天の道を往き総てを司る比企谷八幡   作:通雨

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奉仕部編2話

 八幡たちが実力テストを受けてから十日後の昼休み、雪乃は職員室のドアをノックした。失礼します、と一声掛けて入室すると、ドアのすぐ近くの席に座っている静と目が合った。

 

「どうした、雪ノ下。何か用かね」

「いえ、J組の担任の先生に質問がありまして」

「ああ、彼女は出掛けているようだよ。私で良ければ相談に乗るが」

 

 別に相談というわけでは無いのですが、と言いながら、雪乃は静にプリントを手渡した。

 

「これは……先日のテストの総合成績表だな」静は雪乃の成績表を繁々と眺める。

「五教科全科目満点じゃないか、流石……だな」

 

 雪乃は、静が思わず『流石は陽乃の妹だな』と言おうとして、無理やり言葉を飲み込んだことに気付いていたが、とりあえず指摘はしなかった。

 

「点数ではなく、順位の方を見てください」

「順位? ああ、うん、成る程」

 

 成績表の右下に書いてあるクラス内順位は一位となっていたが、学年順位は何故か二位になっていた。

「どういうことでしょうか、ミスプリントか、それとも満点がもう一人いて、同点二位ということですか? それなら普通は同点一位なのでは?」

 

 雪乃は少々不機嫌な様子で静を問い質した。常にトップを目指し努力している彼女は、学年順位とはいえ二位と記されるのは不服らしい。中々にプライドが高い。

 

「あー、先に言っておくが、このテストは実力調査であって、通知表に反映される様な成績とは直接的には関係しない」

「ええ、それで?」訝しげに眼を細める雪乃に、静は思わず顔をそらしてしまう。

「成績に直接関係がないということで、採点が甘くなったというか、面白くて加点してしまったというか……な」

「面白くて加点……ですか?」

「ああ、解答用紙の裏に、テストで問われていない内容の文章を書いた生徒に、ちょっとした加点をしてしまったんだ」

 

 その生徒の点数は500点満点で555点だった、と静は苦笑しながら言った。

 雪乃は溜め息を吐きながら納得する。

 

「そうですか、その加点が無ければ私が単独一位だったというわけですね。ならば構いません」

  

 雪乃はそう言うと、静の手から成績表を取り、職員室をあとにしようとして振り返った。

 

「いや、その生徒は加点無しでも満点だったよ。だから、単独ではなく、同点一位だな」

 

 静の言葉に、雪乃は眉間に僅かに皺を寄せる。

 そして、もう一度静の方を向くと「その生徒、もしや比企谷君ですか?」と訊いた。

「なんだ、知り合いかね。そうだよ、うちのクラスの比企谷だ」

「別に知り合いではありません。彼は入試の成績がトップだったようですから、覚えていただけです」雪乃の機嫌はますます悪くなる。

「その、加点されたテストとはどの教科ですか?」

「全ての教科だよ、五教科全て」

「では、平塚先生の国語では、どの様な内容の文章を書いて加点されたのでしょうか?」

 

 静は、ふむ、と呟くと顎に手を当て考えた。これは生徒の個人情報の様な気がする。しかし、よくよく考えればテストの点数だって個人情報だ。

 ここまで漏らしてしまったんだから、加点の内容も教えて構わないか、と結論する。

 

「江戸川乱歩と横溝正史の関係性についての考察を、二人の著書の内容を交えて書いていたよ」

 

 探偵小説の世界に於いて、日本を代表する様な二人であるが、彼らはほぼ同時期に活動していて、プライベートでも交流があった。

 

「比企谷が書いた文章は、純粋に読み物としてなかなか面白かったよ。10点プラスしてしまった」

「江戸川乱歩と、横溝正史ですか?」

「そう、横溝が乱歩に懐いた、感謝と憧憬と、ほんの少しの嫉妬心について書いてあったな」

 

 静が言った『嫉妬心』という言葉に引っかかるものがあったのか、雪乃は少しだけ暗い顔をする。

 

「……歴史に名を残すような文豪でも、嫉妬などするのでしょうか?」

「所詮は比企谷の考察だから真実はわからんが……嫉妬は人間の原罪であると、私は思うよ」

 

 急に雰囲気の変わった雪乃に呼応する様に、静は顔をうつむき加減にしながら、真剣な表情で答えた。

 

「まあ、それはそれとしてだ。部活の話については考えてくれたかね?」静は話を変えようと努めて明るい声で言った。

「部活、奉仕部ですか。そうですね、もう少し今の生活に慣れたら、お受けしようと考えています」

「そうか! では特別棟の方に部室を用意しておくから、いつでも声をかけてくれ」

 

 雪乃は「わかりました、では失礼します」と言って職員室を出た。

 

 

 

 

 

 放課後のエントランス前の広場は、家に帰るもの、部活に向かうもの、そして部活勧誘のビラ配りをするもの等でごった返していた。

 部活勧誘はアピールが大事だ。運動部は皆、普段の練習では着ない試合用のユニフォームを着て、威勢よく勧誘に勤しんでいる。

 文化系の部も、科学部は白衣を羽織っているし、華道部、茶道部なんかは着物を着こなしている。

 中山百合子はそんな部活勧誘をするものたちの一人だったが、彼女は普通の制服姿であった。

 勧誘用のビラを片手に行き交う生徒に声をかけていくが、芳しい返事をくれるものはいない。

 ビラを受け取ってもくれない人も多いくらいで、百合子は憂鬱そうに溜め息を吐く。

 そんな彼女の背中に、部活へと急ぐ男子が肩に下げていたスポーツバッグが当たった。

 その男子、影山は人混みにも関わらずかなりの速さで走っていたようで、百合子は堪らずたたらを踏み、その手のビラを取り落とした。

 

「きゃっ!」

「あー、悪りぃ」

 

 影山は適当な様子で謝ったものの、百合子が落としたビラを拾おうともせず足早に去ろうとする。

 しかし、横合いから伸びた手が、影山の襟首を掴んでその動きを止めた。

 

「ぐぇっ」影山はひしゃげたカエルのような声で呻いた。

「待て、拾え」

 

 襟首を掴んだ張本人、比企谷八幡の言葉は簡潔だった。

 襟首を掴まれたことは勿論、その無遠慮な言葉にも怒りを感じた影山は、八幡の手を乱暴に振り払う。

 

「何すんだよ! テメエ!」

「お前がぶつかったせいで、この女子がビラを落とした。なら、お前が拾うのが道理だろう?」

「あの、私、自分で拾うから大丈夫です」

 

 百合子は申し訳なさそうにおずおずと言った。影山はかなり苛立っている様子で、今にも喧嘩が始まりそうな雰囲気だ。

 

「駄目だ。この男に拾わせるからお前は一枚も拾うな」

 

 八幡は百合子に向けてそう言い放つ。百合子は「あの、でも」と遠慮がちに呟いた。

 

「俺は二年生にしてサッカー部のエースなんだぞ! 一分一秒だって練習時間は無駄にできないんだ!」

「そうか、ではさっさと拾え」

 

 激昂する影山に対して、八幡は冷静に返す。聞く耳を持つ気はなさそうだ。

 影山の顔が怒りに歪み始めたところで、少し離れたところから影山に駆け寄る者が現れた。

 

「影山先輩、どうかしたんですか?」

「……葉山か」

 

 影山は苛つきを隠そうともせず、突然現れたサッカー部の後輩、葉山隼人を睨みつけた。

 

「比企谷くんも、何かトラブル?」

 

 隼人は、影山と対峙している八幡に話し掛けたが、八幡は特に何も答えない。

 

「葉山、こいつお前のツレか?」

 

 顎先を八幡に向けてしゃくり上げながら、影山が言う。

 

「いや……ツレというか、クラスメイトですけど」

「同じクラスなら、先輩に対しての礼儀くらい教えとけよな!」

 

 お前は最低限の礼儀すら知らないようだがな、と影山に向けて言おうとした八幡だったが、不穏な空気を察した隼人に口を手で塞がれる。

 

「まあまあ、先輩も比企谷くんも落ち着いて」

 

 後輩の執り成しによって多少苛立ちが治まったのか、影山はひとつ舌打ちすると「葉山、そのビラお前が拾っとけ」と言い残して去っていった。

 

「えーっと、まあとにかく、喧嘩はよくないよ。比企谷くん」

 

 八幡の口から手を離し、取り繕うような笑みを見せる隼人。

 

「喧嘩などするつもりはなかった。ただ、あいつのせいで落ちたビラを拾わせようとしただけだ」

 

 八幡はそう言うと、片膝をついてビラを拾い始めた。

 

「あ、ごめんなさい。私が拾うよ」

「俺も手伝うよ」

 

 百合子と隼人も、八幡に続いて拾い始める。かなり勢いよくぶつかられたせいで、ビラはそれなりに散らばっていたが、三人で拾えばすぐに拾い集めることができた。

 

 八幡は集めたビラの一枚を、何とは無しに眺める。そこにはカラフルなレタリング文字で『お化粧に興味はありませんか?byお化粧研究部』と書かれていた。

 

「お化粧研究部?」八幡が百合子に訊く。

「うん、正確にはまだ部じゃないんだけどね。中学からの友達と二人で設立しようとしたんだけど、部の設立には部員が三人以上必要なんだって。けど、なかなか興味を持ってくれる人が居なくて」

 

 総武高校の校則では、部の存続自体は部員数一人で良いとされていたが、設立には部員数三人以上が必要となっていた。

 

「ビラ、拾ってくれてありがとね、比企谷くん」百合子は八幡に、ぺこりと頭を下げて礼を言った。

「あれ、二人は知り合い?」

 

 隼人が訊くと「知り合いでは無いな、俺が一方的に知られているだけだ」と八幡は冷めた表情で答える。

 

「あはは、比企谷くん、有名人だから」

「ああ、確かに、そうだね」

 

 隼人は一年生の間で八幡が『変人』として噂になっていることを思い出した。

 

「ビラ配りだけでは、部員は集まらないかもしれないな」

 

 突然の八幡の言葉に、百合子は「えっ?」と疑問符のついた声を上げ、その顔を八幡の方に向けた。

 

「いやいや、そんなことは無いよ。サッカー部もビラ配りはしてるけど、ビラを見て入部しようと思ったヤツも多いよ」

 

 隼人が百合子を励ますように言うが、八幡はなにかしら思案している様子でビラを見つめていた。

 

「……幽霊部員で良いなら、名前を貸しても良いが」

 

 八幡は百合子には目を向けず、さらっと何でもないことのように言った。

 対して百合子は、驚いた様に目を二、三度ぱちくりと瞬きさせた後、感謝の笑顔を浮かべて答えた。

 

「うーん……申し出はうれしいけど、やっぱり部員はお化粧に興味がある人が良いな。もうちょっと粘ってみるよ」

「そうか。それなら、頑張ると良い」

 

 それまでずっと無表情だった八幡は、そう言って少しだけ微笑むと、その手に持っていた最後の一枚のビラを百合子に返し、自転車置き場の方へ歩み去った。

 

「比企谷くんって、思ってたより優しい人なのかも」

 

 天の道がどうとか言っていた入学式の言葉はよくわからないが、少なくとも悪い人では無さそうだ、百合子は内心でそう思った。

 

「えっと、葉山くん、で良いのかな? 君も、拾ってくれてありがとね」

「ああ、いや、気にしなくて良いよ」

 

 頭を下げながら礼を言う百合子に、片手を軽く振って答えた隼人は

「じゃあ、俺も部活に行くよ」と言って部室に向けて歩き出した。

 隼人は、先輩に対して波風を立てても道理を正そうとした八幡の姿に、かつての雪ノ下雪乃を見た気がしていた。

 

 

 

 四月も終盤となり、そろそろ高校生活にもなれようかという頃。

 その日のA組とB組の四限目は体育の授業だった。体育は男女で分かれるため、2クラス合同での授業になる。

 男子の種目はサッカー。女子はソフトボールだ。

 

 女子側ではアップやキャッチボール、ノックなどを経て、試合が始まっていた。

 現在は結衣が入った先攻のチームが攻撃中である。

 結衣はベンチで自分の打順を待ちながら、サッカーをしている八幡の方へ目を向けていた。

 

「結ぅ衣ぃ! だーれ見てんの?」隣にいる優美子が話しかけてきた。彼女の金髪ゆるふわ愛されカールが春風にふわふわ揺れる。

「え、いや、誰を見てるとかってことはないんだけどさ。男子はサッカーしてるんだなあって思っただけ」

「ふうん、ま、良いけど。あーしはてっきり誰か好きな男子でも見てんのかと思ったんだけど」イマドキの女子高生三浦優美子、恋バナは大好きである。

「す、好きな男子なんかいないよぉ。まだ高校入ってそんな経ってないのに」

「でも、結衣ってば天の道くんのこと良く見つめてるよねぇ?」

 

 入学早々仲良くなった姫菜が、優美子の反対側から結衣を挟むようにして詰め寄る。ナチュラルミディな黒髪に映える、赤いトップリムの眼鏡が陽光でキラリと光った。

 

「天の道くん?」結衣の顔に疑問が浮かぶ。

「比企谷のことだよ。あいつ天の道がどうとか言ってたじゃん。だからみんな、天の道って呼んでるし」

 

 優美子が説明すると、結衣は、そういえば初めて会った時も言ってたなあ、と思い出した。

 

「もしかして、結衣ってばあーいう子が好み?」姫菜がからかい気味に訊く。

「ち、ちがうよ! 好みとか好きとかじゃなくて、恩人だから……ちょっと気になってるっていうか……」言外に八幡の事を見つめていたのは認めてしまう結衣。

「なになにぃ、恩人ってどういうことだし」

「三人共、盛り上がってるとこ水を差すようだけど、攻守交代ですよ」

 『恩人』という気になるワードを聞いてさらに問い詰める優美子だが、そこにチームメイトの和美が声をかけてきた。

 

「えー、和美ぃ、今いいとこなんだけどー?」優美子が口を尖らせながら文句を言う。

 ちなみに和美はとなりのB組の生徒なので、体育の時間くらいしか関わりがない。

 それにもかかわらず名前呼びしているあたり、優美子のコミュニケーション能力の高さが伺える。

 

「私に文句をいわれても困るんだけどね」

「いやいや、かずみん、ナイスタイミングだよ」結衣に至っては名前呼びどころかアダ名呼びである。

「褒められるのもそれはそれで困るね」和美はそう言って守備位置に走り出した。

「しゃーないなぁ、結衣、あとで詳しく訊くかんね」

「私も訊きたいなあ、結衣?」

「うう……」優美子と姫菜から弄られた結衣は、困り顔でグラブを取り、ベンチから飛び出した。

 

 結衣が内野を抜けて外野の守備位置に向かうと、和美が先に着いていた。

 

「結衣さんは、今日はライトでは?」きょとんとした顔で、和美が問う。

「え? こっちライトじゃないの?」

「こっちはレフトですよ」

「センターから見て右手側なのに、レフト?」

「……バッター側から見るんじゃないかな? バッター側から見るとこちらが左側だ」

「成る程! かずみん頭良いねえ」

 

 結衣は野球もソフトボールもあまり知らないらしい。

 

「こらぁ! レフト! なんで二人もいるの!」

「あ、すみませぇん!」

 

 女性の体育教師に怒られて、結衣はライトに向けて慌てて走り出す。

 そんな結衣の姿を、優美子はピッチャーズサークルから苦笑しながら見ていた。


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