和美の話を聞いて、そのチンピラと材木座の体格が似通っている事を知った八幡は、大岡を野球部に復帰させる方法をお化粧研究部と材木座に説明した。
そして、「材木座を、大岡に絡んだ悪漢そっくりにメイクしてくれ。大岡が、材木座のことを悪漢本人だと誤認するレベルで頼む」と和美に依頼する。
八幡から突拍子もない依頼をされて、和美のメイク魂に火がついた。
和美は幼い頃から色々なジャンルのメイクに挑戦してきたが、別人に変装させる様なメイクを練習した経験はない。
しかし、風間流の化粧術に限界はないと自負しているし、八幡には創部の時に世話になった。この依頼必ず完遂する、と和美は意気込んだ。
和美に、「じっとしていてください」と言われた材木座は、しゃちほこばった態度で背すじを伸ばし、大人しく椅子に座っていた。
その材木座の顔を、和美と百合子が近距離からじろじろと睨め付けている。
和美も百合子も派手なメイクをしているので、一見すると、強面の女子二人に絡まれる気弱な男子の構図にも思えた。
優美子と八幡は、席に着いたまま、三人の様子を眺めている。
「なんか、奉仕部、めんどくさそうなことやってんね」
優美子は長机に頬杖をつき、和美たちの方に顔を向けたまま、八幡に対して言った。
奉仕の精神など持ち合わせていない彼女には、奉仕部の活動はあまり楽しそうだと思えなかった。
といっても、そんな彼女も周囲の人間には、存外優しい一面を見せたりするのだが。
「別に、俺は然程面倒でもない。あとは、材木座と岬、それとお前達にかかっている」
「お前達って言われてもねぇ〜、あーしはまだ勉強中だから、和美の手伝いくらいしかできないし」
「そうか? その顔を見る限り、お前の腕も悪くなさそうだがな。自分でメイクしたんだろう? その顔は」
「まあ、そうだけど、メイクってナチュラルなのより派手派手の方が簡単なんだよ。あーしの練習って事で今日はV系メイクにしてみたわけ」
優美子は、彼女にしては珍しく謙遜めいた事を言っているが、褒められて満更でも無さそうだ。
嬉しそうに笑いながら、「和美と百合子の顔も、あーしがメイクしてやったし。なかなかイケてるっしょ?」と、自分のメイク技術を自慢する。
その様子を見る限り、彼女がお化粧研究部で過ごす日々を楽しんでいる事はよくわかった。
「ところで天の道、B組の大岡って、隼人と仲良い奴だよね?」
「葉山と? そうなのか、俺はよく知らんが」
優美子が訊いてくるが、あまり他人の交友関係に興味の無い八幡には、心当たりがなかった。
「確か、体育の時間に仲良くなったっつってた。あーしも、大岡のことはよく知らないけど、顔くらいは知ってる」
「そうか……それで? それがどうかしたか?」
「あいつ、ゴールデンウィーク明けから三日連続でゲーセンに居たよ」
「ゲームセンターに? どこのゲームセンターだ」
思わぬ所から齎された情報に、八幡は食いつく。
「それがさ、三日とも違うゲーセンだったんだよね。あーし二日続けて同じ場所行くのあんま好きじゃないからさ」
「三日とも、違う場所で会ったのか」
「会ったっつーか、見かけただけだよ。別に友達でもないから会話とかはしてないし」
優美子の言葉に、八幡は少し考え込む様に沈黙する。
顎に手を当てて黙っている八幡に、優美子は「なんか参考になった?」と訊いた。
彼は表情を緩めて、「ああ、参考になった」とだけ、短く答える。
彼の返答に満足した優美子は、したり顔を見せてニヤリとした。
先日、結衣と起こした仲違いを直ぐに解消出来たのは、八幡のおかげだと優美子は思っている。
彼女は余り素直な性格では無いので言葉にはしないが、結構感謝しているのだ。これで、少しは借りを返せたかな、と思った。
「神代くんより、もう少しツリ目気味だったよね。アイライナーとアイプチでなんとか出来るかな?」百合子が和美に言った。
「男だからな……あまり濃すぎるメイクだと不自然になってしまうかもしれない」
和美は腕を組んで唸り、真剣な目で、半ば睨むように材木座を見ている。
「私、あのチンピラの顔、うろ覚えなんだよねえ」百合子は申し訳なさそうに肩を竦めた。
「私だって、ほんの数秒しか見てないさ。だが、それは大岡くんにも言える筈だ。彼も、完璧に覚えているとは言い難いと思う」
和美は、自らの頭に手を伸ばし、ウィッグを留めている数個のクリップストッパーを丁寧に全て外した。
そして、自分の頭の上から取ったその赤いウィッグを、材木座の頭に被せた。
「あの男は、特徴的な赤髪だった。印象に残りやすい部分を似せれば、大岡くんも誤認するだろう」
「あいつの赤髪はもうちょっと短めで、もっと毒々しい発色だったよ」髪の色はしっかりと覚えていた百合子が言う。
「そうだな、ウィッグのバリエーションならウチに沢山あるから色々被せてみよう。あと、私は使用したことが無いけれど、プリンゲルとスピリッツガムの在庫もウチにあったな。試してみようか」
黙って和美の言葉を聞いていた材木座だったが、内心では、プリンとガムとは、お菓子か何かを貰えるのだろうかと見当違いな事を考えていた。
プリンゲルは軟質ウレタン樹脂、スピリッツガムは肌用接着剤である。
変装メイクというより特殊メイクじみてきたが、和美は大真面目だ。百合子も、初めて挑戦するジャンルのメイクに、好奇心を刺激されている。
「材木座くん、お時間は大丈夫ですか? 私の家に招きたいのですが」
「時間なら問題ないぞ。それがミサキーヌの為ならば、風間の家だろうと何処だろうと行こう。あと、神代って呼んで」
「和美ん家行くの? あーしも行っていい?」
「ええ、勿論、優美子さんも御招待します。比企谷くんは、どうしますか?」和美は八幡にも話を振るが、彼は、「いや、俺は奉仕部に顔を出しておこう。悪いが、材木座の事は任せる」と言って断り、部室を出ていった。
「カズん家スゴイから比企谷くんも来たらよかったのに」百合子は残念そうに零した。
「スゴイって、なにが?」優美子が訊く。
「カズって、こう見えてめっちゃお嬢なんだよ」
「マジか」
百合子が答えると、優美子は驚いて和美を見るが、彼女はさらりと流して、「我々も出ましょう」と言って、メイク道具を片付け始めた。
お化粧研究部の部室から出てきた八幡は、その足で隣の奉仕部に向かい、いつも自分が座っている席に腰を下ろした。
八幡は、少し沈んだ様子の結衣と挨拶を交わす。
彼女の居ずまいを見ただけで、雪乃と大岡の間にどのような会話があったのかを八幡は瞬時に理解した。
「遅かったわね、比企谷くん。依頼はもう解決したわよ」
凍りついたような表情を見せて、雪乃が言った。何がそんなに気に入らないのかはわからないが、彼女が何かに怒っているのだという事は容易に察せる。
「本当に、解決したと思っているのか?」八幡は、訝しげに訊ねた。
「大岡くんには、明日から野球部の練習に参加するよう厳命しておいたわ。これで、解決よ」
「無理だ。お前から説教された程度で野球部に復帰できるなら、最初からこんな事態にはなっていない。大岡は明日も練習には参加しないだろう」
雪乃は顔を歪めて八幡を睨み、反駁しようとした。
しかし、視界の端で憂えるように頷いている結衣を見て、彼女は声を詰まらせる。
本当は、雪乃にも、さっきまでの自分が冷静さを欠いていた事はわかっているのだ。
あんな風に厳しく言い募っただけでは、人の心は動かせないだろう事も理屈では認識している。
ただ、感情は別だった。弱い人間の所為で岬のような人が割りを食うなど、雪乃には我慢ならなかった。
「大岡くん、泣いてたよ。ゆきのん、あたしはゆきのんの事、ホントは優しい子だってわかってる。でも、厳しくされても立ち上がれる人と、そのまま蹲っちゃう人がいるんだよ。それは、わかってあげた方が良いと思う」
結衣にまでそう言われて、雪乃は僅かにショックを受けた。
目前の問題に対して蹲っているだけでは、状況は変わらない。立ち上がらなければ、成長は望めない。
昔からずっと、その両の脚で立ち上がり続けてきた雪乃には、そんなものは甘えだとしか思えなかった。
「まあ、そういう意味では、大岡は立ち上がろうとはしているようだ。少なからず、見込みはある」八幡が言った。
そして、八幡は優美子から聞いた、『三日連続で大岡をゲームセンターで見た』という話を二人に教えた。
「それは、ゲームに逃避しているという事ではないの?」雪乃は毒突くように言う。
「三浦は、三日とも違うゲームセンターで大岡を見かけたらしい。どういう事かわかるか?」
結衣は、少し悩むと、パッと閃いて掌を打った。
「優美子のストーカー!」
「違う」
結衣の的はずれな解答を、八幡は即却下する。彼女は、「あぅ」と呻いて首を竦めた。
「違う場所で毎日見かけたという事は、大岡くんは毎日複数箇所のゲームセンターを巡っている? つまり……悪漢を、捜しているのね」
雪乃が辿り着いた答えに、八幡は頷く。
「だろうな。ゲームセンターを巡れば目当ての悪漢が見つかるというのは安直な発想だが、おそらく大岡の目的は失ったプライドを取り戻す事だ」
因縁のチンピラを見つけて、大岡が何をどうするつもりなのかまでは、八幡にもわからない。
しかし、岬を置いて逃げ出したことを、大岡が悔やんでいるのは確からしい。ならば、それを挽回する機会を与えてやればいいと八幡は考えた。
「材木座を悪漢に擬態させて、もう一度同じ状況を作る……そこでどういう行動をとるかは、大岡次第だがな」
「あっかんにぎたいって、どうやるの?」結衣が訊いた。
「それに関しては、風間たちに頼んできた。あいつらなら、上手くやってくれるだろう」
「……同じ状況を作っても、どうせまた逃げ出すんじゃないかしら」
雪乃の意見は辛辣だった。八幡は肩を竦めて首を振る。また逃げ出すようなら、あとは正式に野球部を辞めさせるくらいしか道はないだろう。
八幡は椅子から立ち上がり、部室の扉に向かって歩く。
「とはいえ、未だにゲームセンター巡りを続けているのかどうかは俺にもわからん。とりあえず、捜しに行くぞ」
三人は手分けして、ゲームセンターを捜す事にした。
この地域の少年少女が遊びに行くようなゲームセンターは、デパートなどにある小さなゲームコーナーを除けば、近所に三つある。
大岡が今もゲームセンターに居るならば、三人で手分けすれば簡単に見つかるだろう。
雪乃は、『悪漢を捜している』という答えに一度は自分でも辿り着いたものの、正直言って大岡は、ゲームに逃避している可能性も充分にあり得ると思っていた。
彼女は、自分に割り振られた、映画館やボウリング場、ショッピングモールなどが連なった、大規模な商業施設の中にあるゲームセンターを訪れた。
本当にいるのだろうかと、半信半疑で捜す彼女だったが、突然その視界に、周囲を見回しながら歩く大岡の姿が飛び込んできた。
雪乃は、さっと物陰に身を隠し、大岡を観察する。
彼はゲームに興じる様子もなく、頻りに何かを捜して歩き回っている。どうやら、八幡の推測は当たっていたらしい。
雪乃は商業施設を出て、結衣と八幡に、大岡を発見したというメールを送る。今日の所は、そこで解散となった。
部活が終わって着替えを済ませた鑑と岬は、完全に日が沈んで暗い構内を、二人並んで歩いていた。
夜の静寂に包まれた学校は、昼間の活気ある空気とは違って、体が冷えるような寂寞感を覚える。
鑑は前を向きながら、隣を歩く岬に話し掛けた。
「大岡の話、風間に聞きました」
不意に出た和美の名前に、岬は少し驚いた。数回瞬きをしたあと、鑑に顔を向ける。
「アキラ、風間さんと友達だったの?」
「いや、今日知り合ったばかりです。偶然、話を聞く事になったんですよ」
「そう……聞いちゃったか」
「聞いちゃいました」
岬としては、あまり広めるべき話題では無いと判断して、鑑にも相談せずに黙っていたのだが、和美に聞いてしまったのなら仕方がない。
「他の子に言っちゃ駄目よ。特に、野球部の子たちには。大岡くんが、戻って来づらくなっちゃうから」
「わかってますよ」
大岡、さっさと戻って来いよ、岬さん、別に怒ってないぞ、お前の事心配してるぞ、と鑑は内心で呟いた。
「俺がその場にいたら、岬さんのこと、ちゃんと守りましたよ」
「それ、前にも似たようなこと聞いたわ」
「もう一度言いたくなったんです」
「そう……ありがと」
岬は嬉しそうに微笑んだが、それきり、二人の会話が途切れた。無言で歩く二人の間に横たわる沈黙が、数分を数えた頃、突然明るいメロディが流れた。
自分の携帯の着信音だと気づいた鑑は、ポケットから取り出して着信元を確認する。
画面には、比企谷小町と表示されていた。何であの子から? と訝しみながら、鑑は電話に出た。
「もしもし、何か用? 小町ちゃん」
「気安く小町ちゃんなどと呼ぶな。小町が穢れる」
電話越しの声を聴いて、鑑はヒクッと頰をひきつらせた。
その男のような低い声音、いや、どう考えても男としか思えない声に、鑑は電話の向こうの人物が誰なのかを悟る。
「比企谷か、なんで小町ちゃんの携帯からなんだ」
「お前の電話番号など俺は知らん。あと、小町ちゃんなどと呼ぶな、比企谷さんと呼べ」
そういえば、メールアドレスは教えたけど電話番号は教えてなかったっけ、と思い当たると同時に、兄を比企谷と呼んで妹を比企谷さんと呼んだらややこしいだろうが、と鑑は思った。
「で、何の用だよ」
「どうせ隣には岬がいるんだろう、代わってくれ」
「岬さんに? わかった」
鑑は、「比企谷が、岬さんに代わって欲しいって言ってます」と断って携帯を岬に渡した。
「もしもし、比企谷くん? 久し振りね」
「ああ、そうだな」
「君にも、心配かけちゃったみたいね」
「別に、俺はただ、依頼を受けたというだけの話だ」
八幡の膠も無い返事に、そうそう、こういう子だった、と岬はクスッと笑みを洩らした。
「大岡に、チャンスを与える気はないか?」
「チャンス? どういう事?」
八幡は岬に、詳しい段取りを説明する。彼女は電話越しの会話にも関わらず、何度も深く頷いてその話を聞いていた。
最後に、「わかった、ありがとう比企谷くん。じゃあね、また明日」と告げて通話を切った岬は、携帯をパタンと閉じて鑑に返した。
「比企谷、何の用だったんです?」疑問を覚えた鑑は、岬に訊いた。
「大岡くんの話よ。私、明日は部活休むわ」
「えっ?」
「明日、大岡くんと話してくる。やっぱり、このまま部活辞めちゃうのは、駄目だと思うの」
真剣な表情で言う岬を見て、鑑は苦笑を浮かべて首肯した。