天の道を往き総てを司る比企谷八幡   作:通雨

26 / 34
野球部編9話

 翌日の放課後、お化粧研究部の部室には、部員たちと材木座、それに加えて岬、雪乃、結衣の姿があった。八幡だけは、大岡を尾行しているのでこの場に居ない。

 先程八幡から、部長である結衣に送られてきたメールによれば、大岡は今、一軒目に立ち寄ったゲームセンターから出て次のゲームセンターへと移動中らしい。

 結衣は、雪乃にも八幡から送られてきたメールを見せた。

 メールを見た彼女は、「結局、私の言葉は、大岡くんには届かなかったのね」と、寂しそうに呟いた。結衣も、隣に座る雪乃にだけ聴こえるような小さな声で「ゆきのん……」と呟く。

 

 そうこうしているうちに、主に和美の手腕によって、材木座の顔がどんどん別人の物へと変わっていく。その様を、椅子に座りながら傍目に見ていた岬は、「上手いのねえ、風間さん」と褒めた。

 その口調は穏やかで、子供が一生懸命描いた絵を褒める母親のようだった。

 メイク開始から大体一時間が経過したところで、和美はその手を止めた。

 

「よし、完成です。どうですか、岬さん。あの成らず者にかなり似せられたと思うのですが」

 

 和美に言われて、岬は椅子から離れて材木座に近寄った。

 岬は、成らず者って言い方、なんだか古い感じだな、風間さんって意外と古風な子なのかも、と本筋から逸れた事を考えながら材木座の顔を観察した。どこから見ても元の材木座の顔とは、似ても似つかない。

 岬に至近距離で観察されている材木座は材木座で、やっぱりミサキーヌは美しいなぁ、などと、バカな事を考えている。

 

「うん、そっくりだわ。確かにこんな顔だった」

「では、早速大岡くんの所に向かいましょう。結衣さん、大岡くんは今どこにいるんですか?」和美が結衣に訊いた。

「えっと、ついさっき届いたヒッキーからのメールには、『今は稲毛海岸駅近くのゲームセンターに居る』って書いてあった」

 

 そのゲームセンターは、昨日雪乃が大岡を見つけた場所とは違うゲームセンターだった。

 結衣の言葉を聞いて、全員そこに向かおうと動き出すが、岬が待ったを掛ける。

 

「ごめんなさい、大人数で動くと目立って大岡くんにバレるかもしれないから、私と剣くんだけで来るようにって比企谷くんに言われてるの。みんなはここに居てくれないかしら」

 

 岬が言うと、雪乃は頷いて、「……そうですね。特に私と由比ヶ浜さんは、行かない方がいいでしょうね」と、暗然とした様子で言った。

 

「とはいえ、私は同行した方がいいでしょう。彼のメイクは、簡単には落ちませんから、事が終わったら私がメイク落とししてあげないと」和美はギターケースから、スピリッツガムの剥がし剤であるリムーバーとメイク落とし用のクレンジングオイルなどを取って鞄にしまった。そして、「ゴンと優美子さんは、ここに居てください。あと、ゴン、私のギターケース、今日はお前に預けるよ」と声を掛ける。言われた二人は素直に頷いた。

「みんな、私のために頑張ってくれてありがとう。お礼は後日ちゃんとするからね」

 

 岬は部室をあとにした。材木座と和美もそれに続く。三人が去って、部室の中は閑散とした空気になった。

 暇を嫌った百合子が、奉仕部の二人に話しかける。

 

「結衣ちゃん雪乃ちゃん、暇だったら、メイクモデルやってくれない?」

「……ごめんなさい、私は奉仕部の部室に戻るわ。新たな依頼が来るかもしれないから」

 

 雪乃は素気無く断り、部室を出ていく。普段とは違う様子を見せる彼女に、百合子と優美子は疑問を覚えた。

 事情を知っている結衣だけは、心配そうに雪乃の背中を見送る。

 

「ゆきのん……」

「結衣も、部室に戻った方がいいんじゃないの」

 

 優美子は、自身の手指の爪を眺めながら、まるで気が無い様子で言った。

 

「えっ?」

「結衣も奉仕部じゃん。雪ノ下さんの傍にいなよ」

「……うん!」

 

 結衣は椅子から立ち上がり、小走りで奉仕部の部室へと向かった。

 百合子は目を細めて、「優美子ちゃんは、名前通りの子だよね」と、優美子の二の腕を人差し指でつつく。

 

「どういう意味?」

「優しくて美人ってこと」

「なんだし、やめろし」

 

 優美子は百合子の手をぺしっと軽く叩いて払った。

 三人目の部員が、こんな子で良かったと、百合子は心から思う。彼女とは、これからもっともっと仲良くなれそうだ。

 

「名前と言えば、私、苗字が中山だからなのか、キングカズみたいな名前の人と縁が深いんだよね」

「キングカズ? サッカーの人?」唐突な話題に、優美子は眉を上げた。

「そうそう、キングカズの苗字も」

「ああ、三浦……」

 

 だからどうしたし、と三浦優美子は思った。

 

 

 

 

 奉仕部の部室で、いつもの席に、二人は黙って座っていた。気まずい沈黙を破るように、結衣が口を開く。

 

「ゆきのん……あのね、あたし、ゆきのんは間違ってないと思う」

 

 なんの話かは、聞かなくてもわかる。大岡を叱責した件だ。間違ってない、などと慰められても、事実大岡は今日も野球部に参加していない。下手なご機嫌取りは御免だと、雪乃は眉をひそめる。

 しかし、結衣は一転して、「けど、ゆきのんは間違えたとも思う」と言った。

 

「由比ヶ浜さん、何が言いたいの? 言葉は整理してから話すべきよ」

「……難しいね……人の心って難しいなって、いつも思うよ。自分は間違ってないってだけじゃ、間違えちゃう事もあるから……」

 

 結衣の言葉は、曖昧で伝わりにくいが、その表情から、その声音から、雪乃を想っている事はわかる。

 

「なんていうか、心って、迷路みたいな物なんじゃないかな」

 

 結衣は懸命に、想いを伝えようとした。雪乃もそれに応えるように、真剣に耳を傾ける。

 

「ゆきのんみたいに、真っ直ぐゴールに進む人は、迷路みたいな人の心の壁と、ぶつかっちゃう事もあるんだと思う。でも、あたし、ゆきのんみたいに真っ直ぐな人、好きだよ」

 

 二人は、ただ見つめあって、瞬きを繰り返した。その間、言葉による会話はなかったが、お互いの気持ちは分かり合えている気がした。不思議な感覚だった。

 そして結衣のことを、不思議な子だと、雪乃は思った。

 いつの間にか、こちらの懐に潜り込んでくる。それは時に強引だけれど、不快ではない。

 雪乃はふと、姉を思い浮かべた。陽乃も、そういう性質を持っている。陽乃の場合は計算で意識的、結衣の場合は天然で無意識という違いはあるが。

 雪乃は俄かに、結衣に姉の話をしてみたくなった。

 

「由比ヶ浜さん……私、姉がいるの」

「お姉さん? そういえば、ヒッキーが言ってたね、ゆきのんのお姉さんに会ったって。はるのさん、だよね」

「ええ、私の姉は、雪ノ下陽乃は、迷路をスラスラと解く事も、時には壁を壊して真っ直ぐ進む事もできる人よ。完璧、といっても過言ではない人」

 

 雪乃の語調からは、尊敬と羨望と叛骨が入り混じった、複雑な感情が読み取れた。

 

「私は、姉に憧れているけれど、反撥もしている。姉のようになりたいと思っているけれど、姉のようにはなりたくないとも思っている……私の心も、迷路のようだわ」

 

 雪乃は昔、その美貌と有能さから周囲の人間に嫉妬され、いじめの対象になった事がある。生来の負けん気と気丈さによって、全て返り討ちにしてきたが、その不器用な姿勢では、他人と上手く折り合いを付けることはできなかった。

 そこが雪乃と陽乃の決定的な違いといえた。

 陽乃ならば同じ状況に追い込まれても、さらりと躱してみせただろう。いや、そもそも同じ状況に追い込まれる事すらなかった。

 けれど雪乃には、姉のようなやり方は出来ない。能力云々の前に、雪乃自身の生まれ持った性根が、本音と建前を使い分ける事を許さなかった。

 彼女は『真っ直ぐ走ることができる』人間なのではない。『真っ直ぐにしか走れない』人間なのだ。

 

「何をやらせても完璧な姉に、勝ちたい。けれど、周囲は、世界は、私を認めてくれない。だから、私は……」

 

 雪乃は、独白するように呟いていたが、はたと気付いて、その言葉を止めた。

 

「私、何を言ってるのかしら、言葉は整理して話すべきね」

 

 自嘲するように言う雪乃に対して、結衣は首を左右に勢いよくぶんぶん振った。そして、椅子を蹴って立ち上がり、雪乃に抱きつく。

 

「あたし、嬉しい! なんか、あたし、ちょっとだけゆきのんの迷路解けた気がする! ゆきのんと、もっと仲良くなれた気がする!」

「由比ヶ浜さん……」

 

 抱きつかれた雪乃は、遠慮がちに、結衣の背中に手を回した。

 

「ゆきのん、困った事とか、悩みとかあったら、あたしに話してよ。あたしじゃ力になれないかもしれないけど、頑張るから、ゆきのんのためなら、何だって手伝うから」

「なら、とりあえず離してくれないかしら。暑苦しいわ」

「ゆきの〜ん!?」

 

 急に突き放されて、結衣は驚き叫ぶ。しかし、雪乃の表情は言葉とは裏腹に、晴れやかだった。

 

「冗談よ」雪乃はそう言って、鞄を掴んで立ち上がった。そして、「今日はもう、部室閉めちゃいましょうか」と、微笑む。

「なんで?」

「昨日ゲームセンターで、クレーンゲームを見かけたのだけれど、景品がパンダのパンさんだったの。あれ、欲しいわ」

「パンさん? ゆきのん、パンさん好きなの?」

「ええ、まあね」

 

 いつも昂然としている雪乃が、可愛い物好きというのは意外だった。しかし、雪乃の新たな一面を知ることができて結衣は嬉しそうだ。

 

「……由比ヶ浜さん、パンさんを取るの……手伝ってくれないかしら」

「もちろん! 手伝うよ!」結衣は華やぐような笑みを浮かべて頷いた。

 

 雪乃には、友人と二人でゲームセンターに遊びに行ったような経験は無いが、悪くない気分だった。

 その後、結衣と協力して取ったパンダのパンさんのぬいぐるみは、翌日から部室の長机の上に、そっと飾られる事となった。

 

 

 

 

 あの不良を見つけて、自分は何をするつもりなんだろうかと、大岡は自問する。喧嘩など出来るはずもない。怖い、というのも勿論理由の一つだが、それ以上に野球部のことが頭にあった。

 大岡はまだ野球部を辞めたわけではない。野球部員が暴力沙汰を起こしたら、連帯責任で部は大会への出場を禁止されるだろう。

 一年生の自分の所為でそんな事態になれば、先輩たちから恨まれるのは自明の理だ。ならば何故、自分はあいつを捜しているんだろうか。彼には答えが出せなかった。

 これは一種の逃避なのかもしれない。岬への申し訳なさから、彼女に会う事を避けているだけなのかもしれない。

 色々なゲームの効果音が折り重なって喧しいゲームセンターの中を彷徨っていた大岡は、ふと、プリクラコーナーの方に目を止めた。

 そいつの髪は、赤い絵の具を適当に塗りたくったような、ケバケバしいカラーリングだった。

 お世辞にもお行儀が良いとは言えないヒョウ柄のパーカーにも見憶えがある。

 見つけた……と、大岡は思った。緊張か、それとも恐怖か、心臓がいつもより早い鼓動を刻む。

 まるで熱に浮かされた時のように、吐息の温度が上がった気がする。

 大岡はもう一度、自分に問いかけた。あいつを見つけて、どうするつもりだった? 俺は、どうすれば良い?

 彼は、何も出来ずに立ち尽くしていた。脚に力が入らず、動く事が出来ない。

 そうやってまごついていると、突如、赤髪のチンピラが、大岡に目を向けて来た。そして、ゆっくり近付いてくる。

 向こうも自分の事を憶えていたのだと、大岡は察した。彼我の距離は十メートル程度、このままジッとしていたら、ほんの数秒で相手は大岡に接触してくるだろう。

 大岡の頭の中が真っ白になった……次の瞬間、またもや彼を混乱させる事態が起こった。

 彼の目前に、女性の背中が現れた。その女性は、両手を広げて大岡を庇うように立っている。

 顔を見なくても、大岡にはその女性が誰であるかわかった。あの日以来、何度も思い出した背中だった。

 あの日大岡は、とるべき行動を間違えた。けれど、今の彼には正解がわかっている。別に不良を倒せなくても良い。怖いなら逃げたって良い。

 ただ、岬を置いて逃げる事だけは、してはいけなかった。

 

「岬先輩! こっち!」

 

 大岡は岬の手を引いて、店の出口へと走った。あの日も自分はこうしたかったんだ。こうするべきだったんだ。

 一歩一歩進むたびに、彼の中にある後悔が少しずつ取り払われていった。

 ただ、大岡よりも岬の方が健脚で、彼が途中で追い抜かれてしまった事は、彼に新たな劣等感のようなものを齎したのだが、それはまあ、気にしなくてもいいことだろう。

 

 大岡と岬が走り去った後、プリクラ機のカーテンの中から、和美と八幡が出てきた。

 和美は、チンピラに擬態した材木座に、「お疲れ様です」と声を掛ける。

 

「女性のエスコートとしては、あの手の引き方は落第ですが、男としてはギリギリ及第点ですかね。少しは根性見せましたね、彼」和美はゲームセンターの出口へと目を向けながら言った。

「あとは、岬が何とかするだろう。俺たちの役目は、これで終わりだ」八幡は言いながら、雪乃と結衣にメールを一斉送信した。

「うむ、ミサキーヌに任せておけば大丈夫だ」材木座は頷いて言った。「ところで風間、このレオパルドパターンの服は、洗って返せば良いのか?」

「ああ、それは差し上げますよ。ウチで扱っていた在庫処分品なので、返して貰っても捨てるだけですから」

「良いのか? では、有り難く頂くとしよう。俺の趣味とは少し違うが、こういう服も一着くらい持っていてもいいからな」

 

 材木座の私服は、大抵ゴシックデザインの、似非イギリス紳士風なものばかりだ。ヒョウ柄は彼のクローゼットに於いては異色だが、彼は人目をひくようなドギツイ柄物も結構好きだった。

 

「さて、せっかくゲームセンターに来たんですし、少し遊んで行きませんか?」和美は、八幡と材木座に提案する。

「ならば、今日のゲーム代は俺が奢ってやろう。今回、天道と風間には世話になったからな。ノブレスオブリージュ、高貴な振る舞いには、高貴な振る舞いで返さねばなるまい」

「おや、材木座くん、太っ腹ですね。じゃあ、ガンシューティングやりましょうよ。私、ガンシューティングには少々うるさいですよ」

 

 和美は少し、はしゃいだ様子でガンシューティングゲームの方へ歩いていった。八幡と材木座も後に続く。

 エイリアン物のガンシューティングゲーム機から、ガンコントローラーを取った和美は、照準を確かめるように腕を伸ばして構える。

 

「スコア競いませんか? 私に勝てたら、ジュースを奢ってあげます」余程自信があるのか、和美は二人の顔を交互に見て言った。

「むう、剣なら得意なのだが、銃はちょっと……」

 

 材木座はとりあえず、財布から二百円取り出してコイン投入口に入れた。そして、もう一方のガンコントローラーを取り、「天道頑張れ」と、八幡にパスした。

 

「相手は比企谷くんですか、負けませんよ」

「MAXコーヒーを奢ってもらおうか。俺も、射撃は得意だ」

 

 OPムービーが終わると、ゲーム画面の中に数体の、不気味な形態をした緑色のエイリアンが現れる。和美と八幡は画面に向かって銃を構えた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。