結末を既に悟っている自分がいた。

 

鏡の中のクチートが吹き飛ばされ、トレーナーの足元へと転がっていく。

クチートは全身に酷い手傷を負わされ、顔を歪めていた。

 

『立てっ!立てクチート!!くそっ、こんな相手にボロボロにされやがって!!』

『クチ……』

 

クチートは震える手足でなんとか起き上がろうとする。

だが、既に膝は笑い、腰が砕けている。

KO直前のボクサーのようにおぼつかない足取り。

顔は腫れ上がり、右足の地面の付き方がどこかおかしい。左肩の傷がひどく、さっきから腕があがっていない。もう見るからにバトルの続行は不可能だ。次の一撃が取り返しのつかない致命傷にだってなり得る状態だ。

 

それでも立ち上がったクチートをトレーナーが見下ろす。

 

『メガシンカさえできれば……楽勝なんだ……こんな奴……』

 

そして、彼は懐から何かを取り出した。

 

それは七色に輝く親指大の小さな石。

 

それを見て、タクミの身体から汗が一気に吹き上がった。

 

「……おい……何をする気だよ!やめろ!それ以上クチートにバトルさせるな!!!させちゃダメだ!!」

 

タクミの声が届くわけがない。

 

トレーナーは苦々しい顔でクチートへと指示を飛ばした。

 

『クチート、メガシンカだ。メガシンカしながら“アイアンヘッド”だ!!』

『ク、クチ……』

「やめろ!!やめろやめろやめろぉ!!!」

 

満身創痍のクチート。

普通のポケモンなら心が折れて地面に倒れこんでもおかしくない。

 

だが、タクミは知っている。

 

このクチートの不器用さを、愚直さを、強さを、脆さを知っている。

 

そして、この後の結末を知っている。

 

クチートはトレーナーの指示に従い、相手に向かって突っ込んでいく。

 

顎を“アイアンヘッド”で硬質化させ、右足を引きずり、片腕を必死に振り、倒れ込むように走っていく。

 

だが、その頭に飾り付けられた宝玉が光を放つことはなかった。

 

クチートは迎え撃たれ、かち上げられ、地面に叩きつけられた。

追撃を受け、ボロ雑巾のように吹き飛ばされ、クチートは息も絶え絶えに横たわる。

 

そんなクチートに近づいていく一対の足。

 

トレーナーがクチートを無感情な瞳で見下ろした。

乾いた、冷たい声が聞こえた気がした。

 

 

 

『ったく、使えねぇな』

 

 

 

 

鈍い音がした。

 

タクミの拳がそのトレーナーの顔面を殴りつけていた。

鏡は鉱石に近い素材だったのだろう。鏡面に傷はついていたない。先ほどの音はタクミの拳の骨が放った音だった。握りしめた拳の中で爪が皮膚を裂いていた。鏡に打ち付けた拳骨の皮が切れていた。

 

タクミが噛みしめていた奥歯が不吉な音を立てる。

 

身を焦がすほどに血潮が熱を帯びていた。脳を焼く程に激情が全身を巡っていた。

呼吸が止まるような窒息感と腹の中がひっくり返らんばかりの嗚咽感。

手足が震え、こめかみの筋肉がひくつき、瞼が痙攣する。

 

タクミは胸の奥から吹き上がるどす黒い感情を制御できなかった。

それは今までの10年の人生で経験したことのない程に圧倒的な激憤であった。

 

「うぅぅっっっっっ!!!!!」

 

拳の激痛と憤怒の感情に煽られるように歯の隙間から声が漏れ出す。

 

やり場のない感情を発散させるかのようにタクミは鏡に額を打ち付けた。

あまりの衝撃に額の皮膚が避け、血が滴り落ちる。

それに気づいたクチートが我に返ったようにタクミを見上げた。

 

「ク、クチ……」

「……っっっ!!……ぅっっっ!」

 

行き場のない怒りが収まらない。

自分の中にこれ程までに感情が溜まっていたのかと驚く程だ。

 

クチートに出会った時はクチートの身体のこと以外のことを考える余裕はなかった。

クチートにされた仕打ちを聞いたときもクチートの受けた傷に涙を流すだけであった。

クチートのトラウマを実感した時もその心の傷の深さを思い遣ることばかりしていた。

 

タクミはいつもクチート本人のことばかりを気にかけていた。

 

それでも、身の内に溜まっていた激憤は決して消えていたわけではなかった。

心の器に蓋をして、クチートのことにばかり心を砕き、いつでも柔和な笑顔を崩さなかった。

 

それがトレーナーの姿を見たことで器の底が抜けた。

 

「うぅうぅぅぅぅぅ……」

 

額から溢れた血が鏡を伝って赤黒い涙のように滴り落ちていた。

 

いつだって、強い感情を抑え、辛抱強くあることを心掛けていたタクミでも、我慢ならないことはやっぱりあるのだ。

 

「あぁあああああああぁああぁあっっ!!!」

 

言葉にならない叫びをあげるタクミ。

 

再び顔を上げたタクミ。

 

いつの間にか、目の前の鏡は普通の鏡に戻っていていた。

 

鏡の中には涙と出血で顔をぐちゃぐちゃにした少年が鬼の形相で自分を睨みつけていいた。

そんな自分の姿すら憎らしく、タクミは再び声を張り上げた。

 

「うぁぁぁあああああああああ!!」

 

再び頭突きをしようとするタクミ。

 

「ク、クチッ!!」

 

止めようとするクチート。

 

その直後、タクミの後頭部をキバゴが蹴りぬいた。

 

「キバァァ!」

 

勢いがつく前に鏡に顔面を打ち付けたことでダメージそのものは少なかったが、その代償としてタクミは鼻を強打することになった。

 

「ふがぁぁぁ!!」

 

不意の激痛に膝を折って鼻を抑えるタクミ。

生暖かい感触がして鼻血が出ていることを悟る。

 

怒りで血圧が上がっているところに鼻を打ち付けたので血管が切れたのだろう。

 

額からも血が流れ続けているし、殴った拳はズキズキと痛むしで、タクミはようやく我に返ることができた。

 

タクミは力なくその場に座り込み、クチートを抱えていた腕を解く。

 

「……くそっ……くそっ……」

 

我を忘れる程の嵐は過ぎ去ったものの、それでも乱れに乱れた胸の内はそう簡単には元には戻らない。

脳裏にトレーナーの顔が焼き付いて離れない。傷だらけのクチートの姿がチラチラとフラッシュバックする。

 

そのたびにタクミは力ない拳で鏡を叩く。

 

ゴン、ゴン、という音がホールの中に虚しく反響する。

 

その間もタクミの額や鼻からは血が流れ続けている。

だが、今はそうやって頭に上った血を抜いてしまいたかった。

この冷たい洞窟に自分の熱量を吸い取って欲しかった。

 

そうでもなければ今のタクミに感情を抑えることなどできなかった。

 

その間に、キバゴがタクミの背中に上り、リュックの中からタオルを引っ張りだして額の傷へと当てる。

クチートは近くの岩を持ってきてタクミの拳を少しでも冷やそうとした。

しばらくすれば鼻血も下火になってきて、止まってくる。

 

それでも、タクミの感情は鎮まらない。

 

「……あぁ……クソっ……」

 

心のエネルギーを全て使い果たさんばかりの怒り。それと同時にどうしようもない虚無感と脱力感が襲ってくる。普段怒り慣れていないせいか、身体の方が先に疲れ切ってしまったようだった。

 

「……はぁ……」

 

クチートがどうしてトレーナーに捨てられた経緯に関しては想像の域を出なかった。クチートが抱える心的外傷(トラウマ)も正確なところは把握していなかった。

 

だが、今回のことである程度はっきりした。

 

「……メガシンカ……か……」

 

タクミがその言葉をつぶやくと、クチートの身体がわかりやすい程に硬直した。

 

トレーナーがメガシンカをさせようとバトルを繰り返し、結局メガシンカができずに捨てられたと考えるのが自然だろう。

 

タクミは目の前の鏡へと目を向ける。

 

鏡の中からは一瞬で数年分年を取ったかのように疲れた顔のタクミが見返してきていた。

もう、そこに過去は映らない。

タクミは自分の鼻の周囲で固まった血を拭いとる。

 

割れた額からの出血は派手だったが、傷は然程深くなかったようでキバゴがタオルで抑えてくれたことで止まっていた。タオルは血まみれになったが、それはもうしょうがない。

指の第一関節は曲げ伸ばしするたびにちょっと痛むので軽い打撲はあるようだが、骨は折れていなさそうだった。

 

「……はぁ……」

 

溜息ばかりが零れ落ちていく。

過去は過去だ。今更どうすることもできない。

だが、やるせない気持ちが残ることはどうしようもなかった。

 

そんなタクミに向けてディアンシーがふわふわと近づいてくる。

 

「ディアンシー……」

 

ディアンシーの顔からは先ほどまでの柔和な表情は消えていた。

代わりにそこにあったのは後悔と沈痛を合わせたような静かな瞳だった。

 

「…………」

 

もう、今更ディアンシーに対する警戒心は沸いてこない。

 

ただ、疑問は残る。

 

「ディアンシー……なんで君は助けてくれたの?」

 

『助ける』

 

その表現が正しいかどうかはわからなかったが、それでもタクミはそう感じたのだ。

今も苦しみ続けているクチートを『助ける』為にディアンシーはクチートの過去を見せてくれた。クチートの心的外傷(トラウマ)の根源を見せてくれた。

 

少なくとも、タクミにはディアンシーの行動はそういう意図に見えた。

 

「…………」

 

ディアンシーは首を小さく横に振った。

 

そして、タクミには思いもよらない行動に出た。

 

ディアンシーがクチートに向けて頭を下げたのだ。

 

「え…………」

「クチ?」

 

何かを詫びるように、何かを謝罪するかのように、ディアンシーは深々とクチートに頭を下げていた。

だが、クチートもその行動に驚いているようだった。クチートにも思い当たる節はないようだ。

 

とはいえ、ディアンシーの態度は本当に真に迫るもので、伊達や酔狂での行動ではなさそうだった。

 

長い時間をかけた謝罪の後、ディアンシーは哀しげに目を伏せながら顔をあげた。

 

「……えと……ディアンシー……君は……いったい……」

 

その時、タクミはディアンシーが両手で抱えているものに気が付いた。

 

「それっ!!まさか!」

「……ッ!?」

 

タクミが息を飲み、クチートが怯えたように身を引く。

 

ディアンシーの両手に握られていたのは七色に輝く宝玉。

それは紛れもなく先ほど過去の鏡で見たメガストーン。『クチートナイト』そのものであった。

 

「それが、過去にクチートが付けていた……いや……違うもの……か?」

 

鏡の中で見た『クチートナイト』の色合いが微妙に違う気がする。

鏡の中の『クチートナイト』は七色の中でも黄色の色合いが強かった。だが、今ディアンシーが抱えているものはどちらかと言えばオレンジ色の色味が主体だ。光の当て具合による変化かもしれないが、よくよく見ればその『クチートナイト』は切り出したばかりの原石のようであり、完全な球体ではない。

 

「……でも……言いたいことは……わかった気がするよ……」

 

タクミは手をついて立ち上がり、ディアンシーの前に立つ。

今のディアンシーは裁きを待つ罪人のように身を縮こまらせていた。

出会った時の圧倒されるほどの存在感も今は感じない。

 

「……君が……前のトレーナーに『クチートナイト』を授けたの?」

 

ディアンシーは小さく頷いた。

 

タクミは天を仰ぎ、息を吐く。

 

『メガストーン』は今も謎が多い鉱石だと聞いていた。

そもそもが滅多に見つからない物なのだが、なぜかそれは不思議とポケモントレーナーの前に現れる。

洞窟の片隅で、道端の茂みの中で、時には水の底で。多くのトレーナーはそれを『偶然手にした』というが、偶然ばかりが積み重なっていく経験談はやはり不自然な印象が拭えない。

 

だが、それはポケモンが相手を選んで渡しているのだとしたら?

 

「…………」

 

もちろん、全てが全てそうなのではないのかもしれないが、少なくともこのディアンシーがあのトレーナーに『クチートナイト』を授けたのは間違いないようだった。

 

「…………」

 

タクミはディアンシーの抱える『クチートナイト』を前にして言葉を失っていた。

トレーナーとポケモンの絆が織りなす新しい進化と称されるメガシンカ。

両者より密接に結びつけるはずの新しい力が逆に不和の原因となり、不可逆な傷をクチートに残す結末になった。

祝福のつもりで与えたものが逆に呪いと化してしまったのだ。

 

もしそうなら。本当にそうなら。

 

ディアンシーはどれ程までに苦しんだことだろうか。

 

ディアンシーがいつこのことに気づいたのかはわからない。

最初から見守っていればとっくに気が付いて何かしらの手を打ったはずだ。

だとすれば、自分の失態に気づいたのはつい最近なのだろう。

 

取り返しのつかない事態に自責の念に苛まれ、タクミをここに呼び寄せたとなればこの状況にも説明がつく。

 

これはディアンシーのせめてもの贖罪なのだろう。

これでクチートに新たなトレーナーと再スタートをしてもらいたいのだろう。

 

「…………」

 

だが、タクミはこの差し出された『クチートナイト』を前に躊躇してしまう

 

自分は以前のトレーナーのようなことはしない。それは自信を持って言える。

 

だが、クチートはどうだろうか。

 

タクミが『クチートナイト』を所持していればクチートはまた気負ってしまう。

『メガシンカしなければならない』と、『期待に応えなければならない』と、きっとまた自分を追い詰めて傷ついてしまう。

 

今、タクミは『メガストーン』と対になる『キーストーン』を持っていないのでいらぬ心配ではあるのだが、どんな『偶然』が起きてタクミのもとに石が転がってくるかもわからない。

 

その時のクチートのことを考えればやはり簡単に「はいそうですか」と受けるわけにはいかなかった。

 

やはり、断るべきか。

 

ただ、クチートの望みはあくまでもバトルで活躍して自分の価値を示すことだ。

ならばメガシンカという選択肢はクチートの未来にとっても大きな意味を持つ。

パワーアップはできる時にしておけ、という言葉もあるし受け取っておくべきなのだろうか。

 

思考を巡らせ、動きが止まるタクミ。

 

そんな時であった。

 

「キババ♪キババ♪キババァ!!」

 

タクミがわずかに逡巡した一瞬。

その一瞬でキバゴがディアンシーの腕からメガストーンを掠めて取っていた。

 

「ちょっ!キバゴ!!」

「キバァァァァ!!」

 

キラリンとメガストーンを掲げて得意げになるキバゴ。

キバゴのキラキラした瞳を受け、タクミはキバゴが完全に明後日の方向の勘違いをしていることに気が付いた。

 

「……キバゴ、一応言っておくけど。その石じゃ『メガキバゴ』にはなれないからな」

「キバ!!キバァァ、キバァァァァ!!」

 

背伸びをして、大きく首を伸ばすキバゴ。

 

「……ついでに言っておくけど、オノノクスに進化しても『メガオノノクス』にはなれないからな」

「キバッ?」

 

『マジで?』

 

という顔をするキバゴ。

 

タクミはゆっくりと頷いた。

 

キバゴは大慌ててでディアンシーを振り返り、身振り手振りで違う石を要求しようとする。

 

「キババ!キバババ!!キバァァァ!!」

「…………」

 

困ったような顔をするディアンシー。

タクミはやれやれと肩をすくめた。

 

「キバゴ、そこまで」

「キバァァァ!!」

 

タクミはキバゴの首根っこを掴んで引き寄せる。

 

「そもそも、世界中探しても『メガオノノクス』なんてメガシンカは確認されてないの。オノノクスに対応するメガストーンなんて聞いたこともない。多分だけど、存在しないんだ。お前にメガシンカの可能性はないの。諦めなさい」

「キバァ…………」

 

肩を落とすキバゴ。

タクミはそのキバゴが握っていた『クチートナイト』を掴み上げた。

 

タクミはその石を見下ろし、クチートへと目線を向ける。

 

「ク、クチ……」

 

クチートはタクミの視線を怖がるように目を背けた。

 

「…………そっか」

 

ならば、それが答えだった。

 

タクミは『クチートナイト』をディアンシーに突き返した。

ディアンシーは驚いたように目を見開き、タクミを見上げる。

 

「ディアンシー、気持ちはわかった。でも、今はその石は受け取れない」

「…………」

「まだ僕はクチートと心を通わせているとは思っていない。クチートと確かな絆を結べているとも思っていない。僕らはまだ出会ったばかりなんだ」

「…………」

「僕らが持っていても宝の持ち腐れにしかならないし、クチートの成長の選択肢をメガシンカ一本に絞ることになる。だから、今の僕にはいらない」

「…………」

 

ディアンシーは静かにタクミを見つめ返すばかり。

その瞳からは何の感情も読み取れなくなっていた。

 

とりあえず、タクミは沈黙は肯定と受け取ることにした。

 

「……でも、もし……もし、またディアンシーが僕らを見つけて、ディアンシーのお眼鏡にかなうだけの実力と絆を僕らが持っていたら、その時にまたその石をもらえると嬉しい。ただ、その時はメレシーの大群をけしかけるのは無しにしてよね。あれ、結構怖かったんだから」

 

タクミがそう言うとディアンシーはクスリと笑顔を見せた。

 

「って、やっぱりあの大群は君の仕業だったのか……」

「……ッ!!」

「ごめんね。カマかけさせてもらったよ。いや、次は絶対にあれはやめてよ。本当に本当に命の危機を感じたんだから」

 

ディアンシーは困ったように苦笑し、もう一度謝罪の意図を込めて頭を下げたのだった。

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

タクミは再びディアンシーに案内されるがままに『映し身の洞窟』の中を歩いていく。

ディアンシーを先頭に、次にキバゴが続き、クチートを背に乗せたタクミが最後尾だ。

 

クチートは出発と同時にタクミのリュックの上に座り込み、それ以降一言も発していなかった。クチートは自分の顎を顔の前に当てて顔を隠してしまっている。ひとまず泣いてるわけではなさそうなので、タクミは声をかけなかった。なんとなく、その方がいい気がしたのだ。

 

タクミは手持ち無沙汰にタウンマップを確認してみる。相変わらず岩の中を歩いていることになっているが、もう今更である。タクミは電子の画面から目を離す。タクミ達が歩いている通路は今まで以上に横穴が数多くある道であった。一人で歩けば間違いなく迷うような場所だ。

 

どうやらここは各洞窟の連絡通路のような場所らしい。

その証拠に、歩いている間にディアンシーの周りにはメレシーがどこからともなく現れては消えていく。彼らは何か言伝のようなものを請け負っていたり、ピンクダイヤモンドや鉱石を運んでいるようであった。

 

「……ねぇ、キバゴ」

「キバ?」

「今、僕ら、伝説のポケモンの生態を目の当たりにしているよ」

 

その道の研究者なら卒倒するような出来事なのかもしれない。

だが、キバゴは『それって食えるの?』みたいな顔で首を傾げるばかりだ。

 

「アキがいたら、どんだけ興奮してただろうね」

「キババ」

 

キバゴに『確かに』という同意の首肯をもらい、タクミはクスリと笑った。

 

しばらく歩いていくと、ようやくタウンマップに表示される場所まで戻ってきた。

最後に屈んで歩かなければならないような場所を抜け、タクミは本来のルートへと帰ってくることができた。

 

「やっと戻ってきたな。出口もすぐそこだ。ディアンシー、ここまで案内してくれてありが……」

 

タクミがお礼を言おうと振り返る。

そして、言葉を失った。

 

「あれ?」

 

目の前には穴1つない岩肌がむき出しの壁があった。。

ディアンシーと共に歩いてきた細道が、最初から存在しなかったかのようにきれいさっぱり消えている。

 

「……あ……え?」

 

もう一度タウンマップを見ると、タクミは通常のルートを歩いて洞窟を抜けたことが記録されていた。

タクミが撮ったはずのディアンシーの写真もいつの間にか消えている。内ポケットをまさぐっても壊れたモンスターボールは1つもない。

 

ディアンシーと出会った出来事の証拠となりうるものが全て消えていた。

 

「これは……なんというか……」

 

時間でも消し飛ばされたかのような感覚。洞窟の中で過ごした時間は消え去り、『映し身の洞窟を抜けた』という結果だけが残ったような。

 

「ディアンシーの力か……それともディアルガの力か……どっちにしろ、とんでもないな」

 

タクミはもう苦笑するしかできなかった。

 

証拠が全て消えてしまっては誰にこの話をしても信じてくれないだろう。

夢でも見てたのではないかと言われれば否定することもできない。

 

あいにく、この世には夢や幻覚を見せて人間をからかう存在がいくらでもいるのだから。

 

「でも……」

 

タクミは自分の拳を見下ろす。

 

擦過傷になった皮膚、赤く腫れた指の根本、ズキズキと痛む骨。

額の傷に触れれば傷の盛り上がりを感じることができる。

 

あの出来事は決して夢ではない。

 

「キバ!!キバキバ!!」

「ん?どうしたキバゴ?」

「キババ!!」

 

キバゴが興奮して持ち上げたのは小さな石。

タクミはそれを受け取り、ニヤリと笑った。

 

それはメレシーを象ったピンク色の石だった。ピンクダイヤモンドじゃないが、綺麗な石であった。

 

「引換券か、予約券か、それともただのお土産か……でもま、また会えるといいな」

「キババ!!キババ!!」

「一応もう一回だけ言うけど『オノノクスストーン』なんてもんはないから、いくら期待しても無駄だよ」

 

タクミがそう言うと、キバゴは「ガーン」という効果音が聞こえてきそうな顔をした。

顎をぱっくりと開け、そのまま項垂れて落ち込むポーズ。

 

相変わらず演技が上手い奴である。

 

タクミはその石をポケットに滑り込ませた。

 

その時、タクミは背中でわずかにクチートが身じろぎをしたのを感じた。

 

「…………クチート?」

「…………」

 

クチートからの返事はない。

 

だが、クチートが自分の顎にうずめていた顔をあげてくれた。

 

「……クチ」

 

クチートはするりとタクミの背中から降りる。

 

「…………」

 

タクミは片膝を付き、見上げてくるクチートと視線をできるだけ合わせた。

クチートの左目は揺れていたが、タクミを真っすぐに見ていた。

クチートの赤い瞳孔にタクミの姿が反射して映っている。

 

きっと、自分の瞳にもクチートの姿が真っすぐに映っているんだろうなと、タクミはなんとなく思った。

 

瞳と瞳の合わせ鏡だ。

 

けど、この合わせ鏡に過去は映らない。

 

「……クチート……君にとってあの過去は……期待に応えられないことは……『メガシンカ』は……怖い?」

 

クチートは最初は首を横に振ろうとした。

だが、少し思いとどまった後に素直に頷いた。

 

「……そっか……」

 

たったそれだけのことが、タクミには何故かとても嬉しかった。

クチートが『素直』に『怖い』と『嫌だ』と言ってくれたのが嬉しくてたまらなかった。

 

「……そっか……そっか!」

 

タクミはクチートの頭をワシャワシャと撫でる。

あんまり大雑把に激しく撫でるのでクチートの身体がぐわんぐわん揺れた。

クチートが文句を言っても無視して無理矢理撫で続けるタクミ。

 

「クチッ!クチクチッ!」

「っへへ」

「クチィィ!!」

 

だが、遂には振り払われ、そっぽを向かれてしまった。

 

「クチート、もうちょっとだけ」

「クチッ!!」

 

クチートは顎をタクミに向けて開き威嚇してきた。タクミはそんなクチートに噛みつかれながら強引に後ろから抱き上げた。

 

「クチート。そうだ、それでいいんだ」

「……クチ……」

 

タクミは歩き出す。肩を甘噛みしてくるクチートの顎が妙に心地よかった。

 

「抱え込まなくていい。我儘言ってくれていい。君は一人じゃない。僕もいる、キバゴもいる」

「キバァ!」

 

キバゴも一緒に歩き出す。

 

「フシギダネも、ゴマゾウも、ヒトモシもいる」

 

仲間を呼ぶたびに腰のモンスターボールが揺れた気がした。

 

「皆いる。仲間がいる。頼ってくれて嬉しいよクチート」

「クチ」

 

クチートが素直に頷く。

 

やっぱりそれが何よりも嬉しくてタクミは弾けたように笑った。

 

「さぁ、行こうか!もう出口はすぐそこだ」

「クチ!」

「キバァ!」

 

タクミは足早に『映し身の洞窟』を後にする。

明るくも暗く、夢現の境界も曖昧な不思議な洞窟を抜ける。

その先に広がっていたのは澄み切った青空と深い色をたたえる青い海。

 

その2つの青を繋ぎとめるかのように聳え立つ『マスタータワー』

 

そこが、タクミの次の目的地。

 

 

「シャラシティだ!」

「クチ!!」

「キバ!!」

 

 

3つ目のバッジをかけたジム戦はもう目の前だった。

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