天の道を往き総てを司る比企谷八幡   作:通雨

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奉仕部編1話

 総武高校に勤める美貌の女教師、平塚静は畏まったフリをしながら、ぼうっとした目で体育館の壇上を見つめていた。

 現在、入学式が執り行われているのだが、通り一遍の代わり映えがないその進行に、静は飽き飽きしていた。

 もちろん一教師として新入生達に対する祝福の気持ちがないわけではない。ないわけではないが、だからと言って毎年毎年行われるこの入学式なるものが面白いかどうかは別の話だった。

 プログラムは滞りなく、それでいて面白味もなく進んでいき、続いて新入生代表挨拶の段となった。

 入学式において、最もつまらないのが新入生代表挨拶である、というのが静の持論だった。

 今日は良い日ですね。入学できて嬉しいです。これからも皆で頑張ります。

 たったこれだけの内容を、小難しい形容を用いて、出来るだけ膨らませて話す。それが新入生代表に課せられた使命である。

 もちろん、静はそれを否定しない。誰だって入学早々波風立たせたくはないだろう。

 無難な内容に終始して、誰の記憶にも残らないのが賢いやりかただ。

 

 ただ、そんな風に記憶に残らないのが当たり前である例年の新入生代表たちのなかで、たった一人だけ例外がいた。

 三年前の新入生代表だったとある女子の姿を、静は今でも覚えている。

 その女子は、いや、女子というのは烏滸がましいその女は、人を惹きつける魅力的な相貌と、暖かな笑顔をもって、体育館中の視線を壇上の自分に集めた。

 そして、慈愛の精神を笑顔で語り、青春の重要性を熱弁し、友情の崇高さを訴えつつも、自身の仄暗い本音はただの一言すら洩らさなかった。

 ひん曲がった性根を隠し、万雷の拍手を受けたその女、雪ノ下陽乃の代表挨拶は、平和を訴える弁論大会でも最優秀賞が取れそうな、とても興味深いものだった。

 その後、実際に知り合ってみると、一筋縄ではいかない厄介な性格に辟易とすることもあったが、教師と生徒という立場を越えて友人の様な関係になってしまったのは静にとって一生の不覚だったのかもしれない。

 実は、その雪ノ下陽乃から、自身の『自慢の妹』が入学してくると聞いていた静は、その陽乃の妹にちょっとした期待をしていたのだが……残念ながらその当ては外れたようだった。

 今年の新入生代表はJ組の雪ノ下雪乃ではなく、静が担任を務めるクラスであるA組の生徒だ。

 代表は入学試験の成績によって選出されるので、例年は大抵、偏差値の高いJ組から選ばれるのだが、今年の成績トップは普通科のA組生徒だったのである。

 とりあえず、静は式が始まる前にその生徒に「緊張しなくて良いぞ」と声をかけておいたが、その生徒は不敵に口角を上げるだけだった。

 

 進行役である教頭の呼び出しに応じて、新入生代表、比企谷八幡が壇上に現れた。

J組の列にいた雪乃が目を見開いて驚愕する。早朝に出会ったあの男。高校生だろうとは思っていたが、まさか同級生、しかも同じ総武生とは思わなかった。

 壇上の八幡は右手を掲げて天井を指差した。その時点で雪乃には嫌な予感が過る。

 

「俺の名は、比企谷八幡。天の道を往き、総てを司る男だ……お前達は運が良い、この俺と同じ高校に通える幸運を誇れ」

 

 進学校である総武高らしい統制のとれた生徒たちの間に、初めて騒めきが起きた。

 怪訝な顔をするもの、興味深そうに耳を傾けるもの、隣の生徒に何事かと囁くもの。反応は様々だが生徒達全員が八幡に注目する。

 

「おばあちゃんが言っていた……人が歩むのは人の道、その道を拓くのは天の道ってな……そう、天の道を往く俺が、お前達の歩む道を拓いてやろう」

 

 大仰な物言い、それでいて意味がわからない言葉。

 生徒達の騒めきはさらに大きくなる。

 雪乃は早朝に引き続きまたもや、何だこの男は、と困惑の視線を八幡に向けた。

 この男が新入生代表ということは、自分は入学試験の成績で彼に負けてしまったのか、そう思うと頭痛がしてくる雪乃だった。

 

「何か悩みがあれば俺に相談すると良い、太陽は総てを照らす光だ。助けを求める者に対して、俺という太陽は輝く」

 

 そこまで言い終えると、八幡は壇上を降りていく。

 そしてA組の列に戻ろうとしたところで、担任の平塚静に腕を掴まれ、体育館の外へと連行されていった。

 静は内心で『面白いものは期待したが、ここまで変なのは期待してない!』と毒付いた。

 連行されている最中も、八幡の斜に構えたような自信満々の微笑みは全く曇っていない。

 進行役の教頭はハンカチで汗を拭きながら「なかなか、個性的な挨拶でしたね」と強引に取り繕い、さっさと次のプログラムへ進んだ。

 

 

 

 

 入学式を終えて、生徒達は各々の教室へと戻された。

 結衣が自分のクラスであるA組の教室に着いたとき、八幡は既に彼の席に座っていた。

 他の生徒たちは遠巻きに八幡を観ている。

 

「お前ちょっと話しかけてみろよ」「いやお前が」などと譲り合いをしているクラスメイトたち。

 

 そんな雰囲気の中で話しかけるのは、空気を読む能力に長けた結衣には難しいことだった。

 結局、結衣は八幡に話しかけることが出来ず、その後担任の平塚静があらわれ、クラスメイト全員の簡単な自己紹介や、委員決めなどがあった後にその日は解散となった。

 今なら話しかけられるかも、と結衣は意気込んだが、八幡は静に呼び出されて連れて行かれてしまう。

 おそらく、新入生代表挨拶に関する御説教がまだ残っているのだろう。

 職員室の前で待とうかとも思ったが、中学からの親友である三浦優美子と、今日早速仲良くなった海老名姫菜に、一緒に帰ろうと誘われて断ることもできずにその日は帰ることとなった。

 結衣は一度『礼など必要ない』と断られているものの、やはりサブレを助けてくれたお礼がしたいと考えていた。

 

 

 

 

 

 静粛な教室の中で、シャーペンが解答用紙を走る音だけがやけに大きく響いていた。

 入学式の翌日、総武高校の一年生たちは早速実力テストを受けている。

 入学後実力調査テストと銘打たれたそれは、名目上は生徒たちの実力を把握し、指導要領に役立てる為に行うものとされているが、実際には『高校受験に合格したからってサボってたヤツはすぐバレるんだぞ』という学校側から贈られた、生徒たちの怠慢への牽制である。

 一年A組担任、平塚静は教卓の椅子に座って頬杖をつき、教室全体を眺めていた。

 一応、カンニングする生徒は居ないかと目を光らせてはいるが、このテストで不正行為を働く様な者はまずいないという事を静はよくわかっていた。

 テストは主要五科目分行われるが、実はその点数は成績評価に反映されない。真実、『実力調査』なのである。

 そのことは、事前に説明してあるので生徒たちも把握している。

 進学校だけあって、白紙で提出する様な不届き者はいないが、多少真剣味が足りない者はちらほらいる様だ。

 多分この問題よく考えれば解るんだけどめんどくさいし空欄で良いや。ケアレスミスあるかもだけど見直しは怠いからやめとこ。

 などなど、怠けられるなら怠けたいと思うのは人間のサガである。

 もちろん、そういう一部の者を除いて、大半の生徒たちは全力で解答を埋めていた。

 静は腕時計にチラリと目をやる。残り時間はあと5分ほどだった。

 ほとんどの生徒は既に解答用紙を裏返して、チャイムが鳴るのを待っていた。そんな中で、八幡は今だに忙しなくシャーペンを動かしている。

 静は『おかしい、あいつの入試の成績から考えれば、既に解答を終えているはず』と思ったが、流石にテスト中に指摘はしなかった。

 指摘しない代わりに、教卓からゆっくり立ち上がり、八幡の席へ歩いていく。

 周りの生徒たちは少し訝しそうに静へ目を向けたが、カンニングを疑われては堪らないので直ぐに視線を戻す。

 そして、静が八幡の解答用紙が見える位置まで来た時、彼女は驚きとともに、三年前のとある出来事を思い出した。

 

 

 

 

 

 三年前の春、静は職員室に雪ノ下陽乃を呼び出していた。

 陽乃は何故自分が呼びだされたのかわからないといった様子で、折角の昼休みが短くなってしまう、と多少不満気だ。

 静は傍に立っている陽乃に対して隣りの席の椅子を勧める。

 その席は静より少し年上の、数学科女教師の席だが、彼女は昼休みには職員室にいないことが多かった。

 

「ここ、誰の席ですか?」言いながら椅子を引き寄せ、正面を静の方に向けて陽乃は座った。

「数学の矢畑先生だよ」静も、答えながら体ごと陽乃の方を向く。

「平塚せんせー、わたしまだ呼び出される様なことはして無いですよー」

 

 顎に人差し指を当てコテンと首をかしげる陽乃に、静は呆れた目を向ける。

 

「……『まだ』して無いという言い回しは気になるが、今日呼んだのはコレについて訊くためだよ」

 

 静は机の上に置いてあった国語の実力調査テストの解答用紙を指差して示した。

 

「これ、わたしの解答用紙ですね。やーだ満点じゃん。さっすがわたし!」

「表は問題無いんだがね、問題は裏だ」

 

 静が用紙を裏返すと、そこにはびっしりと、用紙一枚分全て使って何がしかの文章が書かれていた。

 

「題は、ーー太宰治『走れメロス』の世界、檀一雄との逸話に見える欺瞞と作為ーー……なんだこれは?」

「よく書けてるでしょ? せんせ!」

 

 快活な様子で答える陽乃を見て、静は微妙な違和感を覚える。話が通じていないような、通じているけれど無視されているような、微妙な感覚。

 

「君は、太宰が好きなのか?」

「うーん、太宰自体はそんなに好きでも無いですね。でも『走れメロス』には好きな一節があるんですよ」

 

 陽乃はころころと鈴が鳴る様な笑顔で静を見つめながら答える。

 

「ふむ……まあ、それは良いとして、なんでこんな物を書いた?」

 

 静はコツコツ、と人差し指の爪で解答用紙を叩いた。

 陽乃は、うーん、と少し呻る様に悩んだ後、まあ良いか、と呟いた。どうやら、まともに答えてくれるらしい。

 

「……ある種の明示行為、かな」

「明示行為?」

「ええ、ほら、それ」陽乃は解答用紙の右上を指差す。そこには、『+10点』と書き込まれていた。

「加点が欲しかったんだよねぇ。この程度のテストじゃあ、全科目満点とる子がわたし以外にも居そうだからね。高校に入って初めてのテストなんだから、加点で単独首位をとって『わたしが一番なんだぜ』っていうのをはっきりと示しとかないと」

 

 笑顔を消し、感情を見せない様な声音で陽乃はそう述べた。

 

「負けず嫌いなんだな、君は」

「負けず嫌いとは少し違うかな。常に勝ってしまうのがわたしなの」

 

 陽乃の透明な表情の裏にある、歪みのようなものを静は幻視した。品行方正な優等生タイプかと思っていたが、どうやら一癖ある難物らしい。

 

「……『走れメロス』の好きな一節、というのは?」

「それは勿論、冒頭だよ。義憤に駆られて正義に燃えるってカッコ良いじゃない。熱いよねえ」

 

 陽乃のその言葉が本心ではない事を、静は何となく察した。

 

「ああ、うん、私も熱い展開ってヤツは好きだよ。わかった、呼び出して悪かったな。もう戻って良いよ」

「はいはーい、じゃあね、静ちゃん」

「静ちゃん!? そこは『失礼します、平塚先生』だろう!?」

「はーい、失礼します、静ちゃん」そう言って、陽乃は職員室から去って行った。去り際に「静ちゃんのこと、ちょっと気に入っちゃった」と小さな声で呟いていたのを、静ちゃんは聞き逃さなかった。

「全く……なんて奴だ」

 

 途中から敬語も使ってなかったし、若手の女教師だから舐められてるのだろうか、と静は少し不満気に嘆息する。

 そして彼女は、椅子の背もたれに体を預けながら、陽乃の解答用紙に目を走らせた。

 そこに書かれた文章は、『走れメロス』の結末は大勢順応的な作為であり、途中、メロスが友人を見捨てかけた時に吐いた言葉こそが、太宰治の本性本音であると論じていた。

 曰く、ーー正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。ーー

 

「私は未だに愛を理解できているとは言えない身だが、正義も信実も、くだらなくなんか無いと思うよ……雪ノ下」

 

 静は脚を組み、ポケットに手を入れて、小声でそう独り言ちた。

 

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