目覚ましのアラーム音が聞こえた。腹筋に力を込め、鈍い痛みが走って背を丸める。
携帯端末をつかんでアラームの設定を消す。清香は寝たまま内容を確かめた。
(おやおや?)
清香宛にメッセージ。
目を丸くする。口元がほころぶ。「やったー……イタタ」
珍しく先に起きたルームメイト。にらんでくる。清香はシーツを引っぱり顔を隠した。
(
巻紙礼子は恩師だ。祖父母の家から逃げるように上京して、右も左もわからぬときに手を差し伸べてくれた。家出娘に寝食を提供し、勉強まで面倒を見てくれた。IS適性が低いことがわかって放り出されそうになったとき、清香をかばって、おねーさんを紹介してくれたのだ。
清香は留守電メッセージに気づいて、再生ボタンを押して耳に当てる。
「巻紙です。先日はありがとうございました。大変助かりました。お礼をしたいので、私のメールアドレスにご都合良い日を二、三記載して返信ください。よろしくお願い致します」
巻紙礼子の素の声。勢いよく立ち上がって、ルームメイトの背中に抱きつこうとした。うれしくてしかたがなかった。
アヤカが振り向いた。「何してんの」
清香はベッドの傍でうずくまっていた。小指をおもちゃのリモコンにぶつけたのだ。ダイカスト製であるためか、かなり痛かった。
授業。筋肉痛緩和。織斑先生の声を一生懸命聞き取る。
空と速度の話。飛行速度。対気速度。対地速度。音速。スーパーソニック。
これでも理系に分類される身の上。おねーさんのトンチキ講義と比べると、織斑先生は理路整然としてとてもわかりやすい。
しっかり勉強したあとは食堂で昼食。いつもどおり本音と席を確保する。
「一緒にいいか」
「もちろんっ」
妹さん。おねーさんと違って礼儀正しい。
彼女がつるんでいる面子が合流。剣道部の四十院神楽。鏡ナギ、谷本癒子、そして織斑一夏。
(セシリアさん、いた)
セシリアは上級生と親しげに話している。リボンの色からして二年生。同じ金髪でも少し怖い感じ。雰囲気がかなり異なっている。
「いただきまーす」
日替わり定食。節約不要。優先搭乗券が有効なあいだは、食事代は篠ノ之基金が負担することになっていた。
食堂内のざわめきが気になって、お味噌汁の椀から手を離す。「フードファイターかよ。すげえ」といった声が聞こえる。どうやら三組の生徒らしい。清香の位置からは姿が見えない。
食べ終えると、箒が声を荒げた。「またお前か!」
「は? 何、来ちゃ悪いの」
「良くない!」
夜半から今朝にかけての出来事。
凰鈴音は忍び込んださきで寝ていた箒をベッドから蹴落とし、自分は一夏のとなりで朝を迎えた。
清香は凰鈴音から視線を外して、本音を小突いた。
「もし……織斑くんがISに乗れなくなったら、彼はどうなると思う?」
「……どうなるの?」
おねーさんは男性がISに搭乗するための例外条件をこっそりこさえていた。先日
清香は互いに首をひねりあいながら、机のむこうを見た。
くすみのあるブラウン。髪を染めた、いかにも大人の女性が佇んでいた。トレーを持って、席を探す。右へ、左へ。
「美人だねー。大人のおねーさんって感じー」
学園の食堂にはときどき大人も食べに来る。今目にしている女性は外部の人。同じような制服の群れに驚いている。
「そうだねー。あーいう感じになりたいなー」
「憧れるねー」
え。と清香は本音のつむじを見やる。
どうやって飯を食っているのかよく分からない大人。清香はおねーさんが所持していたブラックカードを思い出す。
(本音はぜったいおねーさんルートだよね……)
▽▲▽
「大丈夫か、動き、ぎこちねえけど」
一夏が心配を口にした。
ほっそりした身体。ISスーツを身につけ、白式を着装。残念ながら貞操は無事だった様子。
「だ、だ、だいじょーぶぅ」
「無理するなよ」
打鉄を少しだけ宙に浮かせ、手を振ってみせる。タッグを組んで練習。互いに初心者。才能、すなわち適性は一夏のほうがはるかに上だ。かつて適性がないゆえに見捨てられかけた。拾い上げる人がいて、奇妙な縁で学園にいる。
問題がふたつ浮かび上がった。
「飛ぶ感覚? うーん、気がついたら飛んでたからなー」
清香は飛べなかった。浮くことはできても、二メートルが超えられない。そうなれば当然戦術は限られてくる。拙いながら火器を扱えるが、地を這うことしかできない清香。自由自在に空を飛べるが、雪片弐型以外の武器がない一夏。ふたりとも空を制圧する能力はない。
もう一つの問題。
「どうやったら頭がすっきりする?」
「ISと繋がる感覚のことか? ――……アァ、喉の奥につっかえてる感じだな……モヤモヤする。スマンッ。俺には説明ができないんだ。……束さんはなんか言ってたか」
「わたしね。IS操縦に関してはおねーさんからは何にも教わってないんだ。勉強のやり方だけ」
一夏は考え込むそぶりを見せ、ひどく驚いた。
「相川って、実技の入試、すげえ高得点だって聞いたぜっ!? 俺、束さんに秘伝の妙技を教わったとばかり思ってたっ!」
「……誰に聞いたの?」
「え? 誰って。いつも饅頭食べてる……のほほんさん?」
「その件はね。誤解があって――……」
言ってから口ごもった。先日の清香無双。本音が四組のクラス代表に自慢しまくっていた。その後のセシリア連戦。燃費が悪い機体で打鉄零式、ミナス・ジェライス撃破。打鉄弐式とは引き分け。
「うわわぁーーんっ!!!」清香は頭を抱えた。
「うぉっ……相川? 相川、どうした!?」
一夏に抱きついて涙ながらに訴える。
「織斑くんっ! みんな勝手に誤解してるんだよぉー!」
やってくれました、セシリアさん。
できる子扱い。適性Cなのに。あずかり知らぬところで勝手に評価が上がっている。
「わかった。ピットで話を聞こうかっ。だから、離れような。うん。抱きつくのはヤバいんだって!!」
一夏は凰鈴音の突き刺すような視線をやりすごしつつ、清香をなだめ続けた。
次回も仕込み回。