天の道を往き総てを司る比企谷八幡   作:通雨

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お化粧研究部編3話

「ほら、由比ヶ浜さん、どうぞって返事しないと」雪乃は小声で部長である結衣に促す。

「ど、ど、どうぞ!」

「失礼します」

 

 声をかけて部室に入って来たのは、結衣には見覚えのある生徒。合同で体育の授業を受けているB組の、風間和美だった。

 その手には大きなギターケースが下げられている。

 

「失礼しま〜す」

 

 和美の後ろから続く様に入って来た生徒、こちらはよく知らない子だった。とりあえず結衣は面識のある和美に話しかける。

 

「かずみん、奉仕部に用事? 何か悩み事?」

「やあ、結衣さん。君、奉仕部だったんですね」

「うん、一応部長だよ」

 

 どうやら結衣の知り合いらしいと覚った雪乃。

 長机には先日、静や姫菜が座った椅子がそのままになっているので、雪乃は来客の二人に、「どうぞ、座って」と椅子を勧めた。

 

「ああ、ありがとう」

 

 ギターケースを床に下ろし、勧められた椅子に座った和美は「とりあえず自己紹介しておきましょうか、私は風間和美」と言った後、隣に座っている女子を指差し、「こっちは中山百合子、あだ名はゴンです」と続けて紹介した。

 

「ちょっと、カズ!」百合子が眉根を寄せて和美に注意する。

「これはどうもご丁寧に。あたしは奉仕部部長の由比ヶ浜結衣です」そして、結衣は雪乃を指差して、「こっちは雪ノ下雪乃ちゃん。あだ名はゆきのんだよ」と言った。

「ちょっと、由比ヶ浜さん!」雪乃も結衣に注意する。それを見て、百合子は同類をみつけたような気になり微笑んだ。

 

 とにかく仕切りなおそうと、雪乃は一つ咳払いする。

 

「それで、風間さんと中山さん、奉仕部にどういう用かしら?」

「うん、実は私たちは新しい部を創設したいと思っているんだけれど、その件について、知恵を貸してほしいんだ……所で、比企谷くんはいないのかな?」

 

 百合子が部室内を軽く見遣りながら言った。

 雪乃は、あの男はやはり有名なようだ、と嘆息した。間違いなく悪目立ちだが。

 

「そういえば、遅いわね。由比ヶ浜さん、同じクラスよね、何か知らないかしら?」

「ヒッキーなら、今日はお休みだよ」

 

 雪乃が結衣に訊ねると、彼女は即答した。

 

「部活だけじゃなくて、学校自体休んでるんだ。なんか、家庭の事情だって」

「家庭の事情ねえ」雪乃は困惑顔で呟いた。

 

 その事情とやらは、八幡の謎の祖母と何か関係があるのだろうか、雪乃はほんの少しだけ気になった。

 

「まあ、サボり谷くんのことは置いておきましょう。新しい部を創設したいという相談ならば、問題は部員数が一人足りないということね? 顧問の先生は決定しているのかしら?」

 

 奉仕部の創設時になんだかんだ一悶着あった事もあり、雪乃は心得た調子で和美に問いかける。

 

「顧問に関しては、B組の担任の小雀先生が引き受けてくれましたよ。小雀先生は合唱部の顧問でもあるので、兼任となるとほぼ名ばかりの顧問になるかもしれないとの事でしたが、引き受けてくれただけ有難い。しかし、部の創設には三人必要などという校則、よく知ってましたね」

「奉仕部も、色々あったからね」

 

 感心する和美に対して、結衣は感慨深気に頷いて応えた。

 

「話が早くて助かるよ。部員募集の、何かいい手はないかな?」

 

 百合子が訊くと、雪乃はひとつ頷いて応えた。

 

「まずは、貴方達が創設しようとしている部活動を周知させることから始めるべきね」

「部活動の周知、というと?」

 

 和美にはピンとこなかったようだが、結衣はすぐに承知して、雪乃に顔を向けて応えた。

 

「ポスターだね! ポスターを作ろう!」

「ポスターか、うん、それがいいかも。ただ、話が早すぎない? まるで私達の相談内容を予見してたみたいに話が進むんだけども」

 

 トントン拍子に進む会話に、百合子が疑問を浮かべる。

 

「予見していたわけではないわ。奉仕部にも、色々あったのよ」雪乃は感慨深気に呟いた。

 

 閑古鳥が鳴いていた頃よりは、忙しくなりそうだ、と雪乃は思った。

 

「ところで、かずみんたちが創ろうとしてる部って、なに部?」

「由比ヶ浜さん、それは愚問だわ。彼女はギターを持ってきているのよ。大方、軽音部かなにか……音楽系の」雪乃がそこまで言ったところで、和美はその言葉を遮るように、ギターケースを長机の上に乗せた。

 

「いいえ、我々が創ろうとしている部は、音楽系ではありません」

 

 和美はそう言うと、ギターケースを開いてその中身を雪乃たちに見せた。

 

「我々が創設する部は、お化粧研究部です!」

 

 和美の宣言に雪乃は呆然とする。少し話した限りではまともな人かと思ったのに、なんだか少し変な人だった。

 最近周りに個性的すぎるキャラクターが増えている気がする。雪乃は頭痛を堪えるように目を瞑って眉間に指を当てた。

 

 

 

 奉仕部の部室に、和美と百合子が依頼をしにきた時刻、比企谷八幡はフランスに居た。

 

「パリジェンヌ! タカラジェンヌ! ラルクアンシエル!」八幡の傍にいる小町が、何やらテンションを上げて騒いだ。

「小町、ここはブルゴーニュのディジョンだ。パリジェンヌやタカラジェンヌは関係ないし、虹(ラルクアンシエル)も出ていない」

 

 八幡は冷静に小町の間違いを指摘する。対して小町は人差し指を振りながら「ちっちっちっ」としたり顔。

 

「あのね、お兄ちゃん、国内旅行中のパリジェンヌがいるかもしれないし、ベルばらの空気を学ぶ為にフランスを訪れているタカラジェンヌがいるかもしれないでしょ? あと、ラルクアンシエルは適当に言ってみただけだよ」

 

 小町はフランスっぽい言葉を言ってみたかっただけだった。

 ベルばらの空気を学ぶなら、ディジョンではなくベルサイユに行くんじゃないか、と八幡は思ったが、あえて言う事もあるまいと苦笑して頷いた。

 今、八幡と小町の兄妹はフランスの誇る美食の都、ディジョンを散策している。

 15、6世紀ごろ、或いはそれ以前に建築された建物を多く残すその街並みは、重厚な歴史の趣きを小町に感じさせた。

 シュエット通りと呼ばれるストリートを並んで歩く二人は、通りに面して建てられたノートルダム寺院の壁面にある『幸福のフクロウ』の彫刻の前で足を止める。

 

「お兄ちゃん、このフクロウを左手で撫でると幸運を招くらしいよ」

「そうか、なら小町はよく撫でておくと良い」

 

 小町はさっと手を伸ばしてフクロウのお腹を左手で撫でた。

 撫で終わると、八幡の方を向いて「お兄ちゃんは撫でないの?」と訊いた。

 

「俺はフクロウに頼らずとも、常に幸福だ。今だって、妹とフランス観光が出来て幸せだぞ」

 

 八幡は自信に満ち溢れた表情でそう言った。

 

「お兄ちゃんはフランスでもいつも通りだね〜」

 

 相変わらずシスコン全開の八幡に、半ば呆れつつ笑う小町。

 

「でも、お兄ちゃん、本当に学校休んで良かったの?」

 

 学校を休んでフランス観光というのは、小町としては望むところだ。

 しかし、妹に甘い様で、勉学や素行に関しては意外と厳しい所もある八幡にしては、学校を休んで旅行とは珍しい事だった。

 

「本当は、ゴールデンウィークに予約が取れたら良かったんだがな。今日のディナーで行く店は、数年単位で予約がうまっている名店なんだ」

「おばあちゃんオススメのフレンチレストランなんだよね?」

「ああ、昔おばあちゃんが言っていただろう? 本当に美味しい料理は食べた者の人生まで変えるってな。今日食べる料理は、小町の人生を変えるだろう」

 

 いつもながら、祖母も兄も言う事のスケールが大きい。小町は、ちょっと大袈裟なんじゃないかなぁ、と思いながらも、兄が嘘をつかない事はよく知っているので今日のディナーを楽しみに待つ事にした。

 

「お兄ちゃん! 小町、グラスバニーユが食べたい!」

「グラスバニーユなら、ディナーのデザートで食べられるだろうから、楽しみは取っておけ」

 

 小町は、笑顔で「は〜い」と応えた。

 

 

 

 その店はセヴィニエ大通りをダルシー広場に向かって歩く途中にあった。

 外観は、街の景観を損なわぬ様に、周りの建物と合わせた建築様式だった。中世の香りを残したその洋館の前に、八幡と小町が並んで立っている。

 しかし、これはどう見ても、所謂ふつうの一軒家だ。

 看板さえ出ていないので少なくとも小町の目には、とてもレストランには見えなかった。

 

「お兄ちゃん、ここ、本当にレストランなの?」不安げに、兄に訊ねる小町。

「ああ、勿論」

 

 八幡はいつも通りの足取りでドアへ歩んでいく。

 小町は、もしもレストランじゃなかったら不法侵入になるんじゃないかと心配になった。

 八幡がドアを開けると、カランカランと来客を知らせるドアベルの音が鳴り響いた。

 八幡に続いて、慌てて小町が店の中に入ると、多少規模は小さめだが飲食店として最低限の体裁が整った内装が目に映った。

 長方形で四つ脚のダイニングテーブルが四席。キッチンに面したカウンターには丸椅子が六脚並んでいる。

 フランス料理のレストランと聞いていたが、店内の様相はどちらかといえば和食の小料理屋のようだと小町は思った。

 

「いらっしゃいませ。八幡くん、小町さん」

 

 キッチンの中から、落ち着いた低い声が聞こえた。その声の主は八幡と小町の祖母と同年代の紳士だった。

 コック帽の裾からは真っ白な髪が覗いている。

 店内には、その紳士以外の姿はなかった。店員も客も、人っ子一人いない。

 

「お久しぶりです、シェフ」

 

 八幡の言葉遣いを聴いて、小町は耳を疑った。たとえ相手が教師だろうと何だろうと頑なにタメぐちを叩き続けてきた兄が、まさか敬語を使うとは。いつもなら、久しぶりだな、とでも言いそうなものなのに。

 

「本当に、久しぶりですね。二人共、大きくなりました」

 

 好々爺然とした笑顔でシェフは感慨深そうに頷いた。

 小町は、くいくい、と八幡の袖口を引っ張ると小声で八幡に囁いた。

 

「お兄ちゃん、小町、このおじいさんと会ったことあったっけ」

「ああ、小町はまだ小さかったからな。覚えていなくとも無理はないか」

 

 小町が小さかった頃ならば、八幡だって小さかったのではないかと小町は思った。

 

「彼は、人類の宝と言っても過言ではないシェフだ」

「大袈裟ですよ。八幡くん」

 

 シェフはそう言って笑うが、八幡がこと料理に関してお世辞や嘘を言う事はない。

 これは凄い料理が食べられるかもしれないぞ、という期待に小町の胸は膨らんだ。

 

「えっと、覚えてなくて申し訳ありません。シェフは、おばあちゃんのお知り合いなんですよね?」

 

 少々恐縮しながら小町が訊ねると、シェフは懐かしそうに目を細めて頷いた。

 

「ええ、貴方がたのお祖母様には、昔大変お世話になりました。それだけに、学校をわざわざ休ませてしまった事は本当に申し訳なく思っています。本来ならば、私の方から日本に赴いても良かったのですが……」

 

 シェフは眉根を寄せて頭を下げた。その様を見た八幡は珍しく慌てた様子で首を横に振る。

 

「頭を下げていただく必要はありません。こうして店を貸し切っていただいただけでも、多大な感謝を覚えています」

 

 稀に見る、というより人生で初めて見る低姿勢な八幡に、小町は驚愕した。

 こうべを垂れるくらいなら、頭突きをかました方がマシだと本気で思っていそうな兄。そんな彼がここまで敬う相手は、おばあちゃん以外ではこのシェフしかいないだろう。

 

「それに、貴方の様な真の料理人が創り上げる料理を味わう経験も、とても大切な学習の一環だと思います」

「そう言っていただけると、料理人冥利に尽きます。店を貸し切りにしたのは、私も二人とゆっくり話をしたかったからですから、お気になさらず。さあ、立ち話もなんですから、此方へどうぞ」

 

 シェフはそう言って、キッチンに面したカウンター席に片手を向けた。

 八幡と小町が勧められた席に腰を下ろすと、シェフはキッチンの方へ回り込み、蛇口を捻って手を洗い始めた。

 

「あのう、失礼な質問かもしれないんですけど、ひとつ訊いて良いですか?」

「なんでしょう、小町さん」清潔な布巾で手を拭きながら、シェフは小町の方を向く。

「どうしてこのお店、看板が無いんですか? 外観からだと、正直、お店には観えなかったですけど」

 

 小町がそう言うと、隣の八幡が笑い出した。

 

「小町、それはこの店がそれだけ名店だという事だ。わざわざ看板を出して喧伝せずとも、客はこの店の味を求めて世界中からやってくるんだ」

「世界中から? すごーい!」

 

 小町の賞賛に、シェフは少しばかり照れくさそうにした。

 

「世界中からというのは、少々大袈裟かもしれません。ただ、有難い事に、御予約のお客様だけでも経営が成り立っているのは事実です。本当に、感謝すべき事です」シェフは胸に手を当てて微笑んだ。

「むかし、おばあちゃんが言ってました、どうせ食べるなら最初に最高のものを食べなさいって。小町、本格的なフレンチは初めてなので、最高のものを食べられるなんて嬉しいです」

「私の料理が最高かどうかはわかりませんが……腕によりをかける事は御約束します。さて、二人とも、メニューはどう致しましょうか?」

「シェフのお勧めを。貴方の選別ならば、間違いはない。小町も、それで良いか?」

「うん、でも、デザートはグラスバニーユにしてください。小町はグラスバニーユが食べたいです!」

 

 小町が元気にそう言うと、シェフは感心したように頷いた。

 

「グラスバニーユなんて言い方、よくご存知ですね、小町さん。勿論、グラスバニーユの用意もございますよ」

「小町はただ、最近覚えたフランス語を言ってみたいだけですよ」

 

 八幡が言うと、小町は、えへへと笑った。

 因みにグラスバニーユとは、バニラアイスの事である。

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