天の道を往き総てを司る比企谷八幡   作:通雨

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お化粧研究部編4話

 和美と百合子から相談を受けた日は、ポスターの製作のみで放課後は潰れてしまった。

 部活動掲示板に貼るために画用紙を使って描いたものが一枚と、それ以外の場所に貼るためにコピー用紙で描いたものが一枚。

 コピー用紙で描いた方は、勿論コピーして複数箇所に貼るつもりである。

 帰り掛けに職員室で、ポスター掲示の許可は取り付けた。

 翌日は早朝から集まって、手分けしてコピーの方のポスターを貼って回る事となった。

 

 明けて翌日、奉仕部の部室には四人の姿があった。

 

「さて、早朝から集まって貰ったわけだけど、まずはポスターを掲示する場所の戦略を練りましょう」

 

 雪乃は、他の三人の顔を見回して言った。

 

「戦略?」結衣が小首を傾げる。

「ポスターは闇雲に貼っても効果が薄いわ。ターゲットの設定と、掲示場所の優先順位を決めるの」

 

 そう言って雪乃が取り出したのは、校内の見取り図だった。

 

「やはり、メインターゲットは女子よね」雪乃は和美の顔を見ながら言う。

「うん、まあ、そうなるでしょうね。男子でも、冷やかしではなく本気でメイクを覚えたいというなら、拒むつもりはありませんが」

「そう、一応男子でも可ではあるのね。年齢はどう? 貴方達のどちらかが部長を務めるつもりなら、募集する部員は同学年が望ましいと思うけれど」

「部長には、私がなるつもりです。が、二年生や三年生でも、部員になってくれるのならば構わない。とは言え、三年生のこの時期に新しい部活動を始めようなどという人は珍しいでしょうから、メインは一年生で、一応上級生も視野に入れる、と言う方向で」

「なるほど、わかったわ」

 

 雪乃は、シャーペンを取り出し、見取り図に×3、×5などと、数字を書き込んでいく。

 

「ゆきのん、その数字はどう言う意味?」結衣が訊く。

「これは、この場所に貼るポスターの枚数よ。当然、×3なら三枚、×5なら五枚」

「同じ場所に何枚も貼るの? ばらけさせた方が良くない?」百合子の疑問は、和美と結衣も懐いていたようで、雪乃に注目が集まる。

「ポスターなどの掲示物は、同じ場所に同じ物を何枚も貼る事で、視覚的アピール効果が乗数的に伸びていくのよ」

「ああ、そう言えば、電車なんかで同じ中吊り広告が何枚も並んでる事がありますね」

 

 得心がいったのか、和美は頷いて応えた。

 

「さらに、貴方達のメインターゲットを考えれば、重点して掲示すべき場所は、ここよ」

 

 雪乃は見取り図のとある場所を指差した。

 

「……お手洗い?」百合子は気の抜けたような声音をあげ、雪乃を見た。

「個人的には、あまり歓迎できないのだけれど、洗面台を占拠してお化粧をしている子が偶にいるわよね」

「いや、あの、多少の化粧直しは、乙女の嗜みです。確かに、他の利用者に迷惑をかけるのは良くないことだと思いますが……」

 

 和美は自分が責められたかのように慌てて言い訳する。和美自身は洗面台を占拠したような経験は無いが、雪乃に、化粧に対して隔意を持って欲しくないのだ。

 

「まあ、そこの所の是非は今は置いておくとして、そういう、お手洗いで化粧直しをするような子は、お化粧に興味のある子だと思うのよ。だから、優先すべきは一年生がよく利用するお手洗いということになるわね」

「なるほど〜、よく考えてるねぇ。ゆきのん」

「もともと、ポスターというものはその内容に興味を持ってもらいやすい場所に貼るものよ。交通安全ポスターなら運転免許試験場、医療関係なら病院、少年野球のメンバー募集ならバッティングセンター、という風にね。メイク関係なら洗面台付近、というのは順当な発想だわ」

 

 雪乃の分かりやすい説明に、他三人も大きく頷く。

 とりあえず、見取り図にはポスターを貼るべき場所を列挙できた。

 

「あとは、四人の分担を割り振りましょう。ホームルームまで、そう時間は無いから、今からでは貼り終わらないでしょうけど、休み時間も使って手分けすれば、放課後までには終わるでしょう」

 

 雪乃が言うと、結衣が元気に手を挙げた。

 

「昼休みも部室に集まろうよ! 一緒にお弁当食べてから皆でポスター貼りに行こう。かずみんと百合子ちゃんは、それでいい?」

「もともと、依頼したのはこちらですから、私たちに否はありませんよ」

 

 和美の言葉に、百合子もこくこく頷いた。

 

「ゆきのんも、いいかな?」

「……仕様がないわね」

 つれない態度とは裏腹に、雪乃は少し楽しそうに見えた。

 

 

 

 

 四時限目の終礼と共に鞄を掴み、「優美子、今日は一緒にご飯食べられないや。姫菜にも言っといて」と優美子に伝えた結衣は、教室を出ようとしたところで、その優美子に呼び止められた。

 

「ちょっと結衣、どこ行くの?」

 

 優美子は少々不機嫌そうな様子で、唇を尖らせている。

 休み時間の度に結衣が教室を出て行くせいで、今日は全然結衣と話せていない。この上、昼食まで外で食べるというのは、あまり歓迎出来なかった。

 

「あー、ごめん優美子。今日は部室でご飯食べるんだ」

「まーた奉仕部? 放課後はしゃーないにしてもさ、お昼くらい一緒に食べよーよ」

「ごめん、今ね、B組のかずみんとD組の百合子ちゃんの相談受けててさ、お昼も部室に集まる事になってるんだ。あたし部長だから行かないと」

 

 結衣は手刀を切って「ホントごめんね」と言い残すと、さっさと教室を出て行った。

 

「むぅ」残された優美子は、さらに機嫌を損ねた様で、低く唸った。

「優美子〜、ご飯食べよ〜」

 

 弁当箱を引っ掴んだ姫菜が、微笑みながら近寄ってきた。

 

「あれ、結衣は?」姫菜が周囲を見回しながら訊く。

「部活だって」

 

 眉間に深い皺を寄せながら優美子は答えた。

 

「部活なら仕方ないね。二人で食べよっか」

 

 姫菜はぽんぽんと優美子の肩を叩き、空いている椅子を優美子の机に寄せて座った。

 優美子も仕方なく自分の席に着いて弁当箱を取り出す。

 

「ほらほら、機嫌直しなよ。折角のご飯が不味くなるよ」

「……別に、機嫌悪いわけじゃないし」

 

 優美子はそう言うが、明らかに嘘だ。

 

「なんかさぁ、結衣を雪ノ下さんにとられたって感じ?」

 

 姫菜がからかい気味に言うと、優美子は思い切り顔を顰めた。

 

「とるとかとられるとか、そういう事じゃないし。そもそも結衣はあーしのもんじゃないっしょ」

 

 ガキ臭い嫉妬心だと思われるのは御免だ、と優美子は思った。ただ、放課後も部活で遊べないし、昼休みくらいはこっちに合わせてくれてもいいのに、と思っているのも事実だ。

 

「海老名も漫研入っちゃったから、あーし放課後ヒマなんだよね」

 

 ため息を吐きつつ、姫菜に視線を向ける。

 

「じゃあ、優美子も漫研入る? 結構楽しいよ」

「あーし、漫画読むのは嫌いじゃないけど、描くのは無理だし」

 

 でもまあ、漫研じゃないにしても、何かしらの部活に入るのは有りかもなあ、と優美子はほんの少しだけ、そう思った。

 

 

 

 

 奉仕部の部室で、昼食を済ませた四人は顔を突き合わせてポスター掲示の相談をしていた。

 部活動掲示板や、各所お手洗いは勿論のこと、階段の踊り場、廊下など、大抵の目につくところには貼り終えている。

 後は、少々の貼り残しを埋めていくだけだ。

 

「比企谷くんは、今日もお休み?」

 

 不意に、百合子が結衣に訊ねた。

 

「うん、今日も家庭の事情だって」

「そっか、残念」

 

 百合子の言葉が気になったのか、雪乃は彼女の顔を見つめた。

 

「昨日から、やけに比企谷くんの事を気にしている様だけれど、知り合いなのかしら?」

「うーん、知り合いというか、ちょっと話したことがあるというか」

 

 そう断わった百合子は、以前八幡に部員勧誘のビラを拾ってもらった話をした。

 

「あと、岬先輩から話を聞いていたからね。変わり者だけど頼りになるとか」

 

 百合子が言うと、雪乃に疑問が浮かぶ。岬先輩とは誰だろうか。

 

「岬先輩は総武高の二年生で、比企谷くんと同じ中学出身らしいよ」

「中学の時の先輩……ね。中学生の頃から変わり者だったのね、あの男は」

 

 雪乃の脳裡に、今より少し幼い八幡が天の道がどうこう言っている場面が思い浮かんだ。

 

「岬先輩とは、ひょんな事から知り合ってね。奉仕部の事も彼女に教えてもらったんだ」

 

 百合子は、奉仕部に相談しに来た理由を話す。

 

「あれ、じゃあ、二人は奉仕部のポスターを見て来てくれたんじゃないんだ」

 

 結衣は自分のアイディアであるポスターを見て、二人が相談に来たと思っていたので、別ルートから奉仕部の存在を知ったとわかり少しがっかりした。

 そもそも、結衣が今回の相談であるお化粧研究部の部員勧誘に、ポスターを使おうと提案したのも、和美と百合子が相談に来たのはポスターの成果だと思ったからである。

 

「ポスター……あんまり意味ないのかなあ」結衣が困った様に呟く。

「ああ、でも、岬先輩は部活動案内のポスターを見て奉仕部を知ったらしいから、成果はあったんじゃないですか」

 

 和美がフォローすると、「そっか、良かった」と結衣は安堵した。

 

「それじゃあ、残りのポスターを貼りに行きましょうか」

 

 雪乃が席を立つと、他の三人も続いた。

 

 

 

 

 

 授業が終わって放課後、例によって部室には四人の姿があった。

 いまだ部室もないお化粧研究部(仮)の二人は、ポスターの問い合わせ先を放課後の奉仕部の部室に設定していた。

 

「悪いね、間借りさせてもらっちゃって」

 

 少し申し訳なさそうに、百合子が言う。

 

「仕方ないわ。携帯のアドレスを載せるわけにもいかないでしょう? 悪戯が殺到しても困るでしょうから」

 

 別に気にしなくて良い、という風に雪乃は応える。そもそも、依頼を受けた時点で、お化粧研究部設立までは面倒をみるつもりであった。

 今は、入部希望者を待っている状態だ。流石に今日の今日では、希望者は来ないかもしれないが、ここは、気長に待つしかないだろう。

 

「ねえねえ、かずみん」

 

 結衣に声を掛けられ、和美はそちらを向く。

 

「なんです?」

「かずみんはさあ、お化粧研究部を立ち上げたいってくらいなんだから、やっぱりメイクくわしいんだよね? あたし、ママの化粧品借りてちょっと試すくらいしかしたことないから、どんなメイクができるのか、興味あるなあ」

「成る程、私の技術を見てみたい、と。結衣さんがそうおっしゃるなら、貴方のお望みのメイクを施して差し上げましょう」

 

 そう言うと和美は、椅子から立ち上がり結衣の方へ歩いていく。

 そして、その長い指を繊細に動かしながら、結衣の頰に触れた。

 

「ふわっ!」急に頰に触れられた結衣は、少々間の抜けた声を上げた。

 

 まるで、華奢なガラス細工に触れるかのように優しく、丁寧に結衣の顔を撫でる和美。

 雪乃は『似たようなシーン、宝塚歌劇団の舞台で観たことあるわ』と思い出した。

 口元を掌で隠した雪乃は、近くにいた百合子にそっと耳打ちする。

 

「男性のメイクアップアーティストには、同性愛者が多い傾向にあると聞いたことがあるけれど、風間さんはどうなのかしら?」

「いや、カズは髪型がベリショだし、男装っぽい格好することも多いから偶に誤解されるけど、ストレートだよ。あと、男のメイクさんにそっち系の人が多いってのは私も聞いたことあるけど、実際にはわかんないなあ」

 

 雪乃と百合子の視線を無視して、和美は両手で結衣の頰を包み込んだ。

 

「はわわわっ、はわわわっ!」

 

 慌てた結衣の顔に朱みが差す。

 

「素晴らしい……結衣さん、貴方の美しさは、まさにひとつの……ひとつの……えっと……」

「……奇跡」

 

 言葉を詰まらせて悩み始めた和美をフォローしてやる百合子。対して和美は、「そうそう、それそれ!」と調子良く言った。

 

「結衣さん、貴方の奇跡のような美しさならば、どんなメイクをしても映えるでしょう。どのようなメイクがお望みですか? 貴方の天真爛漫な魅力を活かした、可愛らしくフェティッシュなメイク? それとも、隠された一面を引き出すような、大人っぽいセクシーなメイク? ああ、同じ大人っぽいメイクでも、インテリジェンスを押し出すようなメイクもありますよ」

「インテリジェンス? それって、デキる女っぽいメイクってこと?」結衣は小首を傾げる。

「まあ、俗っぽい言い方をすればそうなりますね」

「それ! それが良い! インテリジェンスで!」

 

 デキる女に憧れる結衣は少々はしゃぎながら言った。

 

「わかりました。お嬢様の仰せの通りに」

 

 胸に手を当て畏る和美。その動きはさながら本職の執事、というより、本職のタカラジェンヌっぽい。

 

「やるぞ、ゴン。用意を」

「おっけー、カズ」

 

 百合子は、いつも和美が持ち歩いているギターケースを開いた。

 

「カズ、下地はどれにする?」

「スタンダードで良い」

「ファンデは?」

「今回はリキッドを使う。結衣さんの美しい肌ならば、コンシーラーやコントロールカラーは必要ないな。あと、化粧水は5番、乳液は7番をとってくれ」

 

 百合子は和美の指示通りに、テキパキと化粧品類を取り出す。

 

「さあ、お見せしましょう、結衣さん。私の……アルティメット・メイクアップ」

 

 結衣と雪乃は、和美の背に真っ赤な薔薇が舞うのを幻視した。

 

 クロースアップマジシャンの様な手際の良さでメイクを完成させた和美は、ギターケースから手鏡を取り出して結衣に渡した。

 

「これが……あたし?」

 

 鏡の中の自分を観た結衣は惚けたように呟いた。結衣の要望通りにメイクされたその顔は、いつもの数倍は大人っぽい。

 顔だけ見れば、ともすれば中学生に間違われかねない結衣だったが、今の顔は成人とまでは行かなくとも、大学生程度には見えるだろう。

 

「驚いたわね。由比ヶ浜さんの顔に、知性が伺えるわ」

「ちょっとゆきのん! それ、普段のあたしはバカっぽいってこと!?」

「そうは言ってないわ」言ってはいないだけで、言外に滲ませてはいる雪乃だった。

「ノーズシャドウとハイライトで目鼻立ちをハッキリさせてみました。チークは淡いオレンジ。リップはあまり派手になりすぎないようにピンクベージュを使用しています」

「カズの腕ならもっと派手なフルメイクもできるし、口煩い教師にバレないようなナチュラルメイクもできるんだよ。今回は結衣ちゃんの要望通りに、知的なOL風だね」

 

 百合子は自慢気に胸を反らせる。相棒の腕を見せられて満足らしい。

 

「成る程、これだけの技術があるなら、部活を立ち上げたくなるのもわかるわ」

 

 雪乃は納得して頷く。これは何としても、お化粧研究部を創部させてあげなければならない。

 雪乃は決意を新たにしながら、メイクを施された結衣の顔を眺めた。

 

 


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