天の道を往き総てを司る比企谷八幡   作:通雨

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第34話

 ノッカーの基本は、真正面に打球を転がせるようになること。真正面にさえ打てれば、あとは身体の向きを変えるだけでどこにでも狙って打てるようになる。

 というわけで、ノックを受ける八幡と鑑はおおよそセカンドベースの辺りに並んで立っていた。ひとり一球ずつ、順番にノックを受けるつもりらしい。

 そして、後方のセンターには、鑑がリトルリーグで使っていたグラブを付けた小町が、球拾いとして控えている。

 

「やるべき事はわかっているな。加賀美」八幡は、自分の前で腰を落として構えている鑑に向かって言った。

「ああ、エラーなんかしねーよ。俺、野球だったらお前より上手いんだぜ」

「ちがう、適時エラーをするのがお前の使命だ。小町が退屈しないように、正面に来た打球は偶にトンネルしろ。ただし、小町を無駄に走らせない為に、大きく逸れたボールはダイビングしてでも捕れ」

 

 比企谷八幡は、いつだって妹優先だった。

 

「……お前もわざとエラーするのか?」眉根を寄せて鑑が問う。

「小町に無様な姿を見せるわけにはいかないからな。俺は全力で守る」

「ずるいぞ比企谷。お前もわざとエラーするんだったら、俺もエラーしてやる」

「……わかった。数球に一球、小町の為にボールを見送る。それでいいな」

 

 二人の間では、妙な取り決めが行われていた。

 

 

 バッターボックスには、まず雪乃が入った。先に、手本を見せるつもりらしい。

 

「よく見ていてね、高鳥さん」雪乃の言葉に、蓮華はこくりと頷く。

 

 雪乃は右手でトスしたボールを、タイミングよくバットで捉えた。

 それなりに勢いのあるゴロが、鑑の正面に転がっていく。

 彼は数歩ほど前にダッシュし、腰を落としてボールをキャッチすると、結衣に向けて山なりの送球を放った。

 時速にして百キロも出ていない緩いボールだったが、彼女は「きゃーっ!」と叫んで避けてしまった。

 避けられたボールはてんてんと転がり、バックネットに当たって跳ね返ったところで止まる。

 

「加賀美くーんっ! もっとゆっくり投げてよ〜」結衣は新しいボールを雪乃に渡したあと、捕り損ねたボールを拾いに行く。

「あー、ごめーん」鑑は後頭部を掻きながら、少しだけ頭を下げた。

 

 次のノックの受け手は八幡だ。

 雪乃は、すうっと短く息を吸い込んで気合いを入れ直し、トスしたボールに向けて先程よりも鋭くバットを振り抜いた。

 ボールとバットの真芯がジャストミートして、猛烈な速度のゴロが八幡を襲う。それはまるで、テニスでいうところのフラットサーブのような打球だった。

 しかし、彼は特に慌てることなく、すんなりと捕球した。そして、スムーズなフォームのサイドスローで送球する。

 ワンバウンドして届いたボールは、結衣のグラブに収まった。彼女は「おー、捕れた捕れたっ!」と喜んでいる。

 対照的に雪乃は、少し不満そうな顔をしていた。

 別に、結衣がはしゃいでいるのが煩わしいわけではない。多分、八幡がエラーするところを見てみたかっただけだ。

 

「雪ノ下さん、なんか今の打球、妙な感情がこもってるようにみえたけど……」蓮華が訊く。

「これといって、他意はないわ」誤魔化すように、雪乃は首を左右に軽く振った。

 

 それから十球程度見本としてノックしたあと、ノッカーを蓮華と交代する。

 左打席に立ち、大体このへんかな、とボールをノックしやすい位置に左手でトスアップ。

 ホームベースの少し前あたりに上がったボールは、ミートポイントとしては最適だったが、残念ながら空振りしてしまった。

 

「あっ……」

「大丈夫よ、焦らないで」転がったボールを、雪乃が拾って手渡す。

「ごめん、雪ノ下さん」

「謝らないでいいわ。最初からなんでも上手にできる人なんていないもの」

 

 そういう割には、雪ノ下さんは上手だけどなあ、と蓮華は思ったが、他人と自分の才能を比べても仕方ないので、彼女はめげずにもう一度トライした。

 ふわっと、ボールを宙に放る。

 トスは安定しているのだ。あとは、ボールを上手くミートするだけ。

 大振りせず、出来るだけコンパクトに振り抜く。シャープなスイングから繰り出された打球は、鋭いゴロとなって飛んでいった……ショートの定位置あたりに。

 受け手である鑑は反射的に打球方向へ走りだし、そのままスピードに乗ってボールに跳び込んだ。

 豪快なダイビングで精一杯身体を伸ばした結果、ボールはグラブのウェブぎりぎりに引っ掛かり、なんとかキャッチできた。

 

「ご、ごめーん、加賀美くーんっ!」

「おー、気にすんなーっ。今の打球は良かったぞーっ」

 

 申し訳なさそうにする蓮華に、鑑はグラブを振って応えた。彼としては、間一髪追いつくかどうかという打球の方が良い練習になるので望むところだ。

 

「なるほど、高鳥さんは、リズムに合わせて身体を動かすのが苦手なようね」

「うっ、それ、ソフトのコーチにも言われたなあ」

 

 蓮華には、リズム感があまりなかった。

 トスしたボールが落ちてくるのに合わせてバットを振るという動作が苦手なのだ。

 一般に、リズム感がない人は日常でのちょっとした運動でも、ドジを踏む事が多い傾向にあるという。彼女はドジだった。

 また、リズム感は、視覚から得た他人の身体の動きを、自分の身体で体現する能力に深く関わっている。

 スポーツの上達は、熟練者の動きを模倣することに始まる。彼女は他人の真似をするのが下手だった。

 しかし、それはスポーツにおいて、致命的な問題ではない。リズム感がないから、他人の真似をするのが下手だから、といっても、全然上達しないわけではないのだ。

 むしろ、コツを掴むのが遅い人の方が、一度コツを掴んだら忘れないものだ。

 長い時間をかけて、苦労して修正したフォームは、たとえ時間が経っても大きく崩れたりしない。

 実際、蓮華のバッティングフォームは、クセのない綺麗なスイングだ。

 あとは、トスしたボールにバットを当てるリズムを掴むだけ。上達法はたったひとつ。

 

「練習あるのみよ。高鳥さん」

「わかったっ! 頑張る!」

 

 めげない蓮華は、真面目に、一生懸命練習に取り組んだ。

 ひた向きな彼女の姿勢に、雪乃の指導にも熱が入る。

 ただ言葉で指摘するだけではなく、実際にノックを打ってみせて手本を示した。

 ざっくり十球交代で、順番にノッカーを代わる。蓮華は、自分が打つときは勿論、雪乃が打つときにも、早くコツを掴もうと真剣な様子だ。

 

 雪乃はノックを打ちながら、昔を、小学生の頃のことを思い返していた。

 ある時、勉強を教えてほしいと言ってきたクラスメイトがいた。快く引き受けて、問題の考え方や、解法を教えてあげれば、喜んでくれた。何故こんなこともわからないのかしら、とは思わなかった。

 また、スポーツを教えてほしいと頼まれたこともある。正しいフォームや、それを習得するための練習法を教えてあげれば、やはり喜んでくれた。何故こんなこともできないのかしら、とは思わなかった。

 でも、クラスメイトたちが喜んでくれたのは、最初の内だけだった……いや、もしかしたら最初から、心の底では喜んでなどいなかったのかもしれない。

 いつしかクラスメイトたちは、雪乃を除け者にするようになった。

 雪ノ下さんはなんでも出来るから、雪ノ下さんは私たちとは違うからと、露骨な嫉妬の感情を向けてくる。

 別に、それに対して心を傷めるようなことはなかった。

 ただ、わからないのならわかるまで頑張ればいいのに、できないのならできるようになるまで努力すればいいのにと、不思議に思った。

 自身を高めようと励むことなく、こちらを貶めることに全力を注ぐ者たちが、只管不思議で、只管煩わしかった。

 

 出来ない人間は、出来る人間を排除することで、自己を満たそうとする。

 それは仕方のないことなのかもしれない。世間なんて、所詮そんなものなのかもしれない。

 けれど雪乃には、それを認めることはできなかった。

 世間が、世界がそんなものだというなら、自分の手で世界を変える……そんな希望を懐いた。

 

 雪乃はちらりと、結衣を見遣った。

 彼女は少し逸れた送球に対して、必死に腕を伸ばして跳び付く。

 無事にグラブに収まったボールを見て、結衣は笑顔を見せた。その顔を見て雪乃の頰も、自然と綻ぶ。

 思えば、あの、たった一人しかいなかった頃の奉仕部に持ち込まれた相談こそが、何にも替え難い確信を与えてくれたのだった。

 ほんのひと月と少し前、奉仕部の部室で、自分には料理の才能がないと嘆く結衣に、雪乃は辛辣な言葉で言い募った。

 

 ──自らを菲才だと蔑んで言い訳を作って怠ける前に、まずは全力で努力して、自分で決めつけた限界を超えなさい──

 

 結衣へ向けた言葉は、もしかしたら、小学生の頃のクラスメイトたちに言いたかった事なのかもしれない。

 いや、正直言ってよく覚えていないが、クラスメイトたちにも、似た様な趣旨の事を言っていた様な気もする。

 努力すればいいだけではないか、と言われたものは皆、粗方同じ反応を返す。

 才能がある人には、才能がない人の気持ちはわからない。雪ノ下さんには、頑張れない人の気持ちはわからない。

 時に多少のニュアンスは変われども、言っている事はほぼ画一的で、結局は怠慢の言い訳に過ぎなかった。

 雪乃は、どうせ結衣も、あの頃のクラスメイトたちと同じような反応をするはずだと、自分らしくない諦めの感情を覚えていた。

 建て前を言い繕ってなあなあで済ませるくらいなら、本音を語って嫌われた方がマシ。

 強がりではなく、心底そう思っている雪乃に対して、結衣の返答は意外なものだった。

 

 ──雪ノ下さんみたいな人、憧れる。カッコイイと思う──

 

 認めてもらえた、そんな気がした。そのとき雪乃がどんなに嬉しかったか、結衣はおそらく、全然わかっていない。

 内心を洩らせばいつだって、周囲と自分の間には、彼我を隔てる溝が出来た。

 そんな溝を飛び越えて……いや、そもそも溝なんて最初から作らず、こちらに歩み寄ってくる結衣。

 彼女との遭逢は、建て前で付き合わなくともわかってくれる人はいる、という新しい認識を齎した。

 

 雪ノ下雪乃は、他人への観察眼には自信があった。多分、高鳥蓮華も、わかってくれる人だと思う。

 雪乃と蓮華は、席替えで前後の席に座ることになってから、頻繁に会話を交わすようになった。

 日々のコミュニケーションの中で、蓮華のパーソナリティはほぼ掴めている。明るく陽気で、朗らかな彼女は、結衣と似通った気質を持っているのだ。

 こちらが真剣に指導すれば、きっと嫌がらずに応えてくれる。雪乃は、そう確信していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっ、ちょっと待ってゆきのんっ!」

 

 

 

 

 

 

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