天の道を往き総てを司る比企谷八幡   作:通雨

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奉仕部編6話

 翌日の放課後、A組の教室の片隅には何か重要な事を語り合っているかのような二人の男女の姿があった。

 一人は比企谷八幡、もう一人は海老名姫菜だ。少々興奮気味な姫菜に対して、八幡の方はうんざりとした表情を浮かべている。

 

「俺はさっさと帰りたいんだが」

「まあまあ、もう少し私の話を聞いてよ。このクラスには魅力的な男の子が多いと思うの。例えば葉山くん、イケメンだよね、彼。あと、葉山くんと一緒にいることが多い戸部くんも、ちょっとバカっぽいけど明るい子だし、土屋くんとか陰がある感じがクールだよね。勿論、天の道くんもカッコいいと思うよ」

「……わからないな、それを俺に伝えて何か意味があるのか?」

 

 八幡は目を少し細めて腕を組んだ。

 

「天の道くんは、もっとクラスの男子と仲良くするべきだよ」

 

 姫菜は人差し指を一本立てて、まるで人生の教師であるかの様にアドバイスする。

 

「なるほど、お前は俺に『友人を作れ』と言っているわけだ。孤立している者を見過ごせない性質なのか?」

「いやぁ、そういうわけじゃないんだけどね。天の道くんは孤立や孤独って感じじゃないし」

「なら、どういう事だ」

「ただ、男の子たちには仲良くしていてほしいってだけだよ」

 

 完全に自分の趣味の為に八幡を説き伏せようとしている姫菜だった。

 

「さっきからチラチラと時計を見ている様だが、何かあるのか?」

「あ、バレた? ちょっとね、天の道くんにはこの後ついてきてほしい所がありまして。ただ、理由は訊かないでほしいんだ。やっぱりサプライズの方が楽しいもんね」

 

 迂遠な言葉使いで語る姫菜に、八幡は疑問を覚えたが、とりあえず悪意はなさそうなので黙っておいた。

 その後も、姫菜による『仲良し男子の美学講義』は続いたが、八幡は興味無さげな態度だった。

 大体、葉山は調理実習で組んだアイツだとして、戸部とは誰だ、そんな奴クラスにいたか、と八幡は疑問を浮かべていた。

 調理実習で戸部とも組んだというのに、八幡はいまだに、戸部の苗字を矢部だと思っていた。

 

「海老名!」

 

 楽しそうに語り続ける姫菜に教室の外から声が掛かった。声の主である優美子は、サムズアップとアイコンタクトを姫菜に向けている。

 姫菜はそれに頷きを返すと、八幡の左肩に手を置き「さあ、家庭科室に招待させてもらうよ、天の道くん」と芝居掛かった調子で言った。

 八幡は、いまだ理解が追いついていなかったが、教室を出て行こうとしている姫菜のあとを、仕方なさそうに付いて行った。

 

 

 

 

 ニヤニヤと、含み笑いをもらしながら家庭科室まで歩いてきた優美子と姫菜。

 優美子は家庭科室のドアの前で立ち止まると、一層笑みを深めて「さっ、ドアを開けなよ、天の道」と言った。

 

「実はさっきまでの私の話は、料理が完成するまでの時間稼ぎだったんだよ。私の趣味の話に付き合わせて悪かったねぇ」特に悪びれた様子もなく、姫菜が言う。

「何が何だかわからんが……」

 

 呟きながらドアを開けた八幡の視界には、調理台の一角に立ち、照れ笑いを浮かべる結衣と、腰に片手を当て、したり顔をする雪乃の姿があった。

 

「由比ヶ浜と……豆腐の女か」八幡は、結衣と雪乃の顔を順に見回してそう言った。

 

「豆腐の女!? そんな、ハムの人みたいな呼ばれ方、不快だわ!」

「正確に言えば、豆腐の水が掛かった女だ」

「それならあなたは、豆腐の水を掛けた男じゃない!」

「馬鹿な事を言うな。俺は天の道を往き総てを司る男だ」

 

 豆腐の女呼ばわりされて、苛ついた雪乃は八幡に食ってかかった。

 しかし八幡は変わらず涼しげな表情で意味のわからない言葉を返す。

 結衣は少し焦り気味で雪乃の肩に手を置き「まあまあ、落ち着いて」と抑えた。

 

「……私は、雪ノ下雪乃よ、比企谷くん。奉仕部の部長として、由比ヶ浜さんの依頼を受けたのよ」

「奉仕部の部長?」

「ええ、部長といっても、部員は私一人だけれど。ちなみに顧問は、A組担任の平塚先生よ」

 

 まあ、そんなことは良いわ、と呟いて、雪乃は結衣の背を促すように押した。

 

「あのね、ヒッキー。ヒッキーはお礼なんかいらないって言ってたけど、あたしはずっと、お礼したいと思ってたんだ」

「……サブレの話か?」

「そうだよ、ヒッキーに救けてもらったおかげでサブレは今も元気だよ。だから、恩人のヒッキーに麻婆豆腐をつくったの。あたし、料理苦手なんだけど、雪ノ下さんに習って一生懸命つくったから……食べてほしいな」

 

 結衣は麻婆豆腐を盛った皿を、調理台のテーブル部分に置く。

 八幡は無言で調理台の方へ行くと、テーブルの席に座った。話に否はないらしい。

 

「お、お茶! お茶いれるね」

 

 ペットボトルの烏龍茶を紙コップに注ぐ結衣を横目に、八幡は両掌を合わせた。

 

「いただきます」

「め、召し上がれ」

 

 八幡は結衣からスプーンを受け取ると、徐ろに豆腐を一掬いした。数瞬眺めた後に口にすると、目を閉じてじっくり味わう。

 

「どう、かな?」結衣は恐る恐る味の感想を訊く。

「……美味い」

 

 八幡の答えに、優美子と姫菜が喝采をあげた。結衣に駆け寄りハイタッチする。

 結衣も溢れんばかりの笑顔を見せている。

 

 八幡のスプーンの動きは全く止まらなかった。最後の一口まで一気に食べ終えると、お茶を飲み干して一息つき、「御馳走様」と微笑みながら言った。

 

「豆腐は大石豆腐店の物だな」

「あら、わかるのね」さほど驚いていない様子で雪乃が答えた。

「ヒッキー、あのお豆腐好きなんでしょ?」

「ああ、よくわかったな」

「雪ノ下さんのお陰なんだよ。雪ノ下さんに教えてもらったの」

 

 はにかむ結衣は雪乃に感謝の視線を送る。雪乃はそれにウインクを返すと、鞄からタオル取り出した。

 

「比企谷くん、口元が麻婆で赤くなってるわ。『これで拭いておきなさい。洗ってあるから綺麗よ』」

 

 意味ありげな語調で言いながら、雪乃はタオルを八幡に放り投げた。

 受け取った八幡は得心がいったのか、口角を少し上げてニヤリと笑うと、「俺も『ハンカチくらい持っている、お前から施しを受ける謂れはない』な」と返す。

 

「『人の厚意は素直に受けるもの』でしょう?」

 

 雪乃が放り投げたタオルには大石豆腐店の店名が印字されていた。

 あの日、八幡から渡された粗品のタオルである。『タオルを突っ返す』という目的を達成した雪乃は心底嬉しそうに笑った。

 八幡はタオルの端で口元を拭う。白いタオルがほんの少しだけ赤く染まった。

 

「ふふっ、これで貸し借り無しね」

「別に、俺は貸しだとも思ってなかったがな」

「なーんか意味深なやり取りしてるけど、何の話?」

 

 優美子が訊くと、八幡と雪乃は声を揃えて「なんでもない」と答えた。

 

「それにしても、由比ヶ浜が作った麻婆豆腐は素晴らしい。あの豆腐は美味いが、ともすれば苛烈な刺激の麻婆には馴染まない。料理としては味噌汁などに使うか、そのまま冷奴で食べるのに向いているんだが」

 

 そこで八幡は結衣に目を向けた。

 

「お前の麻婆豆腐は麻婆と豆腐が程良く馴染んでいる。隠し味は果実、桃のペーストか」

「わかるの!? ヒッキー! ほんの一欠片分しか入れてないのに」

「いやぁ、最初に桃を入れるとか言い出した時はどうかと思ったけど、食べてみたら意外と美味しかったんだよねぇ」

 

 姫菜があまり納得いってないような声音で言った。麻婆豆腐に桃という発想が何処と無く悪ふざけのように思えるらしい。

 

「四川麻婆の隠し味に、フルーツジャムを加えると味にまろやかさが出ると聞いた事がある。今回はジャムのかわりにペーストを入れたようだがな」

 

 八幡の祖母は、隠し味の研究に余念がない人だ。当然、その薫陶を受けた八幡も、隠し味には一家言ある。

 

「しかし、この麻婆豆腐の一番の隠し味は桃ではないがな」

「えっ?」

 

 それまでの言葉を突然覆す八幡に、結衣は小さく声を上げて驚く。

 

「おばあちゃんが言っていた……どんな調味料にも食材にも勝るものがある。それは料理をつくる人の愛情だ……ってな」

 

 雪乃は内心、また何か変な事を言い出した、と呆れていた。

 対して優美子は、ちょっと面白い流れになってきたぞ、と瞳をキラキラ輝かせた。イマドキの女子高生三浦優美子、こういう流れは大好きである。

 

「由比ヶ浜が作った料理からは、愛情を感じた」

「えと、あの」顔を真っ赤にして、焦る結衣。

「ほほう」興味深げにメガネの位置を直す姫菜。

「おー」首を振って八幡と結衣の顔を交互に覗き見る優美子。

 

 結衣は自分の心臓がドキドキと脈打つのを感じた。

 ーー愛情……確かに込めたような気がする。でも、それはヒッキーがサブレの恩人だからで、いや、でもヒッキーって結構カッコいいし、いや、でもあたしまだヒッキーのことあんまりよく知らないしーー

 ぐるぐるごちゃごちゃと絡まる思考の糸が、数十手かかる綾取りの様に複雑な図形を象り出したところで、静まり返る家庭科室に八幡の声が響いた。

 

「お前の作った料理は愛情に溢れている。そう、お前の……サブレへの愛情に」

 

 一瞬、時が止まった気がした。

 

 淡い恋バナの香りを感じ取っていた優美子は、肩透かしをくらったようで「なんだ、そういうことか」と呟く。

 

「そ、そうなんだよ。サブレは私の大事な家族だし! ヒッキーはサブレの恩人だし! だから、ヒッキーにどうしてもお礼したかったの!」

「ああ、由比ヶ浜の礼、確かに受け取った」

 

 あたふたしながら畳み掛ける様に言う結衣に、大きく頷いて答える八幡。

 そのさまに、依頼の達成をみた雪乃は、家庭科室の背もたれのない丸椅子に腰かけて、頬杖をついた。その顔に浮かんだ笑みは、そこはかとなく満足気だ。

 

 一方、少し離れて結衣、八幡、雪乃の三人の様子を観察していた姫菜は、この三人の縁に興味を惹かれていた。

 苛烈な赤い麻婆と高貴な白い豆腐の間に、優しい甘みを持つ桃が投入されることで、調度良いバランスが完成したという事に、奇妙で暗喩的な偶然を見た気がした。

 姫菜の心には、この三人の縁はこれからも続いていくのだろうという、根拠のない確信があった。

 いつか、この三人をモデルに漫画を描いてみ

たら、面白いかもしれない。

 密かに、そんなことを考えていた。

 

 

 

 

 

 その日の比企谷家の夕飯には、中華料理が並んでいた。メインは、結衣に作ってもらったものを、八幡の手で完璧に再現した麻婆豆腐だ。

 一度食べただけでレシピを再現できるあたりに、八幡の料理人としての腕前が現れている。

 八幡の対面に座った小町は、兄の顔を観察するようにじっと眺めた。

 

「お兄ちゃん、もしかして、なんか良いことあった?」

 

 訝るような小町の言葉に、八幡は少しだけ眉を上げた。

 

「どうしてそう思うんだ?」

「だって、お兄ちゃん、いつもより口角が2度くらい上がってる気がするよ」

 

 かなり微妙な変化だと思うが、そんなことに気づけるあたり、小町も中々にブラコンである。

 

「……美味しい物を食べさせてもらった。良いことといえば、それくらいだ」

「美味しい物? どっかのお店にでも行ったの? 良いなぁ、今度小町も連れてってよ」

 

 食に妥協の無い八幡が、『美味しい物』と手放しで褒めるくらいだ。それは真実、美味しい食べ物だったのだろう。

 

「どこかの飲食店に行ったわけじゃない。同じクラスの女子に、料理を作ってもらっただけだ」

「おおう……さりげないモテ宣言頂きました。誰々? そのひと」

「なに、別にモテたわけではないし、小町は知らない女だ、気にする事はない。そうだな、サブレの女とでも覚えておけばいい」

「サブレの女? サブレ作ってもらったの?」

「いや、作ってもらったのは麻婆豆腐だ。今日の麻婆豆腐は、その味を再現してあるから、小町も食べてみるといい」

 

 言われた小町は、麻婆豆腐の皿を引き寄せ、レンゲでひと掬いした。

 花椒粉の香りが鼻腔をくすぐる。一口食べてみると、麻婆と豆腐のコントラストの中に、まろやかな淡い甘みを感じる。

 

「確かに美味しい! うーん、隠し味はフルーツジャム、かな?」

「惜しいな、正解は桃のペーストだ」

「あー、そっかあ、まだまだお兄ちゃんやおばあちゃんみたいには、隠し味当てられないなあ」

 

 残念そうにそう言う小町だが、その味覚は常人よりも格段に研ぎ澄まされていた。

 祖母と兄の薫陶の賜物である。

 

「お兄ちゃん、今度小町にも、この麻婆豆腐の作り方教えてよ」

「ああ、勿論。今度な」

 

 美味しい料理を作るには、愛情を持って作るのがポイントだ。小町にはそのあたりも、しっかり教えてあげなければ。比企谷家の者に中途半端な料理を作らせるわけにはいかない。

 八幡は、美味しそうに麻婆豆腐を頬張る小町を眺めながら、そう思った。

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