天の道を往き総てを司る比企谷八幡   作:通雨

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奉仕部編8話

 結衣が入部届けを提出してから数日後、西陽眩しい放課後の教室で、机に右手で頬杖をついた八幡は、対面に座る静の顔を見遣った。

 八幡の前の席の椅子を後ろに向け変えて座り、腕を組んで難しい表情をしている静は、八幡の眼を見据えて言う。

 

「君には、謙虚さが足りない」

「俺ほど謙虚な人間も、そうはいないと思うが」

 

 八幡の返答に、静は驚いて瞠目する。

 

「冗談だろう? 例えば君、私のことを何と呼んでいる?」

「平塚」

「ほら! 担任に対して呼び捨て! 普通はな、教師を呼び捨てにする時は、周りに本人がいないかどうか確認するものなんだよ!」

 

 本人の前でなければ呼び捨てにしていいのかという問題もあるが、少なくとも名指しで呼び捨てというのは非常識だろう。

 

「君の様な、傲岸不遜な生徒は初めて見た」

 

 呆れ返った、という様子で左手で額を押さえる静。正確に言えば、彼女の事を静ちゃん呼びしてくる傲岸不遜な女子生徒もいたので、八幡が初めてというわけでもないが。

 

「君には、ある部活動への参加を命じる。そこで、性根を入れ替えるがいい」

 

 静と八幡の視線がぶつかる。眼を逸らしたら負けだ、とばかりに静は瞳をぎらつかせた。

 数秒そうしていると、不意に八幡は目を閉じた。静は、『勝った!』と内心で快哉を叫ぶ。

 

「先日、由比ヶ浜に呼び出されて家庭科室に行った」

 

 目を閉じたまま、突飛なことを言い始めた八幡を、静は怪訝そうに見る。

 

「以前、俺は由比ヶ浜の家族を救けたことがあった。俺としては大した事をしたとは思っていなかったんだが、由比ヶ浜は恩義を感じていたらしい。御礼だと言って麻婆豆腐を作ってくれた」

 

 由比ヶ浜、料理、この二つのキーワード、静は最近聞いたことがあるのを思い出した。

 

「由比ヶ浜は料理が苦手らしくてな。麻婆豆腐の作り方は奉仕部の雪ノ下に習ったそうだ。奉仕部というのは、人助けをする部活らしいな」

 

 そう、料理について悩んでいる結衣に、奉仕部を頼るように勧めたのは自分だ、と静は頷いた。

 

「しかし、この学校に奉仕部などという部は存在しない」断言する八幡。

 

 静は目を大きく見開き、眉を上げた。

 

「な、何故それを……」

「とある部が設立されたのかどうか気になって、この学校にどんな部があるのか調べたことがある。部活動案内を確認したが、その中に奉仕部なる部は無かった。そして、校則では部の存続自体は部員数一人で良いとされているが、設立には三人以上が必要だ。雪ノ下一人では奉仕部を設立することはできない」

 

 ここまで、話を脳裏で整理するかのように目を閉じて話していた八幡が、目を開けて視線を静に投げた。

 

「雪ノ下の話では、奉仕部の顧問は平塚、お前らしいな。おそらく、雪ノ下を勧誘して部を作ろうとしたものの、そこで初めて部の設立に関する校則を知った、といったところか」

 

 全てを見透かしたように語る八幡に対して、静の目は面白いほどに泳ぎ始めた。

 瞬き、きょろきょろ、瞬き、きょろきょろ。

 

「つまり、人数合わせとして俺を奉仕部に入部させたいわけだ」

 

 ここまでで、何か間違いはあるか? と静に訊ねる八幡。

 静はそこまでバレているなら仕方ない、と観念して、思惑を語った。

 

「確かに、君の言う通りだ。君を奉仕部に入部させて、部員数を三人にしようと思っている」

 

 勿論、八幡の性根を入れ替えてやる、という目的もあるが、人数合わせの為というのも大きな目的である。

 

「なんだ、俺が入部すれば三人揃うのか?」

「ああ、先日、由比ヶ浜が入部届けを提出してきた。あと一人で部として申請できる」

 

 八幡は、ふむ、と頷くと机の横に提げていた鞄を引っ掴み、席を立った。

 

「何処に行くつもりだ?」静が訊く。

「分かり切ったことを訊くな」

 

 いまだ座ったままの静の方は見ずに、教室の扉へ歩いていく八幡。

 

「入部してほしいんだろう? とりあえず、奉仕部の部室に行くぞ」

「え!? 入部してくれるのか!」

 

 さっと席を立った静は手早く椅子の向きを戻して、八幡の後を追いかけた。

 

「助けを求めるものに、俺という太陽は輝く」

 

 追いついてきた静に、八幡はそう言った。

 素直じゃないし態度も悪いが、中々どうして良い奴じゃないか、と静は八幡の評価を少しだけ改めた。

 

 

 

 

 奉仕部の部室にて結衣は今、頭を悩ませていた。折角奉仕部に入部したというのに、依頼はまだ一件も来ない。

 聞けば、奉仕部に来た依頼は結衣自身が相談した件のみらしい。

 依頼がないという事は、総武高の生徒に悩みがないという事ともとれるが、流石に一件も依頼が来ないのはちょっとどうなんだろうか。

 もしや、奉仕部はその存在を全く知られていないのではなかろうか。

 雪乃は何やら難しそうな本を読んでいる。また金田一かな? 暇だし、あたしも金田一読んでみようかな? と結衣が考えていたところに、ノックの音が聴こえた。

 

「どうぞ」雪乃が答える。

 

 扉を開けて入ってきたのは、天の道を往き総てを司る男、比企谷八幡その人だった。

 

「ヒッキー!? どしたん? 何か悩みがあるの?」

 

 結衣が驚きながら訊くと、八幡は無言で首を横に振る。

 

「じゃあ、どうして?」

 

 さらに質問する結衣に答えたのは、八幡ではなく、その後ろから部室に入ってきた静だった。

 

「比企谷には奉仕部に入部してもらう事になった」

「え? ヒッキーも入部するの!?」

「平塚先生、そんな話は聞いていませんが」

「まあ、今、初めて言ったからな」

 

 突然の話に目を丸くする結衣と雪乃。対して静は何でもない事のように、さらっと答える。

 肝心の八幡はさっさと部屋の隅から椅子を取ってきて、長机の端、雪乃が座っている場所の対面側に座った。

 

「知っているかもしれんが、この男は教師を教師とも思わんような奴だ。この部に入部させて、その性根を叩き直してやってくれ」

「それは奉仕部への依頼ということですか?」

 

 静の言葉に雪乃が返すと、八幡は天井を指差すように手を挙げた。

 

「……比企谷くん、それは発言の許可を求める挙手かしら?」

 

 だとしたら手の形が可笑しいわよ、と雪乃は内心で突っ込む。

 

「俺の性根を叩き直すだの何だのという妄言は置いておくとして、先に言っておかなければならない事がある」

「何かしら?」促す雪乃。

「俺が入部したら、部長は俺だ」

 

 窓も開いていない部室に、風が吹いた気がした。

 

「何を言っているのかしら? 部長は私よ」

「一番偉いのは俺だ。ならば、俺が部長に就任するのが道理だろう?」

 

 そよぐ風は勢いを増し、吹き荒れる嵐になった。

 雪乃はバンッと掌で机を叩く。そのまま勢いで立ち上がり、八幡に食って掛かる。

 

「あなたねぇ! 後から入部してきていきなり部長だなんて、承諾できるワケないでしょ!」

「後から入部してきて、というのは正確ではないな。奉仕部は、まだ部として成立していない」

 

 胸元のポケットから生徒手帳を取り出した八幡は、部活動に関する校則が書かれたページを開き、長机の上を滑らせて雪乃の方へ渡した。

 受け取った雪乃は、さっと部の設立要項に目を走らせる。結衣も席を立ち、雪乃の隣に並んで生徒手帳を覗き込んだ。

 

「部の設立には三人以上必要? じゃあ、奉仕部って」

「俺が入部して初めて部として成立する」

 

 結衣の疑問の声に対して即座に八幡が答えた。

 

「平塚先生……どういうことです?」八幡の生徒手帳を、長机の上を滑らせて返しつつ、底冷えするような冷気を纏わせ訊ねる雪乃。

「いやあ、まさかなあ、部員の人数が問題になるとはなあ」静は、あらぬ方向に視線を向けながら苦笑で受け流す。

「え〜、雪ノ下も比企谷も部長の座を狙っているのなら、ここはひとつ勝負で決着をつけるしかあるまい」

 

 静の提案に雪乃が訝しげな表情を浮かべる。

 

「勝負……ですか? そんな、投げやりに部長を決定するのは……」

「おや、雪ノ下は勝つ自信が無いのか?」

 

 静の挑発は安っぽかった。八幡は勿論、結衣も、挑発された雪乃自身も、それが勝負に乗せるための軽口であると気付いていた。

 しかし、「勝負の内容は?」と言って、雪乃は受けて立った。

 彼女の負けず嫌いっぷりは半端ではないのだ。静の思惑に気付こうが気付くまいが、引くこと知らぬ勇猛さなのだ。

 静はニヤリと笑って、ポケットから白いハンカチを取り出した。

 

「比企谷、サインペン貸してくれ」

 

 八幡は鞄からペンケースを取り、その中から筆ペンを取って、指で弾いて静に投げた。

 

「筆ペン? サインペン持ってないのか」

「別に、書ければどちらでもいいだろう」

 

 まあいいか、と机にハンカチを広げた静は、それに楷書体でサラサラと『部長』という字を大きく書いた。

 

「今から、この『部長のハンカチ』を学校の何処かに隠す。制限時間内にこのハンカチを手に入れた者が奉仕部の部長となる」

 

 名案を思い付いた、といった様子で、したり顔をする静。

 

「さらに」

 

 静は結衣の方へすたすたと歩み寄ると、ハンカチを彼女に手渡す。

 

「え?」咄嗟に受け取ったが、合点がいかない結衣。

「ハンカチを隠すのは由比ヶ浜だ。君が『選ぶ』んだ……良いね?」

 

 静は結衣の肩に手を置き、『選ぶ』という言葉にアクセントをつけて言った。

 八幡と雪乃は直ぐさま言葉の裏に気付いた。

 そして、結衣も数拍遅れてどういう意味で言われたのか理解した。

 つまり静は、結衣に部長を選ばせる気なのだ。

 八幡か雪乃か、『ハンカチを見つけてほしい方が、探すであろう場所に隠せ』と、そう言っている。

 

「では、私は四十五分後にこの部室に戻ってくる。由比ヶ浜は十五分でハンカチを隠しなさい。雪ノ下と比企谷は残りの三十分でそれを見つけだせ」

 

 静はそう言い残すと、足早に部室を去っていった。

 雪乃と八幡は、ハンカチを手にして緊張した面持ちの結衣を眺めた。

 

「比企谷くん、あなたはこのルールで構わないのね? 随分、私に有利なルールだけれど」

 

 不敵な笑顔を浮かべて結衣の顔を見る雪乃に対して、結衣は曖昧に笑う。

 

「……まあ、良いだろう。由比ヶ浜、さっさと隠してこい」

「う、うん。じゃあ、行ってくるね」

 

 結衣はハンカチを握り締めて、部室を出て行った。

 

「……このルールで本当に良いのね? 八百長みたいで、余りしっくりこないのだけど」

 

 冷静になって椅子に座り直した雪乃は八幡に訊く。

 

「どこが八百長みたいなんだ?」

「だって、由比ヶ浜さんは私の……友達だもの」多分、と八幡には聴こえない小さな声で語尾に付け足した。

「俺は由比ヶ浜の家族の恩人らしいが」

 

 雪乃は、むう、と表情を引き締めた。しかし、ここ数日、由比ヶ浜と自分は二人きりで放課後を過ごしていた。私の有利は揺らがないはず、と結論する。

 

「まあ、この勝負なかなか楽しいじゃないか。おばあちゃんが言っていた……誰にもわからないように隠し味をつけるのは楽しい。だが、それを見つけるのはもっと楽しいってな。隠されたものを見つける勝負、探究心が刺激される、だろう?」

 

 この男のおばあちゃんとやらは何者だろう、と雪乃は少し疑問に思った。

 

「しかし、由比ヶ浜の性格を考慮すると、俺がハンカチを手にする確率は低いかもしれないがな」

「あら、自分が不利だという自覚はあるのね」

「由比ヶ浜はバランスを重んじるタイプだろう? 誰が部長になればバランスが良いか、本能的に理解するはずだ」

 

 その通りだ、この男も偶には良い事を言う、と雪乃は思った。やはり、部長は私。それが道理だ。

 雪乃は読み掛けだった本を再び読み始めた。対して、手持ち無沙汰になった八幡は、とりあえず小町に『今日は遅くなるかもしれない』とメールを送った。

 

 きっかり十五分後、結衣が部室に戻って来た。

 

「隠してきたよ〜」

 

 結衣は多少、伏し目がちな様子だった。それが雪乃は少し気になるが、とりあえずさっさとハンカチを見つけようと思い、「では、探してくるわ」と言って部室を出て行った。

 しかし、八幡は一向に動き出そうとしない。暇潰しなのか、現国の教科書を開いて眺めている。

 

「ヒッキー、探しに行かないの?」

「俺は、無駄な事はしない」結衣の方には目を向けず、教科書を眺めたまま、八幡は答えた。

「無駄って……もしかして、あたしがどこに隠したか、ヒッキーはわかってるの?」

「ああ、隠すところを見ていたからな」

「ふぇっ! う、嘘! 見てたのヒッキー! ヒッキーのエッチ!」

 

 結衣は、自分の体を両腕で抱きしめながら狼狽した。

 しかし、よく考えてみれば、自分がハンカチを隠すところを、八幡が見ているはずはないと気付く。

 八幡は今の今まで雪乃と共に部室にいたのだ。八幡が退室して結衣を追い掛けたとしたら、雪乃が黙っていないはずである。

 

「ヒッキーの嘘つき!」

「そう、嘘だ。しかし、隠し場所はわかった。『俺には触れる事が出来ない場所』だな」

「あ……」

 

 今のやり取りで、八幡はハンカチが何処に隠されたか悟った。

 

「ヒッキー、怒ってる?」結衣が遠慮がちに八幡に訊く。

「何故だ?」

「だって、部長になりたかったんでしょ?」

 

 八幡は教科書から目を離さず、結衣の方へは視線を向けずに答えた。

 

「平塚は、お前に『選べ』と言った。そして、お前は選んだ。ルールについては事前に納得していた。ならば、何も問題はないな」

「……そっか、ありがと、ヒッキー」

 

 結衣は、申し訳なさそうに微笑んだ。


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