ポケットモンスター 夢のカケラを追いかけて 作:からんBit
電子音が鳴る。
夜明け前のシャラジムの一室。窓の外はまだ真っ暗で東の空が仄かに青く染まり出した頃合い。だが、ジムの朝は早い。
早朝ランニングから始まり、軽い朝食、午前錬、昼食、昼寝、そこから当番に従って家事の手伝いの時間だ。身体が空いているならば自由時間として自主練も可。
とにかく、昼食までのタイムスケジュールはほぼ固まっており、それらをこなす為にもベッドからいち早く起きなければならない。
ならないのだが……
「………ぐっ……ぅぅぉ……」
身体が異様なまでに重い。
起き上がろうとすると背中から腰にかけて筋肉が悲鳴をあげ、手足が鉛にでも変わってしまったかのように重い。足は稼働することを拒否するかのように曲げ伸ばしするだけで軋み、両腕の筋肉はわずかに熱をもって腫れあがっている。
考えてみれば昨日も朝から早朝ランニング、ポケモン組手、『たいあたり』の練習をこなしたのだ。極度の筋肉痛と軽い打撲が全身を覆っていた。もはや立ち上がるどころか、ベッドから起き上がろうとすることすら困難であった。
「………ぅぁ………ぐぉぉっ……」
それでも気力を振り絞ってベッドから起き上がってみるものの、それで身体が楽になることなどなかった。むしろ重力に逆らうことが、あまりにも辛い。
ジム初日。否、昨日入門したから二日目だが既にタクミは後悔していた。
「せめて、明後日ぐらいから入門すればよかったかも……」
タクミはそう呟きながらキバゴ達をモンスターボールから出して叩き起こしていく。
フシギダネはいつものように不機嫌そう、ヒトモシは寝ぼけまなこを擦りながら、ゴマゾウはむしろやる気まんまんで、クチートはいつも通りにシャキッとしている。
だが、彼等に共通しているのは「今日もトレーニングだっ!」という意気込みに満ちた視線だった。
新しい環境と『コルニに勝つ』という明確な目標があるポケモン達のモチベーションはかなり高いようだった。
そして、その中で一番強い瞳でタクミを見上げてきたのが、キバゴであった。
「キバッ!!」
普段なら絶対にまだ寝ている時間。
朝方は決まって朝食の時間まで寝ているキバゴが今にも走り出したいと言わんばかりに身体を動かしている。
「…………」
タクミはバチンと自分の頬を強く叩いた。
「っっし!!!」
へこたれている時間はない。
後悔している暇もない。
今は一分一秒を削ってでも強くなるんだ。
その覚悟でここに来たんだ。
タクミは道着に袖を通し、窓を開けて外の静謐な空気を胸の奥にまで吸い込んだ。
潮の香りをたっぷりと含んだ風は頭の奥をスッキリとさせてくれた。
「よしっ、行くか………っぅぐ………」
だが、いくら気合を入れても痛みが消えるわけではないのだ。
タクミは重い身体をなんとか引きずりながら早朝ランニングへと出かけていった。
砂浜には既に皆が揃っており、各々が準備体操をしていた。
「おっ、タクミ君、ちゃんと起きれたね」
コルニがそう言ってニヤリと笑う。
「もちろんです。一日だって休んでられません」
「でも、筋肉痛でしょ」
「……押忍」
「ははは、大体、みんな2日目のランニングは自分との闘いだから。そうだ、朝は寝てる間に身体の水分が抜けてるから、走る前に水分補給をしっかりね」
「押忍!」
「さぁて、それじゃあ今日も元気よく行ってみよーっ!!!」
そして、2日目のランニングが始まった。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
足の筋肉痛は動き出してみたら案外気にならなくなったが、それはそれとして体力が1日で伸びるわけがない。しかも、疲労は確実に蓄積している。タクミは昨日よりも早い段階で集団から振り落とされていった。
キバゴも同様にタクミと同じくズルズルと後ろに下がっていく。
「くそっ……くそっ……」
「キバァ……キバァ……」
踏みしめた足先が昨日よりも深く砂に沈むように錯覚してしまう。
それ程に身体が前にいかない。
ゴマゾウもクチートもまだ先頭集団について言っている。
ヒトモシがわずかに遅れていたが、それでもタクミ達よりは前だ。
「くっ……」
1周目が半分を過ぎたころから右脇腹も痛みだした。
タクミの顔が歪み、視線が落ちる。
何重苦かもわからない2日目のランニング。
朝方の決意が既に揺らぎかける。
そして、腹の奥から出てくる言葉はいつも1つに収束する。
『なんでポケモンのトレーニングでトレーナーも走る必要があるのさぁ』
だが、いくら理不尽を力説したところで何の意味もない。
タクミは重い手足を振りながら走り続ける。
「タクミさん、顔をあげましょう。顔を下げると喉が詰まって余計に苦しいですよ」
「おっ……す……」
一周遅れにされた時にカケルにそうアドバイスを受け、タクミは強引に顔をあげる。
だが、息も絶え絶えで身体は一歩踏み出すごとに左右に揺れ、頭もグラグラと揺れる。
呼吸を整えるどころか、走る体裁を整えることだけで精一杯だった。
タクミがなんとか2周目を走り終えた時には既に他の人達はもう走り終わってしまっていた。
誰もいないゴール。タクミの目の前に続くのは地獄の3週目。
タクミは『もう2周で切り上げてしまいたい』という欲望を振り切るのに一際強い精神力を使うはめになった。
「ぜぇっ、ぜぇっ、ぜぇっ、ぜぇっ……」
「キバ……キバ……キバ……キバッ……」
それでも、隣で走るキバゴの前でトレーナーが努力を投げ捨てるわけにはいかない。それだけを心の支えにしてタクミはなんとか2日目のランニングを走り切った。
とはいえ、今日は迎えてくれる人は誰もいない。
砂浜から階段をあがっていけば、タクミのポケモン達が水分補給用のドリンクを持って待っててくれていた。
タクミとキバゴはそれを喉を鳴らして飲み干し、身体を引きずるようにして裏手のトレーニング場へと向かった。
そこではコンコルドの指導の下、昨日と同じようにジムのトレーナー達が型の通りに身体を動かして突きや蹴りを繰り出していた。
「走り終わったか?」
「押忍」
「よし、ならタクミはそっちだ」
「押忍」
コンコルドに指差された先はトレーニング場の片隅。
タクミが教えてもらったことは唯一のこと。
一定間隔で並んだ丸太。
タクミは昨日教えてもらった通りに距離をあけ、構える。
「ぃゃぁああああああああ!!!」
自分に喝を入れるように叫び、タクミは丸太に向けて『たいあたり』をぶちかます。
そんなタクミ続き、ポケモン達も次々と丸太にぶつかっていく。
『闇雲にやってちゃダメですよ。しっかり体重移動と踏み込みを意識して』
カケルに昨日言われたことを思い出すものの、今のタクミではそんなことを考える余裕はなかった。
もちろん、頭の片隅には指導の内容は残っている。
足先の向け方、踏み込む位置、蹴り足の加減、体幹の意識。
だが、今はそんなことを考えられる程に脳に酸素が回っていない。
タクミにできるのは我武者羅に目の前の丸太をなぎ倒すつもりでぶつかることだけだった。
「ぁあああっっああぁああああ!!」
「キバァァァアァアアァァア!!」
タクミに釣られるようにキバゴも声を上げ、他のポケモン達も叫びだす。
「ぜぇっ、ぜぇぇっ……ぬぅああぁっぁああああ!!」
10本『たいあたり』を繰り返し、少し身体を休めて再開。
胸に青あざを作り、膝をぶつけて擦りむき、トレーニングシューズの中には肉刺ができてすぐさま潰れた。嫌な湿り気を帯びた足先を再度踏みしめ、痛みに顔を歪ませながらとにかく丸太に向けてぶつかり続ける。ばすん、という気の抜けた音しかならないクッションを汗で濡らし、タクミ達は他の皆の型が終わるまで『たいあたり』をやり続けた。
「やめっ!!」
コンコルドの掛け声と共にジムトレーナー達が型の動きを止める。
タクミもがっくりと肩を落とし、動きを止める。
滝のように滴り落ちる汗粒が地面を濡らしていく。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……はぁぁっ……」
最後はほとんど丸太にもたれかかるようになりながらの『たいあたり』になっていたタクミ。
当然、既に足の動きもおぼつかない。
だが、休んでいる余裕はない。
この後に続くトレーニングは昨日と同じく『ポケモン組手』だ。
「あっ………」
「ダネっ!!」
足がもつれ、ふらついたところをすんでのところでフシギダネに支えてもらった。
「ダネダ……」
「ありがと、フシギダネ、大丈夫、大丈夫だから……」
タクミは顎に流れ落ちる汗を拭い、皆のトレーニングに合流しようとする。
いくら10歳の体力が無尽蔵とはいえ、普通の山道や旅の間のトレーニングとは身体にかかる負担の度合いがまるで違う。
流石にこのまま続けることは難しいだろうというのはポケモン達だけでなく門下生ですら思うところであった。
そんなタクミの様子にコンコルドは眉間に皺を寄せた。
「タクミ」
「押忍」
門下生になったからにはお客様扱いはなし。
コンコルドの鋭い視線が突き刺さる。
「『ポケモン組手』、できるな?」
『できるか?』という質問ではなく、『できるな?』という強制力を帯びた台詞。
タクミは奥歯を食いしばる。
「……押忍」
「声が小さい!!」
「押っ忍!!!!」
やけくそ気味の返事。
コンコルドはそれだけ声が出れば大丈夫だろうと言わんばかりにタクミから視線をそらした。
「うむ、さっそく取り掛かれ。ほれ、他の皆も始めろ」
「押忍!!!!」
タクミは重い手足を強引に動かしてプロテクターを装着していく。
そんなタクミにだけ聞こえるような声でコンコルドが小さく呟いた。
「…………同情が欲しいか?」
その瞬間、タクミの心の中で何かが切れた音がした。
「……っ……っっっ……ん゛んんっ!!!」
胸の内で百万語が渦巻く。言いたいことが滝のように溢れかえりそうになる。
今すぐこのプロテクターを脱ぎ捨てて、このトレーニング場を去れば全て解決するような気がしてくる。
何でこんな苦しい思いしなきゃいけないんだ?
何でこんなに耐えなきゃいけないんだ?
何を我慢しているんだ?
腹の奥から悪魔のようなどす黒い声が響いてくる。
もうやめたい。やめて逃げ出したい。
涙が溢れそうだった。
そんなタクミを心配そうにポケモン達が見上げるが、彼等には何もできない。
全てはタクミが選び、タクミが決めることなのだ。
タクミの口の奥から嗚咽が漏れる。
涙が溢れかえりそうになる。
その瞬間だった
「………………」
ふと、タクミの表情が変わった。
「…………?」
こっそりと様子をうかがっていたコンコルドの眉が僅かに跳ねる。
コンコルドはこれまで多くのトレーナーを門下生として受け入れてきた。だが、昨今の時代ではコンコルドのやり方に付いてこられるトレーナーは減っていった。1日でやめてしまうトレーナーも珍しくはない。
タクミは見込みがありそうだったが、『この程度のトレーナー』などは過去にごまんと見てきた。
その大半が恨み言と文句を垂れながらこの島から出ていくのだ。
だが、タクミの今の顔はコンコルドが見てきたトレーナーの誰とも違っていた。
今の現状を受け入れて折り合いをつけた顔ではない。
心が折れて、覚悟も気力も根こそぎ投げ捨ててしまおうとしている顔でもない。
考えることを止めて怒りにまかせて行動しようとしている顔でもない。
今のタクミはただ何か強敵に挑むかのような顔になっていた。
「……くそっ……負けるか……」
タクミはゴシゴシと涙を拭い、顔をあげる。
タクミは痛みをこらえるように顔をしかめながらも、確かな足取りでプロテクターを装着した。
そして、トレーニング場に立ち、両手をキバゴに向けて構えた。
「……キバゴ!!来い!!」
「……キバ……」
「大丈夫だ!僕のことは気にするな!!来い!!!」
「……キバッ!!キバァァァァ!!」
キバゴがタクミのミットに目掛けて攻撃し、タクミも必死に応戦していく。
足に力を込めるたびに潰れた肉刺が焼けるように痛み、攻撃を受けるたびに腫れあがった掌が軋みをあげる。
「…………くっそ痛い……ぬぅぁぁぁあっ!!」
それでも、タクミは手を引いたりしない。
キバゴが打ち、タクミが受ける。
激しい打撃音がリズミカルに響く。
タクミは痛みに顔をしかめながら、地球にいた頃に思いを馳せていた。
思い出していたのは病院の一室での出来事だった。
歩行器やランニングマシンが並ぶ病院のリハビリ室で、歩く練習をする彼女の傍にタクミはいた。
片足は病に犯され体重をかけられない。だが、健康な方の足には定期的に負荷をかけないと足の筋肉や神経が死んでしまう。例え健康になったとしても歩けない身体になってしまう。だからこそリハビリを続けるのだ。
だが、その当時のアキは病状が進行し、将来歩くことすら絶望視されていた。
目標どころか、明日の自分すら見えない中で未来の為に努力するなんてことができる人間なんてそういない。
それでもアキはいつだって前に進んでいた。
球の汗を浮かべ、泣きそうになりながらも必死でリハビリを繰り返していた。
転んで、立ち上がって、また転んで。
声をかけることしかできないタクミに時折何か言いたそうな目を向けて。
実際、時々八つ当たりして、喧嘩して。
あの時、アキはこんな気持ちだったのかもしれない。
「でも……アイツは……諦めなかったんだ……僕がここで……こんなことで……」
「キバァァァアアアアアア!!」
「うっっ!!!……くっそぉぉぉおお!!立ち止まってられるかぁぁああああ!!」
隙の大きなキバゴの攻撃を受け止め、その頭を叩いてはじき返す。
キバゴは地面に押し倒され、勢い余って大の字になって転がった。
そんなキバゴに向かってタクミは荒い息で吠える。
「キバゴっ!!何回そうやってカウンタ―食らってんだ!攻撃をもっと鋭く、短くするんだ!!」
「キバッ……」
「次、フシギダネ!!来い!」
「ダネフッシ!!!!」
もう迷わないと決めた。
この道を進むと決めた。
今はただ、全力で走り抜けるのみ。
「フシギダネ!!連撃が甘い!!これなら余裕で近づけるぞっ!!」
「ダネダァァ!!ダネフッシ!!」
ムチがしなり、ミットが音をたて、タクミ達の吐息が交じり合う。
それを横目で見ながらコンコルドは嬉しそうに口角を持ち上げていた。