手を伸ばした先に携帯端末はなかった。
動画を観ようとしたのに。
チェーと、ぼやいた。
身体をひねらないよう気をつけながら、隣のベッドを見やる。
両腕を包帯でぐるぐる巻きになった女子がひとり。身を起こし、足指でリモコンを操作しようと格闘している。
視線に気づいた。両肩を怒らせて抗議。
「何にもできないんだけどー」
清香はシーツを引き、両足を見せた。白いギブスで固定されている。
「……かゆいんだよぅ。でも掻けないんだよぅ」
クスンクスン……と泣きマネ。
倒壊した守衛所で救助されてから、すでに一週間がすぎている。
相川清香は両足を骨折。アヤカ・ファン・デル・カンプは両腕骨折。ともに重傷だが、いまのところ命には別状はなかった。
……清香だけは、発見時多量の出血により輸血をせざるを得なかった。
また、非常に特殊な事例ではあったが、体内のナノマシン保有率が急激に低下したため、一時的に重体に陥っている。量子ナノマシン研究の第一人者である篠ノ之博士の尽力により、一命をとりとめていた。
ナノマシンを失いすぎるだけでも命の危険があるなんて……と、覚醒後に聞かされて驚いたものだ。
鼻を触ってみた。出血はなかった。当たり前だ。清香そのものは健康体なのだから。
……運動不足ではあったが。
不意に、旅客機のエンジン音のような。
窓の外へと注意を向けた。
ISが、三機編隊を組んで飛んでいた。
中央のISが教導機である
そして、右が……右が……。
(あれー、あれぇー!?)
ゴシゴシと目をこする。
「円盤!?」
未確認飛行物体である。写真を取ろうと端末をかざしたが、なぜかカメラには映らない。しかし、肉眼には映っている。
アヤカに気づかせようと急いた声を出す。が、アヤカは意図的に無視しているようだ。
そのとき、入口の引き戸が開いた。
「失礼するぞ」
担任の声に、清香はわたわたとしてしまった。
携帯端末を隠そうとしたら手が滑った。
(うわーーん!!)
すごい音がした。黒い画面に蜘蛛の巣が走っている。保護ガラスが割れてしまった。
なんとも言えない微妙な雰囲気が漂う。清香は涙目だった。
担任である織斑千冬が床に横たわった携帯端末を拾い上げて、枕元に置く。
「思ったよりも元気そうでよかったぞ」
「……ありがとうございます」
「一時はどうなることかと思ったが、な」
清香は気の抜けた返事をした。
(先生は……気づいているのかな……)
織斑千冬の次の言葉を待った。
彼女は篠ノ之博士の唯一の友人。相川清香は出願の際、おねーさんを推薦者に選んでいた。よって、織斑千冬は清香とのつながりを知っている。
(わたしって、すごく怪しいんじゃ?)
「束に礼を言っておけよ」
「ここでおねーさんの名を。どうしてですか」
「……ナノマシンの件だ。ナノマシン欠乏症。あいつ、知らせたらすぐ病院に飛んで来たんだぞ」
初耳である。
五反田家の敷地内か、日帰りでタクシーが使える範囲内でしか移動しない人が、わざわざ学園くんだりまで訪れるとは珍しい。
「……おねーさんは何を」
「パウチを無理矢理……」
目元が強ばっている。担任の表情を見て、察した。「針で体内に入れたとか」
「
「あー……ぁー……」
振り返ってアヤカを睨みつける。集中治療室にいた時以外は、同じ病室にいたはずだ。当然知っていたよ、みたいな表情だった。
おねーさんは頑なだった。
初めて会ったその日。初期の形容しがたい味だった頃のパウチを、自ら口に含んで強引に飲ませられた。そう、あれを数に入れるならば、悪夢のファーストキスだ。硬いゲル状のゼリー飲料を強引に嚥下させられたのだった。
(おねーさんとは初めてじゃないけど、ぜぇーたいっ、数えるもんか!!)
心を強くあろうと誓ったのを見越してか、織斑千冬が持っていた封筒を手渡してきた。
重たい。中を開けると、課題だった。
再び涙目になる。
「学生の本分は勉学だ」
と明るく告げられる。
「高校生にとって一週間は長い。幸い、相川は両手が使えるからな。若者よ、ペンを持て。……だ」
正論だとは思う。アヤカは課題を免れたと安心したのか、ずっとニコニコしているのがわかった。
「もちろん、カンプにもあるぞ」
ほら、とアヤカの枕元にもタブレット端末を置いた。眼球で操作ができる優れもの。説明が進むにつれ、みるみるうちに顔色が悪くなっていく。
「音声でも操作できる。……ふたりとも、そういう目で見るな」
学生の本分は、と繰り返した。
織斑千冬が病室をぐるりと見回す。乱れたシーツを見つけて、直してから背を向ける。
「また来る。それまでに課題を埋めておけ」
引き戸を開け放したまま、廊下に消えた。
またエンジン音がした。円盤を探すべく振り向いて、視線に気づいたアヤカがすっとぼけた顔をしている。
そして、生真面目に端末を起動させる。自動で流れ出した音声は、彼女の担任のものだ。
清香は求められなかったからか、清香から怪我を負ったときの状況を一度も口にしていなかった。すべてアヤカが説明した。
清香に求められたのは、パワーグローブ借りっぱなしの謝罪。又貸ししたあげく、その相手が実戦で使用してしまったのだ。
(ヤバいんじゃないの)
足がつく。
……足がつくといえば、リモコンはどこにいったか。
「リモコン、どこ」
言うと、アヤカが足指でテレビのリモコンをつまみ上げ、器用に投げて寄越した。
「一個しかないから使い終わったから返しなさいよ」
ちょうど膝上に落下した。無限で拾い上げて適当にチャンネルを押していく。
「こっちじゃなくて」
「退院したら取りに行こうか。お父さんの形見なんでしょ」
「……父は死んでないけど」
離婚後、失踪同然に姿を消してしまっているが。
第一、重すぎてパワーグローブがないと移動させることもできない。
せめて電池を抜いておかないと……。清香は思った。また、壊れたに違いない。修理しなければ。
一つ問題があった。
部品を発注しようにもドイツ語が読めないので、おねーさんの力を借りなければならない。しかも工業用3Dプリンタで部品を削り出すので、結構高価なのだった。
チャンネルをケーブルテレビの映画チャンネルに決めた。音量を調整したあと、リモコンをアヤカに投げ返す。
「あー……ごめん」
が、彼女の手に向けたばかりに受け取り損ね、リモコンが床に倒れ伏した。アヤカが恨みのこもった目を向ける。
清香はナースコールのボタンに視線をやるも、さすがに躊躇してしまった。
またしても微妙の雰囲気になる。映画音楽が淡々と流れ、一五分ほど過ぎた。
「勝手に入っちゃうね~。戸が開いてたから~」
静寂を破ったのは布仏本音だった。悩みなんて何もない脳天気な表情で手足を大きく振っていた。
「失礼する」
本音とは異なる二つの声。ひとつは知っている。もうひとつは知らないような、聞き覚えがあるような。
「篠ノ之さん! ……と、そちらは」
(……銀髪の女子なんて知らないよー!)
箒が身体を壁際に寄せる。後ろを歩いていた少女に道を譲ったのだ。
彼女の腕には鉄十字章。背筋を屹立させ、ベッド脇にたどり着いた。
「初めまして。私はラウラ・ボーデヴィッヒ。三日前、一年一組へ転入したばかりだ」
握手を求められ、ようやく彼女が小柄だと知った。
「よ、よろしく。は、はじめまして。
自分で言っていて前後が分からなくなってしまった。
「気を遣おうとしてくれたことに感謝する。日本語の読み書きは得意だ。普通に話してくれて大丈夫だ」
怖ず怖ずと握手すると、和やかに破顔する。
明らかに日本人ではない外見。オッドアイの美少女に見つめられて、清香はなんとか間を持たせようと頭を働かせる。
「ど、どこから」
「前にいたのはドイツ。
軍? 大佐? 清香は聞き慣れぬ言葉に混乱する。
(中学生くらいの美少女が軍人で大佐! どーなってるのー!!)
真っ先に中二病を疑ってしまう。
ラウラ・ボーデヴィッヒの言うことは真実なのだろうか。
清香は助けを求めて戸惑いの瞳を本音と箒に向ける。
「電話だぞ」
箒は壁にもたれかかるのをやめて発した。
蜘蛛の巣だらけになってしまった携帯端末に注意を向けると、画面にはなんと――五反田弾――という氏名があった。
(だ、弾くん!?)
確かに弾には連絡先を伝えてはいたが、実際にかかってきたのは初めてだ。もしや、おねーさんが彼に伝えたか? いやいや、そんなこと気にも留めない人だ。
清香はおそるおそる通話ボタンに触れる。頭を必死に巡らせ、ナノマシンを使い、弾との会話を何万通りもシミュレートしてしまった。
『あなたの目の前にふたりの女性がいます』
だが、受話器の向こうの声は女のものだ。真面目な口調だが、何処の誰かはっきりとわかった。
「おねースァン」
『あなたの目の前にふたりの女性がいます』
こちらの声を無視して繰り返してきた。もう一度呼びかけるとまたしても無視したあげく、同じ言葉を繰り返した。
「三人いるけど……」
『いいえ。ふたりです。モブキャラは勘定に入れません』
(モブ……?)
ヘラヘラと締まりの無い笑みを浮かべる本音。おねーさんの反応はない。
箒を見る――息づかいが荒くなった。
続いて、ラウラ・ボーデヴィッヒを見る――息づかいが荒くなった。
(と、すれば。篠ノ之さんとラウラ、さん?)
『あなたの目の前に……ハァハァ……ふたりの女性がいます』
正解らしい。おねーさんが荒い息づかいで繰り返す。
『あなたにチャンスをあげましょう。チャンスです』
『チャンス?』
問い返すと、電話越しの相手が説明しようと焦って早口になった。
『海に落としたのはアレですか? それと、こっちですか? あのねえ、死にかけていた君にナノマシンを直入れしてあげたんだから、君はその対価を支払うべきなんだよ。支払うべきなんだよ。おねーさんの唇はタダじゃないんだから』
(忘れようとしていたのに――!)
しかし、清香は怒りを心の中に留めた。
おねーさんは清香がどんなに怒っても、まったく、何も、みじんたりとも気にする人間ではなかった。ヒトとしてものすごく器が小さいのだ。
しかも、大声を出すと傷に響く。
『じゃあ、仕切り直し。……あなたにチャンスをあげましょう。チャンスです』
「どんな?」
『ワンティッツです。君のは
おねーさんの口調に吹き出したくなるのを懸命にこらえた。
本音が察してしまったのか、すかさず携帯端末をビデオカメラ代わりにして構えている。
『あなたが好きなのは、大きなおっ○いですか、それともささやかな……小さなお○ぱいですか。どちらでもないは認めません』
(え、今? 無理だよ――――)
しかし、織斑千冬の提言を思い出してしまう。
(こんなのがお礼? うわぁ――ん!!)
清香は心に滂沱の雨を降らせながら、一方の胸元へと恐る恐る手を伸ばした。
(終)
是を以て終局とす。
これまでご拝読していただいた皆様ありがとうございました。
何かありましたら感想欄かメッセージにどうぞ。