とうま1/2   作:通雨

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12話

 幻想殺しの指先が、スフィンクスの右肩辺りに届いた──かに見えた。

 

「惜しかったな、上条当麻」

「こ、これは」

 

 パフっと間抜けな音が鳴る。スフィンクスの右手には、オモチャのパフパフラッパが握られていた。

 彼女は懐からラッパをサッと取り出して、そのラッパの先、ベルと呼ばれる部分でとうまの幻想殺しを受け止めたのだ。

 

 そしてその瞬間、スフィンクスの背後にある民家の、塀の物陰からステイルが跳び出してくる。

 既に詠唱は済ませたのか、彼はその口で必殺の相棒の名を呼んだ。

 

「イノケンティウスっ!」

「よせっ! ステイル!」

 

 とうまは甲高い声を上げてステイルを制止するが、魔力をルーンカードに連動させて、イノケンティウスを編み上げる事に集中している彼の耳に届くことは無かった。

 

 スフィンクスはとうまの顎先に、横から振り抜く左の掌底を当てて三半規管を揺らす。軽い脳震盪を起こしたとうまは、膝から崩れ落ちて気絶した。

 掌底を振り抜いた勢いのまま踵を返したスフィンクスは、獲物を見つけた猫のように鋭い視線で炎の巨神とその使役者を射抜く。口許には楽しそうな笑みが浮かんでいた。

 ステイルが潜んでいた位置からは、確かに幻想殺しの指先が歩く教会に届いたように見えていた。

 本来、幻想殺しが歩く教会に触れれば、その修道服はばらばらに散らばり、防御礼装としての機能は勿論、衣服としての機能すら果たさなくなるのだが、そんな事は知る由もないステイルは、歩く教会の機能はもう失われているのだと誤解している。

 

 歩く教会の防御結界が機能していないならば、イノケンティウスで直接攻撃するわけにはいかないとステイルは判断した。

 彼はボソッと小さな声で呪文らしき言葉を呟いて、イノケンティウスに指示を与える。

 すると、紅蓮の炎はゆらりとその姿勢を変えた。

 天から垂れ下がった蜘蛛の糸を掴むかの如くその右腕を掲げた炎は、癇癪を起こした子供のようにその手をアスファルトに叩きつけた。

 爆発の轟音が周囲に響き渡る。イノケンティウスが叩きつけた爆心地を起点に、指向性を持ったアスファルトの破片がスフィンクスの方へ弾丸となって飛んでいった。

 しかし、彼女は全く防御姿勢をとる事なく、その飛礫の嵐へ向けて一直線に走っていく。

 当然、歩く教会が健在であるからには、アスファルトの破片が彼女を傷付けるはずもない。

 そのまま真っ直ぐ、ステイルへ向けて襲いかかり、彼を守るように眼前に展開されたイノケンティウスの炎さえも、その身で突き破った。

 

「ぬるいなあ、魔女狩りの王。魔女は狩れても魔神は狩れないか」

「くっ、能力者め! しくじったか!」

 

 ステイルはとうまへの悪態を吐きながら、なんとかスフィンクスに一矢報いようと次の手を打った。

 

「灰は灰に──」

「遅い」

 

 しかし、彼の行動は一足遅かった。無防備な鳩尾に、掌底がめり込む。

 背中まで突き抜けるかのような衝撃に、ステイルは一撃で意識を刈り取られた。

 そのまま地面に、うつ伏せで倒れこむ。

 

「つまらないなあ、本当につまらないよ。そう思わないか、聖人」

「うっせーんだよ、魔神」

 

 ぶつぶつとぼやくスフィンクスの背後には、いつのまにか神裂火織が立っていた。

 魔神の問い掛けに、彼女は常の丁寧な言葉遣いではなく、荒い口調で応える。

 

「君のその口調、嫌いではないよ。神裂火織」

 

 魔神は率直な感想を口にする。振り返った彼女の顔に邪気は無かった。透明で、爽快な笑顔だった。

 木漏れ日の散歩道を優雅に歩くように、神裂の方へゆったりと近づいてくる。

 

「私はあなたの口調は嫌いです。あの子の顔で、そのように偉ぶった態度で話すのはやめてもらいたい」

「ふむ、では闘争で語るとしよう」

「かかってきなさい!」

 

 空を駆けて飛びかかったスフィンクスは、右手の虎爪掌を振り下ろしで放つ。大袈裟な振りで放たれたその一手は、ひどく態とらしい大きなモーションだ。

 それだけに威力も強そうで、つい両腕で受け止めたくなる。

 しかし、神裂は先程、この右の振り下ろしを受け止めた後にくる、左のカチ上げによってアパートの壁に叩きつけられた。

 同じ轍を踏むわけにはいかない。神裂は左手によるパアリングで振り下ろしをいなし、続くカチ上げを右手で払い落とした。

 

「同じ技はききませんっ!」

「では、こんなのはどうだ」

 

 スフィンクスは今度は大振りではなく、間合いを詰めてショートフックやショートアッパーを振り回した。

 顎先や脇腹を的確に狙ってくるコンビネーションは、喰らえば聖人の身体にも深刻なダメージを与える威力が込められている。

 それを必死に、時には受け止め、時には避けながら、少しずつ神裂は後ろに退がった。

 彼女は今、スフィンクスを螺旋の罠へと誘いこんでいる。

 それは、唯閃と並ぶ彼女の奥の手、飛竜昇天破への布石だった。

 

 猫魔神打倒の手段として、飛竜昇天破は最適解といえた。

 対神格術式である唯閃は、ともすれば歩く教会の防御結界すら抜けて、スフィンクスの、否、インデックスの身体を傷付ける恐れがある。

 それに、唯閃は聖人の力を大きく引き出して、人間の限界を超えた動きをする奥義であるため、自身の身体に多大な負担がかかる。

 もしも唯閃がスフィンクスに通用しなかったときには、もう闘える者がいなくなってしまう。

 故に、唯閃は使用できない。

 

 対して、飛竜昇天破には唯閃のようなデメリットは何一つなかった。

 中国武術を祖とする飛竜昇天破は、相手の魔力や闘気などを利用して放つカウンター魔術だ。

 使用者自身の魔力は必要ないので、神裂に負担は全くかからない。

 神裂は暴風のようなスフィンクスの連撃を捌きながら、一歩一歩、大きな円を描くようにバックステップを踏んだ。

 退がる神裂と追いすがるスフィンクスが描く円は徐々に小さくなっていく。その動きを上空から見れば、外から中心へと向かう螺旋のステップを描いていることがわかっただろう。

 二人が描く螺旋は、スフィンクスから溢れ出る魔力の熱気によって高温にあたためられていく。二人が通った跡には、魔力の残滓が目視できた。

 しかし、その残滓は全て、無駄に魔力を滾らせるスフィンクスから溢れ出たものだ。

 神裂は対照的に、一欠片の魔力も洩らしていなかった。

 その精神は波風ひとつない凪。冷静沈着、明鏡止水、絶対零度の氷の心と呼ばれる状態だった。

 術者の氷の心が齎らす冷気を、高温の螺旋の中心でアッパーと共に放つことで、飛竜昇天破は完成する。

 

 相手の魔力の熱気によって生じた螺旋と、術者の氷の心による冷気の一撃が齎らす温度差は、天に昇る飛竜の如き竜巻を発生させる。

 その竜巻は、時に周囲の人間すら巻き込む暴風となるが、気絶していた月詠小萌と上条当麻は巻き込まれないように、神裂が担いで既に避難させた。今はアパートの裏側で寝っころがっている。

 直ぐ其処で倒れ込んでいるステイルは巻き込まれるだろうが、彼は意外と丈夫なので平気だろうと判断した。

 歩く教会の防御結界は飛竜昇天破の大威力でも破れないだろうが、インデックスの身体を傷付けない為にはそれはむしろ好都合。

 たとえ歩く教会の防御結界を破れなくとも、飛竜昇天破の竜巻に巻き上げられた人間は空気を奪われるのだ。つまり、呼吸が出来なくなる。

 スフィンクスが如何に魔神といえど、所詮は生物である限り、呼吸が出来なければ気絶するは必定。

 気絶させた後に洗髪香膏指圧拳で猫に関する記憶を消せば、スフィンクスを再び封印できるだろう。

 神裂の作戦は完璧だった。螺旋のステップは、あと二歩で中心に辿り着く。

 

 しかし、──あとは、冷気のアッパーを放つだけ──という神裂火織の内心を、スフィンクスは完全に悟っていた。

 

 神裂火織は二つ、大きな勘違いをしている。

 

 ひとつは、スフィンクスは飛竜昇天破を知らないと思っていること。

 はっきり言おう、そんな事はない。スフィンクスは主人格であるインデックスと記憶と知識を共有している。

 インデックスが知っている事は当然スフィンクスだって知っているのだ。

 もうひとつは、飛竜昇天破に返し技が存在しないと思っていること。

 絶大な威力を誇る飛竜昇天破ではあるが、さらにその先に数種類の発展技、改訂版が存在する。

 その改訂版のひとつは、カウンター魔術である飛竜昇天破への、さらなるカウンターとして放つ魔術だった。

 何も知らない神裂は、最後のステップを踏み、スフィンクスに向けて冷気のアッパーを放った。

 

「飛竜昇天破っ!」

「かかったな」

 

 瞬間、スフィンクスは上昇気流に巻き上げられて空を飛びながら、魔力の放出を切る。

 無限に溢れ出していた魔力は静まり、波紋ひとつない水面のように穏やかになった。

 そして彼女は先程の神裂と同じく、精神を落ち着かせて氷の心をつくる。今ならば、絶対零度の冷気の一撃を放つことも可能だ。

 

 空に巻き上げられたスフィンクスは右拳を握り固め、地上へ向けて冷気のストレートを振り下ろした。

 冷気の一撃は立ち昇る飛竜を穿ち、寒風の大穴を開ける。

 すると、その大穴に向かって、今まで魔神から好き放題垂れ流されていた魔力が集約していく。

 魔神が再び目覚めて以来、無秩序に放出されて周辺の大気に漂っていた魔力は、穿たれた大穴の中心で固まり、巨大な気弾となった。

 

「覚えておくがいい神裂火織。これが飛竜昇天破の改訂版、飛竜降臨弾だ!」

「これは、こんな……こんな魔術が!」

 

 恒星の如く光輝く気弾が竜巻を打ち消し、地上の神裂へと降り注ぐ。眼前に広がる光景は、聖人にこの世の終わりを思わせた。

 

 しかし、無念……と覚悟して膝を地についたまさにその時、この場には似つかわしくない、少女のひときわ高い声が聴こえた。

 

「月詠五円殺っ!」

 

 神裂の直ぐ目の前に飛び込んできたのは、気絶していた筈の月詠小萌だった。

 彼女は指に挟んだ五円玉を襲いくる飛竜降臨弾に向け、その穴から気弾を吸引していく。

 ぐいんっぎゅんっ! と彼女の身長が超速で一気に伸びて、再び大人モードに変身した。

 

「月詠小萌っ! あなた、気絶していたのではっ」神裂は再び立ち上がる。天の助けが来た気分だった。

「なに、いま目を覚ましたばかりさ。ところでこれは、一体どういう状況だい?」

 

 口調には余裕がありそうな小萌だったが、その額には冷や汗が浮いている。

 目を覚ましてすぐに駆けつけてみれば、天から降臨する気弾が地上に迫ってきていたのだ。

 咄嗟に吸引する事で、地面にどでかいクレーターが出来るのだけは防いだが、何が起きているのかはよくわからない。

 

「見ての通りです!」

「見ての通りというと、この辺り一帯壊滅する、という事かな?」

「あなたがこの気弾を吸収し尽くせば大丈夫です!」

 

 神裂には飛竜降臨弾に対抗する手段は無かった。自身の使える防御結界を張っても焼け石に水だし、唯閃で気弾を真っ二つに斬っても弾が二個に増えるだけだ。

 ここは、小萌に任せるしかない。

 

「成る程ね、時に、魔術師ちゃんは大食い大会に出場した事はあるかい?」

「こんな時に何を言っているのです! 集中してください月詠小萌!」

「いや、ね。何事にも容量というものがあってだね。満腹の状態で、それ以上食べるなんて事は出来ないのだよ。それは気弾にもいえることであってだね」

「つまりっ?」

「もうそろそろ……やばい……」

 

 五円玉の小さな穴にどんどん吸い込まれていく飛竜降臨弾ではあったが、その威力は未だ健在であった。

 小萌は既に吸引許容量の九割程を吸い込んでいる。その限界に達するまで、時間は幾許もなかった。

 焦った神裂は、小萌の両肩に手を置く。

 何がしかの魔術でサポートしてくれるのか、と小萌はその肩に置かれた手に期待を寄せる。

 

「強いぞ負けるな月詠小萌っ! ファイトだ勝てるぞ月詠小萌っ!」

 

 神裂は、大声で応援しながら肩を揉んだ。

 過酷な教師生活で凝り固まった小萌の肩が、少しだけ揉みほぐされた……だけっ!

 特に状況は変わらないっ!

 

「……なんだい、それ?」小萌は冷ややかにつっこむ。

「……もうひと頑張りしてもらおうと、マッサージを……」

「OK、我々の負けだ」

 

 小萌と神裂は、せめて頭部を守ろうと、両手を頭の上に置いてしゃがんだ。目をつぶってグッと歯をくいしばる。

 諦観と共にダメージに備えた二人の耳に、雷鳴のような轟音が響く。

 そして、つぶった目の瞼越しに、強い閃光を感じた。

 

 しかし、身体にはなんの衝撃もやってこない。ふわりと、妙に心地いい風が吹いただけだ。

 十秒ほどの間を置いてから、二人は同時に恐る恐る、ゆっくり目を見開いた。

 

 二人の目に写ったのは、右手を天に掲げる少女の背中だった。

 

「上条ちゃんっ!」「上条当麻っ!」

 

 二人は同時に、その少女──本当は少年──の名を叫ぶ。

 間一髪のところで目を覚まして戦場に戻ってきた彼女──本当は彼──は、迫り来る飛竜降臨弾を幻想殺しで即座に消し去ったのだ。

 

「二人とも、ちょっと退がっててくれ」

「何を言うのです、上条当麻。折角戦力が三人に戻ったのですよ。三人でかかるべきです」

「いや、ちょっとサシで闘ってみたいんだ。頼むよ、神裂」

「いえ、しかし」

 

 言い募ろうとする神裂の腕を、小萌が引っ張った。そして、彼女は首を左右に振る。

 

「上条ちゃんは、考え無しに我儘を言う子ではないよ。任せてみてもいいと思う」

 

 神裂には、その言葉は到底信じられるものではなかったが、穏やかに微笑む小萌の瞳には、妙な自信のような、半ば確信のような光があった。

 結局神裂は、とりあえず様子をみてみることにした。何かあれば直ぐに介入する心構えをしつつ、小萌と共に大人しく後方に退がる。

 

 とうまは胸の前で、左の掌と右拳を合わせた。

 

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