天の道を往き総てを司る比企谷八幡   作:通雨

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お化粧研究部編1話

 世間はゴールデンウィークだと浮かれ気分で騒いでいるが、雪ノ下雪乃には特に予定らしきものは何もなかった。

 連休だからと実家に帰っても面倒な姉に絡まれそうで嫌だったし、共に過ごす友人もあまりいない。

 『あまりいない』というのは、友人が全くいなかった去年などと比べると格段の進歩ではあるのだが、友人を遊びに誘うという様な経験がない雪乃は、結衣に対してどういう風に誘えば良いのか、全く見当がつかなかった。

 とりあえず午前中は勉強でもしておこうかと参考書を開き、すらすらと問題を解いていく。

 参考書のページを何度か捲ったところで、机の上に置いていた携帯が震えた。画面を見れば、結衣からのメールが来ている。

 メールの内容は、遊びの誘いだった。

 500円のケーキセットを食べに行こう、優美子と姫菜も来るよ〜、と可愛らしい絵文字と共に書かれたメールを見て、雪乃の表情が少し綻ぶ。

 メールには、集合場所も時間も書かれていない。電話して訊いてみようか、と携帯を操作していたところに着信がかかった。

 結衣からの着信かと思ったが、表示されたのは面倒な姉の名前だった。

 

「もしもし」雪乃は仕方なく、電話に出る。

「あっ、もしもし雪乃ちゃーん? 暇でしょ、暇だね? 絶対暇だ! というわけでお姉ちゃんとデートしない? 世界の花展のチケットがあるんだけど」

 

 暇だと決めつけている陽乃に一瞬苛つくが、結衣たちと遊びに行くという予定を得た雪乃は、余裕の構えで陽乃に言葉を返した。

 

「何が『というわけ』なのかわからないけれど、友人と出掛ける予定があるから、残念ながら姉さんと遊んでいる暇はないわ」

「嘘!? 雪乃ちゃんにお友達が出来るなんて大事件じゃない!」

「別に、友人くらい大した事ではないわよ」

「ちょっとちょっと、そのお友達お姉ちゃんに紹介しなさいよ」

「嫌よ。友人と遊ぶのに姉同伴だなんて恥ずかしいわ」

「雪乃ちゃんのお姉ちゃんは何処に出しても恥ずかしくないお姉ちゃんだと思うなぁ。ほらほら、お友達と遊ぶんならお姉ちゃんも一緒に」

 

 早口で捲し立てる陽乃には構わず、雪乃は「じゃあ、またね。姉さん」と言って通話をきった。

 親指をささっと走らせ、結衣の番号に電話する。

 ひとつ、ふたつ、とコール音が鳴る度に、なんだか少しだけワクワクしている自分に気がついて、雪乃は友人というのも案外悪くないものだと思った。

 

 

 

 比企谷小町の学業成績は、然程悪いわけではない。別に、連休中に必死になって勉強しなければならない理由はないはずだ。

 しかし、現在小町は家庭教師役の兄の前で、難問に頭を抱えながら勉強していた。

 テーブルの上には八幡が用意した、高さ五十センチ、横幅八十センチのホワイトボードがあり、其処には幾つかの連立方程式が書いてあった。

 ちなみに、これが解けたら次の問題が矢継ぎ早に追加される。

 小町は朝から国語に英語に数学に、と合間に多少休み時間を挟みながら学校と同じ時間配分で勉学に励んでいた。

 当然、教師は全科目八幡である。

 小町がホワイトボードに書かれた連立方程式を全て解いた時、八幡は問題をさっとイレーザーで消し、次の連立方程式をすらすらと書いた。

 

「お、お兄ちゃん、これ解けたら勉強終わりにしない?」

 

 弱々しく提案してきた小町に、八幡はちょっと頑張らせ過ぎたか、と反省する。

 時計に目を向ければ、二時を過ぎている所だった。

 中学校ならまだ五時限目といった所だが、教師一人に対して生徒数十人の授業よりも八幡のマンツーマン指導の方が勉強の密度と疲労度は上だった様だ。

 

「そうだな。今日の勉強は終了で良いか」

「きょ、今日の勉強はって事は、明日も今日と同じくらい勉強するって事?」

「勿論。今年のゴールデンウィークは二日余分に休むからな。二日分勉強しておかないと小町の学習に遅れが出てしまう。あと、宿題もやらないとな」

 

 小町は表情を歪ませながら俯いた。そんな小町を見て八幡は「しょうがないな」と言いながら、ポケットから二枚のチケットを取り出した。

 

「喜べ小町。今年も千葉に世界の花展がやってきたぞ」

 

 八幡の言葉を聴いて、小町はパッと顔を上げ、華やぐ笑顔を見せた。

 

「やったぁ! 行こう行こう、早速行こう!」

 

 一転してテンション最高潮の小町に対して八幡は苦笑しながら「この問題が解けたらな」と、ホワイトボードを指先で示した。

 

 

 

 

 

 世界の花展の会場となったテーマパークには、特設のカフェテラスが設置されていて、その一席には優雅にフラワーティーを飲む雪ノ下陽乃と平塚静の姿があった。

 カフェテラスの周りを取り囲む様に置かれた各種薔薇の鉢植え達が静の鼻腔をくすぐる。

 静の対面に座って上品にティーカップを傾ける陽乃は、カップを厳かに丸テーブルに置くと、微笑みを湛えながら呟く様に言った。

 

「成る程ね。雪乃ちゃんにお友達なんて、どういう風の吹き回しかと思えば、やっぱり静ちゃんが一枚噛んでたか」

「一枚噛んでた、なんて言い方は違うな。私はただ、お前の妹に居場所を作りたかっただけだ」

「でもさぁ、その由比ヶ浜って子が雪乃ちゃんに相談する様に仕向けたのも、比企谷って子が奉仕部に入部したのも、静ちゃんの差し金じゃない」

 

 そう言われれば反論のしようもないが、静としては結衣が奉仕部に入部したのは予想外だったし、八幡は入部はしたものの別に雪乃の友人になったわけではない。

 

「しかし、妹ばかり気にかけていて大丈夫なのか? 折角の連休にかつての恩師と出掛けるとは、大学で友達は出来たか?」

「自分で自分のこと恩師って言ったら台無しだよ、静ちゃん。それに、友達ならいっぱいできたよー。それこそ名前も覚えきれないくらい」

 

 名前も覚えていない相手は友達とは言わないだろう、と静は相変わらずな様子の陽乃に内心でため息をついた。

 テーブルの上で湯気を立てるティーカップを手に取り、音を立てない様に飲む。

 折角、世界の花展なるものに来たのだから、と普段は飲まないフラワーティーなどというお茶を注文してみたが、静の口にはあまり合わなかったようだ。

 気取らずに普通の紅茶にしておけば良かったと少し後悔した。

 陽乃のカップが空なのを見遣って、静もカップを干す。

 

「さて、そろそろ帰るか。花も一通り見たし、誘ってもらっておいて悪いが、私の様な女に花は似合わないしな」

 

 静が自嘲気味にそう言うと、背後から「そんな事はないと思うが」という声が上がった。

 聴き覚えのある声に驚いて、静は振り返る。果たして、視線の先にいたのはやはり八幡だった。

 静の席からは死角になっているテーブル席で、脚を組んで椅子に座っている八幡の対面には、見覚えのない女の子もいる。

 

「おばあちゃんが言っていた、花は全ての女性を輝かせるってな。それは平塚、お前も例外ではない」

 

 気障ったらしく皮肉気な笑みを浮かべて言う八幡。

 静の頬に朱みが差した。

 

「お、おま、お前、比企谷! 先生を名指しで呼び捨てにするなって言ったろ! というか、私が花で輝くのか! 輝いてるのか私!」

 

 静はテンパってよくわからないことを叫ぶ。ふと、八幡と同じテーブルに座る女の子に目を向けた。

 

「比企谷、お前、何故ここにいる? それと、そこにいる女の子は誰だ?」

 

 すわ、恋人とデートか。私は恋人なんかいないのに、と俄かに落ち込む静。

 

「最愛の人と花を見に来たら、たまたまお前がいただけだ」

「や、やはり恋人か……」

 

 眉根を寄せて戦慄する静。

 陽乃は「静ちゃんは相変わらず面白いなぁ」と懐かしげに呟いた。

 

「お兄ちゃん、外でシスコンは止めてって言ってるでしょ」

 

 八幡の最愛の人こと小町は、唇を尖らせながら兄を窘めた。

 

「お兄ちゃん? シスコン? つまり、妹か。ふはははは! ゴールデンウィークに妹とデートとは、寂しい奴だな比企谷!」

 

 静は自分の事は棚に上げて、勝ち誇ったように笑う。

 そんな滑稽な静の姿をもう少し眺めていたいとも思う陽乃だったが、雪乃と同じ奉仕部に所属しているという八幡の事が気になって、口を挟む。

 

「静ちゃーん、そっちの彼、さっき名前が出た比企谷くんなんだね。紹介してよ」

「え、ああ、そうだな」静は頷いて、陽乃を指差し「比企谷、こいつは雪ノ下陽乃。雪ノ下雪乃の姉で、総武高校の卒業生だ。お前の先輩だな」と言った。

「初めまして、比企谷くん。雪乃ちゃんと仲良くしてくれてるらしいね。よろしく」

 

 陽乃がそう言って席を立ち、八幡の方に近づいて握手しようと手を出すと、さっと席から立ち上がった小町がその手を握った。

 

「どうもどうも、比企谷小町と申します。比企谷八幡の妹でーす」

 

 各テーブルに椅子は四脚ずつ備えてある。小町は八幡の隣の余っている椅子を引くと、「どうぞどうぞ」と言って陽乃に座るよう勧めた。

 

「ありがとね、妹ちゃん」陽乃は席に着くと、八幡の相貌を眺めた。

「そちらの大人のお姉さんも、どうぞ」小町は静にも椅子を勧める。

「ああ、これはどうも。あと、私はお兄さんの担任の平塚静だ。気軽に、平塚先生と呼んでくれたまえ」

「は〜い、平塚先生」

 

 静は勧められた椅子に座りながら、八幡の妹とは思えない素直な性根の小町に感心した。

 妹はこんなにいい子なのに、兄はなぜこんなんなのだ、と疑問が過る。

 

「平塚先生、兄がお世話になっております。目上の方にも敬語を使わないような兄ですが、根は優しくていい人なんです。どうぞよろしくお願いします」

 

 頭をさげる小町に、静は感動を覚える。

 

「比企谷の妹という事は、中学生かな? 君のような子には、是非とも総武高校に入学してもらいたいものだ」

「ええ、出来れば兄と同じ高校に入れたら良いなと思ってます。まだ中学二年生なので再来年の話になりますが」

 

 静は、この子が私の生徒だったら良いのになあ、とぼんやりと思った。

 その傍らで、陽乃は半ば睨めつける様な視線で八幡を観察していた。

 不意に、そんな陽乃と八幡の視線が交錯する。数瞬、とも言えないごく短い時間で、両者は相手がどんな人間であるかを悟った。

 

 

 ーー初めて見たーー

 

 

 八幡と陽乃は異口同音に呟いた。

 

「ぷっ、あはははは! 比企谷くん、君、良いねえ、良いよ君!」

 

 降って湧いたように笑う陽乃に、静は困惑する。

 

「陽乃、突然どうした?」

「う〜ん、比企谷くんが中々にナイスな男の子だから、つい笑っちゃっただけ。さ、そろそろ帰ろっか、静ちゃん。お会計お願いね」

 

 陽乃は、さっき座ったばかりだというのに、用は済んだという風に席を立った。

 

「え〜、もう帰っちゃうんですか?」

 

 小町は、もう少し話したいのか、少々顔を曇らせた。そんな小町に陽乃は微笑みかける。

 

「うん、またね、小町ちゃん。比企谷くん、雪乃ちゃんによろしく。あの子とは仲良くしてあげてね」

 

 そう言うと、陽乃はさっさと帰ろうとした。慌てて静が呼び止める。

 

「陽乃、私は奢るなんて一言も言ってないぞ」

「お茶代くらい奢ってよ、恩師〜」

 

 ここぞとばかりに恩師などと言う、調子の良い陽乃に、静は少しだけ顔を引きつらせる。

 

「全く、教師は安月給なんだぞ」

 

 ぶつぶつと文句を言いながらも、静はさっき迄自分達が座っていたテーブルから会計票を取り、レジへと向かった。

 

「雪ノ下姉」八幡が陽乃に話しかける。

「雪ノ下姉なんて呼ばずに、陽乃ちゃん、と呼んでくれて構わないよ」

「じゃあ陽乃」

「おう、遠慮のない子だね」

 

 意外と名前で呼び捨てられた事があまりない陽乃は、ちょっと新鮮な気分になる。

 

「お前、シスコンだろう」

 

 にやり、と笑いながら指摘する八幡。陽乃も呼応するように笑みを向け「君と一緒さ」と、そう言い残して帰って行った。

 

「お兄ちゃん、雪ノ下さんって、少しだけおばあちゃんに似てたね」

「ああ、少しだけな」

「でも、お兄ちゃんにも似てるかも」

「どうかな、少なくとも、雪ノ下妹と小町はあまり似ていないが」

「雪ノ下姉さんは、シスコンなんだね?」

「ああ、かなりのシスコンだ」

 

 兄妹が陽乃の印象を語り合っているところに、会計を済ませた静が戻ってきた。

 

「あれ、陽乃は?」

「もう帰っちゃいましたよ」

 

 小町が応えると、静は「アイツめ、少しくらい待ってくれても良いのに」と不満気に呟く。

 

「じゃあな、二人とも」

「待て平塚、丁度良いから先に言っておくが、ゴールデンウィーク明け、二日ほど欠席する」

「欠席? どういうことだ」

「家庭の事情だ」

 

 静としては、その『家庭の事情』とやらが何なのかも聞いておきたかったが、担任とはいえあまりプライベートを詮索しすぎるのも良くないか、と思いとどまる。

 

「わかった、二日だな。それ以上は休むなよ」

「ああ、ではまたな。平塚」

「うむ、また学校で。あと呼び捨てやめろ」

「平塚先生、さようなら」

「さようなら、小町ちゃん。君は兄のようにならない事を祈るよ」

 

 静は陽乃に追いつこうと、足早にカフェテラスを跡にした。

 

「お兄ちゃん、家庭の事情なんて言って良かったの? ゴールデンウィーク明けって、フランス旅行でしょ?」

「家庭の事情でフランスに行くんだから、何の問題も無い」

 

 八幡はローズティーの入ったカップを傾けた。ほんの少しだけ冷めていた。

 

 

 

 小走りで陽乃に追いついた静は、気になっていた事を質問した。

 

「陽乃、さっき言っていた『初めて見た』とは、どういう意味だ?」

 

 陽乃と八幡が声を合わせて言った内容に、静は合点がいかなかった。

 初対面なのだから『初めて見た』というのも間違いでは無いが、あのタイミングで二人同時に呟くのは、異様な気がした。

 

「ん〜? わかんないの、静ちゃん」

「ああ、わからん」素直にお手上げする静。

 

 そんな静に対して、出来の悪い生徒を窘める様な態度で陽乃は答えた。

 

「比企谷くん、太陽みたいな子だったでしょう?」

「比企谷が、太陽?」

 

 確かに、天の道がなんだと言っているのは聞いたことがあるが、太陽みたい、というのは静にはよくわからない話だった。

 

「あんな太陽みたいな子『初めて見た』」

 

 陽乃は人差し指を空に向け、笑顔を浮かべた。

 

「そういう意味で言ったんだよ、静ちゃん」

 

 そう言われても、静はすんなり納得できなかった。

 しかし、とりあえず、陽乃と八幡は少し似ている、と心の内でそう思った。

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