グランブルーファンタジー クロスオーバーFエピソード集 作:第22SAS連隊隊員
【戦国刀】
とある町中でのこと、青ざめた顔をしたラカムにカタリナが肩を貸しながら歩いていた。
「うぅ……」
「しっかりしろラカム、もう少しの辛抱だ」
そう言いながらカタリナはラカムを担ぎ直す。二人の先ではビィを連れたルリアが道行く人に必死に訪ねていた。
「あの、この近くにお医者さんはいませんか?」
「医者? それだったらそこの角を曲がった先の突き当りに腕の良い先生がいるよ」
「ありがとうございます!」
ルリアが頭を下げて礼を言っている間にビィがカタリナとラカムの元に飛んでいき、先ほど教えてもらった情報を伝える。
「そこの曲がり角を曲がった先に医者がいるって! 頑張れラカム、あとちょっとだ!」
「お、おう……」
ラカムは空いている手でサムズアップする。青ざめた顔を引き攣らせて辛うじて笑みを浮かべるが、それはすぐに苦痛に表情に変わる。
ビィはルリアの元に戻ると急いで教わった道を進む、角を曲がって走り続けるとやがてT字路に辿り着いた。その突き当りの建物に『ウヅキ診療所』と書かれた看板が一人と一匹の目に入った。診療所の出入り口の前までやってくると扉の脇に看板が掛けられており、直筆で文字が書かれている。
『ケガ、病気、よろず引き受けます。遠慮無く中へどうぞ! ただし、死人はお断り』
「ここで間違いないですね」
「急ごうぜルリア!」
ビィの言葉を聞いたルリアは頷くと診療所の扉を開け、中に入るなり大声で叫んだ。
「すみません、急患です! 誰かいませんか!?」
「おやおや、どうかなさいましたか?」
ルリアが叫ぶと衝立の向こうからメガネを掛けた男が出てきた。恐らくは医者なのだろうが白衣は着ておらず、紫色の帯を腰に巻き緑色の民族服のような物を着ている。
慌てながらルリアが事情を説明するが、焦燥のあまり言っていることが支離滅裂になっている。そんな彼女を穏やかな声で医者は宥め、ルリアは次第に落ち着きを取り戻していった。
やがて少女が完全に落ち着きを取り戻したところでカタリナとラカムの二人が診療所にやってきた。ラカムの顔を見た男は直ぐに事情を察し、奥の診察室に入るよう指示する。
「彼をそこのベッドに寝かせて下さい、上着を捲って上半身を見せて。直ぐに診察を始めます」
カタリナはラカムをベッドに寝かせて汗を吸って重くなった上着を捲ると、顕になった彼の上半身には幾つもの汗が浮かんでいた。カタリナがベッドから離れると入れ替わりで聴診器を付けた医者の男が診察を始めた。
胸や腹に聴診器を当てると、次に指先で触診しラカムの具合を確かめる。傍らではルリア達が心配そうにその様子を見守っていた。やがて診察が終わったのか男がラカムの上着を戻すと、後ろに立つ二人と一匹を安心させるように穏やかな笑みを浮かべながら診察結果を報告する。
「大丈夫、どうやらちょっとした食中りのようですね。薬を飲んで安静にしていればすぐに良くなりますよ」
「よかったぁ……」
先程まで張り詰めた顔をしていたビィはその言葉を聞いて安堵したのか、大きな息を吐いて近くの椅子にへたり込むように着席した。それに続いてカタリナとルリアの二人も診察室の長椅子に腰を下ろす。
医者の男は診察室の棚から瓶を出し、そばに置いてある箱から白い薬包紙を一枚取り出した。瓶を薬包紙の上で傾けると中から白い粉が流れ出て、紙の上で小さな山を作る。
薬の乗った薬包紙を一旦机の上に置くと、次に男は診察室の奥に向かうが、すぐに戻ってきた。手には水の入ったコップを持っている。医者は薬の乗った紙を再び持ち、コップと薬をラカムに差し出した。
「さぁ、これを飲んでください」
ラカムは上半身を起こしてその二つを受け取るとまず水を口に含み、次に薬包紙を傾けて薬を口の中に一気に流し込んだ。ごくん、と一飲で口の中のものを飲み込むとコップと紙を医者に返し、再びベッドに横になった。
「彼の具合が良くなるまでお茶でも飲みませんか? ちょうど入れていたところです」
「わぁ、いただきます!」
「何から何まで申し訳ない」
「いえいえ、お気になさらずに」
そう言うと男は診療所の奥に向かう。陶器の触れる音や何かを注ぐ音がして、再び姿を現した彼の手にはお盆に乗せられた四つの湯呑みが。お盆を机の上に置くと「熱いので気をつけてくださいね」と言ってカタリナ達に茶を勧めた。
「そういえば自己紹介がまだでしたな、私の名前はシタン・ウヅキ。見ての通り町医者です」
「カタリナだ。騎空団の団長を務めている」
「ルリアです」
「オイラはビィ!」
「ほほう、騎空団ですか」
茶をすすっていたシタンは感心の声を上げる。
「とすると、何か目標があるのでしょうか? 騎空団を結成した人は何らかの目指す物があると聞きますし」
「実は我々はイスタルシアを目指している」
「イスタルシア? ということは障流域を乗り越える手段を?」
「正確にはその手段を集めている最中だ。どうやら各地に空図の欠片が散らばっているようでな、それを集めている」
「なるほど……」
シタンは感心の唸り声を小さく漏らすと再び茶をすすった。
「星の島ですか……実は私、以前からイスタルシアに興味がありまして、生きている内にこの目で確かめるのが夢なんですよ」
「先生もイスタルシアに行ってみたいんですね」
「なぁ、先生。よかったらオイラ達と一緒にイスタルシアを目指さないか?」
ビィの言葉にシタンはどこか申し訳無さそうな顔をして、ゆっくりと顔を横に振る。
「いえ、その申し出はありがたい限りなのですが、私はこの島を離れるわけにはいかないのです。ここは医療だけでなく様々な面で設備や整備が行き届いていないので、私が医者をする傍らいろいろと指導しているのですよ」
「なるほど、貴方が島を離れるのは住民にとっては死活問題になるな」
「そのとおりです。私のわがままで人々を困らせるわけにはいきませんから」
そういってシタンは朗らかに笑い、カタリナ達も微笑んだ。全員が茶を飲み、湯呑みを受け皿に乗せたところで外から何かが派手に壊れる音と悲鳴が響く。
「表のようですね。ちょっと様子を見てきます」
「私も行こう」
「あ、待って!」
「置いてくなよぉ!」
椅子から立ち上がって診療所を後にしたシタンに続きカタリナが、更にその後をルリアとビィが続く。後にはベッドの上で少しだけ顔色が良くなったラカムが相変わらず呻き声をあげていた。
三人と一匹が表通りに出ると人集りが出来ていた。人々はざわざわと騒ぎ、あちこちから不安気な声がときおり聞こえる。何があったのですか、とシタンが声をかけると近くにいた男が困り果てた顔で答える。
「ああ、先生! 実は先ほど騎空挺がやってきたのですが、乗っていたのがとんでもない連中でして……」
男が言うやいなや再び破壊音が響く、それを聞いて顔を険しくしたシタンは「失礼します」と言って人混みの中に割って入っていった。慌ててカタリナ達も後を追い、緑色の服を来た男の背中を見失わないように何度も謝りながら人混みの中を進む。
群衆を抜けた先では如何にも柄の悪い男たちと、恐怖に怯え顔を青褪めさせた中年の男がいた。男たちは全員がニヤニヤと下品な笑みを浮かべており、ただならぬ雰囲気が辺りに漂っていた。
「おい、さっさと金をよこせ、ついでに店の商品もだ! 妙な真似をしたらこいつが火を吹くぜ!」
そういってモヒカン頭の目付きの悪い男は店主らしき男に銃を突き付け、脅すように左右に揺らす。店主は悲鳴を上げると大慌てでそばにあるレジを開け、中の金を両手で鷲掴みにするとモヒカン男の前に置かれた袋に放り込んだ。
店主の後ろでは数人の男たちが店の品物を片っ端から手に持つ袋に乱暴に突っ込んでいき、見る見るうちに店内は荒らされてゆく。
「おい、お前ら! 俺様は慈悲深い。大人しく金と物を差し出せば命と店は助けてやる。ただし、少しでも渋ったり変な考えを起こすなら……」
一団のリーダーであろう筋骨隆々のドラフの大男はそう言うと、手に持つ背丈ほどもある棍棒を真上に構え、勢い良く振り下ろした。その先には店主が先ほど開けたレジが。
金属がひしゃげる音と木製のレジ台がへし折れる音が表に響き渡る。棍棒が持ち上げられたあとに残っていたのは、鉄屑になったレジと木片になったレジ台だった、店主の口から悲鳴と嗚咽が混じった声が漏れる。何人かの住民が財産を壊されては堪らんとその場から離れようとした。
「皆さん! 彼等の言うことに従う必要はありません!」
それを引き止めたのはシタンの一声であった。よく通る声で叫ぶと自分の店に向かおうとしていた人々の足がピタリと止まる。ならず者たちは突如として現れた男に一瞬だけ訝しがるが、すぐに下卑た笑みを浮かべた。
「おうおう眼鏡のあんちゃん。いきなり出てきて随分舐めた口きいてくれるじゃねぇか?」
目付きの悪い男は挑発するような口調でシタンに銃を向ける。対するシタンは特に慌てる様子もなく、ゆっくりと歩きながらならず者たちへと近付いてゆく。
「申し訳ありませんがそこまでにしていただけないでしょうか? これ以上の略奪行為は町の人達の生活に関わります」
「はっ! そう言われて。はい、わかりました。とでも言うと思ってんのか?」
「言ってみなければわかりませんからね」
目付きの悪いならず者は心底バカにしたような様子でシタンに向かって中指を立てる。こうしている間にも一歩、また一歩とシタンは距離を詰めてゆく。ならず者たちは会話に気を取られて、眼鏡の男が自分たちに近付いていることに気がついていないようだ。
「眼鏡のあんちゃんよぉ、目が悪すぎてこれが見えねぇのか? 俺はこいつで今まで何十人も撃ってきたんだぜ!」
「ほう、それはそれは。でしたら今日限りでそれを使うのをやめては如何でしょうか?」
ここでシタンは足を止めた。ならず者たちとは二、三歩の距離まで近付き、相も変わらず涼しい顔で説得を続ける。目付きの悪い男はシタンのその言葉にニヤッと気味の悪い笑みを浮かべた。
「じゃあそうするか。てめぇを撃ってからな!」
目付きの悪い男は素早く銃を構えると躊躇いなく引き金を引いた、撃鉄が弾薬の尻を叩き、銃口から轟音と共に鉛弾が放たれる。群衆から幾つもの悲鳴が上がり中には手で顔を覆うものもいた。ルリアも思わず顔を背け目の前でおきた悲劇から目を逸らそうとする。
初めは群衆から悲鳴とざわめきが入り混じった声が聞こえていたが、次第にそれは困惑の色に変わってゆく。様子がおかしいことに気が付いたルリアはゆっくりと背けていた顔を前に戻す。視線が正面に戻り再びならず者たちを視界に収めた時には、信じられない光景がそこにあった。
「危ないですね。流れ弾で怪我人がどうするつもりですか?」
放たれた弾丸は眼鏡をかけた男に当たっていなかった。シタンは左手で銃把ごと男の右手を、右手で男の左腕を掴んでいた。銃は掲げられるように持ち上げられており、銃口から立ち昇る硝煙が青い空に消えてゆく。いつの間にかシタンが懐に潜り込んでいたことに気が付いた男は驚きで目が見開かれる。
「はっ!」
掛け声とともにシタンは男を掴んだまま体を百八十度回転させ、流れるように投げ技を決めた。目付きの悪い男は一瞬だけ宙を舞い、次の瞬間には石畳に背中と後頭部を強かに打ち付け白目を剥いて気絶する。
シタンは投げる際に男の手から抜き取った銃をくるくると回転させてよく冷まし、触れても問題ない熱さになったことを確認してその場で手早く分解を始めた。シタンが手を動かす度に部品が外され、あっという間に銃はバラバラに分解された。
「危ないので分解しました。返しますよ」
シタンは部品の山を気絶している男の胸に置くと改めてならず者たちと対峙する。
「て、てめぇ、よくも兄貴を!」
「もう一度言わせていただきます。これ以上の略奪をやめていただけないでしょうか?」
「ごちゃごちゃとうるせぇ!!」
赤いバンダナを巻いた男がいきり立ち、振り上げた剣をシタン目がけて振り下ろした。太陽光でギラつく刃は寸分違わず彼の脳天に迫り、町民の誰もが町医者の頭がかち割られる瞬間を予想し戦慄する。
「へ?」
ならず者は何が起きたのか理解できないらしく、間抜けな声が口から漏れる。目の前の男を叩っ斬ろうと振り下ろしたはずの剣はなぜか切っ先で石畳を叩いており、当の男はそのすぐ横で相変わらず涼し気な顔をしている。
「はい」
掛け声と共にシタンが右手で緩やかに手刀を下ろす。五指を揃えたその一撃はならず者の手首を叩き、剣が手からこぼれ落ちた。そのまま今度は右手で手首を掴む。シタンはならず者の手首を掴んだまま捻り上げ、男の背後に回る。
「いだだだだだ!!」
「ご安心を、私は医者です。人体については熟知していますからどれだけの力を加えれば腕が折れるのかちゃんと理解しています。ですから……」
シタンは僅かに男の腕を捻る。
「いだだだだだだだだだ折れる折れる折れる!!」
「折れる寸前の状態を維持する、なんてお手のものです。降参しますか?」
「こ、降参だ、降参する!! 放してくれ!!」
ならず者は泣き喚きながら懇願するとシタンはあっさりと男の手首から手を放した。男は通りに倒れると右腕を抱えながら苦しげに呻き声を上げる。
「これが最期の警告です。略奪をやめてください」
「てめぇら、やっちまえ!」
リーダーのドラフの男がシタンの言葉が終わらないうちに部下に命令を飛ばす。残っていたならず者達は各々の得物を手にシタンに襲いかかった。当のシタンは呆れた様に小さな溜め息を吐くと足を軽く開き、両腕を緩やかに構える。
先頭のナイフを持った小太りの男がシタンの胸目がけて刃を突き出した。切っ先はすんでのところで空を切り、男の横に回りこんだシタンは無防備な後ろ首に手刀を叩き込む。小太りの男は嫌な声を漏らして倒れた。
それを皮切りにシタンは襲いかかるならず者たちを踊るように次から次へといなす。人体の急所に的確に拳や蹴りを叩き込み、彼の手足が動いたかと思えばならず者が一人、また一人と倒れてゆく。
傍観していた町民たちはいつしかシタンに声援を送り、応援の声が最高潮に達した時は彼の周りに何人ものならず者たちが倒れていた。残されたリーダーの男は怒りで顔を真っ赤に染め、さながら闘牛の様に熱い鼻息を吹き出す。
「この野郎よくも俺の部下をやりやがったな!! ぶっ殺してやる!!」
ドラフの男は棍棒を担ぐと雄叫びを上げながらシタンに襲いかかった。間合いに入ったところで巨大な棍棒を横に振り被り、シタンを殴り飛ばそうとする。
対するシタンは臆することも慌てることもなく構え、ドラフの男が棍棒を最大まで振り被った瞬間を狙い、動いた。
「はっ!」
固く握った拳をシタンは男の右肩に叩き込む、するとあとは振り切るだけだったはずの棍棒がピタリと止まった。男の顔が驚愕に染まる。
「せいっ!」
続いて掌底で男の顎を打ち上げた。下から上に衝撃が駆け抜け頭蓋内の脳が激しく揺さぶられ、脳震盪を起こしたドラフの男は棍棒を手放してその場でフラフラと奇妙なステップを踏む。
「しょお!」
トドメにシタンは渾身の掌底を叩き込む。左足の踏み込みの勢いと体重を乗せ、腰を深く落とした一撃は寸分違わずがら空きの鳩尾に直撃した。男の体がくの字に曲がったかと思うと、ドラフ特有の巨体が面白いように吹き飛ばされる。人混みギリギリのところで巨体は石畳に落ちて派手に砂埃を巻き上げた。倒れた巨体はそのままピクリとも動かない。
シタンはしばらくのあいだ掌底を放ったままの構えを維持し、やがてゆっくりと構えを解くと大きく息を吸って緩やかに吐き出した。
「みなさん、もう大丈夫です。終わりましたよ」
町医者の言葉に群衆から歓喜の声が湧き上がる。誰も彼もがシタンに賞賛や感謝の言葉と拍手を送った。
それから町民たち総出で破壊された店の後片付けと修理、気絶したならず者達の引き渡しが行われあっという間に町に何時もの日常が戻ってくる。カタリナ達はこれからの旅に備えて必要な物資の購入をしていると、騎空士が珍しいのか店主から様々な質問を受けた。
「騎空団を結成してどれくらいになるんだい?」
「まだ結成したばかりなんです」
「ほうほう、新進気鋭って訳か。何か目標や目指している事でもあるのかい?」
「実は我々はイスタルシアを目指しているんだ」
「い、イスタルシア? あの星の島か?」
「おうよ、オイラ達はそこを目指して旅を続けているんだぜ!」
カタリナ達の話を聞いた店主は驚き、続いて感心したように唸り声を上げる。
「はぁー、若いのに大したもんだ。でも、あんたらの騎空団に他の騎空士はいるのかい?」
「それが今のところ三人と一匹だけでな。旅を共にしてくれる人物を探しているところだ」
「炊事や洗濯もそうだし騎空挺の整備、いざという時のためにお医者さんもいてくれたら嬉しいんですけど……」
「やっぱりそうそう見つからないよなぁ」
そう言ってカタリナとルリア、ビィは揃って溜め息を吐く。店主は何かを考えていた。
「それではお大事に」
「世話になったぜ先生」
次の日、顔色もすっかり良くなり何時もの調子が戻ったラカムは晴々とした顔でシタンに感謝した。必要な物資は昨日の内にカタリナ達が買い揃え、いよいよこの島を発つ時が訪れる。
カタリナ達の出発を見送ろうと騎空挺発着場までやってきたシタンは、騎空挺に乗り込んだ彼女たちに手を振る。あとは離陸するのみとなったところで大声がそれを止めた。
「待ってください!」
何事かとシタンは声のした背後に振り返る。そこには大勢の町民たちがいた。
「先生、騎空団の人たちから話を聞きました。私たちに構わず、先生はイスタルシアを目指してください!」
「み、みなさん?」
「先生はずっと星の島に行きたいんでしたよね? でしたらチャンスは今しかありません!」
突然ではあるがシタンにとってこの上無くありがたい申し出であった。しかし、自分の夢のためにこの町を離れるのは彼の責任感の強さが許さない。まだまだ整備の行き届いていない部分は山ほどあるし、途中でそれを投げ出すなどシタンには考えられないことであった。
だが、彼の迷いを断ち切るように、町民たちは決意に満ちた声で次々とその背中を押してゆく。
「先生、この町のことなら気にしないでください!」
「俺たちは今まで先生に何一つ恩返しが出来なかった、だから今こそ恩を返したいんだ!」
「診療所は私達が掃除します。いつでも清潔にしておきますよ」
「定期的に医者の勉強会を開いて、先生がいなくても大丈夫なようにもっともっと精進します」
「町の制度や自冶はこれから俺達だけでもやっていけるように知恵を出し合います」
「だから先生、先生の夢だった幻の島を是非とも確かめてきて下さい!」
「みなさん……」
シタンは感極まった声でそう言うと、町民たちに向かって深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。感謝するばかりです。カタリナさん、必要な荷物を持ってきますので少しだけ待っていただけませんか」
「ええ、騎空挺で待っていますのでゆっくりと準備してきてください」
「すぐに戻ります」
言うやいなやシタンは急いで診療所に向かった。扉を勢い良く開けて二階の自室に駆け込むと、壁に掛けてある革製の長袋を手に取り旅支度を始める。
着替えや予備の医療器具などを手際よく袋に入れていき、必要な物を一通り入れ終えたところで袋の口を紐でしっかりと縛った。シタンはそれを一旦壁に立てかけると神妙な顔で振り返る。彼の視線の先には掛け台に置かれた一振りの刀があった。
シタンは刀に近付くと鞘を掴んでゆっくりと持ち上げ、目の前に持ってくる。親指で刀の鍔を少しだけ押し上げると、鯉口から銀色の刀身が顔を覗かせた。銀の鏡には眼鏡を掛けた男が何かを決意したような面持ちでシタンを見ている。
フッと息を吐くとシタンは親指を下げて刀身を鞘に戻した、刀を持ったまま踵を返して立て掛けてある袋に近付くと袋の紐を緩める。少しだけ開いた袋の口に刀を入れると、今度こそ紐を縛って口をしっかりと閉じた。
「ユイ、ミドリ。行ってきます」
ここにはいない家族に旅立ちの挨拶を小さく口にしてシタンを診療所を後にした。
「それではみなさん、行ってきます!」
『先生、行ってらっしゃい!』
住民達の壮大な見送りを受けながらグランサイファーは離陸を開始した。地面を離れた船体はゆっくりと上昇し、時間とともに青空へと昇ってゆく。それに合わせて住民の姿も徐々に小さくなり、グランサイファーが気流に乗った時には輪郭すらも見えなくなった。
最後の最後まで手を振り続けたシタンはここでようやっと手の動きを止め、背筋を伸ばして向き直る。
「それではみなさん。改めてよろしくおねがいします」
シタンが深々と頭を下げると騎空団の面々は笑顔で彼を迎えた。
「歓迎するぜ先生!」
「あなたがいれば心強い限りだ」
「シタン先生、よろしくお願いします!」
「よろしく頼むぜ先生!」
騎空団の面々から歓迎の言葉を受けシタンは微笑む。その空気を乱すように誰かの腹の虫が鳴った。
「たはは、そういや昼飯食うのすっかり忘れちまったな」
「ラカムの食中りにあんな騒ぎがあったからな。オイラも忘れてたぜ」
「……みなさん、実は缶詰を持ってきたのですがよろしかったら食べますか?」
シタンは背負っている袋からラベルの張られていないブリキの缶詰を取り出すとそう言った。それを聞いた騎空団の面々は渡りに船と言わんばかりに彼の提案に賛同する。
「おお、そりゃありがたい!」
「先生タイミングが良すぎるぜ!」
「ありがたくいただこう」
「私も食べます!」
三人と一匹はシタンの出した缶詰を一つずつ受け取ると、その場で開封した。
「あれ、シタンさんはいいんですか?」
「いえ、私は遠慮しておきます。昼食は済ませましたから」
そうですか、とルリアが言うとシタンは続いて袋からフォークを三本取り出してカタリナとラカム、ルリアに渡す。これで昼食の準備が整った
いただきますと食事前の挨拶をしてからカタリナ達は缶詰に入っている肉をフォークで刺して口に運ぶ。その光景を眼鏡を妖しく光らせた町医者の男が見ていたが、騎空団の面々は誰一人として気が付かなかった。