ポケットモンスター 夢のカケラを追いかけて 作:からんBit
好きな言葉です。
「…………」
タクミはポケモンセンターに帰り着き、そのまま部屋のベッドに寝っ転がっていた。
窓の外には水平線の向こう側へと太陽が今にも沈みかけている。
タクミは夕食も食べずに寝っ転がり、ポケモン達は部屋の中でポケモンフーズを食べながら、そんな主人の様子を遠目に見つめていた。
タクミはポケモンセンターが貸し出してくれるタブレット端末に手を伸ばし、顔の前に持ち上げる。
そして、再生するのはジム戦に挑む前に幾度どなく繰り返してみたコルニの試合の映像であった。
メガルカリオのバトルを今日の経験を踏まえて見ると、確かに見えてくるものがある。
メガルカリオはポケモンの中でも体力や防御に秀でたポケモンではない。
それでありながら相手の攻撃を受けつつも、粘り強く戦えているのは相手の有効打を受け流す技術や、攻撃に対する反応速度が高次元でまとまっているからだ。
それは一朝一夕でできあがるものではない。長い間に積み重ねた経験値がそのままメガルカリオの戦いの中に落とし込まれている。
タクミは画面を暗転させ、タブレットを机の上に戻した。
両腕を頭の上で組み、再び天井を見上げるタクミ。
その頭の中に巡っていたのは今日の出来事ではなかった。
タクミが考えていたのは『地方旅』に至る前のことであった。
ポケモンバトルに憧れ、『旅』を夢見て、強敵達との闘いを思い描きながら過ごした日々。
その中でも特に色濃く残るのはいつも彼女と過ごした時間であった。
「…………」
タクミはホロキャスターを持ち上げ、自分の大事な友人の名前を画面に表示した。
アキからは昨日にも幾度か着信があったが、その全てを無視している。
メールだけで簡単に負けたことは説明しているのが、それでも電話してくるあたり彼女が心配してくれたことが伺える。
そんな電話をことごとくスルーしたので、若干彼女に電話するのは少々気まずい。
だが、こういう時に変に時間を置くと臍を曲げられてしまう。
悪いのはこちらなのだから、早々に詫びを入れるべきだろう。
タクミは勢いをつけて起き上がり、ホロキャスターを起動した。
幾度の呼び出しの末、アキの顔が画面に浮かび上がった。
「……もしもし」
「もしもし」
第一声からわかる不機嫌そうなアキの『もしもし』である。
「なんかよう?」
「その……ごめん。昨日、電話無視しちゃって」
「べつにー……いいんですよー……メールで『ジム戦負けた』ってだけはちゃんと伝わりましたからねー……」
唇を尖らせ、斜目を向けてくるアキ。
やっぱり少し拗ねているようであった。
「えと……その」
「私の電話に出たくなかったんでしょー……」
「まぁ……うん」
「なんで?」
鋭い声音で差し込まれた『なんで?』にタクミの喉奥が詰まる。
ここで下手なことを言えば、彼女の拗ね具合が3割増しになるのは目に見えている。
タクミは誤魔化すことなく、答えるしかない。
だけど、本当のことは流石に口にできない。
『夢を諦めかけていたから』
そんなこと、言えるわけがなかった。
だからタクミはほんの少しだけ嘘をつくことにした。
「……泣いてるところを……見られたくなかったです……」
「タクミの泣き顔なんていまさら……」
次の瞬間、ホロキャスターの向こうでアキの顔から表情が消えた。
「あ……」
アキは何かを言おうと口を開き、それを呑み込み、また口を開いた。
彼女は幾度か言葉を吐きだそうとしたが、その全ては音になることなく腹の中に呑まれていった。
最終的に彼女の口から出てきたのは重苦しいため息だった。
そして、アキは一言だけ呟いた。
「…………ばか」
「ごめん……」
僅かな沈黙が流れる。
しばらくして、アキが我慢ができなくなったように声を張った。
「ばかっ!!そんなの気にしないでよ!だって……だって……」
「ごめん……」
「……気にしないでよ……そんなの……」
「ごめん」
「ばか」
「……ごめん」
心の底から絞り出したような謝罪と、泣きだす一歩手前のような罵倒。
幼き頃の小さな夢。
誰もが思い描く夢想が現実の重みを持ち始めた今、彼等もまた幼いままではいられない。立ちふさがるいくつもの壁、遥か遠き茨の道のり、それらを前にして『それでも』と歯を食いしばって前に進める者はそう多くない。諦めかけたタクミを責めることはできない。アキの方にもタクミを縛るつもりなど毛頭なかった。
だが、あの日交わした『約束』は今も2人の強い原動力なのだ。
アキが大きな決断を乗り越えてポケモン界に来たことも、タクミが幾度となく壁に立ち向かっていくのも、全てはその夢が2人の根底に大きな柱として打ち立っているからだった。
『諦めない』
それが、2人の力だったはずだった。
「……それで……もう、大丈夫なの?」
アキはタクミの顔を吟味するように画面に顔を寄せた。
「まぁ……うん。それで、ちょっと電話してるところ」
「わかった……じゃあ、もう私も気にしない」
「うん……ありがと」
「その代わり、貸し1つだからね」
「わかった。お土産買って帰る」
「ならいい」
それは形だけの落としどころだった。既にお土産など幾つも買ってある。
アキもそれは知っていたし、タクミも追加のお土産を買うつもりもない。
そんなこと2人の間ではいつものことであった。
アキは気持ちを切り替えるように机の上に腕を置き、そこに顎を乗せた。
タクミもベッドの上に寝転がり、枕の上にホロキャスターを置く。
「それで、シャラジムで負けたんだよね?」
「うん。やっぱり、ジム戦は3つ目が鬼門っていうのは本当だったね。メガルカリオ相手に手も足も出なかった……いや、戦えはしたかな。でも4対3ぐらいのハンデがないと勝てそうにないけど」
「ふぅん。それで、何か考えがあるの?」
「うん。とりあえず、とっかかりというか、強くなる方法は見えたかな。実は今日……」
タクミは今日のジム戦での出来事を簡単に説明した。
「なるほど……ディフェンスか……それは確かにそうかも」
「アキもそう思う?」
「うん。ちょうどその辺りのレポートが私の今の課題なんだよね」
「課題?」
「うん。ポケモンバトル中の戦術についてのレポート提出。こっちの学校ってレポートの宿題が多くてさ。日本の学校とは全然違ってびっくり」
「へぇ……」
宿題と言えば漢字の書き取りや計算ドリルなどが多い日本人からすれば意外な話である。
「っていうか、レポートって何書けばいいの?感想文みたいな?」
「ううん。全然違う。図書館とかで色々調べてそれを自分なりにまとめる感じ?序文、本論、結論って順番が基本で」
「へぇ……」
残念ながらタクミにとっては全く未知の世界だ。
小学校でレポートの宿題などやったことがない。一度、社会の授業で他の国について模造紙にまとめる課題をやったこともあったが、結局馴染みのない話だった。
ただ、ルーチンワークの宿題よりは幾分も楽しそうな話である。
「それで話を戻すけど、ちょっとアキに聞きたいことがあってさ」
「私に?」
「うん。前にアキの家で読んだポケモンの雑誌にトレーニング方法とかって乗ってたよね。そのことなんだけど」
「ちょっと待って、その手の話なら昨日宿題のために病室に持ってきてた本があるから」
その直後、画面の向こう側でガツンと激しい音がした。
ホロキャスターの画面が大きく揺れ、その直後にはアキが歯を食いしばりながら前かがみになっていた。
「いっっつぅ……!!」
「だ、大丈夫!?」
「へ、へいき……いたくはないんだけど……振動が……響いて……うぅっ……やっぱり今日は良くない一日だ……」
そして左足をさすりながら画面の前から姿を消した。
キコキコと車椅子を動かす音と共に遠くからナースの話し声が聞こえてくる。
何も映らない画面を見ながらタクミはふと疑問が浮かんだ
「……あれ?……いま、どこぶつけたんだろ?」
音と仕草からして左足を机にぶつけたのだろうが、アキにはその『左足』がない。
もう義足ができたのかもしれないが、車椅子に乗ってたなら義足は付けないと思う。
そんな疑問をよそに、アキは何冊もの雑誌の束を膝に乗せて帰ってきた。
「それが資料?」
「うん、古い論文よりも、こうした新しい学説の方が色々吟味されてていいんだって。それで、何が聞きたいの?」
「うん……実は……」
タクミは頭の片隅に残っていたトレーニング理論についていくつか質問した。
アキは長年本を読む習慣がついてることもあり、ポケモンに関する知識は豊富だ。ただ、そんなアキでもやはり持っている知識には限界があり、限定的な資料では答えられないものもあった。
「うう……わかんないなぁ……」
「そっか……この辺りのことは難しいよね……」
「……ごめん……学校で図書館を探せばわかると思うけど」
「いや、いいよ。こっちこそごめんね。僕がポケモンセンターのデータベースで探せばいいだけの話なのに」
「でも、それ時間かかるでしょ?だから私に聞いたんだよね?」
「まぁ、うん」
ポケモンリーグに挑戦するための時間は限られている。
ゼロの状態から資料を探して、トレーニングを組み立て、メガルカリオの対策をして、勝利の為の試行錯誤を繰り返すとなると時間がいくらあっても足りない。
そもそも、根本的にコルニと自分のポケモンの基礎体力が圧倒的に違うことは今朝の砂浜ランニングでも思い知っている。
だが、1つだけ。たった1つだけ案があった。
タクミが抱える複雑な課題の数々を効率的にこなす方法が1つある。
それはあまりに突拍子もない方法であり、何よりも、失敗すればポケモンリーグへの挑戦すらままならなくなる可能性があった。
それはできれば避けたいというのが本音だ。
タクミはそう思って、知識量の豊富なアキに助言を求めたのだ。
結果としてはあんまり選択肢は増えなかったが。
タクミは難解なパズルを前にしたかのように表情をしかめる。
そんな時、「トントン」とホロキャスターから音がした。
アキがタクミの注意を引くためにマイクを叩いた音だった。
「ねぇ、タクミ。なんか、考えてる?」
「え?そりゃあ、考えることは沢山あるし」
「あっ、そうじゃなくて、えと……タクミ、何か迷ってる?」
「う、うん」
「やっぱり」
アキは歯を見せ、シシシッと笑った。なぜか嬉しそうなアキ。そんな彼女を前にしてタクミは首を傾げた。
「なに?」
「へへへ~……それじゃあ、そんなタクミに私から……私にしかできないアドバイスをします」
「アドバイス?」
「うん。『私にしかできない』アドバイス」
アキは『私にしかできない』というのを何度も強調した。アキはおもむろにホロキャスターを持ち上げ、ホロキャスターを天井に向けて掲げた。身体を大きく背もたれに預け、自分の全身が映るようにカメラを向ける。
彼女の顔も、身体も、手足も、その全てがホロキャスター内に映り込む
「……タクミ……決断は絶対に早い方がいい……」
「っ……!!」
「決断のためにいっぱい調べて勉強するのはいい。いろんな人に話を聞くのもいい……でも、そういう調べ物が全部終わったんなら……もう決めるだけだっていうなら……だったら、自分の気持ちが少しでも傾いている方向に転がった方がいい。それも、できるだけ早くね」
ホロキャスターのカメラに映る彼女の身体。
細い腕は相変わらず不健康な程真っ白で、赤い髪はシャワーを浴びた直後でまだ少し湿っていて、上気した頬は仄かに上気していて、そしてラフな短パンの下には今も包帯が巻かれた左足がある。
「決めて、動けば、進める。迷って止まっていた時間が全部無駄だったんだって思うぐらい何もかも一気に進んでいく……私は……そうだった」
「アキ……」
「これでもね、私、少し後悔してるんだよ……タクミがポケモンキャンプに行く前に……もっともっと前に手術を受けることを決められていたら、きっと私も一緒にポケモンキャンプに参加する方法もあった……もっと早くスクールに入学して勉強できた……」
アキはそう言って、再びホロキャスターを机の上に戻した。
「悩んで悩んでいろんな情報をかきあつめた後、決断を先延ばしにしてて迷っちゃってた時間が今は……とっても、惜しい……」
「…………」
「タクミ……決断と行動は……絶対に早い方がいい!」
アキはそう言って両手を握り込んだ。
アキの手術は今後の人生を左右することになる程の大きな手術だった。それを受けると決めたアキの覚悟は並大抵のものではなかった。そんな決断を乗り越えた『アキにしかできない』アドバイス。
それは、タクミが心を決めるのに十分すぎるものであった。
「……アキ、ありがと」
タクミの瞳に力が宿る。全身に気力が戻ってくる。タクミは両腕の拳でベッドを叩き、その反動で起き上がった。
タクミのポケモン達が『何事か!?』という顔をしたが気にしない。
「アキ!ありがと!うん……決めたよ!!僕は――――――――」
タクミは画面に向けて、強く宣言する。
その内容を聞き、アキは最初は目を丸くしたが、すぐさま大口を開けて笑いだした。
「あははは、すごい!!凄いや!!でも、それってアリなの?」
「わかんないけど。ダメだったらその時にまた考える!とにかく決めた!」
「おっけー!!決めたなら行っちゃえ!!」
「うん!でも、ミアレシティに戻ってくるの大分先になるかもしれないね」
「あぁ……そっか……うん!でも、強くなって帰ってくるんだよね」
「当たり前だ!!」
「なら、私ももっともっと強くなる!!」
「うん、次あったらもう一度勝負しよう!」
「もちろん!!」
2人はヘラヘラと馬鹿みたいに笑う。
遥か彼方の夢を追いかけるにはそれぐらいでちょうどいいと言わんばかりだった。
「それじゃあね、アキ、体に気を付けて」
「タクミもね」
タクミはカメラ越しにハイタッチを交わして通話を切る。
「みんな!!御飯は食べた!?」
タクミは勢いよくベッドから飛び降り、自分のポケモン達に向けて呼びかける。
各々から返事があがり、空っぽの器が掲げられる。
だったらもう、ここに用はない。
「行くよ!みんな!!」
タクミは器を回収してリュックに詰め込み、他の荷物も手早くまとめだした。
タクミのポケモン達も先程のアキとの通話を聞いていた。タクミのこれからの行動は予想済みと言わんばかりに自分達からボールへと戻っていく。ヒトモシは楽しそうに、ゴマゾウはニヤリと笑いながら、フシギダネはやれやれといった具合にボールに吸い込まれ、抗議するように僅かにボールを揺らした。
窓の外に広がる空は既に群青色。太陽も水平線の先にわずかな半円を残すばかりだ。だが、そんなことでタクミの行動は止まらない。タクミは旅立ちの準備を終え、強張った顔のクチートを肩に担ぎあげ、やる気満々のキバゴを連れ、部屋を飛び出した。タクミは驚くジョーイさんにチェックアウトを告げ、そのままポケモンセンターの外へと駆け出す。
夜の闇に覆われんとするシャラシティ。
海岸線が朧気に町明かりに照らされ、その先に灯のようにマスタータワーが煌めいている。
タクミは階段を駆け下りていき、海岸へと降り立った。
「…………」
海岸の中央。真正面にマスタータワーを見据え、タクミは波打ち際へと足を進める。
既にマスタータワーへの砂の道は満潮の下に沈んでいる。
だが、道は必ずそこにある。
タクミは大きく深呼吸をしてそのまま足を踏み出した。
波が跳ね、スニーカーの靴裏が湿った砂地を踏みしめる。
まだ潮が満ちて間もない時間帯。今ならまだ走り抜けられる。
「行くぞ!!」
「キバァァ!!」
「クチッ!!」
タクミはそのままマスタータワーへと向けて走っていく。
1度目は観光、2度目は挑戦、3度目は体験
そして4度目は……
「たのもぉおおおおおおおお!!!」
タクミはまだ明かりのついていたジムの前で声を張り上げた。
荷物は投げ捨てるように脇に転がり、びしょ濡れのスニーカーとジーンズのまま、タクミはジムの前で仁王立ちしていた。隣ではキバゴとクチートも堂々とした態度で直立している。
ジムの1階ではトレーニングをしていた門下生達がおり、彼等が「何事か」と顔を出してくる。
「あれ?昼間の……タクミ君でしたよね?」
「どうしたんです?忘れ物ですか?」
タクミは大きく深呼吸して再び声を張り上げた。
「自分は『地方旅』中のトレーナー!地球界のタクミです!師範をお呼びいただきたい!!」
声変わりの前の甲高い声だが、そこに宿る気迫はまるで道場破りかジム戦を挑むかのような雰囲気だった。門下生達の顔色が変わる。
『ジム戦なら予約が必要』『こんな時間から挑戦はできない』『アポなしで来るのは失礼じゃないか』
そんな理屈を並べ立てたところで目の前のこのトレーナーは引かない。
それがはっきりとわかるだけの覚悟がタクミの目に宿っていた。
タクミの行動に半ば気圧されていた門下生達。
そんな彼等を押しのけて、ジムの中からコルニが姿を見せた。
「……タクミ君……何か用?」
言葉少ないコルニ。
コルニは既にジムリーダーとしての顔をしていた。
「師範は今、ちょっと手が離せないの。私が代わりに聞くよ。タクミ君、何の用?」
固く、感情の読めない淡々とした言い方に責めるような響きが混じる。
タクミも自分が不躾な来訪者であることはよくわかっていた。
叱りを受けて当然、門前払いされてもおかしくない。
だが、それで引く程度ならこの夜闇の中で海に沈んだ砂の道を駆けてこなど来ない。
タクミの気持ちは揺るがない。
そして、トレーナーが揺るがなければポケモン達も動かない。
タクミは大きく深呼吸をして、その場に正座した。
「…………」
キバゴとクチートも同じく膝を折る。
「…………」
それを見下ろすコルニの表情は固いまま。
タクミはその目を真正面から見つめ、両手をついて頭を下げた。
「お願いします!!僕を……このジムに入門させてください!!!」