天の道を往き総てを司る比企谷八幡   作:通雨

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奉仕部編4話

 調理実習当日、家庭科室に移動したA組の生徒達は、各々持ち寄った食材を、ある者は慣れた手つきで、ある者はぎこちなく調理していた。

 結衣、優美子、姫菜の三人はもちろん後者であるが、とりあえず三人で協力して頑張っているようだ。

 

「冷蔵庫の中の卵と、炊飯器の中のご飯は自由に使って良いんだよね?」結衣が優美子に訊く。

「そうそう、卵はゆで卵にしよう。玉子焼きは巻くのがめんどい」

 

 優美子は鍋に水を張り、その中に卵を三つ入れてコンロの火にかけた。

 

「メニューは野菜炒めと、ポテトサラダ、ウィンナー、それにゆで卵ね」野菜を切りながら、姫菜が確認する。

「うーん、ウィンナーはタコさんにしようか。焼くだけだとなんか手抜きっぽいし」

 

 優美子はウィンナーに切れ目を入れ出すが、その包丁捌きは微妙に危なっかしい。

 

「姫菜ぁ、野菜切んのムズイよ〜」結衣が泣き言を漏らす。彼女の前のまな板には、不揃いに切られた野菜が山となっている。

「……まあ、しっかり火ぃ通せば大丈夫でしょ」そう言う姫菜が切った野菜は一応形は整っている。作業ペースは遅めだが。

 

 その後も三人の調理は、綱渡りのごとく進んでいく。

 ゆで卵は茹でる時間が足らなかったのか、半熟卵になってしまった。仕方ない予定変更、かき混ぜてフライパンで焼いてスクランブルエッグだ。

 野菜炒めは油通しした方が良いらしいよ、と余計な知識を発揮した結衣の手腕によって、野菜が油でベチャベチャになる。油通しした方が良いとは知っていても肝心の油通しの方法は知らなかったらしい。

 ポテトサラダはアクセントで入れたみじん切りの生タマネギが二重の意味で涙を誘う。みじん切りは結衣には難易度が高かったらしく、大きさが疎らだし、どうやら水でさらす時間も短すぎて、上手く辛味抜きが出来なかったようだ。

 タコさんウィンナーはギリギリ成功した。そもそもウィンナーは調理しなくても食べられるのだから失敗しようが無いのだが。

 色々と紆余曲折はあったが、料理らしきものは完成した。作った料理を三等分して弁当箱に詰める。白米だけは家庭科教師が用意してくれたのが唯一の救いだ。

「できた……ね」

 

 結衣は自信なさげに優美子と姫菜の顔を見る。

 

「あー、あとは天の道に渡すだけだし。大丈夫大丈夫」

 

 優美子は励ますように言うが、自分たちが作った弁当の出来はわかっている。まあ、食べられない事は無いはずである。

 自分の分の弁当箱をかかえた結衣は、八幡達のグループに向かって歩き出す。ちゃんとお弁当を交換出来るか心配になった優美子と姫菜は、その後ろをそっと付いて行く。

 そして、八幡達の調理台に着いたところで予想外の物を目にした。

 

「やっべー! マジっべーっしょ! 天の道くんマジっべーわ。天の道くんの料理マジうまそーなんだけど」

 

 騒ぐ戸部の視線の先にある数々の料理は、見た目だけでその洗練された味が想像できるような見事なものだった。

 

「あんさぁ、隼人、ちょっと」

「え? えっと、何かな、優美子」

「これ、全部天の道が作ったわけ?」

「ああ、大体そうだね。俺と戸部も少しは手伝ったけど」

 

 隼人は苦笑しながら言う。八幡を見つめて呆然としている結衣の手に、彼女が作ったらしい弁当があることから大方の事情を悟ったらしい。

 

「ひ、比企谷くん!」とりあえず話しかけてみる結衣。

「……サブレの女か」八幡は少し記憶を探るように目を閉じたあと、そう呟いた。

「サブレの女!? そんな、ハムの人みたいな呼び方やだよ! てかあたしのこと覚えてたの?」

「無論だ」

「そ、そっか、覚えてくれてたんだ……話しかけてくれないから忘れられてるのかと思ってたよ」

「特に話しかける用も無いからな」

「あー、そっか、そうだよね」

 結衣は少し俯く。

「ところで、俺に何の用だ?」

「え?」

「用があるから話しかけてきたんだろう?」

 

 そう、結衣には弁当を交換してあげるという用事があったのだ。

 結衣は、その目を八幡が作った料理に向ける。

 

「お、美味しそうだね。その、お料理」

 

 ーーチキンソテーからは爽やかな果実とハーブの香りがする。ソースは何だろう。レモンバジルソース?

 ああ、知ってるよ、レモンとバジルのアレでしょ。

 卵はゆで卵にしたんだね……ゆで卵じゃないの? ジュレで閉じたウフアラコック? へぇ、そっかぁ、うん。アレね、ジュレで閉じるやつね。

 アスパラのベーコン巻きも美味しそう。え、ゴーダチーズが入ってるの? それは剛田牧場と何か関係があったりは……しないね。オランダの有名なやつね、知ってたし。

 他にもいっぱい作ったんだね。あれは何かな、キャロットエテュベ? キャロットかあ、ニンジンだね。

 あれは? プチトマトのトマトファルシ? へぇ、すごいねぇーー

 

 結衣に対して、自分が作った料理を説明していく八幡。その料理の数々は家庭科の授業時間だけで作られたとはとても思えない。

 実際、ジュレで閉じたウフアラコックなどの仕込みが必要な品は、家庭科教師に許可を取って朝から仕込んでおいたものである。

 八幡は料理に関して全く妥協しない完璧主義者なのだ。

 

「おばあちゃんが言っていた、食事は一期一会、毎回毎回を大事にしろってな……だから俺は、たった一回の食事にも手を抜かない」

 

 八幡が発したその言葉を聞いた優美子は、頭をかかえた。どうやら、自分の考えは甘かった様だ。

 折角、料理下手と思われる隼人と戸部と組ませたのに、まさか八幡自身が料理上手だとは想像だにしなかった。

 八幡の料理を見て、結衣は弁当を交換する気を完全に無くしてしまった。そもそも、八幡の作った弁当と自分の弁当を交換などしても、お礼にならない。むしろ嫌がらせである。

 

「それで? お前の用は俺の料理の詳細を聞くことか?」

 

 違う。違うのだが、当初の予定は既に狂っている。結衣は少し悩んだあと、曖昧な笑顔で言った。

 

「あのー……えっと……比企谷くんのこと、ヒッキーって呼んでも、良いかな?」

 

 結衣はとりあえず、可愛いアダ名をつけてお茶を濁すことにしたようだ。

 

 

 

 

 お弁当交換作戦に失敗したその日の放課後、結衣たち三人は教室の片隅で顔を寄せ合い反省会をしていた。

 

「いやぁ、天の道くんがまさか料理男子だったとはねぇ」姫菜は唇を引きつらせて言った。

「手作り料理でお礼は無理っぽいかも」優美子が姫菜の言葉を引き継ぐ様に言うと、結衣の顔が曇った。

「どうした、君達、何か困り事かな?」

 

 浮かない顔の三人に、担任の平塚静が話しかけてきた。

 

「先生、いや、お料理の事でちょっと……」

 

 言葉を濁す結衣に、静は優しい目を向ける。

 

「ふむ、ならば君達にピッタリの相談所を紹介しよう」

「相談所?」

 

 結衣の疑問の声に静は満面の笑みで答えた。

 

「奉仕部といってね。君達のような悩める仔羊の問題を解決する部活があるんだ」

 

 

 

 

 静に紹介された三人は、特別棟のとある部室を訪れた。

 そのドアをノックすると、中から「どうぞ」という声が聞こえてくる。

 結衣たちが中に入ると、文庫本を手にした女子生徒が一人、長机の端の席に座って佇んでいた。

 文庫本のタイトルは『江川蘭子』、結衣は知らないタイトルである。そもそも彼女は、知っている本自体少ないのだが。

 本を閉じて、入り口に顔を向けた女子生徒の相貌を目にした結衣は、記憶の中に引っかかるものがあったのか、驚いて声を上げる。

 

「ああ! あの時の人!」

「貴方は、由比ヶ浜結衣さんね。そちらの二人とは初対面かしら、初めまして、奉仕部部長、雪ノ下雪乃よ」

 

 驚く結衣とは対称的に、雪乃は落ち着き払って挨拶する。

 

「結衣の知り合いなん? あーし、三浦優美子ね。よろしく」

「私、海老名姫菜〜どうぞよろしくね〜」

「三浦さんと海老名さんね。とりあえず、座ったらどうかしら」

 

 教室に置かれた長机の端、窓側の席に座っている雪乃は、部屋の隅に寄せられた椅子を指差してそう言った。

 結衣たち三人は、それぞれ椅子を一つ取ると長机に着く。雪乃の右隣すぐ近くに結衣、結衣の隣に姫菜。反対側、雪乃の左隣に優美子が座る形になった。

 対面側に座るものだと思っていた雪乃は、この子たち、パーソナルスペースが狭いわ、と少し引いていた。

 

「てか、二人はどういう関係なん? 同中じゃなかったよね?」

「あのね、サブレをヒッキーに救けてもらった時の、車に乗ってた人なんだ」優美子の質問に結衣が答える。

「……今、思い返せば、由比ヶ浜さんには正式に謝罪してなかったわね。御免なさい、謝罪が遅れたことも含めて謝らせてちょうだい」

 

 そう言って頭を下げる雪乃。入学式の朝は色々あって混乱していたとはいえ、結衣への対応はおざなりになってしまっていた。

 

「あ、いや、謝らないで雪ノ下さん。運転してたのは雪ノ下さんじゃないし、そもそもあれはサブレを跳び出させちゃった私が悪いんだもん」

 

 だから頭を上げて、と慌てたように結衣が言う。その言葉を聞いて、雪乃は申し訳なさを滲ませながら頭を上げた。

 

「ふーん、じゃあ雪ノ下さんも、ある意味天の道くんに救けられてたんだねぇ。目の前でワンちゃんが死んじゃうなんてトラウマものだもん」

 

 姫菜がそう言うと、雪乃は微妙に表情を歪ませる。八幡に救けられた、というのは彼女にとっては癪らしい。

 

「天の道くん、というのは比企谷くんのことね。私のクラスでも噂になってるわ、変人天の道くんのことは」

「まあ、変わり者なのは事実だねぇ」

 

 姫菜も同意する。実際、比企谷八幡という男はかなりの変人だと思っていた。悪い人ではないとも思うが。

 

「今は天の道のことは置いといて……この奉仕部って、依頼者の相談に乗って、助けてくれる部活だって聞いたんだけど、そこんとこどーなん?」

 

 優美子が訊くと、雪乃は思案気な顔で頷く。

 

「相談に乗るというのも、手助けするというのも、確かにその通りよ。ただ、悩みが解決するかどうかは、依頼者自身の問題だわ。私はただ、依頼者に方向性を示すだけ」

「方向性?」結衣は首を傾げる。

「飢えるものに魚を与えるだけでは、問題は解決しない。魚の獲り方を教えなければ、真の自立は望めない」

 

 雪乃は結衣の目を見据えて言った。

 

「真なるノブレスオブリージュは、与えることではなく導くこと。我が奉仕部の理念は、依頼者の努力を促す事にある。ただ助けるだけじゃ駄目なのよ」

「うーん、ノブレスなんとかはよくわかんないけど、手伝ってくれるって事でいいの?」

 

 雪乃の言葉の意味を余り理解できてなさそうな結衣が、はにかみながら訊く。

 

「まあ、そうね」

「じゃあ、依頼させてもらうね」

 

 雪ノ下さんもあの場面にいたから知ってると思うけど、と前置きした結衣は、これ迄の事を話した。

 サブレを救けてくれた八幡にお礼がしたい事。お礼といえば手作り料理だと思ってお弁当を食べてもらおうと思った事。八幡の方が料理が上手くて敢え無く失敗した事。

 聞き終えた雪乃は、逆に結衣に対して質問した。

 

「それで、あなたはどうしたいの?」

「えっと……やっぱり手作りは無謀なのかなぁって思って、ヒッキーの方がお料理上手だし……お礼ってどうすれば良いかなって、一緒に考えてくれないかな?」

 

 結衣の弱気な上に他人任せの言葉に、雪乃は目を細める。

 この場合の『一緒に考えて』というのは、要するに『あなたの考えを採用させて』という事に他ならない。

 

「手作り料理でお礼がしたいと思ったのなら、そうすれば良いじゃない。無謀かどうかなんてどうでもいいわ」

 

 きつい語調で言い切る雪乃に、結衣は弱々しく反論する。

 

「あー、でも、やっぱりあたしじゃ無理かなって。調理実習で思ったんだけど、あたし才能ないっぽいし……」

 

 結衣は気のせいか、雪乃の周りの空気が冷えていく様に感じた。雪乃の纏う雰囲気が、明らかに不機嫌そうなものに変わっていく。

 

「自分では無理とか、才能が無いとか。言い訳ばかりね。そういうの、不快だわ」雪乃の眉間に皺が寄る。

 

 優美子は、自分は当事者ではないと思って横で聞いているだけだったが、流石に言い過ぎだ、と会話に割り込む。

 

「あんさぁ、雪ノ下さん。それはちょっと酷くない? 結衣は今日、失敗しちゃって落ち込んでんだから」

「未熟ゆえに失敗したのなら、成長すれば良いだけよ」優美子の横槍を返す刀でバッサリ切り捨てる雪乃。

 

 そして、雪乃は結衣に対してさらに鋭い視線を向ける。

 

「物事に全力で立ち向かい、過去を凌駕するという条件を満たしたとき、人は初めて成長するのよ。無謀とか無理とか才能が無いとかいう言葉で誤魔化してるけど、あなたは自信が無いだけだわ」

 

 怯む結衣を気にせず、雪乃は声高に言い募る。

 

「努力しない軟弱者に、自信なんてあるわけ無いものね。自らを菲才だと蔑んで言い訳を作って怠ける前に、まずは全力で努力して、自分で決めつけた限界を超えなさい」

 

 言いたいだけ言いきった雪乃に、優美子と姫菜は怒りを感じたのか、険しい目つきで彼女を見る。

 言っている事は正論かもしないが、相手を追い詰めるような言い方には、優しさや配慮というものを感じない。

「ひ……」

 結衣が思わず洩らした言葉の続きを、姫菜は『酷い』だと想像した。

 

「ヒッキーに、似てるかも」

「へ?」姫菜は予想外の結衣の言葉に、間の抜けた声を出す。

「何を……言うのかしら? 由比ヶ浜さん。ヒッキーって、比企谷くんの事よね?」

「なんか、自信に溢れてるっていうか、建前じゃ無い本音っていうか……とにかく、ヒッキーに似てる感じがした。あたし、空気を読んで言葉を濁しちゃったりするとこあるから、雪ノ下さんみたいな人、憧れる。カッコイイと思う」

 

 本気で尊敬の眼差しを向ける結衣に、動揺する雪乃。急に慌てふためき出した彼女の姿が面白かったのか、優美子と姫菜が噴き出した。

 

「ぷっ、ふふっ、確かに天の道っぽかったし」

「ふっ、ふふふ……おばあちゃんが言っていた、全力で立ち向かったとき、人は初めて成長するってな……なんちゃって」

「に、似てる、海老名めっちゃ似てるし、あははははは」

 

 ついに声をあげて笑い出した優美子に、ぷるぷる震えながら雪乃は

「笑わないで!」と声を荒らげた。

 

「あー、ごめんごめん、ふふっ、いやホント似てたからさー」優美子は笑みを洩らしながら謝る。

「ごめんね、雪ノ下さん。いやー、あの流れで、あれは反則だわ結衣。いきなり『ヒッキーに似てる』だもん。くふっ」

 

 姫菜は顔を俯かせながら言った。表情が見えないように隠しているが、笑っているのはバレバレである。

 

「私のどこがあの変人に似ているというのよ」雪乃は納得いかない様子で、ぶつぶつと呟いている。

 

 一頻り笑った事で険がとれたのか、優美子と姫菜の、雪乃への隔意は消えたようだ。

 場の雰囲気が和んだところで、結衣は真剣な表情で雪乃に話しかける。

 

「雪ノ下さん、お願い。あたしに料理を教えて」

「あーしからもお願いするわ。結衣に料理教えてあげてよ」

「んじゃ、私からもお願い」

 

 結衣が頭を下げて頼むと、優美子と姫菜も一緒に頼み込んだ。

 

「……わかったわ、では、とりあえず帰りましょうか」

「帰っちゃうの? 家庭科室とか借りたりできない?」

 

 いきなり帰ると言い出した雪乃に拍子抜けする結衣。

 

「家庭科の先生にお願いすれば借りる事は出来るでしょうけど、借りるのは比企谷くんに料理を振る舞う時にしましょう。家庭科室をそう何度も私的に使うのはマズイでしょうから」

 

 そう言うと、雪乃はカバンを引っ掴んで部室を出て行こうとする。

 結衣たちもそれに続こうとしたところで、雪乃は振り返って三人に言った。

 

「私の家に招待するわ」

 


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